社会人4年目の今だから答えられる。失敗を通してたどり着いた私の働き方

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ、第一回目のレポート後編です。 第一回目のゲストは月岡愛里(つきおか あいり)さんです。第一部では月岡さんへのキャリアインタビューをご紹介しました。第二部では参加者から月岡さんへの質問を中心に話を進めました。 >>前編の記事はこちら<< 良いプロデューサーは「人を使う天才」   Hさん:ネット配信のテレビ局で優秀なメンバーと働いていらっしゃったというお話でしたが、どんな人のことを優秀だと思いますか? 私のいた部署のように、企画やプロデュースなど全体を統括して責任をとる部署においては、言い方は悪いですが「人の使い方が抜群にうまい人」が優秀だと私は思います。番組のプロデューサーは自分で映像を撮ったり編集したりする訳ではないので、そういう技術を持った人たちにいかにやりたいことを伝え、動いてもらうかというのがとても重要でした。 ただ、自分よりできる人に率直に意見を言って、満足いくアウトプットが出るまで何度もやり直してもらうのってとても申し訳ないし、気を遣います。 それを嫌な感じに聞こえないように配慮して、「この人(このプロデューサー)のためだったらもう一回頑張ろう」と思ってもらえる力がある人が優秀なのだと思います。相手に敬意を示すことを忘れず、自分のやるべきことはきちんとやった上で、言うべきことを言う。そういう「バランスの天才」のような上司がいたので、今もお手本にしています。 嫌いにはならなかったんですか? 正直、全力でアウトプットを出すよう向き合わされるので大変でした。でも嫌いになりきれないんですよ。 ヒット作を生むために正しいことを言う人でしたし、その人自身も全力で向き合っていたので。他の人が遠慮したり手を抜いたりするところで絶対にそうせず、結果を出すために何でもやる人だったので、みんなが何とかやらなきゃ!という気持ちになるんだと思います。 転職のモチベーションは「不安」 Sさん:転職してモチベーションが下がった理由はありますか? 前職から全く違う広告業界に転職したので、自分の知見や技術がまだない中で、成果を出した、役に立ったという実感がまだ得られる状況ではないからだと思います。 転職のモチベーションは何でしたか。次で何かやってやろう、もしくは不安、どんな感じですか。 当時やっていた仕事と違う技能も身につけなきゃ、もう少し違うことができるようになった方がいいのではないか、という不安と、新しい業界への好奇心という感じだったと思います。 『働き女子』という言葉への疑問   Kさん:世の中で輝いている女性ほど、女性差別などの社会問題に着目するイメージがあります。自分は男性という性で生きてきて、気づいていないところがたくさんあるんだろうなと思います。着目するきっかけが何かあったんでしょうか。 女の人は働いているだけでいわゆる「働き女子」「キャリアウーマン」みたいに言われます。「働き男子」とは言われないのに。ということは基本的にこの社会は「男性が構成している場所にに女性が入ってきたから、“女性のポスト”を用意してあげている」という前提になっているんだなと社会に出てから気づきました。 このような空気感は、仕事を頑張れば頑張るほど、どんどん日常的に感じるようになるもので、仕事を得て働いている女性にとってはよくある話です。「それを乗り越えてこそ」と思う人もいれば、気にしないようにしている人、「私は黙らないぞ、文句を言っていくぞ」となる人もいて、考え方は分かれると思いますが、興味を持たざるを得なくなっていくのは多くの人に共通すると思います。私も、「これ私が男性だったら言われなかったのかな」と思う小言とか、悔しいことも色んな場面でありました。そのような小さな積み重ねがあって、ちゃんと嫌なことや理不尽なことは言っていかないといけないと思うようになったのだと思います。 社会問題に興味があるなら飛び込むのもあり Sさん:新卒の学生で「自分は社会問題に興味がある。でも新卒でそういう仕事をしている業界に飛び込むのはちょっと怖いから、一旦、広告業界やメディアなどのコンテンツを作る会社に入って、発信する力をつけてから、社会問題に直接対峙するような事業を自分で作るなり、そのような事業をやっている会社に入るなりすることを考えているんです。」という相談がよくあります。月岡さんは、学生時代から社会問題とかソーシャル活動に興味があったんですか? 大学時代は田舎から出てきたばかりだったので、一旦興味があることを何でもやってみていた段階でした。フリーペーパーを作ったり、テレビ局で働いたり、バイトで着ぐるみを着たり、本当に色々なことをして面白かったです。そして社会人になって、世の中には自分の知らない世界があるんだなということをさらに知って…社会のことに関して目を向けられるようになったのはその後くらいでした。 私は、せっかく興味を持てることがあるんだったら、そこで色々やってみたり発信してみたりしてもいいのではと思いますけどね。一旦、広告やメディアに行く、という人が多いんですね。 Sさん:そういう学生が多い気がします。広告業界で仕事をしながら、副業でライターとして記事を書く仕事をするっていう人も結構います。そういうキャリアもありかなとは思いますね。 私は自分が何に向いていて何ができて、どれくらい働くと限界で、どのくらい働くのがちょうどよく楽しいのかが、ようやく最近わかり始めたところなんですよね。最初からバチっとハマる仕事や完璧な状態を目指してしまうと、何を選ぶのが正しいのかよくわからなくなるのではとも感じます。一度、興味のあることをとことんやってみたらいいんじゃないでしょうか。 倒れる前に、ご自愛する戦い方を見つけることは可能? 20代は男女問わず、スターマリオのように「寝なくても仕事できるわ!」という状態になって、突然倒れてしまうというようなことをよく聞きます。月岡さんの言葉で言う『ご自愛しない戦い方(無茶)』をしてしまう若者は多いですよね。一度、倒れないとわからないものなんでしょうか。それとも、そうなる前に立ち止まって、ご自愛する戦い方(無茶をしない方法)を見つけることが可能なのか、月岡さんはどちらだと思いますか。 スターマリオ状態になっているときは冷静ではないので、一度倒れるというようなショック療法的な出来事がないとなかなか自分を客観視できないのかもしれません。ただ、私は早めに休んで復帰できたので幸運でしたが、倒れたことをきっかけに心身を壊してしまって、前のような働き方ができなくなってしまう人もたくさんいるので、絶対にオススメはしたくないですね。そういう辛さを味わう人が少しでも減った方がいいなと思います。 ではどうするかというと、「ビジネスマンもある意味アスリートの一種」という考え方がもっと定着するといいなと思っています。アスリートの喜びは、勝負に勝つこと、新記録を出すことです。これが仕事だと、成果を出す、プレゼンを通す、などです。アスリートは練習が終わったらストレッチをしますし、当たり前に適度な休みをとりますよね。もちろん食事や睡眠の管理も。それらができてこそ一流だと言われます。そういった考えが定着しているので、オリンピック選手が試合の前日に、深夜までものすごい量の走り込みをするなんてことは絶対ありません。アスリートと全く同じとまではいかないにしても体が資本であることには変わりないので、ビジネスマンにもそういう価値観が広まると、スターマリオ状態になる人は減るし、そういう人を「頑張っている」とみなすこともなくなるのかなと思います。世の中の常識や空気感が変わるのが一番いいですね。 しかし、すぐに世の中は変わらないので、私のように一回倒れて生還した者が「こうなったら大変だぞ」ということを伝えるのは大事かなとも思っています。とはいえ働きたい人にとっては休むことが逆にストレスに感じてしまうこともあります。世の中の役に立てていない、自分のスキルを向上できていないというストレスが出てくるのです。私もそういうタイプなので、休む、寝るなどの『守りのご自愛』と、時間内に効率的に仕事を終わらせる、自分の知識を増やすためにスクールに行く、などの『攻めのご自愛』が必要で、その両輪で回していけるのがかっこいい大人なのかなと最近思っています。 いいですね、『両輪のご自愛』。 どちらかだけだとダメで、バランス調整をその都度自分と相談しながらきちんとできる人が、「仕事のできるビジネスマン」なのかなと思います。 小さなアクションが自分の感覚も変える   Kさん:社会問題にあまり興味がありません。僕一人が頑張ったところで解決するのか、という疑問があり、あんまり興味がわかないのです。周りを巻き込んで色々な活動をするとか、どのような結果になれば、頑張ってよかったなと思えるのでしょうか。 私は一人旅が好きなのですが、先日千葉の房総を一人で旅行しました。房総を選んだのは、台風で大変な被害を受けて旅館のキャンセルが相次いでしまい、経営に困っているという話を聞いていたからです。どうせ好きな一人旅に行くんだったら、そのように助けが必要なところを選ぶことで世の中にもいいことがあるし、自分も楽しい旅行ができるし、双方にとっていいんじゃないかな、と思います。なかなかいいアイデアなのでこれからも一人旅をする際にできる範囲で続けたいと考えています。 旅行先一つ選ぶのも、自分が何を応援したいのか、小さな一歩でもよりよい社会に近づくかどうか、というのを考えて選んだら、なんとなく社会に積極的に関わっている気持ちになります。自分一人が何かをやったところですぐに世の中は変わりませんが、自分が納得いく選択をしたという事実があれば、人生に対してより誠実でいられるのではないでしょうか。災害や世の中の様々な不条理に直面したときに、webの署名をする、少しだけ募金をする、といった小さなことを積み重ねていくと、自分が何を大事にする人間で、どういう世の中になってほしいのかがクリアになっていきますし、世の中と関わりながら生きているんだなという感覚になってきます。それが社会と関わって生きていくことなのかなと感じています。 Kさんも苦しくない範囲でちょっとずつアクションを起こしてみると世の中の見え方も変わってくるのかもしれません。あくまで自分が楽しくやれる範囲からで良いと思います。 長い人生、失敗してもなんとかなる では、最後に読者の皆さんに伝えたいことなどがあれば、お願いします。 社会人4年目にしては色々経験して、自分のちょうどいい働き方がようやくわかってきました。仕事はやってみないとわからない、会社には入ってみないとわからない、そんなことだらけです。キャリアに関する本を読んでも役に立たないこともあります。何回失敗しても大抵なんとかなりますし、色々悩みながら模索する人を微力ながら応援したいと思っています。 「人生100年時代」とか「老後までに2000万円貯めなきゃいけない」とか言われているので、幸か不幸か社会人人生もどんどん長くなっていますし、最初の数年で色々あってもへこたれずに、休み休み自分にあった方法を探していきたいですよね。私と似たような境遇の人もたくさんいるでしょうから、記事を書いたりこうやってお話をしたりして、働きやすい社会作りの端っこの方を担えたらいいなと思います。

新人での活躍から一転、どん底へ。そしてキャリア復活の先に見えてきたものとは。

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジを開催いたしました。 第一回目のゲストは月岡愛里(つきおか あいり)さんです。メガベンチャー企業での経験を経て、現在は広告代理店にてプランナーとして活躍されています。今回のキャリアラウンジのメンバーは人事の仕事をしている社会人2年目のKさん、人材サービス会社やレースクイーン、ライターなど様々な仕事を同時進行でこなしているHさん、メディア編集をおこなっているSさんです。 業種、職種の異なるメンバーでどのような話が飛び出したのか、キャリアラウンジ第一回目のレポートです。第一部では月岡さんへのキャリアインタビュー、第二部では参加者から月岡さんへの質問を中心にご紹介します。 色々な経験を積んだ学生時代 月岡さんはどんな学生時代を過ごしていましたか。 大学時代はフリーペーパーを作ったり、テレビ局カメラアシスタントのアルバイトをしていました。フリーペーパーは大学の外の組織で、大学生が集まって、私はライターなどをやっていました。 最初の会社は某ITメガベンチャーということですが、なぜそこを選ばれたんですか。 コンテンツ制作に興味があって、最初はマスコミも考えましたが、テレビ局は企画の仕事ができるようになるまで下積みが長いと聞いていました。バイトでTV局の厳しさを知っていたのもあり、十数年の下積み時代は私には耐えられないなと思って、就活では若いうちから様々なことを任せてもらえそうなIT系の会社を中心に受けることにしました。そして、ご縁があり、某ITメガベンチャーに入社しました。 入社後、話題作と関わる!しかし、その働き方は… 某ITメガベンチャーではどのような仕事をしていましたか。 入社一年目はメディア事業部に配属され、ライターや編集などの仕事をやっていました。 入社2年目の秋に、ネット配信のTV局に異動になり、番組の企画制作を担当しました。前述のように元々マスメディアに興味がありましたが、地上波の局よりも比較的早い段階から企画に携われたり、裁量を任せてもらえる部分が大きいのではと感じましたね。同世代のなかで一番早く自分の企画で番組を作りたかったので通常の業務の合間を縫って積極的に企画を出しました。 ネット配信のTV局では、どんな感じで仕事をしていましたか。 あるヒット番組のチームに入ることになり、社内外ともに優秀なメンバーのなかで働くことになりました。 その時の自分は、会社の最前線の部署にいるという充実感、番組のヒット、視聴者からたくさんの反響がある喜び、業界の雰囲気などでランナーズハイのような状態になっていたと思います。 言ってみれば、スターマリオ状態です。その時は、「一回休むと休みに慣れてしまうから、土日も働いていたほうが仕事モードを継続できていい」という謎理論のもとに働いていました。 なるほど、実際、その理論で働いている20代は多いですね。 結構いると思います。そういう働き方をすることで、「自分は頑張っているぞ」という自己肯定感が湧いてきちゃうんですよね。 業界的にどうしても土日に仕事が入ることも多く、休みになった日は家で死んだように寝る、というような生活でした。まだ自分にとってちょうどいい働き方と休み方をわかっていなかったのだと思います。 そして、ある日身体に異変が。 ある日、突然どん底がやってきたと伺いました。どんなことがあったんですか。 そんな働き方を続けていたある時、朝起きたら突然背中が痛くなって、息ができない状態になってしまったんです。「これ、やばいやつだ」と思って病院に行ったら案の定働きすぎだったようで、「仕事を休んだ方がいい状態」だと言われ、会社を2ヶ月休職することになりました。気づいたらコンビニで店員さんに「レシートいらないです」って言う気力もなくなっていて、そんな自分にかなりショックを受けました。いわゆる「お暇」なので旅行した方がいいのかなぁと思って旅行代理店にも行ったんですけど、店員さんと喋れなくて帰ってきてしまう、というようなこともありました。もともと話すのが好きな方なのですが、休職して最初の1~2週間くらいは文字通り「どん底」って感じでした。 自分がそんな風になるなんて信じられなかったのですが、幸い周りの色々な人が助けてくれたこともあり、ちゃんとご飯食べて、寝て、規則正しい生活をしたら、どんどん体調も良くなっていきました。2ヶ月の休職期間のうちの後半1ヶ月は国内外に旅行しまくるくらい元気に過ごしていました(笑) 2ヶ月で完全に元に戻りましたか? しっかり休んだので、自然と「働きたいな」という気持ちが湧いてきました。もともと仕事は好きだったので、働くのが完全に嫌になったというわけではなく、まとまった休息が必要だったんだと思います。ちょうど休む前に出していた企画が通って、番組にできそうな段階まで来ていたのもあって、それを担当するために仕事に復帰しました。 その番組はいま第三弾まで続いています。自分の成果物として企画、制作できて本当に良かったと思っています。 2ヶ月で復帰、自分の働き方を冷静に見つめる 復帰後の働き方はどんな感じでしたか。 私は一回休んで同じ部署に戻り、運よくそれなりの成果も残せました。しかしスターマリオ状態が終わって、2ヶ月間冷静に自分に立ち返る時間を持った結果、自分にとって一番働きやすいやり方や業界は何か?と考え直すようになりました。この仕事自体は好きでしたが、長く社会人として働き続けるのであれば、好きな仕事をしつつも自分に合った仕事と生活のリズムを保てるやり方を模索していくべきだと思ったんです。そんな考えから、次の職場を探すようになりました。 転職活動の主なツールはTwitter 転職活動はどのように進めましたか。 メディアの編集長やベンチャー企業の社長など絞って3~4社ぐらい話を聞きました。ほぼTwitterのDMで連絡をとっていたと思います。転職エージェントに登録することも考えましたが、DMの方が話が早いかなと思ってそういう手段をとりました。業界にもよると思いますが、こういう手段もありだと思っています。 次の目標は、社会問題を知るきっかけとなるコンテンツを作ること ロールモデルや理想とする形といったものはありますか。 「この人みたいになりたい」というロールモデルはいませんが、周りに男女問わずかっこいい生き方をしている先輩や友達がたくさんいるので、良いところを参考にしながら自分に合った働き方を探しているところです。 これまで記事や番組などの企画の仕事をしてきたので、自分も痛感した働き方の問題や、女性の生き方にまつわる問題について知るきっかけになるコンテンツを作っていきたいと思っています。そのためにいまジェンダーやフェミニズムについて勉強中で、本を読んだり勉強会に参加したりしています。 最後に、学生就活生の時代を振り返って、某ITメガベンチャーに入社してよかったなと思うことや、当時の自分へのアドバイスはありますか? 完璧な職場はないと思いますが、キャリアの第一歩として、某ITメガベンチャーはとてもいい職場だったなぁと思います。社会人として大切な考え方をたくさん教えてもらいました。 例えば、『信頼残高』=信頼は貯金であるという考え方は大切にしている教えの一つです。メールや依頼ごとの返信を早くする、時間を守る、頼まれたことにちょっとプラスアルファして返す、というようなことの積み重ねで、自分の信頼残高が貯まっていきます。残高が増えれば、大きい仕事が来たときに「その子に任せてみようかな」と思ってもらいやすくなりますよね。誠実な対応の積み重ねがチャンスを呼び寄せるという素敵な教えだと思います。会社は変わっても、そういう教えは自分の財産になっています。

就職活動挫折組だった私がキャリアカウンセラーになるまで

第二部:会社との思いがけない出会いとキャリアカウンセラーの仕事 現在、株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍中の望月奈津美さん。そんな彼女も実は就職で大きな挫折を経験している一人です。第一部では大学時代、初めての就職活動、挫折を経ての内定、新規開拓営業のお話を伺いました。第二部では、営業の仕事を始めて2年半くらいの時に起きた転機、転職活動中に思いがけない出会いをした現在の会社、そしてキャリアカウンセラーの仕事について伺います。 仕事は面白いけれど、退職しようかな... ー転職を考え始めたのはいつごろですか。 はっきりと退職を意識し始めたのは、入社2年目の後半、3年経つ半年前くらいですね。「会社を辞める」タイミングはかなり考えました。自分の年齢、経験年数、会社の繁忙期など色々加味して「今のタイミングだよな」と思ったのが入社3年目の前半ごろ。このころから本格的に他の会社を調べ始めました。 ー転職を決めた理由は? 一つの理由が決めてというよりは、どちらかというと小さな要素がたくさん重なって、ジワリジワリと考えるようになりましたね。結婚して子どもを産んでも働きたいって思っているので、今の仕事をずっと続けられるのか自信も持てませんでしたし。 また、新規開拓営業をやっていて、ダイレクトに企業全体にというよりはもう少し範囲を絞った個人などに対して働きかける方が、一案件に対してじっくり時間をかける性分の自分にはあっているかなとも感じました。自分のやった仕事に対して、返ってくる結果も個人の方が感じやすいですしね。 ー「やっぱり転職をやめよう」と思うことはなかったんですか? タイミング的に色々重なって、もう少し会社にいたら、別の案件も出来るかも、と思うところはありました。でもそうなると、その後、4年、5年は仕事を続けていく可能性もあり得ます。このとき私の年齢は26歳だったので、複数年別の案件をやってから転職するとなると30歳は超えます。正直、それでは遅いのでは無いか、と考えました。であれば、やっぱり今転職するしかない。そう決意して転職することに決めました。 ー前職を辞めてから、少しお休みをして転職活動をされたんですか。 いいえ、少し大変ではありましたが、仕事をしながら並行して転職活動行なっていました。辞めたのは、今の会社(株式会社UZUZ)への入社が決まってからです。 転職活動は情報集めから ー転職しようと決めてから、まずどんな行動を取りましたか。 周りに転職活動を経験している先輩や知人がいたので、まずはどういう風に転職を進めたのかを聞きました。 ーもう転職活動した人に相談したということですね。 そうです。それから、求人広告を見たり、グーグルで検索したりしました。知人から5〜6種類程、おすすめの媒体を教えてもらったので調べてみたりしましたね。 UZUZとの思いがけない出会い ーおすすめされた媒体の中に株式会社UZUZがあったんですか。 いや、そうではないですよ。UZUZとの出会いは偶然によるところが大きいんです。通勤電車の中で求人媒体を見ていたとき、あまり詳しくは覚えていないんですが何かの拍子にバナーをクリックしたんだと思います。そしたら質問が出てきたんです。「女性か男性か」と「年代」と「第二新卒か既卒か」だったかな?気軽な気持ちで選んでいたら、「登録しました」となったのがUZUZだったんですよ。後日連絡がきて、面談日程を組むという話になりましたが、UZUZって何?なんて読むの?と思いました。笑 ーそうですよね、CMをやってるわけでもなく、初めて聞きますもんね。 そこから自分でUZUZについて調べました。面談してもらうのなら、UZUZはどういう分野に強いのか見ないといけないなと思い、HPに飛んだんです。そしたら、HPが結構おもしろくて!社員インタビュー記事があり、ニュース記事があり、ブログもあり、色々調べているうちに、UZUZという会社を受けてみたいと思うようになりました。なので「ごめんなさい、(人材紹介のための)面談を辞退します。採用選考に進みたいです。」と連絡をしました。 ーUZUZで(人材紹介のための)面談ではなくて、選考試験を受けたいと思ったポイントはどんなところでしたか。 大きかったのは社員のインタビュー記事です。面白くて全部読みました。結構、過去に何かあった人が多くて、就活に挫折した経験がある人もいて、私も挫折しているので、よく気持ちがわかり、近しい部分があるのを感じました。UZUZで働いている人たちの人柄に惹かれたのが一番のポイントです。 ーオフィスに行って、実際に社員の方々に会ってもその印象(人柄)は変わりませんでしたか。 はい。オフィスを訪問した時に人事担当者と話して、自分の適性についても考えることがありました。「自分は何がそこでできるかな」と考えたときに、「営業をやってきたところの意識(関係性を作る)は使えるな」と感じました。そして、仕事の中での大変な部分やビジネスモデルなども理解した上で入りました。 そして、キャリアカウンセラーへ。 ー面接をクリアし、実際入ってみてどうですか。 キャリアカウンセリングは本当に難しいなぁと感じます。生身の相手ですので、考えが変わったり、周囲の影響による心境の変化などもありますし。だから私自身も、100%相手に対して正しい答えを出せているわけではないと思います。 ー人様のキャリアのことを支援するのはとても責任が大きいですよね。 そうですね、責任重大です。企業と求職者のミスマッチを100%ゼロにはできませんが、限りなくミスマッチしない結果に近づけたいと思っています。大事なのは求職者の方が今何を考え、何に悩んでいるのか、どういう仕事をしたいのか、どんな働き方や将来を作っていきたいのか明らかにすること。この点を一緒に整理しながら言語化していくんですが、これがとても難しいです。最初は本音で話してくれないこともあるので、そこを解していきながら関係性を作っていくように意識をしています。 「質問されたからなんとなくとりあえず答えてるけど、よく分からないです……」という人もいるので、本人の中にある潜在的な軸になる部分を見つけるのは簡単ではないですね。 ー軸を見つけるために、意識していることや聞いている質問などありますか。 将来や先のことだけでなく、過去から全部お聴きするようにしています。その中で、「その人がどういう判断をしてきたかの癖」を探るようにしています。 キャリアカウンセラーのアプローチの仕方 ー日々のキャリアアドバイスのお仕事で、「やりたいことがないんです」というような相談を受けた時、どんな風にアドバイスされていますか。 一概には言えないですが、既卒の方に多い傾向がありますね。「やりたいことがコレだ!と確信が持てるものを見つけるのって時間がかかるし、脳みそも使うし、そもそも考えているだけでは分からない。仕事をして経験を積みながら見つけていこう。足踏み状態だけが続くと”年齢は重ねるのに経験は空っぽな人”になってしまう、経験した先で新しい見え方がしてくるものだよ。」とアドバイスしています。 ただ、無闇に仕事を選んでしまうのもまた違うので、本人と方向性をしっかり話した上で、どういう経験を積んでいくことが思い描く将来像に近づくのか、はしっかり押さえます。 まずは、専門学校や大学での経験や、アルバイト経験などを聴いて、求職者の方が得意なことや活かせる経験など、過去のバックグラウンドを一緒に作っていきます。 第二新卒の方に対しては、職務経験や転職理由などをお聴きし、次のフィールドでは何を求めていきたいのかもお聴きして、方向性を見つけていきます。 あとは、「一生」とか「10年後、20年後」といった大きなスパンで考えずに、5年後、3年後、2年後でもいいから、短いところで期間を定めて、どうなっていたいのかを考えて貰うように提案する場合もあります。 ー求職者の経験やタイプによってアプローチ方法が異なるのですね。ありがとうございます。 迷ったらまずは「行動」してみる。 ー最後にいくつか質問をさせてください。日々面談されていて、求職者にはどんな方が多いですか。就職活動で挫折している人が多いなど、傾向はありますか。 私同様、新卒時の就職活動でうまくいかずに挫折して既卒となられている方もいますし、数ヶ月〜半年という短期離職の方もいます。在職中ですがもっとキャリアアップしたいという考えで転職検討されている方もいます。多いのはそういった方々ですね。 ー“キャリアアップ”はポジティブな動機なので、割とわかりやすいですよね。しかし就職活動がうまくいかなくて挫折してしまった、あるいは入社した会社を数ヶ月で離職してしまった方の中にも、次の職探しで“うまくいく人”と“うまくいかない人”がいると思います。その差はどんなところにあると思いますか。うまくいくための法則、コツみたいなものがもしあれば、それもお聞かせください。 コツ...難しいですね。自分自身で上手くいかない要因や短期離職してしまった要因を認識できて、それを修正していけるかどうか、は大きいです。 また、行動する、しないも大きいかなと思います。考え続けて足踏みしてしまう人は結構多いですね。「もう少し考えます」という人も多いのですが、考えているだけでは分からないと思うので、行動して企業の説明会に行ってみる、面接を受けて、そこで逆質問をガンガンしまくるなど、そういうことはやってほしいなと思います。それをやるかやらないかで、就活するまでの期間や伸びも変わってくるので、情報収集の一つの手段として、「行動する」こと、つまり目で見てくる、聞いてくるというのは違ってくるかなと感じています。 ーそうなんですね。考えて足踏みしている時間があったらどんどん行動することで、結果的に気づきや発見、学びも大きくなり、自分のキャリアも前に進んでいくよ、ということですね。本日は、ありがとうございました。 UZUZにキャリア相談してみる

就職活動挫折組だった私が脱「片想い就活」を経て内定をもらうまで

出版社の面接に落ちまくった私が脱「片想い就活」で掴んだ営業職 学生時代、「何がやりたいかわからない」、「働きたい業界や職種がない」、「どの企業も同じように感じる」、「自分に何ができるかわからない」、など就職活動中に悩んだ方も多いかもしれません。実際、会社という組織に属して働いたことがないのに、入社後の自分を想像するのは難しいでしょう。 一方の企業もせっかく人を採用しても、新卒3年以内に会社を辞めてしまう人が多いと嘆いています。この理由として、企業と就活生の間に「ミスマッチ」が生まれていることが挙げられます。 初めての就職活動ではもちろん、転職活動においても「自分の選んだ方向はあっているのか」と不安はつきものです。そんなときに、時には厳しく、時には優しく寄り添って自分の進路について考えてくれる人がいると心強いですよね。 現在、株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍中の望月奈津美さん。彼女も実は学生時代、就職活動が全くうまくいかず、落ち込んで悩んでいた一人です。そんな経験があるからこそ、現在キャリアカウンセラーとして求職者の気持ちを理解し、サポートできます。 望月さんの就職活動と現在のお仕事についてお話を伺いました。記事は二部構成で、第一部のこの記事では、望月さんの大学時代の過ごし方と初めての就職活動について、第二部では転職活動と現在のお仕事について焦点をあてていきます。 好きなことをやって過ごした学生時代と「片想い就活」 ー学生時代はどんなことをやられていたんですか。 3つのサークルを掛け持ちしていました。音楽系サークル、地域の自然について考え、地域の人とともに行動するサークル。そして一番力を入れていた、地域の中・高生を対象に、学校の枠に囚われずやりたいと思っていることを応援し、それをサポートするサークルです。サークルが楽しくて、正直、仕事や就職についてあまり考えていませんでした。 ーでは、就職活動はどうされたんですか。 自分は何が好きなんだろうというのを最初に考えましたね。漫画やアニメ、写真集などがとても好きだったこともあって、お恥ずかしながら、なんとなく出版業界に目が向くようになりました。しかし目指してみてわかったのは、出版業界はそんな甘いものじゃないということ。熱意があって、出版業界に強い思い入れを持っている人が多かったですし、当然、地頭や経験値も自分より高い人ばかりでした。当時の私は全く歯が立たなくて、ことごとく「お見送り」が続いていました。 ー今の自分が、当時の自分にアドバイスするとしたら、何と言いますか。 「好き」だけで選ぶ一方通行な「片想い就活」はうまくいかない、ということですね。何もマーケット(市場)のことを知らずに、気持ちだけで走ってしまっていたところがありました。そうではなくて、もう少し業界のことを調べて、「どんな人材が求められるのか」、「どんな経験をしていたらそこに行けるのか」、といったところを長期的にしっかり、もっと前から準備して臨むべきだったなと思います。 第一志望の会社に最終選考で落ちてしまい、落ち込んだ日々 ー第一志望の会社に4次選考で落ちてしまったと伺いましたが、詳しくお聞きしてもよろしいですか。 はい、出版社の営業職で、最終選考まで残れたので頑張ろうと思っていました。一次選考から三次選考では筆記や面接試験などをおこない、最終選考は社長と役員が4〜5人ずらっと並んでいる面接でした。しかし、結果はダメでしたね。そこの出版社が出している出版物がビジネスマン向けのものだったんですが、「まだまだ読み込みが甘い」と社長から人事の方へ指摘があったようで、会社への愛着がないと思われたのかもしれません。 第一志望の会社だっただけに、受かったら行きたいなと思っていたのですが……。最終選考の5日後くらいに人事の方から「落ちた」という連絡を電話でもらいました。ちょうど他社の面接帰りで、そのときは悲しすぎて、思わず電車の中で泣いてしまいましたね。 この会社に落ちてから、出版業界だけを見るのはやめました。 ーその後の就職活動は? うまくいかず、結構落ち続けていました。もちろん出版業界だけではなく、他も受けたのですが、書類で落ちたり、面接がうまくいかなかったりという時期が続きましたね。就職活動へのモチベーションが落ちて、とても悲観的になっていました。「私は社会で必要とされていないんだなぁ」って。 ー何社くらい落ちたんですか。 見ていた業界が自分にあっていなかったのかな、ちょっと高望みしすぎたかなと思い、40〜50社程チャレンジしたんですが……。結局どれも上手くいかなかった記憶です。 ーなんでも望月さんは、とある本で気持ちを奮い立たせたそうですが... はい。先ほど、第一志望の会社に落ちてしまった話をしたかと思うんですが、この会社の人事の方から、電話でこんなことを言われたんです。 「ウチがだめだったからといって、就活自体がダメだったというわけではないですよ。次のフィールドでどこかに入社して、うまくいくことを祈っていますね」と。 「お祈り電話」ではあったのですが、他にもたくさんフィードバックをいただきました。私はその電話に救われた部分があって、とても嬉しかったので、後日、手紙を書いたんです。その後日返信がありまして、本が同封されていました。 その本は人事担当の男性社員の方が自費出版されたもので、その中に「後悔(後で悔いる)」ではなくて、「考えを改める」という「考改(こうかい)」と捉えよう、みたいな話があって。これを読んだとき、もう一回就職活動頑張ろう!と思いましたね。 就職活動を再開して、ついにOA機器会社の内定をもらう ー就職活動は一旦休まれたんですか? はい、一週間くらい休憩して、すぐ再開しました。そこから業界を変えていき、内定をもらえるようになりました。その一社が前職のOA機器会社の新規開拓営業です。 ーそこに決めたポイントは? 商材の幅広さですね。OA機器と複合機だけではなかったので、自分で営業して、売れたら面白いだろうなと思いました。 地道な営業活動の開始 ー新規開拓営業ではどんな風に働かれていたんですか。 行動あるのみ、「新人は質より数だ!」と思って働いていました。日々飛び込み訪問をして、会社の中に部署も色々あるので、組織図を探り、ここに行ったら、次こっちに行って、どんどん横に展開していくというようなことをやっていました。関係性を築くことを一番意識して、一人だけでも窓口になってくれる人が出来て仲良くなったら、「他部署の責任者と繋げてもらおう」という感じで行動していました。 ーお客様との関係はゼロからですものね。実際、関係性作りや新規開拓営業はいかがでしたか。 そうですね、とりあえずは、行く→電話する→行く→会う→話す→メールとハガキでお礼→次回も会う、というようにひたすら“行動”でした。小さなことでも良いので接点を作ることを意識していましたから、下調べして、相手が興味を持ちそうな商材カタログを片手に訪問して……を繰り返しましたね。泥臭い営業を続けて、段々と「じゃあ、ちょっと話聞いてあげるよ」となり、そこから徐々にお客様との関係性を築いていった感じです。 楽しかった大学時代、希望の出版業界に入れなかった就職活動前半戦。落ち込み悩んだ後、業界を変えて就職活動を再開し、内定をもらえるようになった就職活動後半戦。 望月さんは、OA機器会社に入社し、新規開拓営業の仕事に一生懸命がむしゃらに取り組みました。その努力の甲斐あって、お客様との関係もゼロから築き、話を聞いてもらえるようになります。自社の商材を購入してくれるお客さんも増え、順風満帆のように見えた彼女の営業キャリア。 しかし、OA機器会社に入社して2年半くらい経った頃、彼女の心境に変化が訪れます。キャリアカウンセラーになるまでのストーリーは2部に続きます。 UZUZにキャリア相談してみる

若いうちにしかできない「手を挙げる訓練」をしろ –「不登校10年」の小幡和輝からU-29世代へのメッセージ #アンレールな私たち

キャリア選択が多様になる現代。これまで主流だった「大企業神話」は平成とともに周縁を告げ、意志ある選択をした若者が躍動する時代へと変化していきます。 連載「#アンレールな私たち」では、一見ユニークでありながら当たり前になっていくであろうU-29世代の活動を取り上げ紹介していきます。新しい「あたりまえ」がやってくる足音を、本メディア「U-29」がいち早く届けていきます。 今回は、約10年間の不登校を経験したしたのちに高校3年生で起業、地方創生を軸にさまざまなプロジェクトを手掛ける小幡和輝さんにインタビュー。不登校時代のエピソードや、アンレールなU-29に送る言葉をいただきました。 Text by なまっちゃ   知っているのにバカにされる。個性を受け入れない雰囲気に嫌気がさした なまっちゃ:小幡さんは約10年間不登校を経験していました。そもそも、なぜ学校に行かなくなったのでしょうか? 小幡和輝さん(以下、小幡):不登校になったきっかけは同年代の友達との価値観の違いからでした。小学生時代は、遊び相手が5つ年上の兄とその友達だったので、同年代の友達と趣味嗜好が合わなくなってきていることを感じていたんです。 中学生と遊んでいたほうが楽しいし勉強になるのになんで学校に行かなければいけないんだろうと思うようになっていきました。 なまっちゃ:身近にいる人によって価値観は変わってしまいますよね。 小幡:年上の影響を強く受けていたので、同年代の「ノリ」が理解できずに苦しかったのを覚えています。 小学2年生のとき、同じクラスの人が「”3‐5”はなんだ?」と意地悪で僕に聞いてきたことがありました。僕は中学生と勉強を一緒にしていたのでマイナスの概念を知っていて、「‐2だよね」と普通に答えたんです。 すると友達はバカにした口調で「何いってるの?マイナスなんかないよ」と。知っていることをひけらかすと受け止められたのか、しらけた雰囲気になってしまったんです。 正しい答えを言っただけでバカにされる。ショックを受け、少しずつ同年代とのコミュニケーションを避けるようになっていきました。そんなそんな小さなショックが重なり、少しずつ学校に行きたくないなという気持ちが強くなってきました。 なまっちゃ:そうだったんですね。 小幡:当時の僕は「価値観が違う」と言語化はできていませんでしたが、「なんかちがうな、楽しくない」と学校生活に対して思うようになっていきました。だんだんと学校を休みがちになり、クラスから居場所がなくなっていき…本格的に不登校になりましたね。   “学校にいく理由”を探すことが難しい時代になってきている なまっちゃ:時代が変化にしていくにつれ、学校の存在意義も変わってきたように思います。小幡さんは当時と現在の学校の在り方をどのように考えていますか? 小幡:僕が通っていた時代やそれ以前の学校は、とても大きな役割を担っていたと思います。知識は学校に行かないと学ぶことができないし、友達も学校でしか作ることが出来ませんでした。学校に行かないとできないことが、当時はたくさんあったんです。 しかし、ここ10年くらいでインターネットとSNSが急速に発展し、学校でしか出来ないことを探す方が難しくなってきました。勉強はオンラインスクールでパソコンがあればできますし、友達もSNSで作ることができますよね。同年代が集まる場としての学校の“価値”が、SNSに代替されているのだと思います。 なまっちゃ:なるほど。すると、もう学校に価値はないのでしょうか? 小幡:いえ、コミュニティとしての価値を失ったとしても、学校に通った方がいい理由は2つあります。 1つ目はコスパがいいこと。日本中どこに行っても、学校では統一されたレベルの教育をほぼ無料で受けることができます。クオリティが担保されている教育を無償で受けることができるのはかなりの価値があると思っています。 2つ目は視野が広がること。もし学校に行かずに独学で学んでも、自分の興味関心ばかりに取り組んでしまい知識に偏りが出てしまいます。さまざまな分野を網羅的に学べる学校に行き、いろいろな価値観に触れることは、大人になってから大きな財産となってくれるでしょう。 なまっちゃ:SNSには代替できない学校の価値があるんですね。しかし、小幡さんはさまざまなメディアで「学校に行きたくなければいかなくていい」と仰っています。 小幡:はい。学校以外にも学ぶ場はたくさんありますし、友達を作る機会もあります。学校に行きたくなければいかなければいい。ただ、そのときに親が子供に不登校をしてもいいんだよという雰囲気をだせるような関係を築くことが大事だと思っています。 なまっちゃ:なるほど。 小幡:不登校の子達がのびのびとできる居場所を模索するためには、親子の“信頼関係”が必要不可欠です。ある意味、子どもの将来のためには「不登校になれる環境」を作った方がいいのかもしれません。   学校に「有給休暇」を なまっちゃ:これから学校が子供たちにとって価値ある場所になるためには、どのような取り組みを行えば良いのでしょうか。 小幡:学校でも会社と同じように有給休暇を取り入れればいいと思っています。 なまっちゃ:有給休暇? 小幡:不登校の大きな課題1つに、1回不登校になってしまうと外に出にくくなってしまうことがあります。数日間学校を休むだけで周囲の目が気になり、欠席した子自身が劣等感をすごく感じてしまうんですよね。しかし、有給休暇があれば気負いなく休むことができるし、周りも休んだことを変に思いません。 なまっちゃ:なるほど。学校に有給休暇制度ができるだけで、子供たちの心はだいぶ軽くなる気がします。 小幡:友達と喧嘩してどうしても行きたくない日も、これまでは学校に行かない理由にはなりませんでした。しかし、体調に関わらず、本人が行きたくない日はある。そのときに有給休暇があれば「今日、有給を使ったから学校休むね」と親に気負いなく言えますよね。理由を周りから求められることがありません。とりあえず学校を休むことは、かなり心に余裕をもたらしてくれると思っています。   不登校の「先」をつくる なまっちゃ:「#不登校は不幸じゃない」というハッシュタグ活動をSNSで企画し、多くの注目を集めました。今後、小幡さん自身はどのような活動をしていきたいと思っていますか? 小幡:これからの活動のテーマは不登校の“先”を作ることです。現在、多くのひとにとって不登校は「避けたい」もの。世間的にネガティブなイメージが強く、将来の不安を感じてしまいがちです。 なまっちゃ:もし自分の子供が不登校になったら、社会復帰できるのか不安になる気持ちはわかる気がします。 小幡:しかし、不登校だった子供が自立して稼げるようになる未来が見えていれば、不登校でも許される。不登校の子供たちが学校に行かない時間を使って、クラウドワークスなどで仕事を取ってきたり、BASEでオンラインショップを展開していたり…。現代では不登校の子が仕事をこなすことはすごいことだと思われますが、それが当たり前になるように、僕は仕組みを作ろうと思っています。フリーランス的な働き方を、不登校の子にも選択肢として与えてあげられたらなと。 なまっちゃ:とても新しい考え方ですね。 小幡:今の時代は「個人」でも生きやすい時代。特に若者はノーリスクでチャレンジできる恵まれた環境にあります。不登校をきっかけに、学校とは違った楽しさを知ってほしいですね。   『手をあげる訓練をしよう』U-29世代へ贈る言葉 久保田:U-29世代に、小幡さんから何かお言葉を頂戴したいと思います。 小幡:多くの若者と対話していて感じることですが、最初の一歩を踏み出すことにすごいハードルを感じてしまう人が多いです。だけど、行動してみないと何も変わりません。とにかく20代のうちに色々とチャレンジして行動して欲しいと思います。 なまっちゃ:チャレンジといっても、最初はどうすればいいのかわからない人が多いと思うので、具体的なアクションとかあれば教えていただきたいです。 小幡:手を挙げる訓練を日頃からしておくことだと思います。自分の目の前にチャンスが転がっていたときに、条件反射的に飛びけるように習慣付けておくことが大事なのではないでしょうか。 そして、条件反射的に飛びついたとしても、その出会いを「チャンス」に変えられるとも限りません。例えば会いたい人がいてメッセージを送ったときに、そのひとが会いたくなるかどうか、魅力的だと感じるかどうかも大事です。相手のことを考えた、自分の「見せ方」を考えてほしいと思います。 なまっちゃ:素早く動きつつ、自分の「見せ方」を意識することも大切なんですね。最後に、現代の若者へメッセージをいただけますでしょうか。 小幡:僕は不登校のとき、学校に行かずにずっとカードゲームをやっていました。しかし、カードゲーム大会の主催をしたり、好きなことに対してアクティブに動いていったところ、自分に自信をつける訓練ができたと思っています。誰しもが最初は手をあげるのが怖いと思います。しかし、一歩踏み出した先にやって良かったなと思う出来事は必ずある。ぜひやりたいことがあったら、消費する側ではなく生産する側になってください。 失敗しても、そのあとにリカバリーができれば、それは成功のためのプラスの材料になります。しかし、失敗して諦めてしまった時に、失敗になってしまうのです。自分は他の人と違うから…とチャレンジをしないのではなく、どんどん手をあげ続けてチャレンジして行動して欲しいと思います。 不登校から立ち直させるのではなく、不登校でも生きれる方法を提示する小幡さん。そんな小幡さんの活動は、不登校な子供達の生きる選択肢をつくることにとどまらず、自分がアンレールかもしれないという不安や悩みを抱えている人にも一歩を踏み出す勇気を与えてくれるのではないかと、インタビューをしていて思いました。 そんな小幡さんが出版した「学校は行かなくてもいい」には、アンレールになってしまった人たちへ贈る言葉が詰まっています。ぜひ、読んでみてください。

ネット炎上中にUSJしても気付かれなかった。ゆうこすの #何者でもない時代

社会の第一線で活躍し、自身で道を切り開き進んでいく人々。彼らの姿は私たちの未来に多様な選択肢をもたらしてくれるが、現在の自分と比較して「私にはできない」と悲観してしまうことも少なくない。でも、もし憧れのあの人の「何者でもない時代」を知ることができたら—— 。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #何者でもない時代 。今回のゲストは、YouTuberやインスタグラマーとして活躍し、株式会社KOSを手がける経営者としても注目される“モテタレント”菅本裕子さんこと、ゆうこすさんです。 ゆうこすさんは高校生でHKT48としてアイドルデビューを果たし、さらにミスiD準グランプリに輝いています。そして現在はYouTuberにインスタグラマー、さらにはプロデュース業も行うなど、現在は業界を越えて大活躍。SNSを開けば、彼女の名前を目にしない日はありません。 そんなゆうこすさんは、かつて「肩書きだけがあって、自分は何者でもないと気付かされた」と過去を振り返ります。正解も間違いもないこの時代に、自らで旗を立てSNSを駆使して駆け抜けていく彼女の「何者でもなかった時代」に迫りました。 Text by 佐々木希海 Edit by Mitsufumi Obara   肩書きがあっても、何者にもなれなかった —— ゆうこすさんの「何者でもない時代」について、お伺いしたいです。ゆうこすさんは高校時代にアイドルとしてデビュー、そしてミスiD準グランプリを経て、YouTuberやインスタグラマーとしても活躍されています。さらに最近は、プロデュース業も行われている……。経歴を拝見すると、「何者でもなかった時代」の想像が全くつきません。 菅本裕子(以下、ゆうこす):たしかに、いわゆる「肩書き」は早い時期からあったかもしれません。ただ肩書きがあったからといって、「何者になれていたか」といえば、そうではないんです。仕事も全然なくて、ニートでした(笑)。 —— ゆうこすさんにも、そんな時代があったんですね…!肩書きがあったからといって、生活が変化するわけではないと。 ゆうこす:周りからの見え方は変わりましたが、完全に“肩書き負け”だったと思います。私自身の中で何か変わったり、語れるものができたわけでもない。むしろ、肩書きがあるからこそ、自分は「何者でもない」ことに気がついたんです。 当時は“元HKT48の人”、“準ミスiDの人”という肩書きでしか、私を認識してもらえていませんでした。ちゃんと私のことを「ゆうこす」として知ってた人は果たしていたのだろうか…という感じです。これってやっぱり「何者でもない」ってことですよね。 —— では、ゆうこすさんにとって、アイドル時代も、準ミスiD時代も「何者でもなかった時代」であると。 ゆうこす:はい。肩書きを得ても、自分のやりたいことがなければ、「致命的だ」と気がついたんです。応援もされないし、ひいては仕事にもならない。現在のように、好きなことを仕事にできなかったので、当時はアルバイトでお金を稼いでいましたね。 「好きなことでは稼げない?」苦労時代は、挑戦する前から甘えてた —— ゆうこすさんは、現在「好きを仕事に」されていらっしゃいます。アルバイトをしていた頃は、そうした発想はなかったのでしょうか? ゆうこす:「好きなことが仕事になる」とは到底思えなかったんです。「好きなことは不安定なもので、お金が稼げないものだ」と決めつけ、挑戦することをしませんでした。 ……でも、真剣に考えてみたら、稼ぎ方なんていくらでもあるじゃないですか。クラウドファンディングもあるし、サイトの開設だって簡単にできるようになった。結局、好きなことがお金にできなかったのは、稼ぎ方を考えずに甘えていた自分のせい。——足りないのは“柔軟な頭”だったんです。 —— たしかにマネタイズ方法はたくさんありますが、覚悟して一歩を踏み出すのは難しいですよね。それができなかったことを「自身の甘え」だと言い切れるゆうこすさんの強さに驚いています…。どのような思考の変化があったのでしょうか? ゆうこす:固定概念やプライドを捨て、「自分の好きなこと」をとことん追求してみたんです。 たしかに、すごく覚悟のいることかもしれません。でも、やりたいことや好きなことがある人は、一度勇気を振り絞っていろんな方向から稼ぎ方を考えてほしい。意識的に考え方を変えてみると、視野が広がるんです。 —— とはいえ最初は結果もついてこないですし、「何やってるの?」なんて視線を向けられ、続けるのが難しそうです。 ゆうこす:最初からうまくいくことなんて、そう多くありません。なので、何かを始めたときは、SNSで「成功だけ」を発信したくなりますよね。でも、それは本当にもったいないことです。 好きなことを始めたら、成功も失敗も全て発信してください。すると、応援してくれるファンが生まれます。応援してくれる人に巡り会えると、次の一歩が大きく踏み込めるようになるので。 事実、私にとってファンの存在は、「好き」を続ける、そして「好き」を仕事にするための大きな支えになっています。 —— ゆうこすさん自身、発信することで、失敗した経験はあるんですか? ゆうこす:アイドル辞めた直後のSNSでは、「多くの人に好かれなくっちゃ!」と思っていたので、ありのままの自分を発信できなかったんです。Twitterのフォロワー数は多くても、本当に私のことを応援してくれる人たちや、会いに来てくれる人たちはほとんどいない状態でした。 でも、無駄なプライドを全部捨て、本当に思ったことを発信するようになってからは、本当の意味で応援してくれるファンが増えました。以来、ありのままの自分でいられるようになりましたね。失敗経験があったことで、今の発信スタイルになっています。 アカウントを作る前に炎上を怖がるってどういうこと?(笑) —— やりたいことがあるのに飛び込めない…という人も少なくありません。事実、行動を起こす前から、怖がってしまうことが私にもよくあります。自分の弱い心が挑戦の足かせになることが多いのですが、何かアドバイスをもらえませんか? ゆうこす:似たような相談を何度か受けたことがあります。「こういうことをしていきたいんですけど、もし炎上したらどうしよう?」と。 でもいろいろ話を聞いてみると、まだアカウントも作ってない状態で炎上を恐れていたりするんですよ(笑)。 みんな、起こるかも分からないことに怯え過ぎてると思います。それに、たとえ炎上したとしても、みんなすぐに忘れます。……最近あった炎上騒ぎ、覚えてますか? —— 覚えてないですね…すぐ忘れてしまいます。 ゆうこす:そうなんですよ。人の失敗なんてすぐ忘れてしまうし、思ったより誰も自分のことなんて気にしていないんです。 私はかつてネット炎上を経験したことがあります。ただ、その最中にUSJに行っても、誰にも気がつかれなかったんですよね。自分の「自意識過剰さ」が恥ずかしくなりました。 失敗を恐れて何もできないより、その失敗をもプラスに転換して発信できたらむしろ成功になると思うので、ポジティブに頑張ってほしいですね♡ 垂直の壁に向かって走るのはやめよう。夢を叶えるには、夢への階段をつくるべし —— 何者かであろうとするから、何者にもなれない…そんなジレンマを感じました。まずは、ずべこべ言わず行動しないと何も変わらないんですね。 ゆうこす:そうですね。「自分でレールを引いて頑張りたい人」って、100人中10人くらいです。そして、実際に行動する人は、1人いるかいないか。行動している人は意外と少ないので、行動するだけで差をつけられます。みんなより一歩前へ行けるんです。 でも、「行動する」のは難しいことではありません。人を変えるのは難しいですが、自分を変えるのは簡単。「やればいいだけ」です。 —— ゆうこすさんからすると、やらない理由がわからないくらい? ゆうこす:そうですね。もちろん行動に失敗はつきものですが、経験値が得られるので、成長確率も上がります。たとえ大きな失敗をしても、行動をしない99人とは違う人間になれています。 だから、そんなにマイナス思考にならずに、まずは動いてみるべきです。 —— これから行動を起こし、夢を追いかけていく人たちに伝えたいことはありますか? ゆうこす:「夢への階段」をつくってください。夢を叶えた人に共通するのは、叶えたい目標から逆算して階段を作っているということなので。 —— 階段とは具体的にどのようなものでしょうか? ゆうこす:夢を叶えるために、達成しなくてはいけない細かい目標のことです。 夢を叶えるためには小さな目標を一歩づつ達成する必要があるのに、多くの人がそのことを忘れています。ただひとつ、一番大きな夢だけを見ているんです。 それって、垂直な壁に向かって走っている状態なんですよ(笑)。その壁を登りきるための階段を用意してあげないと、壁の高さに挫折してしまうことも少なくありません。まずは小さな目標を決め、それを達成してください。本当に小さなことでいいんです。 たとえば漫画家志望の人は、自分の友達に見せて「面白い」と思ってもらうとか、その次はネットに掲載してみるとか。「手塚賞とるぞ!」と大きな目標だけを立てるより、ずっとモチベーションを維持できると思います!

話題の「黒塗り広告」は、こうして生まれた。ーーGO飯塚政博 #期待のルーキーに聞いてみた

  年功序列や終身雇用を前提とした“守りの選択肢”ではなく、自らの意志で人生の岐路を潜り抜け、“攻めの選択肢”でユニークな働き方を実践している若者がいる——。 U-29.comが「いま話題の企業で働く、若手社員にスポットライトを当て」20代の働き方にヒントを届ける企画 #期待のルーキーに聞いてみた 。初回のゲストは、株式会社GOの飯塚政博さんです。 飯塚さんは、広告・PRを数多く仕掛け世間から注目を集める株式会社GOに今年新卒入社された若手プランナー。2018年の夏に東京メトロ国会議事堂駅、霞ヶ関駅をジャックしたことで話題となったケンドリック・ラマーの来日広告を手がけ話題になるなど、早くも才能の片鱗をのぞかせています。そんなユニークな働き方をする業界屈指の期待のルーキーに、“いまなにを思い、今後どうしていくのか”を聞いてきました。 Text by 川尻疾風   就活失敗、大学2留。そして、創業間もないスタートアップへ。飯塚政博の数奇なキャリア ーー飯塚さんのこれまでを、大学時代から遡ってお聞かせください。 飯塚政博(以下、飯塚):もしかしたら、僕は多くの社会人に比べると、数奇なキャリアを歩んでいるかもしれません(笑)。もともと大学時代からメディアや編集の仕事に興味をもっていて、「博報堂ケトル」内の編集プロダクションでアルバイトをしていたんです。 周囲はスペシャリストばかりで、本物の職人集団と一緒に働ける理想の環境。卒業後はそのまま就職したいと思っていたのですが…残念ながら新卒での募集はされておらず、悔しい思いと共に就職活動をはじめることになりました。 ーー以前から、メディアや編集の道を希望されていたんですね。 飯塚:そうですね。ただ、編プロで働いてはいたものの、職業としての編集者になりたいというより「エディトリアルな感覚を活かせる仕事をしたい」といった気持ちを強く抱いていました。“広義の意味での編集者”になりたかったんです。 就職活動中は、ラジオ局とリクルートを目指していました。ラジオ局を目指したのは、昔から大好きなラジオ業界を新しい概念と組み合わせることで盛り上げられないか考えていたから。リクルートを目指したのは、エディトリアルな感覚を武器に新しいビジネス創生に挑戦できると思っていたからです。しかし、結果的に希望に合う企業からの内定はもらえず、就職活動に失敗しました。 ーー卒業後の進路はどうされたんですか? 飯塚:就職浪人はしなかったものの、就職活動とは別に留年することに。「なにか打ち込みたいものがあったんですか?」とよく聞かれますが、普通に単位が足りず卒業できなかっただけです(笑)。しかも留年は通算2回目。慶應義塾大学の経済学部に通っていたのですが、本当に数学が苦手で、学生時代はとにかく劣等生でしたね。 そこで、なにか新しいことをはじめようと思っていた際に出会ったのが、創業したばかりのGOだったんです。 ーーGOには、どのような経緯で入ることになったんですか? 飯塚:代表の三浦が独立したニュースを目にし、応募要綱なんてないのに、勝手に会社のメールアドレス宛てに「勉強させてください」と直談判しました。今でこそ「GO」は会社としての評判や認知度が広がってきましたが、当時はまだ創業まもないスタートアップ。 具体的なプロジェクトをみて興味をもったというより、広告×スタートアップの領域で「既存の会社とは違った仕事を体験できそうだ」と感じ、思い切ってメールしたんです。 大変なことは「ない」。“絶対的な期待”があるからこそ全力で働ける ーーインターン時代には、どんな業務を行なっていたんですか? 飯塚:企画を出し、先輩の企画書作成アシスタントをして、会社全体の雑用をする。この3つが主な業務でした。求められる企画のレベルは高く、はじめて自分の企画が通ったのはインターンして約3ヶ月ほど経った頃でしたね。 今回「期待のルーキー」といった文脈で呼んでいただいたのは嬉しいですが、未だにアイデアへのダメ出しは多くて…本企画の趣旨に合った話ができないと思い取材を受けるか迷いました。案件によっては、先輩に迷惑をかけていることも多々あって、なんとか食らいつこうと頑張る毎日です(笑)。 ーー今年の春から新卒入社されたとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか。 飯塚:インターン時代は慣れない業務も多く、ただ目の前のことに全力で取り組んでいました。そしたら、ある日会社の方から新卒入社の一号として正式にメンバーにならないかと誘ってもらえたんです。同期がいないのはもちろんのこと、社内に20代は自分しかいません。 社員は名だたる企業出身の一流プレイヤーばかりなので、正直ついていけるか不安で判断を先延ばししたかった(笑)。ただ、「GOなら、面白いことができる」と確信し、入社を決めました。インターンの時期から最前線で働くことができ、早くから打席に立てたことが、なによりやりがいとなっていたのです。 自分が働いた分だけ、その努力が組織に還元されていく。肌感覚でそう感じた経験が、僕の背中を押してくれました。 ーー現在の仕事内容と、インターン時代で変わったことはありますか? 飯塚:基本的には変わっていません。強いて言えば、GOが組織として拡大したことによって、組織全体の風土づくりを担う「グラウンドコントロール」のメンバーが加わったこと。よりプランナーとしての業務を中心に、進められるようになりました。 GOでは案件ごとに、クリエイティブディレクターとプロデューサー、プランナーの計3名からなるチームを組みます。そしてメンバーで企画を練り、それをクライアントにもっていくことで業務を進めていくのです。案件ごとに満足できるクオリティに仕上げなければいけないし、関わる案件も次々と増えていくので毎日とても充実した日々を過ごしていますね。 ーー仕事の上での苦労することをお聞きかせください。 飯塚:僕が担当したケンドリックラマーの広告でいうと、企画自体は割とすぐにできましたが、そのあとの苦労が多くて。センシティブな内容を東京メトロなど各ステークホルダーを巻き込んで実行しなくてはいけなかったので、プロデューサーを中心に細やかな調整を積み重ねました。 ーー飯塚さん自身は、仕事でどんな時が嬉しかったり大変だったりするでしょうか? 飯塚:最初の企画出しで、良いアイデアを出せると死ぬほど嬉しい。大変なことでいうと…特にないですね。 ーーえっ、ないんですね! 飯塚:もちろんフィジカルな面で大変なことはありますが、メンタル的には感じることがなく、毎日楽しく仕事をしています。大変な瞬間があっても、むしろ心地よい刺激だと思うくらい。「いつかこの経験が活きて、大きな仕事につながるだろう」といった絶対的な期待のもと、仕事ができているからかもしれません。 僕がGOで働く理由。「変化と挑戦にコミットメント」して社会に影響を与える ーー最後に、今後の将来についても教えてください。 飯塚:僕自身は、「コミュニケーションの技術を武器に、社会に大きなインパクトを残せる仕事がしたい」と思っています。 それは、広告のように具体的なアウトプットをつくることかもしれないし、企業や行政の組織改革のために新しいルールをつくっていくことかもしれない。ひと口に「コミュニケーション」といっても、さまざまな可能性と選択肢があると思います。 形式にこだわらず、ブランドのあらゆるアセットをフル活用して「人々に影響を与えて、社会が前進する力を生みたい」です。 飯塚:僕は昔から“グランジ”と呼ばれる音楽ジャンルが好きで、既存の化石みたいな価値観に、疑問を投石する意志の感じられるものに惹かれていました。 広告やPRなどのコミュニケーション領域に強く関心を持ったのも、昨年話題となったヤフーの銀座での広告(※補足:ソニービルに、東日本大震災の津波と同等の高さとなる広告を出したもの。)に感動し、「こういったものを生み出していきたい」と思ったことがきっかけでした。 GOのステートメントは「変化と挑戦にコミットメントしていく」こと。企業がなにかしらの変化を求められ挑戦しなければいけないときに、その後押しをするのがGOが存在する理由です。社員としてではなく、僕個人としてもこのステイトメントに深く共鳴しており、今後も体現していきたいと考えています。

ゼクシィ元編集長は、パソコンの電源が入れられなかったーー伊藤綾 #私のライフラインチャート

人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。第2回のゲストは、『ゼクシィ』元編集長の伊藤綾さんです。 伊藤さんは、カスタマーインサイトをつかんだ企画の数々でヒットを飛ばし、編集長に就任した凄腕の編集者。しかし「集団行動ができなかった」過去や、就職活動に失敗し続けた経験があるそうです。決して順風満帆とはいえなかった人生から、自分の仕事を作り出していく人材に変化できた理由は? Text by U-29編集部   インタビューが始まる前に、まずはライフラインチャートを描いてもらった。人生を振り返ってみると、過去に大きく3つのターニングポイントがあったそうだ。 集団行動に馴染めなかった幼少期。今も耳に残る、“涙のOb-La-Di, Ob-La-Da” 西村創一郎(以下、西村):急激に落ち込むポイントが3点。こちらが、今振り返ってみて思う「人生のターニングポイント」ですね。まずは4歳のとき、最初のターニングポイントについてお伺いさせてください。 伊藤綾(以下、伊藤):幼稚園に入園した歳なのですが、初めての集団生活に全く馴染めなかったんです。幼稚園に行くととにかくお腹が痛くなってしまうので、大半の時間を保健室で過ごしていました。 お昼ご飯の時間になると、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』が園内に流れます。みんなとご飯を食べるという、当たり前のことができない苦い思い出が、音楽と紐づいてしまったんです。『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに「自分はダメな子なんだ」と考えてしまうようになりました。大人になった今でも、思い出してしまいますね! 西村:そんなエピソードがあったんですね。幼稚園に通えなかった日々からは、どのように脱出したのでしょうか? 伊藤:ある日、先生が「今日から、お腹が痛くても保健室には行けません」と私に宣告したんです。当時はまだ幼かったので、反論することもできませんでした。世界が終わったように感じたことを覚えています(笑) 選択肢がなくなったので、もうみんなと同じように生活する以外なかったのだと思います。ただ、あまり覚えていないんです。 西村:辛かった経験が、記憶から消えているんだと思います。僕も幼少期のエピソードを覚えていないので、綾さんと同じです。 伊藤:きっとそうだと思います。その日から、なんとか集団生活を行えるようになりましたが、小学校〜大学卒業まで、これといって何か目立つほど成し遂げたことはたぶんほとんどないんじゃないかなと思います。就職活動も、ことごとく失敗しました。 西村:就職氷河期の真っ只中だったことが影響しているのでしょうか? 伊藤:たしかに就職氷河期でしたが、同期に比べても私は、全然ダメだったんです。 西村:新卒では出版社に入社されていますよね。経緯をお伺いできますか? 伊藤:料理に関連する書籍を製作している出版社に入社したいと考えていたので、街の本屋さんに出向き、最後のページに書いてある電話番号に自分から連絡したんです。募集をしている出版社は人気があり、落ちてしまうと思ったので、あえて募集の告知をしていない企業に絞っていました。 するとたまたま、小さな出版社が「来週試験があるから、よかったらどうぞ」と。たまたま面接がなく、試験の成績で合否が決まるとのことでした。死ぬ気で問題を解き、なんとか内定をいただくことができたんです。 悔しさを跳ね返そうと、仕事に魂を燃やす。カスタマーになって初めて知った、本当の意味での幸せ 西村:入社後は、どのような業務に従事されていたのでしょうか? 伊藤:思い出深い仕事の一つに、初めて1冊丸ごと編集担当した料理本があります。与えられた企画が「小さな焼き菓子とテディベア」。焼き菓子の作り方と、小さなテディベアの熊のぬいぐるみの作り方が一冊で分かる、画期的な?本でした。 西村:切り口に困りそうな本ですね(笑)。 伊藤:「お菓子とクマって、どうしたらいいの?」と思いましたよね(笑)。でも、やるしかない。最初はクマの作り方とスコーンの作り方を表紙に掲載しようとしていたんですが、ちょっと企画を変えて、スコーンをカヌレにしました。というのも、当時カヌレがブームになっていたんです。でも、カヌレの作り方を載せている本はあまり流通していなかった。チャンスだと思いましたね。 そこで、表紙に大きくカヌレの写真を載せて売り出したところ、なかなかのヒットになったんです。もう、鼻が高かったです(笑)。就職活動がとことんうまくいかなかったのに、バレンタイン商戦を目前に、新人が大活躍しているわけですから。 西村:では、社会人になってから、これまでの不振が嘘のように変化していったと…? 伊藤:実は、そう上手くはいきませんでした。喜んでいられるのも束の間で…。 忘れもしません、バレンタインの前日です。本を購入したお客様から「カヌレが膨らまない」と電話がかかってきました。「本に書いてある通りにつくっているのに、うまくできない。どうしたらいいのでしょうか?」と。 オシャレな写真を掲載することに必死になり、詳細が分かるものになっていなかったことが原因です。そして私自身も、その質問に答えられなかったんです。浮き足立っているのが恥ずかしくなりました。 西村:カスタマーとしての視点が足りていなかったことを、身を以て痛感したわけですね。 伊藤:その通りです…。紆余曲折あり、その後、仕事を辞めて兵庫に移り住んだのですが、そのときに改めて当時の失敗を思い返す出来事がありました。自分で毎日ご飯を作るようになり、その時の私の生活には、オシャレさよりも、懇切丁寧に過程を紹介している本が一番役に立つのだと知ったんです。 西村:具体的に、エピソードを教えていただけますか? 伊藤:料理本を見ながら炊き込みご飯を作っていたのですが、本に掲載されている塩の分量が、なんだか多いなと思ったことがありました。後からレシピが間違っていたことがわかったのですが、初心者なので、とりあえず書いてある通りに作ってみました。炊き込みご飯だったので、途中で味見ができなかったんですね。食べてみると、やっぱり味が濃すぎる。とても悲しい気持ちになりました。当たり前のことなのだけれど、その日の私にとっては、とにかくおいしいきのこご飯を作ることが大事でしたから。材料費も毎日やりくりしていました。 そこで、カヌレの失敗を思い出したんです。お客様にとって大事なことって何だろう?って。素敵な写真とともにカヌレの作り方を紹介することがお客様の幸せになると思っていたけど、それだけでは足りなかった。嬉しくなることと、幸せになることは、似て非なるもの。本当の意味でのカスタマー視点を考えたことが、私の第二のターニングポイントになりました。25歳の出来事です。 編集者から、編集長へ。「二の腕が細くなるドレス」より、ゼクシィが伝えたいこと 西村:第二のターニングポイントを受け、どのように人生が変化したのでしょうか? 伊藤:専業主婦を経て、もう一度働こうと決めました。東京に戻ってきたタイミングで、仕事先を探していたところ、目に入ったのがリクルートの契約社員の求人です。 編集者経験があったことが幸いし、無事に内定をいただくことができたのですが、私が最初にしたことは「パソコンの電源の入れ方を質問すること」です。ITリテラシーが全くなく、ちょっと機種が違うとわからないし、パワーポイントやエクセルを使ったこともなかった。仕事をしようにもできないことが多すぎました。 幼少期に、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに心が暗くなる経験をしたのと同様に、ゴミ収集車の音を聞くとお腹が痛くなりましたね。とにかく、よくトイレに行っていました(笑) 西村:かつての「嫌な思い出」が再び繰り返されてしまったと。 伊藤:そうなんです!配属先が『ゼクシィ』を製作する部署で、同部署では企画を発表するコンクールがあります。しかし自分に自信がなく、納得して提出できる企画が一本も作れませんでした。 1年に1回、上司や先輩社員が人間ドックで出社しない日があるのですが、その日を心待ちにしていましたね(笑)。自分には何もできないのではないかと考えてしまうくらいに、仕事ができなかったんです。 西村:社会人になってからも、そうした憂鬱な日々があったんですね。しかし、『ゼクシィ』の編集長として活躍されました。どのようなきっかけがあったのでしょうか? 伊藤:ずっと現場にいたり、いつもお客様と話をすることを叩き込まれたからではないかと思います。たとえば、新郎新婦がお色直しで入場するときに、緊張で肩がブルブル震えている光景を目の当たりにしました。その姿は、結婚式の写真を見るだけでは分かりません。 ほかにも、親御さんへのメッセージを読み上げる感動のシーンの裏にも、いろいろあるわけです。結婚式の企画を考える際に喧嘩があったり、料理を決めるのにもゴタゴタがあったり。美しく見える結婚式ですが、その過程で、たくさん泣いたり、笑ったりしているリアルがある。 嬉しさと幸せだけでなく、コンプレックスや、緊張や、たくさんの感情が渦巻いている。その事実に圧倒的に触れ続けることで、少しずつヒットする企画が打てるようになりました。 西村:顧客が本当に欲していることを“肌感覚”で掴めるようになったと。 伊藤:そうですね。もう一点、現場経験を積んだこと以外にも、自分の病気も転機になっています。 双子を出産し、その後、数万人に一人が発症する病気を発症してしまい、重篤な状態になってしまったんです。その後なんとか回復しましたが、退院した後にはすぐ育児があります。病気になったときは「生きているだけで幸せだ」と感じましたが、それでも病後の新しい両立生活はやはり大変で、めげそうになりました。 そうした経験をしたことで、結婚式だけではなく「その次の日からはじまる生活」、結婚そのものについても目を向けたとき、ゼクシィがどのような存在であるべきかを真剣に考えるようになりました。「3時間の結婚式から60年の結婚式へ」や「プロポーズされたら、ゼクシィ」というコピーを作ったのはこのころですね。ゼクシィにできることは限られているのだけれど、それでも、結婚が決まった時からはじまっていくお客様の新しい生活の、何を祈るようなメディアでありたいのか、という問いが自分の中にありました。 苦しい「今」は、宝物の「過去」に変えられる 西村:カヌレのエピソードではないですが、ただインサイトを追うのでなく、カスタマーに憑依できるようになったと。 伊藤:もちろん、インサイトを汲み取ることも大事です。それまでは「二の腕が細く見えるドレス」など、ヒットするための企画を必死に考え、コツコツ結果を積み重ねてきました。ただ、役に立つ、ということから一歩進んだ、サービスの世界観や価値・目的も同時に考えるように変化していったのではないかと思います。 西村:なるほど。現在のご活躍の裏には、大変な苦労や、失敗の積み重ねがあったんですね。 伊藤:就職活動しかり、うまくいかないことや、失敗もたくさんあるけれど、今振り返れば、一つひとつの失敗が私へのメッセージだったと考えたりもできます。そしてそう思えるのは自分自身しかいないのではないかなと思います。パソコンの電源すら分からなかったあの日の劣等感も、カヌレのエピソードも同じで、そこから何かが生まれていく契機でもある。だから、そのときは残念なメッセージに受け取れても、いつか本当の意味が分かるときが来るんだと思っているんです。

15歳で高校中退、“打席”に立ち続けた6か月 高木俊輔 #私のライフラインチャート

2018年10月、政府は大手企業による採用活動の解禁日を定めた指針「就活ルール」の撤廃を決定した。企業は通年で採用活動を実施できるようになり、学生は「就職活動だけ頑張る」ことが通用しなくなったといえる。意思を持ち、打席に立ち続けた学生にチャンスが巡ってくる時代が訪れるのだ。 人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。今回お話を伺ったのは、株式会社ハッシャダイでマーケティングを学ぶ15歳・高木俊輔さんです。 高木さんは半年前に通っていた私立高校をドロップアウトし、単身で上京。現在では株式会社ハッシャダイでマーケティングを学んでいる。この半年間、社会の“打席”に立ちづけた彼の言葉からは、奥深い経験からなる落ち着きと静かな闘志を感じた。「ドロップアウト」という派手な文言の影に隠れた、15歳の“泥臭い青春”に迫る。 Text by 半蔵 門太郎 遠足の行き先も、自分たちで決める。“目的ドリブン”の思考が基盤を創り上げた ーー14歳から現在にかけて、指数関数的に幸福度が上がっています。 高木俊輔(以下、高木):そうですね。上京してからは決して順調ではなく、多くの人に迷惑をかけました。メンタルが不安定になった時期もありましたね。 しかし、振り返ってみるとすべて良い経験だったと言い切ることができます。毎日成長を感じていますし、東京に来たことに後悔を感じたことはありません。 ーーでは、まず1つ目のターニングポイントから教えてください。 高木:最初のターニングポイントは小学校4年生のころ。私の通っていた小学校が文部科学省から「ゆめみらい学園」に選定され、カリキュラムがガラッと変わったのがきっかけでした。 従来のような「参加型」の学校教育ではなく、「参画型」のスタイルが実装されたんです。 ーー参画型というと? 高木:与えられた課題の解決方法を考えるのが従来の「参加型」。ですが、僕らの学校では課題を探すことがスタートです。 高木:具体的な例としては、遠足。僕らの学校では、生徒自身が行きたいところをディスカッションし、日程を決めるところまでを担当します。遠足でどこへ行きたいのか、自分の意見を自由に言うことができるのです。 しかし、クラス全員のプレゼン合戦となるため、プレゼン能力が低ければ話を聞いてもらえません。 自分のエゴを通すための課題は何なのか、どのように解決するのか、どのようにプレゼンをする必要があるのか…常に考える環境がありました。 ーー自分の“目的”のために足りないものを考える…。いまの高木さんのアクションの「基礎」となっているのでしょうか。 高木:やりたいことのためにできることを探し、ひたすらPDCAを回す。逆に、目的なく“How”だけのことには手を出さない。「目的ドリブン」の行動指針は、間違いなく自分の基盤となっていますね。「ゆめみらい学園」のカリキュラムがなければ、高校中退なんて考えもしなかったのではないかと(笑)。 「高木、イキらせてやるよ」を引き出すために。中学校時代に学んだ“マーケティング”のイロハ ーー高木さんを語るうえで欠かせないターニングポイントだと思っていることに、noteのエントリ『中学生の僕が文化祭にスポンサーを付けた話』があります。 ーーこの投稿は僕もリアルタイムで見ていて学生時代からSNSやpolcaを使いこなす「新世代」が出現したと、センセーショナルな印象を感じました。高木さんのなかで、この文化祭は大きなきっかけとなっているのでしょうか。 高木:noteのバズは上京の大きなきっかけとなりましたね。たくさんの縁が生まれましたし、選択肢が一気に広がった契機になりました。それに、この文化祭は自分にとり「ゆめみらい学園」で学んだことの集大成となったイベントでした。 ーーどのような意味で「集大成」だったのでしょうか? 高木:はじめ、僕の学校では文化祭が無かったんです。そのため、ただ単に「文化祭をはじめたい」とクラスメイトとともに動き出したのがきっかけでした。教師に文化祭を開催できない理由を聞き、懸念点を「プレゼン」によってつぶしていく…。その一環として、予算を集める必要があったんです。 ーー文化祭という「目的」に対する手段に過ぎなかったんですね。 高木:そのころちょうどCampfire社からフレンドファンディングアプリ「polca」がリリースされて。この機は逃せないと思い、“若さ”を武器に「polcaおじさん」にDMで企画をプレゼンしてったんです。ウザがれるくらいDMを送った結果、目標金額の5000円を達成。小規模な資金調達でしたが、自力でお金を集め文化祭を開催したことは大きな成功体験でした。 自分達で創った文化祭4フェスをします🚩 友達とか誘って来てくれると嬉しいです😋🌀 (日時) ・11/17 放課後...

世界最高峰・ミネルバ大学に通う私は「こうして」育った——片山晴菜 #私のライフラインチャート

人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。第1回を飾るのは、世界最難関の大学として知られるミネルバ大学に在籍中の片山晴菜さんです。 インタビューの冒頭、独創的なライフラインチャートを描いた彼女は、自身の人生をどう振り返り、これからをどう見据えているのか。また、世界最先端の教育を肌で感じた彼女自身が、読者に伝えたいこととは。正解のない時代をユニークに生きる、一人の女性の人生に迫った。 Text by Arisa Oki Edit by Mitsufumi Obara 片山さんが在籍するミネルバ大学とは、「ハーバード大学よりも入学が難しい大学」として、世界中のエリートから注目を集めている大学。キャンパスは持たず、授業はすべてオンライン、学生たちは4年間の中で世界7都市を移動しながら、寮で共同生活を行ないます。 そんなミネルバ大学に、2017年日本人の学生が初入学しました。その人物こそが、片山晴菜さんです。 まずは片山さんに、これまでの人生を振り返る「ライフラインチャート」を描いてもらいました。 5歳で知った、家族と学校以外のコミュニティ。血縁のない姉妹との出会いが、人生の原点 西村創一朗(以下、西村):人生における「幸福値」は常に一定であったと。 片山晴菜(以下、片山):そうですね。今こうして過去を振り返ると、どの瞬間も非常に楽しい時間だったな、と思います。とてもポジティブな意味で、浮き沈みのない人生でした。 西村:なるほど。では、そうした人生のを過ごしてきたなかで、現在の片山さんを形作る3つのポイントについてお伺いさせてください。 片山:まず最初のターニングポイントは、5歳の頃。一人っ子だった私に、初めて“姉妹”ができた瞬間です。ガールスカウトに加盟したのですが、血縁はなくとも、“姉妹”と呼ぶにふさわしい関係性が生まれました。 西村:“姉妹”と表現された理由が気になります。 片山:ガールスカウトという組織を、“箱”としてではなく、そこに参加している彼女たち一人ひとりがつながって広がった“ネットワーク”だと捉えているからです。それまで幼稚園以外のコミュニティに属していなかったので、初めて価値観や考え方でつながる経験をしました。 18歳まで活動を続けていたのですが、現在の私を語る上で、切り離せない関係性になっています。 西村:当時、片山さんと彼女たちをつないだ「価値観や考え方」について、詳しく教えてください。 片山:自立しなければならない環境下で、時間をともにできたことが印象に残っています。たとえばキャンプで薪割りをするような力仕事も、男性に頼らず、女性だけで行わなければなりません。「自立するのが当たり前」という考え方を、幼少期に共有したのです。 西村:価値観や考え方以外にも、そこでの具体的な経験が、現在の片山さんを形作る要素になっているのでしょうか? 片山:ニューヨークにある国連本部を訪れる機会があったり、国際女性ビジネス会議に参加したりと、世界に目を向ける経験をしたことは、視野が広がるきっかけになっています。そのなかでも、初めて「難民」の存在を知った経験が特に印象に残っています。 小学校2年生の頃でしたが、当時私は「学校に行きたくない」と、母にわがままを言っていたのです。ただ、地球のどこかには、学校に行きたくてもいけない人がたくさんいます。あまりにも生活が違い、衝撃的でした。 西村:小学2年生で、そこまで深く考えられる学生もそういないと思います。 片山:母親の教育方針も影響しているかもしれません。母は私に、常に「なぜ?」を問いました。たとえば、クリスマスプレゼントに何がほしいかを尋ねられ、「何でもいい」と答えると、「それは市場に売っていない」と答えます。そして、本当に何もプレゼントしてくれません。 夕食に何を食べたいのかを尋ねられ、「餃子でいい」と伝えたときには、「餃子がいい」のか、「餃子でいいのか」を聞かれることもありました。自分から求めなければ、何もくれないのです。一つの事象に対して詳しく考える姿勢は、幼い頃に身についたのかもしれません。 大切なことはすべて、「外に出る」ことから教わった。井の中の蛙が、大海を知るまで 西村:続いて、二つ目のターニングポイントもお伺いさせてください。 片山:16歳ですね。16歳がターニングポイントとしてあげた理由には、二つの出来事が関係しています。まずは、高校1年生で模擬国連の全国大会に参加したこと。軽い気持ちでエントリーしたのですが、全国大会に出場できました。 その際に、自分が「井の中の蛙だった」ことに気づいたのです。全国大会に出場したことで、それまでの人生にはなかった多くの人たちに出会うことになります。活躍する同世代の存在を初めて知ったことで、「そもそも、所属しているコミュニティ以外について知る機会が提供されていない」と考えたことを今でも覚えています。 西村:なるほど。もう一つの出来事はなんですか? 片山:学校の三者面談です。自分の進路について真剣に考えれば考えるほど、日本の教育に疑問を抱くようになりました。三者面談の段階では、進路について全く考えていなかったので、偏差値と合致する大学を志望校として挙げました。私と同様、大半の級友らも同じように進路を決めてました。 しかし、自分で挙げた志望校について、私は校名以外の情報を全く知りません。どのような先生がいて、どんな学びが得られるのかを把握していないのです。 その際に、成績や偏差値を物差しに進路を考えさせてしまう日本の教育システムに懐疑的になりました。 このシステムに、なんとも納得できなかったんです。 西村:その経験が、UWC(United World Colleges)への進学につながっているのでしょうか? 片山:そうです。進路に悩む私を見かね、母が一つのオプションとしてUWCへの入学を提示してくれました。UWCは、ニューメキシコ州のサンタフェから山奥へ3時間、標高2,000mの砂漠の中にキャンパスがあります。 そんな過酷な環境で、90か国の仲間と2年間寝食を共に過ごすことができる。これ以上ない経験ができる場所だと感じました。また、奨学金をもらいながら学ぶことができます。またUWCの存在を知った高校一年生の頃は、たまたま一度だけ受験ができるタイミングでもありました。即決で受験を決めましたね。 西村:国模擬国連への参加、人生を変えた進路面談、そしてUWCへの進学…。盛りだくさんな16歳だったと思いますが、何かタイトルを付けるなら…? 片山:単純ですが、「外に出る」ですかね。全ての学びは、それまで知らなかった「外」の環境に踏み出したことで得られたので。 圧倒的オンリーワン人材が集う、ミネルバ大学の全貌 西村:3つめのターニングポイントは、ミネルバ大学に入学したタイミングですか? 片山:そうですね。今まさに多くを学んでいる真っ只中で、日々、他の教育機関では触れられない先進的な教育を受けています。倍率の高い試験から選別されたメンバーと共同生活を送るなかで、「こんなにユニークな人たちが集まっているんだ」と、コミュニティの層の厚さにも感銘を受けています。 西村:具体的に、どのようなメンバーがいるのでしょうか? 片山:私のルームメイトはノルウェー人で、国会でちょっとした話題に上がっている子なんです。これまで自分が抱いていたヨーロッパ圏のイメージには、「個人を尊重する」文化がありました。ただノルウェーには、集団規律を重んじる文化があり、日本と同じく飛び級制度がないのです。 そんな国で、数年前にパイロットプログラムにおける飛び級制度ができました。4人の学生が選抜されたのですが、そのうちの一人が彼女です。他にも、すでに博士課程を持っているメンバーなど多種多様なバックグラウンドの人が集っています。 西村:飛び抜けたオンリーワン人材が集まっているのですね。 片山:まさにそうです。すでにスペックが高いのにも関わらず、さらに学ぼうと探究心が高いメンバーが多く、とても尊敬していますし、刺激を受けています。 西村:一つ気になるのが、ミネルバ大学は1学年が150人前後と、かなり人数が少ないで点です。閉ざされた環境だとは感じないのですか? 片山:それはないですね。ミネルバ大学は、自分から外へリーチアウトしようと思ったら、誰にでもその機会が与えられている、開けた大学なんです。それだけでなく、世界7都市を周るので、十分開けた環境だと思っています。 7都市の内いくつかは自分で選択できますし、企業とのパートナーシップも強い。だから、自分次第でいかようにもパスを描けます。むしろ、外へ外へと意識が向かない人にとっては、辛く苦しい環境なのではないでしょうか。 自分に「Why」を与える姿勢が、ポジティブな選択を生み出す 西村:自分の意志に忠実に、そして着実に進んできた片山さんだからこそお伺いしたいことがあります。いわゆる「既存の価値観」に包まれた過去の環境に、ある種の抑圧を感じてしまうことはなかったのうでしょうか? 片山:その経験はあまりないですね。多分、のびのびと生きようとしていたので、「抑圧されている」と感じる機会がなかったのだと思います。たとえば日本の小中学校は、暗記によって知識を定着させる教育が一般的です。ある意味では“抑圧”だといえますが、捉え方によっては、また違った解釈もできると思います。。 西村:どのように思考をスイッチして、“抑圧”を乗り越えてきたのでしょうか? 片山:「基盤を作ってくれている」と考えることにしたのです。型を学ばなければ、いざ自分が新しいものを生み出そうとしても、何が古いのかがわからず、生み出すことすらできませんから。 何においても言えることですが、特定の事象にポジティブな意味付けをできることが重要だと思っています。 西村:片山さんのお話を聞いていると、行動の一つひとつにきちんとした動機を感じます。そこは日々意識しているのですか? 片山:繰り返しになりますが、やはり母親の教育方針が大きいのでしょう。「なぜ」を問う姿勢や、ガールスカウトの経験が掛け合わさり、「与えられた機会をこなすのではなく、自分から機会を求める」性格になったのかもしれません。もちろん、考えても答えが出ないことはありますが、だからって問いを止めることはありませんね。 行動をデザインする人になる。日本人初のミネルバ大学生が描く、等しくポテンシャルを発揮できる社会 西村:片山さんのこれからについてもお伺いさせてください。現時点で、大学卒業後の具体的なキャリアをどのように考えていますか? 片山:模索中ではありますが、一度企業に勤める経験を挟むと思います。ビジネスの受け手側への影響が見えやすい職に就いてみて、その分野で必要とされている知識や、新しい研究課題を知った上で、判断をするつもりです。先々は起業する、もしくは研究職に就く選択肢もなくはないと考えています。 西村:将来、研究したいと思っているテーマはありますか? 片山:抽象的ですが、人の行動をデザインすることに興味があります。組織の中で、同じゴールに向かい、ゴールに対する動きや流れ、気持ちをデザインしたいのです。 西村:行動をデザインしたいと考えたきっかけはなんだったのでしょうか? 片山:北海道に生まれたので、教育機会の少なさを感じていたことが大きいと思います。日本の教育のあり方に疑問を抱いていたときに、ちょうど民間企業出身の校長先生が誕生し、ビジネスの分野で培ってきた経営手腕で教育改革を行うシーンに巡り会いました。 そういった方に「地方の学校にも来てほしい」というニーズはあるが、現実的には難しい。そこで、彼らのマネジメントノウハウを体系化し、教員たちにトレーニングするメソッドを構想したいと考えていました。 西村:なるほど。その構想を叶えるために、どのようなアプローチがあると考えていますか? 片山:行動経済学や経営マネジメント、心理学、環境デザインなど、アプローチの手段は多々あります。これからミネルバ大学で巡るさまざまな都市で、都度生まれるであろう新しい課題に向かいながら、具体策を考えていきたいと思っています。 西村:最後になりますが、U-29読者に向け、片山さんから伝えたいことはありますか? 片山:もしお子さんを持つ親御さんが読んでくださっているのなら、「子どもにはパソコンを買ってあげてください」と伝えたいです。都心部に住んでいると感じにくいかもしれませんが、地方出身者としては、情報量による想像力の格差は深刻だと思っています。 見ている世界の格差によって、ポテンシャルがあっても、その進路の選択肢が浮かばないというのはもったいない。だから、情報に自らアクセスできることで、視野を広げるためにも、インターネットやパソコンといった、世界につながる窓口をぜひ与えてあげてほしいと思っています。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる

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