就職活動挫折組だった私が脱「片想い就活」を経て内定をもらうまで

出版社の面接に落ちまくった私が脱「片想い就活」で掴んだ営業職 学生時代、「何がやりたいかわからない」、「働きたい業界や職種がない」、「どの企業も同じように感じる」、「自分に何ができるかわからない」、など就職活動中に悩んだ方も多いかもしれません。実際、会社という組織に属して働いたことがないのに、入社後の自分を想像するのは難しいでしょう。 一方の企業もせっかく人を採用しても、新卒3年以内に会社を辞めてしまう人が多いと嘆いています。この理由として、企業と就活生の間に「ミスマッチ」が生まれていることが挙げられます。 初めての就職活動ではもちろん、転職活動においても「自分の選んだ方向はあっているのか」と不安はつきものです。そんなときに、時には厳しく、時には優しく寄り添って自分の進路について考えてくれる人がいると心強いですよね。 現在、株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍中の望月奈津美さん。彼女も実は学生時代、就職活動が全くうまくいかず、落ち込んで悩んでいた一人です。そんな経験があるからこそ、現在キャリアカウンセラーとして求職者の気持ちを理解し、サポートできます。 望月さんの就職活動と現在のお仕事についてお話を伺いました。記事は二部構成で、第一部のこの記事では、望月さんの大学時代の過ごし方と初めての就職活動について、第二部では転職活動と現在のお仕事について焦点をあてていきます。 好きなことをやって過ごした学生時代と「片想い就活」 ー学生時代はどんなことをやられていたんですか。 3つのサークルを掛け持ちしていました。音楽系サークル、地域の自然について考え、地域の人とともに行動するサークル。そして一番力を入れていた、地域の中・高生を対象に、学校の枠に囚われずやりたいと思っていることを応援し、それをサポートするサークルです。サークルが楽しくて、正直、仕事や就職についてあまり考えていませんでした。 ーでは、就職活動はどうされたんですか。 自分は何が好きなんだろうというのを最初に考えましたね。漫画やアニメ、写真集などがとても好きだったこともあって、お恥ずかしながら、なんとなく出版業界に目が向くようになりました。しかし目指してみてわかったのは、出版業界はそんな甘いものじゃないということ。熱意があって、出版業界に強い思い入れを持っている人が多かったですし、当然、地頭や経験値も自分より高い人ばかりでした。当時の私は全く歯が立たなくて、ことごとく「お見送り」が続いていました。 ー今の自分が、当時の自分にアドバイスするとしたら、何と言いますか。 「好き」だけで選ぶ一方通行な「片想い就活」はうまくいかない、ということですね。何もマーケット(市場)のことを知らずに、気持ちだけで走ってしまっていたところがありました。そうではなくて、もう少し業界のことを調べて、「どんな人材が求められるのか」、「どんな経験をしていたらそこに行けるのか」、といったところを長期的にしっかり、もっと前から準備して臨むべきだったなと思います。 第一志望の会社に最終選考で落ちてしまい、落ち込んだ日々 ー第一志望の会社に4次選考で落ちてしまったと伺いましたが、詳しくお聞きしてもよろしいですか。 はい、出版社の営業職で、最終選考まで残れたので頑張ろうと思っていました。一次選考から三次選考では筆記や面接試験などをおこない、最終選考は社長と役員が4〜5人ずらっと並んでいる面接でした。しかし、結果はダメでしたね。そこの出版社が出している出版物がビジネスマン向けのものだったんですが、「まだまだ読み込みが甘い」と社長から人事の方へ指摘があったようで、会社への愛着がないと思われたのかもしれません。 第一志望の会社だっただけに、受かったら行きたいなと思っていたのですが……。最終選考の5日後くらいに人事の方から「落ちた」という連絡を電話でもらいました。ちょうど他社の面接帰りで、そのときは悲しすぎて、思わず電車の中で泣いてしまいましたね。 この会社に落ちてから、出版業界だけを見るのはやめました。 ーその後の就職活動は? うまくいかず、結構落ち続けていました。もちろん出版業界だけではなく、他も受けたのですが、書類で落ちたり、面接がうまくいかなかったりという時期が続きましたね。就職活動へのモチベーションが落ちて、とても悲観的になっていました。「私は社会で必要とされていないんだなぁ」って。 ー何社くらい落ちたんですか。 見ていた業界が自分にあっていなかったのかな、ちょっと高望みしすぎたかなと思い、40〜50社程チャレンジしたんですが……。結局どれも上手くいかなかった記憶です。 ーなんでも望月さんは、とある本で気持ちを奮い立たせたそうですが... はい。先ほど、第一志望の会社に落ちてしまった話をしたかと思うんですが、この会社の人事の方から、電話でこんなことを言われたんです。 「ウチがだめだったからといって、就活自体がダメだったというわけではないですよ。次のフィールドでどこかに入社して、うまくいくことを祈っていますね」と。 「お祈り電話」ではあったのですが、他にもたくさんフィードバックをいただきました。私はその電話に救われた部分があって、とても嬉しかったので、後日、手紙を書いたんです。その後日返信がありまして、本が同封されていました。 その本は人事担当の男性社員の方が自費出版されたもので、その中に「後悔(後で悔いる)」ではなくて、「考えを改める」という「考改(こうかい)」と捉えよう、みたいな話があって。これを読んだとき、もう一回就職活動頑張ろう!と思いましたね。 就職活動を再開して、ついにOA機器会社の内定をもらう ー就職活動は一旦休まれたんですか? はい、一週間くらい休憩して、すぐ再開しました。そこから業界を変えていき、内定をもらえるようになりました。その一社が前職のOA機器会社の新規開拓営業です。 ーそこに決めたポイントは? 商材の幅広さですね。OA機器と複合機だけではなかったので、自分で営業して、売れたら面白いだろうなと思いました。 地道な営業活動の開始 ー新規開拓営業ではどんな風に働かれていたんですか。 行動あるのみ、「新人は質より数だ!」と思って働いていました。日々飛び込み訪問をして、会社の中に部署も色々あるので、組織図を探り、ここに行ったら、次こっちに行って、どんどん横に展開していくというようなことをやっていました。関係性を築くことを一番意識して、一人だけでも窓口になってくれる人が出来て仲良くなったら、「他部署の責任者と繋げてもらおう」という感じで行動していました。 ーお客様との関係はゼロからですものね。実際、関係性作りや新規開拓営業はいかがでしたか。 そうですね、とりあえずは、行く→電話する→行く→会う→話す→メールとハガキでお礼→次回も会う、というようにひたすら“行動”でした。小さなことでも良いので接点を作ることを意識していましたから、下調べして、相手が興味を持ちそうな商材カタログを片手に訪問して……を繰り返しましたね。泥臭い営業を続けて、段々と「じゃあ、ちょっと話聞いてあげるよ」となり、そこから徐々にお客様との関係性を築いていった感じです。 楽しかった大学時代、希望の出版業界に入れなかった就職活動前半戦。落ち込み悩んだ後、業界を変えて就職活動を再開し、内定をもらえるようになった就職活動後半戦。 望月さんは、OA機器会社に入社し、新規開拓営業の仕事に一生懸命がむしゃらに取り組みました。その努力の甲斐あって、お客様との関係もゼロから築き、話を聞いてもらえるようになります。自社の商材を購入してくれるお客さんも増え、順風満帆のように見えた彼女の営業キャリア。 しかし、OA機器会社に入社して2年半くらい経った頃、彼女の心境に変化が訪れます。キャリアカウンセラーになるまでのストーリーは2部に続きます。 UZUZにキャリア相談してみる

「HRで目の前の人からハッピーに」—元パイロットが人事のスペシャリストに転身した秘話。

  色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第5回目のゲストは、非連続的なキャリアの末にパイロットから鞄製造会社の人事へと転身してこられた西島悠蔵さんです。 簡単にそのキャリアを振り返ると、新卒でANAにパイロットとして入社後、転職先のリクルートキャリアではキャリアアドバイザーと中途採用を担当。今では従業員規模100名程度にまで成長したベルフェイスがまだ10名弱だった頃には人事組織の立ち上げを牽引。そして現在は、創業50年を超える老舗・土屋鞄製造所で人事部人材開発課・課長。 今回はそんな独自のキャリアを歩んできた西島さんに、それぞれの転機における判断軸や決断の裏側を伺いました。   就職氷河期に7社8職種内定の内心。 -新卒の当時は今とは全く違う、「ANAでパイロット」というキャリアを選択されたと思うんですけど、学生時代はどんなことしてたんですか。 学生時代は何もやってなかったんです。本当に授業とか全然行ってなくて。朝~夕方まで麻雀を打って、学校行かずにそのまま部活(バスケ)に行って帰る、みたいな生活をずっとやってて・・・本当に底辺みたいな生活をしてましたよ(笑)。学生らしいといえば、学生らしい生活を送っていたのかな。 ただ、このままダラダラ過ごしていくのはやばいなと思ったので、一応アルバイトはちゃんとやってました。一番最初のバイト先はスターバックス、その後は朝日放送。それからCOACHで販売員をやっていました。大学3年生の時、販売員としてかなりの販売実績を残せたこととかは就活中の売りになりましたね。 自分で言うのも恥ずかしいけど、就活は超無双でした(笑)。当時は大手の7社8職種から内定を頂いて。   -就活は無双モード、と言っても当時就職氷河期でしたよね?   そうですね。当時はちょうどリーマンショックが起きて、急に内定を取り消された先輩の姿や採用活動縮小しますと宣言する企業が増えていたので、内心「やばいな」と不安を抱えながら就活を始めたのを覚えてます。 ただ、就活の話すると超ダサいやつになるんですが、僕はシンプルに大手に行きたかったんですよ。 というのも、僕、高校は進学校だったんですけど大学受験をしていなくて、受験せずに特待に近いような形で大学に入学してます。その当時、高校は周りが国公立ばかり目指しているところで、私立大学に行きますって言ったら周りから「お前妥協じゃね」みたいなことをすごい言われて。だから、なんか変な学歴コンプレックスみたいなのがあったんです。 そこで、就活は分かりやすい成功をおさめたいと思って、まずは就職人気ランキング100位までを調べてました(笑)。その後、最初リクナビを見てエントリーできそうなところを探し、片っ端から77社へエントリーシートを書いて、毎日4−5社面接受けて・・・というような就活をしてました。面接や試験では、テクニックを駆使しながら「いかにして就活というゲームを攻略するか」と考えてましたね。 今、自分が人事をしていてそんな学生が来たら絶対採りたくない(笑)。今はより就活が情報戦になっているし、企業に合わせて自分を偽っていると自分自身がわからなくなるので、同じやり方はあまりおすすめはしません。   -就活というゲームでは無双状態だったわけですけど、内定は何社くらいもらったんですか? 大手生命保険、大手銀行、全日空のパイロットと総合職など、7社8職種の内定を頂きました。4月17日、パイロットの内定が出たところで全日空のパイロット職として入社を決意し、就活を終えました。   自分を押し殺し続けられるか...。パイロットから人材キャリアへ -ファーストキャリアとして、なんでパイロット、ANAを選んだんですか? まず、母親がもともと全日空で客室乗務員をしていて、「全日空に戻りたいな」という話を聞いていたんです。親世代の人が働きたい環境って素敵だなと思っていたのと、一部恩返しみたいなところもありましたね。でも、これはあくまで1割。外向けの綺麗な、素敵な理由 。  残り9割は分かりやすく、お金もらえるし、女性が多いからモテるだろうし、タクシーの送り迎えもつくし、完璧やんみたいな。ステータス的に完璧だからそっち行こう、って選びましたね。極めてわかりやすい、大学生らしい意思決定の仕方でしょ。   -順調な就職活動を経て、ベストと言われる選択ができて、2010年にANAに就職するわけですけど、実際入社してみてどうでした? 正直、内定者研修の時に違和感を感じ、辞めようと思いました(笑)。 実際に入ってみると、みんな会社が好きで、飛行機が好きで、小さい頃からの憧れを抱えて入る人たちが多かった。それが、幅広く就活して、ステータス重視で入社を決めた僕にとっては、ちょっと熱狂的すぎたというか。すごい温度差を感じたんです。はじめはすごくきつくて、「僕にとっては一生やる仕事ではないな」と思っていたのはすごく覚えてますね。   -けれど、すぐには辞めなかったんですよね? パイロットとして入ったからにはちゃんと真っ当にやらないととは思っていたから、訓練2年を含めて結局4年弱はいたかな。 入社時から感じていた違和感は、どこかでずっとあって…航空法や会社の規定を守るからこそ空の安全は守られるのですが、どうしても自分の中でそれが面白くないと思ってしまっていた。 結局、入社してから、それからも違和感が消えることはなかった。「このままずっと自分を押し殺しながら続けるのか、自分らしく辞めるのかどっちかかな」と真剣に考えるようになり、退職へ。   -そして、転職活動をスタート。 はい。転職先として考えていたのは人材系。全日空時代に採用関連の業務に携わったこと、就活中に素敵な人事に出会っていたことから人材方面にキャリアを積みたいと考えていました。なかでも、目指していたのはリクルート。 当時リクルートエージェントで転職活動をしていたんですが、エージェントさんがくれる求人にはリクルートはなくて。「リクルートの会社で働くエージェントさんが出してくれないってことは、僕はリクルートにはいけないのかな」って思ってたんですが、思い切って「すみません、リクルートとか募集ないですよね?」って聞いたら、「ありますよ!」って。あの時一歩踏み出さなかったら、今のキャリアにめぐりあってなかったし、違う人生だったなって思いますね。   -その後リクルートキャリアへの転職を決めたわけですが、入社当時はすでに「いつか人事になるぞ」と意識してたんですか? 人事にはなりたいなと漠然と思ってたけど、入社してから配属されたキャリアアドバイザーの仕事が大変で。退社後に勉強したり他社の人の話を聞きに行ったり、成果を出せるように必死にやっていましたね。それだけ必死になって頑張った背景には、転職する際の最終面談の時に当時の人事部長に言われた一言が大きくて。 最終選考の面談の時、僕はキャリア4年目。「リクルートの4年目ってどれくらいのレベルか知ってるの?君の3倍は仕事できるね」ってはっきり言われました。「どれくらいで追いつくの?」って聞かれて、1年くらいですかねとか言ってたら、「そういうところがなんかぬるいよな。1年とか普通じゃん。半年って言えよ」って返されて(笑)。半年で本当に4年目に追いつけるのかなって思ったけど悔しかったから「3ヶ月で追いつきます!」って握手しちゃったから、もう焦りまくってたわけです。  とりあえず成果出さないと、成長しないと、って必死でしたね。仕事が終わってからは深夜2時まで空いてる大崎のスターバックスに行って、終電までいつもいろんな本読んだり勉強したりとかして。懐かしい。   待ってるだけでは、描いたキャリアを実現できない。 -そうだったんですね。成果を出すために最初はめちゃくちゃ努力されたと思うんですけど、ブレイクスルーしたタイミングとかあったんですか? 自分の中で明確に覚えてるのは、ちょっと慣れてきたタイミングの時のことです。あと一人内定決めれば全社のMVPになれるかもしれないって話が、僕のもとにちらっと舞い込んできていました。これは大きなチャンスだと思いましたね。 この人がその場で握手すれば完璧にMVPが決まるという時があって、僕は必死になってその人を4時間くらい面談してたんです。本人はずっと「自分は行きたいけど家族に話したい」って言っていたところ、僕は「わかりました、電話しましょうよ」って言って。その場では電話がなかなか繋がらなくて、本人もできれば土日で考えたいと途中から言い出して。 今では役員になられた当時の上司にその状況を相談したら、「あんたそのための4時間だったの!?」ってすごい怒られたんです。「早く帰しなさい!あんたの成績はそのお客さんの人生にとって何にも関係ないのよ。どこ向いて仕事してんの?」って言われて。うわーっ・・・て思ったんです。 もうその時は自分のことで精一杯だったし、自分の成果を出さなきゃって思ってたから、目の前の人の人生よりも自分の売り上げを追っかけていたんですよね。その時にすごく葛藤して。バランスっていうのは難しいんだけど、最終的に極のところっていうのは目の前の人に向き合うことなんじゃないかなって、その時にはっきり気づかされましたよね。 相談を終えた後、面談していた方にはすぐに帰っていただき、案の定MVPは取れず。まあ、その方が決まってても最終的には取れなかったけれど、本当に成果以上に良い気づきを与えてもらいました。   -MVPは逃したけど、仕事の本質、大切なところに気付かされた瞬間だったんですね。その後キャリアアドバイザーから、一時期転職活動されていた時期もあったじゃないですか。 ありました。キャリアアドバイザーをちょうど2年くらいやったタイミングで、飽きてしまって。というのも、どうしても個人の方しか向けないし、個人に向き合う大切さは学んだんだけど、じゃあその次の成長、ステップって何なのかというところが分からなかったんですよね。 そこで、やっぱりその先も見れる人事になりたいと思って人事のポジションを色々探し始めました。リクルートの中で異動できれば一番よかったんだけど、時期的にも少し先になりそうだったので転職活動を。 そしたら、まさかの大手・有名企業からHRポジションの内定をもらうことができて、これはいけるかもしれないと思いました。内定を持った状態で、当時のリクルートのマネージャーに話しに行ったんです。「僕人事いきたいんですけど、人事にいける道が手元にあって迷っていて。社内で異動ってできないですよね?」と相談したら、「まあ待て」って言われて。しめしめじゃないけど、戦略的にキャリアを積むってこういうことかもなっていうのを考えられたのかな、と。 総合職で入っている人とかは特にこの辺考えた方がいいなと思っています。待ってたら、そのキャリアが自分を連れてってくれる時代ではもうない。やりたい仕事に対しての準備っていうのは、ちゃんとしないといけないんです。 僕だったら、例えば人事と積極的に絡みに行きながら、「キャリアアドバイザーで頑張ってる奴がいる」っていう噂が立つくらい影響力を積み上げて、時期が来たら最後に切り札持ってるみたいな。もう完璧なシナリオでしょう。   ーそこから人事としてのキャリアがスタートしたわけですけど、その後にベルフェイスに行くわけじゃないですか。大手・リクルートからベンチャー・ベルフェイスに転職しようと思ったきっかけは? これは2つエピソードがあって。1つは5泊6日の新卒インターンシップにたまたま参加することになった時のこと。毎晩毎日学生と話をしていくうちに、今まで自分は人と向き合うのが上手だって思ってたんだけど、全然向き合えていなかったなと気づいてきて。 自分の姿勢がその学生たちに影響を与えるって言われていたんだけど、当たり障り無く周りの人とコミュニケーションを取れるけど本音を出さないっていう僕の姿勢が当時のグループにも表れていたんです。 2日目には学生との関係に限界がきて言い合いになった時、ある学生から「ユウゾウさんは泣きそう泣きそう言ってて絶対泣かないタイプですよね。そういうところが僕は嫌いです」って言われました。「学生には言う割に自分はそういうところ隠しますよね。だから今日は喋りましょうよ」とも言われて、そこから夜中の3時くらいまで号泣しながら語って。そこで初めて、人と向き合う仕事って面白いなと思ったし、ある種難しいなっていうのもすごく感じたんです。 ただ、その体験を味わってから職場に戻ってきた時のギャップがものすごくあって。大手の人事ってどうしてもオペレーションで回っちゃう。というよりも、回さないといけない。だから、このまま続けるのはちょっと違うなって思いました。 もう1つは、僕のリファラル採用で入社した人がいたんだけれど、入社2ヶ月後くらいにその人から電話がかかってきて。一緒にランチに行ったら、「私の同期みんな辞めちゃったんですよね」って言われて。ランチ中にその子がめっちゃ泣き出しちゃって、「ユウゾウさん、いい会社って言ったじゃないですか」って言われたんです。その子に申し訳ないっていう気持ちもあったけれど、何よりショックだったのはみんなが辞めた事実を知らなかったっていうこと。やっぱり大手で組織も細分化されていたから、「人事って何なんだろうな」って思いましたね。 その時、当時担当していた中途採用担当っていう狭い領域だけじゃなくて、もうちょっと広い、中途も新卒も、もっというと労務とか教育とか、入社後のところも見れるようなキャリアを積みたいなと思ったんです。 その2つがベンチャーに行こうと考え始めたきかっけでしたね。   HR文脈で目の前の人、日本で暮らす人をハッピーに。 -ベンチャーから老舗の鞄製造会社へ。このキャリアもまた、印象的ですよね。今はどのような働き方をされているんですか? 今は自由に色々やらせてもらっています。人事部人材開発課・課長をさせてもらいながらも、ふと気がついたら他に複業6社やっていて。 複業では、採用のコンサル、採用ブランディングみたいな文脈で関わっている企業が2社。人事として関わっている企業が2社。人事として関わっている企業では、僕が欲しいサービスを企画して作ろうとしています。具体的には、学生向けのオンライン説明会などをやっています。 他には大学の非常勤講師だったりエージェントとかもちょこっとやっていたりするんだけど、ベルフェイスでの人事組織立ち上げ経験をはじめとして、自分が今までやってきた経験をそれぞれそのまま活かしているって感じですね。新しいことを始めたっていうよりも、色々自分がやってきたことを広げていったら今6社にまで広がったって感じ。   -人事は天職だなって思うことはありますか? 天職っていうのは、なんだろう(笑)。わからないですけど、人事のように人と向き合える仕事っていうのは自分はどこまでやっても飽きなくて、どれだけ身体しんどくてもやれる。っていうことは、もしかしたら天職なのかなって思いますね。   -人事というところ、人と向き合える仕事を軸に、おそらく今の会社からまた違うところにいかれるってこともありますか? それ最近すごいいろんな学生に言われる(笑)。 いつまでいるんですか、みたいな。 端的に言うと、しばらくここで働いていくと思っています。 なぜここに入ったのかっていう話になるんですけど、製造業とかものづくりとかって、時代的には傾いていくイメージのある業界ですし、勢いもITとかに比べたら全然無い領域ですよね。 でも、僕はここ数年でこの業界を変えられるんじゃないか、中にいる人たちがよりハッピーに働けるようにできるんじゃないかって思ってるんです。HRの文脈でこの業界を変えられれば、大げさじゃなく日本を救えるとも思っています。 その背景にあるのは、これまでいろんな仕事を経験してきた中で気持ちが変わってきていることがあって。「目の前の人をハッピーにしたいな」っていうところから「より多くの人をハッピーにしたい」と。もうちょっといくと「日本で暮らす人たちとか、日本に関わる人たちがハッピーになってくれると、僕はすごく嬉しいな」って思うんです。 それが自分の人生をかけてやれることかもなっていうのを最近考え始めていて、今はそれを叶えられるのが土屋鞄。柔軟な働き方を許してくれてることもあるので、しばらくはいるのかなっていう感じはします。   -目の前の人から、広く日本を変えていきたいという思いはどういう風に出てきたのでしょう?どうしたらそんな風に変わっていくんだろうみたいなのが気になりました。 目の前の人を幸せにしていくっていう連続を続けていくことが、そこに繋がったのかな。ベースは一番そこが大きくて、ずっと目の前の人と向き合っていたら物足りなさを感じるようになっていくというか。 要は、同じ成功体験を味わっていると、人ってやっぱりもっと成長したいって感覚が強いので、「もうちょいやりたいな」っていう前のめりな気持ちが多分でてくるんです。そういう成功体験を続けているとだんだん見える範囲が大きくなってくるので、より上のレイヤーで物事を考えてみたいなっていう感情が湧いてきたっていうところが大きいですかね。 目の前のお客さんに向き合って、その人が結果的にどのようなベネフィットを得るのかというところをだんだん見るようになっていって、「そうしたらもっとここにも価値提供できそうだな」とか「もっとこういうことできそうだな」っていう風に感覚的に変わっていった感じですね。   これまでになかったIT・WEBとのコラボを -最後に、今後チャレンジしていきたいこととかをお話しいただけますか? 正直、他の業界に比べたらものすごく遅れている領域だと思っています。例えば、一番最初の面接で「この人の書類ってどこありますか」って聞いたら、めっちゃでかい倉庫がガチャンって開けられて、ファイリングされてるのをバーっと調べて、この人ですって差し出されて。「いや、やばいな! すごい状況だな」と思いました(笑)。 クラウドのクの字も出てこないような業界なんだけど、こういう会社が変わっていって、少しでもITとかWEBとかとコラボし始めると多分面白いイノベーションが起きるんじゃないのかなって思ってるんですよね。 その先に日本とか、今関わっている人たちがハッピーになっていけばいいなと思っているので、僕はそういった逆風吹き荒れる中、カオスな環境でも笑いながらやっています。それを続けていくのが直近のキャリアイメージかなっていう感じですね。 今は日本のために~とかって大きなことを言っているけど、結局は目の前の人と向き合いながら前向きな挑戦がしていければ良いなと思っています。    

弁護士として異例の「三足のわらじ」という働き方。数々の意思決定と今までの挑戦

弁護士として、スマートニュース株式会社、法律事務所ZeLo、NPO法人Mielka代表を務める徐東輝さん。 一般的な弁護士の働き方を超え、熱いビジョナリー精神で「幸福な情報空間」を目指しています。 「三足のわらじ」を履く彼は、スマートニュースに入社するまで、様々な意思決定をしてきました。 弁護士を目指したきっかけから、弁護士として描く今後のビジョンまでお伺いしてきました。 弁護士を目指したきっかけは、ある弁護士の言葉にあった ー弁護士を目指したきっかけを聞こうかなと。いつ頃からなろうと決心したんですか? 徐東輝(以下、徐):「将来は弁護士になろう」と思い始めたのは、小学校高学年くらいでした。 実は、僕の両親は韓国籍です。両親の世代って、日韓問題の問題意識がすごい強い世代でした。 傍から見ていると、日本人は韓国人のことを嫌っているし、韓国人は日本人のこと嫌っていて。「何で、どっちの属性も持つ僕がこんな風に生きていかなきゃいけないんだ」とずっと思っていました。自分のアイデンティティがすごく嫌いだったんです。 ーなるほど。辛かったですね。 徐:両親によく、戦後賠償問題に関するシンポジウムなどにも連れられて。「韓国人が傷の舐め合いをしているような場所だな」と思っていたら、そこら中に日本人も居たんです。しかも、弁護団も日本人なんですよ 日本人弁護団が韓国人のために動いているというのを知って、僕は意地悪に、「日本人は韓国人のこと嫌いなのに、何で助けようとするの?」と代表弁護士の人に聞いたんです。 そうしたら、「国籍関係なく自分が正しいと思ったことができるのが弁護士っていう仕事だよ」って言われて。めちゃくちゃ刺さったんです。 ーなにそれ、しびれる。そこからずっと弁護士の夢は、変わらなかったんですか? 徐:ぼんやりと弁護士という進路を視野に入れていました。法学部を志望した理由も、ぼんやりと「弁護士になるなら法学部だろうな」ぐらいの感覚でした。 そして高3の1年間、むちゃくちゃ受験勉強頑張って、京都大学法学部に入学しました。   大学時代は、とにかく自分ができることに全力を尽くした ーすごい。努力も実って現役で京大法学部へ。どんな学生時代を過ごしましたか? 徐:大学1年は、ザ・キャンパスライフでした。バイト三昧で授業はサボってばかりで。多分3回くらいしか授業を受けていなかったと思います。 そしてぼんやりと、留学に行きたいと思い、バイトで頑張ってお金を貯めて、ニュージーランドとカナダに、休学して1年間留学をしてきました。そこで、「僕はなにも世界を知らないんだ、空白なんだ」って思い知って。 その後は視野を広げるために、世界銀行のインターンに参加して「貧困」について考えたり、TEDにも関わったり。自分でやれることは、すべてやってきたって感じです。 ーかなりアグレッシブだったんだね。ivote関西(現:NPO法人Mielka)の活動は何がきっかけではじめたんですか? 徐:各国を周って日本に戻ってきてから、「日本の民主主義にコミットしたい」と思い始めました。数々の国を周って気づいたことは、政治に関心を持っている若者が多いのに、日本ではまだまだ意識が低いなって。そこから、今のMielkaへの活動に繋がりましたね。 日本の民主主義の課題は、大学院入った当初、政治参加の回路の少なさだと思いました。アクセスやアプローチ方法。それと意識ですね。投票意識が著しく低いので、選挙に同世代が全く行かない。 僕は在日だったので、投票権がないので、行きたくてもいけませんでした。 ーなるほど。 徐:当時、同世代に「どうして投票行かないんだろう?」と、すごい切ない思いをしました。この国やこの町の未来に意思決定ができるって素晴らしさを伝えたく、Mielkaの事業に携わっていましたね。 ですが、その後その問題意識は大きく変わることになります。2016年頃から、フェイクニュースやフィルターバブル、個人データの悪用などが民主主義の大きな脅威として認識され始め、僕自身も2016年大統領選挙のリサーチャーとして現地にいた際にその問題意識を強く持ちました。 それ以降は、とにかく「民主主義にとって最大の強みである自由な情報空間への介入によって、民主主義は最も脆弱なシステムに成り代わっている」と考え、良質な政治情報空間の設計を第一の課題として個人の思想も大きく変わっていきました。   ロースクール後はZeLoへ。就活時に大切にしていた3つの基準 ーロースクールを卒業後、ローファームに行きましたよね。ビックな企業などいろんな選択肢があった中で、ZeLoを選んだ理由は何でしたか? 徐:当時、企業選びの基準を自分の中で明確に決めていました。その中でも主に3つがピタッと当てはまったんです。 一つは「創業者がリスペクトフルなビジョナリーな人」。そもそもローファームでビジョナリーって、求められないんです。ただZeLoは変わっていて、印象的でした。そして二つ目は、「テクノロジーオリエンテッドなローファーム」でした。 そして最後は、「僕を暴れさせてくれる場所かどうか」です。 ーいきなり、面白い言葉がでてきましたね。カルチャーが合うかどうかでしょうか? 徐:そうですね… 。僕の体質的に、大手は合わないと思っていたんです。大きく裁量を認めてくれ、自由に案件に取り組むことができ、さらには組織設計にまで従事できるかなどが具体的な基準だったのですが、今までの条件が合う環境が、なかなか見つからなくて。そこで大手から独立して、しかもリーガルテックを推進する会社まで設立するというZeLoの話を聞いてみたら、「めちゃめちゃ面白いじゃん」ってなって。 駆け出しの事務所なので、当時まだメンバーは3人ほどしかいませんでしたが、創業2年半で20人を超える事務所に成長しています。 ー暴れ放題ってわけですね(笑) 徐:しかも、めちゃくちゃビジョナリーでしたし、独立する上司たちも圧倒的に優秀に感じたので、もうここしかないなと思って。就活を辞めて、ZeLoを選びました。   鈴木健との出会いとスマートニュース入社理由 ーZeLoにはどれくらいいたんですか? 徐:1年9ヶ月です。今も所属はしていて、プロジェクト単位で関わっています。 ーそこから、直近の意思決定に繋がると思うのですが、スマートニュースに入った経緯をお聞きしたく。鈴木健さんとの出会いが大きかったんですよね? 徐:そうですね。「スマートニュースの鈴木健」は、一方的に存じ上げていました。著書『なめらかな社会とその敵』を学生時代に読んで、「こんな風に社会を捉えられる人間がいるのか」と嫉妬していたので。実際に健さんと知り合ったのは、2016年の大統領選挙の時でしたね。 突然、Facebookから友達でもないのに、メッセージが届いたんです。「スマートニュースの鈴木健と申します。お会いできませんか」と。 ー唐突ですね。 徐:「え、あの?」ってフリーズしました(笑)で、実際にお会いしたんです。最初はスマートニュースの話はそんなになく、どちらかと言えば根底にある「なめらかな社会」をどう創るかをお互いで話し、意気投合しました。その後は弁護士になった時に、ランチに誘ってくださったり。 弁護士になった後も、ちょくちょく会って。健さんと会い話していくにつれ、一緒に働きたい想い、ここでなら自分が創りたい未来が創れるのではないかという想いが強まり、面談を受けることにしました。 ー実際に面談を受けてみてどうでしたか? 徐:先ほど、就活の3つの基準をお伝えしましたが、スマートニュースにも当てはまっていて。特に、ビジョナリーでリスペクトフルな人たちが、僕の中で圧倒的で。テックオリエンテッドも完璧だし、裁量権も持たせてくれる。行くしかないなって。 行くなら、顧問ではなく、フルコミットで入りたいというのもお伝えしました。 ー元々関係性もあったし、自分の基準が重なったんですね。 徐:そうですね。「何をするか」も大切ですが、僕にとっては「誰とやるか」が重要でした。他にも、上司で尊敬できる方が元々何人かいて、「この人達と世界を良くしていけるんだったら、行くしかないだろう」という想いです。   今後の目標は、幸福な情報空間を創っていくこと ーでは最後に、今後チャレンジしたいことを教えてください。 徐:個人としては繰り返しになるのですが、脆弱になっている情報空間を適正なものにしていき、皆さんの幸福な情報空間を創っていきたいです。 しんどくなくて、鬱陶しくもない。でも、みんなに必要な情報が届く世界が理想ですね。身体的、精神的、社会的に良好な「ウェルビーイング」な状態の情報空間を創りたいです。 ーウェルビーイング、すてきですね。 徐:情報の格差や非対称性の不幸せを無くしていきたいし、お互いにとって素晴らしい世界ってもっと創れると思っています。スマートニュースが僕のやっていきたいことを現にやっているので、メンバーの一員として「幸福な情報空間」を一緒に創っていきたいと思います。   取材・編集:西村創一朗 執筆:ヌイ 撮影・デザイン:矢野拓実

社会人4年目の今だから答えられる。失敗を通してたどり着いた私の働き方

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ、第一回目のレポート後編です。 第一回目のゲストは月岡愛里(つきおか あいり)さんです。第一部では月岡さんへのキャリアインタビューをご紹介しました。第二部では参加者から月岡さんへの質問を中心に話を進めました。 >>前編の記事はこちら<< 良いプロデューサーは「人を使う天才」   Hさん:ネット配信のテレビ局で優秀なメンバーと働いていらっしゃったというお話でしたが、どんな人のことを優秀だと思いますか? 私のいた部署のように、企画やプロデュースなど全体を統括して責任をとる部署においては、言い方は悪いですが「人の使い方が抜群にうまい人」が優秀だと私は思います。番組のプロデューサーは自分で映像を撮ったり編集したりする訳ではないので、そういう技術を持った人たちにいかにやりたいことを伝え、動いてもらうかというのがとても重要でした。 ただ、自分よりできる人に率直に意見を言って、満足いくアウトプットが出るまで何度もやり直してもらうのってとても申し訳ないし、気を遣います。 それを嫌な感じに聞こえないように配慮して、「この人(このプロデューサー)のためだったらもう一回頑張ろう」と思ってもらえる力がある人が優秀なのだと思います。相手に敬意を示すことを忘れず、自分のやるべきことはきちんとやった上で、言うべきことを言う。そういう「バランスの天才」のような上司がいたので、今もお手本にしています。 嫌いにはならなかったんですか? 正直、全力でアウトプットを出すよう向き合わされるので大変でした。でも嫌いになりきれないんですよ。 ヒット作を生むために正しいことを言う人でしたし、その人自身も全力で向き合っていたので。他の人が遠慮したり手を抜いたりするところで絶対にそうせず、結果を出すために何でもやる人だったので、みんなが何とかやらなきゃ!という気持ちになるんだと思います。 転職のモチベーションは「不安」 Sさん:転職してモチベーションが下がった理由はありますか? 前職から全く違う広告業界に転職したので、自分の知見や技術がまだない中で、成果を出した、役に立ったという実感がまだ得られる状況ではないからだと思います。 転職のモチベーションは何でしたか。次で何かやってやろう、もしくは不安、どんな感じですか。 当時やっていた仕事と違う技能も身につけなきゃ、もう少し違うことができるようになった方がいいのではないか、という不安と、新しい業界への好奇心という感じだったと思います。 『働き女子』という言葉への疑問   Kさん:世の中で輝いている女性ほど、女性差別などの社会問題に着目するイメージがあります。自分は男性という性で生きてきて、気づいていないところがたくさんあるんだろうなと思います。着目するきっかけが何かあったんでしょうか。 女の人は働いているだけでいわゆる「働き女子」「キャリアウーマン」みたいに言われます。「働き男子」とは言われないのに。ということは基本的にこの社会は「男性が構成している場所にに女性が入ってきたから、“女性のポスト”を用意してあげている」という前提になっているんだなと社会に出てから気づきました。 このような空気感は、仕事を頑張れば頑張るほど、どんどん日常的に感じるようになるもので、仕事を得て働いている女性にとってはよくある話です。「それを乗り越えてこそ」と思う人もいれば、気にしないようにしている人、「私は黙らないぞ、文句を言っていくぞ」となる人もいて、考え方は分かれると思いますが、興味を持たざるを得なくなっていくのは多くの人に共通すると思います。私も、「これ私が男性だったら言われなかったのかな」と思う小言とか、悔しいことも色んな場面でありました。そのような小さな積み重ねがあって、ちゃんと嫌なことや理不尽なことは言っていかないといけないと思うようになったのだと思います。 社会問題に興味があるなら飛び込むのもあり Sさん:新卒の学生で「自分は社会問題に興味がある。でも新卒でそういう仕事をしている業界に飛び込むのはちょっと怖いから、一旦、広告業界やメディアなどのコンテンツを作る会社に入って、発信する力をつけてから、社会問題に直接対峙するような事業を自分で作るなり、そのような事業をやっている会社に入るなりすることを考えているんです。」という相談がよくあります。月岡さんは、学生時代から社会問題とかソーシャル活動に興味があったんですか? 大学時代は田舎から出てきたばかりだったので、一旦興味があることを何でもやってみていた段階でした。フリーペーパーを作ったり、テレビ局で働いたり、バイトで着ぐるみを着たり、本当に色々なことをして面白かったです。そして社会人になって、世の中には自分の知らない世界があるんだなということをさらに知って…社会のことに関して目を向けられるようになったのはその後くらいでした。 私は、せっかく興味を持てることがあるんだったら、そこで色々やってみたり発信してみたりしてもいいのではと思いますけどね。一旦、広告やメディアに行く、という人が多いんですね。 Sさん:そういう学生が多い気がします。広告業界で仕事をしながら、副業でライターとして記事を書く仕事をするっていう人も結構います。そういうキャリアもありかなとは思いますね。 私は自分が何に向いていて何ができて、どれくらい働くと限界で、どのくらい働くのがちょうどよく楽しいのかが、ようやく最近わかり始めたところなんですよね。最初からバチっとハマる仕事や完璧な状態を目指してしまうと、何を選ぶのが正しいのかよくわからなくなるのではとも感じます。一度、興味のあることをとことんやってみたらいいんじゃないでしょうか。 倒れる前に、ご自愛する戦い方を見つけることは可能? 20代は男女問わず、スターマリオのように「寝なくても仕事できるわ!」という状態になって、突然倒れてしまうというようなことをよく聞きます。月岡さんの言葉で言う『ご自愛しない戦い方(無茶)』をしてしまう若者は多いですよね。一度、倒れないとわからないものなんでしょうか。それとも、そうなる前に立ち止まって、ご自愛する戦い方(無茶をしない方法)を見つけることが可能なのか、月岡さんはどちらだと思いますか。 スターマリオ状態になっているときは冷静ではないので、一度倒れるというようなショック療法的な出来事がないとなかなか自分を客観視できないのかもしれません。ただ、私は早めに休んで復帰できたので幸運でしたが、倒れたことをきっかけに心身を壊してしまって、前のような働き方ができなくなってしまう人もたくさんいるので、絶対にオススメはしたくないですね。そういう辛さを味わう人が少しでも減った方がいいなと思います。 ではどうするかというと、「ビジネスマンもある意味アスリートの一種」という考え方がもっと定着するといいなと思っています。アスリートの喜びは、勝負に勝つこと、新記録を出すことです。これが仕事だと、成果を出す、プレゼンを通す、などです。アスリートは練習が終わったらストレッチをしますし、当たり前に適度な休みをとりますよね。もちろん食事や睡眠の管理も。それらができてこそ一流だと言われます。そういった考えが定着しているので、オリンピック選手が試合の前日に、深夜までものすごい量の走り込みをするなんてことは絶対ありません。アスリートと全く同じとまではいかないにしても体が資本であることには変わりないので、ビジネスマンにもそういう価値観が広まると、スターマリオ状態になる人は減るし、そういう人を「頑張っている」とみなすこともなくなるのかなと思います。世の中の常識や空気感が変わるのが一番いいですね。 しかし、すぐに世の中は変わらないので、私のように一回倒れて生還した者が「こうなったら大変だぞ」ということを伝えるのは大事かなとも思っています。とはいえ働きたい人にとっては休むことが逆にストレスに感じてしまうこともあります。世の中の役に立てていない、自分のスキルを向上できていないというストレスが出てくるのです。私もそういうタイプなので、休む、寝るなどの『守りのご自愛』と、時間内に効率的に仕事を終わらせる、自分の知識を増やすためにスクールに行く、などの『攻めのご自愛』が必要で、その両輪で回していけるのがかっこいい大人なのかなと最近思っています。 いいですね、『両輪のご自愛』。 どちらかだけだとダメで、バランス調整をその都度自分と相談しながらきちんとできる人が、「仕事のできるビジネスマン」なのかなと思います。 小さなアクションが自分の感覚も変える   Kさん:社会問題にあまり興味がありません。僕一人が頑張ったところで解決するのか、という疑問があり、あんまり興味がわかないのです。周りを巻き込んで色々な活動をするとか、どのような結果になれば、頑張ってよかったなと思えるのでしょうか。 私は一人旅が好きなのですが、先日千葉の房総を一人で旅行しました。房総を選んだのは、台風で大変な被害を受けて旅館のキャンセルが相次いでしまい、経営に困っているという話を聞いていたからです。どうせ好きな一人旅に行くんだったら、そのように助けが必要なところを選ぶことで世の中にもいいことがあるし、自分も楽しい旅行ができるし、双方にとっていいんじゃないかな、と思います。なかなかいいアイデアなのでこれからも一人旅をする際にできる範囲で続けたいと考えています。 旅行先一つ選ぶのも、自分が何を応援したいのか、小さな一歩でもよりよい社会に近づくかどうか、というのを考えて選んだら、なんとなく社会に積極的に関わっている気持ちになります。自分一人が何かをやったところですぐに世の中は変わりませんが、自分が納得いく選択をしたという事実があれば、人生に対してより誠実でいられるのではないでしょうか。災害や世の中の様々な不条理に直面したときに、webの署名をする、少しだけ募金をする、といった小さなことを積み重ねていくと、自分が何を大事にする人間で、どういう世の中になってほしいのかがクリアになっていきますし、世の中と関わりながら生きているんだなという感覚になってきます。それが社会と関わって生きていくことなのかなと感じています。 Kさんも苦しくない範囲でちょっとずつアクションを起こしてみると世の中の見え方も変わってくるのかもしれません。あくまで自分が楽しくやれる範囲からで良いと思います。 長い人生、失敗してもなんとかなる では、最後に読者の皆さんに伝えたいことなどがあれば、お願いします。 社会人4年目にしては色々経験して、自分のちょうどいい働き方がようやくわかってきました。仕事はやってみないとわからない、会社には入ってみないとわからない、そんなことだらけです。キャリアに関する本を読んでも役に立たないこともあります。何回失敗しても大抵なんとかなりますし、色々悩みながら模索する人を微力ながら応援したいと思っています。 「人生100年時代」とか「老後までに2000万円貯めなきゃいけない」とか言われているので、幸か不幸か社会人人生もどんどん長くなっていますし、最初の数年で色々あってもへこたれずに、休み休み自分にあった方法を探していきたいですよね。私と似たような境遇の人もたくさんいるでしょうから、記事を書いたりこうやってお話をしたりして、働きやすい社会作りの端っこの方を担えたらいいなと思います。

一度失ったからこそ「信頼」を大切にする ー 信頼研究家・北村勇気の目指す社会

信頼のベーシックインカムを作りたい ー そう話すのは、信頼の研究をしているというエール株式会社の北村勇気さん。 北村さんは、学生時代に茶道家として活躍したのち、株式会社ビズリーチとエール株式会社の創業期に参画。現在はオンラインコーチングサービス「YeLL」のマーケティングを担当されています。 茶道家として活躍する一方で、人間不信に陥っていたという学生時代。そこから「信頼」を取り戻すまで、どんなことがあったのか。また、どんな想いが北村さんを支えているのか。マーケティングのお話から苦労の乗り越え方まで、幅広くお話を伺いました。   茶道家×和空間デザインの仕事で稼ぐ学生時代 ー まず、学生時代からの略歴を教えてください。 学生時代は、青山学院大学に通いながら20歳から2~3年ほど茶道家として活動していました。物心がつく頃から、茶道と華道をずっとやっていたんです。それで、学生時代はいろんな人に茶道を教えたり、空間デザインに取り組んでいたりしていました。 大学を卒業したら茶道家として生きていこうと思っていたので、あまり就活というものを考えていませんでした。そんな中で、たまたまビズリーチの代表である南さんに会うタイミングがあって、2014年4月に新卒でビズリーチに入社することに。 ビズリーチにいたのは半年くらいで、その翌月からは、エール株式会社の前身となる会社に入社しました。その会社の立ち上げから携わり、それ以降は事業開発・マーケティングを中心に担当しています。 ー そもそも茶道にのめり込んだきっかけは何だったんですか? 大学で茶道部に入ったことですかね。茶道はもともと自分でやっていたので、大学で部活に入る気はなかったんです。だけど、たまたま茶道部に声をかけられて。とてもいい師匠に巡り会えたことからさらに茶道が楽しくなり、それからほぼ週7で茶道をやるようになりました。 茶道って、人によって解釈や語る歴史も違うし、昔やっていた流派と部活での流派も違っていたので、その違いを認識したからこそ、面白さと奥深さを感じられたんです。 ー 学生時代から茶道家として生計を立てていたそうですね。 学費を稼いでいた、という感じです。茶道教室みたいな形で、生徒さんに月謝をもらうというのが基本スタイルで、途中からは駄菓子屋さんとコラボして新しい商品を作ったり、百貨店の和に関する催事でフロア全体の空間デザインをやったりしていました。 ー どうやって茶道教室に生徒さんを集めたんですか? 最初は周りの友達に声をかけていったんですが、みんな学生でお金がなくて、1回のイベントで出せるのは2,000円くらいが精一杯。これじゃ難しいなと思ったので、和菓子さんとコラボしてワークショップなどを始めたんですよ。そうしたら私の知り合いじゃないところから、大人の人たちが来るようになって。 「日曜の朝に表参道で茶道やるのめっちゃいい!」といった感じの口コミで広がっていったんです。茶道はもともと日本の文化の1つですが、もはや日常とかけ離れているので、日本人であっても異文化のような感覚で捉える人が最近は特に多いんですね。多かったのは、20~30代の女性。主に社会人の方でした。多いときは20人くらいの生徒さんがいましたね。 ー 今でいうイベントマーケティングですね。だけど、学生が大人の方々に教えるっていうのは心理的なハードルも高いと思うし、ずっと通い続けてもらったり口コミで広げてもらったりするのは大変だと思うのですが。 もともと私自身、1対1〜3くらいの少人数で話して良い関係を築くことが得意だし、好きだったんです。茶道は少人数と接する場合が多いので、自然とみなさんと仲良くなれたんだと思います。逆に、大人数相手だと難しかったでしょうね。 ー 空間デザインのお仕事をするきっかけは何だったんでしょう? 「和空間」というものが小さい頃から大好きだったんですよね。秋田で日本建築を生業にする家に生まれたため、古い建物や空間をつくる現場をたくさん見て手伝ったりしていたんです。それが影響していると思います。 茶道では、和室の中に掛け軸お花など色々なものがあって一つの空間を成すんですけど、どうやったらもっと心地良い空間になるんだろう?ということを考えるのも好きでした。そうしたらあるとき、「そんなに好きだったら、畳の空間じゃなくてもできるんじゃない?うちのお店やってみない?」と言われたのがきっかけで、空間デザインのお仕事も始めることになったんです。   なりたい自分像を思い描き、ビズリーチへ入社 ー茶道教室や空間デザインのお仕事ですでに稼げていたと思うんですが、そんな中でビズリーチに就職された北村さん。そこまで方向性を変えたビズリーチの南さんとは、どのように出会ったんですか? 茶道以外にも、「働く目的について語り合う」というキャリア系の社団法人もやっていたんですよ。そのイベントでビズリーチの新卒採用の方と知り合って、後日、オフィスに遊びに行くことに。本当に遊びに行く感覚で、茶道帰りに着物で行ったんです(笑)だけど行ったら突然、代表の南さんと会うことになって、「茶道で食ってるやつ初めて見た。面白い!」と言われ、気がついたら採用されていました。 ー 茶道で生きて行くと考えていた中、その出会いで生きる道をピボットしたわけですね。なにか惹きつけるものがあったんでしょうか。 採用が決まってから、自分でいろいろと振り返りながら考えました。ビズリーチがいいなと思った理由は2つあって、ひとつは南さんの人柄です。人を惹きつける力がすごい。そんな力を持つ人は数多く存在すると思いますが、もうその力が圧倒的だったんですね。純粋に憧れました。そしてもうひとつは、茶道の家元の人間ではない自分が茶道をやり続けることに対して疑問を持っていたからです。 いわゆる家元のような昔から続く家の人たち、そしてその世界が好きで好きで仕方なくて芸を磨き続けるような方が、世界に対して発信できて広がっていくというほうがいい、と少し前から思っていたんです。自分より、広げる適任者がいるよなと。 だったらそういう人たちをサポートできる側の人間になったほうが、より茶道の世界を大きくできるんじゃないかな、と。アーティスト側ではなく、ビジネス側に回った方がいいかもしれない、と思ったのが大きな理由ですね。 他にも幅広くいくつかの企業から内定をもらっていたんですが、どこも新卒はまず地方営業から始まって、東京に戻るのが5~8年後だと聞いたんです。「茶道の世界を大きくしたい。でも、衰退するこの世界のことを考えると猶予も少ない」と思っている自分にとって、その期間は長すぎると感じたので、なりたい自分の姿を考えた結果、ビズリーチに入社を決めました。 ー そんな出会いがあったビズリーチを、入社半年で辞めた理由とは? どんどん環境が変わってしまったからです。誘われたときは数十人規模の企業だったんですが、入社したタイミングでは200人、辞める頃には400人くらいにまで成長。もともと、事業を大きくするというところを経験しながら、自分でもできるようになりたいと思っていたんです。でも、この規模だと自分がそっち側に行くのは時間がかかりそうだなと思いました。 そんなときに、今の会社(エール株式会社)の創業社長から「一人で会社をやり始めているところだから一緒にやらないか」と誘われたんです。 ー 創業社長から誘われて、そちらへ移ったわけですね。なぜ北村さんに白羽の矢が立ったんでしょう? 私が19歳のときに初めてエールの創業社長に会って、一緒に社団法人を立ち上げ、組織を大きくするというプロセスを共にしていました。その信頼関係があり、そして彼と同じような信念があったからじゃないかな、と思っています。   強い想いがあったから踏ん張れたスタートアップ創業期 ー 北村さん自身、スタートアップに飛び込むのは大変じゃなかったですか? しんどかったですね。最初は創業代表CEOとCTO、私の3人でやっていたんですが、私以外の2人は2016~2017年の間に辞めて、もういないんです。ほぼ総入れ替えですね。創業メンバーだと、私だけが残ったという状態でした。 ー そんな状況で、どうやって踏ん張っていったんですか? ビズリーチをすぐに辞めてしまったことが、エールを続ける覚悟に繋がっていました。辞めたのはもちろん考えてのことですが、自分の弱さも大きかった。好きな道を見つけたからといって、すぐにその職場を去るという判断をしたのは、人間として未熟だったなと。 会社という枠の中で愚直にやり続けるという道もあったにも関わらず、そこで辞める決断をしたのは、会社の皆さんへの誠実さに欠けていましたね。思い返すと。ベンチャーが新卒を採用するなんて、リスクだし投資じゃないですか。それを裏切ってしまったことにとても申し訳ないと思うと共に、だからこそせめて違う場所でも死に物狂いで社会に貢献しないとな、と思っていました。 そうしないと自分を仲間に入れてくれたビズリーチの皆さんの目を見ることができない。辞めたけど、「こうして誰かのためになる事業を作り続けている」ということが、せめてもの恩返しになると考えていました。 また、その上でエールは「信頼が循環する社会を作りたい」という想いがあってやっていたことなので、「しんどいけど本当に尽き果てるまで続けたい」という気持ちがあって踏ん張れたんだと思います。 ー 人ではなくミッションにコミットしていたからこそ、辞めずに続けられたということですね。エールの創業から5年経った今、北村さんの役割はどのようなものでしょうか? 基本的には、マーケティングと法務の統括をしています。たとえば、サポーターって今はだいたい400人くらいが世界中にいて、来年2000人に増える予定なんです。その母集団形成、そして採用や教育スキームをつくるというのはもちろんのこと、彼ら彼女らが楽しく自己実現に繋がる形でやるためにはどうしたらいいか……といったことを考えています。「働く楽しさがつながる世界」とビジョンを定義していますが、そのためには「どんな人にでも信頼が担保される社会をつくる」というのが大事だと思っているんですよね。その信頼を提供するのが、サポーターなんです。 エール株式会社とは 大企業や急成長ベンチャー企業に、クラウドコーチングサービス「YeLL」を提供。膨大な性格/会話データを元にAIで算出した最適な相性のサポーターが、1対1の会話を通して社員の強みや価値観を引き出し自己理解と行動変容を生み出す。また、そのデータから組織への最適なフィードバックを実施。サポーター登録者は世界中で400名を越える国内最大手企業。 https://www.yell4u.jp/ ー 海外だと一人ひとりに社外のメンターやコーチがつく、というのは当然の文化としてあると思うんですけど、日本には今まで全然なかった文化ですよね。 事業を始めた2015年頃は、たしかにそのような文化は全くなかったです。人事施策として最近よく行われている「1on1」も、2017年くらいから出始めました。コーチングやカウンセリングといった言葉も、数年前と比べたらたくさん聞くようになりましたよね。テクノロジーが発展するのと同時に、一対一の言語コミュニケーションや人間関係、そして幸福などの感情が大切だと言われるようになるのは嬉しい限りです。   「信頼を増やしたい」北村さんが大切にしている軸 ー お話を伺っていると、人に声をかけられて身構えることなくチャレンジした結果、いろいろなチャンスを引き寄せてこられたのかなと感じます。北村さんは行動されるとき、どんなことを大切にされているんでしょう? 私が根本的に大事にしているのが、「絶対的な信頼」です。信頼してくれる人がいる、頼る頼られるっている関係性が成立しているのが大事だなと思っています。 17歳のとき、関東圏の中高生が集まる学生団体の幹部をやっていました。だけどあるとき、他の幹部との意見のズレでクビになって一気に200人くらいの友達を失うことがあったんです。それがけっこう辛くて。大学生になってからも、「誰かに好かれたい」「信じて欲しい」と思いつつ、人間不信になってしまっている自分がいました。 ー その人間不信は今も続いているんですか? いえ、21歳の時に転換期があったんです。大学でいつも自分を遊びに誘ってくれたり話しかけてくれたりする同級生がいたんですよ。その同級生と飲みに行ったときに過去の話をして、「正直、人のこと信頼してないんだ。お前のことも信頼していない」って言ったんですよ。 そうしたら、彼は「別にそう思われるのはどうでもいいんだけど、過去のことだし、俺は俺でお前のこと信頼してるからそれでいいんじゃない。友達でいようよ」と言ってくれて。それを聞いた瞬間、大号泣したのを覚えていますね。その時に初めて信頼されてるという実感があって、救われたんです。そこから、誰かのために何かやろう、好きなことをやろうと思えるようになりました。 自分は、たまたま運良く信頼してくれる人がいたから救われた。でも「運が悪くて信頼してくれる人がいないという人もたくさんいるだろうな」とも思ったんです。だから、私が感じたような信頼がもっと増えていったらいいなと、そう思っています。 ー そのご友人のように、(自分を)信頼してくれたと思ったから信頼できるものなのか、自ら主体的に信頼を人に振り向けられるようになったのか、どちらでしょう? 最初は信頼を受けなきゃ返せないっていう人間だったと思います。ただ、この数年で改めて思ったのは、「されたからする」ではなく、どんな状態でも「自分からする」というのが大事だなということ。 見返りなんて考えず、信頼したい人や応援したい人に対して自ら目を向けGIVEすることが大事だなと思っています。でもそれは、おそらく自分に余白がないと難しいんですよね。人の状態によって、受けられたり受けられなかったりする。最低限の担保が難しい。だからこそ、必要な人に最低限の信頼を届けられるインフラを作りたいです。 ー 信頼されたいなら自分から、ということですね。そういう経緯があって、今のエールの事業につながっているわけですね。 今いろんな企業の中で、コミュニケーション不全がたくさん起きていると思うんです。「1on1」という言葉をよく耳にしますけど、それが上手くいくのは相当難しいです。上司というのは、コミュニケーションの専門家ではありませんから。 マネジメントには、業務やチームの生産性をあげるものと、チームメンバーのフォローをするような人間的マネジメントの2つがあると思っていて。後者は、やったことがない人、得意でない人が多いんです。そこで、「人間的マネジメントは外部に任せ、上司の皆さんは生産性向上に力を注いでくださいね、そんなマネジメントの役割分担をしましょう」」というのがエールの思想としてあります。 我々がやっているのは、社員の方一人ひとりに対して、外部のメンターをつけるというサービスです。どんな人にでも絶対的な信頼を届ける、という体制をエール側で構成すること。それを事業としてやっています。 ーこれから北村さんがやっていきたいことはありますか? 「信頼のベーシックインカム」のような社会インフラ作り続けたいなと思っています。どんな人にでも信頼が担保されている状態を構築する、ということですね。エールもその手段のひとつであるし、他にも私は伝統文化アーティストコミュニティを運営しているのですが、それもまた手段のひとつ。また、他にも自分には研究者的な側面もあるので、論文を書き発表するというのも取り組み続けたいことのひとつです。 信頼って、きっともっと幸福感と楽しさを感じ、自分なりに新たな挑戦をしていくきっかけになると思うんです。そういう新たな挑戦が増えれば増えるほど、さらに世の中に良い考えやサービスがつくられ広がっていく。それがまた誰かの信頼に繋がる。それが幸福感や楽しさに繋がる。そんな循環を、生み出していきたいですね。   (取材:西村創一朗、写真:山崎貴大、文:山本恭子、デザイン:矢野拓実)

ハードルの低いスポーツ「散歩」を通して人々の暮らしにアプローチする。お散歩コミュニティあるっこ代表、並木有咲

外出自粛の中、お散歩に出かけることが増えている人も多いのではないでしょうか。今日はお散歩コミュニティあるっこ代表の並木有咲さんにお話を伺いました。 現在、就職活動中でもある大学生の並木さん。彼女がお散歩というスポーツにたどり着いた理由と現在運営されているお散歩イベントについてお話いただきました。また、彼女がおすすめする一人散歩の楽しみ方も伺いましたのでぜひ参考にしてみてください! いつもと違う視点で歩くと散歩が楽しくなる ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。 武蔵野大学4年の並木有咲です。大学では心理学を勉強しています。昨年、お散歩コミュニティあるっこを立ち上げ、代表を務めています。 ーお散歩コミュニティあるっことは、どんなコミュニティなんですか。 簡単にいってしまうと「ブラタモリ」です。街探検をしたりするなど歩くことを目的としたイベントを定期的に行っています。参加者層としては主に20代〜30代が中心です。運動をしたいけれどなかなか続かない人に、歩くというハードルの低い運動を日常的に取り入れてもらえたらと思いはじめました。 ー現在はコロナによる影響で、みんなで集まって散歩することが難しい状況ですね。 そうですね。大人数での散歩は難しい状況ですが、外出自粛の運動不足から散歩の需要は高まっていると感じています。あるっこはFacebookグループのコミュニティがメインですが、このコロナ期間はTwitterを活用してお散歩の方法などを発信しています。 ー例えばどのようなことを発信されているんですか? 近所を毎回同じルートを散歩しているだけでは飽きてしまうと思います。なので標識を散歩中に見つける・春のお花を見つけるなどのテーマ設定をした散歩を提案しています。いつもとは違うところをみながら一人散歩を楽しんでもらえたらと思います。 スポーツを通して暮らしを豊かにしたい ーそもそも、並木さんがお散歩コミュニティを立ち上げたきっかけが気になります。小さい頃からお散歩好きだった、とかですか? 散歩が好きというよりかは小さい頃からスポーツっ子で、家にいると外で遊んできなさいと言われるような家庭に育ちました。それがきっかけでスポーツの魅力を広めたいなと思うと同時に、スポーツを通して人の暮らしを豊かにしたいなと思うようになりました。 スポーツは心理的にも身体的にポジティブな影響を与えてくれますが、スポーツに抵抗を感じる人も多くいます。そこで1番ハードルが低く誰でも取り組めるスポーツと思いついたのが散歩でした。 私自身、ランニングも好きで駅伝部に入っていますが、ランニングは服を着替えて、準備体操をして、よしやるぞ!と思ってやるものです。それに比べて散歩は気軽にはじめられます。普段運動をしていない人に運動の魅力を感じてもらうのには散歩が1番かなと。 ーなるほど。スポーツを通して人の暮らしを豊かにしたいと思ったきっかけはなんだったんですか? 大学受験まで話は遡ってしまうのですが、私の人生最初の挫折は受験に失敗したことでした。当時の私は良い大学にいくことが大事と思っており、なんとなく面白そうで行きたいと思っていた大学はあったんですが、結果は不合格。家庭の事情で浪人はできなかったので、武蔵野大学に通いはじめた当初は仮面浪人をしていました。 ー仮面浪人ですか? はい(笑)バレないように受験に失敗した日から5月くらいまでは来年の受験に備えて赤本を解いて勉強していました。 ーですが結局受験はしなかったんですよね。 武蔵野大学のプログラムで6月頃に1ヶ月間、鳥取に行ったことがきっかけで仮面浪人は卒業しました。 鳥取での生活がきっかけで仮面浪人生活に終止符 ー鳥取ではどのようなことをされたんですか? 自分の興味はスポーツだったんですが、スポーツに関連したプログラムがなかったため次に興味のあったメディア関連のプログラムでした。地方のテレビの番組制作をするプログラムで東京の学生からみた鳥取県を紹介する番組を作りました。また、一軒家に初めましての12人との共同生活も経験しました。 ーそれは所謂テラスハウスですね(笑)そこでの生活で何か変化が? 良い大学に行くことが全てではないんだと鳥取で教えてもらいました。「俺はワカメをとるために生まれてきたんだー!」という人やこの街の魅力を観光プロデューサーとして伝えたいという熱い思いを持っている人を見て、自分が今置かれている環境で自分らしく活動することが大事だと気づいたんです。 当時は鳥取から帰ったら大学をやめてやるくらいに思っていましたが、鳥取での出会いがきっかけで、自分が今やるべきことは受験勉強じゃないなと思いました。 ーそれから東京に戻り、どのような学生生活を送られたんですか? 鳥取に行って、日本のことを私はまだまだ知らないと感じたので一人旅に出かけました。スポーツを使った町おこしなどをしている地域やスポーツが馴染んでいる町を訪れたり、Facebookで見つけた地域おこし隊の人にアポをとって会いに行ったり。 地域の方々がスポンサーとなり、地域の人たちに応援してもらって活躍するアスリートさんがいることを知り、スポーツを通して町が元気になること・スポーツが持つ力がすごいことを再認識できた旅となりました。 ースポーツが持つ力を生かして何かしたいとそこから思うようになったんですね。 一人旅を通して、私はスポーツツーリズムに興味があるかもしないと思いました。そこで昔よく遊びに行っていた江ノ島とスポーツツーリズムをかけあわせれないかと思いました。そこで企画したのが、お散歩をするイベント、エノウォークでした。 満を持してお散歩コミュニティを立ち上げ ーそこから今のお散歩コミュニティを立ち上げられたんですか。 その時はまだまだ企画や組織運営の勉強をしたいと思い、まずは地域創造型スポーツクラブという町密着型のスポーツクラブでインターンをさせてもらうことにしました。 インターン先ではマーケティングや広報活動を中心に、運動する場をどう地域に浸透させていくかを常に考えていました。ビジネススキルが分からない状態だったので、ペルソナを考えるといったお客さんを知る大切さを知れました。それが今のコミュニティ立ち上げにも生かされています。 その後そろそろ何かアクションを起こしたいと思い出しました。それがちょうど今から1年くらい前ですが、初めはお散歩コミュニティではなくランニングステーションの散歩バージョンを作ろうと考えていました。でもその話が頓挫してしまい、場所を持つとコストがかかることから他の選択肢を考えた時にエノウォークの組織化を思いつきました。 ーそんなあるっこももうすぐ1周年ですがこれまでで印象に残っているイベントはありますか? どのイベントも楽しかったですが、1番自分が届けたい価値観を届けられたのはアメフト協会の方とコラボしたイベントです。街を歩いた後にアメフト観戦をしに行くイベントだったのですが、散歩という身近なスポーツからアメフトという普段あまり知ることのできないスポーツにつなげられたのがうれしかったです。 参加者の方がアメフトを知らない方ばかりだったので、試合時間が長くて飽きたりしないかと心配していましたが、事前にアメフトのルール解説をしてもらったりすることができ、とても満足度の高いイベントになりました。 ー他にもコラボイベントを積極的に行われているんですか? コミュニティカフェに協力いただき休憩スポットを作ってもらったり、街を誰かに案内してもらったりしています。お散歩しておしまいではなくて新しい人や物、事に出会うきっかけづくりを意識して企画しています。 ー楽しそうですね。コミュニティ運営に置いて意識していることはありますか? コミュニケーションは特に大事にしています。これは中学の頃の経験から常日頃意識していることです。中学の時、所属していたテニス部の部活改革を行った経験があります。全く練習をしないテニス部から、ある程度勝てる部活にまで改革することができたのですが、その時に気づいたら周りの意見を聞くのを忘れて一人で爆走していました。これは私の中で大きな反省点でした。 それ以来、私はやると決めたら周りのことを忘れて一人で暴走してしまう傾向が強いので、常に周りの人とコミュニケーションをとって意見を聞くことは意識しています。また参加者一人一人にも声をかけたり、メッセージをこまめにしたりするようにしています。 日本の幸福度アップに貢献したい ーコミュニティ運営に奔走する一方で、大学生活の方はいかがですか? 今まさに就活中です。2月まではビジネスコンテストに取り組んでいたので、そのまま起業するか、海外の参考事例を見るため休学も考えていました。が、留学は今の情勢的にしばらくは厳しそうなことと自分には思いはあるもののまだまだビジネスをやる力が不足していることからまずは就職をしようと決め就活しはじめました。 ーどのような企業を受けられているんですか? 積極的に子会社を立ち上げられていて新しいことを始めるのに寛大な会社を中心に就活しています。あるっこを運営する中で、私はスポーツの魅力を広めることよりも、関わっている人たちが自分らしくより幸せな暮らしを実現させたいと思うようになりました。なのでより豊かな暮らしを作るためのビジネスをしている会社で働きたいと思っています。 ー無事行きたい企業に決まると良いですね。最後に今後もしチャレンジしたいことなどがあればぜひ教えてください。 あるっこに関して言えば、今後もお散歩の魅力から暮らしに幸せを作るを形にしていけたらと思っています。就職後もあるっこの活動を続けつつ、社会にでてビジネスについて学んで行きたいです。まずは自分自身が社会の第一線で活躍できる人材になることが目標です。同時に社会にでて学んだことをあるっこの活動にも活かして行きたいと思っています。 就職先によってはこれからどうなるかまだまだ分かりませんが、今後どんな仕事に就くにしても今下がり続けている日本の幸福度をあげることに貢献していきたいです。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter)

「monopoに出会ったから日本にいる」ー 若きクリエイターが語るmonopoというコミュニティと夢

monopoについて 東京を拠点のグローバルクリエーティブエージェンシーとして、国内外の様々なブランドにサービスを展開。"A BRAND OF COLLECTIVE CREATIVITY”をビジョンに掲げ、ブランディング・広告・PRを中心に様々な領域において、個人が持つアイデアや創造性を共に発揮できるようなコミュニティ作りを目指している。 2019年、ロンドンに子会社monopo London.Ltdを設立。自社プロジェクト『poweredby.tokyo』では、東京の知られざる魅力を世界に発信中。 Clara Blanc -プロジェクトマネージャー 1994年、フランス生まれ。 大学在学中より、モデル・フォトグラファーとして活動しながら、ラグジュアリーブランドにて広告・ブランディングのプロジェクトマネージメントに従事。自身が運営するブログ「Parisienne in Tokyo」を通して、フランス人目線で日本カルチャーを発信している。2019年、monopoに入社。ファッション・ライフスタイルブランドのブランド戦略・広告企画の仕事を行なっている。 Sumie Newell -デザイナー / イラストレーター 1997年、日本生まれ。 日本とアメリカのハーフとして生まれ、幼少期から日米両方で生活する。 高校卒業後、カリフォルニアの大学を休学しながら18か国を周るバックパックを経験。 世界を渡り歩くなかで、様々なデザインインターンシップを通しスキルを磨き、日本に帰国。 2019年、monopoに入社。持ち前のアートスキルと多国籍な感覚を強みとして様々なブランドのアートディレクション・広告制作などに従事。 「tokyo creative agency」と検索すれば、最上位に出てくるのは、優秀なクリエイターが集まる「monopo」という日本企業。2019年10月、そこに入社された二人の20代女性がいます。 日本とアメリカで暮らした経験から、多様な価値観を強みとするデザイナーのSumieさん。そして、フランス人でありながら日本が大好きで、ブランディングやディレクションの経験もあるClaraさん。 今回はそんなU-29世代のお二人にお話を伺いました。様々な選択肢がある中で、なぜmonopoという会社を選んだのか。また、それまでにどんな人生を歩み、これからどんな未来を描いているのか。 お二人が語ってくれたのは、monopoという企業の素晴らしいカルチャーと、世界を見据えたワクワクするような熱い夢でした。   ここでなら夢が叶う。入社に迷いはなかった 西村創一朗(以下、西村):お二人がmonopoに入社されるまでの経歴を教えてください。まずは、Sumieさんからお願いします。 Sumie:私は日本生まれで、今年22歳になります。父がアメリカ人なので、10歳からアメリカに引っ越し、4年ほど住んでいました。高校は日本で卒業したものの、大学に行きたくなくて世界中を旅して回ることに。そこで自分の世界の狭さに気付かされました。 西村:その旅では何ヶ国くらい回ったんですか? Sumie:18ヶ国くらいを、バックパック一つで回りました。ルーマニアから始まって最後はタイで終わり、再び日本に帰ってきたんです。帰国後、インターンができる企業を探していて、monopoに出会いました。 西村:なるほど。では次は、Claraさんの経歴を教えてください。 Clara:フランス出身の25歳です。日本に滞在するのは今回が3回目。最初は2015年に交換留学で1年間滞在し、2017年には日本のファッションブランドでインターンをしていました。今回は1ヶ月前から日本に滞在していて、monopoに入社しました。 西村:お二人がmonopoを知るキッカケは何だったんでしょう? Sumie:東京でデザイン関係のインターンシップができる企業を探していたところ、monopoが運営しているpoweredby.tokyoにすっかり魅せられてしまって。「こういうものをインハウスプロジェクトとしてやっているエージェンシーって素敵だな」と思ったんです。実は、その時はまだmonopoがどういう企業なのかもよく知らないまま応募しました。 西村:poweredby.tokyoはもともと知っていたんですか? Sumie:いえ、知りませんでした。インターネットで「東京 クリエイティブエージェンシー」と検索して、monopoに辿り着いたんです。 西村:そうだったんですね。Claraさんはどうでした? Clara:私の場合は、友人とmonopo nightというイベントに参加したのがキッカケです。そこでmonopoの雰囲気を知って「すごい会社だなぁ」と。それからmonopoが今までに作った作品などを調べました。国際的な社風でありつつも日本の心を持っている企業だなと感じ、すごく私に合っていると思ったんです。 大学を卒業したら絶対日本に戻りたいと思っていましたし、私は広告を作るようなクリエイティブな仕事をしたかったので、monopoなら私の夢も叶うな、と。 西村:なるほど。Sumieさんは、いろんな選択肢がある中で偶然monopoに出会い、poweredby.tokyoに魅力を感じて……とのことでしたが、他にもたくさん選択肢がある中で悩むことはなかったんでしょうか? Sumie:私はあまり悩みませんでした。世界を旅していた際に思ったのは、多様性のある環境で働きたいということ。そしてmonopoの面接でみなさんと一緒にランチを食べたとき、いろんな国のいろんな人種の方々が集まっていて、みなさん自分の好きなことに没頭しているということが感じられたんです。そういう企業がmonopoしかなかったので、迷いはなかったですね。いつもバックパッカーのような素の自分でいられる職場を探そうと思っていたので。 西村:毎日がバックパッカー。 Sumie:そうです。実際、刺激はめちゃめちゃありますね。学ぶことも多いですし、楽しいです。父がアメリカ人であることや、アメリカで生活した経験もあったので、このような多国籍な企業を見つけられてすごく嬉しかった。 西村:ちなみにmonopoにはどんな国籍の方がいらっしゃるんですか? Sumie:フランス人が多いですね。あとは、南アフリカやカナダ、アメリカ、ドイツの人もいます。日本人が半分くらいいるのですが、グローバルな人が半数もいる企業って、日本ではなかなかないですよね。 西村:それはmonopoのいいところだと思いますね。ですが、アメリカに暮らしていた経験をお持ちなのに、日本で働こうと思った理由は何でしょうか? Sumie:monopoに出会えたからですね。実は、昔から日本に対して「閉ざされた国」というイメージを持っていました。だからこそ世界を旅しようと思ったわけですし。もしmonopoに出会っていなかったら、海外に引っ越して就職していたと思います(笑)こういう環境の会社ってあまりないので、貴重です。   monopoは「会社というよりコミュニティ」 西村:働く環境としてのmonopoはどうですか? Sumie:最高です。やっぱりクリエイティブなお仕事なので、残業もあるし忙しいんですが、忙しさも含めてやりがいがあるなと感じています。とはいえ、仕事中の9割くらいは楽しいと感じています(笑) 西村:いいですね。Claraさんはどうですか? Clara:私も最高です。フランスから見ると、日本の企業は休みが少ないなどけっこうハードな環境なんですが、monopoはそんなフランスの企業より優しいですね。日本でこういう会社があるなんて、信じられないくらい。 例えばフレックス制度があるので、みんながそれぞれ自分のリズムに合わせて仕事ができていいなと感じます。また、他の会社だと担当させてもらえる業務も一つに限られると思うのですが、monopoではやりたい仕事をいろいろとやらせてもらえるのもいいところです。 Sumie:他にも、業務時間内に日本人が英語の授業を受けることができたり、逆に英語しか喋れない人は日本語の授業を受けることができたりするんです。それも、会社の経費で。 西村:へえ、それはすごい。 Clara:monopoでは、「一緒に仕事をする」というより、「一緒にmonopo人(じん)を育てる」という雰囲気があって。仕事以外の自分のプロジェクトも周囲の人がサポートしてくれたり、すごくいい環境ですね。会社というよりはコミュニティといった感じです。 西村:Sumieさんもそのように感じますか? Sumie:はい。いい意味で厳しくないというか。自分で自分のペースを決めることができるんです。だからこそ自分で育つことができる、そういうコミュニティだと思います。 西村:どんな時にコミュニティだと感じていますか? Sumie:まず、みんな仲がいい!めちゃめちゃ話しやすいし、先輩後輩もあまり関係なく学べる感じです。ギクシャクせず、気軽に話しかけられる感じなのがとても大きい。日本の会社だとそういう雰囲気ってあまりないと思うんです。だからこそコミュニティだと感じます。 Clara:例えば周りの人の手が空いていないときでも、私が自分のプロジェクトで悩むポイントがあったら、その部分だけ手伝ってもらえたり、逆に他の人の困りごとがあれば私もそのお手伝いをする。コミュニティの中でのsolidarity(=結束、連携)がすごく強いんですよね。 Sumie:チームメイトって感じですね。 Clara:普段はみんな自分のペースで仕事をしているんですが、一緒に話せる時間もちゃんと決めてあります。合宿もあるんですよ。 西村:合宿があるんですね!どんな感じでしたか? Clara:3日間のうち一泊がキャンプだったんですが、ケータリングがあったりバーテンダーがいたりして驚きました(笑)私は入社前に参加させてもらったんですが、この合宿で入社前に社員の方々とすごく仲良くなれたので良かったです。monopoって最高だなと思いました。 西村:それは楽しそう! Clara:monopoの中のコミュニティが魅力的なだけでなく、monopoの周りのコミュニティがすごく広いのもいいところだと感じます。 Sumie:月に一度開催されているmonopo nightも、世界中のクリエイティブコミュニティをローカライズする、東京に集める、という意図があります。 Clara:monopoは日本の会社ですし、日本のことをすごく理解していて日本文化のいいところもたくさん取り入れられているんですが、海外に対する意識もちゃんとあって。日本と海外との言葉の壁を越えて繋ぐ「架け橋」としての役割を担っていると思います。   自分のやりたい仕事が入社1ヶ月で実現 西村:ここまでmonopoの環境やカルチャーについてお伺いしたんですが、お二人が今どんなお仕事をされているのか、お聞きしたいです。Sumieさんはデザイナーをされていると思うのですが。 Sumie:最近は、ある企業の新製品のキービジュアルを作ったり、ソーシャルコンテンツを作ったりしています。私はイラストレーターでもあるので、企画の絵コンテを描いて提案することもあります。 西村:素晴らしいですね。Claraさんはどういった仕事をされているんですか? Clara:基本的にはプロジェクトマネージャーなんですが、今はファッション企業のクリスマスのキャンペーンを作っています。 西村:作る、というのは? Clara:コンペのためのピッチコンセプトを考えて発表し、実際にそのコンセプトを実現させるところまでやっています。そのキャンペーンのコンペは、monopoのメンバーとチームを組んで勝つことができたので、これからカメラマンさんとも協力して撮影を進めていく予定です。 私はファッションやコスメに関する広告の仕事をやりたいとずっと思っていたので、入社して一ヶ月で、こうして自分がやりたい仕事を実現させることができて幸せです。 西村:普通、入社して一ヶ月って辛いことが多かったり仕事が大変だったり、また逆に研修ばかりで仕事を任せてもらえないということもあると思うんですけど、お二人ともすぐ戦力になっていて、しかも仕事を楽しまれていて、すごく素敵だなと感じます。 Clara:こういう仕事をしたくてmonopoを選んだわけですし、仕事にはしっかり責任を持ちたいと思っています!   「チャレンジ」と「成長」ー 20代の二人が抱く夢 西村:monopoとの出会いのお話の中で「私の夢」という言葉が出てきましたが、クララさんの夢はどういったものなんでしょう? Clara:私にとっては、チャレンジしているときが人生でいちばん楽しいんです。アーティストさんと一緒に働くようなお仕事も、インスピレーションがすごく湧くしモチベーションも高いんですけど、アートのためだけだと、私にとってのチャレンジがあまりないように感じてしまって。それよりは、商品やそのブランドをうまく見せるために、いかにアーティストさんの才能を上手く使うかという戦略を考えるほうが楽しいです。 だから、今はクリエイティブディレクターを目指しています。 西村:なるほど、それで今はプロジェクトマネージャーをされているんですね。Sumieさんはいかがですか? Sumie:私はそんなに野心が強いほうではないんですが、第一に考えているのは「幸せになりたい」ということなんです。 西村:それは大切なことですね。 Sumie:そして、好きな人たちと一緒に自分の好きなことをやり続けて、その中で成長していくということが私にとっての幸せだと思っているので、そういう環境を見つけることが私の夢ですね。   monopoと一緒に世界中で活躍するクリエイターへ 西村:最後に、今後なにかチャレンジしたいことがあれば教えてください。 Clara:monopoと一緒に大きいプロジェクトをしたいです。ルイ・ヴィトンなどの仕事をゲットして、日本のマーケットだけでなく、世界中の広告を作りたい。また、趣味で日本についてのブログを書いているので、そのブログを広めて海外の人たちに日本をもっと知ってほしいなと思っています。 西村:素敵ですね。Sumieさんはどうですか? Sumie:私は、monopoのセールスポイントをひとつ増やしたいと思っています。今のmonopoはデジタルエージェンシー、クリエイティブエージェンシーとしてアピールしていますが、私自身イラストが好きなこともあって、イラストもセールスポイントにしたいんです。 今はポートフォリオにもイラスト系の作品が全くないので、そこから改造していって、イラストの仕事も発注してもらえるような状態に変えていきたいですね。 西村:素晴らしい。Sumieさん自身がmonopoのセールスポイントになる、というわけですね。 Sumie:そうですね。私もまだあまりビジネスのことをわかっていない部分もありますけど、そこはmonopoで学べますし、今は自分をどんどん世界中に押し出していきたいと思っています。個人としても、monopoの一員としても。 monopoにアクセス (取材、写真:西村創一朗、文:ユキガオ、デザイン:矢野拓実)

「いい過程がいい成果を生む」ー 複業で月250万円稼ぐ國富竜也の成功の秘訣

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第27回目のゲストは、Webマーケティング会社にてWebメディアを運営されている國富 竜也(くにとみ・りゅうや)さんです。 新卒で銀行に就職するも、一年半で辞めてWebマーケティング会社へ転職。しかし、ハードな銀行員生活のかたわらで始めた複業が転職に活き、その転職先での学びを複業に活かすという好循環を生み出している國富さん。 「複業したいけど、どんな仕事をしたらいいか迷っている」「どうしたら毎日ワクワクしながら働けるかわからない」という方へ、國富さんご自身の経験を踏まえたアドバイスをいただきました。   長期インターンを経て、働く意味を見つけた ― 学生時代に長期インターンをされていたとのことですが、きっかけは何だったんでしょう? 小さい時から満員電車で生気のないサラリーマンを見てきて、「なぜ人生の大半を仕事というものに費やさなきゃいけないんだ」「なぜ働かなきゃいけないんだ」と、働く意味が見出せなかったんです。そこで、実際に自分で体験して意味を見つけようと思ったのが、長期インターンを探すきっかけでした。 ― なるほど、それでウォンテッドリー株式会社(以下、ウォンテッドリー)の長期インターンへ。この会社を選んだのはなぜですか? もともと、ウォンテッドリーのサイトでインターン先を探していたんですよ。その中で、たまたまウォンテッドリー自体の募集要項も見ていたら「シゴトでココロオドルひとをふやす」というビジョンが掲げられていて。それを本気で考えている人たちと一緒に働けば、何のために働くのか自分なりの答えが出せるかもしれない、と思い応募しました。 ― インターンでは、実際にどんな仕事をされたんですか? ウォンテッドリーのサービスを利用している法人顧客に対し、求人への応募数を増やすというインサイドセールスの仕事をしていました。ただ、すごく忙しかったし、自分に求められる価値も高くなっていったので、自主的に土日も仕事に関することをやるようにしていましたね。 ― 10ヶ月間インターンとして働いてみて、「何のために働くのか」という答えは出ましたか? 仕事って自分の義務だと思っていたんですが、人生の目的を達成するための手段として仕事を活かすべきなんだなということに気付けましたね。それまでは仕事=目的だと思っていたんですよ。 それに、二つの大きな学びを得ることもできました。一つ目は、「いい成果はいい過程を産む」ということ。結果は全て過程が生み出すもので、その過程に自分の本質的に好きなものがなければ仕事で心躍らせることは無理だし、いいパフォーマンスを出すこともできないんですよね。 二つ目は、「自由と自立のため」に仕事をするのだということ。とにかく自由に生きたいという人生の目的を達成するための手段として、仕事を活かすべきなんだと学ぶことができました。   ミスマッチに苦しみながらも複業のきっかけを得た銀行員時代 ― 大学生のときに長期インターンを経験した人は、卒業後もベンチャーに就職することが多いと思うのですが、國富さんが銀行への就職を選んだのはなぜですか? 自分の金融資産をプロ目線でコンサルティングできるようになりたかった、というのが大きな理由です。小さい頃から、お金に関するリテラシーを学ぶことが人生を左右するんじゃないかと漠然と思っていたんですよ。そこで、金融に関するあらゆる事を幅広く学ぶために、業務内容の幅が広い三井住友信託銀行に就職することにしました。 ― 実際に入社してみてどうでした? 人によって合う合わないもあると思いますが、かなりハードでした。通常勤務に加えて資格の勉強や飲み会、週末のボランティア活動など多忙で、金銭的な負担も大きかったんですよね。仕事を楽しめている人はほとんどいなかった気がします。同期400名のうち、恐らくですが、3年で3割くらいの人は辞めているかと思います。あくまで肌感ではありますが、辞めた人の話を同期から聞くとそんな感じですね。僕も1年半ほどで退職しましたし。 ― どんなタイミングで退職を決意したんでしょう? ブログという複業を見つけることができ、月5〜7万円くらいは稼げるようになっていたので「辞めても安心だな」と思えるタイミングでした。ブログは自分にとって好きだな、継続できるものだなと感じていて、ウォンテッドリーで学んだ「いい過程がいい成果を生む」という学びともマッチしているので結果も出せそうだと考えたんです。また、Webマーケティング会社に内定が出たタイミングでもありました。 ― 辞める前にいろいろと準備をされていたんですね。退職する少し前から複業を始めていたとのことですが、多忙な毎日の中でどうやって複業の時間を捻出したんですか? 最初は複業にあまり時間は割けなくて、ネットで調べて手探りで試していたという感じです。空いた時間で1ヶ月だけやってみる、ということを繰り返していました。はじめは複業にフルコミットしていませんでしたね。 ― 銀行で働く中で、複業をやろうと思うようになったきっかけは何かあったんでしょうか? 銀行員時代の経験を通して、「人生100年時代を生き抜くのはとても厳しい」ということをロジカルに学んだんです。人生100年生き抜くためには、最低でもおよそ2億円は必要になります。それに加えて自分のやりたいことや夢のために必要な金額を上乗せしていくと、もっともっとお金がかかる。税金や社会保険料もどんどん増えていくので2億どころじゃ済まなくなると思います。でも収入は逆に低くなっていく。 この事実を知って「これは月給25〜30万円どころじゃ生きられないな」という危機感を覚え、何とか稼がなきゃいけないと思ったのが複業を始めるきっかけでした。   人生の目的が明確だからこそワクワクして働ける ― 銀行を辞めたあとは、複業のブログを活かせるWebマーケティング会社に転職。まさに転職と複業の掛け算ですね。とはいえ、職務経歴書に書けるほどの複業の実績がない状態で内定がもらえるものなんでしょうか? 内定をもらえたのは、年齢が若かったこともあるかもしれませんが、複業でポートフォリオを作っていたのが良かったと思います。ブログ運営という実績があったので、ある程度の土台はあると評価してもらえました。 また、採用担当者に「業務とのミスマッチが起こらなそうだな」という判断材料を渡せたのが良かったかな、と。半年ほどブログを書いて月数万円稼げたという事実が、ブログが好きであることの根拠となりました。だから、大きな実績がなくても転職できたんだと思います。 ― 世の中にはいろいろなWebマーケティングの会社がありますが、その中でも今の会社を選んだのはどうしてだったんですか? 僕の人生の目的は「後悔しない人生を送りたい」というものなんですけど、この会社ならその目的を叶えるためのスキルを身につけられそうだなと思ったんです。 振り返ってみると、今まで後悔したのは、やりたくないことばかりしていたときだったんですよね。なので、後悔しないために「やりたくないことリスト」を作りました。じゃあそのリストを達成するために必要なスキルを洗い出してみると、ライティングスキルやWebマーケティングスキル、プログラミング、動画などのスキルだったんです。 それらのスキルを最も学べる会社、業界ってどこだろうと考えたとき、今の会社に行き着きました。ここにはGoogle出身者がたくさんいて、さらにマーケティングや広告運用に深く関わっていた人もいたので、その人たちと一緒に働けば、自分が求めているスキルを一番身につけられると考えたんです。 ― 「やりたくないことリスト」を考えるのは面白いですね。國富さんのリストには、具体的にどんなことが書かれているんですか? 例えば世界一周できない人生は嫌だ、満員電車に乗るのは嫌だ、自分で出社するペースを決められないのは嫌だ、場所に縛られる働き方は嫌だ……といったことを書いています。やりたいことももちろんありますが、やりたくないこともたくさんあるんですよね。 ― 人生の目的を決めるとき、先にやりたいことを決めるという考え方もありますが、その逆のアプローチもあるんですね。 地図を持った宝探しのイメージですね。宝は自分のやりたいことで、地図の一点にしか宝はない。 いきなりそれを探すよりは、やりたくないことを見つけていってバツ印をどんどん付けていくわけです。 やがてバツ印じゃない場所が小さくなって、自分が心からやりたいと思う選択肢しか地図に残らなくなるので、僕はそういう視点でやりたいことを見つけていきました。 ― なるほど、わかりやすい例えですね。今の会社に入社してからは、どんな業務を担当されているんですか? メディア運営です。この部署に配属させてほしいとしっかり伝えて配属してもらいましたし、複業で適正をチェックしていたので一切ミスマッチがなかったですね。毎日仕事に行くのが楽しみで、朝も早く起きれています。日曜日は、次の日が待ち遠しいくらいです。 ― 銀行員時代とは大違いですね。なぜ仕事がそこまで楽しいと思えるんでしょう? ひとつはなりたい自分を明確にしているからです。こういう人生にしたいと決めた瞬間に、全て逆算できるようになりましたね。目標やゴールを決めることで、熱中できる毎日を送れるんです。もうひとつは、好きなことをやってワクワクできていることかなと。この二つが日々ワクワクして生きていられる要因になっていると思います。   自分に合った複業探しのコツは、挑戦して好きかどうか確かめること ― 転職して1年が経ち、複業にも相当良いシナジーがあったんじゃないでしょうか。 本業全てが複業に活きていると思います。まずは会社で得た知識・スキルをそのまま複業に活かせていて、フリーランスとして働いていたら得られないようなものを、優秀な同僚から得られています。 また、本業を通して出会った人脈も活かせるんです。SNSに専門性を持っている人やエンジニアとして専門性を持っている人などいろんな専門家と繋がることができて、複業でお世話になるきっかけを作ることができました。 さらに、個人ブロガーだったら月10万PVくらいのWebサイト運営データしか手に入れられないところ、本業では月30〜100万PVのWebサイトを運営しているので、個人では入手できない規模のデータが得られるというのも大きいですね。 ― 1000人1000通りの複業がある中で、國富さんはブログを選んだわけですよね。自分に合った複業を見つけるための方法論はありますか? 一番大事なのは、とにかく色々なことに挑戦して色々な複業をやってみることですね。まず、複業の全体像を知ること。「複業やるならブログだ」と決めるのではなく、どんな複業があるのか範囲を広げてリストアップしてみるんです。 やりたいことって自分の知っている範囲からしか選べないので、まずはその範囲を広げるためにネットや人を通じて視野を広げること。次に、その中から興味があることをピックアップしてみる。そして最後は、とにかく挑戦してみる。この3つのステップが大事だと思います。 実際にやってみないと自分が好きかどうかわかりませんし、「いい過程がいい成果を生む」と思っているので、過程でミスマッチが起きていないか判断するためにもとにかく挑戦してみるんです。 ― まずはやってみて、ワクワク感や自分との相性を確かめてみるのは大事ですよね。自分のワクワクに気付くコツはあるんでしょうか? 僕の場合、気付けば毎日ブログを書けるようになっていて、一日中ブログを書いていることもあったんです。そのときに「自分はこれがすごく好きなんだ」とわかりました。そういう、日常が劇的に変わった瞬間を見逃さないことが大事ですね。 ― 國富さんが掲げる「後悔しない人生を送る」という人生の目的のために、チャレンジしたいと思っていることはありますか? 100個くらいあるんですが、まずは海外旅行に行きたいです。日本一周はしていたんですが海外旅行はなくて、次は世界中の全ての国に行こうと考えています。まず2020年中に4つ行きたい国があるので、それらは全部期限を決めているんです。あとは、複業で月700万円稼ぐことや親に仕送りするなど色々あります。 ― チャレンジに期限を決めているのは素晴らしいですね。最後に、U-29世代の人たちに伝えたいことはありますか? やはり、「いい過程がいい成果を生む」ということを伝えたいですね。本質的に好きなことが何かというのを明確に言語化して、その過程がある複業を選ぶことが重要だと思います。それが分かるまでは「どうしたら成果が出せるのか」といったことばかり求めていましたが、好きなことであれば全部後からついてくるんです。 仕事となると給与や条件をベースに探してしまいがちですが、僕は実際に好きだからこそ複業と合わせて月250万円稼げるようになったので、ぜひ「自分の本質的に好きなものを探す旅」に出てほしいなと思います。その旅でいろんなことに手を出して、いろんな事に挑戦してほしいですね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる ===== 取材:西村創一朗 写真:橋本岬 文:品田知美 編集:ユキガオ デザイン:矢野拓実

26歳でガイアックス 最年少事業部長。次はオランダへ。独自のキャリアをいく軸と視点とは。

今回お話を伺うのは、株式会社ガイアックスの管 大輔さん。26歳という若さで最年少事業部長になり、現在は世界の中でももっとも環境意識が進んでいる国の1つであるオランダでリモートワークスタイルで業務にあたっています。 一見すると、順調に思い通りのキャリアを積み重ねているように見える管さん。しかし、学生時代は優秀な同級生に劣等感を抱いていた、何者でもない1人の学生だったといいます。 そのような学生時代から26歳の若さで事業部長というポジションを獲得するまで、どのように何を考え、どのように過ごしていたのか。 過去から遡ってお話を伺っていくと、冷静に人と自分を比べながら着実にキャリアアップしていった管さんの姿と独自の仕事術 が浮かび上がってきました。   会社名に依存せず、情熱を持って働くベンチャーに惹かれた ー最年少事業部長。リモートワーク。管さんを語る上で多くのキーワードがあるかと思うんですが、まずはどのような学生だったのかが気になるところ。ご自身の就活中は、どのようなキャリアプランを描いていましたか? 管大輔(以下、管):最初は、商社や金融を見ていましたね。就活生の多くは「大手企業orベンチャー企業」という二択で考える人が多いと思うんですが、当時の僕もそうで。商社や金融、そして、大手企業への就職を考えていました。 加えて、学生時代は「会社の名前に頼らず、自分の名前で仕事が取れるようになりたい」「自分の名前を世間に知らせるためには、まずは社内で目立たないといけない」と考えていました。 ー「個の成長」を意識されていたということですね。でも、現在のイメージからはベンチャー志向が強い方だと感じていたので、大手企業への就職を目指していたというのは意外です。最終的には、ベンチャー企業に入社していますよね? 管:そうですね。ベンチャー企業を意識するようになったのは、僕が立命館大学から早稲田大学に編入したことがきっかけでした。 早稲田大学に通い始めると周りには優秀な同期がたくさんいて、みんな大手企業を志望し、その後実際に大手へ進む人も多かったんです。 「大企業には、こんな(優秀な)人たちがゴロゴロいるのか」 そう思うと、全く勝つ自信が湧かなかった…。 ーそこから、ベンチャー企業も意識されるようになったんですね。 管:はい。はじめはそのようなきっかけでベンチャーに興味を持ちました。ただ、実際に話を聞いてみないとわからないことも多いと思い、約60名の方にOB訪問したんです。大企業ベンチャー問わず、若手の社会人の方に直接お話を伺ったのですが、そこで確信しました。自分はベンチャー企業が合っている、と。キャリアの考え方や今取り組んでいる仕事の魅力など、語っていただいた内容もそうですが、何よりもその語り口調が素敵で。自分もこんな20代を過ごしたいなと強く思いました。 そのような姿を見て、「結局、働きがいは会社名、会社規模から作られるものではないんだな」と思い、ベンチャーへの就職を目指すようになりました。   優秀な人と働ける環境ではなく、自分が挑戦・成長できる環境へ ーその後、管さんがガイアックスに入社された経緯もお聞きしたいですね。当時は、他の企業にも内定を貰っていましたか? 管:はい、いただきました。もう1つ、同じくベンチャー企業から内定をいただいていました。 ーガイアックスへの入社を決めた理由は何でしたか? 管:事業部の数や部署あたりの社員数等を比較した際、ガイアックスの方が自分が関わることができるフィールドが広く、チャンスが多くありそうだと感じたところですね。ガイアックスの方が事業部の数が多く、部署あたりの人数も少なかったと思います。 加えて、一見するともう1社の方がすでに優秀な方が集まっていて、「これは勝てないな…」と感じたこともガイアックスを選んだ理由の1つです。 ー管さんは「優秀なこの人と一緒に働きたい!」と思うのではなく、「勝てないな」って見方だったんですね。優秀な人をみると、憧れたり教わりたいと思ったりする就活生が多いと思いますが。 管:先ほども触れましたが、就活をしていた時に僕が大切にしていたことは、「会社の名前に頼らず、自分の名前で仕事が取れるようになること」。なので、「いかに社外で認知されるか」がとても重要でした。 そのためには、まずは社内で1番になる必要がある。そう考えると、僕にとってチャンスがある環境かどうかが重要だったんです。社外でのチャレンジで失敗するならまだしも、社内競争に敗れてチャンスすら得られない、みたいな状態は避けたかった。 ー実際に入社してみて、どうでしたか?考えていたこととギャップはありましたか? 管:実際には、イメージしていた環境とズレはありませんでした。 というのも、当時、僕はソーシャルメディア事業部に配属されたんですが、2013年のソーシャルメディアって、まだ市場ができて2〜3年ほど。Facebookブームが始まったのが、2010〜11年頃だったので。 ー確かに、そういう時期でしたね。まだ市場としては、これからというところ。 管:はい。その上、ソーシャルメディアは若者向けのものが多く、僕らのような若者にこそチャンスがあると思いましたね。配属後は、事業部の人数が少なく、最初から最前線で働くことができました。   周りが避ける仕事×自分がやりたい仕事のセット販売 ーチャンスが多いとはいえ、すぐにやりたい仕事をできるわけではなかったと思います。新人時代は、どんなことを意識して仕事をしていたんですか? 管:いくつかあるのですが、「周りが嫌がる仕事と自分のやりたいことの提案」を一緒にしていましたね。 例えば、テレアポや資料作成など、周りを見渡していると、上司や先輩があまりやりたがらい仕事ってあるんですよね。そういった仕事はまだスキルがない新人の仕事になるわけですが、僕は積極的に周りがやりたがらない仕事をしていました。とはいえ、ただ言われた通りにやるのではなく、同時に自分のやりたいことを一緒にセット販売していくんです。 ーセット販売、ですか。 管:新人の頃って、「やりたいことはあるけどやらせてもらえない」という悩みってあるじゃないですか。そういう時、やりたいことがあるなら、周りがやってほしいことを積極的にやりながら、さりげなく提案していくことが大切です。 こうした考えにいたった背景としては、結果を出すまでには2つのステップがあると思っているんです。 ー具体的に、その2つのステップとはどんなものですか? 管:まず、結果を出すためにはチャンスが必要じゃないですか。野球であれば、打席に立たないと結果は出せないですよね。さらに、そのチャンスを得るためには、信頼が必要だと思っています。この「信頼」と「チャンス」の2ステップがあって、初めて結果が生み出せる。 そこで僕が最初に考えたのは、「いかに信頼されるか」です。「あいつにチャンスを渡したい!」と思ってもらえるように、様々なことを考えていました。 やりたくなさそうな仕事や後回しにされそうな仕事を観察して率先して巻きとったり、上司の癖を把握してコミュニケーションを工夫したりして…。 ーすごく貪欲な姿勢ですね。観察をしていると、どのようなことに気づくんですか? 管:例えば、当時の上司はアポイント先の地図を毎回コピーする癖がありました(笑)そこで、僕は毎週日曜に翌週のアポ先の地図を全部コピーして、月曜の朝に机に置いていました。他にも、福岡出張に行く人を見つけたら、僕が福岡出身であることを活かして、現地の会食用のレストランとおひとり様におすすめなレストランをエクセルでまとめて送ったり。先輩におすすめの本を紹介されたら、必ず一週間以内に感想文を送るなんてこともしていましたね。 ーす、すごい。 管:こんなことを地道にやっていくと、社内で新人の話になった時に「管」の名前が出てきやすくなるんですよね。「この前、管がさ、こんなエクセル送ってきて。おもしろい新人だよね」や「この前、本を勧めたらA4・2枚で感想送ってきたよ」といった感じで。 こうしてコツコツと信頼残高を積み重ねていき、結果を出す上で必要な機会を手にする。新人時代はそんなことを意識しながら、仕事に取り組んでいましたね。   26歳、最年少部長の悩み。未熟さが招いた、同僚の退職。 ーそういった新人時代を経て、管さんは入社3年目の26歳で最年少部長に。ロールモデルがいないなか、管理職として働くことはけっこう大変だったんじゃないですか? 管:大変でしたね。本当、未だに失敗していますよ。いま振り返ってみると、基本すべての要因は一緒で、結局「人間としての未熟さ」なんですよね。 そういったことが原因で、一緒に働いていた人がやめてしまったり。 ー人が辞めてしまうことってショックが大きいと思うんですが、そのような経験からどのようにしてマネージャーとしての成長を遂げてこられたんですか? 管:マネージャー職になってみて、新人時代で話したような「テクニック」では解決できないものもあると感じ、コーチングを学ぶようになりました。 コーチングの基礎である「傾聴」は、テクニックだけではできないんですよ。傾聴するには、目の前の人と真摯に向き合わなければいけないし、そもそも相手を信じられなければ成り立たない。このことに気づいたのは、僕自身がコーチングを受けたことがきっかけでした。 ーどのような気づきがあったんですか? 管:僕がコーチングを受けていてふと思ったのは、昔からの知り合いでもないコーチにすぐに心を開いて、たくさん自分の話をしていたんです。それって、(コーチが)自分のことを信じてくれていると分かっているからなんですよね。 その後、冷静に振り返ってみると、過去の僕は部下の成長機会を奪っていたことに気づきました。何かミスをすると「何でミスしたと思う?」って僕から聞くんですが、沈黙を待てず、最後まで相手の話を聞かずに僕から原因を言ってしまうこともありましたし。 コーチングを受けていた僕の気持ちを思い返すと、「メンバーはこうして話して欲しかったのかな?」って気づいて。 今ではきちんと相手の話を聞こうと意識しているんですが、その原点とも言える大きな変化だったなと思っています。   オランダでリモートワークに挑戦する2つの理由 ー最年少部長を経て、管さんがいま目指しているものは何ですか? 管:僕自身の経験を通して、会社員の働き方を変えることに貢献できるんじゃないかなと思っています。これは、オランダでリモートワークに取り組み始めた動機でもあります。 僕はこの3年で、色々な働き方にチャレンジしてきました。その結果、全然知らない方からメッセージをいただくことも増えてきました。「社内でリモートワークを提案して働きやすくなった」「部下の残業時間が減って満足度も向上した」と。 ーそれはうれしいですね。 管:サラリーマンは時間と場所の制限が強い働き方ですが、僕自身の働き方を通してこの時間と場所の制限を取り払い、「サラリーマンでもリモートワークでこんなに成果あげられるんだよ」って伝えたい。 ー管さんがファーストペンギンとなって、道を切り拓きたいわけですね。 管:そうです。一方で、他の理由もあります。最近、「オランダは世界最先端だな」とより強く感じています。 この前現地の研修に参加したんですが、彼らって自分ごとの範囲が「人」だけではなく「地球環境」にまで及ぶんですよ。ベジタリアンの高校生がいたのですが、その理由がダイエットや健康ではなく、「牛を食べると二酸化炭素を排出しちゃうから、嫌なんです」って(笑) レジ袋も全然ないですし、ストローはほぼ紙ストロー。「自分ごとってここまで広げられるんだ」って思いましたね。 ー視点がすごい。なかなか日本では触れない地球規模な視点ですね。 管:そういったことを目の当たりにし、「この最先端の、成熟した人たちが集まる環境にいたいな」って思ったこともまた、オランダを訪れた大きな理由でした。   30代は、サーキュラーエコノミーの世界へ ー最後に、管さんの30代で掲げる目標をお聞きしたいです。どんな30代でいたいか。具体的にイメージをされていますか? 管:オランダに来てから、徐々に新しい分野に興味が湧いてきまして。30代は「再生エネルギー」や「サーキュラーエコノミー」の世界に関わりたいなって考えています。 ーなぜ、環境に興味を持ったのですか? 管:元々教育に関心が強かったのですが、「たとえ教育がうまくいっても、安心して生活できる基盤がなければ意味がない」と感じたんです。自分たちの生活環境を持続可能な状態にすることに、少しずつ貢献していきたいという気持ちがあります。 ーなるほど。今後は、ガイアックスでそのような事業を立ち上げてやっていくのですか? 管:ガイアックスでやるか、複業の会社でやるか、転職するか、はまだ何も考えていません。ですが、ガイアックスの「ガイア」は「ガイア理論」が由来となっていて、このガイア理論から照らし合わせると方向性は重なっていると思うので、社内の新規事業として立ち上げるのも良いかもしれませんね。 とはいえ、思いが明確になっていけば自然と形は整っていくものだと思うので、あまり形にはこだわらず、まずは自分が貢献できそうな領域を探求していければと考えています。 編集部より:ちょうどタイムリーに管さんが複業で立ち上げられたオンラインコーチ養成スクール「ZaPass Coach Academy」の2期の募集が開始しています。編集長の西村も1期に参加しましたが、非常に満足度高く、コーチングを学びたい方にはオススメです。 詳しくはこちら 地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説。(ガイア理論 - Wikipedia) 取材:西村創一朗 執筆:ヌイ 編集:山崎貴大

3,500人のフォロワーで月商500万円。Instagramで大切なコンセプトメイキングとコミュニティ意識

株式会社リクシィで働く傍ら、DtoCやマーケティングコンサルを行うハピラフ合同会社(以下、ハピラフ)を経営する、富田竜介(とみた りゅうすけ)さん。 社会人3年の中で、計5社を経験。確実にキャリアを築き上げ、今ではご自身が運営するInstagramのアカウント(メンズアパレル関連)で、月商500万円を売り上げています。 そんな富田さんに、前半では「入社1年目から圧倒的な結果を出す方法」をお伺いし、後半では「Instagramの運営のコツ」や「ハピラフの展望」についてお聞きしてきました。 法人化をしたのは節税がきっかけ。ハピラフの主な事業とは? ー では早速よろしくお願いします。まず、ハピラフを立ち上げた背景をお伺いしたいです。 富田 竜介(以下、富田):よろしくお願いします。何でも聞いてください。 立ち上げたのは、現職のリクシィに入社する前で、複業としてはじめていました。法人化するつもりはなかったのですが、公認会計士だった幼馴染が「法人にした方が節税になるよ」って教えてくれて。 ー 最初は節税対策だったんですね。 富田:そうですね。そしてIPOは考えていなかったので、合同会社で作りました。 ただ、事業をやっていく中で「もっと会社を大きくしたい」「もっといいサービスを作っていきたい」と思うようになり、今では様々なサービスを展開・準備をしています。 ー ハピラフでは、具体的にどんな事業を行なっているのでしょうか? 富田:最初は複業でいろんな企業の「マーケティングアドバイザー」としてお手伝いしていました。受託系の仕事が多かったですね。 そこから展開し、今では「DtoC事業」「SNS支援事業」「インハウス支援事業」「ECコンサル事業」「メディア事業」「マーケティングコンサル事業」と拡大しています。 大学4年の2月に早期入社。半年後にはクォーターで1.1億円の受注。結果を出せた理由とは? ー 富田さんは社会人3年目で、5社経験しているんですよね。ファーストキャリアはどこを選ばれたのでしょうか? 富田:最初は、株式会社マイクロアドという広告代理店を選びました。 僕は学生時代、資生堂のアルバイトで美容部員をしていました。元々化粧品のマーケティングに興味があって社員さんに相談したところ、「新卒からマーケをしたいなら代理店に行った方がいいよ」とアドバイスをくれて。 たくさんの広告代理店がある中、マイクロアドを選んだのは、人・裁量権・環境の3つが、僕の就活の軸とぴったりだったからです。また、僕は「下克上精神」があって、ナンバーワンの企業ではなく、これから出てくるような会社で働きたかったんですよね。 ー なるほど。実際に入社されて、どうでしたか? 富田:有意義な時間を過ごせました。ただ僕の場合少し特殊で、大学4年の6月から週5でインターン生として働いていて、その間(約6ヶ月)、すでに広告運用に携わっていました。 ある一定の成果が出たので「早く社員として働きたいです」と伝えたらOKをいただき、2月には早期入社をさせてもらいました。営業をしていましたね。 がむしゃらに頑張りました。その甲斐あって、早期入社した3ヶ月後には、僕が担当していた会社初のコンペで受注することができ達成率が700%を達成し、そこからクォーターで1.1億円分を受注しました。 また自分のミッションが「バイネームで受注する」でそれを2年目の頭に達成することができました。 そこで「自分のミッションを達成できた気がする。別の環境で学んでいきたいな」と思い、転職しました。 ー すごい、1年目から成果が出たんですね…。新人の頃はどんなことを意識されていただんですか? 富田:いくつかあるんですが…。まずは、誰よりも早くオフィスに行っていましたね(笑)。毎日6〜7時には到着していて、本を読んだり、尊敬する上司や先輩に、話を聞きにいったりしていましたね。 営業が得意な上司や、資料作りが上手な先輩、ロジカルシンキングが凄まじい先輩など、たくさんいらしゃって。積極的に自分からコミュニケーションを取って、教えを請いに行きました。 ー それはめちゃくちゃ伸びますね…!そこからいくつかの会社を渡り歩いたんですよね? 富田:はい。広告代理店や広告主内のマーケティングを主に担当していました。5社目の今は、株式会社リクシィというウエディング企業で働いています。 フォロワー3,500人で月商500万円達成! ー では話を戻して、現在のハピラフについて再度お聞きしたいです。最初は企業のマーケティングアドバイザーとして受託の仕事が多かったとのことですが、DtoCをメインにしてきた理由はなんでしたか? 富田:僕自身、元々美容が好きなんです。大学時代は、美容部員としてアルバイトをしていたくらいなので。「ライフスタイルに関わるものをDtoCにしていきたいな」という想いも強く、色々と準備をしてきました。 今は、メンズのリユースなどを手がけていて、中古で仕入れたものを販売しています。 ー Twitterで宣伝されていたのを拝見しました。かなりハイペースで売上が伸びたとの事ですが、どれくらいか聞いてもいいですか…? 富田:立ち上げて4ヶ月が経ったんですが、今はフォロワー3,500人前後なのですが、単月で500万円前後売り上げました。 初月は2万で、そこから11万、60万、500万と順調に伸びています。来月は1,000万円で着手しそうです。今はInstagramだけで運営しています。 ー 凄まじい伸び率ですね…! 富田:他にも「節約チャンネル」というアカウントをInstagramで運営していて、4ヶ月で5万フォロワー、5ヶ月で10万、8ヶ月で20万フォロワー、10ヶ月で25万フォロワーまで伸ばせましたね。 Instagramで大切な「コンセプトメイキング」と「双方向のコミュニケーション」 ー 先ほど3,500人のフォロワーで単月500万円、1,000万円の売上を作れた→そうとのことでしたが、具体的にどんな運営を意識しているんですか? 富田:1番はやっぱり「コンセプトメイキング」だと感じています。 スマートニュースの西口さんがよく、独自性・便益・オリジナリティが大切と伝えているのですが、まさにその通りだと思っていて。 インスタは基本的にはワンコンセプトが大事なので、コンセプトをずらさずに「ひとつの世界観」を創り上げることが、本当に肝なんです。その点を徹底的に考えています。 ー なるほど…。他社さんを見ていて「損しているな…」と思うことはありますか? 富田:どうしても「セールはじめました」「新商品でました」といった情報ばかりで、コミュニケーションが一方通行な気がします。非常にもったいないですね…。 Instagramは「双方向のコミュニケーション」が重要と言われています。コミュニティに近いので、「どんな商品が欲しいですか?」と投げかけると、フォロワーさんからコメントをいただけるんです。 フォロワーの要望を取り入れることで「このお店は私たちの想いを汲み取ってくれる」と思ってもらえるので、積極的に意見を頂けるんです。 たった3,500人のフォロワーと思われるかもしれませんが、コミュニケーションを活発化することで「熱量の高いコミュニティ」になります。 ー インスタがコミュニティになる、という発想がなかったです。アカウントは非公開なんですか? 富田:もう少し大きくなってから出したいので、今は公にしていないですね。 夏ぐらいに3,000万円の売上になりそうで、そのタイミングで店舗を出し、アカウントも公開する予定です。もう少し気長にお待ちいただけるとうれしいです! ハピラフの展望。”ジョーカー”になれるような集団でありたい ー では最後に、ハピラフの展望についてお伺いしたいです。 富田:大きく2つあります。1つは、今のサブスクリプションの概念を変えていきたいです。正直、僕は今のサブスクに面白みを感じていないんです。 ほとんどのサブスクが定期購入をさせて、いかにユーザーに長く使ってもらうかに重きを置いているんですよね。 ただ、本当にいい商品を購入する時って、”サブスク”ではなく”都度買い”だと思っていて。例えば、僕は鼻炎持ちなのですが、6歳から20年くらいずっと同じ鼻スプレーを使っています。 わざわざサブスクにはしないんですよね。なのであえて、都度買いだけのサービスを運営してみたいです。 富田:もう一つは、メンバーがハピラフを「自分のライフスタイルの中で”活躍できる場所”」として、うまく活用してほしいなと願っています。 実は、ハピラフは「JOKER〜切り札をあなたに〜」というコンセプトを掲げているんです。 僕はいろんなスタートアップで経験・支援をしてきたんですが、「ピースがないから事業が伸びない」という事例をたくさん見てきました。 そこでハピラフでは、クライアントに「ジョーカーになれるような切り札を提供するんで、この人材と一緒に事業をグロースさせますよ」と伝えたいです。また、そんな集団でありたい。そうすることで、ハピラフのメンバーは自分がやりたいことをハピラフで叶えられる。 メンバーとクライアントの双方がWin-Winとなれる環境を作りたいですね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗、執筆:ヌイ、撮影・デザイン:矢野拓実

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