ネット炎上中にUSJしても気付かれなかった。ゆうこすの #何者でもない時代

社会の第一線で活躍し、自身で道を切り開き進んでいく人々。彼らの姿は私たちの未来に多様な選択肢をもたらしてくれるが、現在の自分と比較して「私にはできない」と悲観してしまうことも少なくない。でも、もし憧れのあの人の「何者でもない時代」を知ることができたら—— 。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #何者でもない時代 。今回のゲストは、YouTuberやインスタグラマーとして活躍し、株式会社KOSを手がける経営者としても注目される“モテタレント”菅本裕子さんこと、ゆうこすさんです。 ゆうこすさんは高校生でHKT48としてアイドルデビューを果たし、さらにミスiD準グランプリに輝いています。そして現在はYouTuberにインスタグラマー、さらにはプロデュース業も行うなど、現在は業界を越えて大活躍。SNSを開けば、彼女の名前を目にしない日はありません。 そんなゆうこすさんは、かつて「肩書きだけがあって、自分は何者でもないと気付かされた」と過去を振り返ります。正解も間違いもないこの時代に、自らで旗を立てSNSを駆使して駆け抜けていく彼女の「何者でもなかった時代」に迫りました。 Text by 佐々木希海 Edit by Mitsufumi Obara   肩書きがあっても、何者にもなれなかった —— ゆうこすさんの「何者でもない時代」について、お伺いしたいです。ゆうこすさんは高校時代にアイドルとしてデビュー、そしてミスiD準グランプリを経て、YouTuberやインスタグラマーとしても活躍されています。さらに最近は、プロデュース業も行われている……。経歴を拝見すると、「何者でもなかった時代」の想像が全くつきません。 菅本裕子(以下、ゆうこす):たしかに、いわゆる「肩書き」は早い時期からあったかもしれません。ただ肩書きがあったからといって、「何者になれていたか」といえば、そうではないんです。仕事も全然なくて、ニートでした(笑)。 —— ゆうこすさんにも、そんな時代があったんですね…!肩書きがあったからといって、生活が変化するわけではないと。 ゆうこす:周りからの見え方は変わりましたが、完全に“肩書き負け”だったと思います。私自身の中で何か変わったり、語れるものができたわけでもない。むしろ、肩書きがあるからこそ、自分は「何者でもない」ことに気がついたんです。 当時は“元HKT48の人”、“準ミスiDの人”という肩書きでしか、私を認識してもらえていませんでした。ちゃんと私のことを「ゆうこす」として知ってた人は果たしていたのだろうか…という感じです。これってやっぱり「何者でもない」ってことですよね。 —— では、ゆうこすさんにとって、アイドル時代も、準ミスiD時代も「何者でもなかった時代」であると。 ゆうこす:はい。肩書きを得ても、自分のやりたいことがなければ、「致命的だ」と気がついたんです。応援もされないし、ひいては仕事にもならない。現在のように、好きなことを仕事にできなかったので、当時はアルバイトでお金を稼いでいましたね。 「好きなことでは稼げない?」苦労時代は、挑戦する前から甘えてた —— ゆうこすさんは、現在「好きを仕事に」されていらっしゃいます。アルバイトをしていた頃は、そうした発想はなかったのでしょうか? ゆうこす:「好きなことが仕事になる」とは到底思えなかったんです。「好きなことは不安定なもので、お金が稼げないものだ」と決めつけ、挑戦することをしませんでした。 ……でも、真剣に考えてみたら、稼ぎ方なんていくらでもあるじゃないですか。クラウドファンディングもあるし、サイトの開設だって簡単にできるようになった。結局、好きなことがお金にできなかったのは、稼ぎ方を考えずに甘えていた自分のせい。——足りないのは“柔軟な頭”だったんです。 —— たしかにマネタイズ方法はたくさんありますが、覚悟して一歩を踏み出すのは難しいですよね。それができなかったことを「自身の甘え」だと言い切れるゆうこすさんの強さに驚いています…。どのような思考の変化があったのでしょうか? ゆうこす:固定概念やプライドを捨て、「自分の好きなこと」をとことん追求してみたんです。 たしかに、すごく覚悟のいることかもしれません。でも、やりたいことや好きなことがある人は、一度勇気を振り絞っていろんな方向から稼ぎ方を考えてほしい。意識的に考え方を変えてみると、視野が広がるんです。 —— とはいえ最初は結果もついてこないですし、「何やってるの?」なんて視線を向けられ、続けるのが難しそうです。 ゆうこす:最初からうまくいくことなんて、そう多くありません。なので、何かを始めたときは、SNSで「成功だけ」を発信したくなりますよね。でも、それは本当にもったいないことです。 好きなことを始めたら、成功も失敗も全て発信してください。すると、応援してくれるファンが生まれます。応援してくれる人に巡り会えると、次の一歩が大きく踏み込めるようになるので。 事実、私にとってファンの存在は、「好き」を続ける、そして「好き」を仕事にするための大きな支えになっています。 —— ゆうこすさん自身、発信することで、失敗した経験はあるんですか? ゆうこす:アイドル辞めた直後のSNSでは、「多くの人に好かれなくっちゃ!」と思っていたので、ありのままの自分を発信できなかったんです。Twitterのフォロワー数は多くても、本当に私のことを応援してくれる人たちや、会いに来てくれる人たちはほとんどいない状態でした。 でも、無駄なプライドを全部捨て、本当に思ったことを発信するようになってからは、本当の意味で応援してくれるファンが増えました。以来、ありのままの自分でいられるようになりましたね。失敗経験があったことで、今の発信スタイルになっています。 アカウントを作る前に炎上を怖がるってどういうこと?(笑) —— やりたいことがあるのに飛び込めない…という人も少なくありません。事実、行動を起こす前から、怖がってしまうことが私にもよくあります。自分の弱い心が挑戦の足かせになることが多いのですが、何かアドバイスをもらえませんか? ゆうこす:似たような相談を何度か受けたことがあります。「こういうことをしていきたいんですけど、もし炎上したらどうしよう?」と。 でもいろいろ話を聞いてみると、まだアカウントも作ってない状態で炎上を恐れていたりするんですよ(笑)。 みんな、起こるかも分からないことに怯え過ぎてると思います。それに、たとえ炎上したとしても、みんなすぐに忘れます。……最近あった炎上騒ぎ、覚えてますか? —— 覚えてないですね…すぐ忘れてしまいます。 ゆうこす:そうなんですよ。人の失敗なんてすぐ忘れてしまうし、思ったより誰も自分のことなんて気にしていないんです。 私はかつてネット炎上を経験したことがあります。ただ、その最中にUSJに行っても、誰にも気がつかれなかったんですよね。自分の「自意識過剰さ」が恥ずかしくなりました。 失敗を恐れて何もできないより、その失敗をもプラスに転換して発信できたらむしろ成功になると思うので、ポジティブに頑張ってほしいですね♡ 垂直の壁に向かって走るのはやめよう。夢を叶えるには、夢への階段をつくるべし —— 何者かであろうとするから、何者にもなれない…そんなジレンマを感じました。まずは、ずべこべ言わず行動しないと何も変わらないんですね。 ゆうこす:そうですね。「自分でレールを引いて頑張りたい人」って、100人中10人くらいです。そして、実際に行動する人は、1人いるかいないか。行動している人は意外と少ないので、行動するだけで差をつけられます。みんなより一歩前へ行けるんです。 でも、「行動する」のは難しいことではありません。人を変えるのは難しいですが、自分を変えるのは簡単。「やればいいだけ」です。 —— ゆうこすさんからすると、やらない理由がわからないくらい? ゆうこす:そうですね。もちろん行動に失敗はつきものですが、経験値が得られるので、成長確率も上がります。たとえ大きな失敗をしても、行動をしない99人とは違う人間になれています。 だから、そんなにマイナス思考にならずに、まずは動いてみるべきです。 —— これから行動を起こし、夢を追いかけていく人たちに伝えたいことはありますか? ゆうこす:「夢への階段」をつくってください。夢を叶えた人に共通するのは、叶えたい目標から逆算して階段を作っているということなので。 —— 階段とは具体的にどのようなものでしょうか? ゆうこす:夢を叶えるために、達成しなくてはいけない細かい目標のことです。 夢を叶えるためには小さな目標を一歩づつ達成する必要があるのに、多くの人がそのことを忘れています。ただひとつ、一番大きな夢だけを見ているんです。 それって、垂直な壁に向かって走っている状態なんですよ(笑)。その壁を登りきるための階段を用意してあげないと、壁の高さに挫折してしまうことも少なくありません。まずは小さな目標を決め、それを達成してください。本当に小さなことでいいんです。 たとえば漫画家志望の人は、自分の友達に見せて「面白い」と思ってもらうとか、その次はネットに掲載してみるとか。「手塚賞とるぞ!」と大きな目標だけを立てるより、ずっとモチベーションを維持できると思います!

過去5回の転職。ウルサス本著者・飯髙悠太が伝えたい20代で必要な心構えとは

通称「ウルサス本」で愛される、『僕らはSNSでモノを買う』‬の著者・飯髙悠太さん。過去には、有名Webマーケティングメディア「ferret」の創刊編集長で従事していました。 実は、現職のホットリンクに従事するまで、5回の転職を経験。その背景には、さまざまな意思決定や戦略が。 20代で圧倒的な結果を出し、30代から飛躍するためには何が必要なのか?今回はその必要要素を、飯髙さんにお伺いしてきました。 飯髙悠太(いいたかゆうた):株式会社ホットリンク CMO(ホットリンクでTwitterする人)これまでに複数のWebサービスやメディアの立ち上げ・東証1部上場企業を含め100社以上のコンサルティングを経験。自著は‪『僕らはSNSでモノを買う』‬は5刷(2019年12月時点)を突破。また12/28に『アスリートのためのソーシャルメディア活用術』を出版。   新卒入社半年で営業トップに。大切なのは、みんなと同じ選択をしないこと ーー飯髙さんのファーストキャリアと意思決定の背景をお聞きしたいです。 飯髙悠太(以下、飯髙):僕は最初、求人広告会社に入社しました。実はもともと、IT業界を目指していました。今でこそITの時代ですが、当時(2009年)は今と比べ市場が小さく、これから伸びる業界だと思っていたからです。 ただ、はじめに選んだのは「求人広告」。就活が終わり内定式の直前に、リーマンショックが起きました。僕なりに考えたのは、採用も減るしリストラも増えるからこそ、まずは「営業力」を磨きたいと思っていた僕にとっては一番過酷だからぴったりと思い選びました。 ーーそんな背景があったのですね...。在籍期間が半年と聞いたのですが、早くにジョブチェンジをした理由は何でしたか? 飯髙:僕はいつも、会社の在籍期間とそこで達成するミッションを予め決めています。 シンプルに早期達成できたんです。1年目でトップを取ることを目標にしていたのですが、半年で単月ではありますが達成できて。そして言葉は悪いですが、この会社で学ぶことはないなと思いまして...。 ーーすごい...新卒半年で達成できたんですね。しかも半年で。何か工夫はあったのですか? 飯髙:今でもベースにあるのですが、「みんなと同じことをしてはいけない」という考えがものすごく強かったです。当時の会社はゴリゴリの飛び込み営業をしていましたが、はじめから「なんか違うな...」と違和感を感じ、そこで自分なりのやり方を考えました。 たとえば、エリアを決めるとき「業界3番目以降の店舗のみに営業する」と決めていたんです。ほとんどの人が1、2位の会社に行くのですが、ライバルが多いため、競争も激しいので狙いを変えました。そうすることで結果も出やすかったですね。 王道パターンもいいですが、視点をずらし、自分なりの戦略を持つことで達成できたのかなと思っています。   飯髙さんの選ぶ基準は、迷ったらあえて茨の道に行くこと ーー飯髙さんが環境を選んだり変えるとき、いつも明確な基準や目的を持っている印象なんですね。ご自身の中でモットーはありますか? 飯髙:なりたい自分ややりたいことが決まっている時、設けている基準がありますね。「迷ったらあえて泥船に乗る」ということ。なのでいつも、辛い方に自分の身を置いちゃっていますね。 ーーなるほど。何かきっかけがあるんですか? 飯髙:僕は小学校に入ってから高校までサッカー漬けの毎日を送っていました。サッカーの恩師がいつも、「人生で岐路に立たされたら、あえてハードな道を選びなさい」と助言してくれて。 平坦な道は楽に進めるけど、茨の道を歩むことで経験値がぐんと上がる。「若いうちなら、あえて難しいことを選択して経験しておくと後で強くなるから」と口酸っぱく言われましたね。 正直辛いことのが多いですが、やっぱりその選択は間違っていませんでした。とても感謝しています。   2、3、4社目と意思決定の連続 ーー1社目を退職して、次からIT業界に入りましたよね。これまでのストーリーをお聞きしたいです。 飯髙:2社目は、とあるWebマーケティングの会社に入りました。在籍期間は2年ほど。直感的に、イケイケ感もあってかっこよかったんです。また、業務量も多くて今で言う「ブラック」でしたが、1度はそんな環境に身を置いてみたかったんです。そもそも、今でもずっと働いていられるし、そういう企業を僕はブラックだとは思っていません。 言葉のニュアンスが難しいですが、この不況の時代、負荷から逃げていたらまずいですし、やっぱり量をこなしてないとわからない・経験できないことって多いです。 そして、実は面接は落ちていたんです。ただどうしても入社したかったので、社長に電話をして「落ちた理由は何ですか?」と聞いてたら、僕の憶測ですが「コイツおもしろい」って思ってくれて呼んでいただけました。 ーー普通落とされたら「はい、次」と行きますもんね(笑) 飯髙:そうですよね(笑)当時の社長に「半年で営業部トップの成績を抜いたらリーダーにしてください。その分、最初の給与も最低金額で大丈夫です」と伝えました。そうしたら「全然いいよ」って言ってくれて。 そこからがむしゃらに頑張って、宣言通り、半年で達成できました。結果、希望はどうあれ社会人2年目でマネージャーになりましたね。 ーーすごい、有言実行ですね。成果も順調にでていた中で、どうして2年で辞めてしまったのですか? 飯髙:言葉を選ばずに言うと、学べることを全部学んだんです。また、今でもベースにある「自分の営業スタイル」が築けてきたなと。僕は常に「御社に合うから、本当にこれはやった方がいいですよ」「そんなにやりたいならやってみてもいいですが、失敗すると思いますよ?」というように、お金は大事だけどお客さんの立場で、成果を一緒に追いたいっていうスタンスなんです。 ーー引き営業っていうか、飯髙さんとしゃべっているそのままって感じですね(笑)。グイグイ取ってくるような営業スタンスではないと。 飯髙:そうですね。さっきもお伝えしましたが営業って、お客さんが幸せになることが1番だと思っているので。 また、ITでも「SNS」が急激に伸びてきて、SNSでトップになりたいという気持ちも芽生えました。 その後は、3社目にSNSに強いマーケティング会社(在籍期間1年4ヵ月)、4社目にスタートアップ企業(在籍期間9ヵ月)に移りました。 ーーなるほど。どのタイミングでベーシック(ferret運営会社)に移ったのですか? 飯髙:過去に仕事でメディアやブログ運営もしていたんですね。純粋にたのしかったですし、再現性やシナジー効果が高いなって思っていました。 で、あるタイミングで知り合いから面白い会社があるから、今から飲み屋に来てくれと呼ばれました。そこで「ferretをメディアにピポットしたい」と社長の秋山さんから言われました。他の会社に行くことが決まっていたのですが、「中小企業のマーケを良くしたい」という想いが僕とマッチしていたし、これから自分が考えているキャリアと合致しているなと シンプルに言うと濃い経験ができると思い、ベーシックへの入社を決めましたね。   ferret創刊編集長へ就任。ミッションドリブンで月間4000人以上が会員登録するメディアに ーーそこでferretの創刊編集長として、メディアを立ち上げたんですね。ベーシックでは、どんなキャリアを歩まれたんですか? 飯髙:一般社員で入社して3ヵ月後にマネージャーになりました。またその6ヵ月後に部長になって、その2年後に執行役員ですね。在籍期間は1番長く、気づけば4年半いましたね。 ーー今までずっと、ご自身で期間とミッションを決めていましたよね。ベーシックでは何を考えていたんですか? 飯髙:ベーシックでは、ミッションドリブンでしたね。目標はferretを他メディアの倍、読まれるメディアにすること。実際に立ち上げ1年半で達成できました。 ーー毎回有言実行されててすごい...。でもまだベーシックに在籍していたのは、なにか理由がありましたか? 飯髙:任務達成した後もいろいろと軌道にのせることができたので、「辞めようかな...」と思ったときに、代表から「経営者にコミットして、経営の難しさを経験したほうがいい」とおっしゃってくださって。当時、会社のことをほぼほぼ何も考えてなかったことを伝え、それでも大丈夫ですか?と聞いたら「大丈夫。そんな人が1人くらいいた方がおもしろいし、チームのことを考えてやってる以上それは組織のことも考えてる。それは見ている俺が一番わかっている」と返ってきました。 ーー懐深いですね。 飯髙:ほんと感謝しています。そんな流れがあって、30歳で最年少執行役員になりました。 ーーすごい...。実際執行役員になって、やはり大変でしたか? 飯髙:大変でしたね。中でも、思い入れある人たちが退職したときが大きかったですね。コアなメンバーが辞めていって...。他にも、意見の食いちがいによる衝突もありましたね。 「このままだとやばい」と思い、立て直そうと思ってもできなかったりして。ただ、社長や他メンバーとも議論をし、自分の選択に嫌々かもしれませんが納得してくれました。 それから今の、SNS・デジタルマーケティングに強いホットリンクに転じ、早1年が経ちました。この1年も激動でしたが、とても充実していました。それは前職で経営に関わらせてもらったこともあるし、これまで色々経験してきたからだと思います。 そして何より、ホットリンクのメンバーとの距離感はいい意味で近いし。仲良しこよしではなく、ちゃんとメリハリはあって、こういう組織やチームが好きだったよなって思いながら、やっています。 そしてご存知の通り、これから更に「SNS」が伸びると思うので、この畑でも結果を出していきたいですね。   もし、過去の自分にメッセージを送るなら。どんどん失敗して、強くなってほしい ーー今まで、相当な努力と数々の選択をされてきたじゃないですか。過去をふり返って、大学生の飯髙さんにメッセージを伝えるとしたら、なんと伝えたいですか? 飯髙:そうですね......。今パッと3つ思いついたので、順にお伝えしますね。 まずは、前提を疑ってほしいです。僕は今でもそのスタンスです。 世の中「これが当たり前」という人が多いですが、生意気ながら、僕は「誰が作ったの?」って思ってしまうんです。自分にとっての当たり前の基準は、自分にしか作れません。 もし、周囲の意見に流されてるな...と思ったら、一旦立ち止まって「自分はどうしたいんだろう?」と、内省するのをおすすめします。 つぎに、20代の過ごし方を大切にしてほしいですね。20代で形成されるキャリアってものすごく重要で、あなたのこれからのキャリアに大きく影響します。 20代って、正直遊びたいじゃないですか(笑)。でもグッと堪えて我慢をして、仕事にコミットし、結果を出す経験はのちに絶対に活きてきます。 人間に与えられたもので、唯一平等なのは「時間」だけです。限られた時間の中で、自分が何をやるかの棚卸しと整理をして、行動してほしいなと思います。 ーーたしかに、20代の過ごし方で30代以降のキャリアが変わりますよね。 飯髙:最後は、たくさん失敗してほしいと伝えたいです。ここでの失敗は、メールミスのような小さなミスではなく、ガチで怒られるってことです。 僕は、失敗から学ぶことが圧倒的に多かった...。サッカー少年だった頃、勝っているときは別に悩まないんですよね。仕事も然りで。 調子いいときはあまり悩まないけど、失敗することで、自分の改善点やダメなところが見えてきます。言われたまま働いても、失敗なんてできません。前提を疑って動かないといけませんし、多少の無理は付きものです。 ただ、本気でやりきって失敗したときに、人は超強くなります。20代という若手の貴重な時期だからこそ、本気でぶつかってほしいですね。 この3つを話ながら、今でも大事にしてるなあって思いました(笑) ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材・編集:西村創一朗 執筆:ヌイ 写真・デザイン:矢野拓実

大人がイキイキと働ける社会を目指して ー チャレンジし続ける新卒採用責任者の想い

  色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第8回目のゲストとして、サイボウズ株式会社の新卒採用責任者である綱嶋 航平さんをお呼びしました。 新潟県で高校までの18年間を過ごし、京都大学へ進学された綱嶋さん。大学を一年間休学しての長期インターンを経て、サイボウズ株式会社へ入社。新卒採用を担当しながら、人事や働き方についての話をTwitterで、またサイボウズという会社の考えや内側の話をnoteで発信されています。 複業としてキャリアに悩める学生向けのコーチングを行うなど、幅広く精力的に活動されている綱嶋さんが、かつてどのようなことに悩み、どのような決断をして今に至ったのか。また、なぜ企業の人事として発信活動を続けているのか。 就活に悩む学生はもちろん、複業やSNSを活用した採用に興味のあるビジネスパーソンにも参考になるような貴重なお話を伺ってきました。   「このままでいいのだろうか」就活中に感じた2つの危機感 ー これまでの経歴を教えてください。 1994年生まれで現在25歳です。18歳のとき、新潟を出て京都大学文学部へ進学。大学4回生のときには一年間休学して、企業の働き方をコンサルティングする株式会社ワーク・ライフバランスでインターンとして働きました。 この会社で、サイボウズ株式会社(以下、サイボウズ)の製品を使っていたことや、会社同士の仲が良かったこともあり、就活でサイボウズを受けて入社することとなりました。 ー 京都大学を選んだ理由は? もともと、京都大学なんて自分には手が届かないと思っていました。高校も進学校というわけではなかったですし、新潟の国公立大学に進学して教師になれたらいいなくらいに考えていたんです。 でも、高校3年生のときの担任教師が「京大を目指してみないか?」と勧めてくれて、そこから視界が広がりましたね。東京にはいずれ働き始めたら行くと思っていたので、それなら大学はワクワクする土地に行きたいなと考え、京都大学を受験することにしました。 ー 受験はスムーズに進んだんでしょうか? 全然(笑)模試も、ギリギリまでE判定でした。高校のカリキュラムも、京都大学の入試レベルに対応していなかったので、授業が間に合っていなかったんですよね。「自分は、進学校の生徒とは違う戦い方をしなければならないんだ」と自覚して、先生とマンツーマンで勉強させてもらい、なんとか受験に間に合わせました。 ー 京都大学に合格したことは、きっと成功体験になりましたよね。 センター試験が終わった頃に、クラスメイトから「綱嶋くんが朝から晩まで教室の一番前の席で勉強してレベルの高い大学を目指しているのを見ていたら、俺も頑張れる」と言われるようになったんです。そのときに「人の頑張りを素直に認められる人って素敵だな」と思いましたし、「大学受験は自分だけの戦いではないんだな」と感じたんです。 だから合格がわかったときは嬉しさもありましたけど、その後、いろんな人に感謝の電話やメールをしました。これはすごくいい経験でしたね。 ー いい仲間に恵まれたわけですね。大学ではどんな風に過ごされました? 小学校2年生くらいからずっとバスケをやっていたので、大学でもすぐバスケ部に入部したんですが、自分の思い描いていたキャンパスライフと違うことに気づき一年目の8月に退部。大学3回生の夏まではサークル、バイト、授業、テスト……と楽しかったものの、あまり起伏のない日々を過ごしていました。 ー 休学してインターンシップに行こうと決める前は、就職活動もしていたんですよね? 大学3年の夏にサマーインターンシップが開催されるので、説明会を聞きに行きました。その頃はまだ就活に関する情報収集もあまりしておらず、有名企業のインターンにだけ申し込んだんですよ。だけど、結果はすべて落選。 周りの同世代がこれまでの経験や将来やりたいことなどについてしっかり話している一方で、自分には話せるようなことが何もないという事実を突きつけられました。 ー それは本当になかったんでしょうか?それとも自己分析が足りなかっただけでしょうか? 両方だと思います。人に話せるような大きな経験もしていませんでしたし、自分の経験を人に伝える技術もなかったので。 ー それがショックでこのままじゃダメだと思ったんですね。 そうですね。それに、大企業に就職した大学の先輩に会って話を聞くと「めっちゃ辛い」と話している人がけっこういたんです。もし自分も、このまま何も考えずネームバリューばかり気にして就活していたらまずいのでは……と気づきました。 やりたいことがない自分に対する危機感と、このままなんとなく就職してしまうことに対する危機感。この2つをどうにかしなきゃいけないと思ったのが大学3回生の8月あたりのことです。   自分のやりたいことを見つめ直した長期インターン ー 大学を休学してインターンに行く、というのは勇気のいる決断だと思うのですが、その原動力は何でだったんでしょう? 周りにいる京大生は本当に天才・秀才ばかりだったんですが、このままここにいたら、京都という土地柄のゆったりした流れに飲まれてしまいそうだなとも感じる部分もあったんですよね。 「大学のどこか一年間で、東京という場所でフルタイムで働くという、今と全く違う経験をしたら、自分はどう変化するんだろう」ということにワクワクを感じたため、思いきって休学を決断できました。 ー 休学を決めてからインターン先を探したんですか? はい。自分が何をやりたいんだろうと考えたとき、もともと子供の教育に関心があることを思い出しまして。子供たちが「早く大人になりたいな」とワクワクできる社会ってどんな形なのか?と考えた結果、身近にいる大人が背中を見せるのが一番だと思ったんです。 一方で、日本人は残業も多く、ワクワクしながら働いている人はごく少数であると知って、自分の理想とは違うな、と。そこでワークライフバランスという考え方を知り、ちょうど株式会社ワーク・ライフバランスのインターン募集を見つけたため、「ここだ」と思いすぐに決めました。 ー インターンで得られたものはありましたか? 働き方に対する知見が得られました。「長時間残業よりも、効率的に時間を使って空いた時間をしっかり余暇に使うほうが成果が出る」ということをデータで知ることができたんです。また、ベンチャー企業だったため、インターン生であることを気にせずコミュニケーションを取ってくれることも、新たな気づきでした。 ー インターン期間中はそちらの仕事にコミットし、そのあと就活を始められた綱嶋さん。準備が間に合わない、といったことはなかったですか? いえ、インターン中に就活の準備はしていなかったものの、インターンの仕事でさまざまな企業に出向いて話を聞く機会があったので、それが最高の就職活動になったなと感じています。普通の就活生では聞くことができないような人事担当者の話を聞くこともできましたしね。 だから就活をスタートさせた3月には、どんな企業に就職したいのかも、おおよそ決めていました。 ー 子供の教育に関心があったという話がありましたが、そのビジョンは変わらなかったんでしょうか? もともとは「働く大人の環境を変えて、子供たちの教育も変えたい」と思っていたんですが、ワーク・ライフバランス社でインターンシップをしている間に「教育はそんなに簡単に変えられない」と気づきました。 一方で、自分がインターンとして働いていてワクワクしていることにも気づき、「今の社会人がイキイキできるよう支援するほうが楽しいな」と、気持ちが変わっていったんです。 まずは自分の両手が届く範囲の人たちを幸せにしたい。いつか自分にも子供ができたとしたら、自分の家族からハッピーにしていきたい、というのが今持っている教育への思いです。また、今は学生さんと接する機会もあるので、どうすればイキイキとした社会人になれるのかということも伝えたいな、と思っています。   「ここで人事の仕事がしたい」サイボウズを選んだ理由 ー 就活を経てサイボウズに入社されたわけですが、サイボウズを選んだ決め手は何だったんでしょう? サイボウズに行ったら面白い気がする、という予感があったんです。たとえばTwitterですごく発信されている社長の存在や、「サイボウズ式」というオウンドメディアなど、自分にピンとくるキーワードがとても多かった。また、サイボウズは働き方に対して考え方が柔軟で、自由さを併せ持っていたことも魅力でした。 ー 入社してどんな仕事がしたいと思っていましたか? 実は、はじめから人事の仕事がしたかったんです。就活の軸が、ワーク・ライフバランス社に学んだ「働き方」だったので、人事ならそこにダイレクトに関われるな、と。 とはいえ、人事というのはどこの会社にもある仕事です。でも僕は、働き方に関しても先進的で既存の枠組みに捉われないサイボウズだからこそ、ここで人事の仕事をやる意味があると思っていました。 ー 内定をもらったあとで「本当にこの会社でいいんだろうか」と悩んだことはありますか? 僕が内定をもらった当時、サイボウズはまだ認知度が低く、友人に社名を言ってもわかってもらえないことが多かったんですよね。周りには大企業に就職する友人もいる中で、「本当にここで社会人一年目のキャリアをスタートさせていいんだろうか?」と悩むことはありました。 ですが、「絶対に今よりいい会社にしてやるから見てろよ!」という気持ちで、3年後の未来を見るようにしたんです。その気持ちをバネに、3年後の自分がもっとイキイキできてるように頑張ろう、と思っていました。   SNSで発信し始めたら採用現場が変わった ー これまでのサイボウズでの仕事を振り返って印象に残っている出来事といえば? 1年ほど前からTwitterをきちんと使い始めたのですが、そこからのご縁で仕事が始まることもあったのが印象的でした。SNSを使った会社の認知の広げ方や、なぜ人事がSNSで発信をする必要があるのかといったことに興味を持っていただき、記事として取り上げてもらったこともあります。 自分の発信を見てくれている人と「想い」でつながった仕事が生まれるんだな、というのがとても心に残っていますね。 ー そもそも今のようにTwitterを使い始めたキッカケは何ですか? 人事に入ってみて、これまで当たり前に使っていた就活サイトに掛かるコストを知ったことがキッカケです。就活サイトではたくさんの人を集めることができるんですが、会社の考えに共感して集まってくれる層は少ないんですよね。そこで「Twitterでフォロワーがたくさんいたら、会社の考えを広く伝えることができるんじゃないか」と考えました。 ー Twitterを続けるというのはなかなか難しいことだと思うんですが、続けられた理由は何でしょう? 最初はフォロワーも少ないので、いいねはほとんどつかないのですが、1~2件でもいいねがついたら嬉しかったんですよね。見てくれる人がいるんだな、と実感できて。 そしてどんな人がフォローしてくれてるのか、どんな人がいいねしてくれているのかを見にいったら、その人たちの悩みを知ることができたので、その答えになりそうなことをツイートすることが自分にとっての楽しみになっていったんです。 ー 発信するようになって、サイボウズの採用が変わった実感はありますか? 最も成果があったなと思うのは、「【勝手にまとめてみた】採用担当が個人的にオススメする、サイボウズを知るならフォローしておきたいTwitterアカウント30選」というnoteの記事に多くの反響をいただけたことですね。その記事を見て会社説明会に来てくれた学生さんや社会人の方がいたり、面接で「あの記事を読んでサイボウズの社員について調べていた」と言ってもらえたりしたんですよ。 ー 実際にTwitterを通して採用に繋がったこともあるんでしょうか? 直接ではないですが、Twitterでごくプライベートな趣味の集まりを企画した際に、そこに来てくれた人たちと色々話をしていたら、その中の一人の学生が「サイボウズに入社したい」と言ってくれて。その子が採用試験にエントリーした結果、内定が決まったというようなことはありました。 ー 素晴らしい。成果に繋がっていますね。   本業と複業の両輪で社会を変えていきたい ー 現在、複業でブログ執筆サポートのコーチングなどもされていますが、どんな背景があって始められたんでしょうか。 はじめは、知人からコーチングの講座を勧められたんです。当時はコーチングについてまったく知らなかったんですが、「傾聴して話を引き出すことや目標達成をサポートするということは人事にとって大切なことだな」と気づき、本業に活かすために講座へ通うことに。勉強していくうちに、このスキルが人の役に立つかもしれないと思い、今の複業を始めました。 ー ビジネスパーソン向けのブログ執筆サポートを思いついたキッカケは? ある日、知人とお互いコーチングをし合っているときに、相手が「こういうことを書きたい」と話していたので、話を聞いていたんです。そうしてその日のうちに、実際に書く直前まで形にできていた。「もしかしたら、こういうサポートを求めている人がいるかもしれない」と思ったのがキッカケです。2020年に向けて、自分のビジネスとして継続サポートできるようにしていきたいと思っています。 ー 今後、本業・複業含めてチャレンジしていきたいことは? 「自立した個人の集う、しなやかなチームを創る」というのが僕のモットーなので、そういう社会を創るための仕事が何かしらできたら、と思っています。そのためにもまず、「チームワークあふれる社会を創る」という理念を掲げるサイボウズで、自分にできることを一つひとつやっていきたいです。 また、自立した個人というものに対しては、コーチングを通してやりたいことに向かって進んでいける人を増やしたいですね。その結果、いいチームも増えていってほしいなと考えています。   (取材:西村創一朗、写真:大沼楽、文:ユキガオ、デザイン:矢野拓実)

「なんとかなる」精神でハッタリをかまして成長し続ける、元・学生パパの人生観

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第14回目のゲストは、元・学生パパであり、現在は株式会社COUNTERWORKSで事業開発を行なっている竹信瑞基(たけのぶ・みずき)さんです。 海外でのインターン経験から「なんとかなる」という精神を身につけ、学生パパとなる決断から自分のやりたいことを見据えたキャリア選択まで、後悔しないための道を選んで成長を続けてきた竹信さん。 知識ゼロから自学自習でスキルを身につける方法や、さまざまな選択肢がある中でのキャリアの選び方など、大学生やU-29世代必見の話題が盛りだくさんです。また、2児のパパでありながら仕事で成果を出すための両立のコツも話していただきました。   「なんとかなる」精神を身につけた大学時代 ー 竹信さんの簡単な経歴を教えてください。 明治大学出身で、元学生パパです。大学1年の3月、当時付き合っていた彼女との間に子供ができ、大学2年の4月に結婚しました。 大学1年の夏には、1ヶ月半ほどインドで海外インターンを経験。その後、子供ができたことがわかって「稼がなくては」と思い、大学在学中に株式会社アイタンクジャパンが運営する『キャリアバイト』などでインターンとしてマーケティングに携わらせてもらいました。 そして、現在の株式会社COUNTERWORKS(以降、COUNTERWORKS)立ち上げのタイミングで代表の方に声をかけてもらい、第一号インターンに。ここまでが学生時代の仕事のお話です。 大学卒業後は株式会社リクルートホールディングス(以降、リクルート)に入社し、UXデザイナーやプロダクトオーナーの仕事を経て、HR領域のアナリストなどを経験。2019年4月からは、現在の職場であるCOUNTERWORKSに移りました。 ー インドへ海外インターンに行かれたのは、どんなきっかけがあったんでしょう? 大学に入ってすぐ、NPO法人アイセック・ジャパンという海外インターンシッププログラムを提供しているところでインターンとして働かせてもらったのがきっかけです。そこで営業の仕事を行いながら、インドに興味を持つようになり、実際に行ってみたいと思うようになりました。 ー 実際にインドへ行ってみてどうでした? 現地で仕事をするつもりで行ったんですが、いざ入国して現地のNGOの人たちと面接をしたところ「ここ(インド)に仕事はない」と言われてしまって。そこからインドでの仕事探しが始まりました。ただ、僕がいたところはヒンディー語圏だったため、必死で勉強した英語が通じないんですよ。 だから現地でヒンディー語を勉強して話せるようにしました。そして、インドの女性や子供たちに数学と英語、ヒンディー語の読み書きを教える仕事をすることになったんです。僕はヒンディー語のスピーキングを教えてもらいながら、教えてもらったヒンディー語を使ってヒンディー語の読み書きを教えていく、という。 ー 学びながら教えるということですね。1ヶ月半のインド滞在で、得られたものは多かったんじゃないでしょうか。 やりきれなかった部分も多かったですが、学べた部分もありました。僕が思っていた以上にインドでの識字率が低いことや、話せるけど字がわからない人がいるという現実を感じましたね。 また、本人の自学自習に頼ってしまうというNGOの体質に課題があるなとも思いました。NGOは非営利なので、利益も出ず、あまり人件費が割けないんです。その分、コンテンツを充実させようとか、意欲を持って教えようという雰囲気になりにくい。なので、NGOをより良くしていく活動ができたらいいな、と思うきっかけにもなりました。 それに、「なんとかなる」という精神が身についたのは大きいですね。インドで仕事がなかったり、現地の言葉が喋れなかったり、いろいろトラブルもありましたが、運やご縁で助けていただけて、「死ななければなんとかなるんだな」ということが分かった1ヶ月半でした。   「後悔する選択をしたくない」だから学生パパになる決断ができた ー 大学1年で子供ができたことがわかったのは、完全に青天の霹靂だったと思うのですが。 そうですね。でも、高校生の頃から付き合っていた彼女だったので、このまま結婚してもいいかなと考えていたんですよ。とはいえ、大学生で大した稼ぎもなかったので「これはいろいろと考えなくては」と思いました。ただ、堕ろすという選択肢はなかったですね。 ー 子供を産むのはお互いの決断だった、と。 ご縁だと思ったこともあり、少なくとも僕はそうでした。彼女からも、堕ろすつもりはなかったと聞いています。インドでの「死ぬ気になればなんとかなる」という経験もありましたし、あとは単純に堕ろすのが嫌だなと思ったんです。 責任を取らなかったと見られるのも嫌だし、後悔する選択をしたくなかったので。僕が頑張ればいいのなら、頑張れると思いました。 ー 授かったからにはなんとかしてやるぞ、という気持ちで決断されたんですね。それにしてもご両親の説得は大変だったんじゃないでしょうか? 僕も彼女も両親が授かり婚だったこともありましたが、ちゃんと責任持って真摯に向き合うということ、そして具体的にどうするのかという話をして交渉に臨みました。両親もはじめは難しい反応でしたが、僕たちの意志を尊重してくれて、結果的には金銭面で支えてもらえることになりましたね。   「ハッタリ」からの自学自習でスキルを増やしていく ー 学生パパになることを決断したあとから「稼がなくては」とマインドが変化されたそうですが、具体的な行動はどう変わったんでしょうか? どうやったら新卒で就職していいポジションが取れるだろうと考えるようになりました。そこで、当時はまだWebマーケティングを実際にやっている学生は多くないと思い、マーケティングの世界に踏み入れることにしたんです。 ー 当時はWebマーケティングのスキルはゼロだったわけですよね。それでもインターンとして採用してもらえたのはなぜだと思いますか? 「Webマーケティングをやっている」とハッタリをかましたからだと思います(笑)と言っても、実際にGoogleアナリティクス(Webサイトの解析ツール)などは使ったことがありましたし、海外インターンの営業の仕事もやった経験があるということもアピールしたのが効いたんじゃないかな、と。 ー その結果、なんとかなったんですね。 なんとかなりました。入社初日には「オウンドメディアにはこんな記事を書いたほうがいい」といった提案書を持っていったり、かなり頑張りましたけどね。マーケティングは僕のやりたいことだったので、ハッタリをかましても頑張れると思っていた部分はあります。 もちろん仕事ではトラブルもありましたが、「頑張ればなんとかなる」ということを実感しました。当時はWebメディアにいろんな記事が載っていたので、家でもそれを見て勉強しましたし、勉強会で詳しい人に教えてもらえる環境もあったので。 ー 知識がない状態から自学自習をしてスキルを身に付けていくスタンスや行動力は、竹信さんの強みだと思います。自学自習のコツはありますか? 誰に教えても理解できるような、第三者目線のノートを作ることですかね。紙のノートでもパソコン上でのドキュメントでも構いません。まず全体像を把握し、そこから情報を各パートに分けて、「どう書いたら伝わるか?」という視点で知識をまとめていくんです。セルフティーチングみたいな感じで、自分に教科書を作る感覚ですね。 あとは、そもそもの意味や目的をはじめに理解するよう意識しています。会社であれば、その事業の目的を理解し、それを自分の足元に置いておくイメージ。たくさんある情報の中から自分に必要なものを選ばないといけないので、今抱えている問題や勉強の目的をはっきりさせておくことが大切です。 ー おすすめの勉強法のステップがあれば教えてください。 僕の勉強ステップはこのような感じです。 ①なぜそれに興味を持っているのか言語化し、意義づけ ②自分のやりたいことと紐付けて、勉強するジャンルを絞る 僕の場合、マーケティングに興味を持った理由は「営業は苦手だからしたくないから」「効率よく人を集められる仕事だったら幅広く使えるから」という2点。次に、当時働いていたキャリアバイトでやりたかったのは「インターンをより広く知ってもらうこと」なので、そのためにはWebのSEOから勉強しよう、と考えました。 ここまで絞れたら、習得したい知識について詳しいWebメディアをいくつか探し、それを読み込んで勉強していくんです。 ー 書籍より、Webメディアの記事をベースに勉強されていたんですね。 最初は、ハードルを下げることを大事にしていたんです。書籍にお金をかけても、なかなか読めずにいると罪悪感が生まれて逆に動けなくなってしまうので、毎朝Web記事を読んでメモをするというところから始めました。 僕自身はサボり屋なので、三日坊主を防ぐために小さく重ねていく。そしてWeb記事が完全に理解できたと思ったら書籍で勉強して、また分からないものが出てきたらWeb記事読み返したり、それでも分からないものについては専門家の方に聞きに行ったりしていました。 ー 専門家の方には、すぐに会って教えてもらえたんでしょうか? いえ、ツテもなにもなかったので、直接メールを送って会ってもらえないか連絡していました。大学生であることや、自分が今やっていること、困りごとなどを伝えましたね。それでも見送られることは多かったです。 もし会ってもらえることになったら、ランチをご馳走していろいろな知識を教えてもらっていました。その人からまた専門家を紹介してもらえて、ツテができて……という感じでどんどん勉強していったんです。   「選んだ道を正解にしよう」と決めた就職先 ー いま働かれているCOUNTERWORKSには、大学在学中にインターンをされていたんですよね。どのようなきっかけがあったんでしょう? 大学3年で夏のインターンをしていたときに、ちょうど今のCOUNTERWORKSの社長がインターンを探していて、声をかけてもらったのがきっかけでした。 これまでやっていたWebマーケティングではなく、営業とプロジェクトマネージャーの仕事をさせてもらうことになったんですが、そこで営業に対する意識が変わりました。実はマーケティングも営業も、お客さんにサービスをお勧めし選んでもらう手段として、1対1なのか1対多なのかの違いがあるだけだな、と。 ー 営業への苦手意識が薄れたわけですね。COUNTERWORKSでは1年半もの間、インターンをされていたそうですが、長く続いた理由はなんですか? 僕がずっとやりたかった仕事に近いものができたからだと思います。会社の登記とほぼ同じタイミングでインターンとして入り、お客さんの声を聞きながらサービスの改善をするなど、自分でいろいろな策を講じることができる環境で、やりがいを感じていたんです。 今までのWebマーケティングだと、関われる範囲に限界があってサービスの中にまで踏み込めなかった。でもそれがCOUNTERWORKSではできたんですよね。 ー そのままCOUNTERWORKSに入社する選択肢もあった中で、リクルートへ就職されたのはなぜでしょうか? 就活では他の企業も受けていましたし、リクルートに就職するという選択肢もあるなと思いつつ、COUNTERWORKSが第一志望でした。ただ、僕には子供もいて、家族としては安定を求めて大企業に入ってほしいという気持ちもあるかな、と思ったんです。COUNTERWORKSはそのとき、まだ創業2期目でしたし。 それに、COUNTERWORKSで力になるには、今の自分のスキルレベルは不十分だなとも感じていました。だから、「リクルートで得られるものを100%得てからCOUNTERWORKSに戻ろう」「自分の選んだ道を正解にしよう」と心に決め、リクルートを新卒の就職先に選んだんです。 ー 戻るつもりとはいえ、苦渋の決断だったんですね。 はい。でもリクルートで過ごした3年間で、語りきれないほどの学びを得ることができました。たとえば、プロダクトの機能を作る上でのお客さんとの向き合い方や、改善をスピーディーに行うことで数字としてはどう返ってくるのか、また組織の運営に対する考え方や組織を活性化させる方法など、今の職場で活かせる知見を身につけられたと思います。   時間を区切ることが、子育てとキャリアを両立させるコツ ー 学生でパパになり、今は2人の子供がいらっしゃる中で、子育てとキャリアはどのように両立させてきたんでしょうか? それぞれの時間を区切ることで両立させています。平日の日中は仕事があるため、夜は妻の負担を減らせるように家事をしたり、土日の日中は基本的に子育てと家事をしようと決めているんです。そうすることで、心の余裕も保てています。 ワンオペ育児が大変なのもわかるし、かといって仕事は集中してやらないと成果が出せない。なので、妻には「平日は仕事のことだけ考えるし夜遅くなることもある」と言い切って、その代わりに細かな部分で妻が少しでも楽できるようにと配慮して動いています。土日も、家事は五分五分でやるようにしていますし。 ー 平日のスケジュールはどんな感じでしょうか? 日によるのですが、だいたい朝9時頃に子供と一緒に家を出て、幼稚園に送っています。帰る時間は早い日だと夜7〜8時くらいで一緒にご飯を食べることもできるんですが、仕事も忙しいため月の半分くらいは帰宅が夜9〜10時くらいになってしまいますね。理想は月の8割を早めに帰りたいんですが。 ー 会社の飲み会なんかもありますよね。それはどれくらいの頻度で行かれていますか? 月2回までに抑えるようにしています。そもそも飲むのがそんなに好きじゃないのと、夜はできるだけ仕事に充てたり早く帰ったりしたいので、本当に行きたい飲み会だけに絞るようにしているんです。 ー 家庭や子育ても大切にしつつ、仕事でも成果を出すために工夫されているんですね。   社会的意義まで見据えたプロダクトづくりがしたい ー 現在、COUNTERWORKSで新規事業に関わっているとのことですが。 はい。IoT(=Internet of Things)を利用して、お店や商業施設の中でどのように人が動いているのかを可視化し、「場」の収益性を改善できるようにする事業に取り組んでいます。もともと、「SHOPCOUNTER」というポップアップストアや展示会などが開ける空間のマーケットプレイスを運営しているんですが、データを使って空間を持っている方も使う方も更に場の活用・収益の改善ができる方法を見つけたいな、と思ってこの事業を始めました。 「なんとかする」という気持ちで、どうお店や施設を良くするのかという部分に向き合っていきたいです。 ー では、竹信さんの当面のミッションは、その事業を形にするということですか? 短期的にはそうなんですが、このシステムの社会的な意義は「まちづくり」にあると思っていて。街の企業や住む人たちの意見をちゃんと反映できるよう、まちづくりのOS(基幹システム)として機能させられるようにしていきたいんですよね。 従来のように、不動産開発業者が施設建設の計画を立ててテナントを誘致するというやり方だけではなく、街の人たちが「いいな」「使いやすいな」と思えるかどうかを主軸としてお店や施設を作る・運用するというやり方が実現できるようにしたい。事業としてしっかり利益を作っていくことはもちろんですが、その後の社会的意義まで考えてこの事業を形にしたいと考えています。   (取材:西村創一朗、写真:山崎貴大、編集:ユキガオ、デザイン:矢野拓実)

若いうちにしかできない「手を挙げる訓練」をしろ –「不登校10年」の小幡和輝からU-29世代へのメッセージ #アンレールな私たち

キャリア選択が多様になる現代。これまで主流だった「大企業神話」は平成とともに周縁を告げ、意志ある選択をした若者が躍動する時代へと変化していきます。 連載「#アンレールな私たち」では、一見ユニークでありながら当たり前になっていくであろうU-29世代の活動を取り上げ紹介していきます。新しい「あたりまえ」がやってくる足音を、本メディア「U-29」がいち早く届けていきます。 今回は、約10年間の不登校を経験したしたのちに高校3年生で起業、地方創生を軸にさまざまなプロジェクトを手掛ける小幡和輝さんにインタビュー。不登校時代のエピソードや、アンレールなU-29に送る言葉をいただきました。 Text by なまっちゃ   知っているのにバカにされる。個性を受け入れない雰囲気に嫌気がさした なまっちゃ:小幡さんは約10年間不登校を経験していました。そもそも、なぜ学校に行かなくなったのでしょうか? 小幡和輝さん(以下、小幡):不登校になったきっかけは同年代の友達との価値観の違いからでした。小学生時代は、遊び相手が5つ年上の兄とその友達だったので、同年代の友達と趣味嗜好が合わなくなってきていることを感じていたんです。 中学生と遊んでいたほうが楽しいし勉強になるのになんで学校に行かなければいけないんだろうと思うようになっていきました。 なまっちゃ:身近にいる人によって価値観は変わってしまいますよね。 小幡:年上の影響を強く受けていたので、同年代の「ノリ」が理解できずに苦しかったのを覚えています。 小学2年生のとき、同じクラスの人が「”3‐5”はなんだ?」と意地悪で僕に聞いてきたことがありました。僕は中学生と勉強を一緒にしていたのでマイナスの概念を知っていて、「‐2だよね」と普通に答えたんです。 すると友達はバカにした口調で「何いってるの?マイナスなんかないよ」と。知っていることをひけらかすと受け止められたのか、しらけた雰囲気になってしまったんです。 正しい答えを言っただけでバカにされる。ショックを受け、少しずつ同年代とのコミュニケーションを避けるようになっていきました。そんなそんな小さなショックが重なり、少しずつ学校に行きたくないなという気持ちが強くなってきました。 なまっちゃ:そうだったんですね。 小幡:当時の僕は「価値観が違う」と言語化はできていませんでしたが、「なんかちがうな、楽しくない」と学校生活に対して思うようになっていきました。だんだんと学校を休みがちになり、クラスから居場所がなくなっていき…本格的に不登校になりましたね。   “学校にいく理由”を探すことが難しい時代になってきている なまっちゃ:時代が変化にしていくにつれ、学校の存在意義も変わってきたように思います。小幡さんは当時と現在の学校の在り方をどのように考えていますか? 小幡:僕が通っていた時代やそれ以前の学校は、とても大きな役割を担っていたと思います。知識は学校に行かないと学ぶことができないし、友達も学校でしか作ることが出来ませんでした。学校に行かないとできないことが、当時はたくさんあったんです。 しかし、ここ10年くらいでインターネットとSNSが急速に発展し、学校でしか出来ないことを探す方が難しくなってきました。勉強はオンラインスクールでパソコンがあればできますし、友達もSNSで作ることができますよね。同年代が集まる場としての学校の“価値”が、SNSに代替されているのだと思います。 なまっちゃ:なるほど。すると、もう学校に価値はないのでしょうか? 小幡:いえ、コミュニティとしての価値を失ったとしても、学校に通った方がいい理由は2つあります。 1つ目はコスパがいいこと。日本中どこに行っても、学校では統一されたレベルの教育をほぼ無料で受けることができます。クオリティが担保されている教育を無償で受けることができるのはかなりの価値があると思っています。 2つ目は視野が広がること。もし学校に行かずに独学で学んでも、自分の興味関心ばかりに取り組んでしまい知識に偏りが出てしまいます。さまざまな分野を網羅的に学べる学校に行き、いろいろな価値観に触れることは、大人になってから大きな財産となってくれるでしょう。 なまっちゃ:SNSには代替できない学校の価値があるんですね。しかし、小幡さんはさまざまなメディアで「学校に行きたくなければいかなくていい」と仰っています。 小幡:はい。学校以外にも学ぶ場はたくさんありますし、友達を作る機会もあります。学校に行きたくなければいかなければいい。ただ、そのときに親が子供に不登校をしてもいいんだよという雰囲気をだせるような関係を築くことが大事だと思っています。 なまっちゃ:なるほど。 小幡:不登校の子達がのびのびとできる居場所を模索するためには、親子の“信頼関係”が必要不可欠です。ある意味、子どもの将来のためには「不登校になれる環境」を作った方がいいのかもしれません。   学校に「有給休暇」を なまっちゃ:これから学校が子供たちにとって価値ある場所になるためには、どのような取り組みを行えば良いのでしょうか。 小幡:学校でも会社と同じように有給休暇を取り入れればいいと思っています。 なまっちゃ:有給休暇? 小幡:不登校の大きな課題1つに、1回不登校になってしまうと外に出にくくなってしまうことがあります。数日間学校を休むだけで周囲の目が気になり、欠席した子自身が劣等感をすごく感じてしまうんですよね。しかし、有給休暇があれば気負いなく休むことができるし、周りも休んだことを変に思いません。 なまっちゃ:なるほど。学校に有給休暇制度ができるだけで、子供たちの心はだいぶ軽くなる気がします。 小幡:友達と喧嘩してどうしても行きたくない日も、これまでは学校に行かない理由にはなりませんでした。しかし、体調に関わらず、本人が行きたくない日はある。そのときに有給休暇があれば「今日、有給を使ったから学校休むね」と親に気負いなく言えますよね。理由を周りから求められることがありません。とりあえず学校を休むことは、かなり心に余裕をもたらしてくれると思っています。   不登校の「先」をつくる なまっちゃ:「#不登校は不幸じゃない」というハッシュタグ活動をSNSで企画し、多くの注目を集めました。今後、小幡さん自身はどのような活動をしていきたいと思っていますか? 小幡:これからの活動のテーマは不登校の“先”を作ることです。現在、多くのひとにとって不登校は「避けたい」もの。世間的にネガティブなイメージが強く、将来の不安を感じてしまいがちです。 なまっちゃ:もし自分の子供が不登校になったら、社会復帰できるのか不安になる気持ちはわかる気がします。 小幡:しかし、不登校だった子供が自立して稼げるようになる未来が見えていれば、不登校でも許される。不登校の子供たちが学校に行かない時間を使って、クラウドワークスなどで仕事を取ってきたり、BASEでオンラインショップを展開していたり…。現代では不登校の子が仕事をこなすことはすごいことだと思われますが、それが当たり前になるように、僕は仕組みを作ろうと思っています。フリーランス的な働き方を、不登校の子にも選択肢として与えてあげられたらなと。 なまっちゃ:とても新しい考え方ですね。 小幡:今の時代は「個人」でも生きやすい時代。特に若者はノーリスクでチャレンジできる恵まれた環境にあります。不登校をきっかけに、学校とは違った楽しさを知ってほしいですね。   『手をあげる訓練をしよう』U-29世代へ贈る言葉 久保田:U-29世代に、小幡さんから何かお言葉を頂戴したいと思います。 小幡:多くの若者と対話していて感じることですが、最初の一歩を踏み出すことにすごいハードルを感じてしまう人が多いです。だけど、行動してみないと何も変わりません。とにかく20代のうちに色々とチャレンジして行動して欲しいと思います。 なまっちゃ:チャレンジといっても、最初はどうすればいいのかわからない人が多いと思うので、具体的なアクションとかあれば教えていただきたいです。 小幡:手を挙げる訓練を日頃からしておくことだと思います。自分の目の前にチャンスが転がっていたときに、条件反射的に飛びけるように習慣付けておくことが大事なのではないでしょうか。 そして、条件反射的に飛びついたとしても、その出会いを「チャンス」に変えられるとも限りません。例えば会いたい人がいてメッセージを送ったときに、そのひとが会いたくなるかどうか、魅力的だと感じるかどうかも大事です。相手のことを考えた、自分の「見せ方」を考えてほしいと思います。 なまっちゃ:素早く動きつつ、自分の「見せ方」を意識することも大切なんですね。最後に、現代の若者へメッセージをいただけますでしょうか。 小幡:僕は不登校のとき、学校に行かずにずっとカードゲームをやっていました。しかし、カードゲーム大会の主催をしたり、好きなことに対してアクティブに動いていったところ、自分に自信をつける訓練ができたと思っています。誰しもが最初は手をあげるのが怖いと思います。しかし、一歩踏み出した先にやって良かったなと思う出来事は必ずある。ぜひやりたいことがあったら、消費する側ではなく生産する側になってください。 失敗しても、そのあとにリカバリーができれば、それは成功のためのプラスの材料になります。しかし、失敗して諦めてしまった時に、失敗になってしまうのです。自分は他の人と違うから…とチャレンジをしないのではなく、どんどん手をあげ続けてチャレンジして行動して欲しいと思います。 不登校から立ち直させるのではなく、不登校でも生きれる方法を提示する小幡さん。そんな小幡さんの活動は、不登校な子供達の生きる選択肢をつくることにとどまらず、自分がアンレールかもしれないという不安や悩みを抱えている人にも一歩を踏み出す勇気を与えてくれるのではないかと、インタビューをしていて思いました。 そんな小幡さんが出版した「学校は行かなくてもいい」には、アンレールになってしまった人たちへ贈る言葉が詰まっています。ぜひ、読んでみてください。

広報、週末モデル、セラピスト ー 下田奈奈が複業できたのは「余白を持ったから」

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第23回目のゲストは、株式会社MONOKROM(以下MONOKROM)で広報室長をされている下田奈奈(しもだ・なな)さんです。 学生時代はモデルやタレントとして芸能の世界で活躍し、就職後はITベンチャーにて営業や広報として活躍。現職にて様々なキャリアの選択肢があることに気付き、週末モデルやセラピストとして複業をされている下田さん。 そんな下田さんから、「複業してみたいけど何をしていいか分からない」いう方に向けたメッセージや、今の仕事に出会うまでのストーリーを伺いました。 異なる価値観に触れる機会を残すため、普通校へ進学 ― 小学校から高校まで芸能活動をされていた下田さんですが、一度その活動を控えて大学進学を選んだのはなぜでしょう? 中学時代、学校と芸能の友達などコミュニティを行き来している中で、価値観の違う人はけっこういるんだなと感じていたんです。周りでは芸能系の高校へ進学する子が多かった中、ひとつの価値観に染まるのは怖いなと思い、違う価値観と関われる機会を残しておきたくて普通の高校に進学を決めました。 それまでは仕事で学校も休みがちだったんですけど、高校に入ってからは毎日学校に通うようになって。「普通に生活することってけっこう楽しいな」「毎日同じ場所に行くことで学ぶ事とか成長できることがけっこうあるんだな」と気付いたんです。それなら大学でもいろいろなことを学びたいと思い、大学へ進学することにしました。 ― 大学進学をしても芸能活動を続ける人もいる中、事務所も辞めたんですよね。 高校に入った時、本格的に芸能活動をしていこうという流れになったんです。でも、活動していく中で、「自分にはこれを生涯の仕事にする覚悟がないな、覚悟が足らないな」と思うようになって。それなら辞めようと思い、進学を考えているタイミングで事務所を辞めることにしました。 ― 芸能活動から一線を引いて、どんな大学生活を過ごされてきたんですか? これまで勉強ができてなかった分、ものすごく気合を入れて毎日勉強していました。ただ、根詰めすぎたのか、体調を崩してしまって。大学2年のときに、もうちょっと力を抜こうと思ったんです。 せっかくだから大学生らしいことにもチャレンジしてみようと思い、そこからアパレルブランドのプレスやテレビ番組のリポーター、ミスコンなど様々な活動をするようになりました。 ― 再び芸能活動に近しい仕事をやるようになったわけですね。 本当はやったことのない経験をしようと思っていたんですが、ついつい近くにある方を選んでしまったんですよね。リポーターなど学びの多い経験はできたものの、芸能活動以外の強みがないことが不安で自分に自信が持てず、将来に対してモヤモヤしていました。   自分を鍛えられる会社へ ー ITベンチャーへの就職 ― そういう中で就職活動の時期に突入したんですね。就職活動はどうでしたか? 就職活動の時はモヤモヤしていたので、「厳しい環境に身を置いて自分を鍛えられる会社に行こう」と思い、ベンチャー企業ばかり受けていました。最終的にはクラウドソーシング事業をやっているIT系の企業へ行くことに。 今は、甘やかされるよりも厳しくしてもらったほうがいい時期なんじゃないかと思って。人事の方含め、そういう価値観の方が多い会社だったので、ここで頑張ろうと思ったんですよね。 ― 最初の会社では営業に配属されて、毎日泣きながら働いてたんだとか。 最初のうちは本当に大変でしたね。パソコンのキーボードの打ち方もわからなくて、先輩の前でいつも泣いてました。入社して1ヶ月目の頃に先輩たちとランチに行ったとき、「何のために数字を追いかけるのかわかりません」と、急に涙が出てきたこともありました。 ― そんな中新人賞を獲得。そこまで成果を出せたのは、何が要因だったと思いますか? 一番は先輩方がものすごく親切だったからでしょうね。できない私に対しても諦めずに、丁寧に指導していただいたので。私自身、何も分からなかったからこそプライドが一切なくて、言われたことを全部やっていたんですよね。あと、自信がなかったので人よりも頑張らなきゃいけないと思っていて。 あとは、「成果を出さない限り次の仕事につながらない」という芸能活動での学びが活きたと思います。当時の私は、目標達成するのが当たり前だと思っていましたし。それで毎月目標達成できたというのがあるかな、と。 ― 1社目では、がむしゃらに働いていたわけですね。 はい、働くというのをどういうバランスでやったらいいのか、加減が分からなくてなってしまって。とにかく死ぬ気でやらなければと思い、時間コントロールもできず、体力的にも精神的にもギリギリになっていました。 当時はロールモデルがあまりいなくて、「こんな生き方や働き方をしたい」という人が見つけられなかったんです。そこで、起業する気もないのに女性起業家をロールモデルとして真似して、自分で自分にプレッシャーをかけてしまっていました。 ― その後、2年ほど働いて退職。そこから今の会社へ入るまではどのような変遷があったんでしょう? 次のステップに進みたいなという気持ちがあり、2017年のはじめに転職しました。2社目はゲーム会社だったんですが、そこでできるのが採用広報の仕事だということと、ちょうど新しいサービスをリリースするタイミングだということで、チャレンジしてみたいなと思ったんです。 2社目で1年弱ほど働いた後、学生時代から繋がりのあったMONOKROMへ転職。学生時代に代表から「ゆくゆくは女性を支援できるサービスをやりたい」と聞いていたので、いつか一緒にできたらいいな、と思っていたんです。そして「週末モデル」のサービスをリリースするタイミングでジョインすることにしました。 ― 転職後すぐにベンチャー企業でサービスの立ち上げ、というのは大変だったと思いますが。 大変ではありましたが、代表が「自分を大事にして働いてほしい」「自分のキャリアを大事にして、目標や叶えたいことのために仕事を活かしてほしい」という考え方なので、体力的にも精神的にも働きやすいと感じました。ベンチャー企業なんですが、「副業の時間を作ってもいいよ」という自由な社風で、今までの働き方とはかなり変わりましたね。 MONOKROMでは広報として働いているんですが、立ち上げたばかりのサービスなので最初は事例もユーザーもいない状態で。まずはイベントを開催したり、メディアで記事を書いたりといったことをやっていました。そうして少しずつ信頼関係を築いて事例を作り、広報活動に取り組んでいったんです。それが大変でしたね。   週末モデルから学んだキャリアの選択肢 ― 現在下田さんは複業されていますが、いつ頃から始めたんでしょう? 自社サービスである「週末モデル」のモデルとしての複業は、入社後3ヶ月ほどで始めたんですが、2018年末頃からはセラピストとしての複業も始めました。仕事で様々なモデルさんとお会いしているんですが、みなさんすごく向上心が高いんですよ。いろんな資格の勉強をされていたりして。「キャリアの選択肢ってこんなにたくさんあるんだ」と、いい影響を受けました。 私はマッサージが好きだったので、いつか仕事にできたらいいなと思って勉強していたんですが、ずっとチャレンジできなくて。でもあるとき仕事でご縁があったお店に誘ってもらい、働かせてもらうことにしたんです。 ― セラピストと本業の時間配分はどうされてたんですか? そもそもMONOKROMに入社する際に、週4勤務をお願いしていたんです。好きなものややりたいことが見つかったときのために、と思って。だから最初は週3日セラピストとして働いていたんですが、さすがに体からの黄色信号に気付き、シフトを減らしてもらいました。 ― それは大変そうですね。広報とセラピストという全然違ったお仕事を両立されていますが、やっていて感じるメリットやデメリットはありますか? 複業は自己管理が肝心なので、バランスがすごく難しいなと実感しています。自分の黄色信号に気付くのが大事ですね。ただ、広報の仕事で常に頭を使っている一方、セラピストの仕事では何も考えないことが重要なので、真逆の仕事をしているからこそバランスが取れている部分もあるなと思います。 それに、セラピストとして施術をしたお客さんが週末モデルに登録したいと言ってくださったり、逆に広報の仕事でお世話になっている方が施術に来てくださったりすることもあるのが嬉しいです。   複業のコツは余白を持つこと ― 複業したいという人に対してアドバイスはありますか? 「複業したい」というお話はよく聞くんですが、何をしていいかわからないという方が多いなと思っていて。そんな方は、自分の中に余白やバッファを持つのが大事だと思います。今やっていることももちろん大事ですが、一切余白がないとそこに新しい何かが入り込む隙間がないので。 それに、時間があることで自分が好きなものを探すことができますよね。私も週1日の休みの中で興味があることをいくつかやってみたんです。その中で「マッサージの仕事をしてみたい」と思うようになりました。まずは自分の好きなものを探す時間や、実際に好きなことをやっている人に会う時間を取ることが大事だと思います。 ―最後に、下田さんが今後チャレンジしたいことを教えてください。 いつか自分で開業するときのために、週末モデルで吸収しているものや様々な女性に出会って感じる課題と、セラピストという自分の好きなことを組み合わせて、何かのコンセプトとしてひとつの形にできたらいいなと思っています。 また私自身もそうでしたが、「こうならなきゃいけない」と型にはまったキャリアにとらわれている女性が多い気がしていて。そんな人たちに、「どんなキャリアでも正解だし、色んな生き方があるよ」と伝えるため、まずは週末モデルさんなど色々なキャリアを世の中に出していきたいです。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる (取材:西村創一朗、写真・デザイン:矢野拓実、文:品田知美)

「就活の最終面接で説教された」等身大の自分で挑む、学生起業家のトライ&エラー

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。最終回となる第9回目のゲストは学生起業家の晒名駿さんです。 晒名さんは現在、明治大学の4年生でありながら、今年の4月にHUNT BANK株式会社を設立。「探さない 選ぶだけ」の就活/新卒採用における大学生と経営者のマッチングサービス・ハントバンクは、ローンチ3週間で登録者数500名を突破。 学生起業家という、華々しい肩書を持つ彼。さぞかしキラキラした学生生活を謳歌してきたことだろうと思われるかもしれませんが、彼の口からは次々と意外な言葉が。 「アイデンティティもなく、自分の居場所もなかった」 「最終面接にすすんだ10社で怒られた」 挫折も笑って話し、今の自分を飛躍させる材料に。挑戦に怯まない晒名さんの、いままでとこれからのユニークキャリアに迫る。 「起業」という選択肢に出会うまで ―2019年4月にHUNT BANK株式会社を設立し、10月に学生と経営者向けのサービス「ハントバンク」をローンチされた晒名さん。まずはサービスについて教えてください。   ハントバンクは、簡単に言えば就活版マッチングアプリです。毎日お昼の12時に大学生には経営者が、経営者には大学生がランダムに3名ずつレコメンドされます。 お互いが会いたいと思ったら、チャット機能をつかえるようになります。そして面談へ、という流れです。用途は本採用でもインターンでも、好きに使うことが可能です。 学生限定なのですが、就活生に限ってはいないので、1年生から登録可能になっています。また、ゆくゆくは高校生にまで展開していきたいです。 就職、新卒採用における完全無料のプラットフォームを作りたいと思っているので、学生はもちろん経営者の方も完全無料で利用が可能になっています。また、このサービスをマネタイズする予定もいまのところはないですね。広告掲載とかは検討するかもしれませんが。   ―多くのプラットフォームは、採用側(ハントバンクの場合は経営者側)が課金するシステムだと思いますが、なぜ採用側も無料なのでしょうか。 僕が就活をしていたときに、ある面接官の方に、「自分は今、数字で見られているな」という印象を強く与えられたのがきっかけです。 「この人を雇うためには〇万円払う必要があり、この人が入社したら利益がいくらでるだろうな… 」というような計算をされ評価を下された経験が、なんだか居心地が悪くて。お金で学生と企業の関係が揺さぶられて、アンマッチが起きてしまうって、結局もったいないことになるじゃないですか。 綺麗事だ、と言われてしまうかもしれませんが、お金を一旦度外視して、腹割って話し合ってどう付き合っていくか決めてほしいなと思っています。   ー昔から「起業しよう」という思いがあったのでしょうか。 高校生の頃に、経営学に興味をもったのがはじまりでしたね。 僕、未熟児で生まれて、心配した父が、体を強くするためにサッカーを習わせたんです。だけど、中学受験をして入った中高一貫の学校にサッカー部がなくて。 小学校までは、僕は勉強も運動もできて、ちやほやされていて…出木杉くんタイプでした。だけど、わざわざ中学受験して学校に入ったら、個性的で、自分より勉強も運動もできる子たちがたくさんいて、自分の居場所がない、と感じていましたね。 そんなとき、先輩たちの格好良さに惹かれてハンドボール部に入部することにしました。サッカーと違って、手を使うスポーツなので、最初は全然上達しなくて。高校生になってやっとうまくなってきたら、今度はチームマネジメントに興味をもつようになりました。勝つためには、チーム全体を強くする必要がありましたから。 そのときにたまたま流行っていたのが、岩崎夏海さんの「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」で、そこから経営学に興味をもつようになりました。 経営は会社づくりに必要で、その延長で起業という選択肢もでてきました。明治大学には、経営学を学ぶために進学しました。   インターンより、社長体験ができる学生団体へ ―大学では、起業につながるような活動をされていたのですか? ふたつの学生団体に所属していました。ひとつめがアイセック明治大学委員会。アイセックは、日本の学生を海外の企業のインターンに送り出すエージェント団体です。そこで僕は企画と、インターン生のマネジメントを担当していました。 アイセックでは、「自責の念」を勉強しました。他人のせいにはしない、全部の出来事は自分次第、という考えをもつようになりましたね。 ふたつめが、2018年に代表を務めたAGESTOCKです。AGESTOCKは歴史ある学生団体で、「学生の力」を社会に発信するためにイベントなどを行う企画を展開しています。500人ほど所属しているので、AGESTOCKの代表をやれる、ということは、大企業の社長をやることに近いという認識をもっていました。 滅多にない貴重なチャンスだと思い、代表に立候補しました。選挙制だったので、出馬し、選んでもらって代表になりました。   ―500人いる学生団体の代表、というのは苦労も多いかと思いますが、どのようにしてチームをマネジメントしていったのでしょうか? 昔、ハンドボール部に所属し、チームのために自分が場を引き締めねば、と思い動いた結果、チームメイトがひとり辞めてしまいました。その経験から、まずは自分が変わらなきゃいけないと思い、理想のチーム・理想のリーダーについて考えました。 ハンドボール部のときはピラミッド型の頂点にリーダーとしていましたが、そうじゃなくて、ピラミッドの土台にリーダーがなって、全体を底上げすべきだと思いました。また、目立つのも、メンバーのみんなであるべきだと考え、身近な存在として支えられるよう意識して活動しました。   ―1年間の代表経験を通し、成功したと感じていますか? イベント開催に関してですが、成功と失敗、どちらも感じています。動員数と来場者の満足度では成功といっていいかと思いますが、企業との協賛に関してはもっとできたかなと。ただ、最も大事にしていたのが、後輩たちが来年以降も活動を続けていくモチベーションを保つことでした。なので、会場がお客様で埋まる、という景色を見せることができたのは満足しています。 なんだか、ゆるっとした理想を掲げているように思われるかもしれませんが、実は人一倍数字が見える結果にはこだわっていましたね。あたたかいチームを実現するにも、結果が出ていないと意味がないですから。 コアの運営メンバーには毎日、口癖のように「結果を出せ、結果を出せ」と言っていました。言うだけではだめなので、自分がトップセールスになるよう、チケットの販売ランキングでは絶対に僕が1位になろうと奮闘していました。口だけの、ダサい奴にはなりたくないので。 こういった結果に対しての執念や泥臭さが、成功の要因だったのではないかなと思います。   ―限られた学生の時間をインターンという選択に使う人も多いかと思いますが、なぜ晒名さんは学生団体に加わったのでしょうか? たまたまのタイミングで出会ったものって運命だと思っているんです。その時々で自分が納得できる選択ができたなら、それが正解だよなあ、と。深く考えて選んだわけじゃなくて、自然に出会って自然に選んだ、という感じですかね。 あとは、せっかくの学生時代なので、学生にしかできない選択であったのも理由にあるかなと思います。 お金をモチベーションとしないものであったことも自分にとっては意味がありました。チームのビジョンに共感し、ひたすら突っ走るって、社会人でももちろできるとは思うのですが、どうしてもビジネス色が強くなると予想しています。金銭の価値から外れたところでひたむきに頑張れるって、大事な経験だと思います。   2度の就職活動で学んだこと ー就職活動はされたのでしょうか?     はい。学生団体を3年生の12月に引退してから、いろんな経営者の方のアポをとって直接会いに行きました。そのなかで、最初に会った方が、「将来若い人を応援したいから大学生とその経営者がつながるサービスを作っていきたい」と仰っていたんです。学生団体をやっていたこともあり、「僕、大学生とのつながりが多いのですが、それ、僕がやるのどうですか?」と提案しました。そこからハントバンクが生まれました。   ー起業には、就職活動をしたことが大いに影響しているんですね。 そうですね。その後、起業することを前提に就職活動をしました。なので、副業ができるスタートアップやメガベンチャーを中心に30社ほどエントリーし、そのうち20社で最終面接まで進ませていただきました。 ただ、そのうちの10社でめちゃくちゃ叱られまして…。   ー叱られる、というのはどうしてでしょうか?起業を前提にしていたからですか? はい。最終面接で起業することを伝えると「君、うちに入る気ないでしょ。こっちのお金と時間を無駄にしないでくれる?」って。当然ですよね…。なかには、「ビジネスパートナーとして仲良くしていこう」と言ってくださった方もいました。結局、自分から辞退したところもあり、内定は1社ももらえず、一度目の就活は終えました。   ―内定はもらわない状態で、就職活動をストップさせたのには、心境の変化などがあったからでしょうか? お叱りをうけた最終面接で、印象的だったことがありまして。ある面接官が、「就職するってどういうことだか分かる?」と僕に聞いてきたんです。その方は、「就職するっていうことは、どれだけ企業を愛し、どれだけ企業を伸ばしていけるか、この2つを考えるってことなんだよ」と。それまでの面接で、気付けば僕はずっと自分の成長のことばかり口にしていたな、と。 「自分の成長なんてどうでもいいんだよね。就職にはその2つしかないから、君には就職という道はないんじゃない」と言われて。きつい言い方だったので、当時はうまく受け入れられなかったのですが、時間が経つに連れて納得していく自分がいました。 そして、僕はハントバンクという会社を愛して、どれだけ伸ばせるかを考えよう、って、踏ん切りをつけることができました。   ーその後、会社の成長に集中して取り組まれたわけですね。9月から再び就活を再開されたそうですが、なにか変化があってのことでしょうか? ちょうどその時期に会った友人から、就活の相談を受けていたんですよね。その友人に「晒名も、もう一度就活をしてみたら?この時期まで就活をやっている人特有の悩みってあるし、それはいまのサービスに活きるものじゃないかな」と言われました。 確かに、新卒での就職活動は今しかできないことでしたし、自分がサービスを提供するユーザーの気持ちをリアルに体感できるだろうと考えて、9月から10月末までの間、就活を再開しました。   ーそもそも、起業するという道がありながら、就職という選択を捨てきれなかったのはどうしてなんでしょうか? いまいただいている仕事って、自分が大学生であることが大きな強みになっているんですよね。だからこそ、卒業してその肩書が外れた自分になにが残るんだろう、と正直、不安な気持ちがありました。 なので、二度目の就活は専門性をつけることができる企業を選んでいました。自分の武器が欲しかったんですよね。 そんななかで出会った経営者の方に、「専門性って、ときに足枷になるんじゃない?」と言われたのが印象に残っています。 たとえばデザイナーだったら、デザインをするって決まっている。それはそれでいいんだけど、デザインとなにか他のものを掛け合わせて新しい価値を創造することに起業家や経営者の価値があるんじゃないかって。「君がそういう生き方をしたいんだったら、専門性より、日々の目の前にある課題を自分の力で乗り換えていく適応力の方が大事だよ」と伝えられて、腑に落ちました。 いまの自分にとって必要なのはそれだ、と気づき、いまはいただくお仕事のなかで自分ができることを増やせるよう注力しています。なので、就職はもう考えていません。 …ただ、これも出会いのタイミングだと思いますので、本当にビビッとくる出会いがやってきたらまた違う選択をしているかもしれません。一見ブレブレしていそうですが、そういう柔軟さを大切にしています。フットワークの軽さが強みです!(笑)   起業の先に見据えるもの ーハントバンクは今後、どのように展開していく予定でしょうか? いまはアプリを開発しているところで、来年リリース予定です。これはあえて公言しているのですが、最終目的はバイアウトです。国内の大手人材会社に買っていただいて、その会社の理想を持ちながら、ちゃんと世の中に残るサービスを作りたいという思いがあります。 もともと、会社を立ち上げるときに、会社経営のなかでも特にチーム作りを大事にし、自分がお皿になって社員のみなさんを幸せにしたいという思いが強くありました。そこを僕のライフワークにしたいんです。 なので、ハントバンクはひとつの通過点だと思っています。こうやって振り切って、目的地が決まっているからこそスピードと成果を重要視していけていますね。 いいサービスであると自信をもっているので、会社にとっての目的の達成は、そのさきに幸せになる人がいるとも信じています。   ―いずれはハントバンクを手放すということですが、晒名さん自身の今後の展望は? いま、僕は大学4年生で、リアルに就活のことが分かるからこそ、取り組めている部分もあると思うんですよね。3年後、5年後…と年を重ねるごとに、そのときどきの人生における課題は必ずでてくると思うんです。なので今後も、そのときの自分ならではの目線で物事を見て、挑戦し続けられたらいいなと思っています。 ハントバンクはこちら == 執筆・編集:野里のどか(Twitter / ブログ) 取材:西村創一朗 写真:橋本岬 デザイン:矢野拓実

マイクロソフトを辞めて単身渡仏。感性を言語化する書家 小杉卓が語る「アートとビジネスの関係」

東京を拠点に活動されている書家 小杉卓さん。大学卒業後、大手IT企業に就職するも、「書の可能性に挑戦したい」という思いから、フランスへ渡り、アートとしての書の制作を始められました。 現在、個展はもとより、フランスでのマツダのモーターショーやオーケストラが演奏するクラシック音楽に合わせた舞台での書道パフォーマンスなど、枠にとらわれない取り組みをされています。 そんな小杉さんに、渡仏しようと思った経緯、またアートとビジネスの関係について深く聞いていきたいと思います。 ■ 原点は、子どものころ、褒められて伸びたこと ーまず、小杉さんの学生時代から今に至るストーリーを簡単にご紹介していただけますか。 小杉:大学は国際基督教大学、ICUで、日本文学を専攻していました。大学2年生のときに東日本大震災のボランティアに行き、マイクロソフトの社員の方と一緒に活動させてもらう中で、今まで趣味で続けていた「書」というものを、もっといろんな形で展開できるんじゃないかと思いました。それが、「マイクロソフトと書」っていうキャリアのきっかけになりました。 でも、やっぱり大学を出てすぐ書道だけで食べていくってことは難しかったので、2013年にマイクロソフトに入社して3年半勤務しました。そのあと1年間パリに行ったのですが、その理由は、もともとフランスのアートがすごく好きだったので、その作品が生まれたパリで自分も制作活動をやってみたかったからなんですね。その後帰ってきて、東京で今2年目なので、独立してちょうど3年くらいです。 ー今はプロの書家として活躍されている小杉さんですけれど、そもそも書道との出会いとはいつ頃だったんですか? 小杉:実は、私の祖母が書道教室をやっていたんです。小学校に上がるタイミングで、私も生徒の一人として習い始めたのがきっかけでしたね。 祖母は褒めて伸ばすタイプで、ちょっとうまく書けただけでも、すごく褒めてくれたんです。誰かと比べるのではなく、以前の自分よりうまく書けているねと。それが自分が書道を好きになった一番の理由でした。今まで書道を嫌いにならずに続けられた原点は、そこにあったのかなと思います。 ーとはいえ、まだ書道の道には進まないと思っていたそうですね。では、小中高校で、賞を受賞したなどの成功体験はありましたか? 小杉:はい。書くことが好きで、それなりに入賞を重ねて高校の時は全国大会にも行きました。自分にとっての書道は、きれいに書いて入賞していくことだったので、その時はそれが僕の成功体験だと思ってたんです。でも、大学に入ってその考え方は変わりました。 ■ 転換点は「誰かのために書く」「喜んでくれる人がいる」という体験  ーどんな時に、どういうふうに変わって行ったんですか? 小杉:それがまさに、震災の時のことで。その年の5月くらいに被災地に行かせてもらったんですが、家も家族も失った人たちを目の前にして、何も話しかけられなかった。そこでなんとなく、自分が今書道をやっているっていう話をした時に、ある被災者の方が、「せっかくだから、何か書いてもらえませんか」っていう話になったんですよ。それが、自分にとって初めて誰かのために書く書道だったんですよね。  ーエンターテイメントとしての書道、ですね。 小杉:そうですね、その時に一番悩んだのが、お手本がなかったことなんです。今までは書くものが決まっていて、入賞できる書き方が明確にわかっていた。だけど「書いてください」って頼まれた時に、何を書いたらその人が一番喜んでくれるのかっていうのが全く見えなかったんです。 たまたま、その方々が地域でお囃子をやっていて、それをすごく大事にされているのを目にしたんです。それで、お囃子のモチーフになっている「鹿」を一つの書の作品にして、次に行く時にお持ちしたんですよね。そうしたら「これは自分たちが考えた鹿そのものだ」ってすごく喜んでくれて。 書道って、それまでは賞をとったら自分が喜ぶものだったけど、誰かのために書いて誰かが喜んでくれるんだって、すごく揺さぶられました。書道でもっと書かなきゃいけないものがあるんだなとも強く感じました。 社会に対しての自分の考え方や、誰かが思っているけど言葉や形にできていないっていう状況を「書」を解決策として、僕にできることがあるんじゃないかと思い始めたんです。 ーそこからどんなふうに活動が変わっていったんですか? 小杉:その時すぐ、作品が仕事になったわけではありませんでした。でも、ふと周りを見た時に気づくようになったんです。例えば12月だと、ハロウィンが終わって、クリスマスとイルミネーションの季節になるわけですが、実はこの1ヵ月の中には、二十四節季という、もっと細かい季節があるんです。いまは小雪、大雪、もうすぐで冬至が来るっていうふうに。 自分たちが無意識に過ごしている季節も、毎日変わっているんだな、社会の変化の中で、今僕たちってどういう言葉を書かなきゃいけないんだろうなっていうところに目が向くようになりました。 そこで少しずつ、フェイスブックやホームページに作品を載せていったんですよ。そこから依頼が増えだして、これが仕事になるのかもしれないっていうのを大学最後の2年間で感じました。 ー何か大きな機会があったわけではなく、小さな出来事の積み重ねがきっかけだったということですね。いつかはプロになるぞという気持ちが芽生え始めたのは学生時代ですか? 小杉:そうですね。自分が表現をしたいと思った時に、パリコレという舞台でパフォーマンスをしたり、デザインとしての書を発表したりしたいなって、漠然と浮かんだんですよ。 でもそこまでのプロセスは全然見えてなくて。その一方で、ボランティアを通して出会ったマイクロソフトという会社に魅力を感じていたので、まずそこで働いてみようって思いました。 ■ マイクロソフトで刺激を得て、書家の道を選んだ ーいつかは、書家として、パリコレで自分の言葉をあしらった服が歩いているっていう状態をと、夢見ていたんですね。でも一旦は就職しようと思ったわけですが、マイクロソフトに決めたきっかけはなんだったんですか? 小杉:2つ大きな理由があって、一つは、ITの可能性を感じた部分です。自分の出身が栃木の田舎なんですけど、そこをITで変えられるかもしれないっていう。 もう一つは社員の人たちです。ボランティアってすごくエネルギーがいるんですけど、マイクロソフトの方はすごかったですね。ITが社会を変えるって確信を持ってやっていたと思うし、マイクロソフトで出会った方々が、自分のパッションの中で仕事を作っていたっていうことに魅力を感じました。 ーそのあと、2013年にマイクロソフトさんに入社されたのですが、社員の方の魅力についてはどうでしたか? 小杉:入社してからも、やっぱりすごい人はたくさんいました。そういう中で「自分はどうしたいのか」っていうのを強く考え始めるようになりましたね。 ー1年間はITコンサルタント、そのあと2年間セールスと、3年間マイクロソフトにいらっしゃったわけですよね。その3年間の中で、成功体験はありましたか? 小杉: 僕は失敗体験しかなかったように感じていたんですが、それはもっと書道に時間をかけたいという理由があったからなんですよね。このままでいいのか、今「書」を全力やらないでいいのかという思いが、じわじわと溜まっていて辛かった。 そして4年目、 26,7歳になった時に、まだ20代なら書がだめでも再就職できるぞと。 ー今なら独立できるという自信があって独立したわけではないんですね。 小杉 :はい。書道の仕事が増えていたとはいえ、絶対的な自信があったわけではなかった。収入も、マイクロソフトに勤めていた方が3倍くらい多いし、だけど今やらなかったら、書道が広がっていく可能性が少なくなっちゃうなと思ったんです。だからその時に、リスクを取るっていう選択をできたことは、良かったですね。 ーそういう意味では、副業が可能なマイクロソフトでよかったかもしれないですよね。会社の方の理解はあったんですか? 小杉:はい、上司の後押しもすごくありました。自分の心の中にやりたいことがあるんだったら、それをやったほうが絶対いいっていうアドバイスをくださって、すごくありがたかったですね。ただ、業務の中で大きな貢献をできなかったことが自分の中ではすごく心残りだった。だからこそ、今やらなきゃ、と思っています。 ■ パリで、アートとしての書を確立したい ー辞めて選んだ道を成功にしていかないと、と思っているわけですね。そこから2017年にマイクロソフトを辞めて、半年後にパリにいくわけですが、実際に行ってみてどうでした? 小杉:感じたことは2つありました。一つは、「いけるな」っていう可能性からくる自信と、もう一つはまだまだ時間がかかるっていう現実的な部分。 今、アニメの影響とかで、日本ってすごくフォーカスされてるんですよね。ラーメン屋さんもめちゃくちゃ増えてて、行列ができてるんです。そういう日本ブームの流れの一環で、書も興味を持たれることは多かったんですよ。でも、「日本的なもの」というふうに書がみられているうちは、書の価値って伝わってないんだろうなと。正直、本質的な書が全体に広がるのは時間がかかるっていうのを感じた部分がある。 一方で、アートや表現に対しての寛容さが違うところに、可能性を感じたんですよね。表現をする人への態度やリスペクトも全然違う。自分が何者で、何をしに来たのかっていうのをよく問われるんで、何十回も何百回も話しました。 それは日本だからとか書道だからとかではなくて、何かを感じようとしてくれる人が必ずいる。だからこそアートの文化が育ったんだろうなって思いました。そこで、伝えられる部分が確実にあったので、フランスでもっとやりたいとも思いましたし、東京でもきっとできるっていう自信にもなりました。 ■ みんなが持っている「書」のフレームを壊したい ー日本に戻られてから、少しずつお仕事いただけていたとはいえ、書家として営業も行うのは難しいと思います。どんなふうに仕事を取っていったんですか? 小杉:パリのときから、営業はずっとしています。パリには知り合いはゼロで、最初2、3ヵ月は仕事もゼロだったんですよ。行く前に、紹介してもらった人のリストを作っていたんですが、毎日人に会って、こういう作品書いてて、こういうことがやりたいんですって、ずっと言い続けて。ようやく書道を教えてほしいとか、イベントがあるからパフォーマンスしてみないとか、少しずつ仕事をいただけるようになりました。 今もそうなんですけど、例えばワークショップに来てくださった方から依頼を受けた時に、一回、その方の期待値を超えるものを用意したいっていうのがあって。 書道って、日本のほぼすべての方が体験しているがゆえに、すでに一つのフレームができていると思うんですよ。だけど、僕はもっとフレームは広い、なんだったらフレームはないって思ってるので、ファーストアタックの時にどれだけそのフレームを壊せるかだと思っています。そうなった時に、何かが生まれるなと思ってます。 ー書に対するフレームを壊すことで、アイデアを膨らますということですね。では、フレームを壊すためにどんなことをしていらっしゃいますか? 小杉:自分の中で変えちゃいけないところと、変わり続けなきゃいけないところを明確に分けています。変えちゃいけないところは、僕は書って言葉の表現の芸術だと思っているんで、それだけは書道の中でずらせないんですよね。 だけど一方で、言葉をどう表現するかっていう部分には線を設けたくない。例えば筆や紙、墨を使わなきゃいけないだとか、逆に色を使っちゃいけないとかっていうことを、僕は表現においては絶対考えたくない、と思っています。 誰かと話している時に、その人にとって一番いい表現はなんなのかっていうのは、いつもゼロから考えたいなと思っています。それが結果として、その方が持っている書のフレームとは全然違うところにいけるんじゃないかなと。だから言葉を描くっていうのは、書の真ん中にあるものだと思うんですけど、その周りの部分のフレームってあるようで何もなかったみたいなところに、ハッとしてもらえたらうれしいと思います。 ーそういうところから、気づきを書に表しましょうというワークショップをされたりしたんですね。マツダの発表会でも書を披露されてましたが、書家としての成功体験は、何かありますか。 小杉:そうですね。それはある特定のお仕事ではなくて、マツダも含めてですが、大きな舞台で人前で披露するっていうことに、大きな可能性があると思いました。 去年から、クラシック音楽と一緒に舞台を作ってるんですけど、ライブでショーを見てもらう、というのは自分の取り組み方を変えてくれたと思っています。 なぜならば、より共通体験としての書を提供できるなと思って。言葉って、もっと自分の内側から湧いてくるものだったりとか、それに触れて相手も新しい言葉が生まれてきたりとか、もっともっとライブなものだと思うんです。そのライブで書を披露するにあたって、書には時間があるっていうことを僕は気づいたんです。絵画と違って、書は、どこから書き始めてどこで書き終わるかっていうのがわかるわけですよ。そこに始まりと終わりがあるということは、そこの間の時間が存在するってことなんですよね。目の前でライブで書いていたら、なおさら、その字を書き終わっていく時間を共有できる。ということは、より深く言葉を生で感じてもらえているってことだと思うんですよね。そういう表現をこれからもっともっとやっていきたいと思っています。 ■ アートとビジネスの刺激しあえる関係とは ーアートとビジネスは分断されたものじゃなくて、アートにおける思考法っていうのはビジネスにいける、だからビジネスパーソンこそアートを学ぶべきだ、みたいな考えがあると思うんですけど、それに関して小杉さんはどう思いますか? 小杉:そこはすごく興味深いなと思っています。山口 周さんの本も何冊か読みましたし。そもそも人間が人間らしくいきていくためには、自分が頭で考えたことを、自分で決めないと幸せにはなれないと思っています。それをアート思考って言い換えているのかな。 例えば、ビジネスで数字的な答えって出せますよね。どういうデータをどういうふうに使うかっていうのは考えなきゃいけないけど。でもアートって自分の中から出さないと出てこない。そこにはどういう色をどういう割合で使ってとか、筆をどういう筆圧で入れるとか、すべて考えて出されているものだと思うんですよね。 むしろ、僕はアートの方にビジネスを持っていったら面白いと思っています。私たちみたいなアートに関わってる人こそ、ビジネスとして、お金や興味がどう動いているのかにもっと目を向けないと、表現って出てこないと思うし。お互いが刺激しあえる部分は、たくさんある気がします。そういう意味でのアートとビジネスの関係性っていうのはすごく考えています。 ー実際にマイクロソフトで働いていたからこそ、書家としてできたこともたくさんあるかと思うんですけど、例えばどんなことが生きたと思いますか? 小杉:ビジネスってお客さんがいることが大前提じゃないですか。それが今の自分の中でとても助けられている部分です。 僕は、書は究極のアートでありデザインでもあると思っているんですけど、何を、誰に、どう伝えたいのかを常に意識しなきゃいけない。それは究極的にはビジネスも一緒だと思っていて。この商品を、誰に、どういうふうに使って欲しいか、その答えを導いていくプロセスっていうのは全く同じだと思います。それを、マイクロソフトで猛烈に体験できてよかったです。 ■ アートを言語化することで感性を磨く ービジネスでも、フレームにハマった提案でなく、その人の独自性とか、感性を入れると面白い提案になることがあります。感性を磨く時間がないというビジネスマンのために、もっと仕事に生きるような感性を磨ける方法があれば聞きたいなと思います。 小杉:私は感性って究極の論理だと思っています。アーティストって、よく感性で書いてるとか、演奏してるって思われることがあるけど、少なくとも私はそうじゃなくて。紙の墨の吸い方はこれくらいだからこのくらいのスピードで筆を動かさなきゃいけないというように、すべて何かのロジック、論理を元に書いています。 ただ感性を磨きたいっていっても、つかみどころがなさすぎちゃう。音楽を聴く時も、感性で聴くってどうやって聴くんだろう、みたいな。でも、例えばこれって気持ち良さ数100あるうちの、95くらい気持ちいいんですとか、それってこういう理由があるんですって言った時に初めて、なるほどなって共感してくれると思うんですよね。そういうふうに、感性を数字で見る、言語化してみるっていうのはすごく大事なことだと思ってます だから、何か「あ、いいな」と思ったものを、きちんと言葉で説明してみることですね。いい音楽だなと思った時に、どういい音楽なのか。この音がすごく好きだと思ったら、どんな和音でできているのかを仕組みまで見ようとする。すると、きちんと理由や裏付けのある感性になるし、自分の感性はそういうものに響きやすいっていう自己認識にもなると思うんですよ。そうなった時に、それは武器になると思います。 ー感性っていうのは言語化してロジックに落として見ると、磨かれていく部分があるということなんですね。 小杉:そうだと思います。 ■ これからは、社会にたいして「書」でできることをやりたい ー最後にお伺いしたいのは、これから小杉さんが書家として、また書家という役割を超えてチャレンジしていきたいことはどんなことでしょうか。 小杉:もちろんパリコレを目指すっていうのはあるんですけれど、ここ1年で、社会に対して書で何ができるのかというのをすごく考えるようになって。 モデルにしてる考え方が、ベネズエラの「エル・システマ」っていうプロジェクトなんです。何十年か前に、ベネズエラで子供の貧困がすごく問題になったんですが、それを政府がクラシック音楽教育でなんとかしようとしたんですよ。 貧しくて教育も受けられないような子に、ただでクラリネットとかフルートとか楽器を配って音楽教育を始めたんですよ。音楽って一人でもできるけど、みんなで合わせることの楽しさも教えたんですね。面白いですよね。 今、そのベネズエラで音楽教育を受けた人が、ベルリン・フィルとか、世界のトップオケといわれるところで活躍する音楽家になって、どんどん輩出されているんですよ。そういうふうに、音楽で一つの社会問題を解決できることって、すごく面白いし、アートってそうあるべきだなって思ったんですよね。 これからの時代に起こりうる社会問題ってたくさんある。そして、書っていうものは日常から、だんだん離れていってしまっている。では社会と書はどんな関わり方をしたらよいか、例えば教育の中で書と関わっていったら、社会がどう前進するかとか考えています。これは中長期的に取り組んでいきたいなと思っています。

就職活動挫折組だった私が脱「片想い就活」を経て内定をもらうまで

出版社の面接に落ちまくった私が脱「片想い就活」で掴んだ営業職 学生時代、「何がやりたいかわからない」、「働きたい業界や職種がない」、「どの企業も同じように感じる」、「自分に何ができるかわからない」、など就職活動中に悩んだ方も多いかもしれません。実際、会社という組織に属して働いたことがないのに、入社後の自分を想像するのは難しいでしょう。 一方の企業もせっかく人を採用しても、新卒3年以内に会社を辞めてしまう人が多いと嘆いています。この理由として、企業と就活生の間に「ミスマッチ」が生まれていることが挙げられます。 初めての就職活動ではもちろん、転職活動においても「自分の選んだ方向はあっているのか」と不安はつきものです。そんなときに、時には厳しく、時には優しく寄り添って自分の進路について考えてくれる人がいると心強いですよね。 現在、株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍中の望月奈津美さん。彼女も実は学生時代、就職活動が全くうまくいかず、落ち込んで悩んでいた一人です。そんな経験があるからこそ、現在キャリアカウンセラーとして求職者の気持ちを理解し、サポートできます。 望月さんの就職活動と現在のお仕事についてお話を伺いました。記事は二部構成で、第一部のこの記事では、望月さんの大学時代の過ごし方と初めての就職活動について、第二部では転職活動と現在のお仕事について焦点をあてていきます。 好きなことをやって過ごした学生時代と「片想い就活」 ー学生時代はどんなことをやられていたんですか。 3つのサークルを掛け持ちしていました。音楽系サークル、地域の自然について考え、地域の人とともに行動するサークル。そして一番力を入れていた、地域の中・高生を対象に、学校の枠に囚われずやりたいと思っていることを応援し、それをサポートするサークルです。サークルが楽しくて、正直、仕事や就職についてあまり考えていませんでした。 ーでは、就職活動はどうされたんですか。 自分は何が好きなんだろうというのを最初に考えましたね。漫画やアニメ、写真集などがとても好きだったこともあって、お恥ずかしながら、なんとなく出版業界に目が向くようになりました。しかし目指してみてわかったのは、出版業界はそんな甘いものじゃないということ。熱意があって、出版業界に強い思い入れを持っている人が多かったですし、当然、地頭や経験値も自分より高い人ばかりでした。当時の私は全く歯が立たなくて、ことごとく「お見送り」が続いていました。 ー今の自分が、当時の自分にアドバイスするとしたら、何と言いますか。 「好き」だけで選ぶ一方通行な「片想い就活」はうまくいかない、ということですね。何もマーケット(市場)のことを知らずに、気持ちだけで走ってしまっていたところがありました。そうではなくて、もう少し業界のことを調べて、「どんな人材が求められるのか」、「どんな経験をしていたらそこに行けるのか」、といったところを長期的にしっかり、もっと前から準備して臨むべきだったなと思います。 第一志望の会社に最終選考で落ちてしまい、落ち込んだ日々 ー第一志望の会社に4次選考で落ちてしまったと伺いましたが、詳しくお聞きしてもよろしいですか。 はい、出版社の営業職で、最終選考まで残れたので頑張ろうと思っていました。一次選考から三次選考では筆記や面接試験などをおこない、最終選考は社長と役員が4〜5人ずらっと並んでいる面接でした。しかし、結果はダメでしたね。そこの出版社が出している出版物がビジネスマン向けのものだったんですが、「まだまだ読み込みが甘い」と社長から人事の方へ指摘があったようで、会社への愛着がないと思われたのかもしれません。 第一志望の会社だっただけに、受かったら行きたいなと思っていたのですが……。最終選考の5日後くらいに人事の方から「落ちた」という連絡を電話でもらいました。ちょうど他社の面接帰りで、そのときは悲しすぎて、思わず電車の中で泣いてしまいましたね。 この会社に落ちてから、出版業界だけを見るのはやめました。 ーその後の就職活動は? うまくいかず、結構落ち続けていました。もちろん出版業界だけではなく、他も受けたのですが、書類で落ちたり、面接がうまくいかなかったりという時期が続きましたね。就職活動へのモチベーションが落ちて、とても悲観的になっていました。「私は社会で必要とされていないんだなぁ」って。 ー何社くらい落ちたんですか。 見ていた業界が自分にあっていなかったのかな、ちょっと高望みしすぎたかなと思い、40〜50社程チャレンジしたんですが……。結局どれも上手くいかなかった記憶です。 ーなんでも望月さんは、とある本で気持ちを奮い立たせたそうですが... はい。先ほど、第一志望の会社に落ちてしまった話をしたかと思うんですが、この会社の人事の方から、電話でこんなことを言われたんです。 「ウチがだめだったからといって、就活自体がダメだったというわけではないですよ。次のフィールドでどこかに入社して、うまくいくことを祈っていますね」と。 「お祈り電話」ではあったのですが、他にもたくさんフィードバックをいただきました。私はその電話に救われた部分があって、とても嬉しかったので、後日、手紙を書いたんです。その後日返信がありまして、本が同封されていました。 その本は人事担当の男性社員の方が自費出版されたもので、その中に「後悔(後で悔いる)」ではなくて、「考えを改める」という「考改(こうかい)」と捉えよう、みたいな話があって。これを読んだとき、もう一回就職活動頑張ろう!と思いましたね。 就職活動を再開して、ついにOA機器会社の内定をもらう ー就職活動は一旦休まれたんですか? はい、一週間くらい休憩して、すぐ再開しました。そこから業界を変えていき、内定をもらえるようになりました。その一社が前職のOA機器会社の新規開拓営業です。 ーそこに決めたポイントは? 商材の幅広さですね。OA機器と複合機だけではなかったので、自分で営業して、売れたら面白いだろうなと思いました。 地道な営業活動の開始 ー新規開拓営業ではどんな風に働かれていたんですか。 行動あるのみ、「新人は質より数だ!」と思って働いていました。日々飛び込み訪問をして、会社の中に部署も色々あるので、組織図を探り、ここに行ったら、次こっちに行って、どんどん横に展開していくというようなことをやっていました。関係性を築くことを一番意識して、一人だけでも窓口になってくれる人が出来て仲良くなったら、「他部署の責任者と繋げてもらおう」という感じで行動していました。 ーお客様との関係はゼロからですものね。実際、関係性作りや新規開拓営業はいかがでしたか。 そうですね、とりあえずは、行く→電話する→行く→会う→話す→メールとハガキでお礼→次回も会う、というようにひたすら“行動”でした。小さなことでも良いので接点を作ることを意識していましたから、下調べして、相手が興味を持ちそうな商材カタログを片手に訪問して……を繰り返しましたね。泥臭い営業を続けて、段々と「じゃあ、ちょっと話聞いてあげるよ」となり、そこから徐々にお客様との関係性を築いていった感じです。 楽しかった大学時代、希望の出版業界に入れなかった就職活動前半戦。落ち込み悩んだ後、業界を変えて就職活動を再開し、内定をもらえるようになった就職活動後半戦。 望月さんは、OA機器会社に入社し、新規開拓営業の仕事に一生懸命がむしゃらに取り組みました。その努力の甲斐あって、お客様との関係もゼロから築き、話を聞いてもらえるようになります。自社の商材を購入してくれるお客さんも増え、順風満帆のように見えた彼女の営業キャリア。 しかし、OA機器会社に入社して2年半くらい経った頃、彼女の心境に変化が訪れます。キャリアカウンセラーになるまでのストーリーは2部に続きます。 UZUZにキャリア相談してみる

「官僚」の枠を超えて圧倒的に挑戦し続ける小田切未来が語る、20代が身につけておくべき3つの思考法

キャリアに大きな影響を与える、20代での働き方や仕事への向き合い方。チャレンジングな仕事をしたいと願う一方で、任せてもらえず思い悩んでしまう人も多いはず。そんなU-29世代こそ身につけておきたい思考法があります。 それを語ってくれるのは、小田切未来さん。東京大学大学院修了後、経済産業省に入省。5年目でクールジャパン政策の担当になったのち、内閣官房副長官補付、経済産業大臣政務官秘書官などを歴任。一般社団法人Public Meets Innovation を設立して理事となり、現在は米国ニューヨークにあるコロンビア大学国際公共政策大学院に在籍されています。 そんな非常に輝かしいキャリアをお持ちの小田切さんですが、はじめから国家公務員を目指していたわけではないんだそう。何が今の小田切さんを作ったのか、20代でどんなことを意識してキャリアを築いてきたのか。人生における3つのターニングポイントと、今のU-29世代に伝えたいメッセージを伺いました。   小田切未来の人生における3つのターニングポイント ー 小田切さんにとって、人生のターニングポイントは何だったんでしょうか? 私の場合、一つ目は就職活動、二つ目が海外留学、そして三つ目が一般社団法人Public Meets Innovationの立ち上げ。これらが、自分の中で大きなターニングポイントとなっていますね。 ー 一つ目のターニングポイントは、経済産業省に入省する前なんですね。 はい。私は、父親が体調不良などで仕事を早めに退職したこともあり、高校や大学には奨学金をもらいながら通ったんです。また当時、アルバイトで家庭教師や予備校講師をやっていたこともあって、人材育成や教育事業に興味があったんですよ。 そんなとき、兄が「人材育成や教育の仕事をやるのであれば、教育の制度を変えられるようになったほうがもっとダイナミックに仕事ができるんじゃないか」と助言してくれて、初めて早稲田セミナーという予備校に行ったんですね。そこにたまたま文部科学省、国土交通省、経済産業省などの方々が来ていて、「経済産業省は社会で活躍するための人材育成もやっている」と聞いたことで、方向転換しました。 大学院で経済、政治、法律など公共政策を勉強したほうが自分のためになるな、と考えて大学院に進むことにしたんです。だけど実は私、大学5年と大学院1年のときに官僚の試験に落ちてるんですよ。大学院2年でやっと合格。だけど、大学院の研究と並行して試験勉強をするのがものすごく大変で、その時はすごく忙しかったし、毎日12時間は勉強していたと思います。 ー 三度目の正直で、官僚になる道が開けた。 奨学金を借りて苦労していたので人材育成に関わることがやりたかったし、いつでも誰でも挑戦・再挑戦ができるような社会づくりができたらいいなと思っていた。だから官僚か、途中で公の仕事ができるような道に進んだほうがいいんじゃないかと考えていたんです。「数億円お金を稼いでそれを元手に政治家になれないかな」と、外資系金融企業にも就活していた時期もありましたが、今考えるとだいぶ尖っていましたよね(笑) それでも経済産業省に決めたのは、人ですね。魅力的な人が多かったからなのですが、その中でも面接で衝撃的な人に出会ったんです。その人は、今の三重県知事・鈴木英敬さん。面接の二言目には「俺、顔でかいやろ、ガハハハ」と笑ったんですよ。「こんな人が官僚にいるんだ(笑)」と衝撃的で、ここで働いてみたいという気持ちがすごく強まりました。 僕が一番大事にしていたのは「誰と一緒に働いた上で、自分の叶えたいことを実現できるか」ということだったので、最終的には人で決めたんです。これがまずターニングポイントになりました。 ー 二つ目のターニングポイントは? 海外留学ですね。留学するために、2010年頃にTOEFLの勉強をしていたんですけど、その時の点数が120点中27点だったんですよ。これじゃあ、どこの大学院も受からない。そこから2〜3年間勉強して60点台まで上がったんですが、2〜3年かけてこれだけしか上がらないのなら自分には向いていないな、と思って。ちょうど仕事も面白い時期だったので、諦めていたんです。 でも、経済産業大臣政務官の秘書官をしていた2018年3月にカナダ・モントリオールのG20に同行したんです。そこには通訳も付いていたんですが、夜の食事のとき、たまたま私が座るところには通訳がいない状態になってしまって。目の前にはアメリカ人やイギリス人、フランス人、ドイツ人というようなテーブルで、話に全くついていけないわけです。それが猛烈に悔しくて。 それで改めて、留学のチャレンジを再開し、そこからTOEFLやIELTSなど英語の試験を更に20回くらい受けて、ようやく今のコロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)に合格。SIPAには世界中から優秀な人材が集まっており、2019年のU.S. News & World Reportのランキングでも非常に高い評価も得ていて、日々刺激に満ち溢れています。これが二つ目のターニングポイントになりました。 ー 三つ目は、一般社団法人Public Meets Innovationの立ち上げですね。 実は2012年頃に、経営者や官僚、研究者、アーティストなどの友人と集まって、セミナーや勉強会をやるための法人の立ち上げようとしたことがあるんです。でも、事情により立ち上げが止まってしまったんですね。やりたいことだったから、私の中でずっと燻っていました。 そして2018年2月、シェアリングエコノミー協会の石山アンジュさんともう一人の現理事とで、「今の社会に何が足りていないのか」「どうなったら社会はもっと良くなるのか」といったことを議論していたところ、まさに3人の考えていることが一致していた。 パブリック側はイノベーションに関する知識が足りていなくて、イノベーター側はパブリックマインドが不足しがちです。だったら出会いの場を設けることが大事なんじゃないか、と。まずは、みんなで毎週集まってどういったことができるか考えよう、と議論しているうちに、だんだん人が集まってきた。そしてPublic Meets Innovationが立ち上がったのが、三つ目のターニングポイントです。 ー Public Meets Innovationでは、具体的にどんな活動をされているんでしょうか? 今は、パブリック側とイノベーター側が交流し、共通な課題意識を持つようなテーマをベースとしたイベントやセミナーなどを中心に実施しています。また、このコミュニティは1980年代以降生まれ、ミレニアル世代限定になっているという特徴もあって、次世代リーダーと呼ばれる人をここから輩出できればとも思っています。   「人、思考法、行動力」で働き方を変える ー 今は官僚にならなくても社会を変えられる時代ですが、だからこそ行政で働く醍醐味を聞きたい。20代の頃に「これは行政だからできた仕事だな」と思ったことはありますか? 行政は、法令・税・予算の3つの重要なツールを持っているんですが、特に私が重要視しているのが、機運作り。クールビズがわかりやすい例かと。企業の場合は、原則として、利益最大化が目的なので、国や社会の機運全体を上げていくというのは難しい部分があると思います。 私が入省5〜7年目のとき、クールジャパンという仕事に携わっていたんです。日本企業の海外展開がなかなか進まない中で「あの企業がやれたのなら、うちもやれるかもしれない」といった挑戦の連鎖を作ることが、クールジャパンの醍醐味でした。クールジャパン自体をみんなで推進することが、日本企業全体の海外展開に繋がっていく、と。 この仕事をやっていたほうが、国や社会全体の機運を作るのには向いていたなと思います。あと、私が担当していた兼業・複業促進の話も機運作りの典型例でして、パラレルキャリアを応援していくことは、一企業には難しい。それがこの仕事の面白さだなと思うし、まだまだできることはあるなと思っています。 ー 20代でチャレンジングな仕事ができず離職してしまう若者も多い中、小田切さん自身の経験を踏まえて、20代では働き方にどう向き合うべきだとお考えですか? 私の場合、入省して5年目でクールジャパンの仕事をしたわけで、大きな仕事を比較的早く任せてもらえたと思っています。それでもまだ長いと感じるようであれば、兼業・複業で、余った時間に違った活動をしてみるのがいいかもしれませんね。 あとは、異業種とのネットワーク作りも大切。私自身、経営者や起業家、投資家、弁護士など、同世代の仲間たちと交流していろんな意見を聞いていました。将来大きなことを仕掛けるときの準備として、人との繋がりを作っておくというのはいいと思います。 ー とは言え、ただ目の前の仕事をこなしていただけでは小田切さんがそのポジションに配属されることはなかっただろうなと思います。20代の頃、仕事を任せてもらえるためにやっていたことはありますか? 大事なのは、人と思考法と行動力だと思います。人というのは、仕事関係以外の人とも積極的に会ってネットワークを作ること。そして思考法は、他人から与えられた情報をそのまま鵜呑みにしないということ。 大学院時代に、元総理秘書官と会う機会があり、「新聞を見るときは、経済欄は80%、社会欄は50%、政治欄は20%くらいしか正確に書かれていないと思いながら批判的に読みなさい」と言われたんです。常に世の中の情報に対して、あえて批判的に考えることを努力しなさい、と。その結果、官庁の中にいる他の人より「前例を疑ってみる」ということができたんだと思います。 行動力としては、20代のうちに自己実現のためのコミュニティ立ち上げ経験をするのが良いのではないでしょうか。私も学生時代にバスケットボールのサークルを立ち上げた経験がありますが、サークルでもいいですし、NPOや社団法人、もし可能であれば、株式会社でもいい。自分でやりたいことに対してプロアクティブにコミュニティを立ち上げた経験が行動力に繋がり、最終的に仕事にも活きてきます。 あとは失敗をすることも大事です。私も国家試験に2回落ちたり、英語の試験を約40回も受けたりたくさん失敗してきました。だけど、成功と失敗って、決して二項対立の概念じゃないんですよ。失敗を繰り返した先に成功がある。周りになんと言われようが、繰り返し繰り返し、命を燃やすレベルでやり続けることが大事だと思っています。 ー 挑戦するから失敗するのであって、失敗を避けて挑戦しないことが本当の意味での失敗ですもんね。失敗を怖がらずにチャレンジし続けられる理由やエネルギーの源泉はどこにあるんでしょう? 私は「こういう人間になって、こういうことを実現したい」という使命感をものすごく持っているほうだと思います。そのために必要な要件だと思って、何度も挑戦しているんです。自分が目指す人材像に近づくために、諦めることができないんです。 ー 使命感があるからこそ、失敗してもチャレンジし続けられるんですね。   20代で身につけておきたい3つの思考法 ー オフィスにこもって仕事をするだけでなく、社外に出てネットワークを作ったり勉強の時間を確保するなど、自分の時間を生み出してその時間を自己投資に使うということは、官僚に限らず会社員にとっても大事なことだと思います。小田切さんは大変お忙しい中で、どのように時間を生み出していたんでしょうか? やらないことを決めましたね。具体的には、金曜日にみんなで飲みに行くとか、夏休みや冬休みになると旅行に行くといった、みんながデフォルトでやっていることを敢えてやらない。そして、その時間を自己実現のために使っていました。普通の人と真逆なことをするのは、時間の作り方のひとつだと思います。 ー 他にも、U-29世代に必要な考え方は何でしょうか? 3つの思考法が必要だと思います。一つ目は「オキシモロン・シンキング」、二つ目は「クリティカル・シンキング」、先ほどお話しした批判思考ですね。そして三つ目は、「クリエイティブ・シンキング」です。情報が満ち溢れた中で、AIでは代替されにくい「想像力」「統率力」「構想力」などがますます重要な時代になってきているので、そういうことを常に意識し、コミュニティ立ち上げなど0から1を作る経験をすることなどが大事だと思います。 私は特に「オキシモロン」という言葉をすごく大事にしていて。日本語で言うと「撞着語法」で、「急がば回れ」「賢明な愚者」など、矛盾していると考えられている複数の表現を含む表現のことです。 現在の世の中は、どうしてもAかBかの二元論で語られがちなんですけど、リアルの世界では二元論を超えて物事を解決しなければならないことがけっこう多いんですね。だから「AかBか」ではなく「AもBも」という考え方をどれだけ追求できるかというのが、U-29世代がこれから活躍するためのキーワードじゃないでしょうか。 ー 普通だったらORと考えてしまうことを、どうやったらANDで実現できるかを考えて日々仕事をしてこられたわけですね。 海外に留学しているのもオキシモロンの発想でして。海外のことをよく知らないのに、日本のことだけを良くしたいって、バランス感覚が欠けていると思ったんですよね。日本の文化や伝統、そして海外の文化も理解しながら、両方の意見を取り入れて政策を生み出して行くことが大事だな、と。 イギリスのノーベル文学賞を獲ったラドヤード・キプリングの有名な言葉に、「イギリスのことしか知らない人が、イギリスの何を知っているのか」というものがあって、要はイギリスを良くしたかったら、イギリスだけにいちゃだめだよということ。これは今の日本人にも同じことが言えます。だから20代のうちに、半年でもいいから海外の雰囲気を味わってほしいですね。 ー 小田切さんは、KPIが立てづらい官僚という仕事で確実にパフォーマンスを上げて評価され、信頼を積み重ねてこられたわけですよね。そのためには、どんなことが大切だったと思いますか? 私は誰よりも若いうちに失敗してきたから言えるのですが、与えられた仕事をまず精一杯やるということが、若いうちはすごく大事だと思います。何者でもない自分が何者かになれる瞬間は、愚直に努力をしないと与えられません。投資されない理由は信頼されていないからで、信頼というのは一歩一歩確実に努力して貢献して得られるもの。若いうちは、踏ん張って努力をするのが大事だと思いますね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる (取材:西村創一朗、写真:ご本人提供、文:ユキガオ、デザイン:矢野拓実)

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