ヘビーユーザーから運用のプロへ。「Wantedlyお兄ちゃん」の原点と未来

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第11回目のゲストは、ディップ株式会社の次世代事業統括部の「Wantedlyお兄ちゃん」として複業でも活躍されている小林宥太さんです。 現在、本業でインターンや新卒・中途採用をメインに仕事をしながら、「Wantedlyお兄ちゃん」の異名を持ち、多いときには10社ものWantedlyアカウントを運用して採用の手助けをしているという小林さん。 なぜWantedly運用にこだわったのか、またこれからどのようなビジョンを描いて複業に取り組んでいるのか。学生時代を振り返ってもらいながら、彼の原点と現在の活動の経緯、そして思い描く未来について伺いました。   神童としてもてはやされた小林さんの学生時代 - 小学生の頃は、開校以来の神童と言われていたそうですね。 僕は全校生徒100人くらいの小さな小学校に通っていたんですが、親の勧めで私立中学の受験をすることにし、無事に合格。周りに中学受験をする人がいなかったこともあって、小学生の頃は神童ともてはやされていたんですよね。 ですが、中学は三重県下の秀才が集まっている環境だったため、成績は真ん中くらいに。自分のことも、「普通の人間なんだな」と感じるようになりました。中学高校時代はアルバイト禁止だったため勉強をするしかなく、友達が少なかったこともあって、つまらない6年間を過ごしました。 - 高校生時代は京都大学を目指していたんですよね? はい。京都がものすごく好きで、ただただ京都という場所に行きたくて目指していました。高校3年生の夏時点では模試でA判定が出ていたんですが、勉強が好きじゃなかったので、そのあとどんどん成績が落ちていってしまって。結果は不合格。受かった私立大学の中で、名前が一番格好良かった慶應義塾大学に入学することを決めました。 - 大学に入ると、かるたにはまっていたとか。 慶應に入学してからは、かるたにめちゃくちゃはまっていました。高校3年生の頃に読んだ『ちはやふる』という漫画に影響されたんです。大学に入ったら、かるた会(競技かるたに取り組む団体)に入ろうと決めていました。大学1年生の時は、アルバイトもせず、ひたすらかるたにのめり込む日々でした。   SNSでのイベント集客に成功した理由は「友達が少なかったから」 - 大学3年生の頃に、学生団体デビューされていますよね。そのきっかけは? 大学3年の夏、「就活支援団体を立ち上げたい」という子に出会ったんです。その子は、就活関連の仕事をしたいという社長さんの下で一年ほどインターンをし、その社長さんの援助を受ける形で学生団体を立ち上げました。 その団体は、企業から協賛金をもらってイベントをやっていたんですね。それを見ていたら、「イベントってお金になるんだな」ということに気づいて。だったら個人でもできるんじゃないかと考えたのが、きっかけです。 - それまで普通の学生生活を送られていたのに、いつのまにかインフルエンサーのように集客できるようになっていったそうですね。 そうですね。僕が入っていたその学生団体は、企業側にはツテがあったものの、学生が集められなかった。そのため、各大学にアンバサダーみたいな人を置いて、学生に学生を集めて貰おうっていうシステムを作っていたんです。 基本的には友達に声をかけて集客するんですけど、僕は友達が少なくて。どうしようかと考えたときに、SNSを使うことを思いついたんです。もともとTwitterの使い方はよく知っていたので、集客にTwitterを使うように。SNSを使って学生にリーチしたというのは、その時が初めてでした。 - 集客するために、どんな方法でフォロワーを増やしていったんでしょう? 個人のアカウントではないものを作っていました。「○○卒就活情報」とか「○○大学就活情報」といったアカウントで、就活生が求めるような情報をツイートしたり、自分の大学の休講情報を書いたりとか。たまに就活とは関係のないお役立ち情報もつぶやいていました。そうしたらフォロワーが増えていったんです。   「これから伸びていく会社が自分に合っている」大企業志望からベンチャー企業へ -ご自身の就職活動への意識が芽生えたのはいつ頃でしたか? 大学3年生の夏くらいですかね。今でこそ1〜2年生の頃からインターンをやっている学生も増えましたが、当時の僕にはそんなの考えられなかった。だから、3年になって焦ってインターンに応募したり自己分析セミナーに行ったりしていました。 はじめは、就活系のメディアをやってるベンチャー企業で3ヶ月ほど長期インターンをやっていました。法人営業だったり、議事録を書いたりといった仕事をさせてもらって。それが僕の就職活動のスタートでしたね。 - はじめの頃は、ブランド重視で大手を狙っていたそうですね。 サマーインターンで行った10社は、各業界トップシェアの企業ばかりでした。携帯会社やクレジットカード会社、保険会社など、BtoCをメインに狙っていたんです。ベンチャー企業はまったく考えてなかったですね。 - では、途中で就活の方針が変わったのでしょうか? Fintech系のスタートアップで半年間インターンをしたときに、就活方針を変えました。先ほどお話しした長期インターンのあと、夏休みの間にそのベンチャー会社が廃業してしまったため、次のインターン先を探していたんです。そこで紹介してもらったのがその会社で、インターンをしているうちに「これから伸びていくような会社のほうが自分に合っているかもな」と強く感じたんですよね。 - それで、最終的にディップ株式会社への入社を決められたわけですね。 実は大学4年の5月に一度、別のIT企業から内定をいただいていたんです。そこで就活が終わって暇になってしまったので、学生団体から独立して自分で就活系のイベントを企画するようになったんですが、だんだんそっちのほうが楽しくなってきちゃって。このまま就職するのも…と思い、内定式の一週間前に内定を辞退させてもらうことに。 翌年は、イベント業の収入と塾講師のアルバイト収入とが十二分にあったので、新卒フリーランスという道も考えていました。でも、このままじゃ自分の世界が広がらないなと感じて就活をすることにしたんです。 就活イベントを企画していたこともあって、採用や企画をさせてもらえる会社を探して見つけたのがディップでした。今の上司や役員さんなどとも会ってみて面白そうな会社だな、と思えたので入社を決めましたね。   ヘビーユーザーだったからこそできたWantedly運用 - 学生団体で集客の差別化に成功し、ディップにも内定が決まっていた。しかし、3回目の大学4年生を送ることになられたわけですよね。 入社予定も決まり、内定式にも出席していたんですが、僕の履修ミスにより留年することになってしまったんです。それがわかったのが3月の半ば。急いでディップの人事さんに話をしに行きました。そうしたら「一年待ちます」と言ってもらえたので、翌年入社することになったというわけです。入社までの間は、ディップで内定者インターンとして働かせてもらうことになりました。 - 留年が決定した1ヶ月後に、Wantedlyの運用に力を入れ始めたそうですね。具体的にどのようなことをされていたんでしょうか? Wantedly経由でディップに入社が決まったくらい、もともとヘビーユーザーだったんです。Wantedlyって、ウォンテッド・スコアというものがあるんですけど、学生の間ではそのスコアを獲得するのが流行っていました。僕も当時は、ランキング上位に入っていたんですよ。 ところが、ディップに入ってみたらWantedlyのアカウントの専任がいなかった。だから「やりたい!」と手を挙げて、その運用をやらせていただくことになったんです。当時のディップのアカウントには、簡単なメンバーインタビュー記事しかありませんでした。しかし、インターン生を集めるためにWantedlyをもっと積極的に活用していこうというタイミングだったので、だったら学生たちが欲しい情報をいかに出せるかが大事だなと考えて、学生目線での情報発信をするようにしたんです。 - ディップへの入社後、ミッションは変わったんでしょうか? インターンの最初の半年は、ひたすらWantedlyを運用していました。それが軌道に乗ってきてインターン生が10〜20人ほど入ってきた時から、プレスリリースを書いたり他の人の手伝いをしたりといったこともするようになっていたんです。 でも、入社してからはまたWantedlyに注力し始めました。今のTwitterアカウントを始めたのも、社員になってからです。Wantedlyを活用して採用しながら、インターン生の管理や人事部とのやりとりといった業務も担当し始めました。入社2年目の今は、『Jisedai』という採用オウンドメディアの立ち上げ、運営なども行なっています。   「Wantedlyお兄ちゃん」としての複業から幅を広げていきたい - 現在、本業以外でも色々な企業の採用をお手伝いされているんですよね。 そうです。入社一年目の6月くらいに、ちょっと暇なタイミングがあったんですよ。そのときはまだ今みたいに「サラリーマンは複業、兼業だ!」っていう時代ではなかったものの、「僕は忙しいほうが向いているし、複業してみようかな」と思ったのが始まりでした。 最初は、採用に困ってるところを会社の先輩に紹介してもらい、無料で相談に乗っていました。Wantedlyを使っている企業であれば、その運用を有料で任せてもらっていたんです。そういったことを数社やってSNSで発信していたところ、僕のところに企業から直接メッセージが来て依頼を受けるようになりました。 ー ディップに入社して2年目、「Wantedlyお兄ちゃん」として複業でも活躍されている小林さんですが、今後はどのようなことをしていきたいですか? 今は「Wantedlyお兄ちゃん」が強く出てしまっていますが、採用コンサルタントとして他の採用手法も使えるようになりたいなと思っています。たとえば、最近はWantedly内で就職活動中の人を直接スカウトするための「スカウトチケット」をディップで購入したんです。今までやってこなかったスカウトという方法がこれから試せるのは面白いですね。また、Wantedly以外の媒体も活用できるようになったらいいかな、と。 ー 大きな変化を求めるというよりも、今いる場所でさらなる広がりを……という感じですね。 そうですね、部署を変わるようなことは今は考えていません。あとは、現在の部署にいながら他部署の採用を手伝ったり、他部署にインターンを送り込めたりできるようになったらいいなと思います。 小林さんのTwitter (取材:西村創一朗、写真・デザイン:矢野拓実、文:ユキガオ)

誰もが本来持つユニークネスを取り戻すために。「ユニーク大学」という次世代ビジネスリーダーの実験場

2019年10月より、Webメディア「U-29ドットコム」と連動したコミュニティ「U-29ドットコムリーダーズ」を開始後、2020年1月より「10〜20代が本来持っているユニークな才能(ユニークネス)を発掘し、磨き上げ、価値を創発する共創型の学びの場として「ユニーク大学」にコミュニティ名を改め本格始動。 U-29(ユニーク)な高校生、大学生から、会社員・起業家・フリーランス・アーティスト・政治家に至るまで、業界・職種を超えた多様な10~20代に瞬く間に広がり、2020年1月現在、約500名の大きなコミュニティとなりました。 500名の加入した動機や経路は様々で、内部でも幅広い活動が行われているのですが、「そもそもU-29って何?」「何を目的としているの?」ということを知る人は多くありません。 そこで、コミュニティメンバーが有志で集まり、ユニーク大学の発人であり運営者である西村創一朗さんにお話を伺いました。 「西村さんはどんな20代を過ごしたのか?」「なぜこのタイミングでU-29世代なのか?」など、気になることをたくさん話していただきました。 じぶんのユニークネスを発見・発揮できる場としての「ユニーク大学」 ー最初に、U-29の活動の柱について教えてください。 大きく2つあり、1つはユニークな価値観を持つ”個人”にスポットライトを当て、その姿を発信すること。もう1つはユニークな価値観を持つ”複数人”が集まり交流し、学び合う場づくりです。 ー一つずつ詳しく教えていただけますか。 前者は、10~20代のユニークな方々のキャリアストーリーを聞き、インタビュー記事という形で発信しています。平日のほぼ毎朝『U-29 Carrer Lounge』(通称「ユニキャリ」)という名前で公開インタビューを行っており、公開インタビュー形式にしているのでコミュニティメンバーは現地やオンラインで参加することができます。また、月に1回のペースで開催する『U-29 Career FES』では、100人規模で公開インタビューをしています。 https://u-29.com/2019/12/16/suga/   https://u-29.com/2019/12/19/sawamadoka/ ー公開インタビューにこだわる理由が気になりました。 もちろん、記事という形で皆さんに届けたいのですが、編集の功罪がどうしても生まれてしまうんですね。記事は話した内容を”編集”したものが掲載されているので、場の空気を全て伝えることは難しい。だから、記事には載せきれないライブ感を届けるべく、現地参加を可能にしたり、遠方の人や通勤時間と被る人のためにコミュニティ内限定でオンライン配信もしています。 ー公開形式にしたことでどんな効果がありましたか? 面白いのが、『U-29 Carrer Lounge』のゲストや参加者の間で、インタビュー後にほぼ100%ネクストアクションが生まれています。そこで意気投合して、飲みに行ったりもしてるみたいですよ。 ーつながりができるのがすごいですね!もう一つの柱の「場づくり」は、具体的にどんなことをしているのでしょうか? この場づくりは、「相互に刺激し合う」ことを目的としていくつか活動を進めています。たとえば、同じ年次に大学を卒業したメンバーで集まるいわゆる”同期会”、メンバー主体で立ち上がるnote部やランニング部などの”部活動”で、異なる業界や価値観を持つ人同士で意見交換をしたり、ときには雑談をしたり。社会人になると「横のつながり」がどうしても薄くなってしまうので、それを生み出すことは強く意識しています。 ー確かに、メンバー主体で立ち上がる部活動が増えてきていますよね。では、「U-29」の名前の由来を教えてください。 2つの意味をかけていまして、1つは、「Under 29」 という次世代リーダーを対象にしているということ。決してビジネスパーソン以外を受け付けないというわけではなく、アーティストやアスリート、政治家など様々なジャンルから集まる場にしたいと考えています。僕自身が30代に突入しており、次世代を担うU-29世代のために何かを提供したいという想いから始まりました。もう1つは、誰もが本来持つ「ユニークネス」を取り戻したいということ。いつの時代も、世の中を牽引するリーダーはユニークな価値観を持つ人が多いにもかかわらず、U-29世代は上の世代や社会に抑圧されてやすい年代だと思っているので、そのユニークさを存分に発揮できる場にしたいですね。 自分を保つことができた「サード・コミュニティ」の存在 ーでは、U-29が誕生するまでのことについていくつかお聞きします。20代の頃の西村さんは、どんなことに悩んでいたのでしょうか? 色んなことに悩みましたよ。主に新卒で入社したリクルートキャリア時代なのですが、たとえば思うように仕事で成果を出せない時、転職を考えた時、営業から新規事業開発に移りたいと思った時など、挙げ始めるとキリがありません。 ー社内の人に相談できる悩みと、そうでない悩みが混在していますね。 そうですね。特に、転職のことは社内の人には当然相談できません。 ーでは、その悩みをどのように解決していったのでしょうか? 一言で言うなら、社外に目を向けました。職場でもなく、自宅でもない、いわゆる「サードコミュニティ」や「サードプレイス」と呼ばれるものですね。そういう場を持つことで、気軽に相談できる人が増えますし、何よりメンタルバランスが保たれ、視野が広がっていたように思います。 ーキーワードが出てきましたね。具体的に、どのように作っていったのかを教えてください。 その時おこなっていた複業を活用しました。ブログ運営をしていたのですが、話を聞きたいと思った方に「記事にするのでインタビューさせてください」と連絡し、インタビューという名目で知識や考え方を吸収していきました。また、自分の悩みなんかもぶつけてみて、解決策を教えてもらったり。社外でそういう機会を作っていたからこそ、仕事でぶつかった課題に対してすぐにアクションを取れていたように思います。 ー今のU-29の活動にもつながるエピソードですね。一方で、同世代とのつながりもあったのでしょうか? 僕は1988年生まれなのですが、「88世代」と冠した同世代のコミュニティも作っていました。そこがとても居心地が良く、会社の中では話せない本音も遠慮なく話せる関係性です。職場や家庭の外に価値観を共有できる場があって、日々のモヤモヤや悩みを共有できる仲間がいることが、20代の頃の僕には大きい意味を持っていたんです。仕事には辛いことも多いですが、逃げずに前に進むことが大切なのはもちろんのこと、そういうサードコミュニティに逃げ込むことも時には必要だと学びました。 ーそれがU-29の原点にもなっているのですね。 間違いなくこれが原体験になっています。しかし、僕はそういう活動をしていたからサードコミュニティを自ら作れましたが、ゼロからするのはなかなかハードルが高いことも理解しています。だからこそ、「サードコミュニティによって救われた僕が、次世代のために場をつくっていくべきだ」と考え、いつかやりたいと思うようになりました。 ペイ・フォワード精神が生んだ、3度目の正直の「ユニーク大学の誕生」 ー”いつか”が少し気になったのですが、2019年10月の本格始動までの経緯を知りたいです。 実は、2回頓挫しています。1回目は2016年、僕が28歳の時です。実は、その頃にはu-29.comのドメインは取得していました。20代が終わりに差し掛かっていたこともあり、大きいことをしたくて数人でイベント企画をしていたのですが、とあるビッグゲストを呼んでいたんですね。ですが、当初予定していたイベント開催日とそのビッグゲストの結婚式が丸被りしてしまい、イベントの消滅とともにU-29の立ち上げもお流れになりました(笑) ーそんな裏話があったとは(笑) その後、2018年の10月からゆるくウェブメディアを立ち上げ、気が向いたときにインタビューするという感じでしたが、中途半端になってしまっていたのは事実。これが2回目です。 ーでも、2回頓挫しても3回目を試みたのは何故ですか? いつかやりたいとずっと思っていたので、「ちゃんと思想を持ってやろう」と気を引き締めたのと、何より僕らが先輩方にしてもらったことを次の世代に渡す”ペイ・フォワード”を実現したいと思ったからです。 U-29世代のケーススタディとなる「人生コレクション」 ーU-29世代を卒業した西村さんから見て、今のU-29世代はどのように映っていますか? いつの時代も同じなのかもしれませんが、本来だれもが持つユニークさを押し殺し、周りや世間の目を気にしてしまっている人が多い気がしています。特に、学校では個性を発揮できる学生も、就活になった途端に「社会に適合できるように」と違う自分を演じてしまう。その一方で、あるがままに生きている人もいて、その人は他人軸ではなく自分軸で生きていると思っています。他人軸ではなく自分軸で意思決定していく人が増えてほしいし、U-29はそれを推し進めるエンパワーメントなメディアにしていきたいと思っています。 ーなぜユニークさを発揮できないようになると考えていますか? ユニークさと表裏一体ではありますが、100人100通りの悩みがあり、他人軸と自分軸の狭間で葛藤しているんじゃないでしょうか。「本当は自分の判断に従って生きたいけど、親や友達が反対しているから一歩が踏み出せない」「そもそも、自分の軸が何なのかわからない」といった悩みがあるように感じています。 ーその悩みを、U-29でどのように解決していきたいですか? まだまだ模索段階ですが、「コミュニティ」という形を取っていることがその解かもしれません。「10~20代が本来のユニークネスを取り戻していけば、日本という国がもっと元気になっていくんじゃないか」と考えていて、それを阻害しているものを探りたいですし、コミュニティ内での情報共有がその第一歩だと思っています。 ー「日本という国が元気になる」というのがワクワクしますね。インタビューはどのような位置づけなのでしょうか? 個人の働き方に着目して伝えることは、大きなヒントの一つになると思うから、色んな人のストーリーを発信して、U-29世代のケーススタディの手段となるようなインタビュー&記事にしていきたいです。100人100通りの、いわゆる「人生コレクション」ですね。会社員になる人もいれば、起業する人もいるし、大手に行ったけどベンチャーに行ったり、副業をしたり。色んな人生があっていいと思っていますし、その全てをヒントとして提供したいですね。 ユニークネスな環境が次世代リーダーを生む、そんな実験場に ー2019年10~12月を経て、2020年1月より「ユニーク大学」と名称変更されました。その背景を教えていただけますか? 僕の中では、前年の3か月間は試運転期間と位置づけていました。多くの記事を公開できましたし、何より本当に多くのU-29世代に出会うことができ、大変充実した3か月間でした。試運転を経て、皆さんに何を提供したいか?を改めて考えてみると、「10〜20代が本来持っているユニークな才能(ユニークネス)を発掘し、磨き上げ、価値を創発する共創型の学びの場」だったんですね。それを踏まえて、本コミュニティが「どんな場であるか?」をワンワードで表すと、「学び場」となりました。というわけで、2020年1月をもって、名称もシンプルに「ユニーク大学」に変更することにしました。 ー一層磨きがかかったネーミングであると感じました。メンバーにはどんなことを大切にしてほしいですか? ユニーク大学のコアコンセプトを以下の3つに定めました。 Action Driven:考動ドリブン、アウトプットファースト。 Be Unique:自らのユニークネスを発掘・発揮し続ける。 Change yourself:自分自身を絶えず変化させ続ける。 何より大切にしてほしいのが「Be Unique」。誰しもが「ユニーク」な存在であることが大前提で、そのユニークネスを発揮して社会に新たな価値を生み出し、次世代を引っ張ってもらいたいからです。 そのために重要なのが「Action Driven」。絶えずインプットし、思考を回し、そしてアウトプットし続ける。アウトプットの引き金としてこのコミュニティを活用してほしいですね。 最後に「Change yourself」について。ユニークネスを発揮し、自分のモノサシで生きていくために、過去のモノサシを健全に捨てていく。そうやって、変わっていく自分を肯定し続けてほしいなと思います。 ーABCで綺麗にまとまっていますね!そのために、具体的にどのようなことを展開していきますか? 「ユニキャリ」などの既存のコンテンツについては、以下3つのテーマに絞っていきます。 ①戦略的転職 →「逃げの転職」ではなく、ユニークなキャリア戦略に基づいた「戦略的な転職」にフォーカスします。 ②持続可能な学習 →モチベーションに依存した"持続しない学習"ではなく、人生の礎になるような"持続可能な学習"を通じたユニークなキャリアづくりを特集します。 ③自己成長型の複業 →単なる小銭稼ぎを目的とした「副業」ではなく、自己成長を目的とした、転職でも独立でもない「第三の選択肢」としての「複業」に焦点を当てます。 また、新しい取り組みとして、特定のテーマに絞った「ゼミ」を開講します。 現時点で開講を決定しているのは、 プレゼンテーションゼミ(2月開講予定) 戦略的転職ゼミ(3月開講予定) 複業型起業ゼミ(4月開講予定) の3つです。「学びの場」の一つとして、U-29世代のためになるようなゼミを展開していきます。 ーリアルな「学びの場」。楽しみですね。そのために、U-29のメンバーに期待していることはありますか? 特別何かをリクエストするつもりはなく、自由かつ主体的に活動できる場にしたいと思っています。いわば「遊び場」であり「実験場」です。ユニークさを持つU-29世代が集まると何が起こるのかを知りたいですし、僕の役割は、この場で起こる活動を支援すること。既に生まれているメンバーの繋がりや部活動がその良い例です。だからこそ、「アウトプットファースト」の姿勢ではいてほしいですね。ABCのコアコンセプトを実現するには欠かせませんから。 ーありがとうございます。最後に、U-29が目指す姿と、社会に発信したいことを教えてください。 まず、コミュニティ内での次世代を担うリーダーの発掘。育成ではなく発掘です。ユニークな価値観や活動を世に知られていない人がたくさんいると思いますが、そんな人たちがこのコミュニティから世の中に出ていく、ある意味登竜門のような存在になればいいなと思っています。それに触発されて、新たなタレントが生まれるといった循環も生まれてほしいですね。 ー誰もがその可能性があるということですね。それを実現するために、ユニーク大学はどういう姿でありたいですか? そもそも僕は、ユニークネスは誰もが持っていて、それが発揮できているかできていないかの違いだと思っています。「ユニーク大学にいるから自分のユニークネスに発揮できている」と思ってもらえるようにしていきたいですね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる (取材・文/山本恵理子、取材・編集/角田尭史、写真/渡辺健太郎、デザイン/矢野拓実)

学生起業を経て、株式会社 RASHISA代表・岡本翔は「虐待問題」に挑む!

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。 第59回目のゲストは、大学在学中に起業家になり、人材ビジネスを経て事業を譲渡後、自らの経験を元に虐待問題に向き合い「株式会社 RASHISA」を立ち上げた岡本翔(おかもと・しょう)さんです。 ご自身のこれまでの半生と、事業譲渡するまでのストーリー、今後のビジョンに関して語っていただきました! NBAプレイヤーを夢見た少年は、「起業家」という新たな夢を手に入れた   ー起業家である岡本さん、最初から起業しよう!と決めていたのですか? 高校3年生までの僕はバスケットボールに夢中で、もともとNBAプレイヤーになるんだ!と本気で目指していたんですよ。先日、不幸な事故で亡くなってしまったNBAのスター選手・コービー・ブライアントに憧れて目標にしていました。 小学校2年生でバスケットボールを始めたときは、高学年の先輩たちみたく上手にプレーができずにいじめられ、見返そうという気持ちでがむしゃらに頑張りました。その後、小学校6年の時に夏の県大会でベスト4になり、広島県の優秀選手に選ばれました! 中学入学後もバスケ中心の生活で、1年からレギュラーを勝ち取り、全国大会・県選抜ジュニアオールスターを目指していたのですが落選しました。そこで人生はじめての挫折を味わいました。 高校はバスケットボールの推薦で、毎年県大会にて好成績を収める強豪校へ。そこでも厳しい練習に耐え抜き、2年生になってからベンチ入り・レギュラーを掴み取るようになりました。しかし全国の壁ははるかに高く、結局3年生でバスケ選手への夢は諦めました。 ーNBAを諦めてしまったのはなぜ? 千葉遠征の一環で、ウインターカップというバスケの全国大会を観戦したんです。そこで全国の強豪校同士の試合を見たとき、レベルの違いを目の当たりにしました。また、顧問の先生からも「NBA選手になるのは難しいのでは」と言われてしまったこともあって、夢を自ら諦めてしまったんです。 結果的にバスケットの道を諦めたからこそ、今の起業家の道があるので自分の決断は間違っていなかったと思いますが、でももう少し選手として頑張っていても良かったのかなとも思いますね! ー夢を失い、その後の目標はどう見つけたのでしょうか 夏のインターハイ予選が終わり、受験勉強が始まったのですが目標もないですし、何も手につかなかったですね。 当時僕は寮生活で、近所のツタヤによく通っており、その日もふらっと立ち寄っていました。そこでたまたま立ち読みした本が、高橋歩さんの『毎日が冒険』という本でした。 読んで、この生き方・この人生を目指そう!と思ったんです。 そこから、起業家を目指してビジネス書や自己啓発的本などを読み漁り、まずは起業家になるべくスキルを手に入れようと大学へ進学しました。 ー高校生ですでに起業家を目指していたんですね。大学ではどのような生活を? 大学1年生の頃、ネットワークビジネスに関することも本で読んで学んでいたのですが、 たまたまSNSで繋がった方に「ビジネスを教えてあげるよ!」と言われまんまとネットワークビジネスの勧誘にハマってしまいました(笑) 当時の貯金から20万円も初期投資に使ってしまったんです…結局1〜2ヶ月で「自分に向いていないな」と思って、9割ほど返金してもらって辞めました。 その後は、ヒッチハイクで日本一周をしたり、海外にバックパッカーとして旅したりしました!旅に出た理由は、ある社会人の方にお会いした時に「起業したいのは分かったけど、起業は手段でしかない。君が起業したいのは何が目的なの?」と言われ、その目的を探すためにしていました。 大学2年になった時、「人の人生を豊かにする仕事がしたい。教育の分野で起業がしたい」と奮起し、通っていた大学の近くに塾を立ち上げようとしたり、様々なインターンシップに参加したり活動をするようになりました! ー教育の分野にしよう、と思い立った転機は? 日本一周のヒッチハイク旅やバックパッカーをしている時ですね。僕のSNSを見た友人が「おかしょーのSNS見て、俺も人生が楽しくなったよ」と言ってくれたんです。この一言がきっかけで、自分は人の人生を豊かに、楽しくしていきたい!と思ったんです。   大学を中退し、起業家としてのスタートは順風満帆に思えたが…? ー岡本さんにとって、はじめての起業はどうでしたか? 大学3年時に起業をしてみて、最初は予想より上手く行ったと思います! 会社設立1期目は、九州の大学生の就職支援と東京の企業の採用支援を実施しました。特に、福岡でマッチングイベントを開催して、企業の母集団形成に役立ててもらっていました。 ただ2期目になって状況がガラッと変わりました。福岡から東京に上京し、新しい事業を始めようと思っていたけれど、それが上手く行かず数百万ほどの赤字に…。 新しい土地に行ったこと・新しいことへの挑戦が上手く行きませんでした。 ーその時は、どのような事業を目指していたのですか? 当時はIT×教育の分野で挑戦しようと思っていました。地方にいる学生のスキルアップ向けに、社会人のノウハウや情報を発信していくような教育ビジネスで、その社会人がいる会社を就職先としてマッチングさせるような仕組みです。ですが資金調達も上手くいかず赤字になり、1週間ほど就職活動をしました。会社も清算しようとまで思っていましたね。 その際、とある企業の人事の方に「おかしょーなら、もう少し頑張れるんじゃない? おかしょーに期待している人もいると思うよ」と言ってもらって、そこからまた何でもやってみようという意欲が湧いてきました。 就職活動を辞め、アルバイトをしながら業務委託で働いたり、空き時間は自分の挑戦に対する仮説検証をするみたいな日々を送っていました。期待してくれる人がいるなら頑張ろうと、資金づくりと起業の準備をしていました。 ーその後、再び事業をスタート!1回目の反省をどう活かしましたか? これまでは自分のやりたいことを目的としたビジネスを目指していたけれど、今後は市場にフィットしたマーケットインなビジネスを目指し、社会から求められているサービスを立ち上げると決めました。 就活生の悩みや情報をひろいあげ、「就活相談をしたいけど相手がいない。人材会社は怪しいと感じてしまう」という声から就活生とキャリアアドバイザーが気軽に会えるサービスを生み出しました。 人材会社にいる知り合いに片っ端からアプローチして、人材会社のキャリアアドバイザーと大学生をマッチさせるような仕組みとサービスを作りました。それが「キャリアアドバイザードットコム」でした。 ーその事業をやってみて、いかがでしたか? やってみて、キャリアアドバイザー側・学生側のニーズにフィットしたビジネスをやれている手応えを感じていましたね。福岡でやっていた事業は、口コミや知り合いがサービスに登録してくれていたけど、「キャリアアドバイザードットコム」は僕が知らない方もサービスに登録してくれるようになっていました。それは、福岡にいた時には感じなかった手応えでした。 また、このサービス経由で内定が決まった知らせを受けた時も、めちゃくちゃ嬉しかったですね! ーそこから、事業譲渡したのはナゼ? とある方との対話がキッカケで事業を譲渡して本来挑戦したかったことに踏み切ったんです。 そもそも、彼には出資依頼をしてお会いしました。結果的に今の株式会社RASHISAに出資してくれている株主の方なのですが、毎回ミーティングの度に僕の目的や事業内容、やりたいことに関して聞いてくれました。 3回目くらいのミーティングで、「おかしょーくんは、本当は何がやりたいの?」と聞かれた際に、「実は…」と僕はあることを打ち明けようと思ったんです。それが僕の生い立ちと家族のことでした。 実は、僕は虐待を受けていたんです。きょうだいも似たような境遇です。そのような原体験から「虐待問題」には関心があったのですが、一歩踏み出せずにいました。本当は虐待されてしまった人のために何かをしてみたいという思いはずっと胸の中にありました。 でも僕は20代で事業を一度失敗しているし、まずはお金と社会的信用を得て、事業の創り方を知った上で30代で虐待問題に向き合おうと思っていました。 そのことを出資者である彼にお伝えしたら「ぜったい、今やった方が良いよ。」と言ってくださり、応援(出資も)してくれることになって。そこから僕の虐待問題への取り組みをはじめました。そのため、キャリアアドバイザードットコムを事業譲渡しました。   虐待サバイバーとして、「虐待を未然に防ぎたい」と事業を開始! ーこういった家庭内のドメスティックな社会課題を解決するのって難しいですよね。 やはり難しいと感じています。でもいつかは、虐待を未然に防ぐ何かしらの事をやりたいと思います。ただ、今はまだ準備が必要なこともあるので、虐待が原因で苦しんでいる方に伴走している事業をしています。 ー具体的にはどんな事業を? 株式会社 RASHISAでは、虐待を受けたことがきっかけで何かしらの後遺症を抱えており、正社員として働くことが困難な方を対象に、ライティング教育事業と企業様のコンテンツマーケティング事業を行っています。 例えば、虐待がきっかけで対人恐怖症で人と話すのが出来なくなってしまった方やメンタルが不安定で週5日働くことが難しい状態の方…正社員として働けない方を対象に、我々がライティング教育で文字をしっかり書くことが出来るようなスキル育成を行い、彼らの収入と、社会との接続の場を作ることをしています。 ー虐待を受けて育った方には、どのような課題があるのでしょうか 児童養護施設で育った子は“一般的な社会人”になりづらいのかなと思います。これは一例にしかすぎないですが、全国の高校から大学にいく進学率は一般的には8〜9割と言われていますが、児童養護施設の場合は進学率が1〜2割ほど。8〜9割は進学せずに働き出す方が多いんです。ですが、そのうち40%ほどは3年以内に辞めているというデータもあります。 それは、やはり社会人としての適性が整っていない中で社会に飛び出すのが難しい、施設退所後のサポートがないことが原因だと思っています。 ー被虐待者になぜライティングの支援をしようと考えたのでしょう? 2019年の9月に虐待問題に向き合おうと決めてから、最初は“虐待サバイバー(虐待経験を乗り越え生き抜こうとしている方々)”に特化した人材紹介事業をはじめました。しかし人材紹介は難しいと気づきました。 なぜなら、被虐待者の方々は選考に上がる前に、何かしら正社員として働くには厳しい後遺症や困難を抱えていたからです。 となると仕事先を探すよりも、我々が仕事先になったほうが被虐待者のためにも良いのではと感じたんです。 その上でどんな仕事内容ならマッチするのか…を考えた時にライティング事業とコンテンツマーケティング事業にたどり着きました。この事業は2020年の4月からはじめたばかりですが、現在10名ほどの虐待サバイバーの方と4社ほどの企業様の伴走をさせてもらっています。 ー事業をやっていて、手応えは感じますか? はい!感じています。 先日、制作したものを納品したクライアントさんから「いい記事ですね」と満足いただけるフィードバックをいただき、すごく嬉しい気持ちになりました! 事業としても立ち上げフェーズですし、新型コロナウイルスの影響もあって営業先もなかなか開拓しづらいですが、これから案件も増やしていきたいなと思っています。 現在、働き手の登録は20名いて、うち半分は被虐待者です。先日、働き手である対人恐怖症の被虐待者のユーザーさんから「すごく楽しいです」というコメントをいただいたことも励みになっています。今後はこの事業でしばらく進めていきたいなと思っています! ー今後挑戦しようと考えていることはありますか? 我々の会社は、働き手である虐待サバイバー側に認知してほしい姿と、クライアントである企業側に認知してほしい姿が異なるのが難しい部分です。 案件をいただく上で、コンテンツマーケティングをやっている会社として認知してほしいので、2つの目的でオンラインサロンを立ち上げました!2020年4月からスタートして現在会員は10名ほどです。 1つ目の目的は、コンテンツマーケティングをする上でマーケターの方々の力が我々にはどうしても必要なので、我々のビジョンに共感してくれるマーケターの方とお会いできるような場を作りたいと思って開催しています。2つ目は、リード獲得です。 そこで、月1回コンテンツマーケティング×WEBのウェビナーやユーザーさん同士の交流会(オンライン飲み)を実施しようと思っています!   転んでもまた立ち上がる、岡本さんの生きるパワーの源とは? ー25年の人生で数々の浮き沈みをしてきたと思うのですが、立ち上がる力はどこから湧いてくるのでしょう? これは結果論ですが、「目的」と「仲間」ですね。 会社を清算しようとした時は、とある方が背中を押してくれました。業務委託として1人で働いた時は辛かったことも多かったですが、事業をやるという目的があったのでがんばれたし楽しかった。そして今はパートナーで居てくれる方と仕事も楽しく出来ているし、難しい虐待問題にも向き合う目的を持って日々乗り越えようと頑張っています。虐待を未然に防ぎたいという強い目的意識があるから頑張れます! ー怖気づく方も多い中、色々なことに挑戦しようと思う意志の強さはどこから? 大学生の時に旅をした経験が大きかったですね。新しい事、新しい世界に足を踏み入れるワクワク感をそこで味わいました。 また、少し表現が難しいのですが、虐待というまだまだ課題が山積みのことに立ち向かうそのものが、僕はすごく楽しいんです。難しい状況や課題に立ち向かえるそのものが面白いと思います。そういった楽しさ・ワクワクから来る感情が僕の原動力になっています。 ー虐待問題に立ち向かう中で、難しいと感じることは? まず、自分の経験についてお伝えすると、対人恐怖症のユーザーさんに向き合うときは難しいなと思うこともあります。電話でお話する時はちゃんとお話が出来る方なのですが、どこかで見えない生きづらさ・辛い問題を抱えているかもしれない。 でもそれは僕には100%分かってあげられない問題で、そういった部分にどこまで踏み込んで良いのかが分からない時はあります。そのため、言葉選び・間・話すスピードはすごく考えます。自分に持っていない個性を持つ方との接し方は注意して考えています。 ー虐待サバイバーのために、チャレンジしたいことや長期的なビジョンはありますか? やはり、虐待を未然に防ぐことですね。相談件数は、児童養護施設に届いていないだけで、見つかっていない虐待はまだたくさん潜んでいます。我々は虐待の相談件数を減らしたいと考え、3年後には取り組みたいと考えている具体的なアプローチ方法が2つあります。 まずはお母さんに対するアプローチ。 実は虐待の6割ほどが実の母親からというデータがあります。これは母親を取り巻く貧困問題や孤独感・閉塞感など様々な問題が原因とも言えます。こうした虐待に至ってしまう社会課題の解決も取り組みたいです。 もう一つは、赤ちゃんが虐待を受けることを防ぎたいと思います。まだ具体的にコレ!と決まっている訳ではないのですが、いつかは取り組みたいなと思っています。 ー今の事業で、今後乗り越えたいと思う壁は? 虐待の、社会からの捉えられ方はまだまだ良くないイメージがこびりついていると思います。例えば、クライアントさんやユーザーさんに事業内容についてお伝えすると、「それって大丈夫なの?」とネガティブに捉えられてします。 これをいかに「そんなことないよ」と伝えても、分かってもらえるかは難しい。 虐待をおもしろおかしく扱いたいとかでは決してなく、虐待という問題に向き合っていく事業をやる上で真剣に、見せ方やネガティブイメージを乗り越えていきたいと思っています。この壁はいつかぜったいに乗り越えたいです! ーおかしょーさんの、当事者としての強い思いを聞けました。ありがとうございました!   ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗 写真:岡本さん提供 デザイン:渡辺梓 文:Moe

「HRで目の前の人からハッピーに」—元パイロットが人事のスペシャリストに転身した秘話。

  色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第5回目のゲストは、非連続的なキャリアの末にパイロットから鞄製造会社の人事へと転身してこられた西島悠蔵さんです。 簡単にそのキャリアを振り返ると、新卒でANAにパイロットとして入社後、転職先のリクルートキャリアではキャリアアドバイザーと中途採用を担当。今では従業員規模100名程度にまで成長したベルフェイスがまだ10名弱だった頃には人事組織の立ち上げを牽引。そして現在は、創業50年を超える老舗・土屋鞄製造所で人事部人材開発課・課長。 今回はそんな独自のキャリアを歩んできた西島さんに、それぞれの転機における判断軸や決断の裏側を伺いました。   就職氷河期に7社8職種内定の内心。 -新卒の当時は今とは全く違う、「ANAでパイロット」というキャリアを選択されたと思うんですけど、学生時代はどんなことしてたんですか。 学生時代は何もやってなかったんです。本当に授業とか全然行ってなくて。朝~夕方まで麻雀を打って、学校行かずにそのまま部活(バスケ)に行って帰る、みたいな生活をずっとやってて・・・本当に底辺みたいな生活をしてましたよ(笑)。学生らしいといえば、学生らしい生活を送っていたのかな。 ただ、このままダラダラ過ごしていくのはやばいなと思ったので、一応アルバイトはちゃんとやってました。一番最初のバイト先はスターバックス、その後は朝日放送。それからCOACHで販売員をやっていました。大学3年生の時、販売員としてかなりの販売実績を残せたこととかは就活中の売りになりましたね。 自分で言うのも恥ずかしいけど、就活は超無双でした(笑)。当時は大手の7社8職種から内定を頂いて。   -就活は無双モード、と言っても当時就職氷河期でしたよね?   そうですね。当時はちょうどリーマンショックが起きて、急に内定を取り消された先輩の姿や採用活動縮小しますと宣言する企業が増えていたので、内心「やばいな」と不安を抱えながら就活を始めたのを覚えてます。 ただ、就活の話すると超ダサいやつになるんですが、僕はシンプルに大手に行きたかったんですよ。 というのも、僕、高校は進学校だったんですけど大学受験をしていなくて、受験せずに特待に近いような形で大学に入学してます。その当時、高校は周りが国公立ばかり目指しているところで、私立大学に行きますって言ったら周りから「お前妥協じゃね」みたいなことをすごい言われて。だから、なんか変な学歴コンプレックスみたいなのがあったんです。 そこで、就活は分かりやすい成功をおさめたいと思って、まずは就職人気ランキング100位までを調べてました(笑)。その後、最初リクナビを見てエントリーできそうなところを探し、片っ端から77社へエントリーシートを書いて、毎日4−5社面接受けて・・・というような就活をしてました。面接や試験では、テクニックを駆使しながら「いかにして就活というゲームを攻略するか」と考えてましたね。 今、自分が人事をしていてそんな学生が来たら絶対採りたくない(笑)。今はより就活が情報戦になっているし、企業に合わせて自分を偽っていると自分自身がわからなくなるので、同じやり方はあまりおすすめはしません。   -就活というゲームでは無双状態だったわけですけど、内定は何社くらいもらったんですか? 大手生命保険、大手銀行、全日空のパイロットと総合職など、7社8職種の内定を頂きました。4月17日、パイロットの内定が出たところで全日空のパイロット職として入社を決意し、就活を終えました。   自分を押し殺し続けられるか...。パイロットから人材キャリアへ -ファーストキャリアとして、なんでパイロット、ANAを選んだんですか? まず、母親がもともと全日空で客室乗務員をしていて、「全日空に戻りたいな」という話を聞いていたんです。親世代の人が働きたい環境って素敵だなと思っていたのと、一部恩返しみたいなところもありましたね。でも、これはあくまで1割。外向けの綺麗な、素敵な理由 。  残り9割は分かりやすく、お金もらえるし、女性が多いからモテるだろうし、タクシーの送り迎えもつくし、完璧やんみたいな。ステータス的に完璧だからそっち行こう、って選びましたね。極めてわかりやすい、大学生らしい意思決定の仕方でしょ。   -順調な就職活動を経て、ベストと言われる選択ができて、2010年にANAに就職するわけですけど、実際入社してみてどうでした? 正直、内定者研修の時に違和感を感じ、辞めようと思いました(笑)。 実際に入ってみると、みんな会社が好きで、飛行機が好きで、小さい頃からの憧れを抱えて入る人たちが多かった。それが、幅広く就活して、ステータス重視で入社を決めた僕にとっては、ちょっと熱狂的すぎたというか。すごい温度差を感じたんです。はじめはすごくきつくて、「僕にとっては一生やる仕事ではないな」と思っていたのはすごく覚えてますね。   -けれど、すぐには辞めなかったんですよね? パイロットとして入ったからにはちゃんと真っ当にやらないととは思っていたから、訓練2年を含めて結局4年弱はいたかな。 入社時から感じていた違和感は、どこかでずっとあって…航空法や会社の規定を守るからこそ空の安全は守られるのですが、どうしても自分の中でそれが面白くないと思ってしまっていた。 結局、入社してから、それからも違和感が消えることはなかった。「このままずっと自分を押し殺しながら続けるのか、自分らしく辞めるのかどっちかかな」と真剣に考えるようになり、退職へ。   -そして、転職活動をスタート。 はい。転職先として考えていたのは人材系。全日空時代に採用関連の業務に携わったこと、就活中に素敵な人事に出会っていたことから人材方面にキャリアを積みたいと考えていました。なかでも、目指していたのはリクルート。 当時リクルートエージェントで転職活動をしていたんですが、エージェントさんがくれる求人にはリクルートはなくて。「リクルートの会社で働くエージェントさんが出してくれないってことは、僕はリクルートにはいけないのかな」って思ってたんですが、思い切って「すみません、リクルートとか募集ないですよね?」って聞いたら、「ありますよ!」って。あの時一歩踏み出さなかったら、今のキャリアにめぐりあってなかったし、違う人生だったなって思いますね。   -その後リクルートキャリアへの転職を決めたわけですが、入社当時はすでに「いつか人事になるぞ」と意識してたんですか? 人事にはなりたいなと漠然と思ってたけど、入社してから配属されたキャリアアドバイザーの仕事が大変で。退社後に勉強したり他社の人の話を聞きに行ったり、成果を出せるように必死にやっていましたね。それだけ必死になって頑張った背景には、転職する際の最終面談の時に当時の人事部長に言われた一言が大きくて。 最終選考の面談の時、僕はキャリア4年目。「リクルートの4年目ってどれくらいのレベルか知ってるの?君の3倍は仕事できるね」ってはっきり言われました。「どれくらいで追いつくの?」って聞かれて、1年くらいですかねとか言ってたら、「そういうところがなんかぬるいよな。1年とか普通じゃん。半年って言えよ」って返されて(笑)。半年で本当に4年目に追いつけるのかなって思ったけど悔しかったから「3ヶ月で追いつきます!」って握手しちゃったから、もう焦りまくってたわけです。  とりあえず成果出さないと、成長しないと、って必死でしたね。仕事が終わってからは深夜2時まで空いてる大崎のスターバックスに行って、終電までいつもいろんな本読んだり勉強したりとかして。懐かしい。   待ってるだけでは、描いたキャリアを実現できない。 -そうだったんですね。成果を出すために最初はめちゃくちゃ努力されたと思うんですけど、ブレイクスルーしたタイミングとかあったんですか? 自分の中で明確に覚えてるのは、ちょっと慣れてきたタイミングの時のことです。あと一人内定決めれば全社のMVPになれるかもしれないって話が、僕のもとにちらっと舞い込んできていました。これは大きなチャンスだと思いましたね。 この人がその場で握手すれば完璧にMVPが決まるという時があって、僕は必死になってその人を4時間くらい面談してたんです。本人はずっと「自分は行きたいけど家族に話したい」って言っていたところ、僕は「わかりました、電話しましょうよ」って言って。その場では電話がなかなか繋がらなくて、本人もできれば土日で考えたいと途中から言い出して。 今では役員になられた当時の上司にその状況を相談したら、「あんたそのための4時間だったの!?」ってすごい怒られたんです。「早く帰しなさい!あんたの成績はそのお客さんの人生にとって何にも関係ないのよ。どこ向いて仕事してんの?」って言われて。うわーっ・・・て思ったんです。 もうその時は自分のことで精一杯だったし、自分の成果を出さなきゃって思ってたから、目の前の人の人生よりも自分の売り上げを追っかけていたんですよね。その時にすごく葛藤して。バランスっていうのは難しいんだけど、最終的に極のところっていうのは目の前の人に向き合うことなんじゃないかなって、その時にはっきり気づかされましたよね。 相談を終えた後、面談していた方にはすぐに帰っていただき、案の定MVPは取れず。まあ、その方が決まってても最終的には取れなかったけれど、本当に成果以上に良い気づきを与えてもらいました。   -MVPは逃したけど、仕事の本質、大切なところに気付かされた瞬間だったんですね。その後キャリアアドバイザーから、一時期転職活動されていた時期もあったじゃないですか。 ありました。キャリアアドバイザーをちょうど2年くらいやったタイミングで、飽きてしまって。というのも、どうしても個人の方しか向けないし、個人に向き合う大切さは学んだんだけど、じゃあその次の成長、ステップって何なのかというところが分からなかったんですよね。 そこで、やっぱりその先も見れる人事になりたいと思って人事のポジションを色々探し始めました。リクルートの中で異動できれば一番よかったんだけど、時期的にも少し先になりそうだったので転職活動を。 そしたら、まさかの大手・有名企業からHRポジションの内定をもらうことができて、これはいけるかもしれないと思いました。内定を持った状態で、当時のリクルートのマネージャーに話しに行ったんです。「僕人事いきたいんですけど、人事にいける道が手元にあって迷っていて。社内で異動ってできないですよね?」と相談したら、「まあ待て」って言われて。しめしめじゃないけど、戦略的にキャリアを積むってこういうことかもなっていうのを考えられたのかな、と。 総合職で入っている人とかは特にこの辺考えた方がいいなと思っています。待ってたら、そのキャリアが自分を連れてってくれる時代ではもうない。やりたい仕事に対しての準備っていうのは、ちゃんとしないといけないんです。 僕だったら、例えば人事と積極的に絡みに行きながら、「キャリアアドバイザーで頑張ってる奴がいる」っていう噂が立つくらい影響力を積み上げて、時期が来たら最後に切り札持ってるみたいな。もう完璧なシナリオでしょう。   ーそこから人事としてのキャリアがスタートしたわけですけど、その後にベルフェイスに行くわけじゃないですか。大手・リクルートからベンチャー・ベルフェイスに転職しようと思ったきっかけは? これは2つエピソードがあって。1つは5泊6日の新卒インターンシップにたまたま参加することになった時のこと。毎晩毎日学生と話をしていくうちに、今まで自分は人と向き合うのが上手だって思ってたんだけど、全然向き合えていなかったなと気づいてきて。 自分の姿勢がその学生たちに影響を与えるって言われていたんだけど、当たり障り無く周りの人とコミュニケーションを取れるけど本音を出さないっていう僕の姿勢が当時のグループにも表れていたんです。 2日目には学生との関係に限界がきて言い合いになった時、ある学生から「ユウゾウさんは泣きそう泣きそう言ってて絶対泣かないタイプですよね。そういうところが僕は嫌いです」って言われました。「学生には言う割に自分はそういうところ隠しますよね。だから今日は喋りましょうよ」とも言われて、そこから夜中の3時くらいまで号泣しながら語って。そこで初めて、人と向き合う仕事って面白いなと思ったし、ある種難しいなっていうのもすごく感じたんです。 ただ、その体験を味わってから職場に戻ってきた時のギャップがものすごくあって。大手の人事ってどうしてもオペレーションで回っちゃう。というよりも、回さないといけない。だから、このまま続けるのはちょっと違うなって思いました。 もう1つは、僕のリファラル採用で入社した人がいたんだけれど、入社2ヶ月後くらいにその人から電話がかかってきて。一緒にランチに行ったら、「私の同期みんな辞めちゃったんですよね」って言われて。ランチ中にその子がめっちゃ泣き出しちゃって、「ユウゾウさん、いい会社って言ったじゃないですか」って言われたんです。その子に申し訳ないっていう気持ちもあったけれど、何よりショックだったのはみんなが辞めた事実を知らなかったっていうこと。やっぱり大手で組織も細分化されていたから、「人事って何なんだろうな」って思いましたね。 その時、当時担当していた中途採用担当っていう狭い領域だけじゃなくて、もうちょっと広い、中途も新卒も、もっというと労務とか教育とか、入社後のところも見れるようなキャリアを積みたいなと思ったんです。 その2つがベンチャーに行こうと考え始めたきかっけでしたね。   HR文脈で目の前の人、日本で暮らす人をハッピーに。 -ベンチャーから老舗の鞄製造会社へ。このキャリアもまた、印象的ですよね。今はどのような働き方をされているんですか? 今は自由に色々やらせてもらっています。人事部人材開発課・課長をさせてもらいながらも、ふと気がついたら他に複業6社やっていて。 複業では、採用のコンサル、採用ブランディングみたいな文脈で関わっている企業が2社。人事として関わっている企業が2社。人事として関わっている企業では、僕が欲しいサービスを企画して作ろうとしています。具体的には、学生向けのオンライン説明会などをやっています。 他には大学の非常勤講師だったりエージェントとかもちょこっとやっていたりするんだけど、ベルフェイスでの人事組織立ち上げ経験をはじめとして、自分が今までやってきた経験をそれぞれそのまま活かしているって感じですね。新しいことを始めたっていうよりも、色々自分がやってきたことを広げていったら今6社にまで広がったって感じ。   -人事は天職だなって思うことはありますか? 天職っていうのは、なんだろう(笑)。わからないですけど、人事のように人と向き合える仕事っていうのは自分はどこまでやっても飽きなくて、どれだけ身体しんどくてもやれる。っていうことは、もしかしたら天職なのかなって思いますね。   -人事というところ、人と向き合える仕事を軸に、おそらく今の会社からまた違うところにいかれるってこともありますか? それ最近すごいいろんな学生に言われる(笑)。 いつまでいるんですか、みたいな。 端的に言うと、しばらくここで働いていくと思っています。 なぜここに入ったのかっていう話になるんですけど、製造業とかものづくりとかって、時代的には傾いていくイメージのある業界ですし、勢いもITとかに比べたら全然無い領域ですよね。 でも、僕はここ数年でこの業界を変えられるんじゃないか、中にいる人たちがよりハッピーに働けるようにできるんじゃないかって思ってるんです。HRの文脈でこの業界を変えられれば、大げさじゃなく日本を救えるとも思っています。 その背景にあるのは、これまでいろんな仕事を経験してきた中で気持ちが変わってきていることがあって。「目の前の人をハッピーにしたいな」っていうところから「より多くの人をハッピーにしたい」と。もうちょっといくと「日本で暮らす人たちとか、日本に関わる人たちがハッピーになってくれると、僕はすごく嬉しいな」って思うんです。 それが自分の人生をかけてやれることかもなっていうのを最近考え始めていて、今はそれを叶えられるのが土屋鞄。柔軟な働き方を許してくれてることもあるので、しばらくはいるのかなっていう感じはします。   -目の前の人から、広く日本を変えていきたいという思いはどういう風に出てきたのでしょう?どうしたらそんな風に変わっていくんだろうみたいなのが気になりました。 目の前の人を幸せにしていくっていう連続を続けていくことが、そこに繋がったのかな。ベースは一番そこが大きくて、ずっと目の前の人と向き合っていたら物足りなさを感じるようになっていくというか。 要は、同じ成功体験を味わっていると、人ってやっぱりもっと成長したいって感覚が強いので、「もうちょいやりたいな」っていう前のめりな気持ちが多分でてくるんです。そういう成功体験を続けているとだんだん見える範囲が大きくなってくるので、より上のレイヤーで物事を考えてみたいなっていう感情が湧いてきたっていうところが大きいですかね。 目の前のお客さんに向き合って、その人が結果的にどのようなベネフィットを得るのかというところをだんだん見るようになっていって、「そうしたらもっとここにも価値提供できそうだな」とか「もっとこういうことできそうだな」っていう風に感覚的に変わっていった感じですね。   これまでになかったIT・WEBとのコラボを -最後に、今後チャレンジしていきたいこととかをお話しいただけますか? 正直、他の業界に比べたらものすごく遅れている領域だと思っています。例えば、一番最初の面接で「この人の書類ってどこありますか」って聞いたら、めっちゃでかい倉庫がガチャンって開けられて、ファイリングされてるのをバーっと調べて、この人ですって差し出されて。「いや、やばいな! すごい状況だな」と思いました(笑)。 クラウドのクの字も出てこないような業界なんだけど、こういう会社が変わっていって、少しでもITとかWEBとかとコラボし始めると多分面白いイノベーションが起きるんじゃないのかなって思ってるんですよね。 その先に日本とか、今関わっている人たちがハッピーになっていけばいいなと思っているので、僕はそういった逆風吹き荒れる中、カオスな環境でも笑いながらやっています。それを続けていくのが直近のキャリアイメージかなっていう感じですね。 今は日本のために~とかって大きなことを言っているけど、結局は目の前の人と向き合いながら前向きな挑戦がしていければ良いなと思っています。    

下着ブランドPeriod.プロデューサーに聞いた「自分だけの好き」を持ち続ける大切さ

生理の日を快適に過ごすためのパンツブランドPeriod.をご存知でしょうか。このブランドを立ち上げたのが、寺尾彩加(てらお あやか)さんです。  色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ第37回目は、下着ブランドPeriod.を立ち上げ、プロデューサーを務める寺尾さんにインタビュー。  新卒で動画コンサルの会社に入った寺尾さんが、下着ブランドを立ち上げるに至った理由は何だったのか。「好き」を追求し、没頭し続ける。そんな寺尾さんの選択をお聞きしていきます。 「自分らしく働く」ことを意識した新卒時代 ― 新卒で入ったLOCUSさんをこの2月に退職したんですよね。何年在籍したんですか? 2016年に新卒で入ったので、約4年間ですね。  ― LOCUSさんに入ったのは何がきっかけだったんですか?  まず「自分らしく働きたい」というのが一番にあったんですよ。  学生のときに、イケア・ジャパンやリクルートでインターンさせてもらっていて、新規事業などで提案の機会を多くもらったんです。そこでの体験ももちろんですし、周りの社員さんも見て「あ、自分らしく働くって楽しいことなんだ」って思うようになりました。 ― 働くことに対する自分のマインドが固まったんですね。 その後、就活中に先輩から誘われた逆求人イベントで、LOCUSに出会ったんです。逆求人のイベントって、学生が自分のことを話すと思っていたんですけど、全くの逆で。企業の人が一方的に売り込んでくるんですよ。  ちょっとその雰囲気に疲れていたとき、LOCUSのブースだけ、私の話を親身に聞いてくれたんです。そこで「興味があったら話聞きに来ませんか」とオフィス見学に誘われて、遊びに行くようになりました。 ― 1社だけ話を聞いてくれて、信用も出来たし。 しかも、オフィスに遊びに行って色んな方と会う中で、誰一人として違和感を感じなかったんです。「この人とは合わないな」と感じる人が1人もいなくて。自分らしく働こうと思うと、毎日一緒にいる人ってすごく大事じゃないですか。  なおかつ、「やりたいことやらせてあげるフィールドがうちにはあります」ってお話を頂いていたんです。ただの学生なのに、こんなに言ってくれることがすごく嬉しくて、LOCUSへの入社を決めました。 ― 実際、入社してからは自分らしく働けたんですか?  そうですね。座学じゃなくて、実践で学ばせるという会社の教育方針も自分に合っていましたし。ありがたいことに、入社4ヶ月くらいで初めて自分でプロジェクトを回させてもらったりと、本当に良い経験をさせてもらいました。この会社選んで良かったな、って素直に思っていましたね。  ― ベンチャー企業って、付いていけずに挫折しちゃう人も多いと思うんですけど、寺尾さんが意識していたことって何かありましたか? 「分からないことは素直に聞く」と「効率的に終わらせて、無駄な残業はしない」ことは自分の中で決めていたかもしれません。  分からないまま勝手に悩んで、時間だけ過ぎることってあるじゃないですか。もちろん考えることは大切ですけど、素直に分からないと言った方が得だな、と思ったんです。ダラダラ働くよりも、全部やること終えた後にダラダラする方が楽しいですしね(笑)  人生で初めて生理が楽しみだった。生理用品を必要としない下着THINXとの出会い ― そこから、どのような出会いがあって下着ブランドの立ち上げに繋がったんですか?  本当に偶然の出会いなんですよ。海外のファッションとか広告のトレンドとかをリサーチするのが好きなんですけど、たまたまネットで吸収型パンツのTHINXの創業者インタビューを見つけて。ありそうでなかったし、これはすごく便利だな、と感動してすぐに注文したんです。  無事届いたんですけど、届いてから生理が来るまでは実際に使えないじゃないですか。そうしたら、「はやく次の生理来てくれ…!」って生理を楽しみにしている自分がいたんですよ。この体験が衝撃的すぎて。25年生きてきて、生理を楽しみに待つなんて初めてでした。  ― 生理を楽しみに感じる!それはすごい。 しかも、実際に使ってみたらめちゃくちゃ快適で。「何度この商品に驚かされるんだ、友達にもこの驚きを味わって欲しい…!」と思って、友達にも勧めたんです。そうしたら友達も同じように驚いてくれたんですよ。それがすごく嬉しかったんです。 こんなに良いものが日本で知られてないなんて。私が持ってこなかったら日本に広まらないんじゃないか、と思って、個人でTHINXを輸入して販売することを考え始めました。 ― 私がやるしかない、と使命感を感じたんですね。 私がやらなきゃって思いましたね(笑) そこから個人でECを立ち上げて輸入したものを販売していたんですけど、TwitterやFacebookで気軽にシェアしたら1000件のリツイートとか、600件のいいねとか、ものすごい勢いで広まって、一瞬で完売したんです。 「これは日本でもいける…!」と思い、大量発注しようとしたときに、THINXからWholesalesとして誘われて。ありがたいお誘いだと思って話を進めていたんですけど、ネット販売を禁止されたんですよ。 ― え、リアル店舗での販売じゃないとダメってことですか?  そうです。でも、店舗を持つってすごいリスク高いじゃないですか。ポップアップストアとかも考えたんですけど、継続的にやっていける自信がなかった。  どうするか、すごく悩んだんですけど、ふと「輸入出来ないなら、日本で作ればいいんじゃない?」って思ったんです。 ブランド立ち上げから独立への選択。好きなことをやるのは楽しい ― 「じゃあ自分で作ろう!」となるのはすごいですね。どうやって始めていいかも分からないんですが… 最初は、そもそも日本で作れるのかが分からなかったので、工場への問い合わせから始めましたね。「工場 サニタリーショーツ」でGoogle検索して、電話していくっていう(笑)  あとは、日本のブランドでも売れるかも分からなかったので、クラウドファンディングに挑戦して。そこで目標を190%達成させることが出来たので、「日本のブランドでもいけるぞ!」と自信を持って、ブランドを立ち上げることにしたんです。 ― 多くの人は、興味があってもECやブランドの立ち上げまでいかないと思います。何がそこまでのモチベーションになっているんですか? 今もそうですけど、始めたときも儲けようって思いは全然なくて。もう本当に広めたいと思っていたんです。それくらいTHINXから受けた衝撃は強かった。  THINXに出会ってから、私も自分の身体について考えることが多くなったんです。悲しくなったり、怒りっぽくなるのがPMSだってことを知ったり、それを軽減する方法を知ったり。 そうやって、自分の身体の不快をコントロール出来れば、自分も周りもハッピーじゃないですか。そうやって、多くの女性に自分に合うものを選択して、アクションしていって欲しいって思うんです。 信念と呼んでいいのかは分かりませんが、想いが先行しているからこそ、私をここまで突き動かしているのかもしれません。  ― そうして生まれたのがPeriod.というブランドなんですね。 個人でEC立ち上げたときから、屋号として使ってはいたんですけどね。“Period“って、英語で「生理」っていう意味なんですよ。  最近はマシになってきましたけど、日本だと生理のことを生理って言いにくいじゃないですか。ちょっと抵抗があるとき、“アレ”って誤魔化すのも少し違うなと思っているんですけど、“Period”だったらライトに使えるんじゃないかなって。 無理にオープンに話す必要はないですけど、何かあったときに話に出したり、ライフハックを共有したりとか、そういう契機になれば良いな、と思ってPeriod.と名付けました。 ― 素敵なネーミングですね。ずっと副業として活動してきた中で、独立する、という選択をしたわけですけれど、どのような考えがあったんでしょう? 自分でも新しい発見だったんですけど、「好きなことをやるのって、こんなに楽しいんだ」と実感したことは大きかったかもしれません。大変なことはあるけど苦じゃない。素直にもっとやりたい、って思えるんです。  あとは、チャレンジするなら今しかないなって。まだ結婚もしてないですし、子供がいるわけでもない。仮に失敗しても失うものがない。だったら、好きなことにチャレンジしてみようって思ったんです。 今やらなくていつやるんだ、くらいに思って独立することを決断しました。 何が伏線になるかは分からない。ただ自分だけの「好き」を追い求めて ― 寺尾さんのように、好きなことに没頭したいと思っているU29読者は多いと思うんです。「コレだ!」と思えるものに出会うために、何か意識していましたか? 私の場合、元々ファッションやヘルスケアの情報をリサーチするのが好きだったんですよ。それも海外、特にアメリカのトレンド。  単純に好きなので、最先端のものを知りたいと思うんですけど、海外のトレンドだと翻訳されるのを待たないといけないじゃないですか。すると、日本語で読む頃には流行ではなくなってたりするんですよね。なので、海外の英語のメディアを自然に読むようになっていました。 そこで、たまたま出会ったのがTHINXで、その偶然の出会いから、色んなものが転がるように動いていったんです。  ― 好きなものへのアンテナを張っていた、と。 そうですね。自分は何が好きなのか、ハッキリさせておくのが大事だと思います。  誰にでも好きなものってあるじゃないですか。日々過ごしていく中で「あ、これ良いな」って思ったものを心にメモしておく。そして、メモが溜まってくると、何となく自分の好みの方向性が見えるはずなんです。「あ、私ってこういうものが好きなのかも」って。 そこに気付いてからは、更にその方向性の情報を深く知ってみて、心にメモして、の繰り返しです。 ― その点が連なって、線になっていくんですね。 私、点だけだとすぐに冷めちゃうんですよ。1つだけだと、深入りしてもすぐに忘れちゃう。でも、多くが連なって、線になった後に「これだ!」と思って深入りしたら、より魅力にはまっていく感覚があるんです。この感覚は大事にしていたかもしれません。  ― なるほど。自分で自分の好みを深堀りしていくのが大事。 とは言え、どの点が線になるかは分かりませんからね。私が独立できたのも、学生時代にインターンで仲良くなった友達に独立している人が多かったのは大きくて。独立っていう選択肢がすごい身近だった。  インターンを始めるときに、そこまで考えていたわけではないですが、今思えばそのときの経験や環境がすごく役立ってますし、大学のときに学んでいた経営学やマネジメントの知識も今になってようやく活きてきました。 何から、じゃなくて、自分が好きだと思ったことをとりあえずやってみることからしか始まらないんだと思います。考える時間があったら、とりあえずやってみる。やってみて、良かったかダメだったかを経験して、また点を打ってみる。 そうやって打ち続けた点が、いつか振り返ったときに1本の自分だけの線になるんだと思います。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗 写真:山崎貴大 文:安久都智史 デザイン:矢野拓実  

ネット炎上中にUSJしても気付かれなかった。ゆうこすの #何者でもない時代

社会の第一線で活躍し、自身で道を切り開き進んでいく人々。彼らの姿は私たちの未来に多様な選択肢をもたらしてくれるが、現在の自分と比較して「私にはできない」と悲観してしまうことも少なくない。でも、もし憧れのあの人の「何者でもない時代」を知ることができたら—— 。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #何者でもない時代 。今回のゲストは、YouTuberやインスタグラマーとして活躍し、株式会社KOSを手がける経営者としても注目される“モテタレント”菅本裕子さんこと、ゆうこすさんです。 ゆうこすさんは高校生でHKT48としてアイドルデビューを果たし、さらにミスiD準グランプリに輝いています。そして現在はYouTuberにインスタグラマー、さらにはプロデュース業も行うなど、現在は業界を越えて大活躍。SNSを開けば、彼女の名前を目にしない日はありません。 そんなゆうこすさんは、かつて「肩書きだけがあって、自分は何者でもないと気付かされた」と過去を振り返ります。正解も間違いもないこの時代に、自らで旗を立てSNSを駆使して駆け抜けていく彼女の「何者でもなかった時代」に迫りました。 Text by 佐々木希海 Edit by Mitsufumi Obara   肩書きがあっても、何者にもなれなかった —— ゆうこすさんの「何者でもない時代」について、お伺いしたいです。ゆうこすさんは高校時代にアイドルとしてデビュー、そしてミスiD準グランプリを経て、YouTuberやインスタグラマーとしても活躍されています。さらに最近は、プロデュース業も行われている……。経歴を拝見すると、「何者でもなかった時代」の想像が全くつきません。 菅本裕子(以下、ゆうこす):たしかに、いわゆる「肩書き」は早い時期からあったかもしれません。ただ肩書きがあったからといって、「何者になれていたか」といえば、そうではないんです。仕事も全然なくて、ニートでした(笑)。 —— ゆうこすさんにも、そんな時代があったんですね…!肩書きがあったからといって、生活が変化するわけではないと。 ゆうこす:周りからの見え方は変わりましたが、完全に“肩書き負け”だったと思います。私自身の中で何か変わったり、語れるものができたわけでもない。むしろ、肩書きがあるからこそ、自分は「何者でもない」ことに気がついたんです。 当時は“元HKT48の人”、“準ミスiDの人”という肩書きでしか、私を認識してもらえていませんでした。ちゃんと私のことを「ゆうこす」として知ってた人は果たしていたのだろうか…という感じです。これってやっぱり「何者でもない」ってことですよね。 —— では、ゆうこすさんにとって、アイドル時代も、準ミスiD時代も「何者でもなかった時代」であると。 ゆうこす:はい。肩書きを得ても、自分のやりたいことがなければ、「致命的だ」と気がついたんです。応援もされないし、ひいては仕事にもならない。現在のように、好きなことを仕事にできなかったので、当時はアルバイトでお金を稼いでいましたね。 「好きなことでは稼げない?」苦労時代は、挑戦する前から甘えてた —— ゆうこすさんは、現在「好きを仕事に」されていらっしゃいます。アルバイトをしていた頃は、そうした発想はなかったのでしょうか? ゆうこす:「好きなことが仕事になる」とは到底思えなかったんです。「好きなことは不安定なもので、お金が稼げないものだ」と決めつけ、挑戦することをしませんでした。 ……でも、真剣に考えてみたら、稼ぎ方なんていくらでもあるじゃないですか。クラウドファンディングもあるし、サイトの開設だって簡単にできるようになった。結局、好きなことがお金にできなかったのは、稼ぎ方を考えずに甘えていた自分のせい。——足りないのは“柔軟な頭”だったんです。 —— たしかにマネタイズ方法はたくさんありますが、覚悟して一歩を踏み出すのは難しいですよね。それができなかったことを「自身の甘え」だと言い切れるゆうこすさんの強さに驚いています…。どのような思考の変化があったのでしょうか? ゆうこす:固定概念やプライドを捨て、「自分の好きなこと」をとことん追求してみたんです。 たしかに、すごく覚悟のいることかもしれません。でも、やりたいことや好きなことがある人は、一度勇気を振り絞っていろんな方向から稼ぎ方を考えてほしい。意識的に考え方を変えてみると、視野が広がるんです。 —— とはいえ最初は結果もついてこないですし、「何やってるの?」なんて視線を向けられ、続けるのが難しそうです。 ゆうこす:最初からうまくいくことなんて、そう多くありません。なので、何かを始めたときは、SNSで「成功だけ」を発信したくなりますよね。でも、それは本当にもったいないことです。 好きなことを始めたら、成功も失敗も全て発信してください。すると、応援してくれるファンが生まれます。応援してくれる人に巡り会えると、次の一歩が大きく踏み込めるようになるので。 事実、私にとってファンの存在は、「好き」を続ける、そして「好き」を仕事にするための大きな支えになっています。 —— ゆうこすさん自身、発信することで、失敗した経験はあるんですか? ゆうこす:アイドル辞めた直後のSNSでは、「多くの人に好かれなくっちゃ!」と思っていたので、ありのままの自分を発信できなかったんです。Twitterのフォロワー数は多くても、本当に私のことを応援してくれる人たちや、会いに来てくれる人たちはほとんどいない状態でした。 でも、無駄なプライドを全部捨て、本当に思ったことを発信するようになってからは、本当の意味で応援してくれるファンが増えました。以来、ありのままの自分でいられるようになりましたね。失敗経験があったことで、今の発信スタイルになっています。 アカウントを作る前に炎上を怖がるってどういうこと?(笑) —— やりたいことがあるのに飛び込めない…という人も少なくありません。事実、行動を起こす前から、怖がってしまうことが私にもよくあります。自分の弱い心が挑戦の足かせになることが多いのですが、何かアドバイスをもらえませんか? ゆうこす:似たような相談を何度か受けたことがあります。「こういうことをしていきたいんですけど、もし炎上したらどうしよう?」と。 でもいろいろ話を聞いてみると、まだアカウントも作ってない状態で炎上を恐れていたりするんですよ(笑)。 みんな、起こるかも分からないことに怯え過ぎてると思います。それに、たとえ炎上したとしても、みんなすぐに忘れます。……最近あった炎上騒ぎ、覚えてますか? —— 覚えてないですね…すぐ忘れてしまいます。 ゆうこす:そうなんですよ。人の失敗なんてすぐ忘れてしまうし、思ったより誰も自分のことなんて気にしていないんです。 私はかつてネット炎上を経験したことがあります。ただ、その最中にUSJに行っても、誰にも気がつかれなかったんですよね。自分の「自意識過剰さ」が恥ずかしくなりました。 失敗を恐れて何もできないより、その失敗をもプラスに転換して発信できたらむしろ成功になると思うので、ポジティブに頑張ってほしいですね♡ 垂直の壁に向かって走るのはやめよう。夢を叶えるには、夢への階段をつくるべし —— 何者かであろうとするから、何者にもなれない…そんなジレンマを感じました。まずは、ずべこべ言わず行動しないと何も変わらないんですね。 ゆうこす:そうですね。「自分でレールを引いて頑張りたい人」って、100人中10人くらいです。そして、実際に行動する人は、1人いるかいないか。行動している人は意外と少ないので、行動するだけで差をつけられます。みんなより一歩前へ行けるんです。 でも、「行動する」のは難しいことではありません。人を変えるのは難しいですが、自分を変えるのは簡単。「やればいいだけ」です。 —— ゆうこすさんからすると、やらない理由がわからないくらい? ゆうこす:そうですね。もちろん行動に失敗はつきものですが、経験値が得られるので、成長確率も上がります。たとえ大きな失敗をしても、行動をしない99人とは違う人間になれています。 だから、そんなにマイナス思考にならずに、まずは動いてみるべきです。 —— これから行動を起こし、夢を追いかけていく人たちに伝えたいことはありますか? ゆうこす:「夢への階段」をつくってください。夢を叶えた人に共通するのは、叶えたい目標から逆算して階段を作っているということなので。 —— 階段とは具体的にどのようなものでしょうか? ゆうこす:夢を叶えるために、達成しなくてはいけない細かい目標のことです。 夢を叶えるためには小さな目標を一歩づつ達成する必要があるのに、多くの人がそのことを忘れています。ただひとつ、一番大きな夢だけを見ているんです。 それって、垂直な壁に向かって走っている状態なんですよ(笑)。その壁を登りきるための階段を用意してあげないと、壁の高さに挫折してしまうことも少なくありません。まずは小さな目標を決め、それを達成してください。本当に小さなことでいいんです。 たとえば漫画家志望の人は、自分の友達に見せて「面白い」と思ってもらうとか、その次はネットに掲載してみるとか。「手塚賞とるぞ!」と大きな目標だけを立てるより、ずっとモチベーションを維持できると思います!

過去5回の転職。ウルサス本著者・飯髙悠太が伝えたい20代で必要な心構えとは

通称「ウルサス本」で愛される、『僕らはSNSでモノを買う』‬の著者・飯髙悠太さん。過去には、有名Webマーケティングメディア「ferret」の創刊編集長で従事していました。 実は、現職のホットリンクに従事するまで、5回の転職を経験。その背景には、さまざまな意思決定や戦略が。 20代で圧倒的な結果を出し、30代から飛躍するためには何が必要なのか?今回はその必要要素を、飯髙さんにお伺いしてきました。 飯髙悠太(いいたかゆうた):株式会社ホットリンク CMO(ホットリンクでTwitterする人)これまでに複数のWebサービスやメディアの立ち上げ・東証1部上場企業を含め100社以上のコンサルティングを経験。自著は‪『僕らはSNSでモノを買う』‬は5刷(2019年12月時点)を突破。また12/28に『アスリートのためのソーシャルメディア活用術』を出版。   新卒入社半年で営業トップに。大切なのは、みんなと同じ選択をしないこと ーー飯髙さんのファーストキャリアと意思決定の背景をお聞きしたいです。 飯髙悠太(以下、飯髙):僕は最初、求人広告会社に入社しました。実はもともと、IT業界を目指していました。今でこそITの時代ですが、当時(2009年)は今と比べ市場が小さく、これから伸びる業界だと思っていたからです。 ただ、はじめに選んだのは「求人広告」。就活が終わり内定式の直前に、リーマンショックが起きました。僕なりに考えたのは、採用も減るしリストラも増えるからこそ、まずは「営業力」を磨きたいと思っていた僕にとっては一番過酷だからぴったりと思い選びました。 ーーそんな背景があったのですね...。在籍期間が半年と聞いたのですが、早くにジョブチェンジをした理由は何でしたか? 飯髙:僕はいつも、会社の在籍期間とそこで達成するミッションを予め決めています。 シンプルに早期達成できたんです。1年目でトップを取ることを目標にしていたのですが、半年で単月ではありますが達成できて。そして言葉は悪いですが、この会社で学ぶことはないなと思いまして...。 ーーすごい...新卒半年で達成できたんですね。しかも半年で。何か工夫はあったのですか? 飯髙:今でもベースにあるのですが、「みんなと同じことをしてはいけない」という考えがものすごく強かったです。当時の会社はゴリゴリの飛び込み営業をしていましたが、はじめから「なんか違うな...」と違和感を感じ、そこで自分なりのやり方を考えました。 たとえば、エリアを決めるとき「業界3番目以降の店舗のみに営業する」と決めていたんです。ほとんどの人が1、2位の会社に行くのですが、ライバルが多いため、競争も激しいので狙いを変えました。そうすることで結果も出やすかったですね。 王道パターンもいいですが、視点をずらし、自分なりの戦略を持つことで達成できたのかなと思っています。   飯髙さんの選ぶ基準は、迷ったらあえて茨の道に行くこと ーー飯髙さんが環境を選んだり変えるとき、いつも明確な基準や目的を持っている印象なんですね。ご自身の中でモットーはありますか? 飯髙:なりたい自分ややりたいことが決まっている時、設けている基準がありますね。「迷ったらあえて泥船に乗る」ということ。なのでいつも、辛い方に自分の身を置いちゃっていますね。 ーーなるほど。何かきっかけがあるんですか? 飯髙:僕は小学校に入ってから高校までサッカー漬けの毎日を送っていました。サッカーの恩師がいつも、「人生で岐路に立たされたら、あえてハードな道を選びなさい」と助言してくれて。 平坦な道は楽に進めるけど、茨の道を歩むことで経験値がぐんと上がる。「若いうちなら、あえて難しいことを選択して経験しておくと後で強くなるから」と口酸っぱく言われましたね。 正直辛いことのが多いですが、やっぱりその選択は間違っていませんでした。とても感謝しています。   2、3、4社目と意思決定の連続 ーー1社目を退職して、次からIT業界に入りましたよね。これまでのストーリーをお聞きしたいです。 飯髙:2社目は、とあるWebマーケティングの会社に入りました。在籍期間は2年ほど。直感的に、イケイケ感もあってかっこよかったんです。また、業務量も多くて今で言う「ブラック」でしたが、1度はそんな環境に身を置いてみたかったんです。そもそも、今でもずっと働いていられるし、そういう企業を僕はブラックだとは思っていません。 言葉のニュアンスが難しいですが、この不況の時代、負荷から逃げていたらまずいですし、やっぱり量をこなしてないとわからない・経験できないことって多いです。 そして、実は面接は落ちていたんです。ただどうしても入社したかったので、社長に電話をして「落ちた理由は何ですか?」と聞いてたら、僕の憶測ですが「コイツおもしろい」って思ってくれて呼んでいただけました。 ーー普通落とされたら「はい、次」と行きますもんね(笑) 飯髙:そうですよね(笑)当時の社長に「半年で営業部トップの成績を抜いたらリーダーにしてください。その分、最初の給与も最低金額で大丈夫です」と伝えました。そうしたら「全然いいよ」って言ってくれて。 そこからがむしゃらに頑張って、宣言通り、半年で達成できました。結果、希望はどうあれ社会人2年目でマネージャーになりましたね。 ーーすごい、有言実行ですね。成果も順調にでていた中で、どうして2年で辞めてしまったのですか? 飯髙:言葉を選ばずに言うと、学べることを全部学んだんです。また、今でもベースにある「自分の営業スタイル」が築けてきたなと。僕は常に「御社に合うから、本当にこれはやった方がいいですよ」「そんなにやりたいならやってみてもいいですが、失敗すると思いますよ?」というように、お金は大事だけどお客さんの立場で、成果を一緒に追いたいっていうスタンスなんです。 ーー引き営業っていうか、飯髙さんとしゃべっているそのままって感じですね(笑)。グイグイ取ってくるような営業スタンスではないと。 飯髙:そうですね。さっきもお伝えしましたが営業って、お客さんが幸せになることが1番だと思っているので。 また、ITでも「SNS」が急激に伸びてきて、SNSでトップになりたいという気持ちも芽生えました。 その後は、3社目にSNSに強いマーケティング会社(在籍期間1年4ヵ月)、4社目にスタートアップ企業(在籍期間9ヵ月)に移りました。 ーーなるほど。どのタイミングでベーシック(ferret運営会社)に移ったのですか? 飯髙:過去に仕事でメディアやブログ運営もしていたんですね。純粋にたのしかったですし、再現性やシナジー効果が高いなって思っていました。 で、あるタイミングで知り合いから面白い会社があるから、今から飲み屋に来てくれと呼ばれました。そこで「ferretをメディアにピポットしたい」と社長の秋山さんから言われました。他の会社に行くことが決まっていたのですが、「中小企業のマーケを良くしたい」という想いが僕とマッチしていたし、これから自分が考えているキャリアと合致しているなと シンプルに言うと濃い経験ができると思い、ベーシックへの入社を決めましたね。   ferret創刊編集長へ就任。ミッションドリブンで月間4000人以上が会員登録するメディアに ーーそこでferretの創刊編集長として、メディアを立ち上げたんですね。ベーシックでは、どんなキャリアを歩まれたんですか? 飯髙:一般社員で入社して3ヵ月後にマネージャーになりました。またその6ヵ月後に部長になって、その2年後に執行役員ですね。在籍期間は1番長く、気づけば4年半いましたね。 ーー今までずっと、ご自身で期間とミッションを決めていましたよね。ベーシックでは何を考えていたんですか? 飯髙:ベーシックでは、ミッションドリブンでしたね。目標はferretを他メディアの倍、読まれるメディアにすること。実際に立ち上げ1年半で達成できました。 ーー毎回有言実行されててすごい...。でもまだベーシックに在籍していたのは、なにか理由がありましたか? 飯髙:任務達成した後もいろいろと軌道にのせることができたので、「辞めようかな...」と思ったときに、代表から「経営者にコミットして、経営の難しさを経験したほうがいい」とおっしゃってくださって。当時、会社のことをほぼほぼ何も考えてなかったことを伝え、それでも大丈夫ですか?と聞いたら「大丈夫。そんな人が1人くらいいた方がおもしろいし、チームのことを考えてやってる以上それは組織のことも考えてる。それは見ている俺が一番わかっている」と返ってきました。 ーー懐深いですね。 飯髙:ほんと感謝しています。そんな流れがあって、30歳で最年少執行役員になりました。 ーーすごい...。実際執行役員になって、やはり大変でしたか? 飯髙:大変でしたね。中でも、思い入れある人たちが退職したときが大きかったですね。コアなメンバーが辞めていって...。他にも、意見の食いちがいによる衝突もありましたね。 「このままだとやばい」と思い、立て直そうと思ってもできなかったりして。ただ、社長や他メンバーとも議論をし、自分の選択に嫌々かもしれませんが納得してくれました。 それから今の、SNS・デジタルマーケティングに強いホットリンクに転じ、早1年が経ちました。この1年も激動でしたが、とても充実していました。それは前職で経営に関わらせてもらったこともあるし、これまで色々経験してきたからだと思います。 そして何より、ホットリンクのメンバーとの距離感はいい意味で近いし。仲良しこよしではなく、ちゃんとメリハリはあって、こういう組織やチームが好きだったよなって思いながら、やっています。 そしてご存知の通り、これから更に「SNS」が伸びると思うので、この畑でも結果を出していきたいですね。   もし、過去の自分にメッセージを送るなら。どんどん失敗して、強くなってほしい ーー今まで、相当な努力と数々の選択をされてきたじゃないですか。過去をふり返って、大学生の飯髙さんにメッセージを伝えるとしたら、なんと伝えたいですか? 飯髙:そうですね......。今パッと3つ思いついたので、順にお伝えしますね。 まずは、前提を疑ってほしいです。僕は今でもそのスタンスです。 世の中「これが当たり前」という人が多いですが、生意気ながら、僕は「誰が作ったの?」って思ってしまうんです。自分にとっての当たり前の基準は、自分にしか作れません。 もし、周囲の意見に流されてるな...と思ったら、一旦立ち止まって「自分はどうしたいんだろう?」と、内省するのをおすすめします。 つぎに、20代の過ごし方を大切にしてほしいですね。20代で形成されるキャリアってものすごく重要で、あなたのこれからのキャリアに大きく影響します。 20代って、正直遊びたいじゃないですか(笑)。でもグッと堪えて我慢をして、仕事にコミットし、結果を出す経験はのちに絶対に活きてきます。 人間に与えられたもので、唯一平等なのは「時間」だけです。限られた時間の中で、自分が何をやるかの棚卸しと整理をして、行動してほしいなと思います。 ーーたしかに、20代の過ごし方で30代以降のキャリアが変わりますよね。 飯髙:最後は、たくさん失敗してほしいと伝えたいです。ここでの失敗は、メールミスのような小さなミスではなく、ガチで怒られるってことです。 僕は、失敗から学ぶことが圧倒的に多かった...。サッカー少年だった頃、勝っているときは別に悩まないんですよね。仕事も然りで。 調子いいときはあまり悩まないけど、失敗することで、自分の改善点やダメなところが見えてきます。言われたまま働いても、失敗なんてできません。前提を疑って動かないといけませんし、多少の無理は付きものです。 ただ、本気でやりきって失敗したときに、人は超強くなります。20代という若手の貴重な時期だからこそ、本気でぶつかってほしいですね。 この3つを話ながら、今でも大事にしてるなあって思いました(笑) ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材・編集:西村創一朗 執筆:ヌイ 写真・デザイン:矢野拓実

「今の僕は“人の繋がり”があったから」縁を紡いできた甲斐雅之のキャリアの歩み方

外の世界に連れ出してくれた人。そこから繋がる不思議な縁で、自分のキャリアが拓かれていく。そんな経験をした人はいないでしょうか? 色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ第44回目は、新卒で株式会社ベーシックに入社し、現在はフォーム作成管理ツール「formrun」のプロダクトオーナーを務めている甲斐雅之さんにインタビュー。 オウンドメディアの編集や採用広報戦略も担当するなど、多岐に渡って活躍される甲斐さん。「人の繋がりがあったからこそ、今の僕がある」と、ご自身の経験談を語ってくださいました。 外の世界は刺激的なんだと初めて知った ― 新卒でベーシックさんに入社したのが2017年ですか? そうですね。でも、学生の頃からベーシックでインターンしたり、別の会社で業務委託で働いたりしていたので、キャリアのスタートはもう少し前になります。 ― 学生で業務委託として働いてるのは珍しい……!元々ビジネスには興味あったんですか? いや、もう全然です(笑)。大学入学後は塾講師のアルバイトに毎日精を出していて、あまり大学に行かず、趣味の音楽に没頭するっていう。よくいる普通の学生でした。 ― そこから、どんなきっかけでビジネスの道に? 一緒に働いていたアルバイトの先輩が、スタートアップ界隈でめちゃくちゃ活躍されている方だったんです。当時、株式会社SmartHRで採用責任者を務めていた勝股さん(現在は株式会社カンムにて人事を担当中)という人なんですけど。 勝股さんはSmartHRに入社する以前からスタートアップの方々が集まるイベントに顔を出していたみたいで、よくベンチャーや起業に関する情報を聞かせてもらっていて。こんな面白くて刺激的な世界があるんだ、ってそこで初めて知ったんです。 勝股さんがいなかったら、外の世界を何も知らないまま、塾講師を4年間やっていたかもしれないですね。 ― 面白そうと思っても、そこ止まりで次に繋がらない人も多いところ、甲斐さんはそこからどのように動いていったんですか?  ベンチャーやスタートアップに興味を抱き始めてからは、色んなイベントに顔を出していました。なんの知識も持っていなかった当時の僕を、そうした界隈へと連れ出してもらえたのは大きかったですね。 一歩目が踏み出せれば、その場で新しい繋がり生まれ、人伝てに世界が広がっていきますし。それこそ、勝股さんと一緒にベンチャー企業で働く機会をいただいて、少し業務のお手伝いをしたりとか。 外に連れ出してくれる存在と、自ら外に出てみようとする意気込みや行動が大切なんだ、って学びましたね。 Twitterのフォロワー数が1万人に。偶然気付いた自分の強み ー 色々な繋がりができていく中で、どのように業務委託として仕事を任されるまでになったんですか? 仕事をもらえたのは、僕がやっていた匿名のTwitterがきっかけですね。 ― 匿名アカウントからなんですね。 匿名なので詳細は言えないんですけど、とあるローカルエリアの情報を発信するTwitterのアカウントを運営していたんですよ。 そのエリアに住んでいる人に対して、興味を惹くような情報を発信していました。そこで「求めている情報を発信すれば、みんな見てくれるんだな」って学んで。 ― それがきっかけ? そうですね。発信しているうちにフォロワーが1万人超えまして。 ― え、1万人!すごい……。 イベントで繋がった人に「こういうことやってるんです」ってTwitterの話をしたら、「それマーケティングじゃん」って言われ始めて。自分では意識していなかったんですけど(笑)。 そこから、「ウチでも似たようなことやってよ」って声をかけてもらえるようになったんです。そうした経験を重ねるうちに「これって僕の得意なことなのかも」と思い始めるようになりました。 ― なるほど。自分の強みを認識して、そこから仕事になっていったんですね。  そもそも、僕は器用なタイプじゃないんですよ。苦手なものはとことん出来ない。そんな自分でも、意識しないうちにマーケティングのようなことをやって、数値も伴った成果を出せていた。 偶然のきっかけで始めたことでしたけど、自分の強みを認識することができましたね。 ― そのTwitterを運用し始めたのは何故だったんですか?  そのエリアで情報が欲しいと言っている声は結構あったのに、発信しているメディアがなかったんですよ。僕もその情報は欲しかったから、ないなら自分でやってみようって。 ― すごい。その発想がすでにマーケターでもあり、プロダクトマネージャーっぽい。  確かに(笑)。面白がって取り組んでいましたし、強みと興味が交差していたのは嬉しいことですね。 「話聞いてもらえませんか?」人の繋がりから始めた就活 ― それだけ数字出せていたら、そのままフリーランスでやっていこうと考えても良さそうですけど。 実際に考えていた時もありました。延長線上で続けていけば、稼ぎにも困らなさそうとは思っていましたし。 でも、自分のキャリアや、将来的にスケールのある仕事をやりたいという、長期的な視点の大切さに気づいて、就職することにしたんです。 ― どういうことを考えての決断だったんですか? やっぱり最初からフリーランスを選択しちゃうと、自分が当時持ち合わせていたスキルに合わせた仕事しか取り組めない。。このまま続けていても、今持っているスキルの切り売りで終わっちゃいそうだな、と。  ― 短期では稼げるけど、長期ではどうかなって。  そうですね。キャリアに幅を持たせるっていう意味でも、一旦は何でも吸収しますっていう立ち位置に身を置くのも大切だと考えました。 ― じゃあそこから就活を始めたんですね。  でも、就職するって決めて動き始めたのが大学4年生の7月だったんですよね(笑)。 ― どこも閉じちゃってるじゃないですか。  そうなんですよ(笑)。なので、普通に採用エントリーを申し込んでも上手くいかないと思い、採用媒体を使うことなく、元々繋がっていた社会人の方々にメッセージを送ることから始めました。 「就活しようと思ってるんですけど、話聞いてもらえませんか?」って。  ― その就活のやり方は斬新ですね……。会ってもらえるものなんですか?  ありがたいことに結構面白がってもらえて。ベンチャーの役員の方とも会わせてもらったり。 しかも、ベンチャー企業に務めている人事の場合、横の繋がりの強さから、互いに就活生を紹介し合っていることも多いですよね。なので、「ウチは合わないかもしれないけど、ここの会社は良いかもよ」って紹介してもらえたりもしたんです。  ― すごい。ここでも一歩目の力ですね。動いたら繋がっていった。  たしかに、そうかもしれないですね。行動したらどんどん繋がっていきましたし。ベーシックともそうやって出会えたんですよ。 ― 色んな会社が甲斐さんのことを面白いと思っていた中で、ベーシックさんに決めたのは何故だったんですか?  僕のパーソナルな部分を全部ひっくるめて見てくれたのが決め手ですね。 面白いと思ってくれただけじゃなく、「こういう部分ではつまづきそうだね」と苦手なことや不得意なことを理解してもらえたんです。そして、その上で一緒に働きたいと言ってもらえた。 それがとても嬉しかったし、飾らない自分自身を見てくれる良い会社だなと感じて決断しました。 ― マイナスなところも含めたコミュニケーション。ちゃんと自分を見てもらえる信頼を感じられますよね。  さっきもお話したように、僕は得意不得意がはっきりしているので。その凸凹を理解してもらえたのは、本当に恵まれている環境ですよね。  プロダクトオーナーがぶつかった壁。決める、って難しい ― ベーシックさんと出会い、インターンを経て2017年に入社。formrunのプロダクトオーナーになったのはいつ頃ですか?  1年目の終わりくらいからですね。それまでは、インサイドセールスやカスタマーサクセス、Webディレクターや商品の生産管理やイベント企画/運営、事例取材など、結構なんでも屋に近い役回りで動いてました(笑)。 ― そこから、どのような流れでプロダクトオーナーに抜擢されたんでしょうか?1年目の終わりとなると、かなり早いタイミングでの抜擢かと思います。  ベーシックがformrunの事業を買収したのが、ちょうど1年目の終わりだったんですよ。今の会社に入るときに、ずっとformrunを担当していた方が別部門に移ることが決まっていて、たまたま空席が出来たタイミングだったんです。  ― そこで甲斐さんに任せよう、と。 会社としても若い人に任せていきたい、という方針があったみたいで、「甲斐はなんでもやるから、やらせてみよう」という流れで抜擢してもらえました。 自分は割と調子に乗りがちな性格なんですが、出る杭を打つんじゃなく、「ほら、やってみ?」と、ポテンシャルを伸ばす機会をいただけたのは、本当にありがたい限りですね。 ― プロダクトオーナーという、責任も背負う立場になっていかがでしたか? いや、もう難しいなって。事業責任を担う立場になったら、決めないと本当に何も動かない。もちろんロードマップや基本方針はあるんですけど、どの道を走るか、の最終的なジャッジは、年齢差関係なく全員が自分に委ねてくるので。  何かを決めるってこんなに難しいんだ、って初めて実感しましたね。  ― 自分が決めないと何も動かない。 何をやっても不正解に見えるし、正解にも見える。でも、部署の人への説明責任もあるから、意志や根拠は必要になる。数え切れないほど至らないと感じた機会がありましたし、壁にぶつかりっぱなしでした。 人と環境への感謝を胸に。甲斐雅之の挑戦 ― その壁は、どのように乗り越えたんですか?  わからないものは、自分1人でくよくよ考えても、ずっとわからない、だったら人に聞こう、と割り切ったんです。そこで、初めて実名のTwitterアカウントを作って。  ― あ、それまで実名での発信はしていなかったんですね。  自社プロダクトのことも発信しながら、いろんな人の元へ会いに行くためのアカウントを作ったんです。社内の人にも話を聞いてはいましたが、、社外の人にもTwitter経由で連絡して、とにかく教えを請いに行っていました。 自分の実力だけじゃ絶対に繋がることのできなかった、第一人者のマーケターの方々や、プロダクトをスケールさせた経験を持ち合わせた方々とか。一番取り組んでいた時期は、毎日別の社外の人とランチしていましたね。 ― Twitterでフォローして、DM送って?  そうですね。実名でTwitterをやっておくと、そうやってお会いしたときでも、時間の密度が全然違うんですよ。 ― 時間の密度ですか?  実名で普段から発信していると、相手も僕がどういう人で、どういうことに悩んでいるかが事前に分かるじゃないですか。なので、ランチ1時間でも、すごく実のある話が出来るんです。 時間の密度を濃くできたことも相まって、必要な知識を身につけるための学習コストは、ものすごく下がりましたね。色んな人の経験や考えを吸収させてもらえて、振り返れば相談に乗ってくださった方々への感謝しかありません。 ― なるほど。人の繋がりを大事にされる甲斐さんらしさが出ていますね。そのように多くの人と繋がる中で、何か意識している点などはあるんですか? 意識はしていないんですけど、僕かなりのいじられキャラなんです(笑)。なので、集まりに顔を出していじられていると、周りにも気にかけてもらえるというか。その場では恥ずかしい反面、構ってもらえるという意味では、やっぱりありがたいなと思ってしまいますね。 でも、そのキャラで仕事が出来なかったら“ただの仕事ができないイジられている人”になってしまうので、危機感はあります。絡みやすいキャラではあるものの、仕事上のコミュニケーションはしっかりしている。そこのメリハリは意識しているかもしれません。  ― 確かに、そこで良い意味のギャップがあると信頼してもらえそうですね。  本当に周りの人や環境に恵まれているな、と思います。得意不得意の凸凹が大きい僕ですけど、強みの部分を受け入れてくださる人が多いから、今日まで生きてこられたと思っています。 苦手な部分と向き合うことも大切ですけど、やっぱりその人の一番得意なところを活かした方が良いんだろうな、って。 繋がりが増えてきて、いろんな方といろんな仕事をするようになって、より一層感じますよね。改めて、自分を伸ばしてくれたベーシックに感謝しかありませんし。 去年は不自由なく社内外で様々な経験を積める機会をいただけたので、今年はベーシックに全力投球したい。外資系のサービスでは、Slack や Zoom...

「就活の最終面接で説教された」等身大の自分で挑む、学生起業家のトライ&エラー

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。最終回となる第9回目のゲストは学生起業家の晒名駿さんです。 晒名さんは現在、明治大学の4年生でありながら、今年の4月にHUNT BANK株式会社を設立。「探さない 選ぶだけ」の就活/新卒採用における大学生と経営者のマッチングサービス・ハントバンクは、ローンチ3週間で登録者数500名を突破。 学生起業家という、華々しい肩書を持つ彼。さぞかしキラキラした学生生活を謳歌してきたことだろうと思われるかもしれませんが、彼の口からは次々と意外な言葉が。 「アイデンティティもなく、自分の居場所もなかった」 「最終面接にすすんだ10社で怒られた」 挫折も笑って話し、今の自分を飛躍させる材料に。挑戦に怯まない晒名さんの、いままでとこれからのユニークキャリアに迫る。 「起業」という選択肢に出会うまで ―2019年4月にHUNT BANK株式会社を設立し、10月に学生と経営者向けのサービス「ハントバンク」をローンチされた晒名さん。まずはサービスについて教えてください。   ハントバンクは、簡単に言えば就活版マッチングアプリです。毎日お昼の12時に大学生には経営者が、経営者には大学生がランダムに3名ずつレコメンドされます。 お互いが会いたいと思ったら、チャット機能をつかえるようになります。そして面談へ、という流れです。用途は本採用でもインターンでも、好きに使うことが可能です。 学生限定なのですが、就活生に限ってはいないので、1年生から登録可能になっています。また、ゆくゆくは高校生にまで展開していきたいです。 就職、新卒採用における完全無料のプラットフォームを作りたいと思っているので、学生はもちろん経営者の方も完全無料で利用が可能になっています。また、このサービスをマネタイズする予定もいまのところはないですね。広告掲載とかは検討するかもしれませんが。   ―多くのプラットフォームは、採用側(ハントバンクの場合は経営者側)が課金するシステムだと思いますが、なぜ採用側も無料なのでしょうか。 僕が就活をしていたときに、ある面接官の方に、「自分は今、数字で見られているな」という印象を強く与えられたのがきっかけです。 「この人を雇うためには〇万円払う必要があり、この人が入社したら利益がいくらでるだろうな… 」というような計算をされ評価を下された経験が、なんだか居心地が悪くて。お金で学生と企業の関係が揺さぶられて、アンマッチが起きてしまうって、結局もったいないことになるじゃないですか。 綺麗事だ、と言われてしまうかもしれませんが、お金を一旦度外視して、腹割って話し合ってどう付き合っていくか決めてほしいなと思っています。   ー昔から「起業しよう」という思いがあったのでしょうか。 高校生の頃に、経営学に興味をもったのがはじまりでしたね。 僕、未熟児で生まれて、心配した父が、体を強くするためにサッカーを習わせたんです。だけど、中学受験をして入った中高一貫の学校にサッカー部がなくて。 小学校までは、僕は勉強も運動もできて、ちやほやされていて…出木杉くんタイプでした。だけど、わざわざ中学受験して学校に入ったら、個性的で、自分より勉強も運動もできる子たちがたくさんいて、自分の居場所がない、と感じていましたね。 そんなとき、先輩たちの格好良さに惹かれてハンドボール部に入部することにしました。サッカーと違って、手を使うスポーツなので、最初は全然上達しなくて。高校生になってやっとうまくなってきたら、今度はチームマネジメントに興味をもつようになりました。勝つためには、チーム全体を強くする必要がありましたから。 そのときにたまたま流行っていたのが、岩崎夏海さんの「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」で、そこから経営学に興味をもつようになりました。 経営は会社づくりに必要で、その延長で起業という選択肢もでてきました。明治大学には、経営学を学ぶために進学しました。   インターンより、社長体験ができる学生団体へ ―大学では、起業につながるような活動をされていたのですか? ふたつの学生団体に所属していました。ひとつめがアイセック明治大学委員会。アイセックは、日本の学生を海外の企業のインターンに送り出すエージェント団体です。そこで僕は企画と、インターン生のマネジメントを担当していました。 アイセックでは、「自責の念」を勉強しました。他人のせいにはしない、全部の出来事は自分次第、という考えをもつようになりましたね。 ふたつめが、2018年に代表を務めたAGESTOCKです。AGESTOCKは歴史ある学生団体で、「学生の力」を社会に発信するためにイベントなどを行う企画を展開しています。500人ほど所属しているので、AGESTOCKの代表をやれる、ということは、大企業の社長をやることに近いという認識をもっていました。 滅多にない貴重なチャンスだと思い、代表に立候補しました。選挙制だったので、出馬し、選んでもらって代表になりました。   ―500人いる学生団体の代表、というのは苦労も多いかと思いますが、どのようにしてチームをマネジメントしていったのでしょうか? 昔、ハンドボール部に所属し、チームのために自分が場を引き締めねば、と思い動いた結果、チームメイトがひとり辞めてしまいました。その経験から、まずは自分が変わらなきゃいけないと思い、理想のチーム・理想のリーダーについて考えました。 ハンドボール部のときはピラミッド型の頂点にリーダーとしていましたが、そうじゃなくて、ピラミッドの土台にリーダーがなって、全体を底上げすべきだと思いました。また、目立つのも、メンバーのみんなであるべきだと考え、身近な存在として支えられるよう意識して活動しました。   ―1年間の代表経験を通し、成功したと感じていますか? イベント開催に関してですが、成功と失敗、どちらも感じています。動員数と来場者の満足度では成功といっていいかと思いますが、企業との協賛に関してはもっとできたかなと。ただ、最も大事にしていたのが、後輩たちが来年以降も活動を続けていくモチベーションを保つことでした。なので、会場がお客様で埋まる、という景色を見せることができたのは満足しています。 なんだか、ゆるっとした理想を掲げているように思われるかもしれませんが、実は人一倍数字が見える結果にはこだわっていましたね。あたたかいチームを実現するにも、結果が出ていないと意味がないですから。 コアの運営メンバーには毎日、口癖のように「結果を出せ、結果を出せ」と言っていました。言うだけではだめなので、自分がトップセールスになるよう、チケットの販売ランキングでは絶対に僕が1位になろうと奮闘していました。口だけの、ダサい奴にはなりたくないので。 こういった結果に対しての執念や泥臭さが、成功の要因だったのではないかなと思います。   ―限られた学生の時間をインターンという選択に使う人も多いかと思いますが、なぜ晒名さんは学生団体に加わったのでしょうか? たまたまのタイミングで出会ったものって運命だと思っているんです。その時々で自分が納得できる選択ができたなら、それが正解だよなあ、と。深く考えて選んだわけじゃなくて、自然に出会って自然に選んだ、という感じですかね。 あとは、せっかくの学生時代なので、学生にしかできない選択であったのも理由にあるかなと思います。 お金をモチベーションとしないものであったことも自分にとっては意味がありました。チームのビジョンに共感し、ひたすら突っ走るって、社会人でももちろできるとは思うのですが、どうしてもビジネス色が強くなると予想しています。金銭の価値から外れたところでひたむきに頑張れるって、大事な経験だと思います。   2度の就職活動で学んだこと ー就職活動はされたのでしょうか?     はい。学生団体を3年生の12月に引退してから、いろんな経営者の方のアポをとって直接会いに行きました。そのなかで、最初に会った方が、「将来若い人を応援したいから大学生とその経営者がつながるサービスを作っていきたい」と仰っていたんです。学生団体をやっていたこともあり、「僕、大学生とのつながりが多いのですが、それ、僕がやるのどうですか?」と提案しました。そこからハントバンクが生まれました。   ー起業には、就職活動をしたことが大いに影響しているんですね。 そうですね。その後、起業することを前提に就職活動をしました。なので、副業ができるスタートアップやメガベンチャーを中心に30社ほどエントリーし、そのうち20社で最終面接まで進ませていただきました。 ただ、そのうちの10社でめちゃくちゃ叱られまして…。   ー叱られる、というのはどうしてでしょうか?起業を前提にしていたからですか? はい。最終面接で起業することを伝えると「君、うちに入る気ないでしょ。こっちのお金と時間を無駄にしないでくれる?」って。当然ですよね…。なかには、「ビジネスパートナーとして仲良くしていこう」と言ってくださった方もいました。結局、自分から辞退したところもあり、内定は1社ももらえず、一度目の就活は終えました。   ―内定はもらわない状態で、就職活動をストップさせたのには、心境の変化などがあったからでしょうか? お叱りをうけた最終面接で、印象的だったことがありまして。ある面接官が、「就職するってどういうことだか分かる?」と僕に聞いてきたんです。その方は、「就職するっていうことは、どれだけ企業を愛し、どれだけ企業を伸ばしていけるか、この2つを考えるってことなんだよ」と。それまでの面接で、気付けば僕はずっと自分の成長のことばかり口にしていたな、と。 「自分の成長なんてどうでもいいんだよね。就職にはその2つしかないから、君には就職という道はないんじゃない」と言われて。きつい言い方だったので、当時はうまく受け入れられなかったのですが、時間が経つに連れて納得していく自分がいました。 そして、僕はハントバンクという会社を愛して、どれだけ伸ばせるかを考えよう、って、踏ん切りをつけることができました。   ーその後、会社の成長に集中して取り組まれたわけですね。9月から再び就活を再開されたそうですが、なにか変化があってのことでしょうか? ちょうどその時期に会った友人から、就活の相談を受けていたんですよね。その友人に「晒名も、もう一度就活をしてみたら?この時期まで就活をやっている人特有の悩みってあるし、それはいまのサービスに活きるものじゃないかな」と言われました。 確かに、新卒での就職活動は今しかできないことでしたし、自分がサービスを提供するユーザーの気持ちをリアルに体感できるだろうと考えて、9月から10月末までの間、就活を再開しました。   ーそもそも、起業するという道がありながら、就職という選択を捨てきれなかったのはどうしてなんでしょうか? いまいただいている仕事って、自分が大学生であることが大きな強みになっているんですよね。だからこそ、卒業してその肩書が外れた自分になにが残るんだろう、と正直、不安な気持ちがありました。 なので、二度目の就活は専門性をつけることができる企業を選んでいました。自分の武器が欲しかったんですよね。 そんななかで出会った経営者の方に、「専門性って、ときに足枷になるんじゃない?」と言われたのが印象に残っています。 たとえばデザイナーだったら、デザインをするって決まっている。それはそれでいいんだけど、デザインとなにか他のものを掛け合わせて新しい価値を創造することに起業家や経営者の価値があるんじゃないかって。「君がそういう生き方をしたいんだったら、専門性より、日々の目の前にある課題を自分の力で乗り換えていく適応力の方が大事だよ」と伝えられて、腑に落ちました。 いまの自分にとって必要なのはそれだ、と気づき、いまはいただくお仕事のなかで自分ができることを増やせるよう注力しています。なので、就職はもう考えていません。 …ただ、これも出会いのタイミングだと思いますので、本当にビビッとくる出会いがやってきたらまた違う選択をしているかもしれません。一見ブレブレしていそうですが、そういう柔軟さを大切にしています。フットワークの軽さが強みです!(笑)   起業の先に見据えるもの ーハントバンクは今後、どのように展開していく予定でしょうか? いまはアプリを開発しているところで、来年リリース予定です。これはあえて公言しているのですが、最終目的はバイアウトです。国内の大手人材会社に買っていただいて、その会社の理想を持ちながら、ちゃんと世の中に残るサービスを作りたいという思いがあります。 もともと、会社を立ち上げるときに、会社経営のなかでも特にチーム作りを大事にし、自分がお皿になって社員のみなさんを幸せにしたいという思いが強くありました。そこを僕のライフワークにしたいんです。 なので、ハントバンクはひとつの通過点だと思っています。こうやって振り切って、目的地が決まっているからこそスピードと成果を重要視していけていますね。 いいサービスであると自信をもっているので、会社にとっての目的の達成は、そのさきに幸せになる人がいるとも信じています。   ―いずれはハントバンクを手放すということですが、晒名さん自身の今後の展望は? いま、僕は大学4年生で、リアルに就活のことが分かるからこそ、取り組めている部分もあると思うんですよね。3年後、5年後…と年を重ねるごとに、そのときどきの人生における課題は必ずでてくると思うんです。なので今後も、そのときの自分ならではの目線で物事を見て、挑戦し続けられたらいいなと思っています。 ハントバンクはこちら == 執筆・編集:野里のどか(Twitter / ブログ) 取材:西村創一朗 写真:橋本岬 デザイン:矢野拓実

レールのない令和時代に、僕らを導く「個人理念」の作り方

U-29ドットコムが運営するコミュニティ「ユニーク大学」メンバー限定の勉強会「ユニゼミ」にて、株式会社サインコサイン代表の加来幸樹さんに、「新時代を迷いなく生きるために必要なこと」をテーマに講義していただきました。タイトルは、「覚悟はシンクロしているか?」。 加来幸樹さんは、九州大学芸術工学部卒業後、2006年にインターネット広告事業を展開する株式会社セプテーニに入社。クリエイティブディレクターとして幅広い領域でご活躍された後に、2018年、株式会社サインコサインを設立され、代表取締役 CEO / Co-Creatorに就任されました。サインコサインは、『自分の言葉で語るとき、人はいい声で話す。』を理念に掲げ、ネーミングやステートメントなどの共創を通じて、人やブランドの覚悟のシンクロを支援しています。 「令和になり、僕たちは新時代にいます。迷いなく生きて働くために、必要なことはこれなんじゃないか。」 加来さんはそう前置きしてから講義をスタート。多くの企業の理念作りに尽力してきた加来さんだからこその、理念を軸としたこれからの働き方や企業とのマッチングに関する視点には、わたしたちがより心地よく働くためのヒントがつまっていました。 令和は、正解のレールがない時代 僕は、今の時代の課題を以下の3つのキーワードで表現しています。 コモディティ ダイバーシティ ボラティリティ コモディティは「技術革新に伴い、あらゆる差別化が困難に 」ということです。広告の仕事をしていたときにも、差がなくなってモノを売るのが困難になっていると感じていました。これは商品だけでなく、会社と会社、ヒトとヒト、様々な場面で言えることです。 ふたつめのダイバーシティは、文化や価値観の多様化 です。価値観、人種、性別、いろんな主義などに関して、「これはみんながある程度もっている価値観だよね」、「これが正しいから従っておこう」というような考え方が薄れてきました。それは同時に、「こういう人に向けてコミュニケーションすれば大丈夫」というやり方も通用しなくなってきているということです。 さらに、ボラティリティは、予測不可能な出来事が次々起こるということで、2020年も早速実感しています。「100年に1回あるかないか」という出来事が、自然災害、政治、金融…いろんな面で頻繁に起こっていますよね。かつ、これが起こることで、これまでのルールがガラッと変わってしまうことになります。 今までは、キャリアや人生やライフプランニングにおいて、正解と思われるレールがざっくりとではありますが見えていました。それが見えなくなり、いい意味でも悪い意味でも、それに従わないといけないというルールもなくなった、と感じています。 会社と社員の関係性の変化 このレールのない時代において、大きな変化がふたつあります。 ひとつめが、会社から社員、このベクトルの変化です。 会社が社員に期待する働き方のハードルが高くなっていると感じています。 昨今、多くの企業が「終身雇用ができない」という話をしています。技術革新によって、人に代わる労働力の確保が可能になり、いままでほどの社員数が必要ではなくなるという事態になっています。だからこそ、給料も年功序列で、昇給していくということが難しい。その代わり、新卒の給料を高くして、若い人を奪い合ったり、AIやディープラーニングなどの稼げるスキルを持った人にはいくらでも払ったり…新時代においても稼げる、そんなスキルにはどんどんお金を回そうという傾向が高まっています。 これは、働き方のハードルが高く、複雑になっていることのあらわれです。今までのように、入社できればずっと雇ってもらえる・どんどん給料は上がっていく、というシンプルな形ではなくなっています。 一方で、社員から会社、このベクトルにも変化があります。 社員側が会社に求めるものも、終身雇用や安定した給料だけに限らなくなり、形態や報酬の金額も多種多様になっています。副業や兼業が一般的になりつつあることが背景にあります。これまでは、会社からの給料と個人の収入がイコールだったと思うのですが、そうじゃなくなってきている。会社に依存しなくてもよくなってきました。 優秀な学生が転職を前提として、稼げる能力で会社選びをする。ワークライフバランスを思い通りにしたい。出世よりもプライベートを充実させたい。いろんな価値観があって、それぞれが会社に求めることが違う。よって、会社が社員に期待する部分がより行動に・複雑に、社員が会社に求める部分が多種多様に、という変化が起きています。 これまでの、お金と労働力による「価値と資源の交換関係」に会社と社員があったときは、お金を渡す方がイニシアチブを握りやすく、どうしても上下関係が生まれがちでした。 それが、ようやく会社と社員が対等な関係に位置づけるようになってきています。それぞれが求める価値、それぞれが求める資源を交換する、真のパートナー関係といえます。 ここで交換されるのは、お金・労働力だけではなく、会社からは機会や場所、社員からはスキルやアイディア、というように多様化していくでしょう。なので、今まで以上に、どの会社でもいい・誰でもいい、というわけにはいかなくなります。では、どのように選べばいいのか? パートナーシップの鍵は「理念」 どういう基準で選べばいいのか、つまり、よいパートナー関係を築くためにまずは必要なことのお話をしていきたいと思います。 ジム・ステンゲルとトム・ポストの共著書『会社は何度でも蘇る ビジネス・エコシステムを循環させた大企業たち』という本があります。この本の中で、P&Gの元グローバル・マーケティング責任者であるジムは、このように書いています。 成功しているパートナーシップの 88%は、パーパス(理念)の明確な一致がある場合である。 僕自身、この言葉を実感しています。これからの時代は、会社と会社・会社と個人・個人と個人…あらゆるパートナーシップにおいて、対等 にそれぞれが求める 「価値」 や 「リソース」 を交換するには、それぞれの 「理念(なぜ?)」 に明確な一致があることが必要になります。これができているパートナーシップの上で、会社も個人も成長し続けることが可能です。 企業やブランドの理念と、そこに属する個人それぞれの理念の 親和性が明らかとなり、認識・動機化・実行されている状態が理想的であると考えます。 個人理念が活動・選択の軸になる 企業理念とは、その企業の全ての活動や選択の動機・基準と僕は表現しています。企業理念はよく耳にするワードだと思いますが、個人理念はあまり聞きませんよね。でも、良いパートナーシップを築くためには個人理念も重要です。個人理念は、企業理念と同じく、個人の全ての活動や選択の動機・基準です。 個人も、自分という器を経営する経営者に変わりありません。今後は、副業という言葉すらなくなって、自分を主語にして様々な仕事や活動をすることが当たり前になっていくと思います。そのときの軸になるのが、個人理念です。 僕の場合は、以下のように掲げています。 ・個人ビジョン 一人からも全員からも、 注目される存在であり続ける。 ・個人ミッション それって本当?を問い続け、 みんなの人生をもっと面白くする。 僕の中では、ビジョンは「ありたい姿」、ミッションは「使命」や「存在意義」と定義づけしています。ミッションは自分の命をなんのために使うか、社会のためにどう価値を発揮するか、というところを反映しています。つまり、いつかは成し遂げたいことですね。ビジョンは、そのミッションの先にどうありたいのか、あるいはそのミッションを成す過程でどのような姿でありたいのかを表わします。 そして、この個人理念が、サインコサインの企業理念と親和性が高いからこそ、お互いにハッピーな状態でいることができています。みなさんにも、「個人理念はなんだろう?」、「いまいる会社(コミュニティ)との親和性はあるかな?」と確認し続けてほしいです。いろいろな選択肢がある中で、「あえて」そこを選ぶ理由になるのが、この親和性になると思います。 また、個人の成長のためにも、この個人理念が重要であると感じます。理念を掲げると、ありたい理想の自分と現実のギャップに悩むこともあるでしょう。理想に近づくためには、仕事の価値を高めるサイクルを回していくしかありません。 まずは仕事を選び、その質を高めて、そうすると仕事の価値が高まり、仕事が集まるようになり、また選んで…。そうすると段々と、理想に近づいていけると思います。選ぶときに取捨選択をする、そこで必要になるのが個人理念なので。個人理念をもつことは、なりたい自分に自力で近づく唯一にして最大の手段と言えます。 個人理念の作り方 僕が個人理念の作りを手伝うときに、どのような流れでしているかも紹介しておきたいと思います。 ちなみに、この個人理念は、変わることを前提としていて構いません。出会いや経験やライフステージによって、価値観は変化するものですから。僕自身も、多くの人の理念作りに伴走する過程で、自分の中の変化を実感して変更することがあります。 規模感にかかわらず、企業理念においても、5段階を経て作られていきます。僕はこれを、覚悟がデザインされていくプロセスととらえています。 理念の作り方 ステップ①自分の言葉で 「自由」 に自分を語る 具体的な質問に答えてもらったり、ヒアリングシートを基にしたり、ということはなく、とてもオープンに語ってもらいます。語りのはじまりになる質問だけ用意しておきますが、ポイントは、なるべく答えがない質問であることです。 「あなたは何者ですか?」、「長所と短所はどこですか?」、「大切にしていることって何なんでしょう?」…このような質問を相手にし、なるべくめちゃくちゃ共感していくことで、よりいろんなことを引き出していきます。 理念の作り方 ステップ②いい声で話せる自分の 「本質(コア)」 を探る ステップ①で返ってきた答えを、具体化していくのがこの段階です。「どうしてこれ選んだんですか?」、「この行動にタイトルつけるとしたら何でしょう」というような質問を重ねていきます。さきに抽象的な質問をし、つぎにより具体的な質問で本質を探るという流れですね。ここでは質問攻めにしていきます。「さきほど面白いという言葉を使いましたが、面白いってどういう意味ですか?」というくらい、深く聞いていきます。 その人の大事なことや、本質の話をする瞬間って、本当にいい声で話すところがあるんです。それが聞こえてきたら、再び深い共感を示して、そこに関してもっとしゃべってもらう。これを繰り返していきます。 理念の作り方 ステップ③考えすぎずに 「試作品」 をつくる その人の言葉から「いい声」が聞こえてきたら、あまり考えすぎずに試作品を作ります。そこに対して、どのような感想が返ってくるか、を大事にするからです。 自分で作る場合は、試作品を前にして、自分がどう感じるかを大事にしてください。そこに向き合って、工夫を加えて作り直して、また向き合って…このサイクルを納得いくまで繰り返していく。何度も何度も繰り返す中で、覚悟が醸成され、迷いがなくなっていくと感じます。 理念の作り方 ステップ④イメージの湧く 「具体例」 を想像する ある程度、正解が見えてきたら、その言葉の先にある未来を想像します。 会社の理念と並べて親和性を確かめてみる、Twitterのプロフィールに活用するならこんな肩書に言い換えられそう、こういう活動に展開しそうだな…そんな未来をイメージし、その言葉を掲げる覚悟をかためていきます。 理念の作り方 ステップ⑤自分が...

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