若いうちにしかできない「手を挙げる訓練」をしろ –「不登校10年」の小幡和輝からU-29世代へのメッセージ #アンレールな私たち

キャリア選択が多様になる現代。これまで主流だった「大企業神話」は平成とともに周縁を告げ、意志ある選択をした若者が躍動する時代へと変化していきます。 連載「#アンレールな私たち」では、一見ユニークでありながら当たり前になっていくであろうU-29世代の活動を取り上げ紹介していきます。新しい「あたりまえ」がやってくる足音を、本メディア「U-29」がいち早く届けていきます。 今回は、約10年間の不登校を経験したしたのちに高校3年生で起業、地方創生を軸にさまざまなプロジェクトを手掛ける小幡和輝さんにインタビュー。不登校時代のエピソードや、アンレールなU-29に送る言葉をいただきました。 Text by なまっちゃ   知っているのにバカにされる。個性を受け入れない雰囲気に嫌気がさした なまっちゃ:小幡さんは約10年間不登校を経験していました。そもそも、なぜ学校に行かなくなったのでしょうか? 小幡和輝さん(以下、小幡):不登校になったきっかけは同年代の友達との価値観の違いからでした。小学生時代は、遊び相手が5つ年上の兄とその友達だったので、同年代の友達と趣味嗜好が合わなくなってきていることを感じていたんです。 中学生と遊んでいたほうが楽しいし勉強になるのになんで学校に行かなければいけないんだろうと思うようになっていきました。 なまっちゃ:身近にいる人によって価値観は変わってしまいますよね。 小幡:年上の影響を強く受けていたので、同年代の「ノリ」が理解できずに苦しかったのを覚えています。 小学2年生のとき、同じクラスの人が「”3‐5”はなんだ?」と意地悪で僕に聞いてきたことがありました。僕は中学生と勉強を一緒にしていたのでマイナスの概念を知っていて、「‐2だよね」と普通に答えたんです。 すると友達はバカにした口調で「何いってるの?マイナスなんかないよ」と。知っていることをひけらかすと受け止められたのか、しらけた雰囲気になってしまったんです。 正しい答えを言っただけでバカにされる。ショックを受け、少しずつ同年代とのコミュニケーションを避けるようになっていきました。そんなそんな小さなショックが重なり、少しずつ学校に行きたくないなという気持ちが強くなってきました。 なまっちゃ:そうだったんですね。 小幡:当時の僕は「価値観が違う」と言語化はできていませんでしたが、「なんかちがうな、楽しくない」と学校生活に対して思うようになっていきました。だんだんと学校を休みがちになり、クラスから居場所がなくなっていき…本格的に不登校になりましたね。   “学校にいく理由”を探すことが難しい時代になってきている なまっちゃ:時代が変化にしていくにつれ、学校の存在意義も変わってきたように思います。小幡さんは当時と現在の学校の在り方をどのように考えていますか? 小幡:僕が通っていた時代やそれ以前の学校は、とても大きな役割を担っていたと思います。知識は学校に行かないと学ぶことができないし、友達も学校でしか作ることが出来ませんでした。学校に行かないとできないことが、当時はたくさんあったんです。 しかし、ここ10年くらいでインターネットとSNSが急速に発展し、学校でしか出来ないことを探す方が難しくなってきました。勉強はオンラインスクールでパソコンがあればできますし、友達もSNSで作ることができますよね。同年代が集まる場としての学校の“価値”が、SNSに代替されているのだと思います。 なまっちゃ:なるほど。すると、もう学校に価値はないのでしょうか? 小幡:いえ、コミュニティとしての価値を失ったとしても、学校に通った方がいい理由は2つあります。 1つ目はコスパがいいこと。日本中どこに行っても、学校では統一されたレベルの教育をほぼ無料で受けることができます。クオリティが担保されている教育を無償で受けることができるのはかなりの価値があると思っています。 2つ目は視野が広がること。もし学校に行かずに独学で学んでも、自分の興味関心ばかりに取り組んでしまい知識に偏りが出てしまいます。さまざまな分野を網羅的に学べる学校に行き、いろいろな価値観に触れることは、大人になってから大きな財産となってくれるでしょう。 なまっちゃ:SNSには代替できない学校の価値があるんですね。しかし、小幡さんはさまざまなメディアで「学校に行きたくなければいかなくていい」と仰っています。 小幡:はい。学校以外にも学ぶ場はたくさんありますし、友達を作る機会もあります。学校に行きたくなければいかなければいい。ただ、そのときに親が子供に不登校をしてもいいんだよという雰囲気をだせるような関係を築くことが大事だと思っています。 なまっちゃ:なるほど。 小幡:不登校の子達がのびのびとできる居場所を模索するためには、親子の“信頼関係”が必要不可欠です。ある意味、子どもの将来のためには「不登校になれる環境」を作った方がいいのかもしれません。   学校に「有給休暇」を なまっちゃ:これから学校が子供たちにとって価値ある場所になるためには、どのような取り組みを行えば良いのでしょうか。 小幡:学校でも会社と同じように有給休暇を取り入れればいいと思っています。 なまっちゃ:有給休暇? 小幡:不登校の大きな課題1つに、1回不登校になってしまうと外に出にくくなってしまうことがあります。数日間学校を休むだけで周囲の目が気になり、欠席した子自身が劣等感をすごく感じてしまうんですよね。しかし、有給休暇があれば気負いなく休むことができるし、周りも休んだことを変に思いません。 なまっちゃ:なるほど。学校に有給休暇制度ができるだけで、子供たちの心はだいぶ軽くなる気がします。 小幡:友達と喧嘩してどうしても行きたくない日も、これまでは学校に行かない理由にはなりませんでした。しかし、体調に関わらず、本人が行きたくない日はある。そのときに有給休暇があれば「今日、有給を使ったから学校休むね」と親に気負いなく言えますよね。理由を周りから求められることがありません。とりあえず学校を休むことは、かなり心に余裕をもたらしてくれると思っています。   不登校の「先」をつくる なまっちゃ:「#不登校は不幸じゃない」というハッシュタグ活動をSNSで企画し、多くの注目を集めました。今後、小幡さん自身はどのような活動をしていきたいと思っていますか? 小幡:これからの活動のテーマは不登校の“先”を作ることです。現在、多くのひとにとって不登校は「避けたい」もの。世間的にネガティブなイメージが強く、将来の不安を感じてしまいがちです。 なまっちゃ:もし自分の子供が不登校になったら、社会復帰できるのか不安になる気持ちはわかる気がします。 小幡:しかし、不登校だった子供が自立して稼げるようになる未来が見えていれば、不登校でも許される。不登校の子供たちが学校に行かない時間を使って、クラウドワークスなどで仕事を取ってきたり、BASEでオンラインショップを展開していたり…。現代では不登校の子が仕事をこなすことはすごいことだと思われますが、それが当たり前になるように、僕は仕組みを作ろうと思っています。フリーランス的な働き方を、不登校の子にも選択肢として与えてあげられたらなと。 なまっちゃ:とても新しい考え方ですね。 小幡:今の時代は「個人」でも生きやすい時代。特に若者はノーリスクでチャレンジできる恵まれた環境にあります。不登校をきっかけに、学校とは違った楽しさを知ってほしいですね。   『手をあげる訓練をしよう』U-29世代へ贈る言葉 久保田:U-29世代に、小幡さんから何かお言葉を頂戴したいと思います。 小幡:多くの若者と対話していて感じることですが、最初の一歩を踏み出すことにすごいハードルを感じてしまう人が多いです。だけど、行動してみないと何も変わりません。とにかく20代のうちに色々とチャレンジして行動して欲しいと思います。 なまっちゃ:チャレンジといっても、最初はどうすればいいのかわからない人が多いと思うので、具体的なアクションとかあれば教えていただきたいです。 小幡:手を挙げる訓練を日頃からしておくことだと思います。自分の目の前にチャンスが転がっていたときに、条件反射的に飛びけるように習慣付けておくことが大事なのではないでしょうか。 そして、条件反射的に飛びついたとしても、その出会いを「チャンス」に変えられるとも限りません。例えば会いたい人がいてメッセージを送ったときに、そのひとが会いたくなるかどうか、魅力的だと感じるかどうかも大事です。相手のことを考えた、自分の「見せ方」を考えてほしいと思います。 なまっちゃ:素早く動きつつ、自分の「見せ方」を意識することも大切なんですね。最後に、現代の若者へメッセージをいただけますでしょうか。 小幡:僕は不登校のとき、学校に行かずにずっとカードゲームをやっていました。しかし、カードゲーム大会の主催をしたり、好きなことに対してアクティブに動いていったところ、自分に自信をつける訓練ができたと思っています。誰しもが最初は手をあげるのが怖いと思います。しかし、一歩踏み出した先にやって良かったなと思う出来事は必ずある。ぜひやりたいことがあったら、消費する側ではなく生産する側になってください。 失敗しても、そのあとにリカバリーができれば、それは成功のためのプラスの材料になります。しかし、失敗して諦めてしまった時に、失敗になってしまうのです。自分は他の人と違うから…とチャレンジをしないのではなく、どんどん手をあげ続けてチャレンジして行動して欲しいと思います。 不登校から立ち直させるのではなく、不登校でも生きれる方法を提示する小幡さん。そんな小幡さんの活動は、不登校な子供達の生きる選択肢をつくることにとどまらず、自分がアンレールかもしれないという不安や悩みを抱えている人にも一歩を踏み出す勇気を与えてくれるのではないかと、インタビューをしていて思いました。 そんな小幡さんが出版した「学校は行かなくてもいい」には、アンレールになってしまった人たちへ贈る言葉が詰まっています。ぜひ、読んでみてください。

ネット炎上中にUSJしても気付かれなかった。ゆうこすの #何者でもない時代

社会の第一線で活躍し、自身で道を切り開き進んでいく人々。彼らの姿は私たちの未来に多様な選択肢をもたらしてくれるが、現在の自分と比較して「私にはできない」と悲観してしまうことも少なくない。でも、もし憧れのあの人の「何者でもない時代」を知ることができたら—— 。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #何者でもない時代 。今回のゲストは、YouTuberやインスタグラマーとして活躍し、株式会社KOSを手がける経営者としても注目される“モテタレント”菅本裕子さんこと、ゆうこすさんです。 ゆうこすさんは高校生でHKT48としてアイドルデビューを果たし、さらにミスiD準グランプリに輝いています。そして現在はYouTuberにインスタグラマー、さらにはプロデュース業も行うなど、現在は業界を越えて大活躍。SNSを開けば、彼女の名前を目にしない日はありません。 そんなゆうこすさんは、かつて「肩書きだけがあって、自分は何者でもないと気付かされた」と過去を振り返ります。正解も間違いもないこの時代に、自らで旗を立てSNSを駆使して駆け抜けていく彼女の「何者でもなかった時代」に迫りました。 Text by 佐々木希海 Edit by Mitsufumi Obara   肩書きがあっても、何者にもなれなかった —— ゆうこすさんの「何者でもない時代」について、お伺いしたいです。ゆうこすさんは高校時代にアイドルとしてデビュー、そしてミスiD準グランプリを経て、YouTuberやインスタグラマーとしても活躍されています。さらに最近は、プロデュース業も行われている……。経歴を拝見すると、「何者でもなかった時代」の想像が全くつきません。 菅本裕子(以下、ゆうこす):たしかに、いわゆる「肩書き」は早い時期からあったかもしれません。ただ肩書きがあったからといって、「何者になれていたか」といえば、そうではないんです。仕事も全然なくて、ニートでした(笑)。 —— ゆうこすさんにも、そんな時代があったんですね…!肩書きがあったからといって、生活が変化するわけではないと。 ゆうこす:周りからの見え方は変わりましたが、完全に“肩書き負け”だったと思います。私自身の中で何か変わったり、語れるものができたわけでもない。むしろ、肩書きがあるからこそ、自分は「何者でもない」ことに気がついたんです。 当時は“元HKT48の人”、“準ミスiDの人”という肩書きでしか、私を認識してもらえていませんでした。ちゃんと私のことを「ゆうこす」として知ってた人は果たしていたのだろうか…という感じです。これってやっぱり「何者でもない」ってことですよね。 —— では、ゆうこすさんにとって、アイドル時代も、準ミスiD時代も「何者でもなかった時代」であると。 ゆうこす:はい。肩書きを得ても、自分のやりたいことがなければ、「致命的だ」と気がついたんです。応援もされないし、ひいては仕事にもならない。現在のように、好きなことを仕事にできなかったので、当時はアルバイトでお金を稼いでいましたね。 「好きなことでは稼げない?」苦労時代は、挑戦する前から甘えてた —— ゆうこすさんは、現在「好きを仕事に」されていらっしゃいます。アルバイトをしていた頃は、そうした発想はなかったのでしょうか? ゆうこす:「好きなことが仕事になる」とは到底思えなかったんです。「好きなことは不安定なもので、お金が稼げないものだ」と決めつけ、挑戦することをしませんでした。 ……でも、真剣に考えてみたら、稼ぎ方なんていくらでもあるじゃないですか。クラウドファンディングもあるし、サイトの開設だって簡単にできるようになった。結局、好きなことがお金にできなかったのは、稼ぎ方を考えずに甘えていた自分のせい。——足りないのは“柔軟な頭”だったんです。 —— たしかにマネタイズ方法はたくさんありますが、覚悟して一歩を踏み出すのは難しいですよね。それができなかったことを「自身の甘え」だと言い切れるゆうこすさんの強さに驚いています…。どのような思考の変化があったのでしょうか? ゆうこす:固定概念やプライドを捨て、「自分の好きなこと」をとことん追求してみたんです。 たしかに、すごく覚悟のいることかもしれません。でも、やりたいことや好きなことがある人は、一度勇気を振り絞っていろんな方向から稼ぎ方を考えてほしい。意識的に考え方を変えてみると、視野が広がるんです。 —— とはいえ最初は結果もついてこないですし、「何やってるの?」なんて視線を向けられ、続けるのが難しそうです。 ゆうこす:最初からうまくいくことなんて、そう多くありません。なので、何かを始めたときは、SNSで「成功だけ」を発信したくなりますよね。でも、それは本当にもったいないことです。 好きなことを始めたら、成功も失敗も全て発信してください。すると、応援してくれるファンが生まれます。応援してくれる人に巡り会えると、次の一歩が大きく踏み込めるようになるので。 事実、私にとってファンの存在は、「好き」を続ける、そして「好き」を仕事にするための大きな支えになっています。 —— ゆうこすさん自身、発信することで、失敗した経験はあるんですか? ゆうこす:アイドル辞めた直後のSNSでは、「多くの人に好かれなくっちゃ!」と思っていたので、ありのままの自分を発信できなかったんです。Twitterのフォロワー数は多くても、本当に私のことを応援してくれる人たちや、会いに来てくれる人たちはほとんどいない状態でした。 でも、無駄なプライドを全部捨て、本当に思ったことを発信するようになってからは、本当の意味で応援してくれるファンが増えました。以来、ありのままの自分でいられるようになりましたね。失敗経験があったことで、今の発信スタイルになっています。 アカウントを作る前に炎上を怖がるってどういうこと?(笑) —— やりたいことがあるのに飛び込めない…という人も少なくありません。事実、行動を起こす前から、怖がってしまうことが私にもよくあります。自分の弱い心が挑戦の足かせになることが多いのですが、何かアドバイスをもらえませんか? ゆうこす:似たような相談を何度か受けたことがあります。「こういうことをしていきたいんですけど、もし炎上したらどうしよう?」と。 でもいろいろ話を聞いてみると、まだアカウントも作ってない状態で炎上を恐れていたりするんですよ(笑)。 みんな、起こるかも分からないことに怯え過ぎてると思います。それに、たとえ炎上したとしても、みんなすぐに忘れます。……最近あった炎上騒ぎ、覚えてますか? —— 覚えてないですね…すぐ忘れてしまいます。 ゆうこす:そうなんですよ。人の失敗なんてすぐ忘れてしまうし、思ったより誰も自分のことなんて気にしていないんです。 私はかつてネット炎上を経験したことがあります。ただ、その最中にUSJに行っても、誰にも気がつかれなかったんですよね。自分の「自意識過剰さ」が恥ずかしくなりました。 失敗を恐れて何もできないより、その失敗をもプラスに転換して発信できたらむしろ成功になると思うので、ポジティブに頑張ってほしいですね♡ 垂直の壁に向かって走るのはやめよう。夢を叶えるには、夢への階段をつくるべし —— 何者かであろうとするから、何者にもなれない…そんなジレンマを感じました。まずは、ずべこべ言わず行動しないと何も変わらないんですね。 ゆうこす:そうですね。「自分でレールを引いて頑張りたい人」って、100人中10人くらいです。そして、実際に行動する人は、1人いるかいないか。行動している人は意外と少ないので、行動するだけで差をつけられます。みんなより一歩前へ行けるんです。 でも、「行動する」のは難しいことではありません。人を変えるのは難しいですが、自分を変えるのは簡単。「やればいいだけ」です。 —— ゆうこすさんからすると、やらない理由がわからないくらい? ゆうこす:そうですね。もちろん行動に失敗はつきものですが、経験値が得られるので、成長確率も上がります。たとえ大きな失敗をしても、行動をしない99人とは違う人間になれています。 だから、そんなにマイナス思考にならずに、まずは動いてみるべきです。 —— これから行動を起こし、夢を追いかけていく人たちに伝えたいことはありますか? ゆうこす:「夢への階段」をつくってください。夢を叶えた人に共通するのは、叶えたい目標から逆算して階段を作っているということなので。 —— 階段とは具体的にどのようなものでしょうか? ゆうこす:夢を叶えるために、達成しなくてはいけない細かい目標のことです。 夢を叶えるためには小さな目標を一歩づつ達成する必要があるのに、多くの人がそのことを忘れています。ただひとつ、一番大きな夢だけを見ているんです。 それって、垂直な壁に向かって走っている状態なんですよ(笑)。その壁を登りきるための階段を用意してあげないと、壁の高さに挫折してしまうことも少なくありません。まずは小さな目標を決め、それを達成してください。本当に小さなことでいいんです。 たとえば漫画家志望の人は、自分の友達に見せて「面白い」と思ってもらうとか、その次はネットに掲載してみるとか。「手塚賞とるぞ!」と大きな目標だけを立てるより、ずっとモチベーションを維持できると思います!

話題の「黒塗り広告」は、こうして生まれた。ーーGO飯塚政博 #期待のルーキーに聞いてみた

  年功序列や終身雇用を前提とした“守りの選択肢”ではなく、自らの意志で人生の岐路を潜り抜け、“攻めの選択肢”でユニークな働き方を実践している若者がいる——。 U-29.comが「いま話題の企業で働く、若手社員にスポットライトを当て」20代の働き方にヒントを届ける企画 #期待のルーキーに聞いてみた 。初回のゲストは、株式会社GOの飯塚政博さんです。 飯塚さんは、広告・PRを数多く仕掛け世間から注目を集める株式会社GOに今年新卒入社された若手プランナー。2018年の夏に東京メトロ国会議事堂駅、霞ヶ関駅をジャックしたことで話題となったケンドリック・ラマーの来日広告を手がけ話題になるなど、早くも才能の片鱗をのぞかせています。そんなユニークな働き方をする業界屈指の期待のルーキーに、“いまなにを思い、今後どうしていくのか”を聞いてきました。 Text by 川尻疾風   就活失敗、大学2留。そして、創業間もないスタートアップへ。飯塚政博の数奇なキャリア ーー飯塚さんのこれまでを、大学時代から遡ってお聞かせください。 飯塚政博(以下、飯塚):もしかしたら、僕は多くの社会人に比べると、数奇なキャリアを歩んでいるかもしれません(笑)。もともと大学時代からメディアや編集の仕事に興味をもっていて、「博報堂ケトル」内の編集プロダクションでアルバイトをしていたんです。 周囲はスペシャリストばかりで、本物の職人集団と一緒に働ける理想の環境。卒業後はそのまま就職したいと思っていたのですが…残念ながら新卒での募集はされておらず、悔しい思いと共に就職活動をはじめることになりました。 ーー以前から、メディアや編集の道を希望されていたんですね。 飯塚:そうですね。ただ、編プロで働いてはいたものの、職業としての編集者になりたいというより「エディトリアルな感覚を活かせる仕事をしたい」といった気持ちを強く抱いていました。“広義の意味での編集者”になりたかったんです。 就職活動中は、ラジオ局とリクルートを目指していました。ラジオ局を目指したのは、昔から大好きなラジオ業界を新しい概念と組み合わせることで盛り上げられないか考えていたから。リクルートを目指したのは、エディトリアルな感覚を武器に新しいビジネス創生に挑戦できると思っていたからです。しかし、結果的に希望に合う企業からの内定はもらえず、就職活動に失敗しました。 ーー卒業後の進路はどうされたんですか? 飯塚:就職浪人はしなかったものの、就職活動とは別に留年することに。「なにか打ち込みたいものがあったんですか?」とよく聞かれますが、普通に単位が足りず卒業できなかっただけです(笑)。しかも留年は通算2回目。慶應義塾大学の経済学部に通っていたのですが、本当に数学が苦手で、学生時代はとにかく劣等生でしたね。 そこで、なにか新しいことをはじめようと思っていた際に出会ったのが、創業したばかりのGOだったんです。 ーーGOには、どのような経緯で入ることになったんですか? 飯塚:代表の三浦が独立したニュースを目にし、応募要綱なんてないのに、勝手に会社のメールアドレス宛てに「勉強させてください」と直談判しました。今でこそ「GO」は会社としての評判や認知度が広がってきましたが、当時はまだ創業まもないスタートアップ。 具体的なプロジェクトをみて興味をもったというより、広告×スタートアップの領域で「既存の会社とは違った仕事を体験できそうだ」と感じ、思い切ってメールしたんです。 大変なことは「ない」。“絶対的な期待”があるからこそ全力で働ける ーーインターン時代には、どんな業務を行なっていたんですか? 飯塚:企画を出し、先輩の企画書作成アシスタントをして、会社全体の雑用をする。この3つが主な業務でした。求められる企画のレベルは高く、はじめて自分の企画が通ったのはインターンして約3ヶ月ほど経った頃でしたね。 今回「期待のルーキー」といった文脈で呼んでいただいたのは嬉しいですが、未だにアイデアへのダメ出しは多くて…本企画の趣旨に合った話ができないと思い取材を受けるか迷いました。案件によっては、先輩に迷惑をかけていることも多々あって、なんとか食らいつこうと頑張る毎日です(笑)。 ーー今年の春から新卒入社されたとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか。 飯塚:インターン時代は慣れない業務も多く、ただ目の前のことに全力で取り組んでいました。そしたら、ある日会社の方から新卒入社の一号として正式にメンバーにならないかと誘ってもらえたんです。同期がいないのはもちろんのこと、社内に20代は自分しかいません。 社員は名だたる企業出身の一流プレイヤーばかりなので、正直ついていけるか不安で判断を先延ばししたかった(笑)。ただ、「GOなら、面白いことができる」と確信し、入社を決めました。インターンの時期から最前線で働くことができ、早くから打席に立てたことが、なによりやりがいとなっていたのです。 自分が働いた分だけ、その努力が組織に還元されていく。肌感覚でそう感じた経験が、僕の背中を押してくれました。 ーー現在の仕事内容と、インターン時代で変わったことはありますか? 飯塚:基本的には変わっていません。強いて言えば、GOが組織として拡大したことによって、組織全体の風土づくりを担う「グラウンドコントロール」のメンバーが加わったこと。よりプランナーとしての業務を中心に、進められるようになりました。 GOでは案件ごとに、クリエイティブディレクターとプロデューサー、プランナーの計3名からなるチームを組みます。そしてメンバーで企画を練り、それをクライアントにもっていくことで業務を進めていくのです。案件ごとに満足できるクオリティに仕上げなければいけないし、関わる案件も次々と増えていくので毎日とても充実した日々を過ごしていますね。 ーー仕事の上での苦労することをお聞きかせください。 飯塚:僕が担当したケンドリックラマーの広告でいうと、企画自体は割とすぐにできましたが、そのあとの苦労が多くて。センシティブな内容を東京メトロなど各ステークホルダーを巻き込んで実行しなくてはいけなかったので、プロデューサーを中心に細やかな調整を積み重ねました。 ーー飯塚さん自身は、仕事でどんな時が嬉しかったり大変だったりするでしょうか? 飯塚:最初の企画出しで、良いアイデアを出せると死ぬほど嬉しい。大変なことでいうと…特にないですね。 ーーえっ、ないんですね! 飯塚:もちろんフィジカルな面で大変なことはありますが、メンタル的には感じることがなく、毎日楽しく仕事をしています。大変な瞬間があっても、むしろ心地よい刺激だと思うくらい。「いつかこの経験が活きて、大きな仕事につながるだろう」といった絶対的な期待のもと、仕事ができているからかもしれません。 僕がGOで働く理由。「変化と挑戦にコミットメント」して社会に影響を与える ーー最後に、今後の将来についても教えてください。 飯塚:僕自身は、「コミュニケーションの技術を武器に、社会に大きなインパクトを残せる仕事がしたい」と思っています。 それは、広告のように具体的なアウトプットをつくることかもしれないし、企業や行政の組織改革のために新しいルールをつくっていくことかもしれない。ひと口に「コミュニケーション」といっても、さまざまな可能性と選択肢があると思います。 形式にこだわらず、ブランドのあらゆるアセットをフル活用して「人々に影響を与えて、社会が前進する力を生みたい」です。 飯塚:僕は昔から“グランジ”と呼ばれる音楽ジャンルが好きで、既存の化石みたいな価値観に、疑問を投石する意志の感じられるものに惹かれていました。 広告やPRなどのコミュニケーション領域に強く関心を持ったのも、昨年話題となったヤフーの銀座での広告(※補足:ソニービルに、東日本大震災の津波と同等の高さとなる広告を出したもの。)に感動し、「こういったものを生み出していきたい」と思ったことがきっかけでした。 GOのステートメントは「変化と挑戦にコミットメントしていく」こと。企業がなにかしらの変化を求められ挑戦しなければいけないときに、その後押しをするのがGOが存在する理由です。社員としてではなく、僕個人としてもこのステイトメントに深く共鳴しており、今後も体現していきたいと考えています。

ゼクシィ元編集長は、パソコンの電源が入れられなかったーー伊藤綾 #私のライフラインチャート

人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。第2回のゲストは、『ゼクシィ』元編集長の伊藤綾さんです。 伊藤さんは、カスタマーインサイトをつかんだ企画の数々でヒットを飛ばし、編集長に就任した凄腕の編集者。しかし「集団行動ができなかった」過去や、就職活動に失敗し続けた経験があるそうです。決して順風満帆とはいえなかった人生から、自分の仕事を作り出していく人材に変化できた理由は? Text by U-29編集部   インタビューが始まる前に、まずはライフラインチャートを描いてもらった。人生を振り返ってみると、過去に大きく3つのターニングポイントがあったそうだ。 集団行動に馴染めなかった幼少期。今も耳に残る、“涙のOb-La-Di, Ob-La-Da” 西村創一郎(以下、西村):急激に落ち込むポイントが3点。こちらが、今振り返ってみて思う「人生のターニングポイント」ですね。まずは4歳のとき、最初のターニングポイントについてお伺いさせてください。 伊藤綾(以下、伊藤):幼稚園に入園した歳なのですが、初めての集団生活に全く馴染めなかったんです。幼稚園に行くととにかくお腹が痛くなってしまうので、大半の時間を保健室で過ごしていました。 お昼ご飯の時間になると、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』が園内に流れます。みんなとご飯を食べるという、当たり前のことができない苦い思い出が、音楽と紐づいてしまったんです。『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに「自分はダメな子なんだ」と考えてしまうようになりました。大人になった今でも、思い出してしまいますね! 西村:そんなエピソードがあったんですね。幼稚園に通えなかった日々からは、どのように脱出したのでしょうか? 伊藤:ある日、先生が「今日から、お腹が痛くても保健室には行けません」と私に宣告したんです。当時はまだ幼かったので、反論することもできませんでした。世界が終わったように感じたことを覚えています(笑) 選択肢がなくなったので、もうみんなと同じように生活する以外なかったのだと思います。ただ、あまり覚えていないんです。 西村:辛かった経験が、記憶から消えているんだと思います。僕も幼少期のエピソードを覚えていないので、綾さんと同じです。 伊藤:きっとそうだと思います。その日から、なんとか集団生活を行えるようになりましたが、小学校〜大学卒業まで、これといって何か目立つほど成し遂げたことはたぶんほとんどないんじゃないかなと思います。就職活動も、ことごとく失敗しました。 西村:就職氷河期の真っ只中だったことが影響しているのでしょうか? 伊藤:たしかに就職氷河期でしたが、同期に比べても私は、全然ダメだったんです。 西村:新卒では出版社に入社されていますよね。経緯をお伺いできますか? 伊藤:料理に関連する書籍を製作している出版社に入社したいと考えていたので、街の本屋さんに出向き、最後のページに書いてある電話番号に自分から連絡したんです。募集をしている出版社は人気があり、落ちてしまうと思ったので、あえて募集の告知をしていない企業に絞っていました。 するとたまたま、小さな出版社が「来週試験があるから、よかったらどうぞ」と。たまたま面接がなく、試験の成績で合否が決まるとのことでした。死ぬ気で問題を解き、なんとか内定をいただくことができたんです。 悔しさを跳ね返そうと、仕事に魂を燃やす。カスタマーになって初めて知った、本当の意味での幸せ 西村:入社後は、どのような業務に従事されていたのでしょうか? 伊藤:思い出深い仕事の一つに、初めて1冊丸ごと編集担当した料理本があります。与えられた企画が「小さな焼き菓子とテディベア」。焼き菓子の作り方と、小さなテディベアの熊のぬいぐるみの作り方が一冊で分かる、画期的な?本でした。 西村:切り口に困りそうな本ですね(笑)。 伊藤:「お菓子とクマって、どうしたらいいの?」と思いましたよね(笑)。でも、やるしかない。最初はクマの作り方とスコーンの作り方を表紙に掲載しようとしていたんですが、ちょっと企画を変えて、スコーンをカヌレにしました。というのも、当時カヌレがブームになっていたんです。でも、カヌレの作り方を載せている本はあまり流通していなかった。チャンスだと思いましたね。 そこで、表紙に大きくカヌレの写真を載せて売り出したところ、なかなかのヒットになったんです。もう、鼻が高かったです(笑)。就職活動がとことんうまくいかなかったのに、バレンタイン商戦を目前に、新人が大活躍しているわけですから。 西村:では、社会人になってから、これまでの不振が嘘のように変化していったと…? 伊藤:実は、そう上手くはいきませんでした。喜んでいられるのも束の間で…。 忘れもしません、バレンタインの前日です。本を購入したお客様から「カヌレが膨らまない」と電話がかかってきました。「本に書いてある通りにつくっているのに、うまくできない。どうしたらいいのでしょうか?」と。 オシャレな写真を掲載することに必死になり、詳細が分かるものになっていなかったことが原因です。そして私自身も、その質問に答えられなかったんです。浮き足立っているのが恥ずかしくなりました。 西村:カスタマーとしての視点が足りていなかったことを、身を以て痛感したわけですね。 伊藤:その通りです…。紆余曲折あり、その後、仕事を辞めて兵庫に移り住んだのですが、そのときに改めて当時の失敗を思い返す出来事がありました。自分で毎日ご飯を作るようになり、その時の私の生活には、オシャレさよりも、懇切丁寧に過程を紹介している本が一番役に立つのだと知ったんです。 西村:具体的に、エピソードを教えていただけますか? 伊藤:料理本を見ながら炊き込みご飯を作っていたのですが、本に掲載されている塩の分量が、なんだか多いなと思ったことがありました。後からレシピが間違っていたことがわかったのですが、初心者なので、とりあえず書いてある通りに作ってみました。炊き込みご飯だったので、途中で味見ができなかったんですね。食べてみると、やっぱり味が濃すぎる。とても悲しい気持ちになりました。当たり前のことなのだけれど、その日の私にとっては、とにかくおいしいきのこご飯を作ることが大事でしたから。材料費も毎日やりくりしていました。 そこで、カヌレの失敗を思い出したんです。お客様にとって大事なことって何だろう?って。素敵な写真とともにカヌレの作り方を紹介することがお客様の幸せになると思っていたけど、それだけでは足りなかった。嬉しくなることと、幸せになることは、似て非なるもの。本当の意味でのカスタマー視点を考えたことが、私の第二のターニングポイントになりました。25歳の出来事です。 編集者から、編集長へ。「二の腕が細くなるドレス」より、ゼクシィが伝えたいこと 西村:第二のターニングポイントを受け、どのように人生が変化したのでしょうか? 伊藤:専業主婦を経て、もう一度働こうと決めました。東京に戻ってきたタイミングで、仕事先を探していたところ、目に入ったのがリクルートの契約社員の求人です。 編集者経験があったことが幸いし、無事に内定をいただくことができたのですが、私が最初にしたことは「パソコンの電源の入れ方を質問すること」です。ITリテラシーが全くなく、ちょっと機種が違うとわからないし、パワーポイントやエクセルを使ったこともなかった。仕事をしようにもできないことが多すぎました。 幼少期に、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに心が暗くなる経験をしたのと同様に、ゴミ収集車の音を聞くとお腹が痛くなりましたね。とにかく、よくトイレに行っていました(笑) 西村:かつての「嫌な思い出」が再び繰り返されてしまったと。 伊藤:そうなんです!配属先が『ゼクシィ』を製作する部署で、同部署では企画を発表するコンクールがあります。しかし自分に自信がなく、納得して提出できる企画が一本も作れませんでした。 1年に1回、上司や先輩社員が人間ドックで出社しない日があるのですが、その日を心待ちにしていましたね(笑)。自分には何もできないのではないかと考えてしまうくらいに、仕事ができなかったんです。 西村:社会人になってからも、そうした憂鬱な日々があったんですね。しかし、『ゼクシィ』の編集長として活躍されました。どのようなきっかけがあったのでしょうか? 伊藤:ずっと現場にいたり、いつもお客様と話をすることを叩き込まれたからではないかと思います。たとえば、新郎新婦がお色直しで入場するときに、緊張で肩がブルブル震えている光景を目の当たりにしました。その姿は、結婚式の写真を見るだけでは分かりません。 ほかにも、親御さんへのメッセージを読み上げる感動のシーンの裏にも、いろいろあるわけです。結婚式の企画を考える際に喧嘩があったり、料理を決めるのにもゴタゴタがあったり。美しく見える結婚式ですが、その過程で、たくさん泣いたり、笑ったりしているリアルがある。 嬉しさと幸せだけでなく、コンプレックスや、緊張や、たくさんの感情が渦巻いている。その事実に圧倒的に触れ続けることで、少しずつヒットする企画が打てるようになりました。 西村:顧客が本当に欲していることを“肌感覚”で掴めるようになったと。 伊藤:そうですね。もう一点、現場経験を積んだこと以外にも、自分の病気も転機になっています。 双子を出産し、その後、数万人に一人が発症する病気を発症してしまい、重篤な状態になってしまったんです。その後なんとか回復しましたが、退院した後にはすぐ育児があります。病気になったときは「生きているだけで幸せだ」と感じましたが、それでも病後の新しい両立生活はやはり大変で、めげそうになりました。 そうした経験をしたことで、結婚式だけではなく「その次の日からはじまる生活」、結婚そのものについても目を向けたとき、ゼクシィがどのような存在であるべきかを真剣に考えるようになりました。「3時間の結婚式から60年の結婚式へ」や「プロポーズされたら、ゼクシィ」というコピーを作ったのはこのころですね。ゼクシィにできることは限られているのだけれど、それでも、結婚が決まった時からはじまっていくお客様の新しい生活の、何を祈るようなメディアでありたいのか、という問いが自分の中にありました。 苦しい「今」は、宝物の「過去」に変えられる 西村:カヌレのエピソードではないですが、ただインサイトを追うのでなく、カスタマーに憑依できるようになったと。 伊藤:もちろん、インサイトを汲み取ることも大事です。それまでは「二の腕が細く見えるドレス」など、ヒットするための企画を必死に考え、コツコツ結果を積み重ねてきました。ただ、役に立つ、ということから一歩進んだ、サービスの世界観や価値・目的も同時に考えるように変化していったのではないかと思います。 西村:なるほど。現在のご活躍の裏には、大変な苦労や、失敗の積み重ねがあったんですね。 伊藤:就職活動しかり、うまくいかないことや、失敗もたくさんあるけれど、今振り返れば、一つひとつの失敗が私へのメッセージだったと考えたりもできます。そしてそう思えるのは自分自身しかいないのではないかなと思います。パソコンの電源すら分からなかったあの日の劣等感も、カヌレのエピソードも同じで、そこから何かが生まれていく契機でもある。だから、そのときは残念なメッセージに受け取れても、いつか本当の意味が分かるときが来るんだと思っているんです。

15歳で高校中退、“打席”に立ち続けた6か月 高木俊輔 #私のライフラインチャート

2018年10月、政府は大手企業による採用活動の解禁日を定めた指針「就活ルール」の撤廃を決定した。企業は通年で採用活動を実施できるようになり、学生は「就職活動だけ頑張る」ことが通用しなくなったといえる。意思を持ち、打席に立ち続けた学生にチャンスが巡ってくる時代が訪れるのだ。 人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。今回お話を伺ったのは、株式会社ハッシャダイでマーケティングを学ぶ15歳・高木俊輔さんです。 高木さんは半年前に通っていた私立高校をドロップアウトし、単身で上京。現在では株式会社ハッシャダイでマーケティングを学んでいる。この半年間、社会の“打席”に立ちづけた彼の言葉からは、奥深い経験からなる落ち着きと静かな闘志を感じた。「ドロップアウト」という派手な文言の影に隠れた、15歳の“泥臭い青春”に迫る。 Text by 半蔵 門太郎 遠足の行き先も、自分たちで決める。“目的ドリブン”の思考が基盤を創り上げた ーー14歳から現在にかけて、指数関数的に幸福度が上がっています。 高木俊輔(以下、高木):そうですね。上京してからは決して順調ではなく、多くの人に迷惑をかけました。メンタルが不安定になった時期もありましたね。 しかし、振り返ってみるとすべて良い経験だったと言い切ることができます。毎日成長を感じていますし、東京に来たことに後悔を感じたことはありません。 ーーでは、まず1つ目のターニングポイントから教えてください。 高木:最初のターニングポイントは小学校4年生のころ。私の通っていた小学校が文部科学省から「ゆめみらい学園」に選定され、カリキュラムがガラッと変わったのがきっかけでした。 従来のような「参加型」の学校教育ではなく、「参画型」のスタイルが実装されたんです。 ーー参画型というと? 高木:与えられた課題の解決方法を考えるのが従来の「参加型」。ですが、僕らの学校では課題を探すことがスタートです。 高木:具体的な例としては、遠足。僕らの学校では、生徒自身が行きたいところをディスカッションし、日程を決めるところまでを担当します。遠足でどこへ行きたいのか、自分の意見を自由に言うことができるのです。 しかし、クラス全員のプレゼン合戦となるため、プレゼン能力が低ければ話を聞いてもらえません。 自分のエゴを通すための課題は何なのか、どのように解決するのか、どのようにプレゼンをする必要があるのか…常に考える環境がありました。 ーー自分の“目的”のために足りないものを考える…。いまの高木さんのアクションの「基礎」となっているのでしょうか。 高木:やりたいことのためにできることを探し、ひたすらPDCAを回す。逆に、目的なく“How”だけのことには手を出さない。「目的ドリブン」の行動指針は、間違いなく自分の基盤となっていますね。「ゆめみらい学園」のカリキュラムがなければ、高校中退なんて考えもしなかったのではないかと(笑)。 「高木、イキらせてやるよ」を引き出すために。中学校時代に学んだ“マーケティング”のイロハ ーー高木さんを語るうえで欠かせないターニングポイントだと思っていることに、noteのエントリ『中学生の僕が文化祭にスポンサーを付けた話』があります。 ーーこの投稿は僕もリアルタイムで見ていて学生時代からSNSやpolcaを使いこなす「新世代」が出現したと、センセーショナルな印象を感じました。高木さんのなかで、この文化祭は大きなきっかけとなっているのでしょうか。 高木:noteのバズは上京の大きなきっかけとなりましたね。たくさんの縁が生まれましたし、選択肢が一気に広がった契機になりました。それに、この文化祭は自分にとり「ゆめみらい学園」で学んだことの集大成となったイベントでした。 ーーどのような意味で「集大成」だったのでしょうか? 高木:はじめ、僕の学校では文化祭が無かったんです。そのため、ただ単に「文化祭をはじめたい」とクラスメイトとともに動き出したのがきっかけでした。教師に文化祭を開催できない理由を聞き、懸念点を「プレゼン」によってつぶしていく…。その一環として、予算を集める必要があったんです。 ーー文化祭という「目的」に対する手段に過ぎなかったんですね。 高木:そのころちょうどCampfire社からフレンドファンディングアプリ「polca」がリリースされて。この機は逃せないと思い、“若さ”を武器に「polcaおじさん」にDMで企画をプレゼンしてったんです。ウザがれるくらいDMを送った結果、目標金額の5000円を達成。小規模な資金調達でしたが、自力でお金を集め文化祭を開催したことは大きな成功体験でした。 自分達で創った文化祭4フェスをします🚩 友達とか誘って来てくれると嬉しいです😋🌀 (日時) ・11/17 放課後 (対象) ・1・2年生 自由参加 (場所) ・多目的室【お化け屋敷】 ・3D教室【ゲームセンター】 ・3A教室【迷路】 pic.twitter.com/VPjC1ULqDq — たかーぎ | 高木俊輔 (@takagi_1129) 2017年11月16日 ーー自分たちの武器を理解し、プレゼンをする…。現在高木さんがマーケティングを学んでいる原体験になっているのでしょうか? 高木:プレゼンの要諦は相手を楽しませること。自分の武器を理解し「おもしろそう」と思ってもらえれば、相手は興味を持ってくれます。つまり、いかに「高木、イキらせてやるよ」とお金を投げさせるかが勝負なんです。 文化祭での資金調達は“若さ”を武器に調子にのったテンションでお金を集めることができた。良くも悪くも「お金ってチョロいな」と思いましたね(笑)。 めちゃめちゃ反省、だけど2日後には忘れる…。“目的”のために、指針がブレることはない。 ーー3つ目のターニングポイントは「上京」ですね。上京してから約半年。学生の身分に隠れることなく打席に立ち続けてきたなかで、多くの失敗・挫折をしてきたのではないでしょうか。 高木:失敗…ありすぎて答えられないですね(笑)。SNSで調子に乗りまくったり、同世代を煽ってみたり…。多くの人に迷惑をかけましたし、たくさんの恥をかいてきました。 高木:いちばん凹んだのは、上京のきっかけを与えてくれた男性から“利用”されたこと。僕のつながりを利用して、同級生の女の子を強姦していたことが発覚したんです。同級生を守れなかった僕の過失であることは言うまでもない。...

世界最高峰・ミネルバ大学に通う私は「こうして」育った——片山晴菜 #私のライフラインチャート

人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。 U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。第1回を飾るのは、世界最難関の大学として知られるミネルバ大学に在籍中の片山晴菜さんです。 インタビューの冒頭、独創的なライフラインチャートを描いた彼女は、自身の人生をどう振り返り、これからをどう見据えているのか。また、世界最先端の教育を肌で感じた彼女自身が、読者に伝えたいこととは。正解のない時代をユニークに生きる、一人の女性の人生に迫った。 Text by Arisa Oki Edit by Mitsufumi Obara 片山さんが在籍するミネルバ大学とは、「ハーバード大学よりも入学が難しい大学」として、世界中のエリートから注目を集めている大学。キャンパスは持たず、授業はすべてオンライン、学生たちは4年間の中で世界7都市を移動しながら、寮で共同生活を行ないます。 そんなミネルバ大学に、2017年日本人の学生が初入学しました。その人物こそが、片山晴菜さんです。 まずは片山さんに、これまでの人生を振り返る「ライフラインチャート」を描いてもらいました。 5歳で知った、家族と学校以外のコミュニティ。血縁のない姉妹との出会いが、人生の原点 西村創一朗(以下、西村):人生における「幸福値」は常に一定であったと。 片山晴菜(以下、片山):そうですね。今こうして過去を振り返ると、どの瞬間も非常に楽しい時間だったな、と思います。とてもポジティブな意味で、浮き沈みのない人生でした。 西村:なるほど。では、そうした人生のを過ごしてきたなかで、現在の片山さんを形作る3つのポイントについてお伺いさせてください。 片山:まず最初のターニングポイントは、5歳の頃。一人っ子だった私に、初めて“姉妹”ができた瞬間です。ガールスカウトに加盟したのですが、血縁はなくとも、“姉妹”と呼ぶにふさわしい関係性が生まれました。 西村:“姉妹”と表現された理由が気になります。 片山:ガールスカウトという組織を、“箱”としてではなく、そこに参加している彼女たち一人ひとりがつながって広がった“ネットワーク”だと捉えているからです。それまで幼稚園以外のコミュニティに属していなかったので、初めて価値観や考え方でつながる経験をしました。 18歳まで活動を続けていたのですが、現在の私を語る上で、切り離せない関係性になっています。 西村:当時、片山さんと彼女たちをつないだ「価値観や考え方」について、詳しく教えてください。 片山:自立しなければならない環境下で、時間をともにできたことが印象に残っています。たとえばキャンプで薪割りをするような力仕事も、男性に頼らず、女性だけで行わなければなりません。「自立するのが当たり前」という考え方を、幼少期に共有したのです。 西村:価値観や考え方以外にも、そこでの具体的な経験が、現在の片山さんを形作る要素になっているのでしょうか? 片山:ニューヨークにある国連本部を訪れる機会があったり、国際女性ビジネス会議に参加したりと、世界に目を向ける経験をしたことは、視野が広がるきっかけになっています。そのなかでも、初めて「難民」の存在を知った経験が特に印象に残っています。 小学校2年生の頃でしたが、当時私は「学校に行きたくない」と、母にわがままを言っていたのです。ただ、地球のどこかには、学校に行きたくてもいけない人がたくさんいます。あまりにも生活が違い、衝撃的でした。 西村:小学2年生で、そこまで深く考えられる学生もそういないと思います。 片山:母親の教育方針も影響しているかもしれません。母は私に、常に「なぜ?」を問いました。たとえば、クリスマスプレゼントに何がほしいかを尋ねられ、「何でもいい」と答えると、「それは市場に売っていない」と答えます。そして、本当に何もプレゼントしてくれません。 夕食に何を食べたいのかを尋ねられ、「餃子でいい」と伝えたときには、「餃子がいい」のか、「餃子でいいのか」を聞かれることもありました。自分から求めなければ、何もくれないのです。一つの事象に対して詳しく考える姿勢は、幼い頃に身についたのかもしれません。 大切なことはすべて、「外に出る」ことから教わった。井の中の蛙が、大海を知るまで 西村:続いて、二つ目のターニングポイントもお伺いさせてください。 片山:16歳ですね。16歳がターニングポイントとしてあげた理由には、二つの出来事が関係しています。まずは、高校1年生で模擬国連の全国大会に参加したこと。軽い気持ちでエントリーしたのですが、全国大会に出場できました。 その際に、自分が「井の中の蛙だった」ことに気づいたのです。全国大会に出場したことで、それまでの人生にはなかった多くの人たちに出会うことになります。活躍する同世代の存在を初めて知ったことで、「そもそも、所属しているコミュニティ以外について知る機会が提供されていない」と考えたことを今でも覚えています。 西村:なるほど。もう一つの出来事はなんですか? 片山:学校の三者面談です。自分の進路について真剣に考えれば考えるほど、日本の教育に疑問を抱くようになりました。三者面談の段階では、進路について全く考えていなかったので、偏差値と合致する大学を志望校として挙げました。私と同様、大半の級友らも同じように進路を決めてました。 しかし、自分で挙げた志望校について、私は校名以外の情報を全く知りません。どのような先生がいて、どんな学びが得られるのかを把握していないのです。 その際に、成績や偏差値を物差しに進路を考えさせてしまう日本の教育システムに懐疑的になりました。 このシステムに、なんとも納得できなかったんです。 西村:その経験が、UWC(United World Colleges)への進学につながっているのでしょうか? 片山:そうです。進路に悩む私を見かね、母が一つのオプションとしてUWCへの入学を提示してくれました。UWCは、ニューメキシコ州のサンタフェから山奥へ3時間、標高2,000mの砂漠の中にキャンパスがあります。 そんな過酷な環境で、90か国の仲間と2年間寝食を共に過ごすことができる。これ以上ない経験ができる場所だと感じました。また、奨学金をもらいながら学ぶことができます。またUWCの存在を知った高校一年生の頃は、たまたま一度だけ受験ができるタイミングでもありました。即決で受験を決めましたね。 西村:国模擬国連への参加、人生を変えた進路面談、そしてUWCへの進学…。盛りだくさんな16歳だったと思いますが、何かタイトルを付けるなら…? 片山:単純ですが、「外に出る」ですかね。全ての学びは、それまで知らなかった「外」の環境に踏み出したことで得られたので。 圧倒的オンリーワン人材が集う、ミネルバ大学の全貌 西村:3つめのターニングポイントは、ミネルバ大学に入学したタイミングですか? 片山:そうですね。今まさに多くを学んでいる真っ只中で、日々、他の教育機関では触れられない先進的な教育を受けています。倍率の高い試験から選別されたメンバーと共同生活を送るなかで、「こんなにユニークな人たちが集まっているんだ」と、コミュニティの層の厚さにも感銘を受けています。 西村:具体的に、どのようなメンバーがいるのでしょうか? 片山:私のルームメイトはノルウェー人で、国会でちょっとした話題に上がっている子なんです。これまで自分が抱いていたヨーロッパ圏のイメージには、「個人を尊重する」文化がありました。ただノルウェーには、集団規律を重んじる文化があり、日本と同じく飛び級制度がないのです。 そんな国で、数年前にパイロットプログラムにおける飛び級制度ができました。4人の学生が選抜されたのですが、そのうちの一人が彼女です。他にも、すでに博士課程を持っているメンバーなど多種多様なバックグラウンドの人が集っています。 西村:飛び抜けたオンリーワン人材が集まっているのですね。 片山:まさにそうです。すでにスペックが高いのにも関わらず、さらに学ぼうと探究心が高いメンバーが多く、とても尊敬していますし、刺激を受けています。 西村:一つ気になるのが、ミネルバ大学は1学年が150人前後と、かなり人数が少ないで点です。閉ざされた環境だとは感じないのですか? 片山:それはないですね。ミネルバ大学は、自分から外へリーチアウトしようと思ったら、誰にでもその機会が与えられている、開けた大学なんです。それだけでなく、世界7都市を周るので、十分開けた環境だと思っています。 7都市の内いくつかは自分で選択できますし、企業とのパートナーシップも強い。だから、自分次第でいかようにもパスを描けます。むしろ、外へ外へと意識が向かない人にとっては、辛く苦しい環境なのではないでしょうか。 自分に「Why」を与える姿勢が、ポジティブな選択を生み出す 西村:自分の意志に忠実に、そして着実に進んできた片山さんだからこそお伺いしたいことがあります。いわゆる「既存の価値観」に包まれた過去の環境に、ある種の抑圧を感じてしまうことはなかったのうでしょうか? 片山:その経験はあまりないですね。多分、のびのびと生きようとしていたので、「抑圧されている」と感じる機会がなかったのだと思います。たとえば日本の小中学校は、暗記によって知識を定着させる教育が一般的です。ある意味では“抑圧”だといえますが、捉え方によっては、また違った解釈もできると思います。。 西村:どのように思考をスイッチして、“抑圧”を乗り越えてきたのでしょうか? 片山:「基盤を作ってくれている」と考えることにしたのです。型を学ばなければ、いざ自分が新しいものを生み出そうとしても、何が古いのかがわからず、生み出すことすらできませんから。 何においても言えることですが、特定の事象にポジティブな意味付けをできることが重要だと思っています。 西村:片山さんのお話を聞いていると、行動の一つひとつにきちんとした動機を感じます。そこは日々意識しているのですか? 片山:繰り返しになりますが、やはり母親の教育方針が大きいのでしょう。「なぜ」を問う姿勢や、ガールスカウトの経験が掛け合わさり、「与えられた機会をこなすのではなく、自分から機会を求める」性格になったのかもしれません。もちろん、考えても答えが出ないことはありますが、だからって問いを止めることはありませんね。 行動をデザインする人になる。日本人初のミネルバ大学生が描く、等しくポテンシャルを発揮できる社会 西村:片山さんのこれからについてもお伺いさせてください。現時点で、大学卒業後の具体的なキャリアをどのように考えていますか? 片山:模索中ではありますが、一度企業に勤める経験を挟むと思います。ビジネスの受け手側への影響が見えやすい職に就いてみて、その分野で必要とされている知識や、新しい研究課題を知った上で、判断をするつもりです。先々は起業する、もしくは研究職に就く選択肢もなくはないと考えています。 西村:将来、研究したいと思っているテーマはありますか? 片山:抽象的ですが、人の行動をデザインすることに興味があります。組織の中で、同じゴールに向かい、ゴールに対する動きや流れ、気持ちをデザインしたいのです。 西村:行動をデザインしたいと考えたきっかけはなんだったのでしょうか? 片山:北海道に生まれたので、教育機会の少なさを感じていたことが大きいと思います。日本の教育のあり方に疑問を抱いていたときに、ちょうど民間企業出身の校長先生が誕生し、ビジネスの分野で培ってきた経営手腕で教育改革を行うシーンに巡り会いました。 そういった方に「地方の学校にも来てほしい」というニーズはあるが、現実的には難しい。そこで、彼らのマネジメントノウハウを体系化し、教員たちにトレーニングするメソッドを構想したいと考えていました。 西村:なるほど。その構想を叶えるために、どのようなアプローチがあると考えていますか? 片山:行動経済学や経営マネジメント、心理学、環境デザインなど、アプローチの手段は多々あります。これからミネルバ大学で巡るさまざまな都市で、都度生まれるであろう新しい課題に向かいながら、具体策を考えていきたいと思っています。 西村:最後になりますが、U-29読者に向け、片山さんから伝えたいことはありますか? 片山:もしお子さんを持つ親御さんが読んでくださっているのなら、「子どもにはパソコンを買ってあげてください」と伝えたいです。都心部に住んでいると感じにくいかもしれませんが、地方出身者としては、情報量による想像力の格差は深刻だと思っています。 見ている世界の格差によって、ポテンシャルがあっても、その進路の選択肢が浮かばないというのはもったいない。だから、情報に自らアクセスできることで、視野を広げるためにも、インターネットやパソコンといった、世界につながる窓口をぜひ与えてあげてほしいと思っています。 U-29.comマガジン配信します U-29.comの新着記事の更新通知や、イベント・ミートアップの開催などの情報を受け取りたい方は以下のフォームからご登録ください。もちろん無料です。

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