レールのない令和時代に、僕らを導く「個人理念」の作り方

U-29ドットコムが運営するコミュニティ「ユニーク大学」メンバー限定の勉強会「ユニゼミ」にて、株式会社サインコサイン代表の加来幸樹さんに、「新時代を迷いなく生きるために必要なこと」をテーマに講義していただきました。タイトルは、「覚悟はシンクロしているか?」。 加来幸樹さんは、九州大学芸術工学部卒業後、2006年にインターネット広告事業を展開する株式会社セプテーニに入社。クリエイティブディレクターとして幅広い領域でご活躍された後に、2018年、株式会社サインコサインを設立され、代表取締役 CEO / Co-Creatorに就任されました。サインコサインは、『自分の言葉で語るとき、人はいい声で話す。』を理念に掲げ、ネーミングやステートメントなどの共創を通じて、人やブランドの覚悟のシンクロを支援しています。 「令和になり、僕たちは新時代にいます。迷いなく生きて働くために、必要なことはこれなんじゃないか。」 加来さんはそう前置きしてから講義をスタート。多くの企業の理念作りに尽力してきた加来さんだからこその、理念を軸としたこれからの働き方や企業とのマッチングに関する視点には、わたしたちがより心地よく働くためのヒントがつまっていました。 令和は、正解のレールがない時代 僕は、今の時代の課題を以下の3つのキーワードで表現しています。 コモディティ ダイバーシティ ボラティリティ コモディティは「技術革新に伴い、あらゆる差別化が困難に 」ということです。広告の仕事をしていたときにも、差がなくなってモノを売るのが困難になっていると感じていました。これは商品だけでなく、会社と会社、ヒトとヒト、様々な場面で言えることです。 ふたつめのダイバーシティは、文化や価値観の多様化 です。価値観、人種、性別、いろんな主義などに関して、「これはみんながある程度もっている価値観だよね」、「これが正しいから従っておこう」というような考え方が薄れてきました。それは同時に、「こういう人に向けてコミュニケーションすれば大丈夫」というやり方も通用しなくなってきているということです。 さらに、ボラティリティは、予測不可能な出来事が次々起こるということで、2020年も早速実感しています。「100年に1回あるかないか」という出来事が、自然災害、政治、金融…いろんな面で頻繁に起こっていますよね。かつ、これが起こることで、これまでのルールがガラッと変わってしまうことになります。 今までは、キャリアや人生やライフプランニングにおいて、正解と思われるレールがざっくりとではありますが見えていました。それが見えなくなり、いい意味でも悪い意味でも、それに従わないといけないというルールもなくなった、と感じています。 会社と社員の関係性の変化 このレールのない時代において、大きな変化がふたつあります。 ひとつめが、会社から社員、このベクトルの変化です。 会社が社員に期待する働き方のハードルが高くなっていると感じています。 昨今、多くの企業が「終身雇用ができない」という話をしています。技術革新によって、人に代わる労働力の確保が可能になり、いままでほどの社員数が必要ではなくなるという事態になっています。だからこそ、給料も年功序列で、昇給していくということが難しい。その代わり、新卒の給料を高くして、若い人を奪い合ったり、AIやディープラーニングなどの稼げるスキルを持った人にはいくらでも払ったり…新時代においても稼げる、そんなスキルにはどんどんお金を回そうという傾向が高まっています。 これは、働き方のハードルが高く、複雑になっていることのあらわれです。今までのように、入社できればずっと雇ってもらえる・どんどん給料は上がっていく、というシンプルな形ではなくなっています。 一方で、社員から会社、このベクトルにも変化があります。 社員側が会社に求めるものも、終身雇用や安定した給料だけに限らなくなり、形態や報酬の金額も多種多様になっています。副業や兼業が一般的になりつつあることが背景にあります。これまでは、会社からの給料と個人の収入がイコールだったと思うのですが、そうじゃなくなってきている。会社に依存しなくてもよくなってきました。 優秀な学生が転職を前提として、稼げる能力で会社選びをする。ワークライフバランスを思い通りにしたい。出世よりもプライベートを充実させたい。いろんな価値観があって、それぞれが会社に求めることが違う。よって、会社が社員に期待する部分がより行動に・複雑に、社員が会社に求める部分が多種多様に、という変化が起きています。 これまでの、お金と労働力による「価値と資源の交換関係」に会社と社員があったときは、お金を渡す方がイニシアチブを握りやすく、どうしても上下関係が生まれがちでした。 それが、ようやく会社と社員が対等な関係に位置づけるようになってきています。それぞれが求める価値、それぞれが求める資源を交換する、真のパートナー関係といえます。 ここで交換されるのは、お金・労働力だけではなく、会社からは機会や場所、社員からはスキルやアイディア、というように多様化していくでしょう。なので、今まで以上に、どの会社でもいい・誰でもいい、というわけにはいかなくなります。では、どのように選べばいいのか? パートナーシップの鍵は「理念」 どういう基準で選べばいいのか、つまり、よいパートナー関係を築くためにまずは必要なことのお話をしていきたいと思います。 ジム・ステンゲルとトム・ポストの共著書『会社は何度でも蘇る ビジネス・エコシステムを循環させた大企業たち』という本があります。この本の中で、P&Gの元グローバル・マーケティング責任者であるジムは、このように書いています。 成功しているパートナーシップの 88%は、パーパス(理念)の明確な一致がある場合である。 僕自身、この言葉を実感しています。これからの時代は、会社と会社・会社と個人・個人と個人…あらゆるパートナーシップにおいて、対等 にそれぞれが求める 「価値」 や 「リソース」 を交換するには、それぞれの 「理念(なぜ?)」 に明確な一致があることが必要になります。これができているパートナーシップの上で、会社も個人も成長し続けることが可能です。 企業やブランドの理念と、そこに属する個人それぞれの理念の 親和性が明らかとなり、認識・動機化・実行されている状態が理想的であると考えます。 個人理念が活動・選択の軸になる 企業理念とは、その企業の全ての活動や選択の動機・基準と僕は表現しています。企業理念はよく耳にするワードだと思いますが、個人理念はあまり聞きませんよね。でも、良いパートナーシップを築くためには個人理念も重要です。個人理念は、企業理念と同じく、個人の全ての活動や選択の動機・基準です。 個人も、自分という器を経営する経営者に変わりありません。今後は、副業という言葉すらなくなって、自分を主語にして様々な仕事や活動をすることが当たり前になっていくと思います。そのときの軸になるのが、個人理念です。 僕の場合は、以下のように掲げています。 ・個人ビジョン 一人からも全員からも、 注目される存在であり続ける。 ・個人ミッション それって本当?を問い続け、 みんなの人生をもっと面白くする。 僕の中では、ビジョンは「ありたい姿」、ミッションは「使命」や「存在意義」と定義づけしています。ミッションは自分の命をなんのために使うか、社会のためにどう価値を発揮するか、というところを反映しています。つまり、いつかは成し遂げたいことですね。ビジョンは、そのミッションの先にどうありたいのか、あるいはそのミッションを成す過程でどのような姿でありたいのかを表わします。 そして、この個人理念が、サインコサインの企業理念と親和性が高いからこそ、お互いにハッピーな状態でいることができています。みなさんにも、「個人理念はなんだろう?」、「いまいる会社(コミュニティ)との親和性はあるかな?」と確認し続けてほしいです。いろいろな選択肢がある中で、「あえて」そこを選ぶ理由になるのが、この親和性になると思います。 また、個人の成長のためにも、この個人理念が重要であると感じます。理念を掲げると、ありたい理想の自分と現実のギャップに悩むこともあるでしょう。理想に近づくためには、仕事の価値を高めるサイクルを回していくしかありません。 まずは仕事を選び、その質を高めて、そうすると仕事の価値が高まり、仕事が集まるようになり、また選んで…。そうすると段々と、理想に近づいていけると思います。選ぶときに取捨選択をする、そこで必要になるのが個人理念なので。個人理念をもつことは、なりたい自分に自力で近づく唯一にして最大の手段と言えます。 個人理念の作り方 僕が個人理念の作りを手伝うときに、どのような流れでしているかも紹介しておきたいと思います。 ちなみに、この個人理念は、変わることを前提としていて構いません。出会いや経験やライフステージによって、価値観は変化するものですから。僕自身も、多くの人の理念作りに伴走する過程で、自分の中の変化を実感して変更することがあります。 規模感にかかわらず、企業理念においても、5段階を経て作られていきます。僕はこれを、覚悟がデザインされていくプロセスととらえています。 理念の作り方 ステップ①自分の言葉で 「自由」 に自分を語る 具体的な質問に答えてもらったり、ヒアリングシートを基にしたり、ということはなく、とてもオープンに語ってもらいます。語りのはじまりになる質問だけ用意しておきますが、ポイントは、なるべく答えがない質問であることです。 「あなたは何者ですか?」、「長所と短所はどこですか?」、「大切にしていることって何なんでしょう?」…このような質問を相手にし、なるべくめちゃくちゃ共感していくことで、よりいろんなことを引き出していきます。 理念の作り方 ステップ②いい声で話せる自分の 「本質(コア)」 を探る ステップ①で返ってきた答えを、具体化していくのがこの段階です。「どうしてこれ選んだんですか?」、「この行動にタイトルつけるとしたら何でしょう」というような質問を重ねていきます。さきに抽象的な質問をし、つぎにより具体的な質問で本質を探るという流れですね。ここでは質問攻めにしていきます。「さきほど面白いという言葉を使いましたが、面白いってどういう意味ですか?」というくらい、深く聞いていきます。 その人の大事なことや、本質の話をする瞬間って、本当にいい声で話すところがあるんです。それが聞こえてきたら、再び深い共感を示して、そこに関してもっとしゃべってもらう。これを繰り返していきます。 理念の作り方 ステップ③考えすぎずに 「試作品」 をつくる その人の言葉から「いい声」が聞こえてきたら、あまり考えすぎずに試作品を作ります。そこに対して、どのような感想が返ってくるか、を大事にするからです。 自分で作る場合は、試作品を前にして、自分がどう感じるかを大事にしてください。そこに向き合って、工夫を加えて作り直して、また向き合って…このサイクルを納得いくまで繰り返していく。何度も何度も繰り返す中で、覚悟が醸成され、迷いがなくなっていくと感じます。 理念の作り方 ステップ④イメージの湧く 「具体例」 を想像する ある程度、正解が見えてきたら、その言葉の先にある未来を想像します。 会社の理念と並べて親和性を確かめてみる、Twitterのプロフィールに活用するならこんな肩書に言い換えられそう、こういう活動に展開しそうだな…そんな未来をイメージし、その言葉を掲げる覚悟をかためていきます。 理念の作り方 ステップ⑤自分が...

誰もが本来持つユニークネスを取り戻すために。「ユニーク大学」という次世代ビジネスリーダーの実験場

2019年10月より、Webメディア「U-29ドットコム」と連動したコミュニティ「U-29ドットコムリーダーズ」を開始後、2020年1月より「10〜20代が本来持っているユニークな才能(ユニークネス)を発掘し、磨き上げ、価値を創発する共創型の学びの場として「ユニーク大学」にコミュニティ名を改め本格始動。 U-29(ユニーク)な高校生、大学生から、会社員・起業家・フリーランス・アーティスト・政治家に至るまで、業界・職種を超えた多様な10~20代に瞬く間に広がり、2020年1月現在、約500名の大きなコミュニティとなりました。 500名の加入した動機や経路は様々で、内部でも幅広い活動が行われているのですが、「そもそもU-29って何?」「何を目的としているの?」ということを知る人は多くありません。 そこで、コミュニティメンバーが有志で集まり、ユニーク大学の発人であり運営者である西村創一朗さんにお話を伺いました。 「西村さんはどんな20代を過ごしたのか?」「なぜこのタイミングでU-29世代なのか?」など、気になることをたくさん話していただきました。 じぶんのユニークネスを発見・発揮できる場としての「ユニーク大学」 ー最初に、U-29の活動の柱について教えてください。 大きく2つあり、1つはユニークな価値観を持つ”個人”にスポットライトを当て、その姿を発信すること。もう1つはユニークな価値観を持つ”複数人”が集まり交流し、学び合う場づくりです。 ー一つずつ詳しく教えていただけますか。 前者は、10~20代のユニークな方々のキャリアストーリーを聞き、インタビュー記事という形で発信しています。平日のほぼ毎朝『U-29 Carrer Lounge』(通称「ユニキャリ」)という名前で公開インタビューを行っており、公開インタビュー形式にしているのでコミュニティメンバーは現地やオンラインで参加することができます。また、月に1回のペースで開催する『U-29 Career FES』では、100人規模で公開インタビューをしています。 https://u-29.com/2019/12/16/suga/   https://u-29.com/2019/12/19/sawamadoka/ ー公開インタビューにこだわる理由が気になりました。 もちろん、記事という形で皆さんに届けたいのですが、編集の功罪がどうしても生まれてしまうんですね。記事は話した内容を”編集”したものが掲載されているので、場の空気を全て伝えることは難しい。だから、記事には載せきれないライブ感を届けるべく、現地参加を可能にしたり、遠方の人や通勤時間と被る人のためにコミュニティ内限定でオンライン配信もしています。 ー公開形式にしたことでどんな効果がありましたか? 面白いのが、『U-29 Carrer Lounge』のゲストや参加者の間で、インタビュー後にほぼ100%ネクストアクションが生まれています。そこで意気投合して、飲みに行ったりもしてるみたいですよ。 ーつながりができるのがすごいですね!もう一つの柱の「場づくり」は、具体的にどんなことをしているのでしょうか? この場づくりは、「相互に刺激し合う」ことを目的としていくつか活動を進めています。たとえば、同じ年次に大学を卒業したメンバーで集まるいわゆる”同期会”、メンバー主体で立ち上がるnote部やランニング部などの”部活動”で、異なる業界や価値観を持つ人同士で意見交換をしたり、ときには雑談をしたり。社会人になると「横のつながり」がどうしても薄くなってしまうので、それを生み出すことは強く意識しています。 ー確かに、メンバー主体で立ち上がる部活動が増えてきていますよね。では、「U-29」の名前の由来を教えてください。 2つの意味をかけていまして、1つは、「Under 29」 という次世代リーダーを対象にしているということ。決してビジネスパーソン以外を受け付けないというわけではなく、アーティストやアスリート、政治家など様々なジャンルから集まる場にしたいと考えています。僕自身が30代に突入しており、次世代を担うU-29世代のために何かを提供したいという想いから始まりました。もう1つは、誰もが本来持つ「ユニークネス」を取り戻したいということ。いつの時代も、世の中を牽引するリーダーはユニークな価値観を持つ人が多いにもかかわらず、U-29世代は上の世代や社会に抑圧されてやすい年代だと思っているので、そのユニークさを存分に発揮できる場にしたいですね。 自分を保つことができた「サード・コミュニティ」の存在 ーでは、U-29が誕生するまでのことについていくつかお聞きします。20代の頃の西村さんは、どんなことに悩んでいたのでしょうか? 色んなことに悩みましたよ。主に新卒で入社したリクルートキャリア時代なのですが、たとえば思うように仕事で成果を出せない時、転職を考えた時、営業から新規事業開発に移りたいと思った時など、挙げ始めるとキリがありません。 ー社内の人に相談できる悩みと、そうでない悩みが混在していますね。 そうですね。特に、転職のことは社内の人には当然相談できません。 ーでは、その悩みをどのように解決していったのでしょうか? 一言で言うなら、社外に目を向けました。職場でもなく、自宅でもない、いわゆる「サードコミュニティ」や「サードプレイス」と呼ばれるものですね。そういう場を持つことで、気軽に相談できる人が増えますし、何よりメンタルバランスが保たれ、視野が広がっていたように思います。 ーキーワードが出てきましたね。具体的に、どのように作っていったのかを教えてください。 その時おこなっていた複業を活用しました。ブログ運営をしていたのですが、話を聞きたいと思った方に「記事にするのでインタビューさせてください」と連絡し、インタビューという名目で知識や考え方を吸収していきました。また、自分の悩みなんかもぶつけてみて、解決策を教えてもらったり。社外でそういう機会を作っていたからこそ、仕事でぶつかった課題に対してすぐにアクションを取れていたように思います。 ー今のU-29の活動にもつながるエピソードですね。一方で、同世代とのつながりもあったのでしょうか? 僕は1988年生まれなのですが、「88世代」と冠した同世代のコミュニティも作っていました。そこがとても居心地が良く、会社の中では話せない本音も遠慮なく話せる関係性です。職場や家庭の外に価値観を共有できる場があって、日々のモヤモヤや悩みを共有できる仲間がいることが、20代の頃の僕には大きい意味を持っていたんです。仕事には辛いことも多いですが、逃げずに前に進むことが大切なのはもちろんのこと、そういうサードコミュニティに逃げ込むことも時には必要だと学びました。 ーそれがU-29の原点にもなっているのですね。 間違いなくこれが原体験になっています。しかし、僕はそういう活動をしていたからサードコミュニティを自ら作れましたが、ゼロからするのはなかなかハードルが高いことも理解しています。だからこそ、「サードコミュニティによって救われた僕が、次世代のために場をつくっていくべきだ」と考え、いつかやりたいと思うようになりました。 ペイ・フォワード精神が生んだ、3度目の正直の「ユニーク大学の誕生」 ー”いつか”が少し気になったのですが、2019年10月の本格始動までの経緯を知りたいです。 実は、2回頓挫しています。1回目は2016年、僕が28歳の時です。実は、その頃にはu-29.comのドメインは取得していました。20代が終わりに差し掛かっていたこともあり、大きいことをしたくて数人でイベント企画をしていたのですが、とあるビッグゲストを呼んでいたんですね。ですが、当初予定していたイベント開催日とそのビッグゲストの結婚式が丸被りしてしまい、イベントの消滅とともにU-29の立ち上げもお流れになりました(笑) ーそんな裏話があったとは(笑) その後、2018年の10月からゆるくウェブメディアを立ち上げ、気が向いたときにインタビューするという感じでしたが、中途半端になってしまっていたのは事実。これが2回目です。 ーでも、2回頓挫しても3回目を試みたのは何故ですか? いつかやりたいとずっと思っていたので、「ちゃんと思想を持ってやろう」と気を引き締めたのと、何より僕らが先輩方にしてもらったことを次の世代に渡す”ペイ・フォワード”を実現したいと思ったからです。 U-29世代のケーススタディとなる「人生コレクション」 ーU-29世代を卒業した西村さんから見て、今のU-29世代はどのように映っていますか? いつの時代も同じなのかもしれませんが、本来だれもが持つユニークさを押し殺し、周りや世間の目を気にしてしまっている人が多い気がしています。特に、学校では個性を発揮できる学生も、就活になった途端に「社会に適合できるように」と違う自分を演じてしまう。その一方で、あるがままに生きている人もいて、その人は他人軸ではなく自分軸で生きていると思っています。他人軸ではなく自分軸で意思決定していく人が増えてほしいし、U-29はそれを推し進めるエンパワーメントなメディアにしていきたいと思っています。 ーなぜユニークさを発揮できないようになると考えていますか? ユニークさと表裏一体ではありますが、100人100通りの悩みがあり、他人軸と自分軸の狭間で葛藤しているんじゃないでしょうか。「本当は自分の判断に従って生きたいけど、親や友達が反対しているから一歩が踏み出せない」「そもそも、自分の軸が何なのかわからない」といった悩みがあるように感じています。 ーその悩みを、U-29でどのように解決していきたいですか? まだまだ模索段階ですが、「コミュニティ」という形を取っていることがその解かもしれません。「10~20代が本来のユニークネスを取り戻していけば、日本という国がもっと元気になっていくんじゃないか」と考えていて、それを阻害しているものを探りたいですし、コミュニティ内での情報共有がその第一歩だと思っています。 ー「日本という国が元気になる」というのがワクワクしますね。インタビューはどのような位置づけなのでしょうか? 個人の働き方に着目して伝えることは、大きなヒントの一つになると思うから、色んな人のストーリーを発信して、U-29世代のケーススタディの手段となるようなインタビュー&記事にしていきたいです。100人100通りの、いわゆる「人生コレクション」ですね。会社員になる人もいれば、起業する人もいるし、大手に行ったけどベンチャーに行ったり、副業をしたり。色んな人生があっていいと思っていますし、その全てをヒントとして提供したいですね。 ユニークネスな環境が次世代リーダーを生む、そんな実験場に ー2019年10~12月を経て、2020年1月より「ユニーク大学」と名称変更されました。その背景を教えていただけますか? 僕の中では、前年の3か月間は試運転期間と位置づけていました。多くの記事を公開できましたし、何より本当に多くのU-29世代に出会うことができ、大変充実した3か月間でした。試運転を経て、皆さんに何を提供したいか?を改めて考えてみると、「10〜20代が本来持っているユニークな才能(ユニークネス)を発掘し、磨き上げ、価値を創発する共創型の学びの場」だったんですね。それを踏まえて、本コミュニティが「どんな場であるか?」をワンワードで表すと、「学び場」となりました。というわけで、2020年1月をもって、名称もシンプルに「ユニーク大学」に変更することにしました。 ー一層磨きがかかったネーミングであると感じました。メンバーにはどんなことを大切にしてほしいですか? ユニーク大学のコアコンセプトを以下の3つに定めました。 Action Driven:考動ドリブン、アウトプットファースト。 Be Unique:自らのユニークネスを発掘・発揮し続ける。 Change yourself:自分自身を絶えず変化させ続ける。 何より大切にしてほしいのが「Be Unique」。誰しもが「ユニーク」な存在であることが大前提で、そのユニークネスを発揮して社会に新たな価値を生み出し、次世代を引っ張ってもらいたいからです。 そのために重要なのが「Action Driven」。絶えずインプットし、思考を回し、そしてアウトプットし続ける。アウトプットの引き金としてこのコミュニティを活用してほしいですね。 最後に「Change yourself」について。ユニークネスを発揮し、自分のモノサシで生きていくために、過去のモノサシを健全に捨てていく。そうやって、変わっていく自分を肯定し続けてほしいなと思います。 ーABCで綺麗にまとまっていますね!そのために、具体的にどのようなことを展開していきますか? 「ユニキャリ」などの既存のコンテンツについては、以下3つのテーマに絞っていきます。 ①戦略的転職 →「逃げの転職」ではなく、ユニークなキャリア戦略に基づいた「戦略的な転職」にフォーカスします。 ②持続可能な学習 →モチベーションに依存した"持続しない学習"ではなく、人生の礎になるような"持続可能な学習"を通じたユニークなキャリアづくりを特集します。 ③自己成長型の複業 →単なる小銭稼ぎを目的とした「副業」ではなく、自己成長を目的とした、転職でも独立でもない「第三の選択肢」としての「複業」に焦点を当てます。 また、新しい取り組みとして、特定のテーマに絞った「ゼミ」を開講します。 現時点で開講を決定しているのは、 プレゼンテーションゼミ(2月開講予定) 戦略的転職ゼミ(3月開講予定) 複業型起業ゼミ(4月開講予定) の3つです。「学びの場」の一つとして、U-29世代のためになるようなゼミを展開していきます。 ーリアルな「学びの場」。楽しみですね。そのために、U-29のメンバーに期待していることはありますか? 特別何かをリクエストするつもりはなく、自由かつ主体的に活動できる場にしたいと思っています。いわば「遊び場」であり「実験場」です。ユニークさを持つU-29世代が集まると何が起こるのかを知りたいですし、僕の役割は、この場で起こる活動を支援すること。既に生まれているメンバーの繋がりや部活動がその良い例です。だからこそ、「アウトプットファースト」の姿勢ではいてほしいですね。ABCのコアコンセプトを実現するには欠かせませんから。 ーありがとうございます。最後に、U-29が目指す姿と、社会に発信したいことを教えてください。 まず、コミュニティ内での次世代を担うリーダーの発掘。育成ではなく発掘です。ユニークな価値観や活動を世に知られていない人がたくさんいると思いますが、そんな人たちがこのコミュニティから世の中に出ていく、ある意味登竜門のような存在になればいいなと思っています。それに触発されて、新たなタレントが生まれるといった循環も生まれてほしいですね。 ー誰もがその可能性があるということですね。それを実現するために、ユニーク大学はどういう姿でありたいですか? そもそも僕は、ユニークネスは誰もが持っていて、それが発揮できているかできていないかの違いだと思っています。「ユニーク大学にいるから自分のユニークネスに発揮できている」と思ってもらえるようにしていきたいですね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる (取材・文/山本恵理子、取材・編集/角田尭史、写真/渡辺健太郎、デザイン/矢野拓実)

時間を豊かにするサービス「Timee」は社長・小川嶺の困りごとから生まれた

「この時間なら働ける」人と「この時間だけ働いてほしい」企業をつなぐスキマバイトアプリ「Timee(タイミー)」を運営している株式会社タイミー(以下、タイミー)は、2017年8月の設立以降、多額の資金調達に成功。 そんな破竹の勢いで成長し続けているタイミーですが、社長の小川 嶺(おがわ・りょう)さんは、1997年生まれの若手起業家で、高校生の頃からすでにビジネスを生み出してきたと言います。 そんな小川さんの起業のきっかけから「Timee」が生まれた経緯、そしてアイデアを生み出す方法や成長するための思考法まで、U-29世代の背中を押してくれる話をたっぷりと伺いました。 「人生の時間は有限」だと気付き、走り始めた高校時代 ー 小川さんが起業したいと思ったきっかけは何だったんでしょうか? 高校で生徒会長をやったことです。リーダーとしてマネジメントしていくということ、学校から予算をもらって文化祭の集客を増やしたこと、そして組織を作って何かをやるということに興味を持ったのが大きかったですね。 ー 小さい頃から起業を目指していたわけではない、と。 はい。高校で生徒会長を経験したりビジネスコンテストに出たりして、ビジネスに興味を持ち始めたという感じです。また、曽祖父が起業家だったんですが、祖父の代でビジネスが上手くいかずにそのまま祖父が亡くなったのが高校生のとき。だから祖父のやり遂げたかったことを自分がやりたいとも思いました。 初めての身近な人の死だったので、「いつ自分も死ぬかわからない」「人生の時間は有限だな」と感じ、早く行動しなくちゃなと思うようになったんです。 ー 大学に入ってまずはじめにチャレンジされたのはどんなことだったんですか? 僕が入学した立教大学には起業を志す人が少なかったので、仲間を増やしたいと思って起業家を育成する学生団体を作りました。実践的なビジネスを学ぶ場で、OB訪問に行ったりベンチャー企業の社長さんに会いに行って話を聞いたり、自分たちで事業を作ってみたりしていましたね。 ー 自分たちで商いを作る経験をされたわけですね。他にはどんなチャレンジを? KBC(Keio Business Community=慶應義塾大学のビジネス学生団体)に参加し、そこのビジネスコンテストに出場して優勝しました。それがひとつのターニングポイントになっています。 ー そのビジネスコンテストで出したのは、どういうサービスだったんでしょうか? 「FASTU」という、ファッション系のマッチングサービスです。自分の写真を撮ったら、それに合った服をバーチャルで接客してくれるという、簡単にオシャレになれるというもの。 ただ、そのサービスはプロジェクト止まりでした。オシャレな女性向けのサービスにしたほうがいいというアドバイスをいただいて「Recolle(レコレ)」というサービスにピボットしたものの、「これ本当に自分がやりたいことなんだっけ?」と思うようになってやめることに。 ー やめる決断をするのは簡単ではなかったと思うのですが。 自分が悩むような事業をやっちゃいけないと思っているので、「時間の無駄だ」という結論で撤退を決めました。自分の腑に落ちる事業を見つけて全力で走ったほうが近道ですし、他のメンバーもついてくる時間がもったいないと思うので。 ー 起業家がそのサービスに情熱を持てなかったら、どこかで限界がきてしまいますよね。   自分が心底困っていたから「Timee」が生まれた ー その後はすぐに「Timee」のアイデアを思いついたわけではなく、模索していたそうですね。 そうです。学校に通い直して授業を受け、バイトをする生活を送っていました。「Timee」を思いつくまでは長かったですよ。アイデアを考え、実証実験をして…というのを繰り返していたので。その期間中はずっとプログラミングを勉強していて、自分でもアプリを作れるようにしていました。 ー 「Timee」は何回目の試作でできたんでしょうか? ちゃんと作ったものの中では6回目です。作ったときは「当たった」という感覚はなくて、とにかく自分が欲しいと思えるサービスだったんです。いろんな人にアドバイスをもらった中で「人間の欲求の課題度がより深いサービスを作るべきだ」と言われたのが印象に残っていて。どこまでそのサービスが「なくちゃいけない」世の中を作れるかというのが一番大事だな、と。それがすごく腑に落ちて、そこからアイデアの質もけっこう変わりました。 RecolleやFASTUは「あったらいいな」というサービスで、課題度は低かった。「Timee」の場合、僕がお金がなくて「稼がないと死んでしまう」という中で日雇いバイトをやっていたので、課題は大きいなと思ったんです。 ー アイデアが思い浮かんだ瞬間、というのはあったんでしょうか? 毎日アイデアが思い浮かんでいるので、日常化されているんですよね。たまたま日雇いバイトをしていて、毎回面接会場に行くのが面倒だったしお金をもらえるのも後だったので、「もっと簡単に働けて、すぐにお金がもらえたらいいのにな」と思っていました。ここが変われば、世の中というより自分自身が楽になるな、と。だったら自分のためにサービスを作ろうと思ったんです。 ー アプリをリリースしてからは、どんな風に事業を展開していったんですか? リリースしてからは順調で、3ヶ月ごとに売り上げが2倍になっていきました。その分、やることもメンバーも倍になって…というのを繰り返していった感じです。 ー トラクションもない状態で結構な額を出資してもらえた小川さんですが、投資家から信頼を得るためにやっていたことってありますか? 素直であることですかね。「世の中を変えたい」とか「世の中のためになる事業をこれからやり続けます」と素直に言えるかどうかが大事。投資家も人間なので、お金儲けだけでなく、世の中にどれだけインパクトを残せるかということを見られるんです。 あとは、ロジックでしっかり深く考えていること伝える。そして、どこまで夢をリアルに見ているか、自分が踏むべきステップとゴールをしっかり考えられているかという点が大事かなと思います。   採用のポイントは「バリューフィットしているかどうか」 ー 上場も考えられているそうですが、上場に向けて一番知恵を絞っていることは何でしょう? とにかく採用ですね。最近は1日2人以上、最終面接を行なっています。うちは組織を大事にしているので、どんなスキルがあってもバリューフィットしない人は採用しないようにしているんです。健全な組織を保ちながら、人を増やして攻めていきたいなと思っています。 ー バリューフィットが大事だというのは小川さんらしいなと感じるのですが、具体的にどのようなバリューを持っている人を採用するんですか? 「スーパーフラット」「ハイスタンダード」「やっていき」という3つのバリューを大切にしていて、それを体現できている人を採用しています。 「スーパーフラット」というのは、年齢問わずピュアな若い心を持っていて、他の世代の社員とも同じ目線で物事を言える人のこと。「ハイスタンダード」は、ロジックでしっかり話せるかどうかということで、ちゃんと会話のキャッチボールができる人のことですね。かつ向上意欲がある人。新卒でスキルがなくても、向上心を持って「自分はこういう風に成長していきたいんだ」と言える人はポテンシャル採用する場合もあります。「やっていき」というのは、行動力を持っていてしっかりPDCA回せるかどうかということです。 この3つの条件のうち、ひとつでもなければ採用していません。あとは、自分が一緒に働きたいかと直感的に思うかどうかもありますけどね。 ー これらの3つのバリューは、どのように見極めるんですか? 話していたらすぐわかります。質問して深堀りしていく中でロジックが崩壊する人もいますし、マネジメントの方法を質問すればその人がどのようなスタンスなのかわかります。今の就活状況から行動力を図ることもできます。その上でタイミーでなくちゃいけない理由は何なのかを聞くとけっこうわかってくるかな、と。 ー タイミー出身の起業家が生まれたと聞いたんですが、メンバーのチャレンジを応援する企業風土なんでしょうか? その通りです。うちでは「自分のステップアップのための踏み台にしてくれ」と言っていて、ずっといて欲しいとは全く思っていません。タイミーでどういう能力をつけたくてどうなりたいのかを各自に設計してもらい、その中で「複業したい」というのであれば応援しています。ゆくゆくは出資なんかもしたいですね。 僕自身が若手ベンチャーとしてやっているので、若い人に夢を与えるのも自分の役目だと思っています。夢のある人がタイミーに憧れて入ってネクストタイミーを作る、みたいなことができればスタートアップ業界も盛り上がっていくと思いますし、それが自分にできるバリューなのかなと。成長したい人はぜひ来ていただきたいですね。   小川流・成長するための思考法&アイデア発想法 ー 小川さんのお話を聞いていると「自分ができないこと・知らないことを誰より勉強して吸収してアウトプットする」というサイクルがすごいなと感じるんですが、意識していることはあるんでしょうか? 思考力や市場を見極める力、どうしたらビジネスは上手くいくのかといったところを先輩起業家たちに会って聞き、自分なりのフォーマットに落とし込んでいます。僕はただ「タイミーにはどこが足りてなくてどうすれば成功するのか」を常に考え続けているだけですね。 ー 先輩起業家に会って話を聞いて学ぶ、というスタイルが多い? はい、むしろそれしかしていません。一歩先にいる超えたい先輩に聞けば、ちょっと前に経験したことなので、リアルなアドバイスがもらえるんです。すごく参考になりますね。そのアドバイスを一旦実践して自分の会社に合うか試したり、自分なりにカスタマイズしたりしています。 ー すごいスピード感で会社が成長していて順風満帆に見えるんですが、これまでで大変だったことはありますか? たくさんあります。自分が雇った人を辞めさせなくちゃいけないことや、子供がいる人を雇うことへの責任感など、考えるものがありました。あとは、残キャッシュがなくなって資金調達できなかったら潰れていたかもしれないという状況に陥ったこともありました。 他にも色々と大変なことはありましたが、どちらかといえばポジティブなことのほうが多いので、あまり辛いという印象が残っていないですね。 ー 客観的に見れば失敗でも「糧になる」というマインドを持っているのが小川さんかな、と感じます。課題にぶつかったとき、乗り越えるためもしくは解決するための思考法はあるんでしょうか? 課題に対してやるべきことが見えているんだったら、やるしかないんですよね。とりあえず動く。やらざるを得ないことなら、腹くくってやるしかない。資金調達もそう。結局は行動力なので、やってPDCA回すのが一番早いと思っています。 ー 小川さんはアイデアを生み出すことも習慣化されていますよね。小川さん流の発想法があれば教えてください。 自分が不満に思ったら、それがアイデアなんじゃないでしょうか。生きていて不満に思わないことってないので、些細なことでも一回アイデアとして考えてみる。そのトレーニングを繰り返すことで、本当にクリティカルな課題が見つかったときにアイデアを思いつきやすくなります。 ー 不満に対して敏感になることがスタートなんですね。 そうですね。不満をただ「不満だな」と思うだけでなく、しっかりそれに反応できるようにするのが大事です。「Timee」も同じで、みんな心の中では不満に思っていたのに行動に移さなかったというだけ。不満を課題だと捉えて取り組めるかというのがポイントだと思います。 ー 不満に気づく、不満の解決策を思いつく、それを形にする……というステップがあるわけですね。   夢を追う人が幸せに生きられる世の中を目指す ー タイミーの今後の事業について、どんな風に考えていますか? まずは国内のクライアントにいいサービスを提供できるプロダクト作りと、ユーザー・クライアント獲得をやっていきたいなと思っています。数字はあえて決めないようにしていて、それよりは、どこまで世の中にインパクトを出せるかを考えたい。もちろん事業計画では数字を決めていますけど、それを気にせず突っ走っていきたいですね。 あと、グローバルで戦える会社になりたいと思っているので、しっかりデータを蓄積して、グローバル展開を見据えた動きができればなと思っています。 ー タイミーには「一人一人の時間を豊かにする」というビジョンがありますが、今後は仕事以外でも時間を豊かにするようなマッチングを提供することもあるんでしょうか? 「Timee」を開けばその人の時間が豊かになる、というものを作りたいので、やったことのない趣味を広げる機会のマッチングでもいいですね。自分が見えていない選択肢ってたくさんあると思っていて、本当は暇な時間でできることってたくさんあるんですよね。 今後は、買い物代行や家事代行のようなCtoCサービスを広げていけたらな、とも考えています。 ー 他に考えている新規事業はありますか? クラウドファンディングのようなものもやろうかなと思っています。「Timee」を、夢を応援できるプラットフォームに転換していきたいなと。せっかく夢を持っていても、バイトが夢に直結していない人がいるのがもったいないなと思っていて。だから、「Timee」でバイトをすればその人に信用度やファンがついて…という仕組みまで持っていけたらすごく面白いなと思っています。 あくまで一人一人の時間を豊かにする上での最終的なゴールは、みんなが夢を追いかけて幸せそうに生きることだと思っているので、そういう部分の支援ができればいいですね。まだアイデア段階ですけど。 ー 2020年はどんな勝負を仕掛けたいですか? 圧倒的ナンバーワンになる、というだけですね。2020年はそれを成し遂げられる組織づくりと、学生起業家としてではなく一経営者として実績を出せるようなフェーズにしたいと思っています。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる (取材:西村創一朗、写真/デザイン:矢野拓実、文:ユキガオ)

「志をアップデートし続ける」グローバル企業の執行役員になった元インターン生の行動指針

今回の記事では、株式会社Loco Partnersの満足度の高いホテル・旅館の宿泊予約サービス「Relux」グローバル担当役員であり、中国支社長・門奈剣平さんのインタビューをお届けします。 日中ハーフである門奈さんは、15歳までを上海で過ごし、高校進学とともに日本に移り住みました。その後、慶應義塾大学 SFCに進学。1年時からLoco Partnersにインターンとして加入し、日本語・中国語・英語を活用しながら、Reluxのマーケティングや事業開発業務に従事。 2015年には、ReluxのGlobal事業責任者に就任しました。同年、大学を卒業し、Loco Partnersに就職。2017年より中国子会社の代表に就任。事業開始よりおよそ5年で、グローバル会員数50万人を超えるサービスにまで成長させ、海外売上の拡大に貢献しています。 門奈さんに、これまでのキャリアの選択と、スタートアップ企業で成果を出すために心がけている仕事の姿勢、そしてその軸にある行動指針についてうかがいました。 「主役は自分」大学1年から外の世界へ ー本日はよろしくお願いします。門奈さんは株式会社Loco Partnersにジョインしてすでに8年目だとお聞きしています。そもそも、大学1年からインターンというのは早いタイミングかと思いますが、なにかきっかけがあったのでしょうか。 慶應義塾大学のSFCの教授に刺激を受けたことが大きかったと思います。わたしは環境情報学部に進学し、当時の学部長が村井純先生でした。 ーインターネットの父と呼ばれている村井さんですね。 一番最初の授業。500人くらいのホールで、18歳そこらのわたしたちを前にして、村井先生が、会場を練り歩きながら話しました。「皆さんは未来からの留学生です。そんな未来からやって来た皆さんに聞きたいです。未来では、インターネットはどうなっているんですか?」そして、マイクを回して、ひとりひとりに答えさせるんです。「これからのインターネットを教えてください」と言われたわたしたちは、一気に今後のインターネット時代の主人公である、という意識を植え付けられました。主体性に火がつくような感覚でしたね。 もうひとり、印象に残っているのが、現在も特任教授を務めていらっしゃる事業家の夏野剛先生です。パッションを持ちながら、ロジカルに、インターネットの変遷について説いていただきました。「これは、インターネットに関わるしかないぞ」という気持ちが盛り上がり、大学の外へ飛び出ることになりました。 それまで、インターネットに対しての興味があったわけではありませんでした。 ーそこから、Loco Partnersのインターンへは、どのようにつながったのでしょうか。 ちらほらインターンをしている人の話を耳にしていました。2012年頃は、ベンチャーやスタートアップが増え、盛り上がりをみせていた時期で。 インターンをしている友人に話をよく聞いているなかで、ある先輩が、代表の篠塚孝哉を紹介してくれました。「わたしがやれることならなんでもします!」という意気込みで、インターンになりました。ほかの会社の面接なども受けることはなく、1年の冬に、Loco Partnersに。まだ篠塚がひとりでやっていた時期だったので、2人目のメンバーとしての加入でした。 ーそれからここまで一緒に事業に携わっているわけですから、素晴らしい巡り合わせがあったんですね。篠塚さんの印象はどうでしたか? 先見性のある方に出会えて、幸運だったと思っています。大学生に対しても親身に、対等に接してくれていました。わたしとしては、教授たちによって引き上げられたエネルギーを、とにかくどこかにぶつけたくて堪らなかった、というのを覚えています。 結果的に、インターンをした3年半、とても楽しく過ごせました。 ー2人目のメンバーだったということは、当然、インターン用のプログラムなども組まれていなかったことかと思います。 そうですね。とにかく、なんでもやっていました。当時はまだ日本に来て数年で、日本語が完璧ではなかったので、電話対応でうまく敬語が使えずに怒られるということも頻繁にありましたね。 そこからすこしずつできることが増えてきて、日本国内のBtoC向けのマーケティング業務が中心になっていきました。4年生の後半には、インターン生10名ぐらいのチームのマネージャーを任されるように。アフィリエイト、リスティング広告、事業提携、事業計画の作成、チーム設計…どんどん担当できる業務が広がっていきました。 「週3日はコミットする」大学とインターンの両立 ー時間としては、どのくらいインターンに割いていたんですか。 週3日は必ずインターン業務にあてられるようにしていました。現在、会社に入ってもらうインターン生にも、週3日、半年以上は在籍してもらうようにしています。大学4年間という貴重な時間のなかで、この決まりは、大きな意味があるとは思うのですが…過去にたくさんのインターン生と仕事をしてきたなかで、コミット量というのは、成長に大きく影響すると実感したからこそです。 一定の密度以上を、半年続けることで、必ずどこかのタイミングでブレイクスルーが可能になると思っています。逆に、これ以上少ない時間になると、「先週はなにをしていたかな」という振り返りで1日を消費してしまうことになりかねない。せっかくインターンをはじめたのに、雑務しかできずに終わってしまうという事態は避けるべきだと考えています。 信じた人の言うことは、とりあえずやってみる。 ーインターン、大学での勉強…それ以外に、門奈さんが学生時代に取り組んだことはありますか。 インターンを始めて半年くらいのタイミングで、お休みをいただき、大学を休学し、バックパックで旅にでました。東南アジア、インド、ヨーロッパを回りました。 ーもともと、バックパッカーになりたいという願望があったのですか。 いえ、実はそうではなくて…父親や代表の篠塚がバックパッカーの経験があり「視野が広がるから、やったほうがいいよ」と言われたことで挑戦しました。出発する前は、正直、半信半疑でしたね。 ー半信半疑でも、信頼できる人からの助言は実行する、という行動指針があるんですね。 その時、自分が一番信じている人から言われた「これは絶対にいいよ」っていうものに対しては、ちょっと首を突っ込んでみるようにしています。それが、自分には見えてない世界を広げてくれると信じていますね。 結果的に、バックパッカーになって、知らなかった世界を見て衝撃や刺激を受けたり、違う人、言葉、民族、宗教をただ感じたりするだけでも、自分自身のものの見方に変化がありました。人生において大事な時間だったと振り返って思います。 ーバックパッカーを経験し、価値観が変化して…帰国後は違う会社のインターンをしたり、就職では別の企業を選択したり、という変化も自然な気がしますが、そのままLoco Partnersで仕事を続けるわけですね。 そうですね。Loco Partnersが好きだったので、帰国してからまたインターンを再開しました。 もちろん、卒業が迫るにつれて、Loco Partners以外の道も考えていました。大企業にいくか、ベンチャー企業にいくか…。周りの友人には、銀行や、商社、メーカーに就職する人も多くて。ただ、そんななかで、Loco Partnersで引き続きやっていくと思ったのは、事業が今後伸びると感じていたからです。 当時はまだ、「爆買い」というワードも生まれておらず、外国人観光客が増え始める前でした。そのとき、篠塚が「これからは絶対に訪日旅行がくる。だから、一緒にやろう」と言っていて。訪日旅行という市場もまだ小さかったのですが…そのときも、やはり彼の言葉を信じて、首を突っ込んでみよう、と。 ー篠塚さんが言うなら、と決断に至ったのですね。 自分のなかにワクワクが生まれていたからというものありますね。それで、リクルートのサマーインターンに参加したことはあったのですが、結局、内定はほかではいただかずに、Loco Partnersに就職を決めました。 ー大企業を選択しないことでのリスクは、どのように考えていましたか。 大企業にいかないことで失うことって、考えてみると、ブランドをもった状態でキャリアをスタートできる、数年後の安定した収入、きちんとした研修…なんかが挙げられますよね。 それを選ばない、攻めの選択って、案外悪くないなって思ったんです。ブランドがない状態でスタートするということは、1年目から実力で戦える。金銭的には、20代という自分で自分のお金をつかえる時期は、急いで時間をお金に還元する必要はないよな、と考えて。それよりも経験という資産を積んだほうが、その先に大きなリターンが得られるだろうな、と。 そんなふうに、デメリットになりえる部分をひとつずつ自分のなかでクリアしていって、納得した状態でLoco Partnersを選びました。 時流を読むことがビジネスの鍵 ーインターンから正社員へと雇用形態が変り、仕事自体にも変化がありましたか。 国内の新規事業から、海外のお客様を集める訪日事業の立ち上げに切り替わった、というのが一番大きな変化でした。立ち上げ当初はまだインターンだったのですが、どこから集客すべきか、どこと取引すべきか…暗闇の中を進み、時々どの方向に向かっていくべきか見当がつかない、みたいな感覚で仕事をしていました。 心境としては、そんなに変化はありませんでした。より責任ある仕事をしていこう、と思う一方で、インターンのときと変わらずに、仕事をエンジョイしていこう、と。 ーエンジョイしようという心持ちでありながら、事業としては暗中模索していたのですね。 そうですね。1か月先の上海行のチケットをとって、そこに合わせてアポを取り付けたり、マーケットの勉強をしたり…正解が分からないながらも、とにかく動き回って。 結果的に、業務提携や、世界的企業とのシステム提携を取り付けることに成功し、現在は、BtoB、BtoC、BtoBtoCという三軸が成り立つようになりました。 ー現在の業績を見ると、順風満帆に見えるのですが、実際はどう感じていますか。苦しかった経験はありますか。 苦しかった経験は、いまではあまり覚えていないのが正直なところで(笑)ただ、正解が分からないなかで努力しつづけなければいけないという辛さは身に染みています。北京のホテルで、1人、資料を作りながら泣いていたこともありましたね。 ーそんな辛い時期を乗り越えて、いまがあるんですね。スタートアップが大企業と交渉をするのは、ハードルが高いと思うのですが、どのように交渉の場をセッティングしたのでしょうか。 前提として、今後成長するであろう市場で勝負する、というのがすごく大事ですね。自分自身の能力以上に、ここが重要かもしれません。将来性のあるマーケットで「この領域なら」というのがあれば、大企業の方でも、こんな若者にも会ってくれて、積極的な姿勢で取り組んでくれます。 やはり、時流を読む、というのはビジネスにおいて欠かせません。未来、日本はこの方向にすすみ、こう変化する、というのが見えれば、自然とそこに人が集まります。人が集まれば、提携先の方々もより意欲的になってくれますね。 海外展開成功の要因は「適切なタイミング、人、権限」 ーWebサービスの海外展開、特に中国市場で成功している企業ってなかなかないと思います。Reluxが中国で伸びたのは、どのような要因がありますか。 中国で成功できたのは、「適切なタイミングで・適切な人が・適切な権限で」やる、というのがある程度3つともハマったからじゃないかな、と考えています。 需要がない中で無理にやっても失敗します。日本全体がインバウンドに力をいれるタイミングと重なったことが大きかったですね。 そして、僕が中国支社を任されたわけですが、たまたま日中ハーフで、たまたま両言語が扱えて、たまたまマーケティング・旅行に携わっていた…というふうに適切な人であったな、と。そこに加えて、熱量と行動量は誰よりもあったと自負しています。 さらに、適切な権限。現地の人間が全ての決定権をもっていると変な方向へ行く危険があり、日本側でコントロールしすぎると市場に適応していけない。うまいバランスで権限を分配することが重要になります。戦術はわたしの権限で、戦略については日本側で、というふうに適切に配分していました。 120%のアウトプットの先に結果がある ー事業としての視点は分かりました。門奈さん自身としては、なにを意識して仕事に取り組んできましたか。 結果にとにかくこだわりました。ひとつひとつの達成がゴールにつづいていきますし、ひとつひとつの結果が個人のキャリアの未来をつくっていく、と信じています。 結果を出すうえで、当然、様々な方法があるとは思いますが、なによりも意識していたのは、どんな作業においても120%のアウトプットをする、ということですね。たとえどんなに小さな依頼だったとしても、一歩踏み込んで、期待以上のレスポンスはできないかと常に考えるようにしています。目指している結果の、120%を出せないか。メンバーのケアを、120%するにはどう対応すべきか。120%の達成目標を、を常に目先に置いておくことですね。 ー上昇志向をもっていらっしゃるんですね。8年も在籍していると、門奈さん個人としても、会社としても様々な変化を経ていると思います。その中で同じ会社で働き続けるモチベーションはどこにあるのでしょう。 ひとつは、結果を出し続けることですね。そうすると自分自身のキャリアにとってプラスに作用していくので。もうひとつは、自分の中の志をアップデートし続けられることです。 ゼロからスタートした海外での子会社の展開ですが、現在は、海外での売り上げが全体の30%弱を占めています。最初は、訪日旅行にひとつでも多くの素敵な思い出を残したい、という気持ちでした。いまは、日本が観光大国になることにどこよりも貢献できる会社に成長させたいという思いでやっています。 結果を出し続ける中で、自分自身のビジョンもどんどんアップデートしています。今後、海外売り上げを50%以上まで引き上げ、グローバル展開に強い企業としてもっと成長させます。 また、訪日旅行を取り扱っている企業の中でナンバーワンになりたいですね。いまはトップ10くらいの位置にいるので、まだまだ頂上は遠いですが、そこにワクワクしています。 ー本日はありがとうございました! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter) 撮影:矢野拓実(サイト)

新卒フリーランスから会社員へ。杉山大樹が感じたのは「孤独なレベル上げの難しさ」

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第10回目のゲストは、新卒フリーランスとしてファシリテーター・編集者を経験したのち会社員に転身した杉山 大樹(すぎやま・だいき)さんです。 エンターテイメントを自分の軸として東京大学での学生生活を送り、その経験を生かしてフリーランスになったという杉山さん。しかし、フリーランスから会社員に転職するにあたって、ご自身のキャリアについてかなり悩まれたそう。 現在も会社に所属しながら複業を続ける杉山さんのキャリアの裏には、どんな想いや悩みがあったのか。フリーランスと会社員、両方を経験しているからこそのキャリア論を伺いました。   広義のエンターテイメントが柱となっていた学生時代 ― そもそもなんですが、杉山さんが東大卒業後フリーランスになったのはどうしてだったんですか? 就職活動がうまくいかず、ほぼ受からなかったからですね。自分が行きたいと思える会社だけに絞って、短絡的に大手企業ばかり受けた結果、どこも落ちてしまったんです。それで「どこも採ってくれないのなら、自分で自分を雇ってやるわ!」と、フリーランスになることにしました。今から思えば子供っぽいですよね。 ― でもそこで思い切れるのがすごいと思います。 実は、卒業してすぐフリーランスになれたわけじゃありません。学生時代に取り組んでいたことを展開していき、2年の休学でだんだんと仕事をもらっていって、ようやく卒業に踏み切ったんです。 ― 学生時代は何をしてきたんですか? 高校時代に演劇部で脚本と演出家をやったのが楽しくて、東大では漫才サークル「笑論法」を立ち上げました。エンターテイメントをやるのが好きなんですよね。その後、東大のオンラインメディア「UmeeT」を立ち上げ、初代編集長として編集や執筆をしてました。 ― 演劇と漫才は繋がりがある気がしますが、メディアの編集長というのは未経験ですよね。なぜやろうと思ったんでしょう? まずはシンプルに「面白そうだな」と思ったからですね。あとは、取材して記事にするのも、広い意味でエンターテイメントだと考えていて。ボケツッコミみたいな掛け合いで、魅力を引き出していくのが楽しいんです。 そこから休学しながら、京大のオンラインメディアを立ち上げる仕事をもらったり、NHKのオリンピック広報サイトの若者向けページの立ち上げをしたりしていました。 ― いろんなところで編集長をされたわけですね。 編集の仕事はフリーランスとしても続けてきたんですが、もう一つエンターテイメントから仕事に繋がってきたのが、ファシリテーションの仕事です。「高校に大学生が出張して進路のワークショップをする」という一般社団法人Foraの立ち上げ初期から関わり、ワークショップのデザインと「学問ファシリテーター育成講座」のディレクターをしてきました。 参加者を巻き込んで楽しみながら学んでもらうことや、難しいことを分かりやすく魅力的に伝えること。それが面白かったですね。 ― まさにエンターテイメントが活かされている感じがしますね。卒業後フリーランスとしては、ファシリテーターの仕事を中心にされていたと思いますが。 N高校でインプロ(即興演劇)を使ったワークショップを定期開催させてもらったり、「掛川教育フェス2019」の企画も担当したりもしました。教育系以外でも、「イケダハヤト×箕輪厚介 対談」「Tech×Public Affairs: 社会課題解決のためのルールメイキング」など、パネルディスカッションのファシリテーションのお仕事もいただきました。   孤独なレベル上げの難しさを感じ、会社員へ ― とても順調に見えますが、杉山さんは2019年10月からは転職をされているんですよね。フリーランスの働き方から、会社に所属しようと考えたのはどうしてだったんですか? ぼんやり「フリーランスでこのままいけるだろ」と思ってたんですが、急に焦り始めたんです。フリーランスってフィードバックがもらいづらくて、依頼する側からすれば、何か不満があった場合「次は頼まなければいいや」となるわけです。自分一人で自分を疑って改善していくのって難しくて、レベルが上がっている感覚も掴みづらい。 また、相手がどれくらい喜んでくれているか分からないと、営業も難しくなります。ファシリテーションの中でも「何を得意技として売り込むのか」がぼやけていき、自信がなくなっていったんです。 ― 一人で営業からやらないといけないのも、孤独にレベルを上げていくのも確かに難易度が高そうです。 もともと自分への期待が高い人間なんだと思うんです。大学では色々やりたいことやれて、その結果、自信も肥大化していって「最初からフリーでもいけるだろ」という過信が生まれた。でもこれからの80年とかある人生を一人でやっていけるかというと、「いや全然無理だな」と。それを認めて自分を納得させるのに時間がかかりましたが、悩んだ結果、転職することにしました。 ― 今は会社員になって、どんなお仕事をされているんでしょう? 東日本大震災の復興から始まった一般社団法人RCFで、10月から「社会事業コーディネーター」として働いています。行政・企業・NPOなど多様なセクターを調整して、社会のためになる座組みを作って動かしていく仕事で、ファシリテーションをより広げた社会での実践版だと思って選びました。 ― ここまで働いてみてどうですか? コーディネーターって思った以上に裏方の仕事で、これまで苦手で避けてきたことだったなと実感しています。だからまだ全然うまくやれません。でも、会社に入って一番思ったのは、「苦手なことをさせてもらえるのはすごい」ということです。 一人で仕事をしていたら、当然得意なことでしか仕事がもらえません。だけど、ある程度の規模の会社なら「今できないのは当たり前だから段々できるようになって、長く役に立ってくれ」なので、逆なんですよね。その体力は、個人では持ちえないので。 ― 確かに、会社員だったら当然のことですが、新卒フリーランスだと驚きますよね。 できることだけしてると、深まりはしても広がりはしないんですよね。やりたくないことや得意じゃないことって、実は宝庫だなと。それを楽しむには時間がかかるし、結局楽しめないかもしれないけど、無駄にはならないなとようやく思うようになりました。 「フリーで好きな得意なことだけしよう!」って思ってたけど、よほど壮大なトピックで、正しい努力を続けられなければ、飽きるか負けるかしてしまうと思うんです。昔は「3年は勉強だと思ってとりあえず就職しよう」という考え方を理解できなかったんですが、今となっては、そうだよなと思えます。 ― フリーランスに挑戦して、悩んで方針を変えた。だからこそ、全然違う考えが腹落ちしてきたんですね。   働き方のバランスを探りながら生きていく ― 今は、一社にフルコミットして働いているんですか? いえ、RCFは週4日勤務にさせてもらって、フリーランス的な動きも続けています。やりたいことや得意なこともしてないと、僕は元気がなくなってしまうので。 週の残り3日で、「東京モーターショー2019 10代未来会議」のファシリテーターを務めたり、ライフイズテックで中高生のプログラミングスクールに関わらせてもらったり。他にも様々なチャンスに巡り合っています。 ― それが今の杉山さんにとっての良いバランスなわけですね。 そうですね。バランスも場所も、一生探りながら働いていくんだろうなあと思います。フリーランスになった時から思ってましたが、ずっと就活を続けている感じです。 ― 普通の道じゃないからこそ、人より多く壁にぶつかって、多く道を変えて進んでいるように見えます。 多分頑固で、経験からしか学べないんだと思います。もっと賢くやれる人もいるんでしょうが、誰にアドバイスされたって自分が納得できないことは採用できないのかもなって。今の僕が昔の僕に会えたとして、頑張って説得したとしても絶対聞いてくれないでしょうね(笑) ストイックに頑張ってるというより、振り返ったらこうなってた。人生そんなものなのかもしれない、と思っています。 ― あらかじめ綿密な計画を立てて進むより回り道かもしれないけれど、様々な壁にぶつかりながら自分らしい働き方のバランスを見つけていく。そうすることで、納得感のある人生になるような気がします。U-29世代が自分らしい働き方を見つける際の参考にしてほしいと思います。   ===== 取材:西村創一朗 写真:山崎貴大 文:杉山大樹 編集:ユキガオ デザイン:矢野拓実

「いい過程がいい成果を生む」ー 複業で月250万円稼ぐ國富竜也の成功の秘訣

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第27回目のゲストは、Webマーケティング会社にてWebメディアを運営されている國富 竜也(くにとみ・りゅうや)さんです。 新卒で銀行に就職するも、一年半で辞めてWebマーケティング会社へ転職。しかし、ハードな銀行員生活のかたわらで始めた複業が転職に活き、その転職先での学びを複業に活かすという好循環を生み出している國富さん。 「複業したいけど、どんな仕事をしたらいいか迷っている」「どうしたら毎日ワクワクしながら働けるかわからない」という方へ、國富さんご自身の経験を踏まえたアドバイスをいただきました。   長期インターンを経て、働く意味を見つけた ― 学生時代に長期インターンをされていたとのことですが、きっかけは何だったんでしょう? 小さい時から満員電車で生気のないサラリーマンを見てきて、「なぜ人生の大半を仕事というものに費やさなきゃいけないんだ」「なぜ働かなきゃいけないんだ」と、働く意味が見出せなかったんです。そこで、実際に自分で体験して意味を見つけようと思ったのが、長期インターンを探すきっかけでした。 ― なるほど、それでウォンテッドリー株式会社(以下、ウォンテッドリー)の長期インターンへ。この会社を選んだのはなぜですか? もともと、ウォンテッドリーのサイトでインターン先を探していたんですよ。その中で、たまたまウォンテッドリー自体の募集要項も見ていたら「シゴトでココロオドルひとをふやす」というビジョンが掲げられていて。それを本気で考えている人たちと一緒に働けば、何のために働くのか自分なりの答えが出せるかもしれない、と思い応募しました。 ― インターンでは、実際にどんな仕事をされたんですか? ウォンテッドリーのサービスを利用している法人顧客に対し、求人への応募数を増やすというインサイドセールスの仕事をしていました。ただ、すごく忙しかったし、自分に求められる価値も高くなっていったので、自主的に土日も仕事に関することをやるようにしていましたね。 ― 10ヶ月間インターンとして働いてみて、「何のために働くのか」という答えは出ましたか? 仕事って自分の義務だと思っていたんですが、人生の目的を達成するための手段として仕事を活かすべきなんだなということに気付けましたね。それまでは仕事=目的だと思っていたんですよ。 それに、二つの大きな学びを得ることもできました。一つ目は、「いい成果はいい過程を産む」ということ。結果は全て過程が生み出すもので、その過程に自分の本質的に好きなものがなければ仕事で心躍らせることは無理だし、いいパフォーマンスを出すこともできないんですよね。 二つ目は、「自由と自立のため」に仕事をするのだということ。とにかく自由に生きたいという人生の目的を達成するための手段として、仕事を活かすべきなんだと学ぶことができました。   ミスマッチに苦しみながらも複業のきっかけを得た銀行員時代 ― 大学生のときに長期インターンを経験した人は、卒業後もベンチャーに就職することが多いと思うのですが、國富さんが銀行への就職を選んだのはなぜですか? 自分の金融資産をプロ目線でコンサルティングできるようになりたかった、というのが大きな理由です。小さい頃から、お金に関するリテラシーを学ぶことが人生を左右するんじゃないかと漠然と思っていたんですよ。そこで、金融に関するあらゆる事を幅広く学ぶために、業務内容の幅が広い三井住友信託銀行に就職することにしました。 ― 実際に入社してみてどうでした? 人によって合う合わないもあると思いますが、かなりハードでした。通常勤務に加えて資格の勉強や飲み会、週末のボランティア活動など多忙で、金銭的な負担も大きかったんですよね。仕事を楽しめている人はほとんどいなかった気がします。同期400名のうち、恐らくですが、3年で3割くらいの人は辞めているかと思います。あくまで肌感ではありますが、辞めた人の話を同期から聞くとそんな感じですね。僕も1年半ほどで退職しましたし。 ― どんなタイミングで退職を決意したんでしょう? ブログという複業を見つけることができ、月5〜7万円くらいは稼げるようになっていたので「辞めても安心だな」と思えるタイミングでした。ブログは自分にとって好きだな、継続できるものだなと感じていて、ウォンテッドリーで学んだ「いい過程がいい成果を生む」という学びともマッチしているので結果も出せそうだと考えたんです。また、Webマーケティング会社に内定が出たタイミングでもありました。 ― 辞める前にいろいろと準備をされていたんですね。退職する少し前から複業を始めていたとのことですが、多忙な毎日の中でどうやって複業の時間を捻出したんですか? 最初は複業にあまり時間は割けなくて、ネットで調べて手探りで試していたという感じです。空いた時間で1ヶ月だけやってみる、ということを繰り返していました。はじめは複業にフルコミットしていませんでしたね。 ― 銀行で働く中で、複業をやろうと思うようになったきっかけは何かあったんでしょうか? 銀行員時代の経験を通して、「人生100年時代を生き抜くのはとても厳しい」ということをロジカルに学んだんです。人生100年生き抜くためには、最低でもおよそ2億円は必要になります。それに加えて自分のやりたいことや夢のために必要な金額を上乗せしていくと、もっともっとお金がかかる。税金や社会保険料もどんどん増えていくので2億どころじゃ済まなくなると思います。でも収入は逆に低くなっていく。 この事実を知って「これは月給25〜30万円どころじゃ生きられないな」という危機感を覚え、何とか稼がなきゃいけないと思ったのが複業を始めるきっかけでした。   人生の目的が明確だからこそワクワクして働ける ― 銀行を辞めたあとは、複業のブログを活かせるWebマーケティング会社に転職。まさに転職と複業の掛け算ですね。とはいえ、職務経歴書に書けるほどの複業の実績がない状態で内定がもらえるものなんでしょうか? 内定をもらえたのは、年齢が若かったこともあるかもしれませんが、複業でポートフォリオを作っていたのが良かったと思います。ブログ運営という実績があったので、ある程度の土台はあると評価してもらえました。 また、採用担当者に「業務とのミスマッチが起こらなそうだな」という判断材料を渡せたのが良かったかな、と。半年ほどブログを書いて月数万円稼げたという事実が、ブログが好きであることの根拠となりました。だから、大きな実績がなくても転職できたんだと思います。 ― 世の中にはいろいろなWebマーケティングの会社がありますが、その中でも今の会社を選んだのはどうしてだったんですか? 僕の人生の目的は「後悔しない人生を送りたい」というものなんですけど、この会社ならその目的を叶えるためのスキルを身につけられそうだなと思ったんです。 振り返ってみると、今まで後悔したのは、やりたくないことばかりしていたときだったんですよね。なので、後悔しないために「やりたくないことリスト」を作りました。じゃあそのリストを達成するために必要なスキルを洗い出してみると、ライティングスキルやWebマーケティングスキル、プログラミング、動画などのスキルだったんです。 それらのスキルを最も学べる会社、業界ってどこだろうと考えたとき、今の会社に行き着きました。ここにはGoogle出身者がたくさんいて、さらにマーケティングや広告運用に深く関わっていた人もいたので、その人たちと一緒に働けば、自分が求めているスキルを一番身につけられると考えたんです。 ― 「やりたくないことリスト」を考えるのは面白いですね。國富さんのリストには、具体的にどんなことが書かれているんですか? 例えば世界一周できない人生は嫌だ、満員電車に乗るのは嫌だ、自分で出社するペースを決められないのは嫌だ、場所に縛られる働き方は嫌だ……といったことを書いています。やりたいことももちろんありますが、やりたくないこともたくさんあるんですよね。 ― 人生の目的を決めるとき、先にやりたいことを決めるという考え方もありますが、その逆のアプローチもあるんですね。 地図を持った宝探しのイメージですね。宝は自分のやりたいことで、地図の一点にしか宝はない。 いきなりそれを探すよりは、やりたくないことを見つけていってバツ印をどんどん付けていくわけです。 やがてバツ印じゃない場所が小さくなって、自分が心からやりたいと思う選択肢しか地図に残らなくなるので、僕はそういう視点でやりたいことを見つけていきました。 ― なるほど、わかりやすい例えですね。今の会社に入社してからは、どんな業務を担当されているんですか? メディア運営です。この部署に配属させてほしいとしっかり伝えて配属してもらいましたし、複業で適正をチェックしていたので一切ミスマッチがなかったですね。毎日仕事に行くのが楽しみで、朝も早く起きれています。日曜日は、次の日が待ち遠しいくらいです。 ― 銀行員時代とは大違いですね。なぜ仕事がそこまで楽しいと思えるんでしょう? ひとつはなりたい自分を明確にしているからです。こういう人生にしたいと決めた瞬間に、全て逆算できるようになりましたね。目標やゴールを決めることで、熱中できる毎日を送れるんです。もうひとつは、好きなことをやってワクワクできていることかなと。この二つが日々ワクワクして生きていられる要因になっていると思います。   自分に合った複業探しのコツは、挑戦して好きかどうか確かめること ― 転職して1年が経ち、複業にも相当良いシナジーがあったんじゃないでしょうか。 本業全てが複業に活きていると思います。まずは会社で得た知識・スキルをそのまま複業に活かせていて、フリーランスとして働いていたら得られないようなものを、優秀な同僚から得られています。 また、本業を通して出会った人脈も活かせるんです。SNSに専門性を持っている人やエンジニアとして専門性を持っている人などいろんな専門家と繋がることができて、複業でお世話になるきっかけを作ることができました。 さらに、個人ブロガーだったら月10万PVくらいのWebサイト運営データしか手に入れられないところ、本業では月30〜100万PVのWebサイトを運営しているので、個人では入手できない規模のデータが得られるというのも大きいですね。 ― 1000人1000通りの複業がある中で、國富さんはブログを選んだわけですよね。自分に合った複業を見つけるための方法論はありますか? 一番大事なのは、とにかく色々なことに挑戦して色々な複業をやってみることですね。まず、複業の全体像を知ること。「複業やるならブログだ」と決めるのではなく、どんな複業があるのか範囲を広げてリストアップしてみるんです。 やりたいことって自分の知っている範囲からしか選べないので、まずはその範囲を広げるためにネットや人を通じて視野を広げること。次に、その中から興味があることをピックアップしてみる。そして最後は、とにかく挑戦してみる。この3つのステップが大事だと思います。 実際にやってみないと自分が好きかどうかわかりませんし、「いい過程がいい成果を生む」と思っているので、過程でミスマッチが起きていないか判断するためにもとにかく挑戦してみるんです。 ― まずはやってみて、ワクワク感や自分との相性を確かめてみるのは大事ですよね。自分のワクワクに気付くコツはあるんでしょうか? 僕の場合、気付けば毎日ブログを書けるようになっていて、一日中ブログを書いていることもあったんです。そのときに「自分はこれがすごく好きなんだ」とわかりました。そういう、日常が劇的に変わった瞬間を見逃さないことが大事ですね。 ― 國富さんが掲げる「後悔しない人生を送る」という人生の目的のために、チャレンジしたいと思っていることはありますか? 100個くらいあるんですが、まずは海外旅行に行きたいです。日本一周はしていたんですが海外旅行はなくて、次は世界中の全ての国に行こうと考えています。まず2020年中に4つ行きたい国があるので、それらは全部期限を決めているんです。あとは、複業で月700万円稼ぐことや親に仕送りするなど色々あります。 ― チャレンジに期限を決めているのは素晴らしいですね。最後に、U-29世代の人たちに伝えたいことはありますか? やはり、「いい過程がいい成果を生む」ということを伝えたいですね。本質的に好きなことが何かというのを明確に言語化して、その過程がある複業を選ぶことが重要だと思います。それが分かるまでは「どうしたら成果が出せるのか」といったことばかり求めていましたが、好きなことであれば全部後からついてくるんです。 仕事となると給与や条件をベースに探してしまいがちですが、僕は実際に好きだからこそ複業と合わせて月250万円稼げるようになったので、ぜひ「自分の本質的に好きなものを探す旅」に出てほしいなと思います。その旅でいろんなことに手を出して、いろんな事に挑戦してほしいですね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる ===== 取材:西村創一朗 写真:橋本岬 文:品田知美 編集:ユキガオ デザイン:矢野拓実

クリエイティブの総合商社を目指す『monopo』CEO・佐々木芳幸の今を作った人生のターニングポイント

東京発のグローバルクリエーティブエージェンシー・monopo。国内外の様々なブランドにサービスを展開し、ロンドンにも子会社「monopo London.Ltd」を設立するなど、世界中の優秀なクリエイターが集うコミュニティ作りを続けています。 ▶︎monopoホームページ そんなmonopoのCEO・佐々木芳幸(ささき・よしゆき)さんは、かつて大学生兼プロベーシストとして活躍されていたという異色のキャリアの持ち主です。 プロミュージシャンから起業へ至るまでにどんなターニングポイントがあったのか、またどんなことで悩み苦しんできたのか。monopoの未来や今後の展望と合わせて、佐々木さんご自身のキャリアのきっかけについて伺いました。   クリエイティブな個性をひきだし、世界規模で混ぜ合わせるのがmonopoの役割 ー monopoという会社について紹介してもらっていいでしょうか。 monopoは、ClaraとSumieの記事にもあったように、”COLLECTIVE CREATIVITY” をビジョンに、誰しもがもつ個性やクリエイティビティの価値を世界規模で多用的に混ぜ合わせ、社会との接点をつくり、個の可能性を爆発させるコミュニティを目指しています。 ビジネス的にかっこつけて言い換えると、「クリエイティブの総合商社」。世界中の隠れた才能を見つけ出し、あらゆるプロジェクトでコラボレーションを生み、経済価値や本人の活動の幅を最大化させ、社会を前進させる場所だと考えています。言語と文化の壁を超えたコラボレーションこそが、もっともクリエイティビティが最大化されるということを信じて活動しています。 オフィスで毎月行っている、国内外のクリエーターが集うイベント「monopo night」は53回目を迎え、延べ3,000人くらい集客しているんです。monopoのPRイベントでもなく、みんなふわっとした目的で集まってくれてるんですけど、そこでmonopo関係なしにプロジェクトが生まれていたりして、コラボレーションが増えていくのは素直にうれしいです。 そして求人媒体使わずに、今では自社サイトに国内外から毎月150人以上の応募がきています。またビジネスサイドでも、世界でビジネスを展開したい様々なブランドからの相談がきているんです。業種もファッションやビューティー、ホテルや旅行、車、エネルギーやテクノロジー産業など多種多様です。11ヶ国のバックグラウンドをもつ個性あふれるメンバーが、東京/ロンドンの2拠点で世界中の企業にサービスを提供しています。 日本発で、これだけダイバースな窓口を持ちながら、ローカル・インターナショナル両面において対応できるクリエイティブ企業は他にはなかなかないのでは、とたまに自慢したくなるのですが、まだまだ始まったばかりだと自分に言いきかせて、日々もがいている最中です。 ー やはり案件の8〜9割がインバウンド系なんですか? いえ、まだ売り上げでいうと3分の1から4分の1程度ですね。ただ、2年前は0件だったので、インバウンドの比率はすごく伸びています。2020年には全体の半分くらいになると思いますよ。   monopo代表・佐々木芳幸の今を作った3つのターニングポイント ー ここからは佐々木さんご自身のお話を伺いたいと思います。これまでの人生の中で、三つターニングポイント絞るとしたら何がありますか? 一つは、プロベーシストになるために早稲田大学を受験したことですね。バックバンドやスタジオで演奏するようなスタジオミュージシャンになりたかったんですよ。そのためにはどうしたらいいのか調べたところ、早稲田大学の音楽サークル「THE NALEIO(ザ・ナレオ)」からミュージシャンが多く輩出されていることを知って。 「これは音大に行くよりもプロミュージシャンとして食べていける確率が高いな」と考えたんです。monopoの母体もこのサークル出身者が5人ほどいるので、早稲田で「THE NALEIO」に入ったことは、今の自分の一番の着火点だと思います。 ー そもそもプロミュージシャンになろうと思ったのはいつ頃から? 高校のときですね。2年生の頃、「俺はロックミュージシャンになる」と周囲に言っていました。でもやり方わからなくて。アーティストって、プランを立ててなれるようなものじゃない気がしていました。プランをたてて音楽で生計をたてる確率をあげるためには、自分がアーティストになるよりもアーティストをサポートするスタジオミュージシャンになったほうが良いのではと考えていました。 一方で、当時は文化祭のステージではプロデュースサイドにまわり、ゲストミュージシャンを呼んだり予算配分を考えたりしていたんですね。もともと誘われない恐怖を打ち消すために、自分から遊びを作って誘うような子供だったのもあって、もしかしたらプロデュースや裏方のほうが合ってるのかもしれないな、そっちの方が潰しがききそうだな、と子供ながらに思っていた気がします。 ー なるほど。では、二つ目ののターニングポイントは? 大学でサークルに入った後、サークル外での営業をしはじめ、プロベーシストの端くれとしてある程度稼げるようになっていたんですけど、それを辞めたことが二つ目のターニングポイントですね。 ー なぜ辞めることにしたんですか? ある程度音楽で稼げるようになった頃、ふと気付いたんです。「俺って大して才能なくないか?」って。冷静に考えたら、僕は営業を頑張って仕事をとっていただけで、僕より技術の高い人や天才って周りにたくさんいるなと気付いたんです。そういう人たちが仕事をとれずに、プロを諦めて就職するのを見ているとすごく悔しかった。 また、僕が持っていた仕事をそういう人たちに紹介して演奏を見ていたら、「プロデュースしてやったぞ」と、悪い気がしなくて。自分が演奏していなくても「俺が作った音楽だ」って思えるなって気付いたんです。 その頃、進路についていろいろ悩んでいて、プロデュース側に進んだ方がいいかなとも薄々考えていたんですよね。音楽の世界には、表現側とビジネス側のミドルマーケットが絶対あるなと思って。だから、エイベックスのようなエンタメ企業に就職してビジネスを学んで社長を目指すか独立するという経路と、一旦プロミュージシャンは卒業して他のビジネスを学びながら起業してみるという経路とで迷っていました。今思うと浅はかですが(笑) そこで「まずは営業を勉強しよう」と思ってリクルートにインターンに行ってみたら、それなりに成果が出たんですよ。「営業ができること」と、「ミュージシャンたちをプロデュースすること」の二つに、自分は喜びを感じることが分かってきた。 その後、一年間に200〜300人くらいの社長と名刺交換やアポイントを通して、直接お会いしていく状況を作っていきました。何もわからない学生なりに、ビジネスを学ぶといったら社長に会いにいくことが大事だと思ったからです。何もわからない小僧でしたが、意外にもいろいろな方々に可愛がっていただき、自信を獲得していったのが大学2〜3年生の頃でした。 ー 当時は会社員として上り詰めるルートと、起業していくというルートがあった中で、こっちだなとなったのはいつ頃からですか?就活もしていたんでしょうか? 就活はしていました。そのとき決めていたのは、「いずれ起業家になる」という軸。自分で起業をするか、就職後に起業をするか、社内起業をするかの、三つ選択肢がありました。 そこで当時、若い子会社社長を多く輩出しているネットベンチャーにインターンに行くことにしたんですが、初日から違和感を感じてしまったんです。子会社社長の話を聞いていても、マインドが自分の考える起業家像とは違うなと思うことが多くて。「これは違うな」と感じました。 ー 会社がどうこう、というよりサラリーマン自体が目指していた方向と違うと感じたわけですね。 そうですね。あと、キーパーソンが二人いて。一人は、安田周さんというポスティング会社の社長さん。元ベーシストという境遇が似ていて、毎週のように飲みに連れて行ってもらったんですけど、「佐々木くんは会社に入っても、すぐ辞めるだろうし合わないから起業しなさい。発注してあげるから」と言って、本当に最初のクライアントになってくれたんです。今でも定期的に飲みに連れて行ってくださる大好きな先輩です。 もう一人はヤフーのCOO・小澤隆生さん。学生のときに出会って、喋ってみるとレベルが違いすぎた。「こんなすごい人がいるのか」と驚きました。お忙しかったはずですが、当時偶然に小澤さんが作ったバンドのベーシストとして入れてもらえ、奇跡的に毎週のように会えていたんです。ビジネスのアドバイスをいただきながら、何もわからない学生が起業を志す大きなキッカケになりました。今でも困った時はアドバイスをいただく貴重な先輩です。 この二人がいたから、起業しようと思ったんですよ。この二人にメンタリングしてもらいながら一生懸命やれば、なんとかなるだろうな、と。 ー 時間を投資してもらえるというのは、本当にプライスレスですよね。 あともうひとつ、僕の1個上の先輩でプロベーシストだった岡田との出会いが大きかったです。最終的にはmonopoの共同創業者になったわけですが。入学した頃、「どうしたらプロになれますか?」と声をかけたら「営業すればいいんじゃないか」と言われて。いろんなミュージシャンとセッションできる場にも連れて行ってくれた。僕にミュージシャンになるきっかけをくれたのが彼でした。 だけど就職のタイミングで岡田は「プロになるのを辞める」と言い出した。それがとてもショックだったんですが、彼はネット業界へ進みECショップを作ったんですね。それがめちゃくちゃ売れていたので、「僕にもその仕組みを売らせてくれ」といって再会して作ったのがmonopoの原形なんですよ。 ー では、職業ミュージシャンを辞めて道を模索しmonopoを創業したのが、二つ目のターニングポイントですね。三つ目は何だったんでしょう? 英会話教室に通い始めたことかな。起業当初から付き合って支えてもらっていた彼女に突然振られたという出来事があって(笑)それがあまりにもショックだったので、彼女が僕に言っていた不満を全部乗り越えてやろうと思ったんですよ。英語もそのうちのひとつでした。 またその頃、「monopoはいずれ世界へ出ていくんだ」ということを、なんの根拠もなくメンバーに言ってました。でも英語は喋れない、と。それはさすがに英語に挑戦したほうがいいだろ、と思い英会話教室に通い始めたんです。 ちょうど会社のサイトのリニューアルを決めていたので、それなら英会話教室の先生と一緒に英語版サイトを作ろう、とも考えていました。そこで出会ったのが、poweredby.tokyoの発起人のチェイスです。 ー 英会話教室がきっかけで知り合ったんですね。 そうなんですよ。チェイスと仲良くなって彼の友人やコミュニティが集まる東京のいろいろな場所に連れ出してもらったんです。そこには様々な国籍の、素晴らしいはフォトグラファーやクリエイターがたくさんがいました。「クリエイティブ業界って狭いな」と思っていたんだけど、世界に目を向けたらこんなにも広いのか、と感じたんですね。 でもそのクリエイターたちは日本にいても仕事のチャンスがなかった。当時、日本の広告代理店やクライアントと彼らにつながりは少なく、仕事が生まれる機会が少なかったのです。僕は、その窓口としてmonopoがイニシアチブを取ろうと考えました。 チェイスが日本でやりたいと思っていたことと僕が考えていたことも合致していたので、「プロジェクトとして、世界のクリエイターで東京を紹介できる場所を作り、彼らをコミュニティ化していけば、新しいグローバルクリエイティブコミュニティができるかも」と直感。そこで生まれたのが、東京の知られざるカルチャーをグローバル発信する「poweredby.tokyo」というプロジェクトです。今のmonopoのビジョンやコミュニティ、ビジネスをドライブさせた大きなきっかけですね。 ー 英会話教室に通い始めて、喋れるようになるまでの期間ってどれくらいだったんですか? 数ヶ月じゃないですかね。そもそも高校まで行っていれば、みんな喋れるんですよ。あとは間違っていても会話に入っていくこと。だから、喋らないといけない環境に身を置けばいい。レベルは関係ありません。僕の文法や発音は正直今でもぐちゃぐちゃです(笑)でも実際に様々な国籍の人とコミュニケーションがとれるし、仕事ができています。 あとは、自分の伝えたいことがないと、伝え方を知っていても言語は生きない。 「How to speakよりWhat to sayだ」ってずっと言ってるんですけど、言いたいことがある人の話は、どれだけ言語が拙くても面白いんですよね。 継続すること、英語が必要な環境に身を置くことと、そしてお互いに話すトピックが面白いと思える状況を作り出すことが英語を習得するポイントかなと思います。 ー もしチェイスと出会ってなかったらpoweredby.tokyoは生まれていなかったし、グローバルエイジェンシーとしてのmonopoはなかった。そもそも英会話教室に行かなかったらチェイスと出会っていなかったわけだし……と全てが繋がって今に至るんですね。   「強烈なWhyがない」5年続いた自分自身との葛藤 ー 起業してから今に至るまでの、一番しんどかったエピソードを教えてください。 自分の中での葛藤が一番辛かったですね。会社をやることやビジネスをやることが目的化してしまっていて、事業自体に目的がなかったというか。気付いたらメンバーが10人になって会社っぽくなった状況に対して、「僕のビジョンって何だったっけ?」と思うようになったんです。 ー 強烈なWhyがなかった。 そうそう。こんなことやってていいんだっけ、とずっと考えていて。自分が「才能のある表現者と、世の中の接点を増やしたい」と強く言語化できるまでが辛かったですね。2011年の創業から2016年くらいまでずっとです。あとは、将来の不安もありました。この事業でこの先もやっていけるんだろうか、満たされることはあるけど本当にこれでいいんだろうか、と。 だけどあるとき友達と話していて、「Yoshiはコミュニティとか人があつまるブランドが作りたいんじゃない?」って言われたんですよ。「Yoshiのやってきたひととひとを繋がっていくこととか、誰かをプロデュースしたいという想いって、日本から世界規模でやったらすごいことになるかもしれないぞ」と。それで「なるほど、こういうことかもな」と腑に落ちた瞬間があったんです。 「誰しもがもっている個性をひきだし、多様的に混ぜ合わせていく。世界規模で」という発想のもと、「COLLECTIVE CREATIVITY」というビジョンを手に入れました。 そこからずっとコミュニティについて考えて試していったら、「才能や表現者たちを繋ぎ、輝いている瞬間を生み出すことが、僕は幸せなんだ」と気付けたんです。気付いたというか 再認識したのかもしれません。まさに音楽におけるベーシストの役割です。ベーシストは目立ちません。だけど、リズムとコードとメロディを繋ぎ、それぞれの個性を輝かせるブリッジのような役割ですから。 会社を経営していれば、人の悩みだったりお金の悩みだったり、辛いことの連続ですがそれでも人生をかけるほどの価値をビジョンに感じています。経営者として自信が持てるようになったのは、ビジョンができてそれがワークするようになってからですね。今は、”COLLECTIVE CREATIVITY” を合言葉にコミュニティが自発的に活性化していることが、本当に幸せです。 ー 生きてる実感を味わっていること、すごく伝わってきます。   少数精鋭で数億売りあげる会社や事業を、世界中にどんどん作るコミュニティファームへ ー 今後、東京オリンピックや大阪万博などで東京あるいは日本が世界に出ていく、もしくは世界の人々が日本にやってくる機会があると思うんですけど、その中でmonopoはどういう会社になっていきたいですか? 最初に話した通り、「クリエイティブの総合商社」ですね。ものがあふれて、で効率化された先に人間に残るものは、表現とアイデアじゃないですか。どんどん世の中が効率化していく中で、そういったものに価値がつく揺り戻しがあると思っています。でも世界は未だに分断されていて、ローカルで埋もれているアイデアや才能が、もっとグローバルで活用されていいと思っています。 ー 今どんどん、世界各国が閉鎖的になってきていますよね。 国単位でグローバルは語れないと思っています。グローバルな状態は、ニューヨークやロサンゼルス、パリ、ロンドンなど、ローカルにある。もっと言うと、都市自体も分断されているけど、そこにあるひとつのBarの中のコミュニティに多様的な世界が存在している。誰もが色んなカルチャー・言語の中でダイバーシティを持って交流ができる場所、というのがグローバルだと思うんですよ。その状況があるのはローカルしかない。「Local is global」です。 ローカルにグローバルなコミュニティを作れるかどうかが重要だと思ってます。分断のないコミュニティが色んなところに広がっていくようにしたいと、今は考えています。 そうなったときにクリエイター同士が繋がり、会社という小さなローカルコミュニティを作っていくことはひとつの武器になると思っています。 ー...

商社マンが複業で踏み出したのは教育の世界。世代を超えて“学び合う”コミュニティづくりへの挑戦と情熱

  「サラリーマンが“せんせい”をする、そんな世の中を作りませんか?」 2018年12月3日、Facebookに投稿された一言から、中高生と先生、ビジネスパーソンが垣根を超えて学び合うコミュニティ「ANOTHER TEACHER」が立ち上がりました。 発起人は、総合商社丸紅で史上最年少の従業員組合専従に抜擢された小澤悠さん。「全く未経験の分野でも、“サラリーマン”の自分だからこそできることがある」と語ってくれました。 商社でのビジネスを経験しながら、教育分野という全く異なる領域に飛び込んだ小澤さんの想いとはどんなものだったのでしょうか。ご自身のこれまでのストーリーとともに伺いました。 小澤 悠 / Yu Ozawa 1990年兵庫県西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2013年丸紅株式会社入社。大豆・菜種等の穀物トレーディング業務に従事。2017年から組合専従。現職に至る。専門は働き方改革と組合主導でのコミュニティ創出。 2019年1月に、日本人全員を“せんせい”にして「中高生と先生、働く大人の壁をなくし、日本を今よりも元氣にする」ことを目的として「ANOTHER TEACHER」を設立。 人生のターニングポイントは、「中学受験の失敗」と「入社してから暗黒の4年間」 -まずは、丸紅に入社されるまでのプロフィールについてお聞かせいただけますか。 生まれは、甲子園球場がある兵庫県の西宮というところです。大阪にある中学・高校と一貫制のインターナショナルスクールに片道1時間半くらいかけて通ったのち、東京の大学に進学しました。大学では、トライアスロンをずっとやっていて、とにかく「筋肉バカ」な4年間でしたね(笑)。そして、丸紅に新卒で入社しました。 -体育会系の大学生活から、総合商社へ。とても順風満帆な学生時代を送ってこられたんじゃないでしょうか。 でも振り返ると、中学受験で失敗してしまったことは人生でいちばん最初の挫折でしたね。今でこそ体育会系な感じですけど、小学生のころは絵に描いたような「ガリ勉」でした。小学3年生のころから、ずっと行きたいと思っていた第一志望の中学があったんです。スポーツも習い事も辞めて、勉強にフルコミットしていました。 ところが……自分なりにマジメに頑張っていたのに、どんどんサッカーも上手い文武両道の子達に成績を抜かされていくんですよ。結局、3年間のガリ勉生活もむなしく、第一志望には落ちてしまって。あのときは、本当に悔しかったですね。 -自分なりに精一杯の努力をしたけど、実らなかったという苦い経験があったんですね。 はい。でも、挫折ではあったものの、いい意味でターニングポイントでもありました。第二志望で入った中高一貫のインターナショナルスクールでは、今まで自分が持っていた概念をぶち壊されたというか……人生の視野を広げてもらったなと思います。 正直、勉強の成績だけで言えば校内でかなりいい方でした。けど、みんな勉強以外の面で輝いてる人が多くて。帰国子女で二か国語は当たり前に話せたりとか、モデルやサッカーの代表選手としても活躍してたりとか。僕は当時、言ってしまえば勉強を頑張ることが自分のアイデンティティだと思い込んでいたのですが、それ以外にも自分の軸を持つ方法っていくらでもあるんだなって思いました。もともと行きたかった第一志望はバリバリの進学校なので、そっちへ行っていたらこういう経験はできなかったでしょうね。失敗した先にも、ちゃんと道は続いているから、それで終わりじゃない。失敗してもいいんだと思えたことは、自分にとって大きな糧です。 -中学受験で第一志望に落ちてしまって、それは失敗ではあったけれど、だからこそ素敵なアナザーライフを送れたと。いい話ですね。そして筋肉バカな大学4年間ののち、丸紅に入社されたんですね。 はい、大学と会社は、第一志望のところに入ることができたんです。中学受験でできあがったコンプレックスの克服にはなったんですが、入社してからの4年間は、全くパフォーマンスが発揮できなくて……まさに、暗黒時代でした。 -4年間も……当時は、どんなお仕事をされていたんですか? 最初の2年間は、穀物のトレーディング部門に配属されました。そこでなかなか成果を上げられず、「1回、数字を勉強してこい」と、トレーディングの数字管理と分析をする部署に異動になったんですよ。ひたすらExcelと向き合うという仕事が、さらに自分に合っていなくて……。大事な仕事だとはわかっていても、「これを自分がやる意味ってなんなんだろう」と、毎日悩んでいました。トレーディングがダメ、数字の分析もダメ。もう自分の強みは何もないし、社会で活躍なんかできないんじゃないかって、少し自暴自棄になっていましたね。 暗闇のトンネルを抜けられたのは、自分の強みを再発見し、社外のコミュニティに支えられたから -自分の強みや会社への貢献を全く感じられず、苦悩続きの4年間を送っていたんですね……そこから、今の従業員組合での活躍につながる転機はなんだったのでしょうか? 当時、「このまま会社にいてももうダメだ」と思って、転職活動をしていたんですよ。コンサルティング会社に内定をもらって、そっちに行こうと思っていました。のちに僕の上司となる従業員組合の委員長と話していたときに、そのことを打ち明けたんです。そしたら、「コンサルには向いていないんじゃない?  分析とか苦手なんでしょ」「だいたい、お前は会社の文句ばっかり。自分が活躍できないのを、全部会社のせいにしてるだろ」と言われて……。 指摘が正しすぎて、反論の余地もなかったですね。たしかに、僕は苦手だと思うことを「意味がない」と決めつけて、環境を変える努力をしていなかったんです。おまけに自己分析もできていなかった。「従業員組合なら、経営陣と対等な立場で会社への要望を伝えられる。変えたい部分があるなら、同じ意見を集めて、自分から変えることから始めてみろよ」と言ってくれたんです。それで、従業員組合へ異動することになりました。それが、入社5年目、2017年のことですね。 -異動して、状況は変わりましたか? まるっきり変わりました。従業員組合では、人前でプレゼンをしたり、イベントを実施するために人を集めたり、場づくりをしたりすることが求められたんですが、自分にはそういうことがドンピシャで合っていた。また、「働き方改革」の担当になって、いろいろな会社に飛び込みで話を聞きに行ったり。がむしゃらにアプローチしていくうちに、ほかの会社の人ともすごく仲良くなれて、自分の仕事をメディアに取り上げていただく機会にも恵まれました。 自分が素直にやりたいことと、自分の強みを生かせることが一致した仕事をすると、こんなに楽しいんだって実感しましたね。人からもらえる評価も180度よい方向に変わりました。こんな自分でも、人のため、会社のために仕事ができているんだと、嬉しかったです。 -まさに、適材適所ですね! 異動が転機になったとのことなのですが、悩んでいた4年間ってけっこう長い期間ですよね……。その間、何が小澤さんの支えになったんでしょうか。 家族だったり、社会人になっても続けていたトライアスロンの仲間だったり……社外に信頼できるコミュニティを持っていたことにすごく救われましたね。社内ではどんなにダメなやつ扱いでも、会社の評価とは離れて、自分という人間と向き合ってくれる友人に支えられていました。また、トライアスロンでは社会人3年目のときに、アマチュアですけど世界大会に行くことができたのも大きかったです。 今、複業としてやっている「ANOTHER TEACHER」での活動にも通じるんですが、複数の居場所を持って、それぞれ別の評価軸をもらえる環境に身を置くことってすごく救いになると思うんですよね。心の安定が保たれるというか。 -なるほど。社内では全然評価されないし、何もうまくいかない、しんどい状態だったけれども、社外に仲間がいたことや、評価してもらえる場があることが支えになったんですね。 みんな誰かのせんせい。「ANOTHER TEACHER」で実現したい世界 -今お話にも出たんですが、改めて、代表を務められている「ANOTHER TEACHER」の活動について教えていただけますか。 具体的な活動としては、中高生と先生、ビジネスパーソンをつなげて、キャリアについての授業を行ったり、一緒に日本の未来を考えるワークショップをしたりしています。 -どういう想いでこの活動を始めたのでしょうか? 大きく2つのビジョンがありまして。1つ目は、中高生と社会人という異なる世代間の断絶をなくして、もっと当たり前にお互いが交流できる世の中をつくっていきたいという想いです。 僕が中高時代を過ごしたインターナショナルスクールでは上下関係が一切なくて、年齢や学年を超えて、ため口でフラットに意見交換できたり、自由なアイディアが出せたりする環境でした。でも、大学で入ったトライアスロンサークルでも同じように先輩に接したら、めちゃくちゃ怒られたんですよね。会社でも、年功序列の風土は根強いです。こんなにガチガチな上下関係が敷かれていたら、お互い積極的に交流していくのは難しいんじゃないかと違和感を持っていました。 -世代間で断絶がありますよね。 そう、まさに断絶で。さらに、学校という場って閉ざされていて、先生や親以外との大人と関わりを持つことが極端に少ないですよね。お互いの価値観を知ることは、新入社員を迎える企業側の大人たちにも必要なことだと思うんです。 とある女子校・男子校共催のアイディアソンを見学して、衝撃を受けたことがあるんですよ。課題に対するソリューションを出して、プレゼン発表をするという内容だったんですが、iPad上で同時編集をしながら、たったの45分で、すべてのチームがGoogleサイトでページをつくってまとめ上げていました。「このチームビルディングはすごくないか。大人には無理だぞ……」とめちゃくちゃ焦燥感に駆られましたね。大人たちは、こういう中高生のすごい面を知って、取り入れるべき。お互いの世代ならではのいい面を吸収し合えれば、日本の生産性ってもっと上がっていくんじゃないかと本気で思ってます。 -大人がキャリアについて一方的に教えるんじゃなくて、中高生から学べることも大いにあるということですね。 はい。それがまさに「ANOTHER TEACHER」の2つ目のビジョンでもあります。「“せんせい”の民主化」と僕たちは言っています。“せんせい”とは資格・権力を持っている一部の人のものではなく、自分が持っていない知見・体験・ストーリーを有している人であると再定義しています。お互い“せんせい”なのだから、学び合えて、お互いをリスペクトしあえる、という世界を実現したいんです。教員免許を持っているから“せんせい”なのではなくて、みんなが誰かにとっての“せんせい”になれる、というか。 -職業や肩書きとしての「先生」ではなく、目の前にいる誰もが自分にとっての「せんせい」になり得ると。お互いにリスペクトし合える世界観って素晴らしいですね。 はい。それを実現するためのコミュニティをつくっていきたいですね。 でも、既存の教育業界のあり方をぶち破っていくようなことをしているので、反論されたり、叩かれたりすることもまだまだあります。「教員免許も持っていないやつに何ができるんだ」とか、「サラリーマンが何やってるんだ」とか。 -そんなふうに言われてしまうこともあるんですね…… でも、サラリーマンの僕だからこそできたこともあります。「ANOTHER TEACHER」は、今では協力してくれるメンバーが何百人もの規模になっているんですが、それは僕にカリスマ性があるからとかじゃなくて。会社に貢献できていない時期や、転職を悩んだ時期もあった。そんなどこにでもいる普通のサラリーマンだからこそ、想いに共感してもらえたのかなって。自分でひとりで全部できちゃうタイプだったら、こんなに人に集まってもらえなかったと思うんですよね。 今年は、「ANOTHER TEACHER」を法人化させる予定です。ただ、これからもサラリーマンとしての自分は持っていたいなと思ってます。かつての僕のように、会社で上手く強みを発揮できなくて悩んでる人の気持ちに寄り添って、その人たちがワクワクドキドキできるような環境をつくっていきたいですね。 -今年は、「ANTHER TEACHER」としても、小澤さん個人としても飛躍の年になりそうですね。 はい、もっともっと加速して、世の中への影響力を高めていきたいですね。 もし、「ANOTHER TEACHER」の活動に興味を持ってくれた方がいれば、ぜひ連絡ください。本当に、みんな誰かの先生になれるので、全員コミュニティに案内します! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる (取材:西村創一朗、写真:橋本岬、文:村尾唯、デザイン:矢野拓実)

「どうなりたいか」を突き詰めた笹本康貴が目指すのは、華僑のようなコミュニティづくり

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第25回目のゲストは、マーケティングのフリーランスとして活動されている笹本 康貴(ささもと・こうき)さんです。 大学生のときのカナダ留学をきっかけに「もっと自分のやりたいことをやろう」と考えるようになり、やがて会社員となったのちにフリーランスという働き方を選択した笹本さん。大切にしているのは、「何をするか」より「どうなりたいか」だと言います。 現在はフリーランスで年収3,000万円を稼ぐという目標に向かって邁進し、将来的には「華僑のようなコミュニティを作りたい」と語る笹本さんの、これまでの人生における様々な選択について伺いました。 視野が広がるきっかけとなった留学とインターン ― 笹本さんの学生時代のお話から伺ってもいいでしょうか。 高校まではあまり勉強が好きではなくて、大学もその付属高校に通っていたから進学したという感じでした。でも、大学2年のときにカナダのトロントに4ヶ月間留学したことが、大きな転機になったんです。そこでいろんな方との出会いがあって、すごく視野が広がりました。もっと自由に大学生活送っていいんだな、もっと自分のやりたいことをやっていいんだなと気付かせてもらったんです。 ― 留学のきっかけと、留学先にトロントを選んだ理由は何だったんでしょう? 母親が住宅のコンシェルジュをやっている影響で、日本のサービス、いわゆる「おもてなし」に興味があり、ホテルマンになりたいと思っていたんですよ。海外で通用する人材になるには英語は必須だと思い、留学は高校生の頃から考えていました。 カナダのトロントを選んだのは、先輩から「学校が大変だ」と聞いていたから。お金をかけて留学に行くのだから、厳しい環境に身をおいたほうが勉強するかなと思って決めました。 ― あえて厳しい環境を選び、自分を追い込んだわけですね。留学から帰国した後は何をされたんですか? 帰国後は一年間休学をして、その間に今後何をしようか考えようと思っていました。結局休学直前まで何をやるか決まらなかったんですが、ご縁がありまして株式会社ビズリーチ(以下、ビズリーチ)の方からLinkedInのアカウント経由でメッセージをもらい、インターンをさせていただくことになったんです。 はじめは「週2〜3日アルバイトをしてみないか」と言われたんですが、休学することを決めていたので「週5日やります」と大見得を切ったのが、また転機となります。そこから13ヶ月間、大学4年の4月まで週5でお世話になりました。 ― ビズリーチではどんな仕事をされていたんですか?そこで得られた学びなどもあれば教えてください。 カスタマーサポートの部署の立ち上げや、マーケティングの部署で広告運用などを担当させてもらいました。毎日刺激的で、本当に優秀な方が多かったです。楽しんでハードワークしている社員の方々を見て、がむしゃらに仕事をするということを教えていただいたのが大きな学びです。 ― 新卒でビズリーチに入ることは選択肢になかったんでしょうか? ありませんでした。当時のビズリーチは新卒を積極的に採用しているタイミングで、一度に100人ほど採用していました。その中で自分が価値を発揮できるか考えたとき、もう少し採用人数が少ない企業で、自分自身のバリューを発揮したいなと考えたんです。 ― では、復学後に就活をされたんですね。 はい、ウォンテッドリー株式会社でインターンをしながら、同時に就職活動を行なっていました。就活は株式会社フリークアウト・ホールディングスと株式会社マイクロアド(以下、マイクロアド)2社のみに絞っていて、最終的にはマイクロアドに新卒で入社したんです。 ― 就活を2社に絞った理由は? 当時、仕事を通じて人を幸せにしたいという気持ちがあったんです。それは日本のおもてなしやサービスを通じて実現できると思っていて、ビズリーチなどでインターンをさせていただいていました。ただ、マッチングサービスという性質上、中々サービスを提供する側と受ける側が100%幸せになる状態は難しいということに気付いたんです。 そして「人の一瞬を幸せにしたい」という風にビジョンを変えました。良いきっかけを与えれば、人って自走していくんじゃないかなと思ったんですよね。それができるのはデジタル広告だなと思い、その分野でこれからの時代を切り開いていきそうな2社に絞りました。 ― ターゲットをデジタル広告に置くなど、仮説を立てて人生の選択ができれば良いキャリア選択ができると思うのですが、その力はどうやって身についたんですか? 失敗したくない欲が高いからだと思います。とりあえず走って行き着いたところで楽しみたいというタイプと、目標を決めてその目標に辿り着きたいというタイプがあるとしたら、僕は後者で。目指したものを手に入れたほうがハッピーだと感じるので、そういう思考で物事をみていたんだと思いますね。   「何をするか」より「どうなりたいか」が大切だと気付いた会社員時代 ― 新卒で入ったマイクロアドでは、新規事業部に配属されたんだとか。 新規事業部の中で、ブランドコミュニケーション事業部というのがあって、お客様が大手企業中心のために、新卒を取らない部署だったんです。だけど断られると燃えるタイプだったので、必死にプレゼンして入れないか頼み込んで見ました。そしたら「内定者バイトとして半月がむしゃらに働いたらその部署に入れる」と言われ、なんとかその部署で初めての新卒入社にこぎつけました。 ― 希望する部署に配属を勝ち取ったものの、配属されてからの半年間は正直役立たずだったと。それはどうやって乗り越えていったんですか? そこでは電話でアポイントが取れて初めて仕事がある所で、入社後半年間はアポが取れず苦労しました。アポが取れないと仕事にならないので、とにかくテレアポのスキルを極めるしかないなと思い、テレアポが上手い上司にコツを教えてもらったんです。そしたら、アポ取得率が4割くらいに上がって。普通は取得率1%程度なので、かなりスキルがついたと思います。 ― アポが取れるようになり、その後はどう変わっていったんですか? 入社2年目のときに会社の組織変更があり、自分が担当する業界もより厳しい業界に変わったんです。それでもどうにかアポを獲得していましたが、これから先、自分のキャリアを磨くためにどうしたら良いのかなとモヤモヤしはじめていました。 それがちょうど25歳の時で、30歳までの残りの5年間どうしようかなと。理想の人物像を考え出した結果、30歳である程度稼いでいる人になりたいなと思ったんです。 ― 稼ぐというのが一つのマイルストーンだったんですね。 今の時代色んな事ができるので、いろんな選択肢があるとは思うのですが、好きなことをやっていても貧しかったら意味がないなと思っていて。なので1,000万円くらい稼げるような男でありたいと思っていました。 そこでまずは自社に新卒で入った30歳くらいの先輩がどれくらい稼いでいるのか知りたくて、飲みに誘ってリサーチすることに。そこで、30歳で年収1,000万円を超えている人がいないということがわかったんです。だったらここは自分がいるフィールドじゃないなと。方向チェンジしないといけないと思い、社外に目を向けて、色んな方々に会うようになりました。 その中で自分は「何をするか」より「どうなりたいか」に重きを置いたほうがワクワクするなと気付いたんです。なので、30歳で1,000万円稼ぐようになるために、会社で働きつつ将来に向けて準備を始めました。 ― そこで複業を始められたんですね。 はい。だけど将来の準備を進めていくうちに、複業の比重が大きくなっていき、仕事へのモチベーションが下がってしまったんですよね。何か変えないといけないなと思い、役員に「営業からアナリストに職種転換したい」と打診したところ、認められず。「だったら辞めます」と言って、一週間で辞めることになりました。   フリーランスに転身したことで年収3倍へ ― フリーランスになろうと決めて会社を辞めたわけでなく、結果的にそうなってしまった、と。 次の会社も決まっていない状態だったので、急にニートになった感じですね。結局フリーランスになったんですが、最初からフリーランスを目指していたわけではありませんでした。だから、辞めて一週間くらいは昼過ぎまで寝ているという生活で。このままじゃ家賃が払えないことに気付き、転職活動を始めることにしたんです。 ― すぐフリーランスになったのではなく、転職活動もされたんですね。 そうなんです。これからは動画の時代だなと思い、動画やライブ配信関係の企業を10社ほどピックアップして転職活動をし、数社から内定をもらいました。提示された給与も、前職に比べれば上がるのでいいなと思ったんですが、時間的な拘束が激しく、ハードワークしてもらいたいということだったので無理だな、と。 「30歳では時間的な自由も欲しいな」というのがあったんですよね。金銭的な自由も欲しいけど、時間的な自由も欲しい。そう思ったときに、両方取るのに会社員では厳しいと気付いたんです。そこでフリーランスという働き方が明確になって、内定をもらったところは全て辞退しました。 ― なるほど。フリーランスになろうと決めてからはどのように行動されたんでしょう? 周りに起業家や事業やられている方が多かったので、その方々に相談したんです。その中で「将来的にはビジネスオーナーになりたい」と思うようになりました。会社を作ったり社長になったりするよりは、時間的自由や金銭的自由を生み出したくて。そのためにはお金貯める必要があったので、自分の強みであるマーケティングでフリーランスになろうと決めました。 ― 仕事はどのように取っていったんですか? 片っ端から繋がりを頼って「フリーランスになりましたが仕事がないです。仕事をください」とお願いして回りました。色々とご紹介いただいた中で着地したのが、今の株式会社NTTドコモの仕事です。今はそこで週5日働いている他、ライティングの仕事や広告運用のコンサルをしています。 ― 週5日働くというのは、あまり時間的な自由がないように思えますが。 お世話になっている方から「成果を出すためには一回沈む時があって、急に上がるタイミングがあるんだよ」と教わったんです。であれば、30歳までは浮上するためにしゃがむ期間だなと。もっと時間的な負荷も金銭的な負荷も自分にかけようと、自己投資をして負荷をかけているところです。 ― 自己投資は具体的にどんなことをされているんですか? 人に会うためにお金をどんどん使っています。お金も限られていますが、交際費が7〜8割を占めるくらいに投資をしていて。今まで人に助けてもらう人生だったので、将来自分が人を助ける側にいくための勉強だと思っています。 ― フリーランスになって1年弱、30歳まではあと3年という中で、目標としていた年収1,000万円への進捗度はどうですか? フリーランスになって年収が3倍になり、30歳で1,000万円というのは達成できました。今は目標を上方修正して、30歳で年収3,000万円稼ぎたいと思っています。そこへの道は見えているので、後はやるだけですね。   いつかは華僑のようなコミュニティを作りたい ― 今後は具体的にどんなことをやっていこうとお考えですか? 将来、華僑のようなコミュニティ作りたいと思っています。どこの国に行ってもチャイナタウンがあって、そこにいる中国人は儲かっていないけど、お互い支え合っているから生きていけている、というコミュニティで。それはすごく本質的だなと思うんです。 僕自身、知り合いにお金を使いたいというのがずっと昔からあって。例えば知り合いがお店をオープンしたら、今まではフランチャイズに行っていた所を、その人のお店に行ってお金を使うような。それは華僑に近いんじゃないかなと思うんです。そのために、リアルな店舗を構える小売業に参入しようと準備をしています。 今まではデジタル領域でやっていましたが、リアルなコミュニティやつながりを大事にしながら小売を作れば、目標の年収3,000万円はいくと考えています。 ― たしかに年商で考えれば3,000万円は難しくないかもしれませんが、年収ベースではハードルが高いような…… ハードルは高いんですが、成果を出すことがこれからの時代すごく大事ですし、人としてのあり方を考えたときに「稼ぐ」ということは大事だと思うんです。今まではお金はあまりいらないなと考えるタイプでしたが、将来的に結婚や子供を考えたら、お金はかかるよなと。だからまず稼ぐモデルとなれればいいなと思って、30歳で年収3,000万円を目標にしています。 ― 小売業へのチャレンジはいつごろされる予定ですか? 今27歳なので、29歳までには店舗を構えてビジネスオーナーとしてステップを踏まないと目標に間に合わないと思っていて。なので、あと1〜2年くらいは仕込み期間として考えています。ただ小売で何を売るかは、あえて決めていません。世の中の流れが早すぎて予測が難しいので。 何を売るかより「笹本がお店やるなら行く」と言ってもらえる関係性をまず作ろうと思っています。それは将来的な華僑に繋がるんですが、まず自分自身のつながりやファンを増やして、タピオカをやろうがパンケーキをやろうがとりあえず来てもらう、という状態を設計をしている感じです。 ― 最後にU-29世代に向けて、伝えたいメッセージがあれば教えてください。 今の時代、選択肢が無限にあって何でもできます。時代としてもありがたいなと思う一方、何をやるかより「どうなりたいか、どうありたいか」というような、自分の長いキャリアや人生を考えた上で、色んな選択をしてほしいなと思います。自分なりに考えて進むことはすごく楽しいんですが、それが目標につながっているかどうかをきちんと見極めながら選択した方が良いかなと思っています。 また、周りの大人のアドバイスに素直に耳を傾けることも大事ですね。僕は師と出会うために、いいなと思った人が「いいな」と思う人を紹介してもらうようにしています。いい人の周りにはいい人がいるというか、連鎖が生まれている気がするので。この人自分に合うなと思ったら、その人に「いい人いませんか」と聞いて回るのもいい方法だと思います。 ▼笹本さんのTwitter https://twitter.com/sasamoman ▼笹本さんのnote https://note.com/sasamoman ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗 写真:橋本岬 文:品田知美 編集:ユキガオ デザイン:矢野拓実

「官僚」の枠を超えて圧倒的に挑戦し続ける小田切未来が語る、20代が身につけておくべき3つの思考法

キャリアに大きな影響を与える、20代での働き方や仕事への向き合い方。チャレンジングな仕事をしたいと願う一方で、任せてもらえず思い悩んでしまう人も多いはず。そんなU-29世代こそ身につけておきたい思考法があります。 それを語ってくれるのは、小田切未来さん。東京大学大学院修了後、経済産業省に入省。5年目でクールジャパン政策の担当になったのち、内閣官房副長官補付、経済産業大臣政務官秘書官などを歴任。一般社団法人Public Meets Innovation を設立して理事となり、現在は米国ニューヨークにあるコロンビア大学国際公共政策大学院に在籍されています。 そんな非常に輝かしいキャリアをお持ちの小田切さんですが、はじめから国家公務員を目指していたわけではないんだそう。何が今の小田切さんを作ったのか、20代でどんなことを意識してキャリアを築いてきたのか。人生における3つのターニングポイントと、今のU-29世代に伝えたいメッセージを伺いました。   小田切未来の人生における3つのターニングポイント ー 小田切さんにとって、人生のターニングポイントは何だったんでしょうか? 私の場合、一つ目は就職活動、二つ目が海外留学、そして三つ目が一般社団法人Public Meets Innovationの立ち上げ。これらが、自分の中で大きなターニングポイントとなっていますね。 ー 一つ目のターニングポイントは、経済産業省に入省する前なんですね。 はい。私は、父親が体調不良などで仕事を早めに退職したこともあり、高校や大学には奨学金をもらいながら通ったんです。また当時、アルバイトで家庭教師や予備校講師をやっていたこともあって、人材育成や教育事業に興味があったんですよ。 そんなとき、兄が「人材育成や教育の仕事をやるのであれば、教育の制度を変えられるようになったほうがもっとダイナミックに仕事ができるんじゃないか」と助言してくれて、初めて早稲田セミナーという予備校に行ったんですね。そこにたまたま文部科学省、国土交通省、経済産業省などの方々が来ていて、「経済産業省は社会で活躍するための人材育成もやっている」と聞いたことで、方向転換しました。 大学院で経済、政治、法律など公共政策を勉強したほうが自分のためになるな、と考えて大学院に進むことにしたんです。だけど実は私、大学5年と大学院1年のときに官僚の試験に落ちてるんですよ。大学院2年でやっと合格。だけど、大学院の研究と並行して試験勉強をするのがものすごく大変で、その時はすごく忙しかったし、毎日12時間は勉強していたと思います。 ー 三度目の正直で、官僚になる道が開けた。 奨学金を借りて苦労していたので人材育成に関わることがやりたかったし、いつでも誰でも挑戦・再挑戦ができるような社会づくりができたらいいなと思っていた。だから官僚か、途中で公の仕事ができるような道に進んだほうがいいんじゃないかと考えていたんです。「数億円お金を稼いでそれを元手に政治家になれないかな」と、外資系金融企業にも就活していた時期もありましたが、今考えるとだいぶ尖っていましたよね(笑) それでも経済産業省に決めたのは、人ですね。魅力的な人が多かったからなのですが、その中でも面接で衝撃的な人に出会ったんです。その人は、今の三重県知事・鈴木英敬さん。面接の二言目には「俺、顔でかいやろ、ガハハハ」と笑ったんですよ。「こんな人が官僚にいるんだ(笑)」と衝撃的で、ここで働いてみたいという気持ちがすごく強まりました。 僕が一番大事にしていたのは「誰と一緒に働いた上で、自分の叶えたいことを実現できるか」ということだったので、最終的には人で決めたんです。これがまずターニングポイントになりました。 ー 二つ目のターニングポイントは? 海外留学ですね。留学するために、2010年頃にTOEFLの勉強をしていたんですけど、その時の点数が120点中27点だったんですよ。これじゃあ、どこの大学院も受からない。そこから2〜3年間勉強して60点台まで上がったんですが、2〜3年かけてこれだけしか上がらないのなら自分には向いていないな、と思って。ちょうど仕事も面白い時期だったので、諦めていたんです。 でも、経済産業大臣政務官の秘書官をしていた2018年3月にカナダ・モントリオールのG7に同行したんです。そこには通訳も付いていたんですが、夜の食事のとき、たまたま私が座るところには通訳がいない状態になってしまって。目の前にはアメリカ人やイギリス人、フランス人、ドイツ人というようなテーブルで、話に全くついていけないわけです。それが猛烈に悔しくて。 それで改めて、留学のチャレンジを再開し、そこからTOEFLやIELTSなど英語の試験を更に20回くらい受けて、ようやく今のコロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)に合格。SIPAには世界中から優秀な人材が集まっており、2019年のU.S. News & World Reportのランキングでも非常に高い評価も得ていて、日々刺激に満ち溢れています。これが二つ目のターニングポイントになりました。 ー 三つ目は、一般社団法人Public Meets Innovationの立ち上げですね。 実は2012年頃に、経営者や官僚、研究者、アーティストなどの友人と集まって、セミナーや勉強会をやるための法人の立ち上げようとしたことがあるんです。でも、事情により立ち上げが止まってしまったんですね。やりたいことだったから、私の中でずっと燻っていました。 そして2018年2月、シェアリングエコノミー協会の石山アンジュさんともう一人の現理事とで、「今の社会に何が足りていないのか」「どうなったら社会はもっと良くなるのか」といったことを議論していたところ、まさに3人の考えていることが一致していた。 パブリック側はイノベーションに関する知識が足りていなくて、イノベーター側はパブリックマインドが不足しがちです。だったら出会いの場を設けることが大事なんじゃないか、と。まずは、みんなで毎週集まってどういったことができるか考えよう、と議論しているうちに、だんだん人が集まってきた。そしてPublic Meets Innovationが立ち上がったのが、三つ目のターニングポイントです。 ー Public Meets Innovationでは、具体的にどんな活動をされているんでしょうか? 今は、パブリック側とイノベーター側が交流し、共通な課題意識を持つようなテーマをベースとしたイベントやセミナーなどを中心に実施しています。また、このコミュニティは1980年代以降生まれ、ミレニアル世代限定になっているという特徴もあって、次世代リーダーと呼ばれる人をここから輩出できればとも思っています。   「人、思考法、行動力」で働き方を変える ー 今は官僚にならなくても社会を変えられる時代ですが、だからこそ行政で働く醍醐味を聞きたい。20代の頃に「これは行政だからできた仕事だな」と思ったことはありますか? 行政は、法令・税・予算の3つの重要なツールを持っているんですが、特に私が重要視しているのが、機運作り。クールビズがわかりやすい例かと。企業の場合は、原則として、利益最大化が目的なので、国や社会の機運全体を上げていくというのは難しい部分があると思います。 私が入省5〜7年目のとき、クールジャパンという仕事に携わっていたんです。日本企業の海外展開がなかなか進まない中で「あの企業がやれたのなら、うちもやれるかもしれない」といった挑戦の連鎖を作ることが、クールジャパンの醍醐味でした。クールジャパン自体をみんなで推進することが、日本企業全体の海外展開に繋がっていく、と。 この仕事をやっていたほうが、国や社会全体の機運を作るのには向いていたなと思います。あと、私が担当していた兼業・複業促進の話も機運作りの典型例でして、パラレルキャリアを応援していくことは、一企業には難しい。それがこの仕事の面白さだなと思うし、まだまだできることはあるなと思っています。 ー 20代でチャレンジングな仕事ができず離職してしまう若者も多い中、小田切さん自身の経験を踏まえて、20代では働き方にどう向き合うべきだとお考えですか? 私の場合、入省して5年目でクールジャパンの仕事をしたわけで、大きな仕事を比較的早く任せてもらえたと思っています。それでもまだ長いと感じるようであれば、兼業・複業で、余った時間に違った活動をしてみるのがいいかもしれませんね。 あとは、異業種とのネットワーク作りも大切。私自身、経営者や起業家、投資家、弁護士など、同世代の仲間たちと交流していろんな意見を聞いていました。将来大きなことを仕掛けるときの準備として、人との繋がりを作っておくというのはいいと思います。 ー とは言え、ただ目の前の仕事をこなしていただけでは小田切さんがそのポジションに配属されることはなかっただろうなと思います。20代の頃、仕事を任せてもらえるためにやっていたことはありますか? 大事なのは、人と思考法と行動力だと思います。人というのは、仕事関係以外の人とも積極的に会ってネットワークを作ること。そして思考法は、他人から与えられた情報をそのまま鵜呑みにしないということ。 大学院時代に、元総理秘書官と会う機会があり、「新聞を見るときは、経済欄は80%、社会欄は50%、政治欄は20%くらいしか正確に書かれていないと思いながら批判的に読みなさい」と言われたんです。常に世の中の情報に対して、あえて批判的に考えることを努力しなさい、と。その結果、官庁の中にいる他の人より「前例を疑ってみる」ということができたんだと思います。 行動力としては、20代のうちに自己実現のためのコミュニティ立ち上げ経験をするのが良いのではないでしょうか。私も学生時代にバスケットボールのサークルを立ち上げた経験がありますが、サークルでもいいですし、NPOや社団法人、もし可能であれば、株式会社でもいい。自分でやりたいことに対してプロアクティブにコミュニティを立ち上げた経験が行動力に繋がり、最終的に仕事にも活きてきます。 あとは失敗をすることも大事です。私も国家試験に2回落ちたり、英語の試験を約40回も受けたりたくさん失敗してきました。だけど、成功と失敗って、決して二項対立の概念じゃないんですよ。失敗を繰り返した先に成功がある。周りになんと言われようが、繰り返し繰り返し、命を燃やすレベルでやり続けることが大事だと思っています。 ー 挑戦するから失敗するのであって、失敗を避けて挑戦しないことが本当の意味での失敗ですもんね。失敗を怖がらずにチャレンジし続けられる理由やエネルギーの源泉はどこにあるんでしょう? 私は「こういう人間になって、こういうことを実現したい」という使命感をものすごく持っているほうだと思います。そのために必要な要件だと思って、何度も挑戦しているんです。自分が目指す人材像に近づくために、諦めることができないんです。 ー 使命感があるからこそ、失敗してもチャレンジし続けられるんですね。   20代で身につけておきたい3つの思考法 ー オフィスにこもって仕事をするだけでなく、社外に出てネットワークを作ったり勉強の時間を確保するなど、自分の時間を生み出してその時間を自己投資に使うということは、官僚に限らず会社員にとっても大事なことだと思います。小田切さんは大変お忙しい中で、どのように時間を生み出していたんでしょうか? やらないことを決めましたね。具体的には、金曜日にみんなで飲みに行くとか、夏休みや冬休みになると旅行に行くといった、みんながデフォルトでやっていることを敢えてやらない。そして、その時間を自己実現のために使っていました。普通の人と真逆なことをするのは、時間の作り方のひとつだと思います。 ー 他にも、U-29世代に必要な考え方は何でしょうか? 3つの思考法が必要だと思います。一つ目は「オキシモロン・シンキング」、二つ目は「クリティカル・シンキング」、先ほどお話しした批判思考ですね。そして三つ目は、「クリエイティブ・シンキング」です。情報が満ち溢れた中で、AIでは代替されにくい「想像力」「統率力」「構想力」などがますます重要な時代になってきているので、そういうことを常に意識し、コミュニティ立ち上げなど0から1を作る経験をすることなどが大事だと思います。 私は特に「オキシモロン」という言葉をすごく大事にしていて。日本語で言うと「撞着語法」で、「急がば回れ」「賢明な愚者」など、矛盾していると考えられている複数の表現を含む表現のことです。 現在の世の中は、どうしてもAかBかの二元論で語られがちなんですけど、リアルの世界では二元論を超えて物事を解決しなければならないことがけっこう多いんですね。だから「AかBか」ではなく「AもBも」という考え方をどれだけ追求できるかというのが、U-29世代がこれから活躍するためのキーワードじゃないでしょうか。 ー 普通だったらORと考えてしまうことを、どうやったらANDで実現できるかを考えて日々仕事をしてこられたわけですね。 海外に留学しているのもオキシモロンの発想でして。海外のことをよく知らないのに、日本のことだけを良くしたいって、バランス感覚が欠けていると思ったんですよね。日本の文化や伝統、そして海外の文化も理解しながら、両方の意見を取り入れて政策を生み出して行くことが大事だな、と。 イギリスのノーベル文学賞を獲ったラドヤード・キプリングの有名な言葉に、「イギリスのことしか知らない人が、イギリスの何を知っているのか」というものがあって、要はイギリスを良くしたかったら、イギリスだけにいちゃだめだよということ。これは今の日本人にも同じことが言えます。だから20代のうちに、半年でもいいから海外の雰囲気を味わってほしいですね。 ー 小田切さんは、KPIが立てづらい官僚という仕事で確実にパフォーマンスを上げて評価され、信頼を積み重ねてこられたわけですよね。そのためには、どんなことが大切だったと思いますか? 私は誰よりも若いうちに失敗してきたから言えるのですが、与えられた仕事をまず精一杯やるということが、若いうちはすごく大事だと思います。何者でもない自分が何者かになれる瞬間は、愚直に努力をしないと与えられません。投資されない理由は信頼されていないからで、信頼というのは一歩一歩確実に努力して貢献して得られるもの。若いうちは、踏ん張って努力をするのが大事だと思いますね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる (取材:西村創一朗、写真:ご本人提供、文:ユキガオ、デザイン:矢野拓実)

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