CREEDOはキャリアを後押しできる場。藤井蓮が株式会社ブルーブレイズ共同創業者になるまで

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回は株式会社ブルーブレイズ共同創業者の藤井蓮さんにお話をお伺いしました。 大学卒業後はWebディレクターとして働かれていた藤井さんが、株式会社ブルーブレイズにジョインを決めた経緯や、現在担当されているお仕事についてお話いただきました。株式会社ブルーブレイズ代表の都築さんの過去インタビュー記事もぜひ合わせてご覧ください! 熱いLINEが共同創業者になったきっかけ ー都築さんと共同で創業された株式会社ブルーブレイズについてまずは教えてください。 ブルーブレイズではCREEDOという社会人向けOB訪問サービスを提供しています。サービス名であるCREEDOはCREED(英語で信念・志という意味) と DO(する)を合体させた造語で、「世界に100億の志を」というミッションから生まれました。 現在は社員2人という状況なので柔軟に仕事を分担していますが、私は主にCREEDO のサービスデザイン・カスタマーサポートを担当している他、CREEDO Journalというキャリアに関する情報を発信するメディアのライターも担当しています。 ーかなり幅広い業務を担当されているんですね。元々起業したいという思いはあったのでしょうか。 起業したいという思いは特になく、正直共同創業者としてやってみないかと誘われたこと自体が予想外でしたね。ちょうど社会人3年目のタイミングで人の働き方に関する仕事に就きたいと思い、組織開発や人事への転職を考えていました。その中で転職したいと思っていた企業、サイボウズ株式会社の選考に落ちたことを大学時代の友人であった都築に伝えたら、一緒に自分の挑戦に加わって欲しいという熱い長文のLINEが届いたんです(笑) ーそんな経緯で共同創業者になられたんですね。その時点では今のようなサービスを提供しようと決まっていたんですか? 元々は学生向けに動画で発信するキャリアサービス案が上がっていましたが、議論する中で学生向けではなく若手社会人向けにターゲットが変わっていきました。 創業時すぐは若手社会人にキャリアのヒントを与えるきっかけになればと思い、キャリアインタビューからはじめました。インタビューをしていく中で、熱意を持っている方達の話をユーザーさんが直接聞けた方が元気や刺激をもらえるのでは?と思い、社会人向けOB訪問サービスが加わりました。 ーサービスの反響はいかがでしょうか。 未経験で転職したかった方や、周りに異業種の知り合いがいなかった方がCREEDOを見つけてくださることが多いなと感じています。普段だとなかなか出会えない人と繋がれるプラットフォームにCREEDOがなっていることがとても嬉しいです。 また私自身も自分の経験談をCREEDOに出しているので申し込んでくださる方がいるのですが、自分の経験談を話す中で振り返りができる良い機会になっているので手前味噌ではありますが、CREEDOは相互メリットのある良いサービスだなと思っています。   誰にとっても生きやすい社会にしたい ー現在に至るまでの経緯も少しお聞きできればと思うのですが、幼少期の話なども少しお話いただけますか。 私は京都出身で10歳から東京に引っ越してきたのですが、生まれ育った京都は在日コリアンの方が多い地域でした。私は日本人の両親の元に生まれた日本人ですが、通っていた保育園はむしろ在日コリアンの方が多くて、私の方が逆に異質な環境で過ごしました。当時は特に何も気にしていませんでしたが、大学生になってから色々調べていく中で在日外国人の方が日本ではどういう立ち位置なのかを知るようになりました。 また、父が精神疾患が原因で社会復帰できていない方をサポートする精神保健福祉士として働いてました。そのため精神病についてや、精神疾患を持っている方が社会でどのような扱いを受けているかを知る機会が多くありました。同時に2歳からは母と2人暮らしだったので、母子家庭=可哀想というレッテルを貼られることが多くありました。 これらの出来事から社会的にマイノリティとされている方や差別・偏見について考える機会が多くあり、誰にとっても生きやすい社会にしたいという思いを持つようになりました。 ーそのようなバックグランドをお持ちだったんですね。 とはいいつつも、そんなに活発に活動していた幼少期ではなく、何かを作ったりするのが好きでマイペースに自分のやりたいことを見つけるタイプでした。高校に入ってから弓道部に入部したのをきっかけに、静かな陽キャから少し陽キャに変わっていったという感じですかね(笑)何かを作るのが好きという当時の感覚が、今の新しいサービスを作り上げることや、サービスデザインをしたりすることにつながっているのかなと思います。   学外に目を向けた結果、アイセックと出会う ーなるほど!大学時代はどうでしたか? 実は大学受験の時に志望校を軒並み落ちまして、最後の最後に唯一受かった東洋大学に進学しました。希望していた大学には行けませんでしたが、だからこそ大学外の活動に参加して視野を広げようと思うことができ、母の紹介で知ったのがAIESEC(アイセック)でした。 ーお母さんの紹介で、ですか? はい。母の職場にアイセックの学生が来たことがあったらしく、母に勧められました。アイセックは海外インターンシップ事業を行っており、元々海外にいくのが好きだったのもあり、海外の学生たちと出会えるのは魅力的だなとと思いました。また、新歓に行った際にお話しした先輩たちが思いを持って活動されていおり、キラキラして見えました。東洋大学にはアイセックの委員会がなかったのですが、東京大学委員会はインカレになっていることを知り、そこに入って活動をすることになりました。 ーそしてそのアイセックで都築さんとも出会うんですね! そうです!大学2年生の時に都築と一緒のプロジェクトを担当しました。タイの学生さんを受け入れて研修内容を考えたり、身の回りのサポートを一緒にしていました。タイの学生さんに限らず、同じ日本人でも考え方の違いとかがあることを気づくことができ、そんな違いを楽しみながらプロジェクトを進めていくのが面白かったです。 また、アイセックでビラ作りなども担当する中で、本格的にデザインの勉強をしたくなりデザイン会社でアシスタントとしてバイトを始めました。これも今の仕事につながっているなと感じる大学生活の中の出来事でした。   ウェブの影響力に可能性を感じて就職 ーそして就活の時期がやってきたかと思いますが、就活はどのような軸を持ってされていたんですか? デザインの勉強をしたことや、アイセックのWebサイト更新やSNS運用を担当したことがきっかけでWebの影響力を感じる機会が多くありました。幼少期の影響から、誰にとっても生きやすい社会にしたいなという思いがあったこともあり、ITやウェブに関わる部分で社会的影響力を持っている会社に就職したいと思っていました。 その中で内定をいただいたWeb制作・運用会社の株式会社メンバーズは、大手BtoC企業のWebマーケティングを支援することでで社会問題を解決していこうという思いをもっている会社だったので入社を決めました。 大学受験時は何を勉強したいかが分かっておらず、とりあえず勉強していたので志望校に行けませんでしたが、就活時は進みたい方向性が決まっていたのでその中から自分にあった会社を見つけることができてよかったなと思います。 ー実際、新卒で入社してみてどうでしたか? 最初はアパレル系企業のWebディレクターを担当させてもらいました。ECサイトのリニューアル時のサイト機能設計やサイトの更新提案や運用をしていたのですが、最後に仕様を決めるのはお客様というところにジレンマを感じることが多かったです。 それでも2年目に差し掛かるタイミングでメインディレクターを務め、初めて独り立ちしたプロジェクトで無事お客様に喜んでいただくことができたのは、自信につながりましたしやりがいも感じることができました。 ーその中で社内の女性活躍推進プロジェクトにも関わっていたとお聞きしましたが。 はい。入社後に立ち上がった社内プロジェクトで、誰にとっても生きやすい社会にしたいという思いが変わらずあったので参画していました。退社するまでの4年間、パパさん社員が時短勤務を取りやすくするためにはどうしたらいいかなどの意見交換会を開催したり、ファミリーデーの開催を企画運営したりしていました。 入社直後は男女社員の比率がほぼ半々にも関わらず女性役員がいない現状に、会社が本当に女性管理職の比率をあげたいと思っているのかと疑問に思っていましたが、このプロジェクトに参加したことで女性の活躍を推進したいという会社の想いを知ることができ、また自分自身もそこに貢献できたことが嬉しかったです。   CREEDOを必要としている人に届けたい ーそんな中、転職活動を考えたきっかけはなんだったんですか。 働いていく中でもっと、本格的に誰もが楽しく働きやすい環境を作る仕事に就きたいと思うようになりました。そして先進的な人事制度を持っているサイボウズに惹かれ、未経験でしたが人事への転職を試みました。しかし、内定をいただくことができず…。 ーそして都築さんからのメッセージが届いたんですね。 はい。2019年の5月に誘ってもらい、メンバーズと複業というかたちで関わることになりました。そして2020年1月に株式会社メンバーズを退職し、正式に役員として働くことになりました。 ー創業から関わってみてどうでしたか。 ゼロから作っていく段階は正解がなく、タイミングや運によっても事業の成功性が変わっていきます。難しいなと思いながらも、それを察知して行動していくのが楽しいなとも感じることができました。 また都築は全体像を見るのが得意で、私は細かいところに注目してみるのが得意なタイプでした。正反対なパートナーなだけあって、最初は対立することもありましたが、お互いのタイプを理解してうまく役割分担ができるようになってきたんではないかなと思います。 ー起業を経験する中で何か他に気づきなどありましたか。 インタビューをしてそれを記事に起こす過程で、意外に人の言いたいことを汲み取ったりするのが得意だと気づくことができました。また、現在毎週キャリアイベントをオンラインで開催しているのですが、そこでも話をまとめていく作業が得意かもしれないと思うようになりました。 ーこれからの目標はやはりCREEDOを更に広めていくことでしょうか。 はい。CREEDOの可能性を感じているので、これからどんどん伸ばしていきたいなと思っています。私がそのためにできることは、使ってくださっているユーザーの心情を理解することかなと思っています。CREEDOのファンになってくれた方がどういう理由で使ってくれているのか、CREEDOがどういう変化をもたらしているのかを引き続きヒアリングして、事業拡大に役立てていきたいと思います。 特に女性やマイノリティの方が日本でロールモデルに出会える機会は多いとは言えません。CREEDOを、誰もが自分の進みたいキャリアの先を行く先輩と出会える場にしていきたいです。引き続きCREEDOが必要としている人に届くよう、少しでもキャリアの後押しとなる場になるよう、広めていきたいです! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter)  

就職は理想の働き方を実現するための手段だった。本業と副業を両立させる石橋萌の働き方

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第90回はWeb広告会社で働きながら、ライター・ブロガーとして働かれている石橋萌(えるも)さんです。 現在は本業で新規事業の立ち上げを行なっているものの、昔は英語教師を目指していたという石橋さん。その後就活中の気づきを経て現在の職場を選ばれ、パラレルキャリアという選択肢を考えたそう。30歳までに石橋さんが実現したい働き方や本業と副業との両立に関するお話も聞かせていただきました! 自身の経験から生まれた新規事業キャレア   ーまずは現在のお仕事について教えてください。 株式会社ファンコミュニケーションズで新規事業の立ち上げを担当しています。現在は女性向けのキャリア相談サービス「キャレア」と副業サービスの立ち上げを行なっています。また、本業とは別にライターとメディア運営をやっています。 ー新サービス「キャレア」についてもう少し詳しく教えていただけますか。 キャレアはキャリアに悩む女性が、女性メンターにキャリアの相談ができるサービスです。私自身が就活時代、キャリアに悩んだことからこのサービスの立ち上げをはじめました。女性は結婚・出産などでキャリアを諦めている人が多い印象がありますが、諦めたくない人が、少しでも自分に合った、自分が理想としているキャリアを歩んでいる先輩と出会えたらと思っています。また、メンター側の方にもメリット・モチベーションにもなるようサービスは有料にしました。 まだスタートしたばかりのサービスにはなりますが、本当に必要としている人がいると思ったからこそ始めたサービスです。女性の次の行動までの後押しになっている実感があり、手ごたえを感じています。 ーいっぽうでライター・メディア運営もしているとのことですが、こちらはいつ頃から始められたんですか。 大学時代からアメブロ等を利用してブログを書いていましたが、一昨年の5月頃から本格的にブログの収益化を始めました。ライター業は、知り合いの紹介で一昨年の8月頃から始め、昨年の秋頃から本格的にライターとして仕事を受けるようになりました。 大学時代は英語教師を目指していた ー少し過去を振り返ってこれまでの経緯を聞けたらと思います。どんな中高時代を過ごされていたんですか? 中学ではバレー部に所属し、部活漬けの毎日を送っていました。と同時に英語塾で海外ホームステイのチラシを見たことや当時ペンパルが流行っていたこともあり、海外の人と交流したいという思いが漠然とありました。 そんな思いが募り、高校は国際科に進みました。ディベートに参加したり、フランス語を勉強し始めたりと海外への憧れはどんどん強くなっていました。当時はフランスに住みたいと思っていましたね。 ー海外への憧れはその後も続いたのでしょうか。 はい。大学では留学をしたいと思っていたので、立教大学の異文化コミュニケーション学部に進学しました。実は両親にずっと留学に行きたいと話していたのですが、お金もかかるし、必要ないと言われてきていたので、両親には秘密で留学が必須だったこの学部を選んだんです。 ーなるほど(笑)そして無事、留学を果たしたんですか? 大学2年の時にイギリスへ留学しました。当時は英語教師を目指していたので、英語力を磨くためにフランスではなくイギリスを選びました。念願の留学生活は非日常を感じられて楽しかったですが、同時に挫折の経験にもなりました。思いのほか言葉の壁があり、自分らしさが言葉でうまく表現できないことにストレスを感じて家に引きこもっていた時期もありました。 これがきっかけとなり、英語教師の免許はとったものの英語の先生になりたいという思いは消えました。 就活の軸は「30歳になったら移住できるか」 ―ではその後普通に就職活動されたんですか。 はい。就職活動は結構苦労しました。小学生にプログラミングを教えるアルバイトをしていたのがきっかけで、ITベンチャー企業を中心に就活をしていました。3月頃に内定をいただいていたのですが、「その仕事って本当にやりたいことだっけ?」と考え直し辞退。 再度就活をする時に改めて自分の軸を考えてみたんです。「私が本当にやりたいことってなんだろう?」と考えた時に、将来は場所や時間に縛られない働き方をしたいと思ったことと、30歳までに福岡に移住したいと思ったこともあり、就職活動の方向性をシフトしました。 ―その結果、現在の会社に? はい。当時自分の好きで得意なことといえばライティングだったので、30歳になったらブロガーになって福岡に移住しようと思いました。そのためにはどのような会社に就職したらいいかを考えた時に思いついたのが、アフィリエイト(ASP)の会社で働くことでした。アフィリエイトのコツなどブロガーに必要な知識を身につけられると思ったんです。 ―就職は目的ではなくて手段だったんですね。実際入社してみてどうでしたか。 入社してすぐはアフィリエイト広告の新規営業を担当していました。テレアポが苦手だったので苦戦しましたが、自分にあった営業スタイルを見つけた結果、新卒の中で1番の営業成績を取ることができました。 ―どのような営業スタイルで受注数を上げられたのでしょうか。 テレアポといえば、たくさん電話をかけるほど成果が出ると言われていましたが、私は電話するのが苦手だったので、アポ率を上げることに集中しました。 まずは電話をかける前の段階で業界を絞り、その業界でどのような広告がでているかを分析。電話をかけ、同業他社の広告状況を説明し電話で広告提案をしてアポをとるようにしていました。その結果、電話をかけた数は少なかったですが、かけた電話に対するアポ率が高くなり、結果的に受注数も高くなりました。 社外にも目を向けて本業に活かす ―そしてその後現在の新規事業の担当になられたんですね。 はい。ちょうど会社に新規事業を作る部署ができるタイミングで異動となりました。当時は人生の中で一番モチベーションが高く、朝活などのイベントなどに積極的に足を運んでいました。それが会社側からは行動力があって社外にアンテナを張っている人材と評価され、新規事業にぴったりだと思っていただけたようです。 ー具体的にはどのようなイベントに行かれていたんですか。 朝渋という朝活コミュニティに参加していました。友達に誘われて行き始めたんですが、このコミュニティに参加して夜型から朝型になりました。朝に起きるのが得意になったわけではなかったのですが、朝に会いたい人ができたこと、朝の時間が有効活用できると気づいたことで、新しい生活の選択肢が追加されました。また、必要となった時に思い出してもらえるように自分が何をしているかを出会った人にアピールしていたことで、イベント等での出会いがお仕事に繋がったこともありました。 ―しっかりとイベントでも種まきをされていたんですね!新規事業の立ち上げを始めてみていかがでしたか。 プロダクトオーナーとして新規事業を立ち上げるのは想像以上に大変でした。やりがいが1なら、大変さは9くらいですね。現在3つの事業でベータ版をリリースしましたが、それまでに様々な企画案を出してきています。 ―これまでどのようなサービス案を出されてきたのでしょうか。 最初は美容師事業に取り組んでいました。例えば、朝から美容院に行きたい人がいるのではと思い、朝から行ける美容室予約サービスを作りました。これはターゲットがニッチすぎたため、ユーザー数が伸びずクローズしてしまいました。他にも美容師専用SNSアプリなどの企画もありましたが、インスタグラムの劣化版になるとのことでボツに……その後、新しくキャレアを提案し、これがリリースにまで至りました。 本業と副業との両立 ー本業だけでも忙しいそうなという印象を受けましたが、副業をする余裕はあるのでしょうか。 正直なことをいうと本業と副業の両立は大変ですね。最近は土日を挟んだ納期でお願いして、週末にまとめて副業はやっています。それでもライティングのスキルはキャレアのメディア運営にも活かせていますし、自分自身が副業をしているので副業する立場に立ってサービスを開発することができています。また、会社外での仕事の経験は新規事業のアイディアに繋がることもあり、相乗効果が生まれることも多いです。副業が本業にもたらすメリットは大きいので今後もこの働き方を続けるつもりです。 ―週末もお仕事は本当に大忙しですね。 はい。その分、これからもっと本業の生産性と効率化を上げていきたいと思っています。これまでもいくつか効率化を目指して取り組んできました。例えば、何の作業に何時間かかっているかを見える化すること。TO DOリストを毎日作成し、考える時間を減らすこと。また、新規事業は終わりがないので1日でやると決めたことを決めて、そこまで達成できたら意識的にその日の仕事は終わりにするようにもしています。 ―30歳までに福岡へ移住という目標は変わらず、ですか。 移住したいという目標は変わっていません。もしかしたら30歳まで待たなくても移住できそうです。ブログで月20~30万稼げるようになったらその時点で移住をしようと考えていますね。ただ、移住先は福岡にもう限定はしていないです。食べ物がおいしいところに移住できたらなと思っています(笑) ―そのほかに、今後挑戦してみたいことなどもあるのでしょうか。 人のキャリアにも興味があるので、採用広報などのお仕事もしてみたい気持ちはあります。新規事業でやっているファン作りの知見とライティングのスキルを掛け合わせてできる仕事にチャレンジもしてみたいです。ただ、その時々にやりたいことをやればいいかなとも思っています。また1年後に答え合わせするのが楽しみです。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter)

「好きなことで生きていく」サッカー好き複業フリーランス、石川 奈那美

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第93回目のゲストは好きなことで生きる複業フリーランスの石川奈那美さんです。 Twitterではサッカー好きのイメージが強い石川さんの、意外な小さい頃の夢から、サッカーがモチベーションとなったイギリス留学、そして新卒で入社した企業を辞めてから今に至るまで。好きを仕事にした彼女らしい生き方に迫りました! ピアノではなくスポーツへ惹かれていった ーまずは簡単に現在されているお仕事について教えてください! 本業は愛知県のITシステムのベンチャー企業、株式会社ピアコネクトで営業をしています。今年で創業1年のまだ新しい会社で、自由に働かせてもらっています。副業として、女性支援イベント企画や動画編集、SNS運用、サッカーエージェントなどに携わっています。 ーTwitterを拝見するとサッカー好きという印象が強かったのですが、サッカー好きになったきっかけは何だったんですか? 両親の影響が大きいかなと思います。小さかったので覚えていませんが、日韓ワールドカップを現地で見に行ったこともあります。また、同級生にサッカー選手の道を進んだ友人もいました。 ーということは昔からスポーツまっしぐらだったんですか? 実は小さい頃の将来の夢はピアノの先生になることでした。3歳からピアノを習い、ショパンコンクールで賞をいただいたり、ヤマハ全国大会にでたりしていました。その結果音楽学校からも声がかかったりしていたんです。でも両親が女の子が生まれたらピアノをやらせると決めていたから習いはじめただけで、私自身がピアノにすごく惹かれたわけではありませんでした。 ーそうだったんですね。いつからピアノではなくスポーツに気持ちが向いて行ったんですか。 高校でハンドボール部に入り部活漬けの日々を送るようになったのが大きかったと思います。自分の中でピアノの優先順位が下がり、ピアノが本当に自分のやりたいことなのか、自分の将来に繋がることなのかと考えるようになりました。 ースポーツの何に惹かれたのでしょうか。 単純に身体を動かしているのが楽しかったのと、ピアノは個人戦で自分との戦いでしたが、スポーツはチームプレーだったところが自分に合ってたからかなと思います。入っていたハンドボール部は県大会の常連でしたが、同時に部員の半分以上がハンドボール初心者の部活でした。だからこそプレッシャーを感じながらも県大会に行ってやろうという意気込みを持ってみんなで頑張る過程がピアノではできなかった体験で、とても新鮮で楽しかったです。 香川選手がいるからマンチェスターに留学 ーその結果、その後の進路はどう決められたんですか? 当時はスポーツに関わる方法がスポーツトレーナーしか思いつかなかったので、スポーツトレーナーを目指して受験勉強に励みました。両親にピアノを辞めると伝えた時はお金と時間の無駄だったという話になり、喧嘩になりましたが最終的には自分のやりたいようにしなさいと折れてくれましたね。 第一志望は早稲田大学のスポーツ科学部でしたが受験に失敗し、地元の東海学園大学に進学を決めました。 ー大学に入ってみてどうでしたか。 大学に入ってから、スポーツトレーナーの大変さや給与面などを知ることになり、すぐにスポーツトレーナーになることは諦めました。それから大学で頑張るモチベーションもなくなってしまい、ゼミの先生に退学しようかと考えていることを相談しました。そうすると2週間のイギリス、アベリストゥイスへの留学プログラムを紹介してくださり、ちょうどロンドン五輪の年だったこともあり留学してみることに決めました。それがきっかけで自分の好きなサッカーをもっと追いたい、好きなことをやっていきたいと思うようになりました。 ーその後の学生生活はどう過ごされたんですか。 2週間の留学は短すぎたので大学3年でもう一度留学にいくことを決めました。ロンドンは物価が高かったので、他の場所を考えた時にマンチェスターに香川選手がいるのを思い出して、マンチェスターに3ヶ月留学することを決めました。結果的に週3で香川選手に会いにいっていましたね(笑) ー香川選手のファンだったんですか。 はい!J2にいた、セレッソ時代から香川選手のことは知っていました。でも海外に行かれてから、自分が好きなことを貫いて努力されているところや、チャレンジ精神があるところを知る中でどんどん好きになっていました。 ーそれでマンチェスターに留学を決めるのもすごいですね(笑)留学生活はいかがでしたか。 同じイギリス内でもアベリストゥイスとマンチェスターは全然違いました。 また、アベリストゥイスに留学した時は大学のプログラムだったので周りに日本人がいましたが、マンチェスターでは自分から話しかけないと一人の状況で…元々人見知りだったんですが、人見知りしている時間がもったいないと思うようになり積極的に自分から話しかけられるようになりました。同時に、サッカー選手と英語で話したいというのが良いモチベーションとなっていたので英語の勉強もはかどりました。 新卒で入社した会社を1ヶ月で退社 ー充実した留学生活だったんですね。留学から帰国後は就活をされたんでしょうか。 はい。実は両親や親戚も含めて私の周りは自営業の大人が多く、会社員になる意味がよく分かっていませんでした。会社員になると会社に縛られるのは?というイメージを持っていたんです。それでも世の中の企業のことを何も知らないのも、と思い業種を選ばずにできるだけたくさんの説明会に足を運び意外にもしっかりと就活をしていました。 ーその結果、新卒では就職を選ばれたんですか。 新卒では名古屋の広告代理店に入社しました。何かを作って世の中にその作品を出すのがかっこいいなと思って選んだのですが、思っていた以上に会社がブラックで1ヶ月で辞めてしまいました。 ー1ヶ月ですか! 今思うと本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、自分のやりたいこと・好きなことに使う時間をないのは無理だと思いました。そこで次の仕事も決まっていなかったのですがとにかく辞めることにしました。 退職後はまずはパソコンスキルを身につけようと思い、残業なしで定時に上がれるという自分の条件に合うところを派遣会社に紹介してもらい事務の仕事をしていました。 ープライベートの時間が確保されて何に時間を費やされていたんですか。 趣味でやっていた動画編集などを手伝うなど、自分の好きなことに時間を使っていました。また、昔から応援していたサッカー選手と仲良くさせていただいていたんですが、その方が会社を設立する時にお声がけいただき、サッカーエージェントで手伝わせてもらうことになりました。 ーその後、派遣の定時上がり生活から今の働き方にシフトされたんですか。 はい。居酒屋で自分のこれからやりたいことを話していたら、たまたま隣に座っていた人が話を聞いていて、「それ、うちで一緒にやろう!」と声をかけられたのをきっかけに今の会社で働くことになりました。実際入社してみると、まだまだそんないろいろやれるフェーズまで行っている会社ではなかったのでとにかく営業をやることになったのですが…(笑) 夢と人を繋げるプラットフォームを作りたい ー今後やってみたいことなど決まっている事はありますか。 来年の2月頃を目処に会社を作ろうと思っています。自分自身がいろんな人との縁でこれまで仕事をしてきたので、夢を持っている人・夢を支援したい人をマッチングできる、やりたいことを発言できるプラットフォームを作りたいと考えています。コロナの影響でどうなるか分かりませんが、具体的には名古屋でカフェを開きそこをハブにしたいなと思っています。関わってくれる人がウィンウィンになる場を作りたいですね。 その他にもママ世代にも自分の人生を楽しんでもらいたいと思い、ママ会などの女性支援イベントを企画運営しています。今後はこれももっと展開できたらいいなと思っています。 ー素敵ですね。長期での目標も、もしあれば教えてください! あまり長期的な目標は立てず、かなりざっくりとした目標に対してその時々に小さい目標を見つけていくタイプですが…今の自分のざっくりとした目標は自分の周りにいる家族や友人を幸せにすることです。その目標を達成する中で、自分が楽しそうと感じることにいろいろとチャレンジしていきたいと思っています。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter)

いじめられた過去から一転して、21歳で起業家へ。人生の主人公を自覚する渋川 駿伍の生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第88回目のゲストは、株式会社Kakedas CEO /日本ポップコーン協会会長の渋川 駿伍さんです。 中学生までいじめられていたという渋川さん。市を変え、人間関係を断ち切って進んだ高校生活では、もっと好きな自分として生きるようと、新しい挑戦をして行きます。 高校生カフェの設立、ヒッチハイク、インターン3社にポップコーン協会設立。そして2度の起業。21年間しかないとは思えないエピソードの濃さでした。 彼の理路整然と丁寧に自分の人生を紐解く姿は自分の伝記を読み上げているよう。 「人生の主人公として生きる」をモットーにし、周囲を気にしない納得できる生き方についてお伺いしました。 5回のピボットでたどり着いたキャリアコンサルタント ーー渋川さんは現在、2社目の起業でkakedasという事業を展開していますね。まずは、その事業内容について教えてください。 kakedasは国家資格コンサルタントと企業の中で相談したい人を繋ぐプラットフォームです。双方をオンラインで相談できる機会を作っています。現在は企業向けに特化していて、新しい経営・人事戦略として企業に取り入れてもらっています。 ーー現在の事業立ち上げの経緯は? 一つ目は私自身の体験です。実は私自身、2社目を起業してからメディアに取り上げて頂くことも多くなり、作り上げられる虚像に精神的に追い詰められていたことがあったんです。自分は人に頼ることがかっこ悪いと思っていて、相談もあまりできませんでした。そんな時、友人からキャリアコンサルタントの資格を取得したと連絡があり、体験してみたんです。とても助けられ、対話の時間の必要性を感じました。対話の時間をみんなにも取って欲しいと思いました。 二つ目は今まで、5回ピポットしているのですが、事業を展開していく中で見出したユーザーの背景にあります。以前、e-ラーニングの事業を展開していた時に、勉強の継続率が高い人と低い人の違いを探していたんです。ユーザーにインタビューしていく中で「こうなりたい」を明確に言語化できる人は継続率が高いことが分かりました。低い人はその逆で、「なんとなく始めた」人でした。なので一人一人が学習の目的やキャリアの整理があった上での必要性がある学習ということを言語化できれば、能動的に学習時間をとりに行けるのではないかと感じたんです。対話の時間によって、言語化することが学習サービスより先だと踏んだんです。 ーーあえて法人向けに特化した理由は? どうしたら本当に相談したい人に届けられるの問いを持っていました。本当に必要とし困っている人たちには場を提供しても意味がないんです。アウトリーチすることで初めて利用したいと思っている人の背中を押せるという仮説のもと、会社から、導入をはかりました。 大志を抱き、自分は変わった ーー論理的に決断をしていますよね。幼い時はどんな人でした? 実は5歳ごろから、幼稚園で先生からいじめを受けていたりと、ストレスがありすぎて曖昧で...。一人っ子だったので、一人で悶々と考えていましたね。子供ながら生きている理由を探すなどネガティブな状態で活発的ではなかったです。 あまり教室にいくのは好きじゃない生徒で図書館にこもっていましたね。 ーー意外です...!夢とかはあったんですか? 9歳で大志を抱いた時に、大きな変化が生まれたんです。 地球の環境問題に関心があり、当時京都議定書が策定され適用され始めたこともあり、テレビでも環境問題の特集などが盛んでした。これはまずいと、何とかするために「環境大臣になりたい」と周囲に公言してみたんです。そしたらすごく大人に褒められて。言えば言うほど、絶対に環境大臣になろうと稀決心しました。放課後の使い方も変わり、色々な人の話を聞きにいくなどポジティブに自分の夢と向き合えるようになりました。 ーー高校はどういう選び方をしたのですか? 今までの人間関係から断ち切りたかったので。地元を離れました。この決断はとても良く、整理して、自分のやりたいことは全部挑戦していこうと思いました。 高校一年生の時にスノーピークの山井社長の講演をお聴きできる機会があったんです。 起業家の話を初めて聞き、かっこいいと思い起業したくなりました。山井社長は地域課題をアウトドアで解決しようとしています。それがあまりにも、センセーショナルで衝撃的でした。 ーー大きく影響を受けたんですね。 いてもたってもいられなくなり、生徒会長に立候補しました。起業家に憧れてから、色々な本を読み漁り、実戦で試したいと思ったんです。生徒会を会社と見立て、様々なことを行いました。また学生団体も立ち上げ横の繋がりも意識しました。学生団体での一番の成果は「高校生カフェ」です。地元に貢献したい同世代を集め、学生団体を立ち上げました。最初に高校生4000人に「どうしたら学校を卒業しても地元にいたいと思えるのか」などのアンケートをとった中で「コミュニティースペース」がない課題が浮き彫りになったんです。設立のため、行政に交渉をしたり、地元企業に連絡をし資金調達なども行いました。 ーーすごい行動力! 無事完成し、価値あるものが作れたと思えましたね。でも持続可能なものにしていく難しさに直面しました。お金を稼ぐ難しさを痛感しました。 自分で言語化して、追いたくなる未来をつくる ーーカフェを作った後は、なにをしたんですか? 地元での活動をしていくうちに、地域に閉じこもっていることに焦りと限界を感じていました。田舎の高校だったので、少し視野を広げると優秀な同世代や留学経験社や何かの立ち上げ人もたくさんいる。まずは東京に進出しようと考え、高校三年生の時、ビジネスコンテストに参加しました。これが1社目の経緯になります。 ーー優勝したんですか? そうです。高校を卒業しギャップイヤー中にビジコンの賞金を元に開発を開始しました。ですがこの事業は力不足により畳まずを得なくなりました。 ーー理由は? 集まったメンバーのモチベーションの差が大きかったことにあります。お金を使い果たした時にはみんないなくなってしまいましたね。損失感が大きかったんですけど、会社のビジョン、ミッションを決めていなかったのが原因にあります。 自分なりに言語化し、追いたくなるような言葉にはなってなかったから資金が尽きた途端に離れてしまったんです。 ーーなるほど.....。 大学は進学せず、座学よりも社会の中で学んでいきたいと思い、自分なりの研究テーマをもち過ごしていました。その一つがお金でした。お金は何かと考え、お金を使わない生活をしてみたら何か分かるのではないかと思い、無一文でヒッチハイクに行きました。 ポップコーン協会の立ち上げ。エンタメな食材 ーーヒッチハイクで印象に残っていることは? 和歌山でヒッチハイクしている時にお土産でトウモロコシのタネをもらったんです。次の家で、キッチンを借り、ポップコーンを作り、振舞ったらみんな喜んでくれたんですね。 人を笑顔にできたという実感が嬉しかったんです、当時何も返せない自分に歯がゆさを抱いていたのでポップコーンの力に惚れ込んでいきました。ポップコーンを調べていくうちにどんどん好きになり、自分はポップコーンとどこまでも添い遂げられると思ったんです。どうしたら一緒になれるのかを考えていくうちに、協会設立を思い立ちました。 自分が会長になって感じた楽しさや笑顔などを広めたいとも思い、出張ポップコーンも行い、色々な場所にポップコーンを作りに行ったりしています。 ーー面白いですね。協会と会社はどう区別しているんですか? 社会の負を解消することは起業で、会社は社会課題で世の中をどれだけ前進させるのかにフォーカスしていると思っています。協会の方は、幸せなところをどうエンタメで盛り上げられるのかにフォーカスしている。今はソフトな相談のインフラをつくることを目標に掲げています。 ーー最後に、22年間多くの選択をされていましたが、大事にしていることは? 主人公として生きることです。 自分自身の人生を一本の映画に見立てた時、ストーリーを主演である自分がどんな次のシーンやシナリオにできるかは全て自分で選ぶでことができます。そうすることで、マイナスなシーンは幸せなシーンのスパイスになると思えるんです。 自分の物語に大局観を持たせた時、前よりきっと生きやすくなると思います。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:りっちゃま      

政治をもっとポップで身近なものに。POTETO代表・古井康介が見た世界の選挙とは?

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回は株式会社POTETO Media 代表取締役社長の古井康介さんにお越しいただきました。古井さんが政治に興味を持つようになった中学・高校での経験とは?古井さんがみたアメリカ・フランスの選挙の実態とは?現在のサービスに至るまでの経緯やこれから古井さんが目指す社会についてお話いただきました。 日本の政治のデジタル化を目指す ー早速ですが、現在取り組まれている事業について教えていただけますか。 POTETO Mediaでは政治専門の広告代理店として、政治をわかりやすく発信する活動に取り組んでいます。政治におけるマーケティングコミュニケーション専門の会社、のような感じです。元々は学生団体としてスタートしたのですが、発信を続けている中で政治家のPRビデオに取り組むチャンスをいただき、それ以来いろんな繋がりでお仕事をいただけるようになったので企業化しました。自民党の総裁選挙のPRをお手伝いさせていただいた実績もあります。 POTETO Mediaが目指しているのは政治のデジタル化です。デジタルを活用して政治のマーケティングに取り組み、政策づくりに活用。そしてできた政策を流通させるのもデジタルで行っていきたいと思っています。 ーなるほど。ちなみにPOTETOとはどういう意味があるんですか。 政治の電波塔を英語にしたPolitical Telecomunication Towerから2文字ずつとって名付けました。ちなみに、最近スタートさせた新しいサービスPOTOCUは「政治(Politics)でお得に」から名付けました。 ーPOTOCUについても少し教えてください。 POTOCUでは国が用意している制度をしっかりと使いこなして欲しいという思いから、条件を入れれば自分が該当する制度が見つかるサービスを提供しています。このような類似のサービスはいくつかあると思いますが、POTOCUの特徴は、制度がグラフィックで説明されている点です。その制度で何がもらえて何ができるのか。制度を利用するための細かい条件や制度の使い方についてできるだけ分かりやすくまとめるというのに多くの時間をかけています。多くの制度が名前が複雑化しており、種類も多いため、必要な人が活用できていないケースが多くあります。少しでもその助けになればと思っています。 POTETOとPOTOCUに繋がる原体験 ー政治に興味を持ち始めたきっかけは何だったんでしょうか? 中学生の時に、正しいことをやりたくても決められる立場にいないと何も変えられないと気づいたというのがきっかけになっています。 具体的なエピソードは2つあるんですが、1つは中学2年の体育祭でのできごとです。体育祭では例年応援合戦が行われており、3年の団長の人たちだけ学ランを着ていました。それに対して学校側が一部の人たちだけが目立つなのかどうなのか、全員体操服にするべきだとルールを急に変更したんです。それはおかしいと思ったのですが、中3の先輩は受験時の内申を気にして先生方には抗議しにくいとのことだったので、中3になったら学ランを着たかった私は署名活動をはじめることにしました。その結果、学校側も話し合いの場をもってくれ、今年は選択制とし、来年は事前協議をしてから服装を決めましょうということになりました。が、来年団長に立候補にするには今年は自ら体操服を選んだ人のみという条件付きだったんです。大人って汚いな、世の中は不公平だなとその時思いました。 もう1つは生徒会長に立候補した時のことです。私が在籍していた中学では、授業中にゲームをやるような生徒がいる学校だったのですが学校側は音を出さないでやる分には周りに迷惑をかけないので授業中のゲームを黙認している現状がありました。にもかかわらず服装に関してはとても厳しかったのでそれはおかしいのではと思い、風紀委員会の設置を掲げて生徒会長に立候補しました。しかしその時も先生方が生徒側に圧をかけて票を集められ、生徒会長になることができませんでした。学校の生徒会選挙に大人が介入してくること、めんどくさいことは見て見ぬ振りながら生徒の自主性を蔑ろにする先生に怒りと疑問を持った経験となりました。 これらの経験から自分の無力さを感じたので、権力でねじ伏せられることはこれ以上嫌だと思い、決める側の立場につきたいと思うようになりました。 ーそんな出来事が中学の時点であったんですね。高校生活はいかがでしたか? 高校は地元富山の公立の進学校に進んだんですが、この時の出来事が今提供しているサービス、POTOCUに繋がっています。私の家は両親・親戚も高卒でだったので、なんとなく東京の大学行きたいと思って高校生活を過ごしていました。しかし、いざ高校受験となった時に、慶應大学に行きたいと両親に相談したところ学費を出せないので志望校を変えて欲しいとお願いされました。両親は自営業でリーマンショック以後、会社の業績が厳しく塾に行く余裕がないのは知っていましたが、それでも学費くらい何とかしてくれるのではないかと思っていたんです。 その時にたまたま学校の黒板に貼っていた、現役で合格した場合もらえる奨学金の案内をみつけ、その結果大学にいけることになりました。実は兄弟3人共、なんらかの授業免除制度や奨学金制度を使って大学に進学させてもらっています。でもその制度について知れたのは本当に偶然だったので、制度が存在していることと、それが知られているかどうかは別だなというのを感じました。制度があることを知らなければ、東京への大学進学も夢のまた夢でした。 学生団体POTETOの設立 ーそこから大学に進学しPOTETOが学生団体としてスタートしたんですか。具体的には何がきっかけとなったのでしょうか。 2016年6年にイギリスでEU離脱を問う国民選挙の様子をテレビで友達と見たのが元々のスタートです。その時に大学生のノリで、海外の選挙を見に行こうとなり(笑)ちょうどアメリカの大統領選が今年の11月だということでバイトしてお金を貯めて現地の選挙の様子を見に行くことにしました。 特に深く考えていた訳ではなかったのですが、一緒に行った友達がカメラ好きで、どうせ行くなら旅の記録ができるようにYouTubeを始めようとなりました。そしてアメリカの大統領選を現地で見にいきますという内容のYouTubeをのせたところ1万回再生されたんです(笑)そこから、大統領選について面白くまとめたらいいかも?と思ったのがPOTETOのはじまりです。元々はメディアというよりはYouTuberのようなスタートでした。 ーそんな経緯があったんですね!実際現地に大統領選を見に行ってみてどうでしたか? 日本との違いに驚きの連続でした。例えばトランプの集会場は、飛行場が会場となっておりメイン会場となっていた格納庫ではミラーボールが回っていて音楽が鳴っていてクラブかと思いました(笑)またトランプの入場する演出も豪華で、アメリカの大統領選はパーティー要素が強いということが分かりました。 またトランプさんを支持している=アジア人に差別的な人が多いのかと思っていましたが、意外にも歓迎されたのにはびっくりしました。日本からわざわざトランプの応援のためにきてくれたの?!と親切にされました。逆にヒラリーの集会では、ヒラリーが負けた瞬間に「自分のアイデンティティがなくなった…」と泣き崩れる若者を見ました。日本で、自分が投票した候補者が負けた時にこうやってなく若者はいないんじゃないか?と思いました。 ーそして帰国後、本格的にPOTETOがスタートしたんですね。 はい。40人くらいの学生が集まってくれ、今度は翌年に行われたフランスの大統領選を見に行くことになりました。39歳のマクロン候補がこの選挙では勝ったのですが、彼の勝利宣言もまた印象的でした。ルーブル美術館の中庭、ガラスのピラミッドの前にライブステージが組まれ、前座にはフランスで人気のEDMの方が歌い、マクロンの入場と共にベートーヴェンの曲が流れ、フランスを象徴する赤と青のライトが回っていました。アメリカに負けない豪華な演出で、若者もたくさん参加しに来ていました。 この勝利宣言を見て、国の文化的な施設の前などで自分たちが選んだリーダーを祝うのがいいなと純粋に思いました。日本でもアメリカやフランスのようにかっこいいプロモーションを行ったり、ポップな印象を政治に持たせることができたら、若者ももっと政治に参加しやすくなるのではないかなという思いが強くなりました。そして少しでも日本の政治を楽しみながら関われるものにしたいと思っていたそんなタイミングで、様々なお声かけをいただけるようになり、菅元総理のPRビデオの作成などに関われるようになりました。 全員が生きたい人生を生きられる社会を目指して ーそんな中で、就職活動もされていたのでしょうか。 はい。POTETOは当時まだ学生団体だったので、就活をして、卒業後は副業として続けていこうと考えていました。大学4年の4月から就活しはじめたんですが、広告系やメディア系、新聞系はすでにエントリーの締め切りを終わっているところばかりだったんです。そこでまだ募集していたリクルートを受けたところ内定をいただくことができました。 内定を受諾したんですが、POTETOの活動を続けている中で12月の自民党総裁選に関わりたいと思い自民党に営業に行ったところ、お手伝いさせていただけることが決まったんです。その結果、どうせなら自民党総裁選をやり切ってから就職したいと思い内定は残念ながら辞退することとなりました。 総裁選終了後にまた就活をしようと思っていましたが、国のリーダーを決めるプロモーションを見てきた立場としてもっと政治に関わっていきたい、政治をもっと分かりやすく伝えたいと思い就職ではなく、会社設立の道を選ぶことにしました。 ー今後の展望などもぜひ教えてください。政治家になる、なども検討されているのでしょうか? いつかチャンスがあれば政治家になりたいという思いはあります。しかしそれはあくまでも手段と考えています。なんで立候補するのかが明確であるべきだと思っているので、政治家になって成し遂げたいことが見つかった時に立候補できればと思っています。  開発中のPOTOCUは行政制度の「流通」をデジタルの力で解決する取り組みだと考えています。世の中の様々なものがテクノロジーの力によって、隅々まで流通している。そんな中、政治だけが書類やハンコ、その他様々な規則によって「届かない」理由を作ってしまっています。このサービス、POTOCUによって、制度が一人でも多くの人の手元に届くように、政治のデジタル化を推進する「Politech」のスタートアップとしてこれからも頑張っていきたいと思います。 目下の目標は 政治をもっと身近なものにすることです。全員が生きたい人生を生きられる社会にしていきたいです。   ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter)

「彼氏の会社、買収したい」病み体質で不登校、貢ぎ、ナイトワークを経験した高桑蘭佳の変化してもブレない野望

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第82回目のゲストは株式会社メンヘラテクノロジーCEOの高桑蘭佳さんです。 株式会社を設立、自分と同じように悩む女性の悩みに寄り添っている高桑さん。現在、東京工業大学の大学院生と起業家というふたつの顔を持ち、精力的な活動をされてますが、高校時代は彼氏への依存を引き金にして不登校や引きこもり生活を経験していました。 「彼氏と別れるなら死ぬ、と思っていました」と自身の過去の恋愛を語る高桑さんが、仕事に自分の意味を見出し、抱えてきた課題をビジネスに昇華させていった過程に迫りました。   誰かの悩みに寄り添う存在「メンヘラせんぱい」 ー本日はよろしくお願いします!まずは自己紹介と、メンヘラテクノロジーで提供しているサービスについて教えてください。 高桑蘭佳です。「らんらん」という愛称で呼ばれています。1994年に石川県金沢市で生まれました。神奈川大学工学部に進学し、現在は、東京工業大学大学院修士2年です。 学業の傍ら、フリーライターをしています。また、2018年8月に株式会社メンヘラテクノロジー設立しました。 メンヘラテクノロジーでは、「メンヘラせんぱい」というチャットサービスを提供しています。気軽に相談できるチャットサービスで、30分300円から利用が可能です。 「誰かに悩みを聞いてもらいたい」という時、選択肢はいくつかあると思います。カウンセリングを受ける、無料の公共サービスを利用する、身の回りの人に相談をする…。ただ、どれも完全とは言えません。カウンセリングは私と同世代の人たちにとっては金銭的なハードルが高いです。無料の公共サービスは利用希望者が多いタイミングだと、自分が欲しいタイミングで受けられない場合があります。身の回りの人には、相談しづらいことってありますよね。相手への負担を気にしすぎたり、身近だからこそ言えない悩みだったり…。   ーそいう方にとってメンヘラせんぱいが新しい選択肢になるんですね。 若い子だと、最近はマッチングアプリを利用して話を聞いてくれる人を探すみたいなんです。でも、多くのマッチングアプリは異性同士でつながる仕様になっているので、弱っている女の子の気持ちに漬け込もうとする人もいます。それで、トラブルに巻き込まれてしまったという話もよく耳にするんです。その手段を選ばなくてもいいようになれば、という思があります。   ーだからこそ価格もこれだけ抑えて提供しているんですか? はい。ただ、相談を受ける側の「せんぱい」のことも考えると、価格は今後の課題ですね。 暗い話題もあるので、せんぱいの負担も考慮しています。サービス構想の時点では、電話対応も検討していたのですが、「電話だと場所が限られてしまう」「相談を受けるハードルが高い」という声からチャットスタイルになりました。   「頭の良い子が好き」彼氏の言動に追い詰められる ー大学院生としての学業に、起業と、とても精力的な印象を受けます。昔からそうだったのでしょうか?  高校生の頃は、不登校でした。当時、お付き合いしていた彼氏の言動が原因です。 もともと女子のコミュニティが苦手で、好きな人のことで頭の中がいっぱいになっているような女子高生でした。彼は、わたしのことを「面倒くさい」とよく言っていて、待ち合わせに来ず5時間も待たせるような人だったんです。それでも、別れたくなくて、嫌われないように努めていました。   ー高校生の頃から恋愛体質だったんですね。不登校になったきっかけはなんですか? 彼は「頭の良い人が好き」と言ってましたが、わたしは勉強が苦手でした。頑張っても、そんなにすぐに成績が上がるはずもなく…。「東大や京大に行くような女の子がいい」と言うので、志望校をそこに合わせて模試を受けるも、当然のようにE判定。その結果に、彼氏がさらに追求してきて、勉強への苦手意識が強まりました。 やがて、テストを受けることが怖くなり、中間テストの日から学校に通えなくなってしまったんです。彼氏にはそのことを隠し、塾や彼の学校へは行くものの、昼間は同じく不登校の子と遊んだり、ずっと寝ていたり…そんな生活でした。日を追うごとにどんどん落ち込んでいって、深夜に友人と出歩き、補導にあったことも何度もあります。   幸い、両親はわたしを理解してくれる存在だったので、「ストレスが増えるなら、受験はしなくてもいいんじゃない?」と言ってくれました。そして、進学先が決まらぬまま高校を卒業し、浪人生活に。相変わらず勉強は苦手でしたし、受験会場で涙が止まらなくなってそのまま帰る…なんてことも。それでも、神奈川大学の工学部に合格して、実家を出て新生活がスタートしました。   ナイトワークで稼ぎ、彼氏に貢ぐ日々 ー苦労しながら受験も乗り越え、大学生になられたんですね。新しい生活はどうでしたか? 大学へ進学しても相変わらず人間関係を円滑に進めることは苦手でした。新しくお付き合いする方もできましたが、「お金ないから奢って」と催促するような彼氏で…。ガールズバーやキャバクラなどのナイトワークで稼いで、多い月で30~40万円ほど貢いでいたときもありました。 そもそも精神的に安定していなかったので、ふつうのアルバイトができなかったんです。かといって、接客業が得意なわけではありませんでした。お客様とのコミュニケーションや、日中も届く連絡に、ストレスが募っていきました。   ー辛い時期だったことが伝わります。転機はなんだったのですか? 大学2年生のときに、イベントでお酒を売るアルバイトをしていました。そのイベントの手伝いで来ていた男性に一目惚れしたんです。それが、現在の彼氏です。 彼と付き合いはじめるときに「辞めてほしい」と言われて、辞めることにしました。しかし、稼ぎの良いアルバイトだったので、わたしの金銭感覚も狂ってしまっていて…生活に困るようになって隠れて再開しようとしました。    それがバレたときには、当然、彼はとても怒っていました。「辞めないなら、別れるよ」くらいの剣幕で迫られたものの、わたしも自分の生活があります。辞めたくても、辞められなかったんです。そしたら、彼氏が「らんらんは何がしたいの?」と、本質的な部分から聞き出してくれました。   もともと作文が得意で、ライターとして活躍されているさえりさんに憧れがありました。「ライティング、やってみたい」と口にすると、彼氏が「そっちを磨いた方がきっと稼げるようになるよ。将来にも役立つだろうから、挑戦してみなよ」と後押ししてくれました。   ライティングの仕事で、「必要とされている」と実感 ーらんらんさんときちんと向き合ってくれる恋人とのお付き合いが、良い方向へ導いてくれたんですね。具体的にどうやってライターの道に進まれたのですか? 最初はメディアを運営している編集部でインターンをして、記事を書いていました。それが、とても楽しかったんです。そして褒められることが嬉しくて堪りませんでした。書いた記事がスマートニュースにピックアップされて、PVが跳ね上がり、また褒められて…。 段々と、直接、執筆依頼をいただくようになったんです。インターンよりも高い報酬でライティングのお仕事ができるようになり、フリーライターとして実績ができていきました。 お仕事を通して誰かに必要とされることで、「生きていていいんだ」と思えました。彼氏に必要とされることが何より大事だと思っていたのですが、彼氏以外にもわたしは価値を提供できるんだと体感し、自信につながったんです。   ーライターとしての才能が開花していく一方で、大学ではどのような研究をされていたのでしょうか? 彼氏のツイートにリプライを送っているユーザーから、彼氏との親密度を探るというTwitter分析を行っていました。大学の助教授に、「彼氏のことを束縛したい」と話していたら、「それを研究テーマにしてみたら」とアドバイスをいただけたんです。 周りの工学部の友人の多くが進学することから、特に悩まずに自然とわたしの意識も大学院へと向いていきました。学歴コンプレックスをずっと拭えずにいたので、だめもとで、偏差値がより高い東京工業大学の大学院を受験します。わたしが所属している文理融合コースは、個性的な研究計画を歓迎する傾向にあり、わたしの研究はウケが良く、予想と反して進学できることに決まりました。   「彼氏の社員旅行に同行したい」束縛から起業へ ー過去に負ったコンプレックスを、自ら払拭したんですね。起業されたのは大学院へ進学してからでしょうか? はい。起業のきっかけは、ビジコンへの参加と、彼氏を束縛したくてです。 彼氏を束縛するネタの記事と、わたしの研究テーマを知ってくださったある企業の方との繋がりでサマーインターンのビジコンに参加することになりました。よく趣旨も分からぬまま参加したのですが、そこでのアイディアが選ばれ、数百万円の出資と共に法人化する権利を得ました。当時は起業するつもりは全くなく、お断りするつもりでした。その後、あることで彼氏と喧嘩をしたんです。 彼氏は会社を経営していて、本当は、その会社の役員になりたかったんです。そして、会社の社員旅行に同行したくて…。でも、彼氏が許してくれませんでした。それで喧嘩になり、そうしたら「起業して実績があったら、メンバーも役員になることを認めてくれるかも」と彼が言うので、出資を受けてメンヘラテクノロジーを立ち上げました。   ーそのような動機で起業を志した方、きっと他にいないでしょう…。では、事業内容が固まっていたわけではなかったのですか? はい。そのため、経営者の方に相談をして、「自分が抱えている課題を解決するために作られたサービスは強いよ」とアドバイスをもらい、まずは自分の内面と向き合いました。お話したように、わたしは人間関係や恋愛でのもつれを多く経験していて…。その悩みにアプローチするようなサービスの開発をしようと思い至りました。 とは言っても、起業がしたいという思いが先行していたわけではないので、会社経営へのモチベーションはあまり高くなかったんです。変化があったのは、出資していただいた資金の底が見えてきて、次の選択を迫られたタイミングです。 メンヘラせんぱいの前身となったサービスはあって、テストユーザーからのポジティブな声が届いていたんです。それがなくなってしまうのは寂しい、と思い、それからは意識を切り替えて、真剣に事業と向き合うようになりました。   ーこうやって、現在の高桑さんにつながっているんですね。今でも、彼氏の存在をきっかけに病むことはあるんですか? それが、忙しいとあまり病まないんですよ。気分が落ち込むことは昔と比べて減りました。むしろ、安定しているので感情の起伏がないことを悩んでいます。「逆に病みたい」って気持ちです。   ー気持ちが安定しているのは良いことですね。今後は、やはり彼氏の会社の役員になることが目標なんでしょうか? まさか彼は本当に起業すると思っていなかったようで、「やっぱりそれはできないよ」と伝えられてしまいました…。 そこで、新しい方法を考えたんです。企業は、買収されると、もともとの株主が持株を売却できないように立場を固定することができる「ロックアップ」という制度があるんです。通常だと数年ですが、わたしは100年にして、彼氏の企業を買収してしまおうと考えています。 経営者の知人にも「結婚よりいいじゃん!」と背中を押されています。それができたらいいなあ、と考えていますね。   ーどこまでもブレない高桑さんの今後の躍進も楽しみです。本日はありがとうございました!   ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる   === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter)

演劇家兼公営塾講師、神宮一樹は演劇を通してどう世界と関わっていくのか?

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。本日は演劇家であり、公営塾の講師を勤められている神宮一樹さんにお話をお伺いしました。ナポリで演劇と出会い、演劇の魅力に惹かれて大学卒業後再びナポリを訪れ演劇を勉強したという神宮さん。そんな神宮さんが公営塾で働くことになったきっかけや、演劇に対する思いなどを詳しくお聞きしました! 公営塾講師としての新しいキャリア ー早速ですが、現在のお仕事について教えてください! 今年の4月から愛媛県伊方町にある三崎高校の公営塾講師として英語を教えています。公営塾は、高校魅力化プロジェクトの一環として行われています。離島や山間部などの少子化が進んでいる地域では統廃合される高校が多くあります。その結果、他の町の高校に通うために引っ越すなど、町からたくさんの人が流出しているのが現状です。高校魅力化プロジェクトでは少しでも地域の過疎化を食い止めるべく、町が運営する公営塾を設置することで学習環境を整えています。と同時に、演劇の活動もしており、役者として舞台にたったり、作品を一から書いて作ることもあります。 ー講師と演劇家は珍しい組み合わせかと思いますが、講師の仕事を始められたきっかけはあったんですか? 石川県能登町の公営塾講師をしている友人がいたのがきっかけです。昨年の9月にその友人から演劇のワークショップをしてほしいと依頼を受けて、能登町を訪れました。演劇に触れたことがなかった高校生が多かったのですが、ワークショップで見れた彼らの反応がとても新鮮で、講師であった自分も多くの発見がありました。演劇を敷居が高いものだと思っている人が多いなと感じているんですが、演劇をもっと多くの人に身近に感じてもらえたらなと思ったんです。自分が舞台に立ったり、作品を作ったりする他に、演劇を通じて普段の生活に新しい魅力を見つけ出す機会を作ることに大きな可能性を感じた出来事となりました。その後たまたま伊方町の公営塾講師の求人を発見して、直感でやりたい!と思いすぐにエントリーし、今に至ります。 ー演劇の要素を授業に盛り込まれていたりもするんですか? 英語を担当しているので少し動きを取り入れたりはしてみています。例えばexpect(予期する・期待する)という動詞の語源はex(外)とspect(見る)から来ています。そこで「じゃあ先生が窓から外を見るようにしてみるからそれをみて意味を想像してみて」とやってみて、窓から外をみている時ってきっと何かを待っている、期待しているように見えるからexpectは予期するという意味を持つんだよねという説明をしています。言葉が生まれた瞬間のシーンを記憶にとめることで、単語の意味とマッチして覚えてくれたら嬉しいなと思っています。といっても、4月に愛媛に来ましたがすぐにコロナの影響で学校は休校となってしまっていました。そのため生徒と会ってからまだ1ヶ月ほどで、まだまだこれからという状況です。 真面目にふざける優等生だった ー現在に至るまでの経緯も少しお聞かせいただければと思います。どのような学生生活を送られていたのでしょうか。 高校は地元埼玉県の公立男子校に通っていました。進学校ではありましたが、行事のたびに盛り上がる面白い高校でもありました。特に高校3年の12月に行われるクラス対抗のサッカー大会はみんな受験前なのに朝練をするくらい全員が行事を楽しむ雰囲気がありました。中学の時は勉強にも部活にも打ち込む優等生で大人の期待に応えるために努力し、そこに達成感も感じていましたがその価値観が変わったのも高校生の時でした。様々な仲間と自由な環境で過ごしたことで、「真面目にふざける」という価値観を大事にするようになりました。 ーそんな充実した高校生活を送った中でその後の進路はどう考えていたんですか。 父親が英語の先生だったこともあり小さい頃から英語や海外に興味を持っていたので大学も言語が学べるところを考えていました。その結果、東京外国語大学外国語学部のイタリア語専攻に進学が決まりました。 ー大学生活はどのように過ごされていたんでしょうか。 大学では男女混成のチアリーディング部に入り、部活中心の生活を送っていました。初めは「男がチア ?!」と思っていたのですが、新しいなと思い挑戦することにしたんです。実際、男だらけの世界から一転して、マイノリティ側になり良くも悪くも注目されることが増えました。初めは居心地悪く感じることもありましたが、段々慣れてきて、最後は部のキャプテンも務めました。 留学先ナポリでの演劇との出会い ー演劇との出会いも大学で、ですか。 はい。演劇とは留学先のイタリアで出会いました。イタリア語専攻だったので一度イタリアに留学したいと思い、卒業を遅らせて部活引退後にイタリアのナポリに交換留学で行きました。住んでいたアパートが小さい路地にあったんですが、そこである日たまたまいつも閉まっているドアが開いていたので気になって覗いてみたんです。そしてそこにいたおじいさんに話しかけてみたところ、ナポリで古くからある地下劇場で、おじいさんが演出家ということがわかりました。なぜかそのおじいさんにとても惹かれたのと、地上の明るい世界と地下の劇場という異なる世界に魅力を感じて、それから授業をさぼっておじいさんに会いに行くようになりました。 ー演劇はそれ以前から興味はあったんですか。 多少興味はありました。ただ、演劇はドラマや映画の世界で、小さい頃から事務所に入っていないといけないというイメージがあったので演劇をやるという選択肢は自分の中でなかったです。卒論として演劇について研究するのは面白いかも、程度でした。イタリアのそのおじいさんとの出会いがあって初めて、演劇を研究するだけではなく、自分で実際にやりたいのかもと思いました。 ーそこからどのように行動されたのでしょうか。 交換留学期間が終わりを迎えたので、おじいさんにはまたすぐに戻ってくるからと伝えて帰国しました。そして帰国後両親にも、大学を卒業したらまたナポリに戻って演劇を勉強したいと伝えました。そしてとにかく何かはじめないと、と思い、思いついたのが卒業制作として一人芝居を書き、演じることでした。脚本家・演出家・役者を全部自分でやれば演劇について満遍なく知ることができると思ったんです。 ー一人芝居はすごいですね。 大学の友人や後輩にも手伝ってもらい、チラシを配り、大学のホールを借りて『ひとり遊びのメロディー』の上演が実現しました。当日は200人程の方が見にきてくださり、自分の自信にもなりました。しかし燃え尽き症候群になってしまい、卒業後の進路が具体的に決まらないまま大学卒業となりました。 直感に任せて、今を全力で、本気で遊ぶ ー次のステップは何がきっかけで見つけられたんですか。 9月に大学を卒業し、12月に行われた日伊国交150周年記念事業「イタリア仮面劇vs狂言 コンメディア合戦!!」への出演のお話をいただいたのですが、それ以外はバイトをする程度で具体的なアクションを起こせない日々が半年ほど続きました。 それでもやっぱりおじいさんに戻ってくると約束したしと思い、重い腰を上げてとりあえずイタリアに行くことにしました。ビザなしだったので3ヶ月以内に何かを見つけようと思い、現地についてからおすすめの演劇の先生や学校を現地の人に教えてもらった結果ICRA PROJECT(国際アクター研究センター)で身体マイムとイタリアの伝統仮面劇を学べることになりました。 勉強と並行して、ナポリ北部のセコンディリャーノ刑務所内で囚人向け演劇クラスのアシスタントを担当させていただいたり、元犯罪地域の住民と共同制作・上演する演劇ワークショップにアクターとして参加したりする機会にも恵まれました。中でも刑務所演劇は特殊で、人生の難しさや罪の意識、後悔を感じている囚人の人が演じるので舞台での役やセリフがその人の経験と一致した時にものすごく響く芝居で、見ていて美しいなと思いました。 ーたくさんの経験をナポリで積まれて日本に帰国されたんですね。 はい。ナポリには合計3年もいたこともあり、学校を修了したあとは日本に帰国することを決め、現在に至ります。実はイタリアで通っていた所からスタッフとして働かないかというオファーもいただいていました。いつかまたナポリに戻りたいと思っているので、そういう形で戻るのも1つの選択肢かなと思っています。 ですがまずは今のお仕事をやり遂げたいなという気持ちでいっぱいです。地域・学校というコミュニティに受け入れてもらい、関係づくりにしっかり取り組んだ上で任期3年の中で少しずつ演劇も絡めた活動ができたらと思っています。 3年後どうなっているかは正直わかりません。愛媛でもっとやりたいことを見つけたら愛媛に残るかもしれないし、ナポリでもなくまた全然違う土地で何か新しいことに挑戦したいと思っているかもしれない。でも先のことは特に決めずに、その時々に自分の直感に従って「本気で遊ぶ」をテーマにこれからも頑張っていきたいと思っています。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter)

【徹底した分析と集中】トップ就活チャンネルMC「おさ」が、公務員志向から起業家になるまで 

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第51回目のゲストは人気YouTubeチャンネル「トップ就活チャンネル」”MCおさ”こと長内孝平さんです。  卒業後、伊藤忠商事で働く傍ら、YouTuberとして活躍。子どもができたことを契機に、退職・起業・移住を実施。現在はチャンネル登録者数33,000超えの「トップ就活チャンネル」、73,000人超えの日本最大級のExcel専門チャンネル「ベスト転職チャンネル(おさとエクセル)」を運営している。 動画プラットフォームを初期から開拓し、起業までした長内さん。一貫してブレない行動の裏には、大学時代からの分析力の成果と、そこから導き出された一極集中型の戦略がありました。 もともとは公務員志向だった。起業家精神が養われた留学 ー本日はよろしくお願いします!大学時代のお話からさかのぼって伺いたいのですが、どんな生活を送っていらっしゃったんですか? 大学は、神戸大学に通っていました。主に留学生支援のボランティアと、外交官になるための勉強に時間を割いていましたね。 父親が国家公務員だったことが影響して、ずっと国務に仕えることを考えていたんです。   ー国家公務員!いまとはずいぶん違う進路ですね。方向転換したのは明確なタイミングがあったのでしょうか?  これ、といったライフイベントがあったわけではなくて、自分の中でずっと考えていたことの先に「起業家」という選択があったという感覚ですね。 当時、自分なりにスティーブ・ジョブスや孫正義など、成功している人を分析していたんです。みんな共通して、一点突破しているんですよね。選択と集中がとにかくうまい。そのストーリーを自分に当てはめて考えてみたんです。 経済学部でファイナンシャルを勉強していて、数字の分析に強い。なおかつ、コミュニケーション能力が高いという自己評価をしています。この自分の強みを活かすとしたら、公務員よりも起業家のほうがスピーディーに社会にインパクトを与えられるなと思ったんです。   ーそれは大学時代のいつの頃のことでしょうか? 大学3年の冬から大学4年の春にかけてくらいでした。それで、もともとは外交官になるから留学はしなくても…と考えていたんですけど、起業家になるなら学生のうちに、と思って休学して大学4年の夏からワシントンへ留学をしました。 ー留学でどんな経験を得られましたか? 私費留学だったので、周りに日本人が多かったんです。その人たちが、起業家精神が強かったというか…自分でメディアを運営して、収入を得ているような働き方をしていました。それまで、僕、ワードプレスすら知らなかったんです。そこで「ビジネスってこうやって作るんだな」というのを見て学びました。 ライターとしてコンテンツ制作の仕事をもらいながら、手を動かして経験を積みました。実際に、現地でできた友人とメディアの立ち上げもして、留学についての情報発信もしていましたね。   ーそれは思わぬ収穫でしたね。ほかに学んだことはありますか? 1年弱留学をしていたんですけど、一番の収穫は「キャリアは流動的なもの」という考えを知れたことです。アメリカと日本だと、キャリアに対しての感覚が全く違うんですよね。転職は当たり前だし、フリーランス文化が強い。そういう環境に身を置いて、なおかつ留学先で起業家の講演に頻繁に触れられ、より強く「起業家になろう」という気持ちが高まりました。   就活は相手のニーズに合わせて自分をパッケージ化すること ーそんなふうに起業への意識が高まっている中、就職をしたのはどうしてですか? 帰国してさらに休学期間を延長し、1年間は学生起業に挑戦したり、ひたすら本を読んでインプットしたりする時間にあてることにしました。ビジネスも割とうまくいっていたんです。そのタイミングで、尊敬している先輩に「せっかくうまくいっているのなら、もっと哲学を深めたら?」とアドバイスをいただきました。 そこから、哲学書を100冊ほど、3か月かけてひたすら読む中で、精神的に病んでしまって…。ある哲学者の言葉に傾倒して、それまでの人生が、虚無なものに思えしまうように。いま振り返れば、人生を豊かにしてくれたとも捉えられますが、あの期間はどん底でしたね。   ーそんな時期があったんですね。どうやって乗り越えたんですか? その頃は盛岡に住んでいたんですけど、わざわざ同意者と話したいがために東京まで行くこともありました。そうやって人と会っていたのは、よかったんじゃないかなと思います。孤独になっていなかったことから、そのうち気持ちも回復してきて。 親に心配をこれ以上かけたらいけないな、と思って就職活動を始めました。   ー伊藤忠商事に就職したのはどうしてですか?総合商社に絞っての就職活動だったのでしょうか? いえ、そういうわけではなく、単純にあまり時間をかけていなかったので、ESを提出できたのが7社しかなかったんです。その中で、一番最初に内定をくださったのが伊藤忠商事でした。それが決め手ですね。 就職活動は、相手が求めているものを的確に把握し、そこに合わせて自分をうまくパッケージ化させることが大事です。総合商社の場合は、ガッツやリーダーシップを求めているので、それに合わせて自分の経験をうまく伝えることができたので、内定をいただけたと思っています。   保守的にならない。「今、やるべき」と思ったらチャンス ーExcelの使い方を分かりやすく伝えるYouTubeチャンネル「おさとエクセル(現:ベスト転職チャンネル)」はどのタイミングで始めたんですか? 卒業前から始めていました。伊藤忠商事は副業ができないので、収益化は全くしておらず、ただただ人の役に立てばいいなという気持ちでコンテンツ作りをスタートしましたね。 また、自分のそれまでの経験から、動画を通じて学ぶことの効率の良さを体感していたんです。それまでExcelを動画で学ぶというサービスがなかったので、マーケットとしてもこのコンテンツは伸びると確信をしていました。    ー会社員生活はどうでしたか? 関わったプロジェクトは様々でしたが、一貫して経理周りを担当していまいた。賢く、素敵な方々に囲まれての仕事は、順風満帆なものだったと思います。その一方で、やりがいを見出すことは困難でした。自分の中で、ライフワークという位置づけに留まっていたんです。 大学時代から、自分のミッションを「いい世の中を作る人を増やす」と掲げていました。けれど、実際は財務や経理、会計の仕事ばかり…。生きるための仕事でしたね。 ーYouTubeの方は、両立してどのくらい活動していたんですか? 3年4か月の会社員生活のなかで、公開できたコンテンツは20本ほどでした。仕事前に早起きをし撮影して、土日に編集…という時ももちろんあったものの、もっとやろうと思えば100本は作れたと思います。そこまで根詰めてやっていたわけではないですね。 それでも、YouTubeはストック性が高いプラットフォームなので、自然と影響力は伸びていきました。それが成熟したタイミングで独立しました。   ー独立したひとつの契機として、子どもが生まれたことも大きかったと聞いています。子どもができると多くの人は保守的な選択をしそうですが…。 逆に、子どもがどんどん大きくなるにつれて、リスキーなことはより避けるようになると思うんです。もちろん、「独立していいんだろうか…」と迷うときはありました。でも、「今やらずに、いつやるんだ」って。 YouTubeのマーケット環境を俯瞰しても、YouTuberとしてのポジショニングも確立していました。年齢的にも脂がのった時期で、「今だな」と確信して、会社を辞めてYouseful株式会社を創業するに至りました。   限られたリソースは、やるべきことに全投下せよ ー会社員としてずっと青山という都会で働かれていたのに、一転、活動の拠点を青森に移されたのはどうしてですか? プライベートとビジネスを両立させるための最適な選択が「青森に移住」だった、それだけです。 現在、青森で両親のサポートを受けながら子育てをしています。そうすることで、ビジネスの時間をしっかり確保することが叶っているんです。僕の仕事は動画を撮ることで、場所はどこだって構わないんですよね。 経営者って、やることを列挙するとキリがありません。でも、自分のリソースは限られている。どこに費やせばレバレッジをかけられるかを見極めて、そこに全リソースを投入できる人が成功を納めます。僕にとって、やるべきことは「動画を撮る」だけです。   ーなるほど。一極集中したことで、チャンネルを伸ばすことができたんですね。 この一極集中する場所は独立する際にとことん考えました。そして明確化されたことによって、人と会うことさえもノイズになったんです。東京にいれば刺激を与えてくれる人たちに出会うことは容易です。でも、いまの僕には必要ない。そうなると、東京に住み続けるメリットは消え、むしろ仕事の時間を増やすことができる青森での環境の方が魅力になったんです。 現在は、組織作りも完成していて、編集も、メディアのマネージャーも、演者も、複数人体制で回しています。そうすることで、純粋に僕は動画を撮ることだけに集中できる。これが他の追随を許さない要因となっています。   ー今後はどのようにビジネスを展開させていくご予定ですか? いままで、就活や転職といった働き方においての「点」を抑えるコンテンツを作ってきました。今後は、さらにスキルアップという軸を加えて、大量にコンテンツを作っていく計画です。 追っているのはチャンネル数でも、再生時間でもありません。視聴者に最高のUXを提供すること。そこを変わらず大事に、継続していきます。   ー本日はありがとうございました!   ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる   === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter)

「社会にインパクトを与えたい」15歳から微生物と向き合ってきた伊藤光平。アカデミアとソーシャルを繋ぐ架け橋に

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第73回目のゲストは、微生物研究者の伊藤光平さんです。   高校生から微生物の研究に関り、研究を続けるために慶應義塾大学環境情報学部に進学。学生団体「GoSWAB」を立ち上げ、都市環境にある微生物コミュニティの研究を行い、国内外の学会で研究発表を行いました。2018年にはForbesが選ぶ世界を変える30歳未満の30人「30 UNDER 30 JAPAN 2018」を受賞。 2019年9月に同大学を卒業後は、日本橋のBeyond BioLAB TOKYO を拠点としています。SONYが主催するコンペティション「U24 CO-CHALLENGE 2020 Program」では準グランプリを受賞。そこでプレゼンした「森林の空気を室内に生み出す」プロバイオティクスデバイス「GreenAir」を起点とした事業化を見据え、起業準備をしています。    あなたの近くには、「研究者」がいますか?なかなか出会えない存在。だからこそ、伊藤さんは研究の道を選んだと言います。「いつだって選択肢の外を見たい」伊藤さんが、微生物で社会をより良くしようと奮起している出発点には「敢えて外す」という選択基準がありました。   私たちは大量の微生物と生きている  ー本日はよろしくお願いします!伊藤さんは高校生の頃から微生物と向き合ってきたそうですが、多くの人にとっては微生物は馴染みのないもの、という印象です。 そうですね。ただ、人間の身体の中には、大量の微生物がいます。細菌だけでも38兆個ほどいると言われています。つまり、人間は、38兆個以上もの微生物と共存しているのです。場所もそうですが、身体の各部位によって生息している微生物は異なります。例えば、腸内だけでも500種から1,000種もの微生物がいるんですよ。微生物はコミュニティを作って、相互作用し合い、それが人間の身体にも影響を与えています。   ー気付いていないだけで、わたしたちにとって微生物は身近な存在なんですね。伊藤さんが微生物に注目し始めたのはいつからですか? 実は、「微生物研究をやるぞ!」という明確な起点があったわけではありません。 たまたま家の近くに、慶應義塾大学が構える先端生命科学研究所があったんです。そこで、高校生が特別研究生として入所できるプログラムがありました。見学をしたら、とても設備が整っていて世界でここでしかできないような研究が多く、応募してみたら、たまたま受かって…。そこで3年間、大学院の先輩から研究指導をしてもらっていたんです。その方の研究対象が微生物で、結果として私も皮膚常在菌の研究に従事することになりました。   ー高校生で研究を始める、というのも非常に珍しいことではないでしょうか。「研究者になりたい」という夢が先行していたわけではないのですね。 はい。ただ、「周りに高校生で研究をしている人はいない」というのは、大きな決め手でした。とにかく、人と同じことをする、というのが好きではないんです。学校で椅子に座って60分もの間授業を聞かねばならない、という環境も嫌いでした。みんなで一緒にする、ということに楽しさを見いだせないんです。   誰も知らない面白さを見つけたい ー人と違う道をいく、という行動はもっと昔から表れていたのでしょうか? 小学校の頃にお年玉を貯めて3万円ちょっとするパソコンを購入しました。当時流行っていたネットブックというもので、小型で軽量なノートパソコンです。それを使って、分からないことは何でも調べていましたね。調べものをするとしたら図書館へ誘導されるような年齢ですが、「すぐに調べられるなら、こっちの方がいいじゃん」と。情報収集好きはその頃から続いています。 そのパソコンを買うのにも、親から「パソコンが欲しいなら、自分で選んでごらん」と言われて、本や雑誌を読んで比較し、買う機種を決めました。考える力が培われたのはそのときだと思います。 中学に進学してからは、約2年間、総額5万円程かけてデスクトップパソコンを自作していました。周りの友人はゲームや漫画に夢中になっていた頃、私はパソコンが大好きで。東京へ親が出掛けるついでに、パーツの購入をお願いし、すこしずつ形作って行きました。ある日、家にパソコンのハードである箱部分が届いて、やっと「もしかして、パソコンを自作しているのか?」と親に尋ねられたんです。   ーそんなことが!親御様もきっと驚かれたでしょうね。  職場体験でも、先生から地元企業のリストを見せられて、当然のようにそこから選ばないといけないことに嫌気を感じました。そこで、新しくできた映画館に電話をして「職場体験をさせてもらえませんか?」とお願いをした思い出があります。 選択肢になっているということは、既に経験した人がいて、その人がいいと思ったから並べられています。そこから選ぶことは楽だし周囲からの批判などはないかもしれませんが、選択肢の外に、まだ誰も知らない面白いものがあるように感じるんです。私はそれを見つけていきたい。 なので、人生の選択においても、日常的な選択においても、「人と違うことをする」という傾向にあります。   「人と違うことがしたい」から都市の微生物研究へ ー幼少期から、選択の軸がそこに定まっていたのですね。慶應義塾大学環境情報学部 (SFC)に進学されたのはどうしてですか? それ以外の選択はありませんでした。微生物の研究ができる大学はほかにもありましたが、多くの大学は、研究室に所属して実際に研究を始めるのが4年生からなんです。その点、SFCであれば、1年時から研究室を使用できます。それまでの高校3年間で続けてきた研究の経験が、ブランクが空くとなくなってしまうのでは、という不安がありました。早い段階から研究室に入れるというところで、SFC一択でしたね。   ー大学に入られてからは、都市環境の微生物研究を始められましたが、都市にフォーカスしたのはどうしてですか? これも、人と違うことがしたい、という思いからです。それまでは、身体にまつわる微生物研究をしていましたが、そのような研究をする方は、日本にも多くいらっしゃいます。そこで、場所に視点を変えました。しかし、森林や土壌なども、すでに多くの方が研究しているんです。ただ、都市にある住居などの人が生活する空間での研究は、日本においてはあまり前例がありませんでした。   ー実際に、研究というのはどのようなことを行っているのでしょうか? 私が行っているのは、微生物のコミュニティの分析です。ひとつの種類の形や機能を調べるのではなく、特定の空間に存在する微生物のコミュニティを研究対象にしています。そのコミュニティの中の各種類の微生物の割合や機能、相互作用、それによってもたらされている環境やヒトへの影響などを見ています。   社会的価値を創造する役目を担いたい ーそんな研究の傍らで、学生団体「GoSWAB」の立ち上げもされていますね。研究だけに専念するのではなく、対外活動もされているのはどうしてでしょうか? パソコンを自作していた中学時代も、研究に出会った高校時代も「なりたい職業」はないままでした。ただ、「社会に大きくてポジティブな意味でのインパクトを与えたい」という気持ちはあって、それは今も変わりません。 大学にいる研究者は、論文や大学の業務があり、忙しく、せっかく研究の成果が出ても、それを社会システムに組み込むまでには至っていないことが往々にしてあります。自分が書いた論文が、誰かの論文に引用されて…。それもひとつの大きな喜びではあります。ただ、それで10人や20人の研究に影響を与えても、社会へのインパクトへはまだ遠いかもしれません。 私の目的は、自分の研究の成果をなるべく早く社会に還元することです。そのためには、アカデミア領域の方々以外にも、社会を実際に動かしている人や、会社で社会問題に取り組んでいる人たちと、積極的に太いつながりを作っていくことが必要だと感じています。 だから、学生団体も作りましたし、いまは起業準備も行っているのです。   除くのではなく、加える。発想の転換が鍵に ーなるほど。優秀な研究者が研究に時間を費やしているだけでは、応用がされず、わたしたちの生活までその成果が有用されないということですね。 私は、日々、たくさんの論文を読み、社会に還元出来そうな最先端の研究成果に触れています。そうすると、様々なアイディアが生まれます。そういった社会的価値を創造することを楽しいと感じていますし、それができる存在になりたいんです。アカデミアとソーシャルをつなぎ、世の中をよりよくする架け橋のような働きかけができる存在はそう多くいません。   ー伊藤さんの活動は、他の研究者の研究にも転換されていきそうですね。実際に、現在、生活に研究成果を取り入れるプロダクト開発を進めていると伺いました。 プロバイオティクスデバイス「GreenAir」です。簡単に説明すると、「森林の空気ような良質な空気を家の中で生み出す」デバイスになっています。   ー森林の空気…考えるだけで、爽やかな気分です。そんなことが可能なのでしょうか? ヨーグルトを食べて、腸内環境をよくする、というのは当たり前のように日常で行われていますよね。イメージとしては、それを室内の空気に置き換えて室内の免疫力を上げるためのデバイスです。 使用するのは、森林環境に生息する微生物たちです。これを、室内環境に合わせて配合し、室内に撒布させます。放出された花粉や匂いや病原菌、ごみとなる有機物などを取り込んで消費してくれるだけではなく、微生物が室内の微生物コミュニティの多様性やバランスを整えます。もちろん、人には無害です。 その結果、空気が清浄になっていきます。そうやって室内に放出した微生物が増殖して、カビやダニを防ぐことも期待できるでしょう。   ーいいことづくめですね! 微生物のコミュニティは、オフィスや、ジムや、トイレなど、その場所の用途によってバランスも異なっているんです。用いる微生物をそれぞれに最適なものに変更することで、どの場所でも森林のような良い空気を作り出したいと思っています。 今までの除菌だと、ヒトにとって悪い微生物だけじゃなく、いい影響がある微生物や無関係な微生物まで無差別に除去していました。そうすると、私たちの暮らす空間の生物の多様性のバランスが崩れてしまうんです。 有害な微生物は全体の2割程度ではないかという話もあったりします。クリーンな空気を作り出したり、免疫力を高めたり、人にとってよい働きをする微生物もたくさんいるのに、全て除去してしまうのはコストもかかるし、高頻度でやらないといけないのでサステナブルではないですよね。 「GreenAir」は、除くのではなく、加えるという発想の転換で、よい微生物を活かしたアプローチを生活に組み込むことが可能なんです。   ー若干23歳で、既に社会に大きなインパクトを与えられそうな形にまで研究を活かせおり、順風満帆なように見えます。 人間関係のトラブルで、悩んで、落ち込むこともありますよ。それが研究に影響を及ぼしてしまうことも。それでも、今は、切り離して考えることができるようになりました。一方が不調になっても、私には叶えたいビジョンがあるので、アプローチの仕方を変えて前に進めばいい。そうやって、楽しいことや、社会のためになることを考え、嫌なこととは距離を置いています。 その結果、新しい可能性が拡がり、挑戦ができました。今の世の中は、アイディアをすぐに実現できますよね。出来ることはたくさんありますし、出来るのであればやるべきです。試行回数を増やし、ダメでもどんどん挑戦していく。その姿勢は大事にしたいなと思います。   ー本日はありがとうございました。伊藤さんのプロダクトが、生活の中にやってくる日を心待ちにしています! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter)

「好きなことを仕事にするために」編集者、レースクイーン、広報と変化したフリーライター・橋本岬の戦略的転身

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第86回目のゲストは、ライター・広報として活躍するフリーランスの橋本岬さんです。  憧れだった出版業界に入るも、あまりの激務で半年で退職。突然のフリーランス生活が始まり、橋本さんが選んだのは「自分の希少性を高めること」でした。そうしてレースクイーン×ライターという異色のポジショニングをとった橋本さんのユニーク過ぎるキャリアに迫ります。   「ピチレモン」が夢の扉を開いた ー本日はよろしくお願いします!まずは、現在の橋本さんのお仕事についてお聞かせください。 橋本岬です。フリーランスでライターと広報を仕事にしています。私には、3つの肩書きがあります。まず、ライターです。女性の働き方などに関しての記事執筆を複数のメディアで行っています。 2つ目が、シューマツワーカーの広報です。シューマツワーカーは複業人材のマッチングサイトになっており、もともとはこちらで会社員として広報を勤めていました。退職後も、継続して業務を行っている形です。 そして3つ目が、東大発サイバーセキュリティ企業・株式会社Flatt Security の広報です。   この3つの軸をバランスよく組み合わせて働いています。複業をしている人で、同じ悩みを抱えている方もいらっしゃるかと思うのですが、どれかを頑張ると、他の部分で粗が出てしまうんです。わたしにもそういった経験があります。なので、どのお仕事も、同じバランスで、同じ姿勢で向き合うようにしています。   ー橋本さんが選んで今のスタイルに行き着いたと思われますが、もともとやりたいお仕事だったのでしょうか? フリーランスになりたい、と思っていたわけではありませんでした。むしろ昔から、やりたいことが言語化できなかったんです。私はバブル崩壊後に生まれて、大学受験の時にリーマンショックが起きていました。刻々と変化していく経済を目の当たりにし、「なにになりたい?」なんて聞かれても、変わるのだから決められないと思っていたんです。 そんな中でも、夢がありました。それは、「ピチレモンの中に入りたい!」というものです。ピチレモンというのはローティーン向けのファッション雑誌です。小学生の頃、私は友達が少なくて、暗い子で、遊びといえば公園で虫を眺めていました。そんなとき、ピチレモンと出会って、世界が広がったんです。 雑誌のたった1ページだけで、きらきら輝く情報がいっぱい手に入る。可愛さ、お洒落さ、カラフルさ。可愛い空間に触れられることに感動し、この中に入りたいと思いました。スタッフクレジットまでチェックして、そのとき「こういう雑誌を作る仕事があるんだな」ということを知りました。   仕事の面白さを肌で感じる ー橋本さんのご経歴は、一社目が出版業界とうかがっていますが、小学生のときの原体験がつながっているんですね。 ただ、出版業界やマスコミ業界は、狭き門で、親や先生にはずっと反対されていました。大学時代はネットで出版社などのインターンやアルバイトを探し回り、結局、編集プロダクションも含めて3社を経験します。 とにかく人に会って、「出版業界で働きたいんです!」ということを伝えていたら、知人から「大手出版社で新しくマンガ雑誌の編集部が立ち上がり、人を探しているらしい」と聞きつけ、とりあえず履歴書を送付しました。 その会社では、規則として学生のバイトを受け付けていません。しかし、「現在、3年生で、単位も取り終わっていて時間がある。大学院へ進学するから就活もしない。いつでも呼ばれれば駆けつけます!」と訴えて、採用してもらいました。   ー素晴らしい熱意ですね…! とは言いつつ、実は単位がめちゃくちゃ残っていたんです。それ以前は、ライターの勉強のためにセミナーなど通っていたので、大学にはあまり行っていませんでした。そこから必死で大学に通います。平日と土曜日の1限から5限まで、単位がとりやすいと言われている講義を詰めて、学校に居座り、なんとか単位を取得しました。もちろん、その間、編集部に呼ばれれば飛んでいきます。 所属していた編集部は、集英社の名物編集者と呼ばれる方々が集まっていて、そのような環境で働けたことは、大きな分岐点になったと思います。「メディアの仕事って、やっぱりすごく楽しいんだ」「絶対、この業界で働きたい!」そういった想いが募りました。また、自分が携わった作品が、世に出て、反響が起きることも嬉しかったですね。社会へのインパクトを埋めている、と高揚しました。   ー充実した経験を積めたのですね。ところで、面接を受けた時点で、大学院進学を決められていたようですが、どうしてですか? 皆さんが知っているような出版社に採用される人は、高学歴な上に、エピソードトークまでうまい、強烈な個性を持った人ばかりです。そうじゃなきゃ入れない、狭き門。大学院へ行ったのは、出版社に就職したい気持ちと、採用への高いハードルのギャップから「どうやったら入社できるのか、好きなことを仕事にできるか」を考えるモラトリアム期間が欲しかったからです。 また、出版業界では、出身校を話題の切り口にして仲間意識を高めていることに気付かされました。私は埼玉県の獨協大学で学んでいましたが、業界の方々との共通言語欲しさに法政大学の大学院へと進学しました。   憧れの会社はブラック企業だった ー進学の選択も、出版業界への憧れが源だったんですね。せっかく進学した大学院を中退されたそうですが、それはなぜですか? 大学1年の後半に、編集プロダクションから内定をいただいたので、中退をして働くことにしました。その編プロ、ずっと憧れていたローティーン向けのファッション誌の編集も行っていたんです!一社目で夢が叶うなんて、思ってもみませんでしたね。   ーすごい、小学生の頃の夢が叶って…さぞかし素晴らしい社会人のスタートがきれたのでは? それが…小さな編プロで、絵に描いたようなブラック企業だったんです。月30日勤務が当たり前、帰ったらメールが鳴りやまず、結局、会社に逆戻りする日々。そのうち、会社で寝ることが当たり前になりました。ソファは先輩が寝るかもしれなかったので、私の定位置は会議室の床です。2~3時間だけ寝て、働く。その繰り返しでした。 それだけ働いても、お給料は15万円。家に帰れないので出費がかさみ、貯金はほぼできないままでした。そんな毎日を送っていると、すこしずつおかしくなってくるんです。無意識にここから逃げたいと身体が思っていたのでしょう、オフィスがあるビルの7階の窓から、外へと引っ張られるような感覚がついてまわるようになりました。 退職する前、最後に家に帰ったときに、外がとても寒いことに驚きました。季節が夏から秋になっていたことにも気づく暇がなかったんです。家に帰らないから洋服もずっと夏服のままでした。今後もこの生活が続くと思いととても怖くなり、退職を選びます。半年の会社員生活でした。   ー憧れの会社に入社できたのに、そのような大変な環境だったとは…。 先輩に、「この業界も辞めちゃうの?」と退職時に聞かれたことが深く印象に残っています。「出版業界にはいたいです」と伝えると、先輩は「この仕事の面白さだけでも伝わってくれていたら良かった」と言ってくれました。 そうしてフリーランスになったんです。転職も考えましたが、たった半年しかいなかったので、大した経験があるわけではなく、どうせ転職できても同じような規模の会社だろうと考えていました。そうしてまた、激務な上に怒鳴られるような生活に戻ることが怖かったんです。   営業活動のためレースクイーンを選ぶ ーフリーランスとして働き始めて、仕事は順調でしたか? あるメディアに送った企画書が通り、お仕事をいただけることになりました。出版社でバイトをしていたときに、企画書を作っては先輩にアドバイスをいただいて、ストックを作っていたんです。そこでの経験が活きました。ただ、それでも月10万程の収入で、これからどうしていくのか悩んでいたんです。 ちょうどその頃、「女子アナブーム」がきていました。中でもミスコンで優勝した人には肩書きがあって、実力は変わらなくても注目を得ていることに気付きます。「肩書きがあれば知ってもらえる、営業につながる」そう考え、タレント業をすることにしました。タレントと一言で言っても様々ですよね。私ができることで、なおかつ、イメージの良いものを考えて…私はレースクイーンになることにしました。   ーライターで、レースクイーン!希少性としては抜群ですね。 比較的自由に活動させてくれそうな芸能事務所を選んで、履歴書を送り、面接に行きました。そして、鈴鹿サーキットでレースクイーンデビューをします。それをFacebookでも報告して…反響はありましたね。そのうち1割ほどの方が、ライターとしての仕事も相談してくださいました。 ただ、レースクイーンのお仕事はそこまで給料は高くないので、相変わらずお金はありませんでした。そんな中でも、飲み会に呼ばれれば必ず参加しました。多い時で、1晩で5つの飲み会をハシゴしたこともあります(笑)そうやって人と会って、すこしずつお仕事が増えていきました。 レースクイーンとしてトップを狙うことは難しいです。ライターとしては、他にももっと才能がある人がいます。でも、レースクイーンライターであれば私は1番になれる、そう思って必死に行動していました。   自分の可能性を広げるため、すすめられたら挑戦 ーフリーランスとして、営業活動を続けた先で、再びご就職されたんですね? はい。シューマツワーカーCEO・松村とは、彼が前職で働いていたころに出会いました。「起業をするから、うちで広報として働かないか?」と誘ってくれたんです。 それまで、広報という職業になることを考えたことはありませんでした。ただ、松村が「記事作成ができるし、メディアとのつながりもあるし、表に出ることも向いているから、広報はきっと合っているよ」と背中を押してくれました。   客観的な意見を取り入れることで、自分の世界は広がります。なので、人から「向いているよ」とすすめられたことは、とりあえずチャレンジするようにしているんです。そうやって広報職に就くことになりました。 広報も未経験ですし、IT業界だって未経験です。打ち合わせの度に分からないことが生まれて、とにかくググっていました(笑)そして、分からないことは分からないと公言して、「ご飯を奢るから、教えてよ!」と、周りの人を頼りながら勉強しましたね。   ー橋本さんの恐れずどんどん進む姿には驚かされます。 たとえどんなに失敗したとしても、怒られたとしても、1か月後には忘れてしまうじゃないですか。私だってもちろん落ち込みはします。でも、1か月後には元気にしているって思えたら、いまがどんなに馬鹿したって、大丈夫だなと思えるんです。   ー現在は、ライターと広報の二軸でお仕事をされていらっしゃいますが、それぞれの利点はなんですか? ライターの仕事は記事を書くだけではありません。アイデア出し、企画、メディアとのコミュニケーションなど、様々なスキルが育ちます。そしてそれらは他の仕事に活きるんです。実際に、広報になって、ライターとしての経験が活きる場面が大いにありました。 ライターも広報も、どちらも世に何かを発信できることがメリットですね。その発信で誰かの背中を押せたら嬉しいなと思います。   ーこれからも橋本さんのご活躍が楽しみです!本日はありがとうございました。   ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる   === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter)

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