ハードルの低いスポーツ「散歩」を通して人々の暮らしにアプローチする。お散歩コミュニティあるっこ代表、並木有咲

外出自粛の中、お散歩に出かけることが増えている人も多いのではないでしょうか。今日はお散歩コミュニティあるっこ代表の並木有咲さんにお話を伺いました。 現在、就職活動中でもある大学生の並木さん。彼女がお散歩というスポーツにたどり着いた理由と現在運営されているお散歩イベントについてお話いただきました。また、彼女がおすすめする一人散歩の楽しみ方も伺いましたのでぜひ参考にしてみてください! いつもと違う視点で歩くと散歩が楽しくなる ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。 武蔵野大学4年の並木有咲です。大学では心理学を勉強しています。昨年、お散歩コミュニティあるっこを立ち上げ、代表を務めています。 ーお散歩コミュニティあるっことは、どんなコミュニティなんですか。 簡単にいってしまうと「ブラタモリ」です。街探検をしたりするなど歩くことを目的としたイベントを定期的に行っています。参加者層としては主に20代〜30代が中心です。運動をしたいけれどなかなか続かない人に、歩くというハードルの低い運動を日常的に取り入れてもらえたらと思いはじめました。 ー現在はコロナによる影響で、みんなで集まって散歩することが難しい状況ですね。 そうですね。大人数での散歩は難しい状況ですが、外出自粛の運動不足から散歩の需要は高まっていると感じています。あるっこはFacebookグループのコミュニティがメインですが、このコロナ期間はTwitterを活用してお散歩の方法などを発信しています。 ー例えばどのようなことを発信されているんですか? 近所を毎回同じルートを散歩しているだけでは飽きてしまうと思います。なので標識を散歩中に見つける・春のお花を見つけるなどのテーマ設定をした散歩を提案しています。いつもとは違うところをみながら一人散歩を楽しんでもらえたらと思います。 スポーツを通して暮らしを豊かにしたい ーそもそも、並木さんがお散歩コミュニティを立ち上げたきっかけが気になります。小さい頃からお散歩好きだった、とかですか? 散歩が好きというよりかは小さい頃からスポーツっ子で、家にいると外で遊んできなさいと言われるような家庭に育ちました。それがきっかけでスポーツの魅力を広めたいなと思うと同時に、スポーツを通して人の暮らしを豊かにしたいなと思うようになりました。 スポーツは心理的にも身体的にポジティブな影響を与えてくれますが、スポーツに抵抗を感じる人も多くいます。そこで1番ハードルが低く誰でも取り組めるスポーツと思いついたのが散歩でした。 私自身、ランニングも好きで駅伝部に入っていますが、ランニングは服を着替えて、準備体操をして、よしやるぞ!と思ってやるものです。それに比べて散歩は気軽にはじめられます。普段運動をしていない人に運動の魅力を感じてもらうのには散歩が1番かなと。 ーなるほど。スポーツを通して人の暮らしを豊かにしたいと思ったきっかけはなんだったんですか? 大学受験まで話は遡ってしまうのですが、私の人生最初の挫折は受験に失敗したことでした。当時の私は良い大学にいくことが大事と思っており、なんとなく面白そうで行きたいと思っていた大学はあったんですが、結果は不合格。家庭の事情で浪人はできなかったので、武蔵野大学に通いはじめた当初は仮面浪人をしていました。 ー仮面浪人ですか? はい(笑)バレないように受験に失敗した日から5月くらいまでは来年の受験に備えて赤本を解いて勉強していました。 ーですが結局受験はしなかったんですよね。 武蔵野大学のプログラムで6月頃に1ヶ月間、鳥取に行ったことがきっかけで仮面浪人は卒業しました。 鳥取での生活がきっかけで仮面浪人生活に終止符 ー鳥取ではどのようなことをされたんですか? 自分の興味はスポーツだったんですが、スポーツに関連したプログラムがなかったため次に興味のあったメディア関連のプログラムでした。地方のテレビの番組制作をするプログラムで東京の学生からみた鳥取県を紹介する番組を作りました。また、一軒家に初めましての12人との共同生活も経験しました。 ーそれは所謂テラスハウスですね(笑)そこでの生活で何か変化が? 良い大学に行くことが全てではないんだと鳥取で教えてもらいました。「俺はワカメをとるために生まれてきたんだー!」という人やこの街の魅力を観光プロデューサーとして伝えたいという熱い思いを持っている人を見て、自分が今置かれている環境で自分らしく活動することが大事だと気づいたんです。 当時は鳥取から帰ったら大学をやめてやるくらいに思っていましたが、鳥取での出会いがきっかけで、自分が今やるべきことは受験勉強じゃないなと思いました。 ーそれから東京に戻り、どのような学生生活を送られたんですか? 鳥取に行って、日本のことを私はまだまだ知らないと感じたので一人旅に出かけました。スポーツを使った町おこしなどをしている地域やスポーツが馴染んでいる町を訪れたり、Facebookで見つけた地域おこし隊の人にアポをとって会いに行ったり。 地域の方々がスポンサーとなり、地域の人たちに応援してもらって活躍するアスリートさんがいることを知り、スポーツを通して町が元気になること・スポーツが持つ力がすごいことを再認識できた旅となりました。 ースポーツが持つ力を生かして何かしたいとそこから思うようになったんですね。 一人旅を通して、私はスポーツツーリズムに興味があるかもしないと思いました。そこで昔よく遊びに行っていた江ノ島とスポーツツーリズムをかけあわせれないかと思いました。そこで企画したのが、お散歩をするイベント、エノウォークでした。 満を持してお散歩コミュニティを立ち上げ ーそこから今のお散歩コミュニティを立ち上げられたんですか。 その時はまだまだ企画や組織運営の勉強をしたいと思い、まずは地域創造型スポーツクラブという町密着型のスポーツクラブでインターンをさせてもらうことにしました。 インターン先ではマーケティングや広報活動を中心に、運動する場をどう地域に浸透させていくかを常に考えていました。ビジネススキルが分からない状態だったので、ペルソナを考えるといったお客さんを知る大切さを知れました。それが今のコミュニティ立ち上げにも生かされています。 その後そろそろ何かアクションを起こしたいと思い出しました。それがちょうど今から1年くらい前ですが、初めはお散歩コミュニティではなくランニングステーションの散歩バージョンを作ろうと考えていました。でもその話が頓挫してしまい、場所を持つとコストがかかることから他の選択肢を考えた時にエノウォークの組織化を思いつきました。 ーそんなあるっこももうすぐ1周年ですがこれまでで印象に残っているイベントはありますか? どのイベントも楽しかったですが、1番自分が届けたい価値観を届けられたのはアメフト協会の方とコラボしたイベントです。街を歩いた後にアメフト観戦をしに行くイベントだったのですが、散歩という身近なスポーツからアメフトという普段あまり知ることのできないスポーツにつなげられたのがうれしかったです。 参加者の方がアメフトを知らない方ばかりだったので、試合時間が長くて飽きたりしないかと心配していましたが、事前にアメフトのルール解説をしてもらったりすることができ、とても満足度の高いイベントになりました。 ー他にもコラボイベントを積極的に行われているんですか? コミュニティカフェに協力いただき休憩スポットを作ってもらったり、街を誰かに案内してもらったりしています。お散歩しておしまいではなくて新しい人や物、事に出会うきっかけづくりを意識して企画しています。 ー楽しそうですね。コミュニティ運営に置いて意識していることはありますか? コミュニケーションは特に大事にしています。これは中学の頃の経験から常日頃意識していることです。中学の時、所属していたテニス部の部活改革を行った経験があります。全く練習をしないテニス部から、ある程度勝てる部活にまで改革することができたのですが、その時に気づいたら周りの意見を聞くのを忘れて一人で爆走していました。これは私の中で大きな反省点でした。 それ以来、私はやると決めたら周りのことを忘れて一人で暴走してしまう傾向が強いので、常に周りの人とコミュニケーションをとって意見を聞くことは意識しています。また参加者一人一人にも声をかけたり、メッセージをこまめにしたりするようにしています。 日本の幸福度アップに貢献したい ーコミュニティ運営に奔走する一方で、大学生活の方はいかがですか? 今まさに就活中です。2月まではビジネスコンテストに取り組んでいたので、そのまま起業するか、海外の参考事例を見るため休学も考えていました。が、留学は今の情勢的にしばらくは厳しそうなことと自分には思いはあるもののまだまだビジネスをやる力が不足していることからまずは就職をしようと決め就活しはじめました。 ーどのような企業を受けられているんですか? 積極的に子会社を立ち上げられていて新しいことを始めるのに寛大な会社を中心に就活しています。あるっこを運営する中で、私はスポーツの魅力を広めることよりも、関わっている人たちが自分らしくより幸せな暮らしを実現させたいと思うようになりました。なのでより豊かな暮らしを作るためのビジネスをしている会社で働きたいと思っています。 ー無事行きたい企業に決まると良いですね。最後に今後もしチャレンジしたいことなどがあればぜひ教えてください。 あるっこに関して言えば、今後もお散歩の魅力から暮らしに幸せを作るを形にしていけたらと思っています。就職後もあるっこの活動を続けつつ、社会にでてビジネスについて学んで行きたいです。まずは自分自身が社会の第一線で活躍できる人材になることが目標です。同時に社会にでて学んだことをあるっこの活動にも活かして行きたいと思っています。 就職先によってはこれからどうなるかまだまだ分かりませんが、今後どんな仕事に就くにしても今下がり続けている日本の幸福度をあげることに貢献していきたいです。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter)

中2から株式投資・高3でビジコン入賞!インプットの鬼・廣川 航のこれまで

様々な経歴を持つ方々が集まり、これまでのキャリアや将来の展望などを語り合うU-29 Career Lounge。第53回目のゲストはXTech株式会社・廣川航さんです。 大学在学中は学業と並行し、複数のITベンチャー企業や投資ファンド、監査法人子会社のベンチャー支援会社にてリサーチ業務を経験。 在学中の2018年8月からXTechに参画し、現在はM&Aの事業を立ち上げを行っています。 なんと、中学2年生にお年玉で”投資”をはじめ、高校3年生ではビジネスコンテストを通して”ベンチャーキャピタル”を知った、異色な経歴の持ち主です。 今回のインタビューでは、XTech入社までのストーリーから、情報収拾のコツまで幅広くお伺いしてきました。 中学2年の頃、今まで貯めてきたお年玉で投資をはじめる ーー早速よろしくお願いします。まずは、廣川さんが投資をはじめた理由からお聞きしたいです。 廣川:元々母と祖母が投資をしていて、投資は身近な存在でした。 ただ本格的に投資を知ったのは、小学生の時にたまたま見たテレビでした。2004年〜2006年でライブドアやフジテレビなどが連日報道されていて、その時に株式や会社、M&Aの存在を知ったんです。 母も祖母も株式投資をやっていたので、前から気にはなってはいて。大学まである付属校に入ったので、ある程度の大学に行けることはわかっていました。 せっかく時間と精神的なゆとりがあるので、「自分も株式投資をはじめたい」と中学2年生の時に母に相談したところ「やってみたら?」と背中を押してくれました。 ーーすごい、中学2年生……!元手はどうしたんですか? 廣川:お年玉などで貯めた数十万円を資金に、スタートしました。結果としては、ちょびっと増えたくらいです。 ただ、あの頃にチャレンジしてみてよかったです。「こんな世界があるんだ」と知れて勉強になりました。 高3のビジネスコンテストを機に、ベンチャーキャピタルに出会う 廣川:そして高校3年生の時、1つの転機が訪れました。友達に「ビジネスコンテストに出てみない?」と誘われたんです。 私は長らく、ITやベンチャー企業、起業についてなんとなく”うさんくささ”を感じていたのですが、「せっかくなら勉強になるかな」と思い、参加してみました。 その時に、みんなのお陰でベンチャーキャピタルの人から賞を頂いて。 高校の卒論で※1バイアウトファンドについて書いていたので”ベンチャーキャピタル”という存在は知っていましたが、実際にあったのは初めてでした。 ※1バイアウトファンド:複数の機関投資家や個人投資家から集めた資金で、事業会社、未公開会社あるいは業績不振の上場企業などに投資し、企業価値を高めたうえで、転売や株式を売却することで資金を回収し、投資家に利益配分することを目的としたファンドのこと。(引用:野村證券) ーーそこでベンチャーキャピタルを知ったんですね!先入観が変わった瞬間だ。 廣川:そうですね。それまで、本でしか触れたことのなかった投資ファンドについて、初めて生で触れられた瞬間でした。 また、どこか「胡散臭い」と思っていたIT企業や起業のイメージが、変わる瞬間でもありました。 大学時代は10社のインターンを経験。ファーストキャリアはXTechへ ーー今までの話を聞くと、「一般的な学生と違うな」と思ったんですが、大学生活はどう過ごしていましたか? 廣川:数々のインターンを経験しました。長期インターンで10社前後、短期インターンと業務委託を含めると、もっと経験しています。 ーーインターン10社はすごい……。参加してみてどうでした? 廣川:インターンを通して色んな経営者にお会いでき、刺激的でとても有意義でした。また、沢山の経営者とお話する中で、新たな発見がありました。 それまでバイアウトファンドに憧れがあり、どうやったらいけるかを考えてリサーチをしていました。すると、投資銀行やコンサル、MBA出身の方が多かったんです。とても衝撃的でしたね。 ーーそんな発見があったんですね。ここまで優秀だと、就活も順調だったのではないのでしょうか? 廣川:それが全然で、あまりうまくいきませんでした。 当時、投資銀行を受けていて面接中に”起業してた話”をしましたが、面接官に「生意気な奴」と思われていたと思います(笑)。 廣川:ただ就活をしていく中で、ぼんやりと「”事業”も”投資”もできる人を目指したい」と思うようになって。そこで縁あって、今の”XTech”に入社しました。内定後、インターンからはじまって、今に至ります。 ーーなるほど。入社して1年が経過していますが、インターンとは違いますか? 廣川:やはり学生の頃よりも、任されている量と責任の重さが違いますね。現在”M&A事業の立ち上げ”のミッションを頂いていて、暗中模索な中で奮闘しています。 ただ「社会人になったな……」という印象で、チャレンジングな毎日で刺激的です。早く一人前になれるよう、頑張りたいです。 アウトプットの鬼は、どのように情報収拾をしているのか ーー前からお聞きしたかったのですが、廣川さんはアウトプットの鬼じゃないですか。日頃どのようにインプットしているのか、情報収拾のコツをお聞きしたいです。 廣川:様々な業種やフェーズの会社でインターンとしてリサーチしていたので、インターン時に色んなソースに出会って。そこから情報収拾の習慣ができました。 日頃意識しているのは、様々な角度から調べたり考えることです。 例えば、「事業としてやるならどうやるか?」や「投資をするならどういうストーリーでどのくらい儲かりそうか?」、「コンサルをするならどういうコンサルをするか?」など、様々な観点でリサーチをして、アウトプットしてます。 ーーなるほど、多角的に見るということですね。 廣川:そうですね。また、沢山の情報に触れていると”各媒体の特性”が分かってきます。「この情報ならここで調べようかな」といったようにです。 とは言え、沢山の媒体でこまめにチェックしている訳ではなく、僕がいつも読むのは、日経・NewsPicks・Twitterです。毎日情報に触れながら、気になった内容をさらに深掘りします。 ーーそれは力が付きますね!ではさらにお聞きしたいのが、多くの人が基盤となる知識が欠如していると思っていて。廣川さんはどのようにして情報の基礎を取り入れましたか? 廣川:情報の基礎は、中学2年生からやっていた株式投資をきっかけに、業界地図などを読むようになったことで自然と基盤ができました。 その上で日々のニュースをインプットしていき、アウトプットをする。わからないことがあればその都度調べながら、情報を蓄積しています。その繰り返しで、基盤知識が身に付きました。 現在は、気になった企業の決算が発表されたりするとスプレッドシートにまとめています。その上で、数値に何か変化があるとプレスリリースなどをチェックして、スプレットシートにてデータをまとめています。 また、所感などがあれば、Twitterにて備忘録としてまとめていますね。シンプルに、このサイクルをずっと繰り返して感じです。 30代には”バイアウトファンド”の道に行きたい ーーでは最後に、今後の展望をお聞きしたいです。 廣川:最終的には、”バイアウトファンド”の道に行きつつ、友達と一緒に事業をやりたいですね。 これまで、色んな方とお話する機会がありました。そこで感じたのは、事業を作られている方と話すのと同じくらい、バイアウトファンドの方々と話している時が楽しい気がします。 いつか、バイアウトファンドの世界にいっても結果が出せるよう、20代のうちにXTechで経験を積んで結果を出していきたいです。 そのために、地道に頑張っていこうと思います。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗、執筆:ヌイ、撮影:山崎貴大、デザイン:矢野拓実

「メディアというプラットフォームで日本の未来を作る」株式会社MATCHA CPO 齋藤慎之介の野心

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第52回目のゲストは株式会社MATCHA CPO 齋藤慎之介さんです。 宮城県仙台市で生まれ育ち、明治大学商学部に進学。大学在学中にフィリピン留学、ニューヨーク留学と、海外とのつながりをもちます。そんななか、MATCHAの立ち上げから参加し、卒業後は博報堂へ入社。デジタルマーケティング領域で経験を積み、再びMATCHAへと参画しました。 大学での経験から、将来の方向性を決めていった齋藤さんのユニークキャリアに迫ります。   コロナショックの今だからこそ提供できるMATCHAのサービス  ー本日はよろしくお願いします!株式会社MATCHA CPOという立場で、どのようなお仕事をされていらっしゃるのでしょうか?   株式会社MATCHAは、インバウンド業界のベンチャー企業になります。訪日外国人観光客向けWebマガジン「MATCHA」の運営が主な事業です。多いときで月340万人ほどの読者が世界中からサイトにアクセスしてくれているんです。 僕はCPOとして、メディア全体や新規開発の統括を担っているプロダクトの責任者を務めています。   ーインバウンド業界のコロナショックの影響は大きなものだと思うのですが、MATCHAにおいての変化はありますか? そうですね…いまは観光客が日本にこれない状態なので、メディアのPV数も減っているのが現状です。ただ、そんななかでも増加している部分もあります。 MATCHAは訪日外国人向けに日本の魅力を文化や観光地など様々な角度で伝えています。より広い世界に発信するため、10の言語を使用しています。そのなかのひとつが「やさしい日本語」です。   やさしい日本語というのは、日本語能力認定試験のレベルN4~N5にあたる日本語(基本的な日本語をある程度理解することができる)になります。いま、日本でも「せっかく家にいるなら、英語学習をすすめよう」と思っている人がいるように、時間があるからこそ日本語を勉強しようと考えている外国の方が見てくれているのでしょう。   ー日本にやって来れなかったとしても、世界中の人の助けになっているんですね。素晴らしい取り組みです。   「もっと自由に生きていい」世界が開けた留学体験 ー明治大学に在学中の留学経験が、いまの齋藤さんのキャリアに大きく影響していることと思います。明治大学にはどうして進学されたんですか? 宮城県で生まれ育って、東京に行くなんて考えてもいませんでした。小学校からずっと熱心に野球をやっていて、生活は野球一色で。そんな中学生時代に、父親が「東京にはこんな学校があるんだよ」と慶應の付属高校の存在を教えてくれたんです。当時、名のある監督が慶應の野球部を指導していたこともあって、中学2年生の終りから「高校から慶應に行きたい」と受験に励むようになりました。 しかし、それまで野球ばかりだったため、受験は失敗し…結局、地元の進学校に進みます。大学進学時も慶應が第一志望だったものの、またも不合格に終わりました。その後、1年の浪人生活を経て、明治大学の商学部に進学をします。浪人生活の間、野球から離れていたため、大学では違うことに挑戦したいと思うようになっていました。   ー具体的に、大学ではどのようなことをされたんですか? これも父親からのすすめだったのですが、「海外留学を経験してみたら?」と言われ、それまで海外渡航経験は全くなかったのですが、1年生の夏休みを利用して2ヵ月間のフィリピン語学留学をしました。いまでこそ語学留学先としてフィリピンは人気ですが、当時はまだブームが始まってすぐの頃でした。  僕の「英語」と「世界」に対しての興味が加速していった契機になりました。   ーフィリピン留学ではどんなことを感じ取ったのでしょうか?   大学1年生だったので、それまでの僕の人生を構成するのは、地元の仙台の人たちと、大学で出会った友人だけだったんですよね。振り返ると限られたコミュニティだったことが分かります。でも、留学先には、年齢も職業もばらばらの日本人が集まります。大手企業で働きながら2週間だけ休みを作って英語を学びにきたエンジニアや、自分のブログで発信をしながら留学をするブロガーもいました。 そこに、さらに韓国人やロシア人が加わっていて…たくさんの魅力的な大人に出会うことができました。そして、みんなとても自由に生きているように見えたんです。「ああ、もっと自由に、もっと挑戦的に生きてもいいんだな」とそこで感じ取れたのは、大きな収穫だったと思います。   英語学習は英語に触れる環境づくりから ー人との出会いも留学の醍醐味ですよね。留学後に、ご自身のなかでの変化はありましたか? フットワークが軽くなったと思います。発信することにも興味をもって、ブログを立ち上げました。あとは、英語に対しての意欲が更に増して、交換留学をすることを目指して益々英語の勉強に力をいれましたね。   ー英語はどのように学んでいたんですか? 座学はもちろんですが、話して使うことが大事なので、Facebookで朝活グループを立ち上げました。カフェに希望者で集まって、英語でコミュニケーションをとる会です。結果的にそのグループは300人くらいの規模に成長しました。 また、外国人と触れ合う機会も大切にしたいと思い、カウチサーフィンのホストを積極的に行いました。せまい部屋だったのですが、そこに招き入れて宿として提供し、都内の観光の案内をしていました。やはり、英語を学ぶうえで、一番楽しかったのは外国人とのコミュニケーションですね。 英語の勉強を本気でするなら、自分の身の回りを英語にする、環境づくりが重要だと考えています。カウチサーフィンはそのための手段として適していたんです。   ーその頃から、外国と日本の架け橋を体現していたんですね。MATCHAは立ち上げ当時から関わっていたそうですが、どのような経緯で始まったのでしょうか? 1年生の留学で世界が開けて、2年生の夏には東南アジアをバックパッカーとして旅しようと情報収集をしていました。そのとき、強烈に惹かれるブログがあって、それを書いていたのが現株式会社MATCHA代表の青木でした。彼は世界一周をしながらブログで情報発信をしていて、僕はその読者だったんです。 あるとき、青木が「朝活をしましょう」とTwitterでイベントの呼びかけをしていて、ただ会いたい一心で応募しました。そこで関係ができて、その後も数回顔を合わせるうちに「実は訪日外国人向けメディアの立ち上げを考えている」とMATCHAの構想を聞かせてもらえたんです。そして、「よかったら一緒にやらない?」と誘われて、立ち上げメンバーに加わりました。 当時は、渋谷のシェアオフィスを拠点にしていて、メンバーも学生が多く、学校終わりに集まって記事を書いたり、SNSの更新をしたり…。その後、僕は念願かなって交換留学へ行くのですが、その間もメンバーとしての活動は続けました。   ーまさにMATCHAが誕生しようとする瞬間から立ち会っていたんですね。交換留学はどうでしたか? ニューヨーク州にある、ニューパルツという自然に囲まれた町の大学へ留学しました。「理想のキャンパスライフ!」という感じで、とても充実した1年間でしたね。 交換留学なので、明治大学での学部と同じ分野の授業をとることで単位を取得でます。しかし僕は「せっかくならアメリカでしか学べない授業を取りたい!」という気持ちで、グラフィックデザインやジャズの歴史など、自分の興味が惹かれるまま受講していました。おかげで単位はたったの3つしか取得できなかったものの、とてもいい経験でしたね。 また、アメリカという国でより多様性を意識することができるようになりました。インターナショナルコミュニティに所属し、自分が「日本人なんだ」ということを強く意識する一方で、あまりに多くの人種がいるため、「誰がアメリカ人なんだ」ということが分からなくなるような錯覚があったんです。そんな状況で「国籍って意味がないのかもしれない」「大事なのはいち個人として生きること」だと気付き始めました。   ー日本だと、普通に生活をしていると日本人がほとんどの環境なので国籍について想いを巡らせる機会はなかなか得られませんよね。 また、違った宗教や人種の人たちへの配慮を知りました。日本人として、いままで自覚なくおこなっていた行為が、相手にとっては不快なものや差別的なものに映るんだと知り、反省することも多々あったんです。 日本人の当たり前をそのまま世界に持ち出すと、恥をかく。それを知れたことはいまに活きています。   大手企業で学んだのは人間の基礎力 ーいろんなことを学び、帰国して、いよいよ就職活動となったとき、MATCHAではなく他の企業を選んだのはどうしてですか? 「大きな組織で働くって、どんなものだろう」という好奇心のようなものを抱いていました。一度は大企業で働きたいな、という気持ちがあったんです。それで博報堂から内定をいただいて入社しました。 きっかけは知人が働いていたことですが、もともと「誰かのきっかけになる働きかけって素敵だな」と思っていて、広告という仕事に惹かれていたんです。   ー博報堂ではどのようなお仕事をされていらっしゃったんでしょうか? 1年目から博報堂DYデジタルというグループ会社に出向して、デジタルマーケティングの部署に配属されました。戦略立案や運用のディレクション…デジタルマーケティングに関わることを全般的に経験しました。動きとしてはプロジェクトマネージャーに近かったかもしれませんね。 ー会社員として働きだし、どのようなことを学ばれましたか? なにより人間力を鍛えられたなと思っています。 1年目のときに、チームリーダーから「君は他者への想像力が足りない」と指摘されました。それがいまでも印象に残っています。代理店なので、とにかく相手の視点に立つことが大事なんです。プレゼンにおいてはクライアント目線に、作り上げるメッセージはクライアントのお客様目線に…「どう見えるか」「どう伝えるか」を考えるクセが身に付きました。 また、コミット力も鍛えられましたね。クライアントの成功を実現するためには、なんでもやる。その精神が叩き込まれました。これらは基礎力となって、いまの仕事の土台にもなってくれていると思います。   人生はチャレンジ。変化があったほうが面白い ーその後、博報堂を退職し、一転してベンチャー企業であるMATCHAに再び戻ったのはどうしてですか? 博報堂で働きながらも、ずっとMATCHAの存在は視界の中にあったような気がします。メディアとして成長を遂げていき、資金調達もし、認知度も段々とあがり…。そんな古巣のステップアップを見ながら、自分の中で、「大きな組織の中の、ひとつのチームの、一構成員としてこのまま続けていいのだろうか」という疑問とともに、「もっとダイナミックな仕事をしたい」という気持ちが膨らみました。 博報堂に入社してからも、代表の青木にはよく銭湯に誘われ、サウナで仕事の話をしたりしました。そのたびに、「いつ戻ってくるの?」と声をかけてくれていたんです。もともといつか戻って自分の力を試したいという思いがあったため、「よし、そろそろ」と気持ちが動いたのが2017年の冬でした。   ー大手企業からベンチャーへの転職は大きな決断だったのではないでしょうか? そうですね。給与面でも正直不安はありました。ただ、そのときはお金のことはそこまで気にならなかったんです。それよりも、チャレンジできる環境と、そこで得られるかもしれない成功に対しての野心のほうが勝っていました。 人生はチャレンジの連続で、変化が多い方が断然面白いなと思っています!なので、迷いはなかったですね。   ーその後、CPOに任命され、今年の4月には「The Forbes 30 Under 30 Asia 2020(アジアを代表する30歳未満の30人)」のコンシューマーテクノロジー部門に選出されたということで、目覚ましいご活躍ですね。 媒体資料作成など、泥臭いところからスタートして、メンバーとの信頼関係を築き、本来やりたかったプロダクトのマネジメントを任されるようになったのは嬉しかったですね。 今、コロナショックでインバウンド業界が苦しいときですから、「30 Under 30」に選ばれて注目していただけたのも有難いです。日本を背負ってこの状況を乗り越え、日本の魅力をもっと世界に発信していきたいと気持ちを新たにしています。   ー最後に、今後の展望をお聞かせください。 僕は、MATCHAのことを「日本の未来を作る会社だ」と思っています。日本は少子高齢化が進み、それに伴って地域の過疎化も深刻な課題となっています。これが進行することによって、世界に誇れる日本の伝統文化の後継人がいなくなり、その文化そのものが消滅してしまうかもしれません。MATCHAは、日本の伝統文化を、後世の人に、そして世界の人に伝える活動を続けます。 旅行は人生において新しいきっかけを与えてくれるもので、そのきっかけは、その後の人生を形作る可能性をもっています。外国人が日本で、期待を超える素晴らしい体験をすることで、地域や経済は盛り上がりをみせるでしょう。「日本に来てよかった」と思う外国人を増やす。そんな強いプラットフォームを提供することで、日本の未来につなげます。   ー本日はありがとうございました! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter)

自分を優位にはしなかったが、自分の武器となった心理学。心理学ライター加藤達也が語る心理学の面白さとは

ワーキングホリデー・語学留学のためアイルランドへ渡航予定だったもののコロナの影響を受け延期となり、現在心理学ライターとして活動されている加藤達也さんに今回はお話をお伺いしました。 心理学にハマった意外な理由や心理学ライターとして発信されている内容、面白い心理学の話までたくさんお話いただきました。 心理学でコンプレックス克服を無意識に目指していた ー本日はよろしくお願いします!まずは簡単に自己紹介をお願いします。 加藤達也です。2020年3月に大学を卒業し、現在は実家のある北海道で心理学ライターとしてフリーランスで活動しています。本当は大学卒業後にアイルランドへワーキングホリデーと語学留学に行く予定でしたが、コロナの影響で行けなくなってしまいました。 ー心理学ライターとは具体的にどのようなこと書かれているんですか? 心理学というと幅広いですが、特にセルフマネジメントに関する記事を書いています。具体的な内容で言うと、集中力やモチベーション、習慣化、タスクマネジメント、スケジューリングについてです。 ー心理学に特化していると言うことは、心理学について勉強されていたんですか? はい。高校1年生の時にテレビでメンタリストのDaiGoさんを知ったのがきっかけでした。当時は心を読むパフォーマンスをテレビでされていたんですが、その時に「この人すごいな」と感動して独学で勉強をはじめました。それ以来ずっと心理学を勉強してます。 ーなぜ心理学にそれほど魅力を感じたんでしょうか? 当時はただすごいなと思って勉強していたのですが、今振り返ると心理学にハマった理由は2つあるなと思っています。1つは単純に人を驚かすことができて、そのリアクションが見れるのが嬉しかったんだと思います。もう1つは自分のコンプレックスが関係しています。 ーコンプレックスをお持ちだったんですか? はい。中学生の時は上下関係の厳しいバスケ部に所属していていじめのようなものを受けていました。高校でもはじめのころはあまり学校に馴染むことができず… また大学受験も上京する予定はなかったのですが、センターの結果を受けて志望校を変更しました。浪人したものの、自分の希望の大学に合格できず、こういう言い方はあまり良くないかもしれませんが、滑り止めで受かった日本大学に進学となったことが学歴コンプレックスでした。今思えば、大学に入ればいくらでも心理学の勉強ができたのでもっと受験勉強に集中するべきでしたね。 そういった経緯で人よりも優越していたいというコンプレックスを持っていたんです。 ーそれが心理学にハマった理由にも関係していると。 そうです。心理学を勉強してメンタリズムを身につければ人より優位に立つことができると思ったんだと思います。勉強ができなくても心が読めれば、相手より上の立場に立つことができるかも、と。 ー心理学を勉強してみて優位に立てたと感じましたか? 優位に立てるようになったとは思いませんね。心が読めると言うと怖がられることはありましたが(笑) 心理学を学んでいることを話すと興味を持ってくれる人も多く、学んだことが活きるようになってきて、人間関係でそんなに困らなくなりました。優位になると言うよりも、自分の武器にはなったかなと思います。 恋愛に振り回された大学生活 ー心理学を勉強するべく、心理学科に入学し大学生活はどうでしたか? 高校時代は吹奏楽部だったので音楽を続けようと思い、オーケストラのサークルに入りました。そして入って1ヶ月で同じサークルの彼女ができたんです。人生で初めて彼女ができたのもそうですが、何よりこれまで学んできた心理学を実践することができたことがとても嬉しかったです。心理学を勉強してきてよかったと思いました。 しかし、その彼女とは2ヶ月で別れてしまい、また次にできた彼女も同じサークル内だったことで気まづくなってしまい結果的にサークルは2年生で辞めました。その後失恋し、何もやる気になれなくて、人生どん底気分でした。でも失恋をきっかけに立ち直り方を模索する中で、自分にもっと時間を使おうと思うようになりました。恋愛に振り回されるのではなく、自分の興味のあることに時間を使えるようになったと思います。 と言いつつもつい最近までずっと引きずっていましたが(笑) ー具体的にはどんなことに時間を使うようになったんですか? 心理学をもっと人に伝えたいと思い、友人の繋がりで心理学のセミナーやワークショップを開いたりしました。心理学の話ができるのがとても楽しかったです。そういった活動をする中で出会った方に、YeLL株式会社の北村さんを紹介していただき、YeLLでのインターンを経験させていただきました。 ーYeLLのインターンではどのようなことをされていたんですか? YeLLに興味のある人に会いに行ってサービスの話をしたり、YeLLが主催するイベントのお手伝いや、YeLLに関わってくれている方が主催する勉強会のことを記事にしたり、名刺を作ったりといろいろな経験しました。 しかし心理学を勉強していたこともあって、どうしても論理が先立ってしまい行動ができない人間だったんですが、インターンを通してまずは動く、やってみるという習慣が身につきました。 ー何かYeLLのインターンで記憶に残っていることはありますか? 大学4年生の時にいただいたフィードバックで「加藤君は自分のことしか考えてないよね」って言われたことです。グサッときました。「そんなことはない!」と言われた時は思ったんですが、グサッときてる時点で図星なんだなと思いました。 そのフィードバックを受けてなんでそう思われたのか?どうしてそういう印象を持たれのか?を考えました。考えてみたら、YeLLでは「好きなことして良いよ」という文化があったので私は自分の興味のあることしかやってなかったんです。でも本当であれば、YeLLの現状の課題・タスクからやった方が会社のため、利益になります。その点を考えずに好きなことをやっていたからだと気付きました。 これは今も気をつけないと表面化しやすい点だと思っています。なのでそれが誰かのためになるのか?と問いかけることを日々心がけるようにしています。 就職ではなくワーホリは逃げ? ー就職ではなくワーホリを選ばれていますが、就活はされたんですか? はい。心理学を活かせるところと思い、人材系を多く受けていました。人と関われるところ、組織のマネジメントに関わる仕事につきたいと思っていました。が、あまり順調には進みませんでした。心理学を面接で活用できると思っていましたが、それはあくまでも一次や二次選考だけで、最終面接になると好印象を持ってもらうだけでは通りませんでした。 自分がどう会社に貢献できるかのアピールが苦手で、心理学の話はあまり面接ではしていませんでした。心理学も自分よりもっとできる人がいると思っていたので心理学は自分のアピールポイントにならないと思い込んでいたんですよね。能力コンプレックスがまだ残っていて、人柄だけで内定をもらおうとしていました。 ー就職浪人や就職活動を続けなどの選択肢もある中、ワーホリを選ばれた理由はなんだったんですか? 夏にYeLLに海外からインターン生が来たんですが、その時に全く英語で話せず、もっと話せたら良いのにと思ったのが大きいです。ワーホリの存在自体は3年生の時に知りましたが当時はパスポートを持っていなかったので応募できませんでした。でもその後パスポートを取得していたので今なら応募できると思いました。 初めはイギリスに応募したんですが、抽選に外れてしまい、その後アイルランドにもワーホリ制度があることを知りそちらも応募してみたら通りました。逃げの選択かなとも思いましたが、アイルランドや北欧諸国は幸福度も高い国とされており、心理学を学んできた中で、「人がどうやったら幸せに生きられるのか」ということを学びたくて、せっかくのチャンスだし行こうと決めました。 ーしかしコロナの影響で中止に。 アイルランドに行く前日にワーホリ協会の方からコロナの影響で語学学校が閉鎖したと連絡が来ました。ちょうど東京で実家に荷物を送る引越し作業をしていた時に(笑)。 どうしようもないのでまた行けるようになるまで、とりあえずお金を貯めようと思いましたが、コロナでバイトもできない状況。そこで業務委託のライターの仕事があることを知り、心理学ライターとして活動することにしました。そこから繋がって、ランサーズさんとLiving Anywhere Commonsさんの共同イベントでセルフマネジメントについてお話しする機会をいただいたりもしました。 ーライティングに心理学は役立っていますか? 読者の心理を考えて書いたりすることに役立っていると思います。読みやすい文章であること、信憑性があることなどは特に意識して書いています。 心を読むことは実は不可能 ー実際のところ、相手の心を読めことはできるのでしょうか? 誘導などをすれば別ですが、心を読むことは基本的に不可能です。が、読んでるように見せることはできます。例えばバーナム効果を利用すれば、誰にでも当てはまることをその人に合わせた形で伝えることで「自分のことを分かってくれている、心を読まれた」と思わせることができます。なので唐突に「今何考えてるでしょう?」と聞かれてもその人が考えていることを当てることはできません。 他にも共感力がポイントとなっており、共感性を高めることによって相手がどう感じているかをわかるようになります。共感力を鍛えるトレーニングをして、相手の気持ちに共感や理解をできるようになれば、相手の心を読んでいるように見せかけることができます。 ー誰にでも当てはまること、だとどのように伝えるのですか? 例えば普段の食生活や運動の有無を聞いてみます。もし、「朝昼晩と奥さんの料理を食べていて、運動は頑張って今月から走るようにしている」と言う答えがあったとしたら、「運動不足を感じていて、「頑張って走るようにしている」と表現していたことから、普段はあまり運動する習慣はなさそう。食生活はおそらく問題ないはずなので、最近リモートワークになってお菓子を食べることが増えたのかも、運動に関してはストイックではさそうだ。朝ごはんも食べているし、朝起きるのが早いと以前話していたから、生活習慣は正しく、仕事はストイックなタイプ」と推測することができます。 でも、実際はお菓子なんて誰でも食べますよね。それにリモートワークになったことで運動不足を感じるようになった可能性も考えられる。確実に当てることは難しいですが、与えられた情報から関連性が高いことを連想ゲームのような感じで考えると該当するケースが多いんです。 心理学を一度、勉強してみてほしい ー心理学の面白さをもう少し教えていただけますか? 今であれば、コロナで人に会えない状況での人間関係においても、心理学を利用してできることがあります。例えば、リモートにおける人間関係で相手に好印象を持ってもらうには普段より1.5倍くらいテンションを高くして話すことです。これは人事の方などでも実践している方が多いと思いますが、zoomなどのオンラインだと画面越しで肌感覚や空気感がわかりにくくなっています。また、オンラインで話している時はスマホを触ったりしない、いわゆる「ファビング」をしないことですね。 また、心理学において人は自分が取った行動で相手の行動も決まるとい言う考えがあります。分かりやすい例だと、自分が小さい声で話すと相手も小さい声にで話しますよね。なので相手に好印象を持って欲しいなら、相手が好印象持ってくれるような動きや目線、空気感を画面内で作らないといけません。 他にも面白くて、納得できる話がいっぱいあるので、ぜひ皆さんにも一度、心理学の勉強をしてみてほしいです。人間にはこういう心理があるのか、ということがわかってとても面白いと思います。 ー心理学を学ぶ上でおすすめの入門書はありますか? 読みやすいと自分が思える本であればまずはなんでも良いと思います。心理学の本にはポップな心理学とアカデミックな心理学があります。最初から、名著と言われているようなアダムグラントの「GIVE & TAKE」を読むよりも、心を読むなどがメインのポップな読みやすい心理学の本から読んだ方が入りやすいと思います。普段あまり本を読む習慣がなければ、一冊読み切れないことでモチベーションがさがって読む気をなくしてしまうので、自分の興味のあるジャンルから少しずつ学んでいくことをおすすめします。 他にも、説得する際のテクニックとして交通安全の看板に関する話があります。交通安全の看板を家に立てたいですと依頼する前に、まずは交通安全シールを家のどこかに貼ることを依頼し、その2週間後に看板を立てていいか?と聞いた方が承諾している確率が上がると言う話です。 つまり人は一貫した行動を取ろうとします。心理学の勉強に関しても、交通安全の看板と同様にで、先に簡単であってもいいので心理学の情報に触れておくことで、学術的な心理学についても抵抗感が減り学びやすくなります。 ー心理学の学び方を心理学で語ると説得がありますね…!最後に、加藤さんの今後の展望を教えてください。 今新たに始めようと思ってることとしては、6月から「Psychology College@online」をはじめる予定です。心理学を学びたい人向けに毎週土曜日21時から1時間、心理学の授業を実施しようと思っています。 ライターとして発信する中でダイレクトなリアクションが見えなかったのでモチベーションを感じずらい部分もありました。なので一方的な授業ではなく双方にコミュニケーションがある授業にしようと思っています。 ーそれは楽しみですね。今後のご活躍も期待しています! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる <取材:西村創一朗、執筆:松本佳恋、デザイン:>

地元にパフォーマンスで恩返ししたい。高野璃奈のコウノキカクが始動するまで。

「いつかは埼玉県東秩父村に拠点を作りたい」と地元への愛を語ってくださった「コウノキカク」代表の高野璃奈さん。 日本大学藝術学部演劇学科を卒業後、女優・ヨガインストラクターなどとして幅広く活躍。現在は『カラダを動かすことでココロを動かし自身を表現する』というコンセプトのもと立ち上げたコウノキカクでイベントの企画・開催を行われています。 今回は身体で表現するを仕事にされている高野さんに芸術学校ならではのエピソードやコウノキカクへの意気込み、そして目標達成のためにやっていることをお伺いしました。 ダンスを始めたのは実は中学生 ーまずは簡単な略歴を教えていただけますか? 埼玉県東秩父村出身で日本大学藝術学部演劇学科を卒業しました。卒業後は女優を軸にモデルやダンサー、MC、フィットネスインストラクターをしています。 ー何がきっかけで芸術や演劇に興味を持つようになったんですか? 家族で見に行った劇団四季のファミリーミュージカルがきっかけでダンスとお芝居をしたいと思うようになりました。高校もダンスやお芝居の勉強をするために公立の芸術総合高校の舞台芸術科を受験しました。 ーということは小さい頃からダンスをされていたんですか? いえ、実はダンスをはじめたのは中学生です。中学の時にクラシックバレエを習いはじめたんですが、クラシックバレエは3歳とか小学生からはじめている人が圧倒的に多くて。私はスタートとしては遅かったと思います。でも、バレエを習い始めて音楽にあわせて体を動かすのが楽しいなと思いました。 ー芸術高校に進学されたということですが、やはり普通の高校受験とは違うんですか? 私が受験した時は、作文・身体表現の1分間(ダンス)・台本の音読・面接という内容でした。それに加えて中学の成績ですね。母が新体操の先生をしていたので、母と一緒に振り付けを考えて練習し受験に臨みました。 ー芸術高校はどのような高校でしたか? 公立なので普通の高校と同じように国語・数学などとありますが、芸術高校らしい所といえば演劇の授業がたくさんあること。日本舞踊やフラメンコ、民族舞踊などの授業が受けれたりしました。 ー部活動などもされていたんですか? 部活はダンス部に入っていました。モダンバレエやヒップポップ、ジャズ等いろんなダンスをやってきた人たちと一緒にやる創作ダンスでした。基礎から学ぶダンス部というよりは既にダンスをやったことのある人たちが揃っていたので毎年、全国大会を目指していました。実際私も全国大会に出場させてもらいました。 ー部活以外で何か思い出に残っているエピソードはありますか? 修学旅行はとても記憶に残っています。京都に行って授業で学んだ日本舞踊を皆で舞妓さんの格好をしてパフォーマンスしました。 ーとても芸術高校らしい修学旅行ですね。高校生の頃には将来芸術系の仕事に就きたいと考えていたんですか? 将来何がしたいか高校生の段階では正直分かっていなかったです。とにかくダンスが好きでお芝居をもっとやってみたいという気持ちはありました。でもどういう仕事につけばいいかわからなくて、自分に何ができるかわからなかったから、それを探すために芸術系の大学に進むことを決めました。 ミスコンに出て、地元に恩返ししたいと思った ー日本大学藝術学部といえば演劇界のエリートコースかと思いますが、受験は大変でしたか? 受験は大変というより楽しかったです。試験内容としては朗読・即興ダンス・歌唱審査・面接でしたが、緊張したものの楽しんで受けれました。 ー芸術系に進むことに対して親御さんの反応はどうでしたか? 昔から好きなことをやりなさいと言ってくれる両親だったので大学合格には喜んでくれました。もちろん、これからどうするんだろう、何になるんだろうとは思ってたと思います(笑) ーそうですよね。大学は入学してみてどうですか? 芸術高校を卒業していたので、できる子というイメージがつきやすかったのがプレッシャーでした。実際はお芝居よりもダンスがメインの高校生活だったので、お芝居の勉強をもっとしたくて演劇コースを選んだのに。 最初の2年間で実際演劇の基礎をしっかり学べたのでよかったです。もっと演劇をやりたいなと思えるようになりました。逆に最後の2年間はせっかっく大学にいるので、他の学科の授業を受けてみようと思い美術史や日本文芸誌など違う学科の授業をとって幅広く学べました。 ー大学でもダンス部に所属されていたんですか? 大学では部活やサークルには所属していませんでした。高校生の最後の方に埼玉から東京に引っ越した際にはじめたダンススクールの事務所に登録していたので事務所経由でバックダンサーや雑誌のモデルのお仕事などをしていました。 その他には4年生の時にミスコンに参加しました。埼玉の地方大会に参加したのですが、地元の地域の方がすごい応援してくださりました。地元にパフォーマンスで恩返ししたいという思いはその時以来ずっとあります。 またミスコンには軸をしっかり持った人が集まるので自分をとても高めてくれ、ミスコンで培った経験も仕事に生かしたいという思いが生まれました。 ー卒業後の進路として就職という選択肢はなかったんですか? 就職活動というものにチャレンジしてみたくて、テレビ局を受けたりはしていました。周りの友達も就活をしている子は映像系などの芸術関係の企業が多かったです。でもどこかの会社に入るというイメージがわきませんでした。 その後大学を卒業した際にたまたま、フィットネスインストラクターをやってみてないかと声をかけていただき大好きなダンスを人に教えるという経験をしてみたいと思いチャレンジすることにしました。 自分を表現するためのダンスvs健康のためのダンス ーインストラクターの仕事はどうでしたか? ダンススクールとフィットネスクラブのダンスクラスって全然ちがうんですよね。フィットネスクラブのダンスプログラムは健康目的で来ている人が多く年齢層も高めです。ダンススクールと教える時のアプローチが全然違うのでとても勉強になりました。 私にとってダンスは自分を表現するものであるのに対してダンスが健康になるため・汗をかくためのものというお客様とのギャップがあったのは事実で、それを埋めるのには苦労しました。なので自分のやりたいことと、相手が求めていることの差を埋めつつ、身体を動かしながら楽しんでもらえるエンターテイメント性のあるレッスンというのを目標にやっていました。 ーインストラクターの仕事はそれ以来ずっとやられているんですか? 気づいたら4年やっていますね(笑)ただ。初めはアルバイトでしたが今はフリーです。また今はダンスではなく、ヨガをメインとしたインストラクターをしています。いろんなレッスンを経験させてもらいましたが、その経験を元に自分のオリジナルのプログラムを作りたいと思いフリーになりました。 その中でもヨガは今一番需要があるというのもそうですが、私自身が大事にしている「呼吸」を大事にしているレッスンなのでヨガのインストラクターは続けています。ヨガのレッスンを通して今どんなプログラムに需要があるのかもリサーチしています。 コウノキカク始動、目標は1レッスン100人。 ー現在活動されている「コウノキカク」について教えていただけますか? コウノキカクでは、『カラダを動かすことでココロを動かし自身を表現する』というコンセプトをもとに埼玉、東京を中心に企画、イベントの開催を行なっています。2年前くらいからshow roomで自分のやりたいプログラムを配信しだしたのでがきっかけです。去年から月1回「りらくてぃぶ」という名前で開催しています。直近の目標としては1レッスン100人集めることです。 ー「りらくてぃぶ」では実際どのようなことを行っているんですか? 最後にヨガの要素が入っているんですが、それ以外は全力で自分の身体に向き合ってもらう自重トレーニングです。自分の身体・体重で自分でコントールして最後までやりきる70分のレッスンになっています。 ー現在はコロナの影響でオンライン開催ですか? はい。今はズームでやっています。せっかくオンラインでやっているので30分のショートレッスン×2に変更し、誰でも気軽に参加していただけるようにしました。オンラインだと雰囲気が掴みづらく試行錯誤していますが、これをきっかけにたくさんの方に知ってもらい楽しんでもらえたらなと思っています。 今はまだ最大20人規模程度で100人は遠い道のりですが、行く意味・参加する意味が見出される魅力があれば人がついてくると思うので、目標達成に向けて頑張っています! 今は面識がなくてもアプローチすれば会える時代 ーここまでのお話を聞いているととても順風満帆なイメージがありますが、挫折経験などはありましたか? 卒業して少ししてから全国公演の大きな舞台があったんですが稽古中に足を怪我して出れなくなりました。あの時はとても悔しかったです。どんなにやりたくても自分が健康じゃないと何もできないんだなと実感しました。それ以来自分の身体と心のメンテナンスは常に意識しています。今は特に外出自粛ムードで心の状態が不安定になりやすい時期なのでしっかりメンテナンスしたいと思っています。 ー具体的にどのように心のメンテナンスをするのがいいでしょうか? 1つはやっぱり楽しいことを考えたり気分転換になることをすること。私は自粛が終わったら女性向けに家でヨガやパーソナルトレーニングをしたいなとおもっているのでその準備も兼ねて家のレイアウトを変えたりしています。 また、「私の今の状態どう?」と周りの人に確認するのもいいと思います。身体のケアは1人でもできるかもしれませんが、心のメンテは1人だと難しいと思うので。 ーその他、この期間を利用してやっていることはありますか? これを機会に簿記の勉強をはじめたました。尊敬する方に、簿記の勉強をしといたら間違いないよって言われたので(笑)もともと数字は弱かったんですが、経営とかには数字が必要と感じたのもあります。 また、自分がこれから何をしたいのかを考える時間をたくさん持つようになりました。変化し続ける社会に自分がやりたいことと、皆さんが求めているところがどこでマッチするのかなと。周りの人にアドバイスをもらいながらこれからのことを考えています。 ーこれから何をしたいか既に考えていることはありますか? やっぱり「身体動かす=生きている・自分を表現する」というのを感じてもらえる拠点を作りたいです。ダンスなどだけではなく演劇の講師やミスコンの経験などを生かして歩き方や姿勢に繋がるレッスンなどもやりたいです。 都内だけではなく埼玉に拠点を持ち、自然が豊かな東秩父では合宿形式のものをしたいとも考えています。自然に囲まれたところで自分にとって必要なものを感じ取ってもらい、自分の内部から生まれるものを大切にしてほしいなと。 ー素敵ですね。その実現のために何か大切にしていることはありますか? 自分1人の時間を確保することと、迷った時は人に会ってアドバイスをもらうこととです。 1人になって何をやったらいいんだろうというのは常に考えています。また、1人になった時ほど気づきって多いと思うんです。例えば1人でいて、何をやるかを選択するかに何か自分の本当に好きなことや大切にしたいことが隠れていたりします。 その上で、話したい人・アドバイスをもらいたい人に自分からアプローチしてアドバイスをもらいます。尊敬している人とか、なかなか会えなさそうな人にもどうやったら会えるか考えて積極的にアプローチすることが大事だと思います。自分がどうなりたいかというのをしっかり言語化して伝えた上で、相談にのってほしいことを伝えてみてください。 ー実際にアプローチして会った方はいますか? 株式会社ミライロの垣内さんです。私に簿記の勉強を進めてくれたのも実は垣内さんです(笑)ずっとお会いしたくて、Facebookで探して面識もないのにメッセージを送った結果お会いすることができました。 ーすごいですね。SNSがあるからこそ、ですね。 会いたい人に会えるチャンスはたくさんあります。今は自分から発信して培っていく時代だと思うので、ぜひ自ら考えて、自分が実現したいことに向けて積極的に動いてみてください。 私もこれからまだまだ頑張ります! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる <取材:西村創一朗、執筆:松本佳恋、デザイン:矢野拓実>

かつてはおしゃPを目指していた西側愛弓が目指すファッションを軸とした社会貢献とは。

ユニークキャリアラウンジ、記念すべき第50回は社会起業家の西側愛弓さんをゲストにお迎えしました。 中高時代、好きなことがファッションしかなかったという西側さん。現在フィリピンでのファッションスクールと社会課題を解決するアパレルブランドの立ち上げに奔走している彼女ですがファーストキャリアは意外にもIT企業。ファーストキャリアをIT系に決めた理由やその後退職し、取り組んでいる新しい事業についてたくさんお話いただきました! 高校時代はおしゃPを目指していた。 ー早速ですが、高校生のころはどんな学生だったんですか。 勉強をするわけでも部活に入るわけでもなく、ただファッションが好きな高校生でした。 祖父がオシャレ好きだった影響を受けたのもあり、中学生の頃からファッション関係の仕事につきたいと思っていました。高校生の頃は雑誌「JJ」から影響を受けて、おしゃ P(おしゃれプロデューサーズ)になろうと思っていましたね(笑) ーでは高校卒業後は本当は専門学校を考えていたんですか? それが中学3年生の時にファッション専門学校に見学に行ったんですがちょっと想像していたのと違ったんです。純粋にファッションが大好き!な人たちが集まる学校と思っていたんですが、そうではなくて資格取得のため等といった現実的な理由で通っている人たちもいたんですよね。たまたま見学に行った学校がそうだっただけなのかもしれないんですが、その時はなんか違うなと思ってしまって専門学校へ進むつもりはなくなりました。 でも大学に行くつもりもありませんでした。高校卒業後はひとまずカリスマショップ店員でも目指そうかなとか思っていました。 ーなぜその後大学に行くことを決められたんですか? 特に家族に絶対大学に行けと言われた訳ではなかったんですが、2つ上の姉から言われたんですよね。「大学に行かせてもらえるってすごい恵まれているよ。行っていいよって言ってくれているのに行かないってもったいないと思うよ」と。 それを聞いて、大学に行ってそこで何か新しいことを挑戦してみようかなと思いました。中高時代は特に何も挑戦することがなく、自分で選択肢を狭めてしまってた気がしてたんですよね。 ー進学先として神戸女学院大学を選んだ理由は何かあったんですか。 大学進学に向けて勉強しだしたのが高校3年生に入ってからだったのと、それまで全然勉強してこなかったので、大学受験は2教科で受験できる女子大に絞ったんです(笑)国語と英語の2教科受験して、受かったのが神戸女学院大学の文学部総合文化学科でした。 クラファンでの成功体験が挑戦へのハードルを下げてくれた ー大学では新しいことに挑戦したいとのことでしたが何か挑戦されたことはありましたか? 大学4年間はひたすらバイトして貯金がたまったら海外旅行に行くを繰り返していました。高校2年の時に友達がアメリカに引っ越したので会いに一人でアメリカに行ったんですがその時に新しい体験や景色、人に出会えることにワクワクを感じて一人旅にはまったからです。 そんな中ファッションがやっぱり好きだったので何かチャレンジできないかと考えた結果、海外ストリートファッション雑誌を作ってみようと思いました。フリーペーパーとかではなく、実際にクラウドファンディングをしてお金を集めて、オンラインで販売したりしました。 ークラウドファンディングに挑戦されたんですね!やってみてどうでしたか? 感動しましたね。自分の思いに共感して応援してくれる人がこんなにいるんだと。一人でやっているようで一人じゃないという感覚があって挑戦する楽しさを感じるようになりました。 ー当時はまだクラウドファンディングが主流ではなかった中、成功できた要因はなんだったと思いますか? 周りの人に恵まれていたからだと思います。クラファンの高額リターンは私に直接会えるというものだったんですが、支援してくれた方に会いにいったら大学の友達で、偽名で支援してくれていたということもありました。 ーそれはすごいですね。雑誌を実際作ってみて学びはありましたか? 挑戦することへのハードルはかなり下がりました。海外留学経験もなかったし、英語やカメラもできないから雑誌なんて作れなさそうに見えたと思いますが、やってみたら以外にできました。 修行のためファッション業界を離れIT企業へ ーその後サイバーエージェントに就職されていますがファッション・アパレル系ではなかった理由はなんだったんですか。 将来必ずファッションの仕事につきたいと思っていましたが、だからこそファーストキャリアはファッションじゃない道を選ぼうと決めていました。 その中でもIT系を選んだ理由は、これからの時代どんな業界に進んでもITは必要になってくるだろうと思ったからです。私はどちらかというとIT系にうとくて苦手だったので尚更、IT系の会社で修行を積みたいと思ったんです。 ーなるほど。その中でもサイバーエージェントに決めた理由は? 受けていた企業で働く方々に会ってみると、サイバーエージェントは一番楽しそうに仕事をしている人が多かったんです。大人だけど青春している社員さんを見て、私もそういう大人になりたいなと思ってサイバーエージェントに決めました。 ー入社してみてどうでしたか? アメブロやアドテクノロジーの営業を担当させていただいていましたが、専門用語だらけで想像以上に大変でした。また、ITが日々アップデートされるので情報のキャッチアップもしないといけないのが大変でしたね。仕事に慣れてきて成果が出るようになったのは1年目の終わり・2年目に入ってからでした。 ー2017年に入社され、2019年1月に退社されたとのことですが、なぜそのタイミングで退職を決められたんですか? 本当のところをいうと、1年で辞めようと思っていました。でも入社してみるとあまりにも大変で、1年で辞められないなと感じたんです。1年だと耐えるだけで、得るものがない状態でやめることになってしまい、結果2年働かせていただきました。先輩や同期には、在職中とてもお世話になった上、退職後のチャレンジも前向きに応援してくれて本当に感謝しています。 会社よりも先にNPOを立ち上げたかった訳 ー退職後、ずっと決めていたファッションの分野に戻り今の事業の立ち上げを? はい。ファッションで社会問題を解決したいと思い、NPO法人DEAR MEをたちあげました。同時に、持続性を考えて株式会社coxcoの立ち上げを進めることにしました。 ーファッションで社会問題を解決したいというところにはなぜたどり着いたんですか。 大学時代に世界を旅している中で、貧困を理由に服を着れない子供たちと出会いました。フィリピンは貧困問題を抱えている国の1つです。大学時代に実際にフィリピンに行って以来、社会人になってからもフィリピンに行っていたのでまずはフィリピンの貧困問題にファッションでアプローチすることに決めました。 高校時代までの私は人生つまらないと思っていたけれど、ファッションがきっかけでいろいろと変化が生まれました。なのでそのファッションで今度は社会貢献がしたい、そのためにNPOを立ち上げたいという思いが強くありました。 ーNPOでは具体的にどのような活動をされているんですか。 フィリピンで現地の貧困地域の人たちがモデルになるファッションショーを毎年2月に開催しています。また、現在はマニラでファッションスクールを作る計画も進めています。ファッションやビューティーに関連した技術者を育て雇用を生むことが目的です。 ー日本ではなくフィリピンを拠点とした活動内容ですが苦労はありましたか。 会社を辞めて、フィリピンに住むくらいの気持ちでフィリピンに行きましたが、現地のモデル事務所の方にあやうく事業を乗っ取られそうになったりと問題が多発しメンタル的にはとても大変でした。一緒にやってくれている仲間たちはフィリピンにいなかったのでメンタル的にとても辛かったです。 服という形をしたメディアで社会課題解決を目指す ーやはりスムーズにはなかなか行かないものですね・・・同時に日本での事業立ち上げもされていますが、こちらはどのような事業になるんですか。 coxcoという会社を立ち上げ、ファッションブランドの立ち上げをしています。ただ服を作って売るのではなく、こちらでもファッションを通して社会貢献をしたいと考えています。使う素材を廃棄素材にするなど素材からこだわり、服自体がメディアとなって社会課題や製造背景などのストーリーを伝えようとしています。 こちらは本当はであればもうローンチ予定だったんですが、コロナの影響で工場が稼働していなかったりするのでこちらは5月・6月頃スタートできないかと今調整中です。 ーNPOや事業の立ち上げとパワフルに活動されている印象を受けますが、やりたいと思ったことやるにはどうしたらいいと思いますか。 難しく考えすぎないでいいと思います。「何かしないと!何をしよう?」じゃなくて身近に好きな物で何か小さいことから始めてみたらいいと思います。好きの深さは人それぞれだと思いますが、浅い・深い関係なく、やってみることが大事だと思います。何事もやってみないとわからないと思うので。 あとは初めの一歩をどう踏むか、誰と踏むか、を考えるといいのかも。 ーなるほど。最後に西側さんの今後の目標を聞かせてください。 ファッションで社会課題を解決するという所に今後も力を入れていきたいと思います。NPOの活動を通し社会課題としっかり向き合う。そしてファッションビジネスを起点に社会課題を解決する。この2つをうまく両立させて持続性をもたせたいと思っています。世界がもっと優しく、みんなが手と手をとりあえるようになるのが私の目指す世界です。 社会課題って難しいしハードルが高いと思われがちです。実際社会課題の解決は難しいですが、社会課題と向き合うことがクール・かっこいいというのが私や私の事業を通して日本でも浸透できればなと思っています。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる <取材:西村創一朗、撮影:、執筆:松本佳恋、デザイン:>

自分の人生を生きたい若者たちへ ー Yahoo!アカデミア学長・伊藤羊一がチャンスを掴むための秘訣について語る【U-29 Career FESレポ】

ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「U-29.com」が運営する月イチイベント『U-29 Career FES』。 第三回となる今回は、Yahoo!アカデミア学長として次世代のリーダーの育成や全国各地でのプレゼンテーション指導、自身の著書である『1分で話せ』『0秒で動け』などの執筆など、多方面で活躍されている伊藤羊一さんをゲストにお迎えしてオンラインで開催! 伊藤さんが今に至るまでに経験したこと、今の若手に伝えたい想いを伺いました。   人生のどん底を経験。20代後半まで「自分の人生を生きていなかった」 ーまず、伊藤さんのこれまでの人生、どのような道のりを歩んで来たのか教えて下さい! 直近では武蔵野大学で新しい学部の創設に携わったり、著書『1分で話せ』に関しては電子書籍なども含むと約40万部を売り上げたり、Yahoo!アカデミア学長として数々の講演やイベント活動をしたり多忙で非常にやりがいのある面白い日々を過ごしています。 ですが、大学時代は社会に向き合うこと・社会と触れ合うことを避け、新卒で入社した会社ではうつ病になるなど“人生最悪の時期”を経験したこともあります。 ちょうどU-29世代の皆さんと同じ20代の頃は、人生グラフにおいてもあまり良くない時期だったんです。 ー20代の頃がグラフでも凹んでいますが、どんな学生・新卒時代だったのでしょうか? 僕は学生時代の思い出と言えば、高校のテニス部をクビになったり、大失恋したり…大学に入ってもバイト・バンド・デートの3つを繰り返すただれた生活を送っていました。要は「無」だったと思います。当時の僕はチャレンジすることが怖いと思い何もやれてなかったんです。その後就活を迎え、新卒で入社した会社でもやる気が出ず、勉強や業務もできない。 研修では160人同期中、4人の不合格に入ってしまった。その後受けた通信教育では8科目中1科目しか終わらず、1人だけ突破できないような状態です。 仕事も上手く行かない、勉強もしたくない、飲み会も馴染めない…社会との関わりを避けてきた学生時代を送った僕が社会に出てもいきなり上手く行くはずもなくやる気レスな日々を過ごしていました。 ーそんな伊藤さんの「人生最悪」の時代には具体的には何があったのでしょうか? 新卒で入社して、26歳になった時にうつになりました。 やる気が出ない・仕事がうまくいかない状態で仕事が終わると、家に帰りたくない…という状態が毎日続くんです。夜遅くまで飲み歩き、朝は起きれない上に、出社する時間になると吐いてしまう日々が数ヶ月続きました。「俺はまだ本気出してないだけ!」とギリギリ働いていたのですが、そんな生活を続けている中で、うつになったんです。   20代後半で「うつ」を経験。乗り越えられた背景にはどんなことが…? ー「うつ状態」は、なぜ乗り越えられたと感じますか? 日本興業銀行の、仲間の存在が大きかったですね。たまたま配属された支店のメンバーがほんわかした雰囲気で、「会社きてたら良いよ!そこに座ってな!」とか言ってくれるんですよ。こんな自分にも仕事をちゃんと任せてくれていました。 お節介に手取り足取り教えてくれる仲間も多かったのもあって、とある案件が成功し、その経験があって仕事と向き合えるようになったんです。 結局は、自分が苦しんでる時に助けてくれた仲間の存在があったから、抜け出せたと思います。見つめ続けてくれる仲間が居て、自分は変わるキッカケを貰いました。人に向き合い、対話をするってことが非常に大切だと思いましたね。 ー20代の最悪な時期を脱したキッカケ、「とある案件」とは何があったのでしょうか? それまでは「何のために働くのか」という意味を見いだせず、やる気が全く起きなかったのですが、27歳の時にとあるディベロッパーさんのマンション開発の融資案件を任されたんです。初めて「コレをやりたい!」と思えた仕事に出会えました。 銀行の仕事としては、言ってしまえばよくある普通の案件ではあります。ですが、カッコよくて、頑張っていて、大変思い入れのある大好きなクライアントでした。当時のだめだめな自分でも「これは良いぞ!」という心が騒ぐ感覚があったんです。 1年後、完成したマンションを見て衝撃を受けました。更地だった土地がマンションになっていて、そこに住む人々の顔や姿を見て、「この人たちのために、頑張ろう! 社会ってこうやって動いてるんだ!」と気づき、仕事と向き合えるようになりました。 人生グラフ上だと自分の人生が「盛り上がっている」のはここ10年程ですが、この出来事が働く原点でしたね。27歳の頃に作ったキッカケのお陰で抜け出せました。 ーつらい若手時期を抜け出した後、30歳以降で困ったことや後悔したことはありますか? 困ったことは多数あります。特に12年前、ハードな仕事をしつつ暴飲暴食や不規則な生活をしている時期に突然、糖尿病になり入院をしました。血糖値は卒倒するレベルの悪さでした。入院後は痩せるために偏った食事をしていたら高血圧に…。 健康な状態になってみると、健康な身体の状態で仕事ができるって素晴らしいと感じました。今では健康が非常に重要だと感じています。 20代の人は、健康な状態が当たり前の方もいるでしょうし、気遣っている人って少ないのかなと思います。でも結局、健康をないがしろにして後悔するのは自分です。 仕事でもプライベートでも失敗はあるだろうが、健康で失敗すると大変なことになりますからね…。経験したからこそ、馬鹿にしてはいけないと思いますよ。   やってきたチャンスをものにする、自分の人生を生きるために「自分のリズム」を作ってみる ー成功体験には仲間の存在が大きかったと思うのですが、ご自身でも意識的に取り組んでいたことはありますか?成功を勝ち取るために努力していたことを知りたいです! もちろん、案件たった1つで劇的に変わったわけではなく、他にもたくさんのルーチンワークをやっていましたし、盛大な失敗体験もあります。ただ、成功するにしろ失敗するにしろ、「踏み出す」ことが重要でした。 頑張る・なんとかする・無理をするのはちょっと違う。毎日7時に起きれた・日記をかけたなど、小さなことを繰り返し自分の習慣を作り、その積み重ねが自分を変えるはずです。 自分の好きなこと、小さなことを積み重ね、習慣ができてくると自然と身体が動くようになるはずです。 ー偶然、やってきたチャンスをものにするためのポイントはあるのでしょうか? そうですね。“地ならし”は必要だと思います!昨日までできなかったことをいきなり伸ばすのは難しいので、日々積み重ねがあることが大切です。 僕の場合は、仲間と良好な関係を築くこと・会社に行くことの2つは日々続けていました。そのため、たまたま成功したのではなく多くの仲間が助けてくれたことが成果に繋がったのです。そして物事が好転した後、起きた後は振り返りをすることが大切です。 どのようなことができたのか、何が良かったのか、振り返りをして「自分のリズム(習慣)」にできるかどうかがポイントです。PDCAを回すってこういうことだと思います。 ー伊藤さんは、具体的にどんな振り返りの方法をしていますか? 僕は毎日の振り返りと、1週間の振り返りの2種類を行っています。 振り返りは小さい範囲で良いので毎日やること。週単位のものはスケッチブックにグラフやイラストを書いたりして思考を整理したり書き出したりしています。 僕の場合は日記と散歩をしていました。日記は、1行でも10行でもいいので毎日付けること。散歩は、頭の中にあるアカ(汚れ)のようなものを落としていく時間でした。日々、リセットすることに集中しています。日記は言語として振り返り頭の中をリセットし、瞑想や散歩は心身をリセットするんです。 毎日「またここに戻ってきた」というような感覚を持つ。そして自分に起きた出来事や感じたことを振り返ることができるようになる。すると自分を客観視できます。 ー最後に、「自分の人生を生きる」には何が必要なのでしょうか? 3つあると思います。 1つ目は、「目指すべき道はなんだ?」「自分は何がしたいんだ?」「天職は何だ?」ととにかく毎日問うこと。僕も今でも習慣としてやっています。 2つ目は、問うだけではなくツッコミを入れること。そのサイクルを作ることです。 3つ目は、他人と比べないこと。他人の良さは自分の肥やしにすれば良いんです。あえて「みんな好き!みんな最高!リスペクト!」と言いまくり、自分を洗脳していくと他人と比べないようになっていきます。つい比べてしまうけどそれは仕方ないこと、まずは繰り返して言いまくってください! 僕は2011年に発生した東日本大震災をキッカケに「自分は人生において何をやりたいんだ?」と本気で考えました。自分の人生を考え、生きることは非常に大切。今からでも遅くないので、ぜひトライしてみてください。   終わりに…20代の若者たちへ 自分の人生を生きたいと思うなら、自分は何をしたいのか?何のために生きているのか?などを青臭いかもしれないけど、本音で考え、伝えることを意識して欲しいです。 照れずにこういった感覚を持てること、人との対話の時間を持てることが大切です。こういった講演や質問に回答することでも、僕にとっては振り返る時間になっています。「意識高い系って言われたら嫌だな…」と悩んでいたときもあったけど、今では「伊藤さんってそういう人だよね」と言われるまでになりました。 斜に構えていた20代を過ごしていた僕も、明和地所の案件が終わった時に社長と抱き合って清々しく号泣した瞬間、「心のシールド」を失くすことができました。自分を防御しようとして、シールドを張ったり斜に構えてしまう気持ちもすごく良く分かります!ですが、経験することを恐れないで。 やってみて上手くいこうが失敗しようが、意識的に心のバリアを外し、もっと人生を楽しんだほうが良い!U-29世代の皆さんも、「どう生きるのか?」を考えて色々なことに挑戦してみてください。 「Lead the self(自らを導く)」という言葉を、最後に贈ります。   伊藤羊一さんのキャリア・人生観についての話をもっと知りたい方はこちら! 著書: 『1分で話せ』(SBクリエイティブ 2018年) 『0秒で動け』(SBクリエイティブ 2019年) 『やりたいことなんて、なくていい。』(PHP研究所 2019年) 今回の講演のグラレコ ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗 デザイン:矢野拓実 グラレコ:木村あゆみ 文:Moe

「アカウントを使い分ける」SNS時代に、多様な顔を魅せる新川綾乃の仕事への姿勢

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第43回目のゲストは 新川綾乃さんです。 早稲田大学社会科学部在学中に、ストリートダンスサークルに所属しダンスを始められました。大学卒業後は、ユナイテッド株式会社に営業職として入社。その傍らで、ダンサー、モデルとしても精力的に活動を続けられています。 全く違うジャンルの職業を、日々スイッチしながら、どんなステージでも自分の輝きを発揮する新川さんに、いまの働き方になった経緯と、両立するポイントについて伺いました。 「好きなことは続けられる」背中で送るメッセージ ー本日はよろしくお願いします!新川さんの現在のお仕事と、活動を教えてください。 新川綾乃です、よろしくお願いします。ユナイテッド株式会社で、広告事業の営業をしています。 会社員と並行して、ダンサー、モデルとしても活動中です。昨年は、世界的ダンス大会「WORLD OF DANCE 2019」LA本選で第4位に入賞し、CROWD FAVORITE AWARDを受賞、ミスコン「MISS SUPRANATIONAL JAPAN 2019」日本大会でTOP10入り、特別賞を受賞しました。 ー現在、社会人3年目ですね。大学時代からダンスをしているそうですが、社会人になってからも続けられたのはどうしてですか? もともとは、「社会人になったらダンスも辞めなきゃいけないだろうな」と思っていました。いざ、入社し、はじめの頃は細々と続けていたんです。 でも、やっぱり、ダンスの時間が楽しくて。仕事の後のダンス、それまでやっていたときよりさらに楽しく思えたんです。 なにかひとつに集中できる、というのも幸福なこと。だけど、ほかにも頑張っているものがあると、どちらの良さもより分かるようになりました。 仕事をやりきってからダンスをするのも、ダンスで思いっきり体を動かしてから仕事にじっと向き合うのも、どちらも私にとって重要な時間です。それぞれが、相乗効果となって輝いて感じられます。 続けられているのは、純粋に自分がやりたくて、かつ、いまのほうが楽しいと思えるからですね。 ー社会人になるタイミングで、それまでの活動に区切りをつけられる方って多いことと思います。 私の周りもそうでした。また、後輩からも「社会人になったら、ダンス、辞めないといけなくなりますか?」と相談を受けますね。 私は、社会人になってさらにダンスの楽しさに気づけたので、「これ、みんな知ったら絶対に辞められなくなる!」「みんな、辞めなくてもいいじゃん!」と思いました。 「好きだから続けたい、だけど…」と不安になっている後輩に、背中を見せたいです。私がアクティブに活動をすることで、誰かの「頑張ろう」という気持ちにつながれば嬉しいですね。 ーどのくらいのバランスで、ダンスと仕事を両立されているんですか? 入社後1~2か月くらいは、ダンスの配分を抑えていましたが、いまは、大学時代の練習量を維持しながら、仕事にもコミットしています。 埼玉地区大会優勝、本選入賞をした「WORLD OF DANCE 2019」への挑戦を決めたときは、基礎レッスンが平日の3日、大会のためのレッスンが平日1日と土日、という時間を費やしていました…ほとんど毎日ですね。 ー趣味レベルで継続される方が多いなか、どうして大会へ出場されたんですか? 続けるだけでも、いいと思います。でも私は、せっかくなら挑戦も、スキルアップもしたいな、と。 社会人1年目の秋、仕事も覚えて落ち着いてきた頃に、師事しているダンスの先生が世界大会へ出るチームのメンバーを探していたんです。いまなら仕事と両立しながら頑張れる、と思って、決めました。 ー会社員をしながら、それだけの練習量を確保するには努力が必要かと思います。どのように個人の活動を捻出しているんですか? 朝の時間を有効活用していますね。定時の19時で帰宅できるように、始業前には作業を開始するようにこころがけています。また、朝の時間にダンスの振りを覚える作業に専念することも。 毎朝7時には起床して、家を出る9時までの2時間をしっかりと活用しています。 SNSはブランディングの場。魅せたい自分を意識 ーモデルとしてもミスコンでの入賞や駅前の広告への起用など、輝かしい実績を出していらっしゃいます。どのようなきっかけで始められたんですか? ことのはじまりは、世界5大ミスコンのひとつ「ミススプラナショナル」に出場したことで、1年前の2019年3月のことでした。 Instagramに、よくダンスの写真や動画を載せていたのですが、DMで突然連絡がきて…そういうのって、正直、怪しいじゃないですか(笑)でも、「なんでも挑戦したい!」という前向きなマインドだったんです。 なので、半ばノリで出場を決めて…(笑)本番の前に、ビューティーキャンプという、出場者が集まってトレーニングやレッスンを受ける企画があったんです。それが、なかなかストイックな時間でした。もともと、ダンスを始める前の学生時代はハンドボールでアスリート並みに鍛えていたので、そのストイックさや、体育会系のノリが性に合ったんです。そこから、楽しさも増していきました。 自分としっかりと向き合う、というのも、貴重な機会になりましたね。本番ではトップ10入りし、特別賞もいただくことができました! ミスコンで注目を集めると、審査員の方に顔と名前を覚えてもらえて、その後のお仕事に繋がる、というのがメリットあるんです。わたしもその後、オーディションに声をかけていただけるようになり、広告へのモデル起用など活動の幅を広げています。 ーInstagramから、そこまで広がって…!SNS時代ならではですね。ちなみに、当時からフォロワー数は多かったのでしょうか? 当時はまだ1500人くらいのアカウントで…ダンスのことばかりアップしていたのに、よく見つけてくれたなあ、という気持ちです(笑) いまは、ダンス用とモデル用のアカウントを使い分けて、SNSも活発に運用しています。ブランディングが大事なので、そこで、それぞれの「魅せたい自分」を意識して、投稿も工夫していますね。 昔だと、人に想いを伝える手段って、手紙だったじゃないですか。でも、手紙を書くのって親しい間柄じゃないと難しい。いまは、気軽にリプライを送る、という文化があって、有難いなあと思います。ファンの方から「元気をもらいました!」ってリプライがあると、こちらまで元気になりますね。良い時代です。 多面的な人間だからこそ、スイッチして精度を上げる ー会社員、ダンサー、モデルと、複業的に働いているわけですが、ほかにも相乗効果はありますか? 全然違うことをしているからこそ、それぞれの自分に切り替えができて、集中力、精度が上がりました。まるで、Instagramのアカウントをスイッチしているかのような感覚です。 自分のなかに複数人が生きている、という感覚を昔から持っていました。いまの働き方は、そんないろんな自分を、入れ替えて、それぞれが輝くので楽しいです。毎日を活き活きと働けているな、と。 ー逆に、会社員だけ、本業の一本化、としていたら今のようにエネルギッシュではないかもしれませんね。スイッチの切り替えは、どのように行っていますか? 私も人間なので、うまくできない日ももちろんあります…。そんなときは、「五感」を上手く使うようにしていますね。 たとえば、ダンスミュージックはダンスのときだけ、仕事に集中したいときはクラシック音楽、と聞くものは使い分けています。そうしておくと、音楽によって自分のモードが切り替わるんです。 ほかにも、作業に専念するときは青が落ち着くので、文房具などデスク周りは青を多く取り入れています。逆に、テンションをあげていくダンスに関するグッズは赤や黄色が多いですね。 仕事に欠かせないのは関係構築 ー今春から、社会人3年目がスタートしましたが、これまでの2年間の社会人生活で、営業として成果を出すために意識したポイントはありますか? ひとつは、コミュニケーション量を増やすこと。ふたつめは、協力をすること。このふたつを意識してやってきました。 営業は、とにかく会って話す、相手に覚えてもらえるようにちょうどいい頻度で現れる必要があると思います。 どんな営業活動においても、関係が一番大事です。まずは私という人間を好きになってもらう、面白いなって思ってもらえるように努めています。そのためには個々人との距離感をうまく調整して、相手にここちよい状態の中で、最大限、コミュニケーション量を増やしていますね。 ー人に魅せるお仕事を複業としてされているので、対人コミュニケーションも得意そうですね。 Facebookにもダンスの投稿はしているので、そこからコミュニケーションが発展することもあります。きっかけが色々あるのは助けられますね。 私を面白い人間だと認識してもらえて、しっかりした関係が構築できれば、仕事は格段に進めやすくなると実感しています。 ふたつめは、協力すること、と挙げましたが、もともとは完璧主義者で全部自分でやりたいという性格だったんです。しかし、人間ひとりではできないことがたくさんあると気付けたときから、人から力を貸していただくことを躊躇しなくなりました。 また、せっかく力を借りるなら、私とは全く違うスキルを持っている方からのほうがいいですよね。なので、自分と同じような人たちばかりとつながっていてもあまり意味がない、なるべくいろんな異なったコミュニティに属する人とつながれるように意識しています。 いざ困ったときは、どんどん周りを積極的に頼っていきます。それができる関係づくり、力を貸してあげたいと思われる人間になること。普段からそこに関しては努力の姿勢を絶やしません。 ー孤軍奮闘より、周囲を巻き込んだ方が楽しさも違いますよね。 これは複業的なお話になりますが、最初の頃は、会社にはダンスをやっていることは黙っていたんです。でも、あるとき信頼できる上司に打ち明けるタイミングがやってきて…。正直、「仕事に集中しろ」と否定されるかもと予想していました。それが、全く逆のリアクションで…応援してもらえたんです。 私のような活動、あまり同じ道を歩んでいる人はいないので、ぴったりくるロールモデルはいません。不安がなかったと言えばうそになります。そんな中で、身近な存在である上司がポジティブに受け止めてくれたのは嬉しかったですね。周囲の人からの応援をもらう過程で、不安はなくなっていきました。 ー活動的な日々の中で、困難なこともあったと思います。どうやってここまでたどり着きましたか? うーん…たどり着いた、という感覚はまだなく、道半ばなのですが…。まずは自分自身を理解してあげることは大事ですよね。私は、自分が「刺激がないと、やる気が失せる」という人間だと分かっているので、挑戦できる環境に見を投じるようにしています。 こういう仕事がしたいですと積極的に周囲に宣言したり、ルーティン作業でもやり方を変えるタイミングを設けたり…。自分を理解しているから、自分自身に活き活きと日々を送るためのコツを提案できました。 ーこれからの新川さんの活動もとても楽しみです。ご自身ではどのような展望を描いていますか? イベント出演などが多いのですが、今後は、動画も活用してダンス作品を残るものとして発信していきたいですね!年内には、きっとわくわくする発表ができると思います。 ー本日はありがとうございました! ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter) 撮影:山崎貴大

「今の僕は“人の繋がり”があったから」縁を紡いできた甲斐雅之のキャリアの歩み方

外の世界に連れ出してくれた人。そこから繋がる不思議な縁で、自分のキャリアが拓かれていく。そんな経験をした人はいないでしょうか? 色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ第44回目は、新卒で株式会社ベーシックに入社し、現在はフォーム作成管理ツール「formrun」のプロダクトオーナーを務めている甲斐雅之さんにインタビュー。 オウンドメディアの編集や採用広報戦略も担当するなど、多岐に渡って活躍される甲斐さん。「人の繋がりがあったからこそ、今の僕がある」と、ご自身の経験談を語ってくださいました。 外の世界は刺激的なんだと初めて知った ― 新卒でベーシックさんに入社したのが2017年ですか? そうですね。でも、学生の頃からベーシックでインターンしたり、別の会社で業務委託で働いたりしていたので、キャリアのスタートはもう少し前になります。 ― 学生で業務委託として働いてるのは珍しい……!元々ビジネスには興味あったんですか? いや、もう全然です(笑)。大学入学後は塾講師のアルバイトに毎日精を出していて、あまり大学に行かず、趣味の音楽に没頭するっていう。よくいる普通の学生でした。 ― そこから、どんなきっかけでビジネスの道に? 一緒に働いていたアルバイトの先輩が、スタートアップ界隈でめちゃくちゃ活躍されている方だったんです。当時、株式会社SmartHRで採用責任者を務めていた勝股さん(現在は株式会社カンムにて人事を担当中)という人なんですけど。 勝股さんはSmartHRに入社する以前からスタートアップの方々が集まるイベントに顔を出していたみたいで、よくベンチャーや起業に関する情報を聞かせてもらっていて。こんな面白くて刺激的な世界があるんだ、ってそこで初めて知ったんです。 勝股さんがいなかったら、外の世界を何も知らないまま、塾講師を4年間やっていたかもしれないですね。 ― 面白そうと思っても、そこ止まりで次に繋がらない人も多いところ、甲斐さんはそこからどのように動いていったんですか?  ベンチャーやスタートアップに興味を抱き始めてからは、色んなイベントに顔を出していました。なんの知識も持っていなかった当時の僕を、そうした界隈へと連れ出してもらえたのは大きかったですね。 一歩目が踏み出せれば、その場で新しい繋がり生まれ、人伝てに世界が広がっていきますし。それこそ、勝股さんと一緒にベンチャー企業で働く機会をいただいて、少し業務のお手伝いをしたりとか。 外に連れ出してくれる存在と、自ら外に出てみようとする意気込みや行動が大切なんだ、って学びましたね。 Twitterのフォロワー数が1万人に。偶然気付いた自分の強み ー 色々な繋がりができていく中で、どのように業務委託として仕事を任されるまでになったんですか? 仕事をもらえたのは、僕がやっていた匿名のTwitterがきっかけですね。 ― 匿名アカウントからなんですね。 匿名なので詳細は言えないんですけど、とあるローカルエリアの情報を発信するTwitterのアカウントを運営していたんですよ。 そのエリアに住んでいる人に対して、興味を惹くような情報を発信していました。そこで「求めている情報を発信すれば、みんな見てくれるんだな」って学んで。 ― それがきっかけ? そうですね。発信しているうちにフォロワーが1万人超えまして。 ― え、1万人!すごい……。 イベントで繋がった人に「こういうことやってるんです」ってTwitterの話をしたら、「それマーケティングじゃん」って言われ始めて。自分では意識していなかったんですけど(笑)。 そこから、「ウチでも似たようなことやってよ」って声をかけてもらえるようになったんです。そうした経験を重ねるうちに「これって僕の得意なことなのかも」と思い始めるようになりました。 ― なるほど。自分の強みを認識して、そこから仕事になっていったんですね。  そもそも、僕は器用なタイプじゃないんですよ。苦手なものはとことん出来ない。そんな自分でも、意識しないうちにマーケティングのようなことをやって、数値も伴った成果を出せていた。 偶然のきっかけで始めたことでしたけど、自分の強みを認識することができましたね。 ― そのTwitterを運用し始めたのは何故だったんですか?  そのエリアで情報が欲しいと言っている声は結構あったのに、発信しているメディアがなかったんですよ。僕もその情報は欲しかったから、ないなら自分でやってみようって。 ― すごい。その発想がすでにマーケターでもあり、プロダクトマネージャーっぽい。  確かに(笑)。面白がって取り組んでいましたし、強みと興味が交差していたのは嬉しいことですね。 「話聞いてもらえませんか?」人の繋がりから始めた就活 ― それだけ数字出せていたら、そのままフリーランスでやっていこうと考えても良さそうですけど。 実際に考えていた時もありました。延長線上で続けていけば、稼ぎにも困らなさそうとは思っていましたし。 でも、自分のキャリアや、将来的にスケールのある仕事をやりたいという、長期的な視点の大切さに気づいて、就職することにしたんです。 ― どういうことを考えての決断だったんですか? やっぱり最初からフリーランスを選択しちゃうと、自分が当時持ち合わせていたスキルに合わせた仕事しか取り組めない。。このまま続けていても、今持っているスキルの切り売りで終わっちゃいそうだな、と。  ― 短期では稼げるけど、長期ではどうかなって。  そうですね。キャリアに幅を持たせるっていう意味でも、一旦は何でも吸収しますっていう立ち位置に身を置くのも大切だと考えました。 ― じゃあそこから就活を始めたんですね。  でも、就職するって決めて動き始めたのが大学4年生の7月だったんですよね(笑)。 ― どこも閉じちゃってるじゃないですか。  そうなんですよ(笑)。なので、普通に採用エントリーを申し込んでも上手くいかないと思い、採用媒体を使うことなく、元々繋がっていた社会人の方々にメッセージを送ることから始めました。 「就活しようと思ってるんですけど、話聞いてもらえませんか?」って。  ― その就活のやり方は斬新ですね……。会ってもらえるものなんですか?  ありがたいことに結構面白がってもらえて。ベンチャーの役員の方とも会わせてもらったり。 しかも、ベンチャー企業に務めている人事の場合、横の繋がりの強さから、互いに就活生を紹介し合っていることも多いですよね。なので、「ウチは合わないかもしれないけど、ここの会社は良いかもよ」って紹介してもらえたりもしたんです。  ― すごい。ここでも一歩目の力ですね。動いたら繋がっていった。  たしかに、そうかもしれないですね。行動したらどんどん繋がっていきましたし。ベーシックともそうやって出会えたんですよ。 ― 色んな会社が甲斐さんのことを面白いと思っていた中で、ベーシックさんに決めたのは何故だったんですか?  僕のパーソナルな部分を全部ひっくるめて見てくれたのが決め手ですね。 面白いと思ってくれただけじゃなく、「こういう部分ではつまづきそうだね」と苦手なことや不得意なことを理解してもらえたんです。そして、その上で一緒に働きたいと言ってもらえた。 それがとても嬉しかったし、飾らない自分自身を見てくれる良い会社だなと感じて決断しました。 ― マイナスなところも含めたコミュニケーション。ちゃんと自分を見てもらえる信頼を感じられますよね。  さっきもお話したように、僕は得意不得意がはっきりしているので。その凸凹を理解してもらえたのは、本当に恵まれている環境ですよね。  プロダクトオーナーがぶつかった壁。決める、って難しい ― ベーシックさんと出会い、インターンを経て2017年に入社。formrunのプロダクトオーナーになったのはいつ頃ですか?  1年目の終わりくらいからですね。それまでは、インサイドセールスやカスタマーサクセス、Webディレクターや商品の生産管理やイベント企画/運営、事例取材など、結構なんでも屋に近い役回りで動いてました(笑)。 ― そこから、どのような流れでプロダクトオーナーに抜擢されたんでしょうか?1年目の終わりとなると、かなり早いタイミングでの抜擢かと思います。  ベーシックがformrunの事業を買収したのが、ちょうど1年目の終わりだったんですよ。今の会社に入るときに、ずっとformrunを担当していた方が別部門に移ることが決まっていて、たまたま空席が出来たタイミングだったんです。  ― そこで甲斐さんに任せよう、と。 会社としても若い人に任せていきたい、という方針があったみたいで、「甲斐はなんでもやるから、やらせてみよう」という流れで抜擢してもらえました。 自分は割と調子に乗りがちな性格なんですが、出る杭を打つんじゃなく、「ほら、やってみ?」と、ポテンシャルを伸ばす機会をいただけたのは、本当にありがたい限りですね。 ― プロダクトオーナーという、責任も背負う立場になっていかがでしたか? いや、もう難しいなって。事業責任を担う立場になったら、決めないと本当に何も動かない。もちろんロードマップや基本方針はあるんですけど、どの道を走るか、の最終的なジャッジは、年齢差関係なく全員が自分に委ねてくるので。  何かを決めるってこんなに難しいんだ、って初めて実感しましたね。  ― 自分が決めないと何も動かない。 何をやっても不正解に見えるし、正解にも見える。でも、部署の人への説明責任もあるから、意志や根拠は必要になる。数え切れないほど至らないと感じた機会がありましたし、壁にぶつかりっぱなしでした。 人と環境への感謝を胸に。甲斐雅之の挑戦 ― その壁は、どのように乗り越えたんですか?  わからないものは、自分1人でくよくよ考えても、ずっとわからない、だったら人に聞こう、と割り切ったんです。そこで、初めて実名のTwitterアカウントを作って。  ― あ、それまで実名での発信はしていなかったんですね。  自社プロダクトのことも発信しながら、いろんな人の元へ会いに行くためのアカウントを作ったんです。社内の人にも話を聞いてはいましたが、、社外の人にもTwitter経由で連絡して、とにかく教えを請いに行っていました。 自分の実力だけじゃ絶対に繋がることのできなかった、第一人者のマーケターの方々や、プロダクトをスケールさせた経験を持ち合わせた方々とか。一番取り組んでいた時期は、毎日別の社外の人とランチしていましたね。 ― Twitterでフォローして、DM送って?  そうですね。実名でTwitterをやっておくと、そうやってお会いしたときでも、時間の密度が全然違うんですよ。 ― 時間の密度ですか?  実名で普段から発信していると、相手も僕がどういう人で、どういうことに悩んでいるかが事前に分かるじゃないですか。なので、ランチ1時間でも、すごく実のある話が出来るんです。 時間の密度を濃くできたことも相まって、必要な知識を身につけるための学習コストは、ものすごく下がりましたね。色んな人の経験や考えを吸収させてもらえて、振り返れば相談に乗ってくださった方々への感謝しかありません。 ― なるほど。人の繋がりを大事にされる甲斐さんらしさが出ていますね。そのように多くの人と繋がる中で、何か意識している点などはあるんですか? 意識はしていないんですけど、僕かなりのいじられキャラなんです(笑)。なので、集まりに顔を出していじられていると、周りにも気にかけてもらえるというか。その場では恥ずかしい反面、構ってもらえるという意味では、やっぱりありがたいなと思ってしまいますね。 でも、そのキャラで仕事が出来なかったら“ただの仕事ができないイジられている人”になってしまうので、危機感はあります。絡みやすいキャラではあるものの、仕事上のコミュニケーションはしっかりしている。そこのメリハリは意識しているかもしれません。  ― 確かに、そこで良い意味のギャップがあると信頼してもらえそうですね。  本当に周りの人や環境に恵まれているな、と思います。得意不得意の凸凹が大きい僕ですけど、強みの部分を受け入れてくださる人が多いから、今日まで生きてこられたと思っています。 苦手な部分と向き合うことも大切ですけど、やっぱりその人の一番得意なところを活かした方が良いんだろうな、って。 繋がりが増えてきて、いろんな方といろんな仕事をするようになって、より一層感じますよね。改めて、自分を伸ばしてくれたベーシックに感謝しかありませんし。 去年は不自由なく社内外で様々な経験を積める機会をいただけたので、今年はベーシックに全力投球したい。外資系のサービスでは、Slack や Zoom...

やりたいことがなかった学生時代。社会人になってできた目標は”エンジニアを幸せにする会社”

さまざまな経歴を持つ方々が集まり、これまでのキャリアや将来の展望などを語り合うU-29 Career Lounge。第40回目のゲストは株式会社アンチパターン・小笹佑京さんです。 学生の頃まで”やりたいこと”が分からず、悩んでいた小笹さん。 ただ、先輩に「やりたいことができた時に、挑戦できる人を目指そう」からヒントを得て、株式会社イノベーションにて5年間の修行を積みます。 そこから踏み出した、起業。 このインタビューの前半は「イノベーションに入社したきっかけ」をお伺いし、後半では「起業までの背景」についてお聞きしています。 “やりたいことが明確化した時に動ける人”になるために、イノベーションにて5年間の修行を積む ーー起業に踏み切った小笹さんですが、学生時代から”やりたいこと”は明確だったんですか? 小笹:就活当時は、自分のやりたいことなどが分からず悩んでいましたね。 とある先輩に相談したところ「別に、”今”やりたいことがなくても大丈夫。その代わり、やりたいことが見つかった時に挑戦できる人を目指してみれば?」と助言をいただき、すっと腑に落ちたんです。 すぐに挑戦できる人になるためには、スキルも実績も人脈も必要…。そう考えた時に、5年間で圧倒的な成長が必要だと思ったんです。 そこでタイムリミットを”5年”と設定し、一生懸命働くことを目指しました。 ーーおもしろい発想ですね。株式会社イノベーションをファーストキャリアにした背景は何でしたか? 小笹:たくさんあるのですが、5年で成長するために、若手の頃から様々な仕事を任せてもらえる環境が大切だな、と考えました。 そして、代表が元リクルート出身で、縁を感じましたね。 実は、経営者の父も母もリクルート出身なので、知らず知らずのうちに"リクルート"に惹かれていたのかもしれません。 ーーそんな縁があったんですね。他に会社選びの軸などはあったんですか?  小笹:当時から、僕はお金よりも「自己実現」や「社会貢献性」を大切な軸にしていました。幸い家が裕福ということもあり、お金に対する執着があまりなかったからだと思います。 イノベーションはBtoBの会社で、マーケティングを通して”日本の労働生産性を上げる”ことにコンセプトにしていて。 僕は、そのストーリー性に共感して、入社を決めましたね。 ーーそうだったんですね。イノベーションではどの職種からスタートしたんですか? 小笹:エンジニアとしてスタートしています。実は、内定者インターンではカスタマーサポートを担当していたんですが、開発に携わりたいと思って人事に「エンジニアに転向してほしい」とお願いして、エンジニアに配属してもらいました。 そこから5年間イノベーションで修行をし、子会社である”Anti-Pattern(アンチパターン)”を立ち上げました流れになります。 イノベーションの子会社から独立へ。やりたいことがわからなかった僕が、起業に踏み出せたわけ ーーエンジニアに特化したAnti-Patternを立ち上げられましたよね。起業したきっかけは何でしたか? 小笹:アンチパターンの前身は、元々イノベーションの子会社(エンジニア組織)として立ち上がっていました。 ただ、メンバーと今後の方向性などを話し合った時に、イノベーション社とアンチパターンの目指す方向性が、それぞれ違かったことに気づいたんです。 また、評価制度や勤務形態などの整合性を、「イノベーショングループ内で目指すのは難しいな…」と感じて。 であれば、アンチパターンが描きたかった”エンジニアを幸せにする会社”を追求するためには、別会社で運営した方が善だと判断し、起業という運びとなりました。 ーーそんな背景があったんですね。学生の頃までは、やりたいことが分からなかった小笹さんですが、起業に踏み切った。とても大きな変化だと思いますが、恐怖はありませんでしたか…? 小笹:起業することに、抵抗や恐怖などは特にありませんでしたね。実は、両親や叔父さんも起業していて、身内に起業家が多いんです。 そんな環境で育ったので、起業は”リスク”だけではなく、やりたいことを実現するための”手段”という印象があったので、偏見などもありませんでしたね。 こだわりの社名”Anti-Pattern(アンチパターン)”の由来 ーー社名の”アンチパターン”ってイメージ強烈ですよね。社名の由来をお聞きしたいです。 小笹:まず1番は、”エンジニアにしか理解されない名前”を作りたかったんです(笑)。 ”アンチ”と付いているので、メガティブなイメージを持たれる方が多いので少し残念です。エンジニア的に”アンチパターン”は、別に悪いイメージ・意味ではないんです。 エンジニアの世界では”アンチパターン”という言葉があって、「失敗から学びを得る」という意味が込められています。 何かを生み出す際に初めてのことだらけなので、失敗から避けられない。むしろ、失敗から学べるので財産になるんです。 なので、Anti-Patternは良い意味なんだよって伝えていけたらいいですね。 ーーたしかに、何かを生み出すのには失敗が付きものですよね。 小笹:そうですよね…。また実は、リトマス試験紙のような役目もあって。エンジニアとそうでない人を見分けることができるんです。 ”Anti-Pattern”と聞くと、反応が「お、いいじゃん!」と「え、アンチ?」の二択できれいに分かれるんです。前者は”生粋のエンジニア”で、後者は”エンジニアではない人”ですね(笑)。 弊社がエンジニアに特化した企業なので、「エンジニアっぽい社名」には人一倍こだわりました。 経営者の父の存在。そして今後強めていきたい”発信” ーーずっと気になっていることがあるのですが、経営者として成功されているお父様を持つ小笹さん。やはり日頃からアドバイスなどはいただいているのですか? 小笹:アドバイスはもらっていますね。何か相談事があれば、父に相談することもありますし、教わったこともたくさんあります。 起業するにあたり、オペレーション部分で結構アドバイスをくれて。メンバーの選定や経営方針など、助言をくれましたし、影響された部分も多いです。 “親子”でもありますが、僕にとって”メンター”に近い気がします。 ーー素敵な関係性ですね。ご自身の指針となっている、お父様の言葉は何かありますか? 小笹:直接くれた言葉よりも、父からは「どんなときも、やりたいことをやりなさい」という言葉にいつも助かっています。僕の背中を押してくれますからね。 小さい頃は”やりたいこと”がなかなか見つからず、正直、父の言葉が時には重荷になることもありました。 ただ、大人になってからやりたいことが見つかり、日々没頭できるのがとても幸せです。やりたいことを行うことが幸福感に繋がるのは、父の教えがあったからだと思い、感謝の気持ちでいっぱいですね。 ーーでは最後に、直近で力を入れたいことを教えていただきたいです。 小笹:新規事業などに着手しているので、引き続き頑張りつつ、同時に”発信活動”にも力をいれたいです。 いくらすてきな事業をやっていたとしても、届いていないと、もったいないですからね…。 代表として、まずは僕の発信活動を頑張りつつ、Anti-Pattern Inc.の魅力を同時に伝えていけるように頑張っていきたいですね。 ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる 取材:西村創一朗、執筆:ヌイ、撮影:山崎貴大、デザイン:矢野拓実

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