ご自愛noteの続き。攻めのご自愛と守りのご自愛について

一ヶ月ほど前に書いた『「ご自愛する」という戦い方』というnoteが、3000スキを超える大きな反響を呼んだ。美容院で髪を洗われている時に思いつき、コインランドリーで乾燥を待ちながら書いた記事がみるみる拡散され、こんなにたくさんの人に読まれるとは思ってもみなかったが、みんな同じように働き方と休み方に悩みながら日々暮らしているのだということを肌で感じるきっかけとなった。 記事中で提案した「心身が健やかになる行為全般」= #今日のご自愛 というハッシュタグも多くの人にSNS上で使われるようになり、寝る前にこのハッシュタグでつぶやいている人を探すのは、同志を探すような感覚でちょっとした楽しみでもある。と同時に、「ご自愛とは何だろう」とより深く考えるようにもなった。 ご自愛≠スローライフ  noteにも書いたが、「ご自愛する暮らし」はゆるふわスローライフではなく、強い精神力とマネジメント力を要する戦いである。しかし、「ご自愛活動」と言うと、早く寝たり栄養のあるものを食べたり、多くの場合「療養」っぽいものが想起される。 実際 #今日のご自愛 でつぶやいている人たちもそういった内容が多いように思われる。もちろん、しっかり健康でいられるように体調を整えるのは大前提なので絶対外せないのだが、さじ加減を間違えると「心身ともに健康になること」がゴールになってしまうと感じたのも確かだ。状況やコンディションによるところはあるとはいえ、ご自愛はあくまで「めいっぱい仕事を頑張って満足のいく成果をあげること」がゴールでありたいと私は考えている。 noteでは働くためのコンディションを整えるためのご自愛をアスリートの「メンテナンス」に例えた。それでは、アスリートでいう「トレーニング」はビジネスマンにとって何なのだろう? 攻めのご自愛 仕事が「試合」なのであれば、「トレーニング」は試合で成果を上げるための修練時間ということになる。それは人によっては資格の勉強であったり、本を読む時間だったり、競合の店へ行ってみることだったり職種で異なるのだろうが、試合=仕事に臨むうえでの自信になるという点で共通している。 メンテナンスが「守りのご自愛」なのであれば、トレーニングは「攻めのご自愛」と呼んでも良いと思う。メンテナンスができていても、トレーニングが足りなければ成果は出せないし、トレーニングが十分でもメンテナンスができていなければ試合にすら出られなくなったりする。どちらか一方ではダメで、バランスが重要だ。このバランス調整が非常に難しい。 攻守のバランス調整の難しさ noteにも書いたが、私は以前働きすぎた結果2ヶ月間の休職をした。2ヶ月丸々療養してよい時間が与えられたのだが、驚くことに仕事のストレスが無くなり体調が良くなってくると別のストレスが登場した。「社会に何も生産できていない」「何も成長できていない」ことへのストレスである。こう書くと大層真面目な人間に思われるかもしれないが、人は社会の中で必要とされたり、成長したりする実感が全くないと自信を失い、ストレスを感じるようだ。 仕事=試合に出られない状況だった私は、とにかく本を読むことでそのストレスに対処した。今まで知らなかったことを知れている、読みたかった本を消化できているという実感が大きな助けになった。今思えばインプットという「攻めのご自愛」で自信を取り戻す行為だったのだと思う。 このように、攻守のバランスが偏ると働くことへのベストコンディションからは遠ざかってしまうのである。 このバランス調整はビジネスマンにとって永遠の課題であるように思う。その時々の仕事や家庭の状況や年齢によって、ベストなバランスは常に変化していくからだ。「仕事終わってないけど今日は早く寝たい」と「睡眠不足だけどもうちょっと働かなきゃ」は紙一重だし、どっちをとったほうが良いかはその時々で自分で決めなければならない。自分はどこまで働くのが限度で、どこからが人に迷惑をかけてしまうのか、どれくらい休めば回復できるか、いま何をトレーニングすれば自信が持てるのか、全て自分を客観視した上で選び取り実行するのがいわゆる「できるビジネスマン」なのだろう。考えれば考えるほど、ビジネスマンはアスリートに似ている。 心にミサトさんを飼え 攻守のご自愛バランスを保つためにはどうすれば良いのか?おすすめしたいのが「心にミサトさんを飼う」ことだ。(ミサトさんがわからない方は「エヴァンゲリオン 葛城ミサト」で検索してください) 結果を出せるアスリートには良いコーチがいて、試合に勝ったり新記録を出したりするために、それまでのトレーニングメニューを考え指示してくれる。エヴァのパイロットであるシンジくんにもミサトさんという司令がいて、目標(使徒殲滅)のための動きやトレーニング内容を指示してくれる。(ミサトさんのマネジメントには多々問題ありなのだがここでは割愛) 我々も心にコーチもしくは司令=ミサトさんを飼って、自分への指示をあおげば良いのだ。「もう働きたくないよ…僕は疲れたよ…」「落ち着いてシンジくん!まずは自分が何に疲れているのか、どうすれば解決できそうか、順に書き出すのよ!」といった具合に。今の自分に必要なのは攻めのご自愛なのか、守りのご自愛なのか、自分を客観的に見る時間を意識的に取るのである。 決してふざけているわけではなく、自分の中に自分を客観視できる存在(ミサトさん)を作って自分と対話してみると案外気づきがあると思っている。 関連する分野で、目標を達成するための行動を促し、人生を前に進めるためのコミュニケーションを「コーチング」と呼ぶことを最近知った。プロのコーチ(プロのミサトさん)と対話して自分を客観視し、目標達成のためにやることを整理する人も増えているというので、興味がある人はやってみるのもいいかもしれない。私もコーチングについて最近学び始めたところだ。(コーチングは心身が健康な人が対象になるので、心の不調は心療内科やカウンセリングをおすすめする) ここで挙げたやり方はほんの一例なので、自分にとってちょうどいい自分との対話のしかた、攻守のバランスのとりかたをそれぞれ見つけていけたらいいと思う。そんなふうに自分をよく観察することが、一番大切な「ご自愛」なのかもしれない。 (文・月岡 愛里)

わたしは「わたしの意思」で働く、幸せの“ハブ”になるために

はじめまして。HARESライターのなまっちゃです。 現在新卒1年目にあたる23歳です。大学を卒業し、3ヶ月エンジニアとしてベンチャー企業に後、フリーランスとして独立しました。現在は、ブロガー・広報の活動をしています。 新卒で入社した会社をたった3ヶ月で会社を辞めているので、周囲から心配の声をかけられることがあります。「本当にフリーランスでやっていけるの?」と。 もちろん、最初は不安もありました。しかしフリーランスになって4ヶ月、この働き方がわたしにとっては最善だったと実感しています。 今回は、なぜこのような生き方が普通だと思ったのか。その理由についてお話していきたいと思います。 幼少期に学んだ「働く」ということ 私は祖父や父が働いている姿を見たことがありません。「そんなバカな!」と思われるかもしれませんが、本当のことです。 私の祖父と父は、二人とも経営者です。自分の会社を持ち、何人かの人を雇い仕事を回しています。 そのため定時出社・退社という概念が、この二人にはなく1回も朝バタバタして会社に行く姿を見たことがないのです。 小さい頃から祖父や父とよく遊んでいたのですが、祖父とは、朝公園を散歩したり、川のほとりに行って石を集めたりしていました。また、父とはいつも、朝はゆっくり一緒に朝ごはんを食べ、そのまま公園やコートを借りてテニスをしにいっていた思い出があります。休日の話ではなく、平日の話です。 だから私は、「9時に出社して18時に退社する」といった、いわゆる“サラリーマン”としての働き方を中学生まで知りませんでした。 幸か不幸か分かりませんが、私の大好きで尊敬する二人がそのような生活を送っていたので、自然と「働く」ということは「時間と場所に縛られない」ということが普通だと思っていました。 違和感を感じた「働く」の意味 そんなわたしが「働く」ことに対して違和感を持ったのが、大学4年生の就職活動の時期です。定時出社・退社が私にとって珍しい働き方だったことから、“サラリーマン”としての働き方が、理解できなかったのです。 “なんで、毎日同じ時間に会社に行かなければいけないのか…” また、就職活動をしている友人を見ていて、「働く」ことの解釈についても、乖離があること知りました。 わたしはずっと、楽しそうに働く祖父や父を見て育っています。子どもの前だからかもしれませんが、カリカリと怒っている姿や、疲れてぐったりしている姿を見たことはありません。 いつも事業アイデアをわたしに話してくれていたので、聞いてるだけで一緒にワクワクしてたのを今でも覚えていますし、「働くってこういうことか!」と子どもながらに理解していました。 しかし、友達の「働く」は違ったのです。 “働きたくないなー、学生のうちに遊び尽くさなきゃ” こんな言葉を就職活動中に友達のの口からよく聞いていました。社会に出て働くことに対してネガティブな言葉しか出していなかったのです。 わたしにとって、働くことは「楽しいこと」です。なんでみんなそんなに辛かったのか不思議で仕方ありませんでした。 そんな働くことに対する友達との考えのギャップを感じていましたが、しかし友達に「働くって楽しいことでしょ」と意見を言うこともできず、ふわふわとした気持ちで同調してしまい、結局のところ私も友達と同様に就職活動をしてしまったのです。 働くことに関して自分の想いがあるのにも関わらず、発信することができなかった就職活動期は、自分に嫌気が刺し、とても苦しく感じていました。 私は“サラリーマン”になれなかった そして結局のところ、私は入社した会社を3ヶ月で退職しています。会社がどうこうではなく、単純に、定時で働くスタイルが自分には合わなかったのです。 社会に出ると「とりあえず3年は働いた方がいい」など、根拠のない意見が飛びかっています。 私もその言葉に惑わされそうになったこともありますし、すぐに会社を辞めてしまう自分が「本当に正しい判断をしているのか」を悩んだこともあります。 ただ、もっとシンプルに考えればいいと思うのです。自分が働きたいスタイルで、自分がしたいことをすればいい。誰かの言葉ではなく、自分の心に素直になればいいと思うのです。 そんな私が信じているのは、祖父と父が私にくれた言葉です。 その中でも、私が一番心に残り、大事にしなければと思った言葉をお伝えします。 “お金は人を喜ばすために使いなさい。 自分が幸せのハブになって、流れを作りなさい” 幼少期のころからずっとずっと言われていた言葉です。 「幸せを感じるところに人は集まるから、そんな人になりなさい」ーーそんな大切な言葉たちが、私の進むべき道を示してくれています。 学生時代まではよく分かりませんでした。でも、フリーランスになった今。この言葉が痛いほど心にしみています。 幸せを分け与えられる人に。大事なのは、“仕事に向かうスタンス”だと思う フリーランスだと、収入が安定していなかったり将来が見えないことで、不安になる人が多いのではないでしょうか? そうするとつい、休むことをわすれてカリカリしてしまい、仕事をとにかく入れてスケジュールをパンパンにして忙しい自分を作り出すことで安心を得ようとします。 そういう時って、どんどん負の連鎖が始まって自己嫌悪に陥り、人を喜ばせることを忘れてしまうのです。 祖父、父が何度も言っていた… “お金は人を喜ばすために使いなさい。 自分が幸せのハブになって、流れを作りなさい” が崩れてきてしまいます。 私自身、フリーランスになってから不安を打ち消すために我を忘れて仕事をこなすことに集中し、人を喜ばすことよりも自分の利益ばかりを考えてしまうときがありました。 これからはそんな生き方を一切辞めていかなければいけないと思っています。 お金を、誰かを応援するため・感謝の気持ちを表すために使えるように。 そして、自分が受け取るお金は、応援されて感謝されている証だと思える流れをつくるように。 自分から幸せを他の人に与えて、結果的に自分が幸せになれる。 そんな生き方を、体現していこうと思います。 そして自分だけがハブになるのではなくて、わたしの周りの人もそんな循環で満たされている生き方をしている人で埋めていけるように、幸せを分け与えていこうと思います。 ぜひ、みなさんも自分の生き方を振り返ってみて、誰に影響されて今があるのか、なんの為に生きているのかを自問自答してみてください。 Photo by くりこ

きっかけは「無関心」。何かを掴みたくて都会へ出てきた僕が、一歩踏み出した結果

はじめまして、HARESインターン生の松田直人です。僕は現在、株式会社HARESの社長・西村創一朗さんもとで、社会人にとって必要な考え方や能力…今後の僕の指針になるような生き方を学んでいます。普通に大学生活を送っているだけでは得られない貴重な体験です。 しかし、今の僕の姿は大学入学時には全く想像ができませんでした。自分でも驚く現在の僕ですが、大学に入ってからの一つ一つの歩みを紐解いて、西村さんに話をしてみたときに”ある理論”を教えていただきました。その理論は「プランドハプンスタンス」です。日本語に訳すと、計画的偶発性理論と呼ばれています。簡単に説明すると、「キャリアは偶然起きたことに対して、その都度向き合うことで作られていく」考え方です。 このコラムでは、僕が大学に入学してから今までのキャリアについて書いていきます。普通の大学生が少しだけ自分のキャリアについて真剣に考えて進んでいく様子を感じてもらえたらなと感じています。どうぞ、最後までお付き合いください。 東京への憧れにたどり着けない地方大学生 僕の出身は奈良県です。関西地方に在住の方はご存知だと思いますが、関東の大学へ進学する選択を取ることは多くありません。多くの高校の友人は関西圏の大学を受験するなか、僕は中学生の頃から関東の大学へ行くことを希望していました。理由は単純。東京に憧れがあったのです。東京に行けば、何かを得ることができる気がしていました。何かの夢を持っていたわけではありませんが、東京には夢を掴むチャンスがあると信じていたのです。 東京への期待を抱き、僕は横浜市立大学へ進学しました。しかし、首都圏に住んだからといって、何かを得られるわけではありません。部活動に入ったり、居酒屋でアルバイトをしたり、休日は友人と遊んだり…。それなりに楽しく過ごしていたのですが、僕が上京した理由である”何か”を得ることはできませんでした。そもそも何を得たいのかも分らず、満足しない日々が続いていました。 ”×”の経験が僕の新たな道を切り開き始めた 何か物足りないと思っていた僕の大学生活を変えたのは、大学のある講義でした。その講義は、毎週最前線で活躍されている起業家の方をお呼びし、お話を聞くことで経営について学ぶものです。そのゲストとして、スリール株式会社の堀江敦子さんが登壇されました。 スリールでは「ワークライフインターン」を実施しています。実際に共働き家庭に行き、子育てや家事を体験して自分のライフも含めたキャリアを考えることができるインターンシップです。当時の僕は、「キャリアに関する話自体は面白いけれど、子育ては女の人が考えるもので自分が考えるのはまだまだ先だろうな。まずはどこに就職するかのほうが大切でしょ」と他人事のように話を聞いていました。 しかし、堀江さんのある一言が僕の考えを変えました。大学生がやるべきことについてお話をしてくださったときのことです。 「自分にとって明確に”×”だと思う経験も大切だよ。」 この”×”とは、自分の苦手なこと、興味がないこと、嫌いなことなどです。僕はとっては、ワークライフインターンは女性が参加するもので、自分には関係のないものでした。まさに自分にとって”×”な経験だったのです。今の満足できない日常を変えたい、何かを掴むきっかけが欲しい。やりたいことがあったわけでもなかったので、とりあえず経験してみれば、その先に何かがあるのではないか。そうした思いもあり、自分にとって明確に”×”である経験になるワークライフインターンに応募しました。 ワークライフインターンでは、月に6回、4ヶ月間同じご家庭で、育児や家事を体験します。当初、専属となったご家庭は僕にとって”×”の存在でした。全く希望していないご家庭で、インターンの運営の都合上、頼まれたので渋々了承した経緯があります。しかし、この自ら望んだわけではない成り行きには大きな意義があったのです。 結論から言うと、専属家庭は僕にとって第二の家族であり、僕のその後の人生設計に大きな影響を与える経験になりました。家族のあり方として、自分の家しか知らなかった 僕は、違った家族のあり方に衝撃を受けたのです。父親が積極的に育児に参加する姿や母親がバリバリ仕事をする姿、都会で子供が育っていくこと、その時代に合った生き方や仕事への考え方。全てが僕の価値観とは違うものでした。僕の価値観が根底から覆されました。 このワークライフインターンで得たものは、「子供が好き」な新しい自分。多様な価値観に触れ、自分自身を見つめ直す機会。ワークとライフを共に大切だとする考え方…。新たな価値観を携えて変身をした僕は、次の行動へ一歩ずつ足を進めていくのでした。 やりたかったからじゃない、僕の前にきっかけがあっただけだ ワークライフインターンでは、お預かりをさせていただく専属家庭だけはなく、休日に開催される勉強会やイベントを通して様々な社会人の方とお会いしました。これまで自分の親、学校の先生、バイト先の先輩や社員以外の社会人とはほとんど話をしたことのなかった僕は、社会人の多様な考え方に触れること自体が刺激的でした。「未知との遭遇」の楽しさを知った僕は、多くの人と会い、話をすることで“何か”が得られるのではないかと感じていたのです。 さまざまな社会人との対話のなかで、僕が全く知らない知識や考え方を得たことで、次の行動へ繋がりました。選挙の手伝いをしてみたり、アメリカでインターンシップをしたり、僕が昨年行った世界一周の計画にも影響を与えました。 この経験全ては僕が長年やりたいと思っていたことをやったわけではありません。ある人との出会いがきっかけで、やってみようと、行動に移したのです。まさにこれが「プランドハプンスタンス」だと思います。自分では全く予期していなかったことが、ある出会いをきっかけに自分にとって価値のあるものとなる。振り返ってみると、自分にとって”×”だと思う経験をしたからこそ、今の僕があります。 現在インターンをさせていただいているHARESの西村さんとの出会いもスリールでのインターンがきっかけでした。ワークライフインターンのプログラムの一つにメンター制度があり、僕のメンターが西村さんだったのです。1~2度お会いしてその後はFacebookで繋がっているだけ…。しかし、今年の8月に偶然西村さんがインターン生を募集しているのをSNSで見つけて、応募しました。 応募のきっかけも、偶然。サマーインターンに全落ちしたことが理由でした。そんな苦しい時に、たまたまHARESインターン生の募集を目にしました。時期がズレていたり、サマーインターンに受かっていたら、僕はHARESのインターン生になっていなかったかもしれません。ここでも、思いがけない、自分が望んでいたわけではない道を歩むことになりました。 どんな道を歩くのかではなく、今歩いている道をどう生きるのか? 大学に入学して、悶々とした日々を過ごしていた僕ですが、ワークライフインターンに参加したことで僕の足が動き始めました。小さな一歩を踏み出してから自分も全く予想もつかない道(キャリア)を歩いています。他にもいくつもの選択肢があり、そちらの方が楽しかったのかもしれないです。ただ、僕が選んできた道をより良いものにしようとしてきたことは確かです。 何かを得たいと思って関東に出てきて、一歩踏み出してみて、その何かが得られたのかは分かりません。もしかしたら一生見つからないのかもしれないです。しかし、今ある状況を変えてみよう、新しいことへの好奇心が現在の僕を作っています。 いま、僕に「将来やりたいこと」が明確にあるわけではありません。ですが、その時々で興味を持ったことも、興味を持たなかったこともまずはやってみること。それが過去に僕が経験したような、偶然による自分のキャリアが作られて、振り返った時に自分の行動を肯定することができる道が完成するのだと信じています。 どちらを選択するのかに悩まず、選択した道をどう生きるのかについて真剣に考える。 これが僕のキャリアの作り方です。

ブラック企業を経て、フリーランス。隠遁人妻が「私らしい働き方」を見つけるまで

はじめまして!ライターの隠遁人妻26歳です。 私はこの度、U-29さんでコラムをスタートすることとなりました。まずは簡単に自己紹介からさせていただこうと思います。 「自由に意思表示ができなかった」隠遁人妻の知られざる幼少期 出身は千葉県の田舎町です。両親と妹、そして祖父祖母と曾祖母がいる典型的な昔ながらの家で育ちました。実家は自営業をしており、小さい頃から家の中はピリピリとした雰囲気でした。 子供ながらに「今日はお父さんの仕事の調子が悪いから静かに勉強しておかなきゃ…」と敏感に空気を読む生活を余儀なくされていたことを覚えています。 自営業は、羽振りの良い時とそうでない時の差が大きいため、父親の機嫌が良い時は平和でしたが、ひとたび事業が軌道に乗らなくなると、一気に家族に当たり散らして壁にはいくつもの穴が開くような状況でした。 両親とも専門学校出身ということもあり「勉強をしなさい!良い大学に進みなさい!公務員になりなさい!」と言われ続けで育ちました。 そうした影響もあってか、高校卒業までは地元の進学校に通い、その後都内の国立大学に進学しています。傍目に見たら順風満帆な人生のように思えるかもしれません。 順風満帆から一転、ブラック企業に就職。「主婦になる」発言で激怒 ところが、大学卒業後に入社した会社は絵にかいたようなブラック企業。 休日出勤は当たり前で、仕事の無い土日も上司に付き合って部活動と飲み会に強制参加させられるような環境でした。 タイムカードはあってないようなものでした。22時でタイムカードを切ったあとは、当たり前に残業。会社への忠誠心が薄いと判断された社員はすぐに呼び出され、上司とマンツーマン面談がスタートします。実はこの面談、普通の面談とはまるっきり違い、完全に洗脳を目的とした圧迫面談です。 「隠遁?お前、この前の打ち上げの飲み会の席で同期に新卒のクセに結婚したら主婦になるかもとか言っていたらしいな。どーいうことか説明してみろ」と脅されたりもしました。 今考えたら完全にパワハラですが、当時の私は無知でしたので「新卒で入った会社で結婚して主婦になるとか言っちゃいけないんだ!まずかったなぁ…でもまさかちょっと同期に話したことがこんな大事になるなんて…」と心底反省していました。 非常に驚きですが、この会社ではこんなことが日常茶飯事で起こるわけです。23人いた同期はどんどん辞めていきました。 ついに私も心を病み、勝手に夜中涙が出るようになったり、そうかと思えば突然やる気になって朝の5時まで仕事をし始めたりするようになりました。お気付きかもしれませんが、躁鬱病の一歩手前です。メンタルヘルスを専門とする病院に行って検査を受けたり、薬を貰って服用したりしていました。 ですが、薬を飲んでもこの症状が治まらず、もうどうしようもないので会社を退職することにしました。退職する直前はストレス性の胃腸炎にかかり1週間近く入院もしていました …。本当に心身ともに限界でした。 この時の経験があったため、2度と正社員にはならないと心に決めています。退職後は2ヶ月くらい何もせずボーっと家で過ごし、随分と症状は落ち着いてきたものの、今でもどうしようもないほどの虚無感に襲われることがあります。この出来事は、大きな傷として私の心に残りました。 起業、派遣、フリーランス。紆余曲折でたどり着いた「私らしい形」 しばらく療養した後、自宅で起業しました。23歳のときです。元々会社にいた頃から「自分で会社をやっていきたい」という思いがあったので、友人を誘って2人で始めました。 視界思ったように上手くいかず、頓挫してしまいます。そもそも社会人経験が浅く、人脈もお金もない状態で始めたのですから、無理もありません。 さらに、躁鬱病のせいなのか、以前みなぎっていたやる気も全然沸かずに「もうお金を稼いで何になるんだろうか…人はどうせ死ぬのにやる意味なんてあるのか?」という厭世的な思考へとシフトしていきます。この状態で続けても成果も出なければ金も稼げないと思ったので、エネルギーが戻る まで会社を休眠化させることにしました。 そして、いつでも辞めようと思えば辞めることの出来る派遣OLという道を選択します。選んだ会社は大手広告代理店で、以前いたブラック企業とは比べ物にならないくらい快適な環境でした。 むしろ社内環境を快適にしているからこそ、大きく成長し社員もイキイキと働けているのだなと感じましたね。とにかく私にとっては何もかもが天国でしたね。 まず収入が20万ほどUPしました。さらに休日出勤はないですし、もちろんサービス残業なんてものもありません。残業する場合は必ず時給が支払われますし、深夜の場合は1.25倍くらいでつけてもらえます。 至って普通のことなのですが、ブラック企業イズムに洗脳された私からしたら一個一個驚くことばかりでした。 また正社員ではないので、ひどく怒られたり、詰められることもなく、平穏無地に過ごすことが出来ました。欲を言えばここでずっと働きたかったのですが、25歳の時に当時付き合ってた彼と結婚して大阪に行くことになってしまったので、本社ではなく大阪支社で働くこととなります。 当然チームが変わりますので一緒に働く人も変わるわけです。最初は大丈夫だろうと思っていたのですが、押しの強い営業と短納期な案件、そして無理難題をふっかけてくるクライアントに心底疲れ切ってしまい約1年で退職することになります。 せっかく大阪支社での仕事を紹介してくれた上司には非常に申し訳なく思っています。ですが、一度心を壊してしまった経験から派遣という道を選択しているので、ここで2回も同じ目にあっては本末転倒だと思い、意を決して今年の3月に退職しました。 それからしばらくは、自作の記事を販売できる「note」というサービスを使用してお金を稼いだり、TwitterやvoicyというWEBアプリでスポンサーを募ったりして、日々の生計を立てていました。 ですが、自宅で1人作業していると、どうもネガティブな思考に支配されてしまいやる気がなくなってしまうのです。そのため意識的に人と交流して忙しくしようと思い、8月くらいから積極的に原稿執筆の仕事やLP制作の仕事をするようになりました。 現在は有り難いことに、約10社ほどのクライアントさんとお仕事をさせていただいております。収入はまだ全然ですが、自分の心の健康を優先して苦しくならない程度に仕事の量を減らしたりして調整もしています。 以前は夜職を週3で兼務していたのですが、現在は週1に減らして、自宅での仕事時間を確保しています。時間と場所に縛られず、タスク量や付き合う人を選ぶことの出来るフリーランス・自営業という生き方が一番自分に合っていると感じています。 案件がなくなる不安や、自分が病気になった時に収入が途絶えるかもしれないという不安はあるものの、何にも代えがたい自由を手に入れられたことに喜びを見出しています。 ここまで来るまでに色々回り道をしてしまいましたが結果的に今幸せなので、このまま引き続き頑張っていこうと思っています。 長くなりましたが、この記事を読んでくださった方の心に何か少しでも残せたら幸いです。 私はTwitterでも日々のアレコレを呟いていますのでお気軽にご連絡ください。 また次回、よろしくお願いいたします。 キャリア形成のプロが語る「複業を活かしたキャリア形成のコツ」を学び、あなたもキャリアを広げてみませんか?

「時間と場所に縛られない働き方」を求めて、3年間頑張った結果

ライターのオバラ ミツフミです。 大学3年生のころに「ライターになろう!」と決めた日から約3年が経ち、現在は執筆で生計を立てられるようになりました。雇用形態は、企業に属していない、フリーランスです。 お金がなさすぎて友達との飲み会にも行けず、昼飯を同級生にご馳走してもらっていた時期もありましたが、目標をぶらさずに頑張ってきた自分に感謝です。 よく同級生に「フリーランスって、決まった時間に会社に行かなくてもいいんでしょ?」「それでいて結構稼げるんでしょ?」と質問をされます。 たしかに僕は定時に出社していませんし(そもそもオフィスがないのでカフェで仕事をしていますし)、仕事の量をコントロールすれば収入も上げられます。なので、正直にそう答えます。 すると、必ずと言っていいほど、「超うらやましい!」と言われます。ちなみに、僕もそう思います。満員電車に乗ることもそうないですし、仕事 → 飲み会 → 仕事…と自由に一日のタイムテーブルを組めるので。 とはいえ、仕事が楽だと思ったことは一度もありません。好きなことを仕事にしていますが、体力的に超しんどい。一人孤独に徹夜作業をすることも少なくないですし、「明日仕事がなくなる」恐怖もあります。メンタルがヘラる機会も少なくありません。 ・好きな仕事を ・好きな時間に ・好きな場所で ・好きな仲間と ・好きな方法で っていう働き方に憧れている方へ。 ・決まった仕事を ・決まった時間に ・決まった場所で ・決まった仲間と ・決まった方法で 働く方が、ずっとずっとラクですよ。 自由って、想像しているよりもずっと重たいのです。 — 西村創一朗@複業研究家 (@souta6954) 2018年9月14日 先日、複業研究家の西村創一朗さんが上記のツイートをされていましたが、まさにその通りだと思います。 「固定給ではなく成果給がいい」と思って始めた美容酵素の営業代理店時代は、成果が出せなくて半年で数万円程度の収入しかありませんでした。 「時間と場所にとらわれず働きたい」と思って始めたライター業は、1記事400円程度からのスタートでした。 ……「自由」の代償は、想像以上に大きかったです。今は収入が安定してきましたが、旅行に行っていても、家に帰っても、国民の祝日でも、仕事をしない日はありません。 「時間と場所に縛られない」ことを目的にしていましたが、何時でも、どこにいても、仕事が付いてきてしまいます。結果的にそのスタイルが自分に合っていると分かったのでこの仕事を続けていますが、実際問題、描いていた「理想のライフスタイル」は実現できていないと思います。 “How”は、大上段の“Why”から考える ではなぜ、「理想のライフスタイル」が実現できなかったのに、仕事を辞めることなく続けられてこれたのでしょうか。 内省をしてみると、「常に目的と目標が合ったからではなか?」という結論になりました。 「理想のライフスタイル」が実現していなくても、「フリーランスのライターになる(=定義は「月に50万円を稼ぐ」ことでした)目標を忘れたことはなく、毎月試行錯誤していました。 また、取材をするうちに価値観が研ぎ澄まされていき、目標の大上段にある目的もはっきりとするようになってきました。 僕は昔から「君のおかげで」と言われることが好きだったんです。取材原稿が公開されると「オバラの記事のおかげで、仕事をもっと頑張ろうと思ったよ」と連絡が来たときに、そのことを思い出しました。 「Why → How」の理想的な順序とは異なりますが、「自分は半径5メートルにいる人たちを幸せにすることに幸せを感じるのだ!」と、自分の幸福の定義を再確認できたのです。 人生の目的を達成できる仕事は何か……と考えるようになったので、「理想のライフスタイル」という浅はかな、勘違いしていた“目的”のことなんか頭からスッポリなくなり、ひたすらに仕事が楽しくなってきました。 目的ドリブンな仕事に、言い訳はできない 以上の出来事から、僕の経験上「目的ドリブン」な仕事を一生懸命に頑張ることが、幸せな働き方を実現できるのではないかと考えています。多少の苦労はあるかもしれませんが、ネームバリューで就職先を選び、毎日愚痴を吐きながら仕事をするよりよっぽど幸せではないかと思うのです。 個人のビジョンと仕事が一致していれば、仕事の大義を見つけ出すことも難しくない。たとえ雑務であっても、仕事に価値と、自分が介在する意味を感じることができます。 その状態が維持できているのなら、企業の規模感やネームバリュー、収入の差は、働く環境を選ぶ上でそこまで大きな意思決定要素にならないと思うのです。 僕は人生のミッションを見つけるのにやや時間がかかってしまいましたが(2つの大学で、合計5.5年在籍していました)、いま本当に幸せな仕事ができています。 新卒フリーランスから、正社員へ。目的ドリブンなキャリア形成を実現するために 走りながら幸福の価値基準を探し、立ち止まることなく働いて来た結果、意図せずフリーランスとして働いていました。「京大を卒業して、商社に入社する。貯金でサラブレットを買い、馬主として暮らす」と小学校か中学校の卒業文集に書きましたが、もう全くかけ離れた現在になっています。 ただ、収入の目処が立ち、何をすべきかが自分のアタマで考えられるようになっていたので、在籍していた大学を中退し、自分の人生のスタートが切れています。 5年間あざしたっ!産能ラブ! pic.twitter.com/KRsEg1jxpZ — オバラ ミツフミ🐎 (@ObaraMitsufumi) 2018年9月13日 そして、「半径5メートルにいる人たちを幸せにする」人生のミッションを全うすべく、長期インターンキャリアプラットフォーム「InfrA」、日本最大級の学生メディア「co-media」を運営する株式会社Traimmuに、10月から正社員として勤務します。 僕自身、学生時代に経験したインターンによって、働くことの楽しさと、ゼロの状態からスキルを身につけていくことの肝要さを感じた一人。インターンをすることが原点となり、今の自分がいると思っています。なので、学生に変化する機会を与えられる「InfrA」を、日本中に広めていきたいのです。 また、「co-media」は、月間20万人の読者がいる、日本最大級の学生メディアです。多くの学生ライターが自身の経験や価値観を発信しており、これからのキャリアパスを検討する上で、非常に有益な刺激を得ることができます。 僕が任される仕事は、広報です。もちろん、未経験。人生のミッションを全うしながら、ゼロの状態からスキルを身につけていくことの肝要さを再び味わうための決断でした。 これからも、人生の選択肢に迷うことがあると思います。でもそんなときは、自分の心に「その選択は、半径5メートルにいる人を幸せにするか?」と問いかけたい。 目的ドリブンな選択は、選んだ選択肢を正解にする努力ができると信じています。 キャリアに悩む同世代のみなさんには、僕が人生で出会った方の中で最も尊敬する、森本千賀子さんのインタビュー記事を読んでいただければと思います。 最後までこの記事を読んでくれた皆さんの人生が、少しでも良いものになりますように。

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