わたしは「わたしの意思」で働く、幸せの“ハブ”になるために

はじめまして。HARESライターのなまっちゃです。 現在新卒1年目にあたる23歳です。大学を卒業し、3ヶ月エンジニアとしてベンチャー企業に後、フリーランスとして独立しました。現在は、ブロガー・広報の活動をしています。 新卒で入社した会社をたった3ヶ月で会社を辞めているので、周囲から心配の声をかけられることがあります。「本当にフリーランスでやっていけるの?」と。 もちろん、最初は不安もありました。しかしフリーランスになって4ヶ月、この働き方がわたしにとっては最善だったと実感しています。 今回は、なぜこのような生き方が普通だと思ったのか。その理由についてお話していきたいと思います。 幼少期に学んだ「働く」ということ 私は祖父や父が働いている姿を見たことがありません。「そんなバカな!」と思われるかもしれませんが、本当のことです。 私の祖父と父は、二人とも経営者です。自分の会社を持ち、何人かの人を雇い仕事を回しています。 そのため定時出社・退社という概念が、この二人にはなく1回も朝バタバタして会社に行く姿を見たことがないのです。 小さい頃から祖父や父とよく遊んでいたのですが、祖父とは、朝公園を散歩したり、川のほとりに行って石を集めたりしていました。また、父とはいつも、朝はゆっくり一緒に朝ごはんを食べ、そのまま公園やコートを借りてテニスをしにいっていた思い出があります。休日の話ではなく、平日の話です。 だから私は、「9時に出社して18時に退社する」といった、いわゆる“サラリーマン”としての働き方を中学生まで知りませんでした。 幸か不幸か分かりませんが、私の大好きで尊敬する二人がそのような生活を送っていたので、自然と「働く」ということは「時間と場所に縛られない」ということが普通だと思っていました。 違和感を感じた「働く」の意味 そんなわたしが「働く」ことに対して違和感を持ったのが、大学4年生の就職活動の時期です。定時出社・退社が私にとって珍しい働き方だったことから、“サラリーマン”としての働き方が、理解できなかったのです。 “なんで、毎日同じ時間に会社に行かなければいけないのか…” また、就職活動をしている友人を見ていて、「働く」ことの解釈についても、乖離があること知りました。 わたしはずっと、楽しそうに働く祖父や父を見て育っています。子どもの前だからかもしれませんが、カリカリと怒っている姿や、疲れてぐったりしている姿を見たことはありません。 いつも事業アイデアをわたしに話してくれていたので、聞いてるだけで一緒にワクワクしてたのを今でも覚えていますし、「働くってこういうことか!」と子どもながらに理解していました。 しかし、友達の「働く」は違ったのです。 “働きたくないなー、学生のうちに遊び尽くさなきゃ” こんな言葉を就職活動中に友達のの口からよく聞いていました。社会に出て働くことに対してネガティブな言葉しか出していなかったのです。 わたしにとって、働くことは「楽しいこと」です。なんでみんなそんなに辛かったのか不思議で仕方ありませんでした。 そんな働くことに対する友達との考えのギャップを感じていましたが、しかし友達に「働くって楽しいことでしょ」と意見を言うこともできず、ふわふわとした気持ちで同調してしまい、結局のところ私も友達と同様に就職活動をしてしまったのです。 働くことに関して自分の想いがあるのにも関わらず、発信することができなかった就職活動期は、自分に嫌気が刺し、とても苦しく感じていました。 私は“サラリーマン”になれなかった そして結局のところ、私は入社した会社を3ヶ月で退職しています。会社がどうこうではなく、単純に、定時で働くスタイルが自分には合わなかったのです。 社会に出ると「とりあえず3年は働いた方がいい」など、根拠のない意見が飛びかっています。 私もその言葉に惑わされそうになったこともありますし、すぐに会社を辞めてしまう自分が「本当に正しい判断をしているのか」を悩んだこともあります。 ただ、もっとシンプルに考えればいいと思うのです。自分が働きたいスタイルで、自分がしたいことをすればいい。誰かの言葉ではなく、自分の心に素直になればいいと思うのです。 そんな私が信じているのは、祖父と父が私にくれた言葉です。 その中でも、私が一番心に残り、大事にしなければと思った言葉をお伝えします。 “お金は人を喜ばすために使いなさい。 自分が幸せのハブになって、流れを作りなさい” 幼少期のころからずっとずっと言われていた言葉です。 「幸せを感じるところに人は集まるから、そんな人になりなさい」ーーそんな大切な言葉たちが、私の進むべき道を示してくれています。 学生時代まではよく分かりませんでした。でも、フリーランスになった今。この言葉が痛いほど心にしみています。 幸せを分け与えられる人に。大事なのは、“仕事に向かうスタンス”だと思う フリーランスだと、収入が安定していなかったり将来が見えないことで、不安になる人が多いのではないでしょうか? そうするとつい、休むことをわすれてカリカリしてしまい、仕事をとにかく入れてスケジュールをパンパンにして忙しい自分を作り出すことで安心を得ようとします。 そういう時って、どんどん負の連鎖が始まって自己嫌悪に陥り、人を喜ばせることを忘れてしまうのです。 祖父、父が何度も言っていた… “お金は人を喜ばすために使いなさい。 自分が幸せのハブになって、流れを作りなさい” が崩れてきてしまいます。 私自身、フリーランスになってから不安を打ち消すために我を忘れて仕事をこなすことに集中し、人を喜ばすことよりも自分の利益ばかりを考えてしまうときがありました。 これからはそんな生き方を一切辞めていかなければいけないと思っています。 お金を、誰かを応援するため・感謝の気持ちを表すために使えるように。 そして、自分が受け取るお金は、応援されて感謝されている証だと思える流れをつくるように。 自分から幸せを他の人に与えて、結果的に自分が幸せになれる。 そんな生き方を、体現していこうと思います。 そして自分だけがハブになるのではなくて、わたしの周りの人もそんな循環で満たされている生き方をしている人で埋めていけるように、幸せを分け与えていこうと思います。 ぜひ、みなさんも自分の生き方を振り返ってみて、誰に影響されて今があるのか、なんの為に生きているのかを自問自答してみてください。 Photo by くりこ

きっかけは「無関心」。何かを掴みたくて都会へ出てきた僕が、一歩踏み出した結果

はじめまして、HARESインターン生の松田直人です。僕は現在、株式会社HARESの社長・西村創一朗さんもとで、社会人にとって必要な考え方や能力…今後の僕の指針になるような生き方を学んでいます。普通に大学生活を送っているだけでは得られない貴重な体験です。 しかし、今の僕の姿は大学入学時には全く想像ができませんでした。自分でも驚く現在の僕ですが、大学に入ってからの一つ一つの歩みを紐解いて、西村さんに話をしてみたときに”ある理論”を教えていただきました。その理論は「プランドハプンスタンス」です。日本語に訳すと、計画的偶発性理論と呼ばれています。簡単に説明すると、「キャリアは偶然起きたことに対して、その都度向き合うことで作られていく」考え方です。 このコラムでは、僕が大学に入学してから今までのキャリアについて書いていきます。普通の大学生が少しだけ自分のキャリアについて真剣に考えて進んでいく様子を感じてもらえたらなと感じています。どうぞ、最後までお付き合いください。 東京への憧れにたどり着けない地方大学生 僕の出身は奈良県です。関西地方に在住の方はご存知だと思いますが、関東の大学へ進学する選択を取ることは多くありません。多くの高校の友人は関西圏の大学を受験するなか、僕は中学生の頃から関東の大学へ行くことを希望していました。理由は単純。東京に憧れがあったのです。東京に行けば、何かを得ることができる気がしていました。何かの夢を持っていたわけではありませんが、東京には夢を掴むチャンスがあると信じていたのです。 東京への期待を抱き、僕は横浜市立大学へ進学しました。しかし、首都圏に住んだからといって、何かを得られるわけではありません。部活動に入ったり、居酒屋でアルバイトをしたり、休日は友人と遊んだり…。それなりに楽しく過ごしていたのですが、僕が上京した理由である”何か”を得ることはできませんでした。そもそも何を得たいのかも分らず、満足しない日々が続いていました。 ”×”の経験が僕の新たな道を切り開き始めた 何か物足りないと思っていた僕の大学生活を変えたのは、大学のある講義でした。その講義は、毎週最前線で活躍されている起業家の方をお呼びし、お話を聞くことで経営について学ぶものです。そのゲストとして、スリール株式会社の堀江敦子さんが登壇されました。 スリールでは「ワークライフインターン」を実施しています。実際に共働き家庭に行き、子育てや家事を体験して自分のライフも含めたキャリアを考えることができるインターンシップです。当時の僕は、「キャリアに関する話自体は面白いけれど、子育ては女の人が考えるもので自分が考えるのはまだまだ先だろうな。まずはどこに就職するかのほうが大切でしょ」と他人事のように話を聞いていました。 しかし、堀江さんのある一言が僕の考えを変えました。大学生がやるべきことについてお話をしてくださったときのことです。 「自分にとって明確に”×”だと思う経験も大切だよ。」 この”×”とは、自分の苦手なこと、興味がないこと、嫌いなことなどです。僕はとっては、ワークライフインターンは女性が参加するもので、自分には関係のないものでした。まさに自分にとって”×”な経験だったのです。今の満足できない日常を変えたい、何かを掴むきっかけが欲しい。やりたいことがあったわけでもなかったので、とりあえず経験してみれば、その先に何かがあるのではないか。そうした思いもあり、自分にとって明確に”×”である経験になるワークライフインターンに応募しました。 ワークライフインターンでは、月に6回、4ヶ月間同じご家庭で、育児や家事を体験します。当初、専属となったご家庭は僕にとって”×”の存在でした。全く希望していないご家庭で、インターンの運営の都合上、頼まれたので渋々了承した経緯があります。しかし、この自ら望んだわけではない成り行きには大きな意義があったのです。 結論から言うと、専属家庭は僕にとって第二の家族であり、僕のその後の人生設計に大きな影響を与える経験になりました。家族のあり方として、自分の家しか知らなかった 僕は、違った家族のあり方に衝撃を受けたのです。父親が積極的に育児に参加する姿や母親がバリバリ仕事をする姿、都会で子供が育っていくこと、その時代に合った生き方や仕事への考え方。全てが僕の価値観とは違うものでした。僕の価値観が根底から覆されました。 このワークライフインターンで得たものは、「子供が好き」な新しい自分。多様な価値観に触れ、自分自身を見つめ直す機会。ワークとライフを共に大切だとする考え方…。新たな価値観を携えて変身をした僕は、次の行動へ一歩ずつ足を進めていくのでした。 やりたかったからじゃない、僕の前にきっかけがあっただけだ ワークライフインターンでは、お預かりをさせていただく専属家庭だけはなく、休日に開催される勉強会やイベントを通して様々な社会人の方とお会いしました。これまで自分の親、学校の先生、バイト先の先輩や社員以外の社会人とはほとんど話をしたことのなかった僕は、社会人の多様な考え方に触れること自体が刺激的でした。「未知との遭遇」の楽しさを知った僕は、多くの人と会い、話をすることで“何か”が得られるのではないかと感じていたのです。 さまざまな社会人との対話のなかで、僕が全く知らない知識や考え方を得たことで、次の行動へ繋がりました。選挙の手伝いをしてみたり、アメリカでインターンシップをしたり、僕が昨年行った世界一周の計画にも影響を与えました。 この経験全ては僕が長年やりたいと思っていたことをやったわけではありません。ある人との出会いがきっかけで、やってみようと、行動に移したのです。まさにこれが「プランドハプンスタンス」だと思います。自分では全く予期していなかったことが、ある出会いをきっかけに自分にとって価値のあるものとなる。振り返ってみると、自分にとって”×”だと思う経験をしたからこそ、今の僕があります。 現在インターンをさせていただいているHARESの西村さんとの出会いもスリールでのインターンがきっかけでした。ワークライフインターンのプログラムの一つにメンター制度があり、僕のメンターが西村さんだったのです。1~2度お会いしてその後はFacebookで繋がっているだけ…。しかし、今年の8月に偶然西村さんがインターン生を募集しているのをSNSで見つけて、応募しました。 応募のきっかけも、偶然。サマーインターンに全落ちしたことが理由でした。そんな苦しい時に、たまたまHARESインターン生の募集を目にしました。時期がズレていたり、サマーインターンに受かっていたら、僕はHARESのインターン生になっていなかったかもしれません。ここでも、思いがけない、自分が望んでいたわけではない道を歩むことになりました。 どんな道を歩くのかではなく、今歩いている道をどう生きるのか? 大学に入学して、悶々とした日々を過ごしていた僕ですが、ワークライフインターンに参加したことで僕の足が動き始めました。小さな一歩を踏み出してから自分も全く予想もつかない道(キャリア)を歩いています。他にもいくつもの選択肢があり、そちらの方が楽しかったのかもしれないです。ただ、僕が選んできた道をより良いものにしようとしてきたことは確かです。 何かを得たいと思って関東に出てきて、一歩踏み出してみて、その何かが得られたのかは分かりません。もしかしたら一生見つからないのかもしれないです。しかし、今ある状況を変えてみよう、新しいことへの好奇心が現在の僕を作っています。 いま、僕に「将来やりたいこと」が明確にあるわけではありません。ですが、その時々で興味を持ったことも、興味を持たなかったこともまずはやってみること。それが過去に僕が経験したような、偶然による自分のキャリアが作られて、振り返った時に自分の行動を肯定することができる道が完成するのだと信じています。 どちらを選択するのかに悩まず、選択した道をどう生きるのかについて真剣に考える。 これが僕のキャリアの作り方です。

ブラック企業を経て、フリーランス。隠遁人妻が「私らしい働き方」を見つけるまで

はじめまして!ライターの隠遁人妻26歳です。 私はこの度、U-29さんでコラムをスタートすることとなりました。まずは簡単に自己紹介からさせていただこうと思います。 「自由に意思表示ができなかった」隠遁人妻の知られざる幼少期 出身は千葉県の田舎町です。両親と妹、そして祖父祖母と曾祖母がいる典型的な昔ながらの家で育ちました。実家は自営業をしており、小さい頃から家の中はピリピリとした雰囲気でした。 子供ながらに「今日はお父さんの仕事の調子が悪いから静かに勉強しておかなきゃ…」と敏感に空気を読む生活を余儀なくされていたことを覚えています。 自営業は、羽振りの良い時とそうでない時の差が大きいため、父親の機嫌が良い時は平和でしたが、ひとたび事業が軌道に乗らなくなると、一気に家族に当たり散らして壁にはいくつもの穴が開くような状況でした。 両親とも専門学校出身ということもあり「勉強をしなさい!良い大学に進みなさい!公務員になりなさい!」と言われ続けで育ちました。 そうした影響もあってか、高校卒業までは地元の進学校に通い、その後都内の国立大学に進学しています。傍目に見たら順風満帆な人生のように思えるかもしれません。 順風満帆から一転、ブラック企業に就職。「主婦になる」発言で激怒 ところが、大学卒業後に入社した会社は絵にかいたようなブラック企業。 休日出勤は当たり前で、仕事の無い土日も上司に付き合って部活動と飲み会に強制参加させられるような環境でした。 タイムカードはあってないようなものでした。22時でタイムカードを切ったあとは、当たり前に残業。会社への忠誠心が薄いと判断された社員はすぐに呼び出され、上司とマンツーマン面談がスタートします。実はこの面談、普通の面談とはまるっきり違い、完全に洗脳を目的とした圧迫面談です。 「隠遁?お前、この前の打ち上げの飲み会の席で同期に新卒のクセに結婚したら主婦になるかもとか言っていたらしいな。どーいうことか説明してみろ」と脅されたりもしました。 今考えたら完全にパワハラですが、当時の私は無知でしたので「新卒で入った会社で結婚して主婦になるとか言っちゃいけないんだ!まずかったなぁ…でもまさかちょっと同期に話したことがこんな大事になるなんて…」と心底反省していました。 非常に驚きですが、この会社ではこんなことが日常茶飯事で起こるわけです。23人いた同期はどんどん辞めていきました。 ついに私も心を病み、勝手に夜中涙が出るようになったり、そうかと思えば突然やる気になって朝の5時まで仕事をし始めたりするようになりました。お気付きかもしれませんが、躁鬱病の一歩手前です。メンタルヘルスを専門とする病院に行って検査を受けたり、薬を貰って服用したりしていました。 ですが、薬を飲んでもこの症状が治まらず、もうどうしようもないので会社を退職することにしました。退職する直前はストレス性の胃腸炎にかかり1週間近く入院もしていました …。本当に心身ともに限界でした。 この時の経験があったため、2度と正社員にはならないと心に決めています。退職後は2ヶ月くらい何もせずボーっと家で過ごし、随分と症状は落ち着いてきたものの、今でもどうしようもないほどの虚無感に襲われることがあります。この出来事は、大きな傷として私の心に残りました。 起業、派遣、フリーランス。紆余曲折でたどり着いた「私らしい形」 しばらく療養した後、自宅で起業しました。23歳のときです。元々会社にいた頃から「自分で会社をやっていきたい」という思いがあったので、友人を誘って2人で始めました。 視界思ったように上手くいかず、頓挫してしまいます。そもそも社会人経験が浅く、人脈もお金もない状態で始めたのですから、無理もありません。 さらに、躁鬱病のせいなのか、以前みなぎっていたやる気も全然沸かずに「もうお金を稼いで何になるんだろうか…人はどうせ死ぬのにやる意味なんてあるのか?」という厭世的な思考へとシフトしていきます。この状態で続けても成果も出なければ金も稼げないと思ったので、エネルギーが戻る まで会社を休眠化させることにしました。 そして、いつでも辞めようと思えば辞めることの出来る派遣OLという道を選択します。選んだ会社は大手広告代理店で、以前いたブラック企業とは比べ物にならないくらい快適な環境でした。 むしろ社内環境を快適にしているからこそ、大きく成長し社員もイキイキと働けているのだなと感じましたね。とにかく私にとっては何もかもが天国でしたね。 まず収入が20万ほどUPしました。さらに休日出勤はないですし、もちろんサービス残業なんてものもありません。残業する場合は必ず時給が支払われますし、深夜の場合は1.25倍くらいでつけてもらえます。 至って普通のことなのですが、ブラック企業イズムに洗脳された私からしたら一個一個驚くことばかりでした。 また正社員ではないので、ひどく怒られたり、詰められることもなく、平穏無地に過ごすことが出来ました。欲を言えばここでずっと働きたかったのですが、25歳の時に当時付き合ってた彼と結婚して大阪に行くことになってしまったので、本社ではなく大阪支社で働くこととなります。 当然チームが変わりますので一緒に働く人も変わるわけです。最初は大丈夫だろうと思っていたのですが、押しの強い営業と短納期な案件、そして無理難題をふっかけてくるクライアントに心底疲れ切ってしまい約1年で退職することになります。 せっかく大阪支社での仕事を紹介してくれた上司には非常に申し訳なく思っています。ですが、一度心を壊してしまった経験から派遣という道を選択しているので、ここで2回も同じ目にあっては本末転倒だと思い、意を決して今年の3月に退職しました。 それからしばらくは、自作の記事を販売できる「note」というサービスを使用してお金を稼いだり、TwitterやvoicyというWEBアプリでスポンサーを募ったりして、日々の生計を立てていました。 ですが、自宅で1人作業していると、どうもネガティブな思考に支配されてしまいやる気がなくなってしまうのです。そのため意識的に人と交流して忙しくしようと思い、8月くらいから積極的に原稿執筆の仕事やLP制作の仕事をするようになりました。 現在は有り難いことに、約10社ほどのクライアントさんとお仕事をさせていただいております。収入はまだ全然ですが、自分の心の健康を優先して苦しくならない程度に仕事の量を減らしたりして調整もしています。 以前は夜職を週3で兼務していたのですが、現在は週1に減らして、自宅での仕事時間を確保しています。時間と場所に縛られず、タスク量や付き合う人を選ぶことの出来るフリーランス・自営業という生き方が一番自分に合っていると感じています。 案件がなくなる不安や、自分が病気になった時に収入が途絶えるかもしれないという不安はあるものの、何にも代えがたい自由を手に入れられたことに喜びを見出しています。 ここまで来るまでに色々回り道をしてしまいましたが結果的に今幸せなので、このまま引き続き頑張っていこうと思っています。 長くなりましたが、この記事を読んでくださった方の心に何か少しでも残せたら幸いです。 私はTwitterでも日々のアレコレを呟いていますのでお気軽にご連絡ください。 また次回、よろしくお願いいたします。 キャリア形成のプロが語る「複業を活かしたキャリア形成のコツ」を学び、あなたもキャリアを広げてみませんか?

自分だけの“利他”を見つけるために。お金も時間も、妥協しないと決めた

はじめまして。ライターの半蔵 門太郎と申します。名前は門太郎です。本名は丸山です。 現在大学を休学しライターとして活動しつつ、フワッと生きています。 今回のコラムでは「休学期間になにするの?」をテーマに、自分のなかで考えたことを書かせていただきました。若輩者ではありますが、少しだけお付き合いください。   「ライターを志したきっかけってなに?」とよく聞かれますが、とくに明確な理由があったわけではありません。しかし、昔から「発信すること」への興味がありました。最初の出来事は、ラジオ番組へのメール投稿をした、中学校時代。 中学時代、文化祭や体育祭、班活動に馴染めず、姉妹3人に囲まれて育ってきた私は、それはそれは偏屈な性格に仕上がっておりまして(いまもだけど)。現実世界の「陰力(いんぢから)」をラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』に放ち続けていました。 読まれた回数は10数回ほど。“ハガキ職人”には程遠い成績ではありました。しかし、超有名人の有吉さんがぼくのメールで笑い、コメントし、会話を広げるきっかけにしてくれている…!!!嬉しすぎる事実を抱きしめつつ、来週のネタを考える毎日を過ごしていました。   当時所属していた編集チームのマガジンでは、ラジオ投稿への愛を語っています。

転職できず、ニートになった。履歴書に“傷”がついた若者に贈る、早期退職への処方箋

「88%」——。エン・ジャパン株式会社が行なった正社員で勤務する20~40代の5,584名へのインタビューで、「副業に興味あり」と回答した人の数だ。古くから日本企業が謳って来た「終身雇用」は幻になり、正社員であっても、その大半が複数の収入源を得たいと考えている。しかし、実際に副業経験のある方は、「33%」に止まっている。この数字の乖離からは、「副業をしたくても、できない」企業体質や、「何から始めていいのか分からない」という不安が関係しているのではないだろうか。 本記事では、“複業”研究家の西村創一朗と、第二新卒・既卒者向けに特化した就職支援を行なう株式会社UZUZ代表の今村邦之が、「20代の副業(複業)」について語り合った対談の様子をダイジェストでお届けする。 5年後に当たり前になるだろう「副業解禁」を前に、20代の私たちは、どのような準備をすればいいのだろう?ふたりのキャリアを遡り、職歴が重視される転職市場の攻略方法や、履歴書に“傷”がついたときの対処法を考えた。 Text by 田代智美 Edit by オバラ ミツフミ 「失意の水族館デート」を経験しました。複業研究家・西村創一朗の就活体験記 今村邦之(以下、今村):第二新卒・既卒者向けに特化した就職支援を行なっている株式会社UZUZの今村邦之です。本日は、「20代の副業(複業)」についてお話ししたいと思います。 西村創一朗(以下、西村):複業研究家の西村です。20代は会社の中で課せられる業務量も多く、本当にやりたいことと、会社の業務が乖離してしまっているケースが少なくありません。若い世代が自分らしいキャリアを描けるよう、本日はお話をさせていただきます。 今村:まずは、私たちが20代をどう過ごしてきたかをお話しましょうか。西村さんのキャリアはメディアでもたくさん掲載されていますが、直近は体調を崩されたことについてが多い気がします。なので、まずは「複業研究家」になる以前のお話をお伺いさせてください。 西村:僕はリクルートエージェント(現:リクルートキャリア)の出身です。リクルートエージェントをファーストキャリアに選んだ理由には、貧しい家庭で生まれ育ったことや、大学生で子供を持ったことが関係しています。 まず、僕は生活保護を受けていた母子家庭で育っています。昔から「親の稼ぎではなく、世の中の人たちが稼いでくれたお金で生活してた」と考えていたので、社会に出るのなら「世の中に貢献したい」と強く思っていまいした。 そうした考えを持っていたなか、学生時代に彼女が妊娠し、子供を持つことになります。いわゆる、学生パパです。若くしてパパになったこともあり、父親の子育てを応援するNPO「ファザーリングジャパン」に参画。ここで感じたことが、僕の職業観を確固たるものにしました。 全力で子育てをしながらも、仕事に妥協しないパパと、会社の残業などの働き方が関係し、満足に子育てに時間を割けないパパに出会ったのです。この現実を目の当たりにし、「日本社会の働き方を変えなければならない」と思いました。 そこで、日本社会を会社に見立て、就職先を考えてみました。リクルートエージェントは会社の人事部に相当する存在だと感じたのです。およそ400万もの企業があるなかで、リクルートエージェンはHR領域において、主要な企業の大半と取引をしています。ここでビジネス経験を積めば、世の中の働き方を変えられると仮説を持ったのです。社会の役に立てる、そして、世の中の働き方を変えられる仕事が、リクルートエージェントだと考えました。 今村:ここまで話を聞くと、就職に関しては順調なキャリア形成ができてきているように感じます。 西村:ただ、たくさんお見送り(=不採用通知)も経験をしていますよ。一番最初に最終面接を受けたインターネット調査会社・マクロミルは、2週間のサマーインターンを経験していましたが、落選しています。 最終面接はちょうどクリスマスだったので、妻と子どもと一緒に会社に向かい、面接中は近くで待たせ、その帰りにしながわ水族館に行きました。しかし面接の手応えがあまりになく、失意の中だったので、水族館のことは全然覚えていません。リクルートエージェントに内定をもらえたのは結果論であり、就活が順調だったかといえば、そうではないのです。 履歴書に傷がついた経験から、起業。今村邦之の“ウズウズ”していた20代 西村:今村さんの経歴についてもお伺いさせてください。UZUZは、第二新卒・既卒者向けに特化した就職支援を行なう会社だと聞いています。正直なところ、既卒者や第二新卒者は、企業の人事担当者から見て「喉から手が出るほどほしい人材」ではありません。つまり、あまり儲からない。それでも、会社を立ち上げたのはなぜでしょうか? 今村:自分自身、転職で苦労したことが創業のきっかけです。アメリカの大学をトップクラスの成績で卒業したのですが、新卒で入社した企業を体調不良が関係して9ヶ月で退職しました。すると、「すぐに辞めるやつを雇うわけにはいかない」と、なかなか転職ができなかったんです。 「若手募集」と銘打った面接を受けても、書類先行の時点で何度も落ちました。大学時代の友人との間にはどんどん差ができ、疎遠になりましたね。さらに、自分自身「何がしたいのか」が分からなくなり、人生の迷路に迷い込んでしまったのです。そうした経験から、「迷路を突破できるサービスがあればいいのに」と考え始めました。 ただ西村さんのおっしゃる通り、既卒者向けのサービスは「あまり儲からない」。つまり、そんなサービスはほとんどなかったのです。でも、そこを逆手に取れば「競合がいない」わけです。「一発当てて、人生を切り開いてやろう」と腹をくくり、株式会社UZUZを立ち上げました。 >>UZUZさんに相談に乗ってもらいたい…!という方はコチラ<< 5年後、大企業の“副業解禁”は当たり前になる 今村:西村さんは前職で、法人営業、新規事業企画、採用担当と順当なキャリアを歩まれています。そうしたなか、「複業研究家」として独立できるまでに、複業でも収益を上げられていました。もともと「働き方」に興味を持っていたことが、その背景にあるのでしょうか? 西村:「複業研究家」としてお仕事ができているのも、本当に結果論でしかありません。入社3年目に複業としてブログを始め、たまたま月間20万PVとなったことが、今に至る最初のきっかけ。今村さんと出会うなど、お仕事をいただけたことで収益が上げられるようになったんです。 そうしたなか、世の中で複業推奨の機運が高まり、本業と複業をスイッチすることを決めました。独立するつもりはありませんでしたが、改めて「働き方を変えることで世の中を良くしたい」という想いが強くなったんです。 そこで、「働き方」にもいろいろありますが、複業を働き方改革の一つの軸にしようと考えました。実験的に「複業研究家」を名乗り始めたのですが、色々と活動していくうちに、国会議員の方から連絡をいただくなどさまざまな依頼が舞い込むようになったんです。 今村:人材領域で仕事をしていて、副業をよしとする企業は、とても少ないと感じています。UZUZでは「離職率を低下させる」ことと、「採用量を増やす」という2つの目的から、副業を推奨しています。スキルがついて独立しようと思ったときに、副業可能であれば、離職の抑止力につながりますよね。 また、自分が既にもっている仕事と両立できれば、一つの会社以外にも接点を持てます。つまり、他社に本業がある方にも、弊社で働いてもらえる可能性が高い。副業を解禁することは、離職抑制と採用力強化が実現できるはず。大きなメリットがあるのに、普及しないのはなぜでしょうか。 西村:おっしゃる通り、退職・離職防止や、優秀な人の採用力強化などのメリットがあります。他の要素も含め、「複業解禁の7つのメリット」と呼ばれたりもします。そうした話をすると、よくデメリットに関する質問を受けるのですが、デメリットはありません。 よくよく勘違いされがちな副業解禁のデメリットとして、「副業を解禁すると、独立を考える人が増え、離職率が上がる」という意見があります。ゼロかイチで考えると可能性を否定はできませんが、そもそも独立しようとする人は副業を禁止していたら辞めなかったのか分かりません。むしろ副業を解禁していたら、社外で見つけた興味あることで、まだうまくいくか将来性がわからないことを「(本業を続けたまま)副業としてやってみたら」とすすめることで、離職抑制できます。 けれど、副業を禁止していたら、やりたいことを諦めて会社に残るか、やりたいことのために起業・独立・転職するかの2択となります。複業を解禁することでの離職抑制の可能性の方が、副業禁止に伴う離職の可能性を相殺して勝ると考えています。 他にも、「情報流出・漏洩の可能性が高まる」といった声も聞きます。実際に、某ITコンサル企業の役員が(副業を通じて)社外に情報を流出させ、日経新聞の記事になったこともありました。現に実例があるので、可能性がゼロとは言えません。しかし、副業を禁止している企業では情報が流出していないかといえば、そんなことはありません。 私が知る限りでも、大手上場企業で、副業を禁止しているにもかかわらず情報漏洩している例はいくらでもある。他にもさまざまなデメリットを挙げる人はいますが、全てカウンタートークすることができます。 今村:そうなってくると、「副業を解禁する」という最初の一歩を踏み出すのが怖いだけなのかもしれませんね。周りの会社が始めたら、みんな追随するのではないでしょうか。 西村:まさにおっしゃる通りで、恐れているようなことは起こらないんですよね。解禁に対する不安感から、特に理由もなく禁止している状況なんです。 こうした状況は、副業の話に限らず、大手企業によくあることです。情報のクラウド化をいくら提案しても、情報流出やハッキングの懸念によりなかなか踏み切れない構造と似ています。 ただ、今村さんがおっしゃる通り、日本は“横並び主義”です。トヨタが副業を解禁すれば、自動車業界全体がほうが追随するはず。日本を代表する企業が最初の一歩を踏み出せば、日本全体が変わるんです。僕の推測ですが、5年後には副業解禁が当たり前の社会になっていると思いますよ。ネガティブなイメージが持たれやすい「副業」ではなく、複数の職を持つことが良いキャリア選択と認められる「複業」の時代になってくれたら、と思っています。 職歴が重視される転職市場の攻略方法。怪しい複業より、正しいスキルアップを 今村:オーディエンスの方から「複業がしたいと考えている人には、どのようなアドバイスをしますか?」と質問が来ています。 西村:大前提として、副業にも目的が必要です。よく相談を受けるのですが、複業を考えている人のなかには「なんとなく副業ブームだから」と、漠然とした考えの人も少なくありません。また、収入アップやキャリアチェンジの手前に複業を考えている人もいます。ただ、それではまだ粒度が荒いです。 複業を「楽して儲かるのもの」と勘違いしている人がいますが、そんなことはありません。本業で一生懸命頑張ったとしても、なかなか給料は上がりません。それなのに、副業でちゃりんちゃりんとお金が手に入るなんてことはないのです。 私自身、入社してから複業を始めるまでの2年2ヶ月は、脇目も振らず本業一本でした。そこで鍛えられたからこそ、複業でも稼げるスキルが身についたのです。 今村:おっしゃる通りですね。現在の転職市場では、「職歴がないとだめ」といった条件がたくさんあります。なので、本業を一定期間行なっていないと、そもそも転職すらできない。なので、複業を考えつつも、本業にしっかりコミットする期間も大切だと思います。 西村:ただ、今村さんのように止むを得ず早期に退職をしてしまう人もいるでしょう。そうした人は、どのようにキャリアを作ればいいのでしょうか。 今村:「職歴がないとだめ」と判断される理由には、研修を受けたことがない、ビジネスメールが書けない、マインドが弱い、専門性がない…といった判断を受けてしまうことが挙げられます。ただ、そこが補填されていれば、問題ありません。弊社では、UZUZカレッジという無料の学校で、そのトレーニングを行なっています。 西村:なるほど。すると、転職も可能になるのでしょうか? 今村:トレーニングを一度でも受けた実績があると、企業さんも見方が変わり、突破できるようになっていますね。 西村:素晴らしいですね。就職後まもなくキャリアに迷ってしまったら、怪しい副業にすぐ手を出すのではなく、UZUZカレッジに相談に行く方が良い選択だと思います。 今村:僕も転職希望者の相談に乗ることが多いのですが、先々に複業を見据えたキャリア選択ができるとより良いな、と考えました。ありたい自分になるためには、転職以外の選択肢があってもいいですよね。 西村:もちろんです。こういった仕事をしていると「複業推進論者だ」と勘違いされやすいのですが、全員が複業すべきだとは思っていません。あくまで複業は選択肢の一つだと思っています。本業をやっているなかで、何か別の仕事をしたいと思ったときに、複業という選択肢が当たり前の社会を作りたいと考えています。 >>UZUZさんに相談に乗ってもらいたい…!という方はコチラ<<

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