林業スタートアップkonoki代表・内山浩輝が斜陽産業に見出す壮大な希望

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第279回目となる今回は、林業スタートアップ「konoki」を運営する内山浩輝さんをゲストにお迎えし、現在に至るまでの経緯を伺いました。

林業の業界変革を目指し、活動されている内山さん。しかし、ある人物と出会うまでは森に入ったこともなかったのだとか。内山さんを虜にする木の魅力、そして「konoki」というプロジェクトを通して成し遂げたいこととは、一体何なのでしょうか。斜陽産業の課題にもがきながらも、立ち向かい続けるその姿に迫りました。

ー内山さんの自己紹介をお願いいたします。

立命館アジア太平洋大学(以下、APU)4年生の内山浩輝です。林業スタートアップのkonokiというブランドを立ち上げ、福岡発のベンチャーとして運営しています。

現在、「おうちでヒノキ風呂(取材当時、4月から一般販売予定)」というアイテムでクラウドファンディングを行っています。
コロナ禍の自粛生活でストレスが溜まっている人が多いと思うのですが、旅行先でヒノキ風呂に入っているような気分が自宅で簡単に味わっていただける商品です。
天然木材100%なので、癒し効果の高い木の香りで存分にくつろいでもらえるようになっています。
人と木の接点を増やしたいという思いで始めました。日常のなかで身近に木を感じられるというところから、この商品を着想しました。

ーたしかに、現代はなかなか木に触れる機会がないですよね。

僕も元々は森に入ったこともなければ、虫嫌いなのでどちらかというと自然とは距離をとりたがる人間でした。

しかし、あるきっかけで出会った林業家から、木の魅力や森の歴史、衰退している林業の実態についてお聞きした時に、これほど大きな魅力を生かせていないのはもったいないなと。人類の共通資本である森を残していくことが自分たちの使命だと感じ、現在の活動を始めました。

ー森のプロとの出会いが大きな転機となったのですね。起業について深堀りする前に、まずは前提となる、内山さんのこれまでについてお聞きできればと思います!

留学、受験勉強…視野を広げた中高生時代

ー幼少期はどんなお子さんでしたか?

小学生の頃はサッカーをずっと熱心にやっていて、プロになりたいという思いも持っていました。
ですが、中学1年の時に怪我で辞めることになりました。サッカーと距離を置いた時に、プロになるのは一握りだということ、プロへの道は狭き門だということに、初めて気づきました。

ー怪我でプロの道を諦めることになってしまったのは辛いですね……。

むしろ良かったと思っています。「ワクワクする生き方は他にもある」ということに気づけたからです。

サッカーの次は何をやろうか考えていた時に、県のイギリス留学プログラムに参加する機会を掴みました。世界十何カ国から同年代の学生が集まり、寮で共同生活を送るというものでした。いろんな国の人と関わることで、それまでの狭かった視野はぐっと広がりましたね。

ーそれまでのめり込んでいたサッカーとは異なる世界へ、扉を開いたんですね!その後、中学生活はどんな風に過ごされたんですか?

イギリス留学では、良い環境は自分の視座を高めるということを実感しました。

そこで、自分の成長できる環境が整っている高校に行きたいと思うようになりました。自分が理想だと思う学校は見つかったのですが、それまでほぼ勉強をしてこなかった自分にとって、とても難易度が高かったので、その日から猛勉強を始めました。

ーイギリスでの経験から高校選びに繋がったんですね。結果はどうだったんでしょうか?

志望校には入れました!受験勉強での学びは、「努力を重ねれば実現できる」ということでした。人生で一番といっても過言ではないくらい努力して、それで合格を勝ち取れたので、実感は大きかったです。

また、愚直に努力を重ねられるという、自分の強みにも気づくことができました。明確な目的や目標がある時に、我を忘れて没頭できる。このことに気づいてから、明確なゴールを敷いて生きるようになりました。

ーこの上ないくらいに努力したからこそ、人生において大きな気付きがあったんですね。念願叶っての高校生活はどうでしたか?

キリスト教系の学校だったのですが、隣人愛についての教えは特に染み付いていて、自分の礎となっているなと感じます。

また、外部の招聘講師による授業が多かったので、ここでもいろんな人の人生や価値観について学ぶことができました。一つの志に愚直に努力されている、いろんな方に出会えたことで、人として成長できた3年間でした。

がむしゃらに突き進んだ末、起業という目標へ

ー大学はどのように選ばれましたか?

進学先はAPU(立命館アジア太平洋大学)だったんですが、当初は東京の大学を志望していました。

実は、APUに進学するまでは、国際貧困に興味を持っていたんです。小学校6年の時に行ったエジプトで初めてスラム街を見て、日本でぬくぬくと育ってきた自分はとても衝撃を受けました。それから高校3年まで、人道支援や国際貧困に携わっている人に、個人的に会いに行って話を聞いたりしていたので、大学でもその分野に取り組みたいと思っていました。

ところが、自分が国際貧困の解決を謳うのはエゴなのでは、とふと気付いてしまったんです。自分は本当に、解決したいと思っているのだろうか。単なる押し付けなんじゃないかと。その気付き以降、それまで掲げていた目的や価値を見失ってしまいました。結果、AO入試で受けた志望校にも落ちてしまって。軸を失って以降、とにかく視野を広げられる環境が必要だと感じ、APUに決めました。

ー貧困問題について自主的に活動されていたんですね!内山さんの行動力に驚きです。
進学先に選んだAPUはどんな大学なんですか?

僕はよくAPUをビュッフェに例えます。まず自分というお皿をもってAPUというビュッフェ会場に入りますよね。すると、会場には多くの留学提携校が用意されていたり、90カ国からきた留学生がいたり、外国人の講師や外国語での授業、学長でライフネット生命創業者でもある出口さん直轄の起業部があったり。

その中からどれを選ぶかは、自分次第なんです。このような「料理」が日本で一番多いのがAPUだと思っています。志をなくした自分にとって、新たな志に磨きをかけるのに、ぴったりの環境だと感じました。

理想の環境の中で、まずは自分にできることをやってみようと思い、1年目はいろんな活動に挑戦しました。

ービュッフェとは面白い表現ですね…!どんな活動をされていたんですか?

学生団体に所属して、大学と大分県内の企業をつなぐ活動や、学内の学生が国を超えて交流できる場を作ったりしました。

また、APUには体育の授業がないので、留学生も交えた運動会をやろうと企画したこともありました。地元の小学校から道具を借りてきて、国別対抗で開催しました。30数ヶ国の学生が集まり、とても盛り上がりましたね。

ーすごく楽しそうですね!まさに留学生が多いAPUでしかできない経験です。その後はどんな活動をされたんでしょうか?

入学してちょうど1年が経つ頃に、一般社団法人G1が主催するG1カレッジというコミュニティに参加しました。日本各地のユニークな大学生が集まるイベントで年に1度開催されていました(現在終了しています)。

しかし、この時に出会った他大学の学生に、大きな力の差を感じたんです。これまで自分がやってきたことは正しかったんだろうかと思うようになってしまいました。

ー立ち止まってしまったんですね…。それまで順風満帆に見えていましたが、何があったんでしょうか?

それまでの僕は、とにかく自分のできることをガムシャラにやっていたんですよね。東京の志望校に落ちてしまったことに対する反骨心もあり、東京の学生よりもいろんな経験を大分で積んでやる、と。

でも、そこで出会った学生はそれぞれの目標に向かって努力していたんです。

みんな意味のある人生を送っているような気がして、生きていて楽しそうだな、羨ましいなという気持ちを感じました。

また、高校受験の時に「明確なゴールがあれば突き進める」と分かっていたにも関わらず、その時の自分は具体的なゴールを持っていませんでした。ふと我に返って、受験から得た教訓と、大学での自らの行動との矛盾にも気付かされ、それまでの自分の歩みに迷いが生じました。

何か一つ自分にも大きな目標を作ろうということで、起業に向けて動き出しました。

ー自分の中でも矛盾を起こしていたことに、その場で気付かされたんですね。起業を目標にしたのは、どうしてだったんですか?

迷ってからいろんな人に相談する中で、起業という選択がピンときたからです。

僕は、身の回りで起きる物事はすべてご縁だ、という風に感じています。大学に落ちてAPUに入学したのも、G1カレッジで劣等感を抱くようになったのもご縁。自分が起業を志すようになったのも、親身になって話を聞いてくれた方々のおかげだと思っています。

林業家・三浦との出会い

ーたくさん行動するからこそ良い縁が巡ってくるんだろうなと感じますね。起業のテーマが定まったきっかけが、林業家である三浦さんとの出会い、なんですよね。

起業という目標を決めたものの、何を自分のテーマにしようか悩み続けていました。出口学長のお繋がりで林業家の三浦に会ったのは、そんな時でした。

ー出口学長を通じて知り合ったんですね。三浦さんはどんな方なんですか?

三浦は木を愛している変人ですね。木が好きすぎて「声が聞こえる」と言ったり、自分が切った木を舐めたり(笑)。

その時に話してくれたのは、木の種類や木目の色、香り、その効果など、木の魅力についてでした。織田信長とともに生きた木の逸話についても話してくれました。

ーそれは引き込まれますね……!起業のテーマで悩まれていたところから、何かご自身のなかで変化はありましたか?

林業には生かしきれていないものがたくさんあり、そのことによって林業が衰退している。そして、その問題は林業家だけでは解決できない。

そうした課題を知り、社会にとって良いものを作り続けたいと漠然と考えていた自分は、これだ!と思いました。自分がビジネスとして林業に関わることで、これまでにない社会的インパクトを起こせるかもしれない、と。そのポテンシャルや魅力に気付いた時から、どんどん林業の虜になっていきましたね。

ーkonokiのプロダクト第一弾は、木の幹でつくったお茶なんですよね。これはどんな経緯で生まれたんでしょうか?木を飲むなんてなかなか思いつかないですよね…?

これは、木は種類によって味が違うという三浦の知見から製品化に至りました。木を舐めてそのことに気付いた三浦は、7年前から個人的にお茶にして飲んでいたようです。

従来の木の販売方法といえば、建材用の丸太が主流でした。でも、日本では国産の木が余っていて、木材の価値も大幅に下落している。そこで、新しい消費方法を開発し、木の消費を増やしていこうとしています。お茶やバスアイテムは、日常のなかで木を使えるようにと考えた商品ですね。

このように、それまでとは異なる価値が付加された木の製品を生み出すことによって、林業を儲かる業界にしたいと考えています。従来の林業を背負ってきた人々には思いつかないような手法を構築することで、業界に革命を起こしたいです。

林業の抱える課題、そこに立ち向かう面白さ

ー林業というのは斜陽産業ですよね。そもそもどのような課題を抱えているのか、お伺いできますか?

日本の林業は、「儲からない」「担い手がいない」「森林が管理されない」という3つの課題を抱えています。

森林伐採というのは世界的に良くないこととされていますが、日本では逆に木が余っているんです。
理由としては、高度経済成長の際に政府主導の植林が大規模に実施されたこと、木が育つまでの期間に外国製の材木を入手できる流通システムが確立されたこと、木材建築などの需要が減ったことなどがあります。国産の木が余ってしまったため、木の価値は40年間で4分の1まで落ちました。

このように儲からない事業であるために、林業家の数も40年間で3分の1の5万人にまで減少しました。国土の70%を占める森林を5万人で管理するのは到底難しく、森林も荒廃し始めています。土砂崩れなど実社会にも影響が起きている。

こうして負の循環が起きているのが林業なんです。

ー根が深い問題ですね…。

これまで何十年もかけて形成された問題を一気に解決するのは難しいですね。

また、日本の林業の実情がよく知られていないことも課題です。三浦と出会う前の自分もそうでしたが、そもそも日本に木が余ってることすら知らないですよね。そこの認識を深めることと、木を身近に感じてもらうことが大事だなと感じています。

日常的に森や木に興味をもってもらう仕組みづくりは難しいけれど、誰かがやらなければいけないことですよね。将来に美しい森を維持するためには、興味を持って関わってくれる人も増やさなければならない。課題は山積みですね。

ーそこに立ち向かうことの難しさや壁って相当大きいですよね…。それでも林業に向き合い続ける理由って何ですか?

課題だらけではあるものの、やっぱり面白いんですよね。森には無限に可能性は落ちています。イノベーションが進んでいない業界なので、手付かずのものがとても多い。知れば知るほど、まだまだやれることがたくさんあると希望を感じます。

また、森と離れて暮らすようになったのは、人類の歴史から考えるとほんの僅かな時間だと思うんです。その一方で、近年ではキャンプブームや自然セラピーが流行っている。やはり、人間が遺伝子レベルで森を欲していて、現代社会でも木の需要があるんだと思うんです。長期的に取り組んでいきたいと考えています。

ーこれからの内山さんのビジョンについて教えてください!

一つは、林業でやりきりたいということですね。数十年、それこそ人生をかけて取り組みたい課題です。そうした覚悟をもって、林業という業界にイノベーションを起こしたいです。

もう一方で、社会の歪みが起きているのは林業だけではないということも感じています。自らのテーマとして、社会により良いものを作り続けるということを掲げているので、業界問わずそのような動きをとっていければと思っています。

ー内山さん、お話ありがとうございました!

取材・執筆:中原瑞彩(Twitter
編集:杉山大樹(note/Facebook
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter