多くの人が熱狂する感動体験を。旅行を通じて実現させたい藤谷亮太の価値観とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第275回目となる今回のゲストは、Fun Group.inc(旧タビナカ社)の執行役員 VP of Marketingの藤谷亮太(ふじたにりょうた)さんです。

大学時代に「旅」と出会ったことで、人生や価値観が大きく変化した藤谷さん。旅を通して築いた価値観や趣味だった旅行が天職に変わるまでの過程、旅行を通じて実現させたい想いについて伺いました。

 

旅で熱狂するほどの感動体験をつくる仕事

ーまず最初に、自己紹介をお願いします。

Fun Group.inc(旧タビナカ社)VP of Marketingとしてマーケティングを主に統括しています。Fun Groupは感動体験の創造を通して、参加者の人生がより豊かになることを目指しています。海外/国内の複数拠点にて現地子会社を運営し、観光アクティビティの企画・提供をしている体験創造カンパニーです。

学生時代から旅が好きで、自分が好きなものを享受するだけではなく、自分が一番価値を感じているものをより多くの人に提供したいと考え観光業界へ進みました。新卒から観光業の仕事一本です。自分自身の一番やりたいことを突き詰めていたら、現在の会社と出会って活動しています。

ー現在のお仕事は、どのようなきっかけで始められたのですか?

元々はOTAで、飛行機とホテルを組み合わせたパッケージツアーのマーケティングをしていました。旅行業界のなかでも自分が本当にやりたいことはなにかを考えたときに、実際に旅行中の過ごし方をどのようにして、旅行者の心をどのように豊かにできるのかにこだわりたいと思い、旅行中の体験に特化したサービスをしようと考え始めました。

自分で起業する選択肢も考え、視察も兼ねて海外に行っていました。そのときにFun Groupの代表と話し、そこで彼のビジョンに魅了され、即日入社を決めたのがきっかけです。考えていたビジョンの方向性が同じで、かつそのビジョンの大きさに惹かれました。自分でやるよりも入社して活動する方が、結果的に社会に与えられる影響が確実に大きく、早くできると思い働き始めたのが4年前です。

 

自他ともに認める、真面目で勉強が得意だった学生時代

ーここから幼少時代についてお伺いします。藤谷さんはどのような子どもでしたか?

幼少期から高校生にかけては、よくも悪くも自他ともに認める「真面目」でした。言われたことを真面目にこなすのが当たり前だと思っていました。部活も6年間バスケ部に所属し、中学高校のテスト勉強はしっかりして、常にテストは学年で1位。真面目さが取り柄で常に出された課題は確実に解き切るのが一番の特徴でした。でもそれは、人の目線をかなり気にして生きている裏返しの結果でもありました。

ー中学や高校に進学する際は、それぞれどういう意思決定をされたのですか?

幼稚園から大学まで神戸市内の国公立に進学しているので、いわゆる進学について一番決めてこなかった人かなと思っています。だからあまり自分のやりたいことがなにかを逆算せず、積み上げで一番正しいとされてきたなかから確実そうな範囲内で選びました。

ー部活も6年間所属されて、まさに文武両道だと思います。運動も好きな学生時代でしたか?

そうですね。だけど、勉強の方が好きでした。でも両親の方針は、「勉強より外に遊びに行きなさい、運動しなさい」でした。だから自分のなかで勉強は、しないといけない義務ではなくて権利。少なくとも当時、自分がいた環境のなかでは勉強する人がおらず、勝手に勉強し続けてこられたことは、今に通じる根幹になっていると思います。

ー資格もかなり取得されていたと聞きましたが、どのような資格を取られたのですか?

10代から20代前半までは、全力で資格取得に励んでいましたね。総合旅行業取扱管理者、簿記2級、FP、ITパスポート、旅行業で働く人としては珍しいものだと宅建など、幅広く取りました。
当時、自分より成果を出している人と自分の差分は、目に見えるスキルだと勘違いしていました。そこを資格で埋めていったことが背景にあると思います。また、知的好奇心が強くて、単に資格の勉強も好きでした。ただし取ることだけを目的にすると、人生単位で見たときの時間の使い方として投資対効果は高くはなかったと今だと思っています。

 

大学時代に「旅」と出会い、価値観の変化に影響

ー神戸大学に進学されたと伺いましたが、大学選びはどうでしたか?

大学選びも今までの進学や部活動を選んだ時と同じ思考です。経済学部に進みましたが、明確にしたい分野があるわけではなく、自分は何がしたいかわからないから一番選択肢が広げやすい学部に入ろうと決めました。今まで自分で何かを決める習慣がなかったので、大学生活の中でも大きな意志を持たずに、高校時代に思い描いていたような楽しい生活を過ごしていました。

そこから大きな起点となったのは旅に出たことです。旅が自分の価値観を変えてくれたと思っています。

ー旅が今後の人生のキーワードになったのですね。旅をしようと思ったきっかけを教えてください。

日本一周しようと思ったきっかけは、大学一年のときに神戸から名古屋まで、原付バイクで行った旅行です。途中で道に迷い、辛くて諦めようとしましたが、最終的にはなんとか名古屋に到着しました。神戸から名古屋へ行くだけのなんでもないことなのに、人生で今まで感じたことがない達成感がありました。名古屋まででこんな感情になれるんだったら、次は日本一周しようと決めました。思いがけない達成感と喜びから、次へのステップにつながりました。

ー日本一周は、どのくらいの時間をかけて何をされていたのですか?

大学二年生の春休みだったので、2ヶ月間ですね。「人の温かさだけでしか進むことができない」というテーマを決め、お金を一円も持たずに日本一周の旅に出発しました。基本的に泊まる場所も食事も、その日出会った方に提供していただきました。移動はヒッチハイクをしつつも、基本は電車で移動したかったので、電車代を集めるために独自で企画した宝くじを売りながら旅を続けました。

ー独自企画の宝くじが気になります。具体的にどのようなものか教えてください。

自分で作った「日本一周宝くじ」のチケットです。それぞれのチケットに番号があり、事前に決めた景品を用意しておき、日本一周の旅が終わったら僕のブログで当選番号を発表する形式です。ブログで旅の情報発信をしていたので、出会った人に見続けてもらえるために、宝くじの結果発表を取り入れたのもあります。

ーおもしろいですね。日本一周をするときに周りの方の反応はどうでしたか?

家族も友人も全員大反対でした。今まで僕は周りの目を気にしながら、一般的に正解だと思われることを選び取ってきた人だから、日本一周はハードルが高かったです。でも、自分がやると決めたことをやり抜くのは自分の気質でもあります。初めて周りに大反対されたことなのでハードルは高かったものの、それよりも大切な自分でやると決めたからにはやり抜く方の軸を優先できたと思っています。

ーすばらしいです。実際に日本一周できましたか?

無事、日本一周できました。想像していた以上に、出会った人たちがとても優しかったです。

ー印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

長野県の小さな駅の前で、側から見たら不良のような人たちが話しかけてきたんです。大きなバックパックを背負っていたからでしょうね。僕も最初は怖いなと思っていたけど、話してみるとピュアでとてもいい人たちでした。彼らと意気投合して、ご飯も宿泊も至れり尽くせりでしたね。その後も連絡を取り合っています。

当たり前のことだけど、自分がいかに見た目で判断したり、人に色眼鏡やフィルターをかけて見ていたかを痛感しました。自分自身で勝手に世界に対する選択肢を狭めていたと痛感した出来事でした。

ーこの旅ならではの出会いですよね。日本一周から帰ってきて、どのようなことをされたのですか?

日本一周をブログで発信していたら、あたたかいコメントやブログを見てくださる人数も増えました。自分の成果を手に取れるものとして残したかったのと、多くの人に伝えたかったので、旅から帰ってきた3ヶ月後に日本一周の話を物語化した本を自費出版しました。

ーその動力源やモチベーションになったのはどういうところですか?

日本一周する前だと、このような行動はできなかったと思います。でも無一文で日本一周したことが、自分の軸や価値観を変えてくれました。周りから「意義もないし無駄だ」と言われたけど、やり遂げたら周りの目線が肯定的に変わったんですよね。結局みんな自分の好き勝手を言ってるだけなのかと感じました。
初めて一般的によしとされるものではない方を選んで、周りからも喜んでもらえることがわかった。しかも今までで一番喜ばれて、反応の量も大きかった。自分の好きに従って生きていいんだと思えた日本一周でした。

本を出すときも否定的な意見はあったけど、その時は一切悩みもなく、日本一周のようなハードルの高さはなかったです。

ー自費出版したときはどのような気持ちでしたか?

本を自費出版して売る体験は、新しく自分の価値観に大きな変化を与えたと思います。日本一周の旅を通して、周りの期待に応える軸ではなく、自分の好きに従う軸ができました。だから次は他者との関わり方を、自分にとって一番の価値はなにかを自費出版を通して感じられたらいいなと。

本の販売も、相手の顔が見えるように直接手売りしながら旅をしました。読者から感想をいただいたときや、「私もこういうふうに変わった」という声を聞いて、自分が影響を与えられたんだと実感できて嬉しかったです。

一冊一冊そういった声があるから、本を出版したあとは幸福度が大きかったです。自分の好きに従って生きることや、自分が旅して楽しむだけではなくて、周りの人や他者に対してどのような影響を与えられたかのほうが、自分の幸せが大きいことを体感できました。その実体験が、旅行を趣味で終わらせるのではなくて、仕事にしようと決めた一番の根本的な理由です。

ーそこから日本一周にとどまらず、さらに旅を続けたのですか?

そうですね。日本一周のあとは、自費出版の収益で世界一周に行きました。世界一周は好きなことを具現化したものをやりたくて、大好きなきゃりーぱみゅぱみゅに想いを届ける旅にしました。きゃりーぱみゅぱみゅの衣装を着て、各地の世界遺産の前で踊った動画を配信しながら世界を周りました。アフリカでマサイ族の方達と一緒に、きゃりーダンスを踊れて楽しかったです。

当時、周りの目線が大きく変わったことを実感しました。無一文での日本一周や自費出版を経てから、世界一周の時は反対する人がいなかったことが印象的です。前に反対していた人もいつの間にか肯定側に変化していたことが大きな気づきでした。

価値観の形成でいうと、自分に対する影響も日本一周のほうが大きかったですね。世界一周も影響力がなかったわけではないですが、新しい価値観の形成では日本一周が根幹になっていると思います。そのうえで、世界一周は人生のよい思い出です。だから今も自分の強い原動力、エネルギーのひとつになっています。

 

旅行を通して、多くの人に伝えたい価値を届ける世界へ

ー就職活動では、どのように意思決定されたのですか?

当初は、ファイナンシャルプランナー(以下、FP)になろうと思っていました。目の前の人の人生により寄う仕事として、別名ライフプランナーともいわれる仕事がいいのではないかと考えていたからです。資格を取り、実際にFPのプロの下で活動しており、まずは大手の金融業界で働いて、その後独立するキャリアプランを考えていました。

でも、二つの体験から考えは大きく変わりました。

一つが自費出版の体験です。好きの延長で自分の幸福度が一番高まるときは、人に対しても同じ楽しさや新しいきっかけを与えられたときだと気づけたこと。

もう一つが、IT系旅行会社でのインターン経験です。初めてITと出会って考え方が変わりました。自分が影響を与えられる範囲は決まっているという理由でオフラインでの活動を軸に考えてたけど、ITは自分が一生会うことがない人でも影響を与えたり幸福にしたりできる可能性の大きさを感じ、その当時はかなり衝撃を受けました。

自費出版とインターンの経験から、旅行を通してITで多くの人に自分が伝えたい価値を届けることを軸にして、ITに特化した旅行会社に入社することにしました。

ー社会人になってからはどうでしたか?想定していたものとギャップはありましたか?

ギャップというより、自分の解像度が低すぎたと感じる部分はありました。入社当初はWebマーケティングのスキルを積み上げていくことに必死でした。その後、どのような価値を提供したいか考える余裕ができたときに、ようやく解像度をあげて考えました。

そこで行き着いたのが、業界単位で絞るのではなく、自分が”誰のどんな問題”を解決したいのかを考えたときに、「旅行中に過ごす時間をさらに豊かにする体験づくり」をしようということです。決意してからは、新卒で入った会社を3年ほどで辞めて半年ほど海外に行くことにしました。

海外生活は主にセブ島で、日本からもWebマーケティングの仕事を受託しながら、現地で日本人旅行客にどういうニーズがあるかを探っていましたね。そしてセブ島でFun Groupの代表と話したことで、現在の会社にジョインしました。

 

旅行体験をつくりながら、熱狂しやすい文化をつくるために

ー現在の会社に転職されて、そこでの体験や感じたことについて教えてください。

志を共にする優秀なメンバーと歩めたおかげで、事業は連続的な成長をうむことができたと思います。

そこで個人的に新たにぶつかった壁として、自分が幼い頃から得意としていた再現性で攻める連続的成長の頭打ちを初めて実感しました。僕たちの会社や僕自身が目指そうとしている志から逆算すると、非連続な成長を生み出していかないといけないときに、自分の気質ゆえにクリエイティブ性や非連続的思考は欠如しているという壁にあたりました。

今のやり方の再現やロジックの延長上だけでは、本当に僕がつくりたいものはつくりきれないと感じて、仕事の仕方以前にもっと自分の根本にある心の在り方から変えないといけないと体感しました。

ー悩みながらも、会社の中ではどういった動き方をされましたか?

元々の習慣として持つ「効率性」と、自分がなりたい像の願望として持つ「非連続性をうむクリエイティビティ」の二面の矛盾に悩んでいました。そこで僕が明確に決めたのは、後者の方を伸ばすために明確にルールを設けることにして、自分の得意なやり方で苦手なものも身につけていこうと思いました。得意なルールを決めてそれを実行することはできるので、さらに自分の感性を養うために、必ず毎月十万円以上は趣味に使うという「趣味ルール」を決めて、意図的に新しい体験に触れ始めました。

ただ、趣味が多い人間ではなかったので、当初は毎月十万円以上を趣味に使うことにストレスを感じていました。でも半年ほど経ったときから趣味が増えていきましたね。

その理由は、独学よりもその物事に熱狂している人に教えてもらうと熱中できることを体験として感じたからです。例えば、アートを観たり自分なりに描いたりすることに価値を感じられるようになったのは、自分自身の人生の幸福度が上がりました。結果的に趣味やアートの体験が、自分なりに仕事で使える思考の幅が変えられたと感じています。

ーあえて自分が持っていない強みを伸ばすために動かれたんですね。

そうですね。基本的には自分の強みを伸ばす方がいいと思っていますが、僕自身が本当にしたいことから逆算すると、やはりその部分は不可欠だと思いました。特に20代は諦める必要はないと思うので、無理矢理にでも引き出しましたね。

実際にアートや新しい体験に触れ始めてからの方が、新規での立ち上げで任されることが増えました。今までは1を10に上げることを得意としていたけど、今はさらに抽象度が高くなる新しいプロジェクトや仕組み、概念といった0から1の部分に触れることが増えたと思います。趣味ルールを実行すると決めてから、職責の部分では執行役員に就任し、結果的に任せてもらえる幅も広がっていますね。

ー現在は個人でYouTubeを開設しているとお聞きしましたが、なぜ始められたのですか?

これも今の自分が実現したいビジョンに通ずるものです。僕のビジョンは「多くの人が熱狂するほどの感動体験をつくり提供すること」で、これは生涯を通してやり遂げたいことです。旅行業界に進もうと決めたときから変わらない軸です。

このビジョンのためには、より多くの人が熱狂し感動できるかが大事です。正直、受け手の心がどういう状態で、つまりどういう社会環境であるかも関係すると思います。もっと多くの人が熱狂しやすい文化や空気感を作りたくて、そのひとつの手段として個人でもYouTubeを始めました。

YouTubeでは、なにかに熱狂している人を毎回ゲストに呼んで紹介します。これは趣味ルールの体験を通して感じた原体験を、より多くの人に届けるためですね。また同時に、僕が一番熱狂している旅行の動画も載せていっています。

ー最後に、今後どのようなことにチャレンジしていきたいか教えてください。

自分のビジョンに沿ったことを、今ようやくできていると思います。Fun Groupで感動体験をつくり、個人でもYouTubeで「熱狂」をテーマにして、自分の好きなことや熱狂者を紹介する雰囲気づくりをすることです。新しくなにかをするというよりは、今まで振り返ってきた背景を経て、ようやく自分自身が本当にしたいことを今できていると感じています。だから、今おこなっている軸で、さらに影響力を大きくしていきたいです。

取材:高尾 有沙(Facebook/Twitter/note
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:五十嵐有沙(Twitter