やりたいことを磨き続ける 古元 遥奈が考える「これからの働き方」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第268回目となる今回のゲストは、パーソルプロセス&テクノロジー株式会社の社員であり、週末デザイナーの古元 遥奈さんです。

女性のキャリア意識について考えたことがきっかけで、大学時代に学生団体を立ち上げた古元さん。そんな古元さんに、自身のこれまでの人生とこれからの働き方や副業についての考えをお聞きしました。

今やりたいことにこだわった学生生活

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

パーソルプロセス&テクノロジー株式会社の古元と申します。会社では、業務改善のコンサルタントとして働いています。具体的には、業務プロセスの可視化やクライアント先で発生しているプロジェクトのPMO(Project Management Office) としてプロジェクトを円滑に回すようなポジションをしています。

また、本業の側で、デザインの仕事や教育事業のベンチャー企業で授業制作のお手伝いをしたり、就活生のリクルーターのような仕事もやっています。

ー古元さんの肩書きである「つまみぐいキャリア」について詳しく教えてください。

「自分がこんな人です」と伝えたい時に自分が何者か求められる風潮があると思いますが、やってみないと分からないという気持ちが強く、いろんなことをやっていく中で自分にフィットしているものを見つけている段階なので、「つまみぐいキャリア」と名付けています。

ー幼少期の出来事で印象に残っていることを教えてください。

9歳のときに、癲癇(てんかん)という脳に発作が起きてしまう病気を発症し、学校の授業中に突然倒れてしまう出来事がありました。それによって、薬を服用したり、自律神経の乱れによる体調が落ち着かない状態が続き、日常生活の中で苦労する場面がありました。

薬を飲んだり規則正しい生活を送っていれば基本的には大丈夫だと主治医の先生から言われていましたが、中学生まで発作がひどく、精神的には苦しい状態でした。

中学から部活も始まりましたが、体調が悪くなって途中で帰らせてもらったり、自律神経の乱れによる起立性低血圧を発症し、保健室登校をしていた時期もあったので、不安定な思春期を送っていたと思います。

ー高校は受験をされましたか。

中学の頃、癲癇を発症していましたが、学校を欠席した日も家にいて勉強をしていたため、授業の参加率は悪いながらもテストの点数はとれていたので、第一志望の公立高校に合格できました。

ー高校時代はモチベーションが高まったのでしょうか。

高校時代のポイントとして2つあります。癲癇の発作が落ち着いたことが1つ目のポイントです。高校に入ってから1度発作を起こしたものの、その1度だけだったので、体調も安定していました。

もう1つが真面目キャラからの脱却です。中学の時はテストの点数がとれていたので、周囲からは真面目なキャラとみられていましたが、自分自身は真面目だと思っていなかったので、中身を見てもらえていない寂しさを感じていました。

しかし、高校では同じような偏差値の人が集まり、自分が真面目だと捉えられなくなったことで、内面をきちんと見てくれているという感覚を持てたのが大きく、自分らしく振る舞えるようになったのでやりたいことに注力できるようになりました。

ーどんな高校生活を送っていましたか。

部活に一番力を注いでいて、男子バレーボール部のマネージャーをしていました。中学の時はハンドボール部に所属していましたが、癲癇の影響で体調を崩して練習を休んだり、レギュラーメンバーながらも大会前に体調崩したことでチームに迷惑をかけることが多くありました。

私はチームスポーツが好きではあるものの、自分がプレイヤーでやる自信がなかったので、マネージャーという選択肢を考えていました。そんなとき、仮入部で男子バレー部の練習風景を見て、「このチームのメンバーに入りたい」と思い、男子バレー部に入りました。

練習中のボール渡しやボール拾い、ドリンク作り、さらにはお金の管理や体育館の場所取りなどをやっていました。マネージャーだからとチヤホヤされる環境下ではなく、部員同様に厳しい雰囲気だったので、マネージャーとプレイヤーの枠を超えて、部員として切磋琢磨しながら頑張っていました。

ー高校は部活一色だったのでしょうか。

高校が行事に力を入れていたので、体育祭で5mくらいのマスコットを作ったりしていました。高校3年生になると、進学校ということで周りが受験モードになっていましたが、高校最後の文化祭や体育祭をなしにして受験勉強をすることが耐えられませんでした。

そのため、クラスの出し物でやることが決まっていた映画撮影の内容決めやキャスティング、撮影などに高校最後の夏休みを注ぎました。大学受験は失敗に終わりますが、高校生活3年間はかけがえのない時間だったので、今思えば良かったと思います。

つながりが増えたことで幅が広がる

ー大学生活はどんなことをしていましたか。

大学生活は、学年によって異なることをやっていました。入学当初は、学歴のコンプレックスから何かしなければと思いつつ、やりたいことをやってみたかったので、ダンスサークルに所属しジャズダンスをしていました。

紅白歌合戦でバックダンサーをした経験のある先生がいたので、サークルでありながらも部活のように週3~4回のペースで練習があったので、基本的にはダンスかアルバイトか学校のレポートという生活を送っていました。

大学生活このままでいいのかと次第に思い始め、大学祭でダンスの発表をしたのちにサークルを辞めて、学生団体などの学校外で活動するようになりました。

2年生のときにネパールの教育支援を行っている学生団体に入りました。そこでは、国内でチャリティフットサル大会を企画し、集まったお金をもとに現地を訪問し、小学校で手洗いの授業や理科の実験、図工や音楽など現地で普段行われていない授業をしつつ、物資支援や代によっては図書館の建設も行っていました。

学生団体に入って半年後に副代表となったことで、他団体との関わりも増え、つながりが増えました。そして、つながりが生まれたことで、所属団体以外の人と一緒にイベントを企画・運営し始めました。それが2年生の終わりから3年生になるタイミングですかね。

その頃、就活やサマーインターンが始まり、サマーインターンで出会った子と一緒に、横のつながりを作るために19卒の交流会を定期的に開催していたので、一気に交流の幅が広がりました。

ーここまで順調な学生生活なのかと思うのですが、その後はいかがでしたか。

19卒の交流会をする中で、「将来こうしたい」と語ったり、キャリアの相談をしあえる同期が男性しかおらず、周りにキャリアについて話ができる女友達がいないことにモヤモヤやジェンダーギャップを感じていました。

そこで、同じようにモヤモヤを抱えている人がいるのではないかと思い、「女子プロジェクトLIKE」という団体をわたしの思いに共感してくれたメンバーと作りました。

実際に、高校生〜社会人までの女性を集め、将来のキャリアや幸せ・結婚について語る場を作ったり、キャリアのロールモデルとなる方をゲストに迎えたパネルディスカッション形式のトークイベントを企画したり、さらにはリピーターの参加者とコミュニティを形成していたので、彼女たちの「やりたいこと」をイベントにしていました。

女性が働きやすい社会を整えるために

ーキャリア相談できる仲間と出会い始めたタイミングで就職を迎えると思いますが、どんな軸で就職活動をされていましたか。

就活をする中で、ジェンダーギャップを感じていたことは大きかったです。さらに、学生団体で活動しているときに20代の方とお話しすると、社会人の大変さや社会人が大学生ほど楽しくないという話を聞く機会が多く、働くことを前向きに捉えていない人が多いなと思いました。24時間の中で働く時間は3分の1を占めるからこそ、人生の大半を占める働く時間が充実していれば、他の時間もより良く過ごせるのではと感じていました。

また、ジェンダーギャップを抱えていたので、もっと女性が働きやすい社会にしていきたい、もっと女性が働きたいと思わせる環境になればと思い、働くことに向き合う人材業界に目を向けていました。

人材業界は幅広いのですが、その中でやりたいことは働く環境を整えたり、組織づくりをしたいなと思った時、働きやすい場づくりに注力したいと考え、業務系のコンサルタントや組織改善の領域に興味を持ち、この会社に入りました。

ー実際に働き始めてみて、いかがですか。

働きやすい環境や組織文化づくりに直接的に寄与できていませんが、業務を可視化して、部署で働く人の工数を削減するところを行なっています。ただ、組織づくりは今後やってみたいという気持ちがあります。

「やりたいことと違う」という気持ちは持ちながらも、「今の仕事がイヤ」という気持ちでなく働けているのは、働き方が影響しています。

働き方改革をやっていこうと発信している会社で働いていることもあり、自社もリモートワークやテレワーク・副業解禁など働き方を追求しているので、本業以外でやりたいことをやりながらも本業と両立させてできる環境は自分にとっては強いです。

ー23歳の今は、充実した生活を送っているんですね。

コロナ禍で自分の将来のキャリアを考える機会は多かったのですが、今の会社で本業をやりながら、自分で自由に使える時間をうまく使って他にやりたいことに注力するスタイルが最もあっているなと感じているので、今は副業としてやりたいと思っていたことをやってみようというマインドでいます。

ーいろんな副業をされている中で、それぞれにフォーカスしたきっかけを教えてください。

活き活きと働く人を増やしたい思いでパーソルに入社した際、まずは自分が体現したいという気持ちがありました。そのため、もともと興味があったデザインを学びはじめました。デザインは「好きを仕事にした」という感覚が強いですね。

また、活き活きと働く人を増やすためのアプローチとして、組織と個人があると思いますが、本業で組織の業務改善や環境要因の解決を行っているため、副業では個人アプローチでやりたいと考えました。

そこで、コーチングのスキルを習得したり、就活生向けのリクルーターの仕事をするなど、キャリアを形成する上でやりたいことを模索している人に対して、納得感を持てる意思決定ができるようにお手伝いしています。

個人アプローチについては、マインド面と同時にスキル面が大事になるので、教育事業にも手を出しています。

働きづらいと感じる人々が働きやすい組織づくりを

ー副業が当たり前になりつつありますが、副業に関してどう思われていますか。

私は、直属の上司に自分が副業でやっていることを話すようにしています。ただ、本業が第一優先なのは当たり前なので、本業のスケジューリングを優先しつつ、空いた時間で副業をするスタンスは曲げないようにしています。

ただ、本業で長時間の残業があるわけではなく、平日の夜は時間が空きやすいため、その時間を副業に当てている感覚です。本業に支障がない範囲で副業をするというのが1つあると思います。

本業での仕事量に加え、副業の仕事がある感覚なので、副業をやっていない状態よりは本業以外の場で学びを得る機会はいっぱいあると思います。副業で学んだことがため、本業でも活かせると考えているので、本業・副業関係なく個のスキルをアップさせるための場として、副業することはいいなと捉えています。

ーこれから働き方はどうなっていくと考えていますか。

大学生の時に女性の学生団体をやっていたこともあり、育児をしながら働いているママさんにフォーカスをおいて考えることがありますが、それに限らず障がい者や外国籍の方といった働きづらいと思われている属性の方々が働きやすいようなダイバーシティをテーマとした組織づくりが重要になると思います。

結婚・子育てを経験してからもキャリアを継続していきたいと私自身が考えているので、そういう状況下でも働きやすいことは自分本意ではありますが重要と考えています。

ー最後に、古元さんの今後のビジョンを教えてください。

今、何を自分がやりたいのかを大切にしたいなと思っています。その時にいる環境によって興味が変わるので、そのタイミングでやりたいことや気持ちを大事にしながらいろんなことに挑戦したいです。

ー古元さんの今後のご活躍を応援しています!

取材者:増田 稜(Twitter
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter