人生の転機と選択で高卒工場作業員がベンチャーで新事業を立ち上げ!ハッシャダイー三浦宗一郎さん

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第245回目となる今回は、一般社団法人ハッシャダイソーシャル理事の三浦宗一郎さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

高卒で工場作業員だった三浦さんが、なぜベンチャーで新事業の立ち上げに至ったのでしょうか。三浦さんが経験した人生の「転機」そして「選択」について詳しくお伺いしました。

「男の1番のファッションは生き方」恩師からの言葉で人生の価値観が変わる

ーはじめに、自己紹介をお願いします。

一般社団法人ハッシャダイソーシャルで理事を勤めており、経済的に厳しい境遇の子供達に教育機会を届ける仕事をしています。

今までの経歴は、新卒でトヨタ自動車に入社し、3年で退社しました。その後海外で半年間の旅をした後に、「ヤンキーインターン」の事業を行うハッシャダイに入社しました。

ー中学校時代、トヨタ工業学園に入った経緯をお伺いできますか?

トヨタ工業学園は入学時からトヨタの社員として入社して働くので、親に負担をかけずに夢を叶えられると思ったからです。

思えば、幼少期から多くの魅力的な大人との出会いがあり、サッカーのコーチや学校の先生などの「人」から、大きな影響を受けました。昔から母親から「人との出会いを大事にしなさい」「外の人から学んできなさい」と教わっており、人との出会いや関わりを大事にしてきました。人との関わりを大事にするうちに学校の先生になりたいと思うようになりました。

ただ、当時の家庭は経済的に厳しい状況でした。先生になるには大学に行かないといけないのに、塾にいくお金もなくて……。どうしようと思っていた時に出会ったのがトヨタ工業学園でした。

トヨタ工業学園に進学することができれば、頑張れば自分のお金で大学も行ける可能性があり、そのままトヨタ工業学園の先生になる選択肢もある。いつか人の人生に関わる仕事につくためにトヨタ工業学園に入りました。

ートヨタ工業学園で印象に残ってることはありますか?

いじめを受けた時期があって、高校1年生のときはかなり沈んでいました。

寮生活だったので、村八分にされてる感じでした。特にランチの時間が1番辛かったですね。

ーその状況をどのように乗り超えましたか?

サッカー部の顧問だった杉浦先生に相談することで乗り越えられました。その杉浦先生は、有名バンドと対バンするくらい、音楽業界では有名な人なのになぜかサッカー部の顧問だったんですよ(笑)

当時、時間が空いたときは逃げるように実家に帰っていたのですが、両親にはいじめのことを話せませんでした。

でも杉浦さんには全部ばれていて、「最近どうなんだ?」と聞かれて「最近しんどいですね」と学校生活が辛いと話していました。

当時の僕はどうやったら仲間と仲良くなれるか、できるだけ関わらないようにしよう、仲間が変わってほしいなど、自分の外側に対してのアプローチをしてました。しかし、杉浦さんに「自分の内側に向き合え。問いを自分に投げろ」と言われ、そこからたくさん勉強をして自分を変えていきました。

ーその時、自分にどんな問いをしましたか?

「かっこいい生き方」を考え続けました。

杉浦さん「お前の今の生き方はどうなんだ」どんなに外側でカッコつけたって、男の1番のファッションは生き方だぞ」と言われたのが1番印象に残ってます。

かっこいいものを身につけるものではなく、「かっこいい人が身につけてるものがかっこいいんだ」と思うようになり、自分の中の価値観が形成されていきました。

「どうせやるなら楽しんだ方がいい」自分の人生楽しいものにしようと決意した瞬間

ー働いてみての学びや働く前とのギャップはありましたか?

トヨタ自動車に入社するのは自分にとって楽しみな未来でした。僕が配属されたのは、組立工場でした。仕事の内容はライン作業でした。最初は覚えるのに必死で、楽しかったのですが、慣れてくると、朝起きて会社のバスに乗って工場に行き、1日仕事をしてまたバスに揺られて帰ってくる、という毎日が自分にとってはとても辛かったことを覚えています。

いわゆる「サザエさんシンドローム」みたいな、明日会社に行くことがしんどくなることがあると思うのですが、それくらい精神的にも肉体的にも辛い毎日でした。

ー難しいと思ったところ、合わないと感じたところはどこですか?

今思うと、そもそも仕事が自分に合ってなかったと思います。毎日同じ作業を同じようにやる、という仕事が自分の特性に合っていなかったですね。

もう1つが人間関係でした。当時、僕はみんなのことを暗いと感じていて、その職場に行くのがしんどかったです。

ーそんなお仕事の中で影響を受けた人物のエピソードをお伺いできますか?

お金を貯めるために3ヶ月間だけトヨタ自動車で働いていた、門口さんの言葉で価値観が大きく変わりました。門口さんは元々、沖縄の公務員をやりながら野球の指導をしていて、その時は公務員をやめて居酒屋の経営をする夢を追っているという当時の自分からすると、不思議な方で。

僕と同じような仕事をしている門口さんですが、職場に来た瞬間から「そのテンションあってる?」と思うくらいの明るい挨拶をするんです。にこにこ笑ったり鼻歌歌いながら仕事をしている門口さんを見て、「楽しそうなのはどこからきてるの?」と好奇心が溢れてしまい、門口さんをご飯に誘いました。

この仕事は楽しいのか尋ねると、門口さんに「楽しいかどうかわからないけど、どうせやるなら楽しんだ方がいい」と言われて衝撃を受けました。

当時の僕は「仕事が楽しくないから自分の人生も楽しくない」と思っていたのですが、「目の前のことをいかに楽しむかで人生が決まる」という門口さんの言葉で価値観が大きく変わりました。

門口さんとの出会いをきっかけに、ライン作業から何を得られるか、ライン作業をどう楽しむかを考えられるようになり、自分自身の感情の動きに対してどう抑えるか、作業の中で自分の精神性を深めるような気持ちで過ごした3年間でした。

「意地でも自分の人生楽しいものにしてやろう」というマインドセットからすべて変わっていきましたね。

お金の使い道は「旅」と「友達」と「本」

ー退職の背景を教えてください。

門口さんとの出会いをきっかけに、人生を自分の力で楽しくしていこうと思って始めたのが「旅」でした。お金を貯めて旅に出てたのです。

その時にお金の使い道を決めていて、「旅」と「友達」と「本」にしか使わないと決めてました。お金の稼ぎ方はこの瞬間には変えられないけど、お金の使い方は今この瞬間に変えられると思ったんですよね。

そこで「物は一生残らないけど、ストーリーは一生残る」、そう思って旅にお金を使おうと決心しました。旅をすることでいろんな視点からの自分を手に入れることができました。

僕自身、3年間でトヨタ自動車をやめるか続けるかの答えを出すと決めていたんです。答えを出すためにやることを2つ決めていて。「辞める時に引き止められるような自分になること」と「やめられる自分になっていること」でした。そのための自己投資として、お金は「旅」「友達」「本」に使おうと決めていました。

いよいよ残り1年となった時に、あと1年で答えを出すのが難しいと感じたんです。そこで1ヶ月くらい仕事を離れる体験ができないかと考えました。

ただ、若い社員で1ヶ月間休みをいただきたいとは言えず、悩んでいたところでたまたま知ったのが「世界青年の船」でした。

世界青年の船は世界各国から集まったメンバーと船で共同生活をするのですが、船で得た1番の気付きは「世界の深さ」でした。景色や場所だけでなく、人と深く関わることで考え方や宗教、精神性などを知り、世界が3Dで見えるようになったんです。もっと人から世界を学びたいと思い、悩んだ末に、トヨタ自動車の退職を決めました。

ー日本に帰ってきた後の心境の変化はありましたか?

船の旅は夢だと思うくらい、一気に日常に戻される感覚がとても怖かったのを覚えてます。この経験を夢で終わらせてはいけないと思いましたね。

また、船に参加したナショナルリーダーの永崎裕麻さんに伺った「人生を変える言い訳」の話も印象的でした。一晩の飲み会で人生が変わったと言われても説得力がないけれど、「世界11か国から参加してきたこの船旅で人生を変えようと思った」という言い訳は周りにも自分にも通用する言い訳だ、と聞いて。「自分はこの船で人生が変わったと言える未来を絶対歩んでやろう」と決意しました。

そのため、帰国してからは執着するように日常に埋没していく自分と新しい一歩を踏み出す自分の葛藤をしてましたね。同期や両親には仕事を辞めると言っていたのですが、直属の上司だけにはなかなか言えなくて……。上司に言ったら本当に人生が動くから、怖くて言えなかったんだと思います。

ーどんな出会いや考え方の変化で退職後に踏み出すことができたのですか?

正直、退職後は「旅をする」ということしか決めていなくて。転職先も、次の仕事も決めていませんでした。世界の深さを学ぶ旅はどこでできるのか考えたときに、「カミーノ・デ・サンティアゴ」という800kmスペインを巡礼する旅を経験した方に出会い、スペイン行こうと思いました。

自分の人生は自分の力によって変えていくことができる

ー最後の転機、ハッシャダイとの出会いやどんなところに惹かれて入社を決めたのかを、教えていただけますか?

少し話は戻りますが、トヨタ自動車にいる間にDMM.comの亀山会長に会いに行ったことがあるんです。会食に同席させていただき、ハッシャダイの代表の久世さんと出会いました。

ハッシャダイは僕のやりたいと思っていたことがすべてできそうだと思いましたね。

でもその時はハッシャダイに入社しようとは思っていませんでした。

船に乗って、スペインを歩き、自分の意思を突き詰めていった時に「やっぱり人の人生に関わる仕事がしたい」と思い、22歳でハッシャダイへの入社を決めました。

ハッシャダイへの入社の時に夢が叶ったと言われることもありますが、僕は中学生の時に自分のやりたいことを発見し、自分自身が後輩の相談を聞いたり、周りの人を元気付けた時にすでに自分の夢は叶っていたんです。

今もずっと、自分は夢のど真ん中にいる感覚がありますね。

  ーハッシャダイで携わってきたことと、いま三浦さんが取り組んでることを教えください

入社1年目はヤンキーインターンという最終学歴が中卒・高卒の方のための長期研修型キャリア支援事業で、「ヤンキーハッカー」というエンジニアを育成するプログラムに携わり、200人くらいの参加者に関わらせていただきました。

仕事をする中で愛知の高校から公演依頼をいただき、あることに気づくようになって。

ヤンキーインターンは「若者の選択格差を是正する」というするサービスなのですが、実際に現場に行ってみると、そもそも自分を肯定する力が弱かったり、チャレンジできないマインドの若者達がたくさんいることを知りました。

選択肢を作ることはもちろん大事ですが、「選択する力を作る教育」や「土台を作る教育」が大事だと思い、高校生向けの活動をし始めました。

僕たちがメインに関わってる高校生は、遅刻が多かったり校則違反もするような子なんですが、そうなった経緯は彼らのせいではなく家庭の事情であることがすごく多いんです。

彼らの働くことへのマインドセットや、自分の人生は自分の力によって変えていくことができるという事実を伝えいくような仕事をしています。

ー短い時間で濃いお話をありがとうございました。三浦さんの今後のご活躍を楽しみにしています!

高校生向けの活動をする三浦さんには、この記事には書き切れないお話もたくさんあります。もっと知りたい方はぜひ三浦さんのnoteをご覧ください!

三浦さんnoteはこちら

執筆:ゆず(Twitter
インタビュー:山崎貴大(Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter