「すべての子ども達がワクワクを探求出来る世界を創る」猪村真由さんの夢の叶え方

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第210回のゲストとして、現役看護学生・猪村真由さんをお呼びしました。

「すべての子ども達がワクワクを探求出来る世界」その実現のために、現役の看護学生でありながらビジネスの場に積極的に飛び込み、その実現に向けて努力を惜しまない猪村さん。彼女が幼い頃より一貫して思い描いてきたのは「何かきっかけとなる場を提供したい」というものでした。その想いは、様々な出来事によりブラッシュアップされて今に繋がっています。今回は、猪村さんの幼少期から遡ってお話をお伺いしていきます。

私は私のやりたいことに真っ直ぐ進む!猪村さんが描くビジョンとは

ー現役の看護学生さんということなのですが、今猪村さんが取り組まれていることを教えてください。

現在は、慶應義塾大学看護医療学部に在籍しています。また、私は「長期療養中の子どもたちがワクワクを探求できる機会を増やしたい」と思っており、その実現の一歩として慶應ビジネスコンテストに応募しました。現在は日経ソーシャルビジネスコンテストにもファイナリストとしても参加中です。他にも、病気で入院中の子供にそういった機会を作るNPO団体に去年の夏からインターン生として活動しています。

ー自分のやりたいことを明確にもち、その実現に向けてステップを踏んでいる姿がとても素敵です。ちなみにそれをやりたいと思ったきっかけはなにかあったのでしょうか。

小学校の時に友人に小児癌を患っていた子がいて、「病気でかわいそうだから助けてあげる」という気持ちで周りが彼女に接しているのにものすごく違和感を感じたんですよね。別に病気や障害があっても輝いている人はいるし、闘病中でも楽しいこと、熱中することはあるじゃないですか。だから自分は、そういった病気の人の強みを一緒に引き出す立場でいたい、と幼いながらに思ったという体験が全てのきっかけになっています。

また大学生になって、NPOや文部科学省でのインターンを通して、自分がコアに子供たちに関わる何かがしたいという気持ちはより一層大きくなっていきましたね。

他にも、NPOの活動を通じて病気をもつ子どもたちと関わる中でエネルギーを内に秘めている子がとても多いと感じたんです。それと同時に、そこに自分が何か働きかけることでそのエネルギーが動くことをも感じて、何かそういう機会を用意できればと思ったのも非常に大きなきっかけとなりました。

でも、大学入学当初は具体的に何をしていくみたいなのも明確になくて悩んだ時期もありました。ただその小学生の時の体験から、医療や看護を自分の人生の軸にしたいということ自分の中で決まっていたんです。

「負けず嫌い!」「やりたいことはやる!」今の自分を作った幼少期体験

ー先ほどのお話で小学校の時のお話も出てきましたが、ここからはさらに過去に遡ってお話を伺っていきたいのですが、まず幼少期はどのようなお子様だったんですか?

小さい頃から「負けず嫌い」で、これはずっと変わらない私の性格ですね(笑)それを象徴するエピソードがあって、4才の運動会で走りながら「負けるもんか〜!」と言っていたそうなんですよ…4才ですよ?(笑)

一方で、私は一人っ子なので、一人っ子特有のおっとりした面もあって表立った競争は実は苦手な一面もありましたね。でも、先ほどの運動会みたいな場やピアノのオーディションとかになると途端に火がついてしまうんです(笑)

ー運動会のエピソード想像するととてもかわいいです(笑)小学生の時は何か印象に残るエピソードなどはありますか?

小学生になると、生徒会長の役割をになったり表立って活動することが多くなりました。この経験も結構原点になっていて、生徒会長って在籍生徒のために活動を行っていくと思うんです。「みんながより良い環境で過ごすことができる場の提供」が活動の目的で、そこにやりがいを感じていたのも自分の今に繋がっていると思います。応援団長に立候補したこともあって、「女の子なのに団長やるの?」みたいな声がその時に周りであがったんです。それを耳にしたらまた負けず嫌いの心に火がついて、ものすごく燃えたのもよく覚えています(笑)

他にも、ピアノを習っていてそれにも熱中していて、小学校の行事でも伴奏を弾いたりしていました。特にこの「伴奏」という役割が個人的にはものすごく好きで、みんなを支えるじゃないですけどそういう関わり方というものにやりがいみたいなものを感じていました。やりたいと思ったものはとにかく全部やる!というのが小学校の時の私でしたね。

ーやりたいことにどんどん挑戦していく姿勢は小学生の時からだったんですね!負けず嫌いの精神も健在で(笑)中学進学時には中学受験も経験したということでしたがここはいかがでしたか?

中学受験を私に勧めてくれた母が「中学受験しておけば、熱中することができた時に、高校受験を理由にそれを中断しなくていいんだよ。」と言ってくれて、ものすごくそれが魅力的に思えたんです。ただ、女子高ではなく共学に行きたくていくつか受けたんですが、結果的に進学を決めたのは女子校でした(笑)最終的にそれを選んだのは自分で、その女子校だけ入学試験の雰囲気が違ったんです。

大体他の学校は結構ピリピリとした空気感だったのに対し、私が進学した学校だけ試験の前に先生が「では体操しましょう〜!」と言って、前で体操をし始めたんですよ(笑)なんかそれを見て素直にあったかい環境だな〜と思って、自分でそこにいくことを決めました。

ー小学生にして自分自身で考え進路選択をされたというのに驚きです!実際に入学してみてはどうでしたか?

入学すると学校には自分とは違ったり、心からすごいなと思える人が多くいました。小学校の時は自分が表舞台に立ってやりたいことをやる、という感じでしたがそういった人々を見て、他の人の想いを聞いてそれを応援する側に回る、という新しい自分の立場を発見することができたんです。

中高時代一番打ち込んだこととしては、音楽部ですね!私自身ずっとピアノとダンスをやっていて、とにかく歌って踊るのが大好きな少女だったので、この学校に進学したら必ず入部しようと思っていました。年に一度の文化祭では、約100名で作品を作るのですが、それが本当に感動的で…。そういった一体感を味わったり、身体で自分の感情を表現することがしたいというのも入部した理由でした。

ミュージカルを作り上げていく中では、もちろんオーディションがあるので100名が自分のやりたいものに手をあげてオーディションを勝ち抜いていくという結構壮絶なサバイバルがあったりもして。当時はもちろん大変だったのですが、今思い返すとそういったことを経験していくうちに勝ち取る粘り強さ、自分のやりたいことをやりぬく力みたいなのがものすごく養われたと思っています。本当に音楽が大好きだったので、大学進学時も音大に行くことを考えたくらいでした。

音楽少女が看護学部への進学。そこに共通していたのは「何かのきっかけを作る」ということ

ー音大への進学も考えたほど音楽に没頭していたということなのですが、そこからどういう風に看護学部への進学に向かって行ったのでしょうか?

進路選択には非常に頭を悩ませました。特に、音大の道も考えていたので分岐点では非常に難しい選択を強いられました。その時に、自分が大好きなミュージカルを通して見えてきたのが、自分の踊りや歌をみて誰かの心を動かすことで、その人のに何かのきっかけを与えたりや人生の転換点を作りたい、ということでした。

また、元々生物や人体などへの興味もあることから、「医療者」というキーワードが浮かんできて、「何かのきっかけを作る」という意味でも医療者はものすごく偉大な仕事…あ、これだ!となりました。

ただそこまでは考えられたのですが、医療系といっても幅広くどの分野に進むかという選択にまた時間を要しました。そこで最終的に見つけたのが、音楽と医療の掛け合わせだったんです!それまで考えもよらなかったのですが、音楽を使った医療の関わり方というのもあることを知り、どちらのエッセンスも使いながら、誰かのきっかけや転換点を作り上げたいと思うようになりました。

ーなるほど!自分の興味を軸にして進路を考えられた末に出てきた答えが医療者だったのですね。中でも慶應義塾大学を選ばれた理由はどこにあったんですか?

医療系の受験を考える中で、どうしてもまずは「医学部」への進学を思う方も多いかと思うのですが、しかし医者や看護師になりたいわけではないしな…と思い見えてきたのが総合大学でした。大学生活は、都内で様々なイノベーションを間近で見たいと思っていたので、そう言った観点からも見てSFCが目に留まったんです。

元々、高校生の時に先生に「あなた慶應にいってキャビンアテンダントになったら?」と言われたことがあって(笑)その時は「???」で頭はいっぱいだったんですが、現在の私は慶應の看護学部に行ったけど、別に医者でも看護師でもない道に進もうと思っているというのがあるので、先生が言っていたこともあながち間違いじゃなかったなと思いましたね。

でもいざ入学したら日々劣等感でいっぱいでした。この研究がしたくてこの大学に入学した、と明確な理由を持っている子や、企業や会社にすでに勤めているような学生がとにかくたくさんいて、それに比べて自分は平凡な生活を送っていることに非常に焦りを感じたんです。

そこからは、どのように大学生活を送るかというのを考えて、まずは迷えるだけ迷う!というのを最初に決めました。1年生の時は、やりたいことをとにかくやって、2年生の時ある程度分野を決め、、3年生で深掘りをし、4年生になって最後にもう一度考える、というプロセスを立てました。なので、一年生の時は様々な授業をとにかく受けて、選択肢の幅を広げていましたね。

ー看護学部でありながらも、他の分野の授業もとることができるなんて面白いですね!その中で一番面白かった・印象に残ってる授業ってありますか?

実は、そこで出会ったある授業が私の進路を大きく決めたんです。

それは、パーキンソン病患者に音楽療法をすることについて学ぶ授業でした。その授業の講師である藤井先生は、自身が大好きなドラムの研究や音楽は人を救えるかもしれないという音楽の新しい可能性を見出す研究もしている方でした。その先生を通して、「自分の好きなことを研究して、それが誰かのためになる」という生き方を初めて知って衝撃を受け、すぐさま授業終わりに「先生のゼミに入りたいです!」と直談判しに行きました。

そこからは、自分も大好きである音楽や表現が医療分野でどう活かしていけるのか、テクノロジーを使ってそういったエンターテイメントをリハビリテーションに介入していくには、という勉強をしています。

ーまさに運命の出会いを果たしたというわけですね!実際にいよいよゼミに入って看護ことを勉強して行ったと思うのですが、何かそこに対する印象って変わったりしましたか?

対「人」である学問だと改めて思いました。看護は、自分が関わる対象の人を「病気を持つ人」ではなくて「生活者」として捉えるという考え方があることを知り、そこに非常に共感を覚えました。まさにそれは幼少期小児癌を患っていた友人に対する周りの「病気でかわいそうだから助けてあげる」と言った態度に違和感を感じた気持ちを軽くしてくれるような答えだったのです。その考え方を知り、自身もその関係性の築き方を大切にしたいと思うようになりました。

あとは、ナイチンゲールが提唱した「自然治癒力を引き出しなさい」という看護師の関わり方があり、これは看護師は医者ではないので手術などはできないけれど、患者さんとの関わりの中で相手の強さや優しさを引き出してそれが最終的に病気の治癒につながるというのがあるのではないかということを意味しています。

これがミュージカルや音楽をして誰かのエネルギーを引き出して生きる転換点を作りたい、と自分が思っていたものと通づるものがあると感じ、とても自分の中で支えられる言葉となりました。また、生命に対して自分の価値観をどう育んでいくか、みたいな考え方が中高時代に受けていた宗教の授業にも通づるものがあり、看護の魅力にどんどん惹かれていく自分がいましたね。

NPOの活動を通して見えてきた自分のやりたいを叶える「ビジネス」という選択肢

ー学びを進めていく中でどんどん看護の魅力に惹かれて行ったということなんですね!非常に大学での学びも充実しているように思えたのですが、後にビジネスコンテストなど外に出ていくきっかけとなったことはあったのですか?

感じた違和感や湧いてきたものを言語化すること、フィールドでの体験が大切だと実習を通して感じていたので、実際に病気の子供たちと関われる場が欲しいと思ったのが外に出ていくきっかけになりました。そしてたまたま出会ったNPOの代表が同じ大学の卒業生であることもあり、学生生活の過ごし方なども相談できると思いそこでインターンを始めることにしました。

ただ、そのインターンを通して、NPOだとどういう人にリーチできるのかなとかNPOとビジネスってどんな違いがあるのだろう?と考え始め、ビジネスという観点で勝負してみたいと思い始めたんです。それが、ビジネスコンテストに参加するきっかけとなりました。

ーなるほど!ちなみにビジネスの切り口の方が面白いと思った理由について詳しく聞きたいです。

NPOだと助成金や寄付がベースで活動していて、それが故に資金がなくなった時は何もできなくなるというデメリットがあります。また、病気を持っているから、場所が病院だからという理由で料金が発生せず「無償」でサービスが行われていることに非常に強い違和感を感じました。

そういった一種の「ボランティア精神」的なところが、社会構造として病気の人を下に見ているような姿勢にどうしても思えてしまったんです。その反面、ビジネスはサービスとお金が等価交換になっていて、誰に対しても平等であるため、社会の偏見をなくすためにはビジネスとしてやっていきたいという考えに至りました。

ー病気だから特別なことはない、平等であるべき、という猪村さんの考えがまさにそこにある決断ですね。ビジネスでやっていくという決断をした今、次のアクションは具体的にはどのように考えていますか?

どうお金をもらっていくかを考えています。ビジネスモデルを考えるときに、こっちの方が市場的にいい、こっちの方がお金が取りやすい、といった視点は嫌で。例えばお金がもらえるからやりたい!というのではなく、心からやりたいと思っているものにお金が発生するといった流れの方がいいと思っているので、それはビジネスモデルを自分が組んでいくときに、いつも忘れないようにしています!

ーいよいよこれから自分のやりたいを形に変えていくんですね。ますますこれからの活動を楽しみにしています!今日は非常に貴重なお話ありがとうございました。

 

取材者:高尾 有沙(Twitter/note
執筆者:後藤田 眞季
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter