日本の紫外線対策に改革を!Sunshine Delight代表・伊藤瑛加はなぜ起業家になったのか

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークなキャリアラウンジ。第256回目となる今回は、株式会社Sunshine Dlightで代表を務める伊藤瑛加さん。

伊藤さんは高校3年生の時に「太陽の下で安心して暮らせる環境を」をビジョンに掲げた株式会社Sunshine Delightを設立し、子供の日焼け止め利用を習慣化を定着させるべく、保育施設に向けた日焼け止め教育の事業を展開。また株式会社コーセーとも協業を開始し、ビジョンの実現に向けて日々奔走しています。現役大学生でもある伊藤さんに、事業を設立するまでの経緯や、現在に影響を与えた過去の印象的な出来事をお聞きしました。

紫外線問題への興味は母への想いから

ー本日はよろしくお願いします!まずは自己紹介をお願いします。

株式会社Sunshine Delight代表で、中央大学法学部の1年生の伊藤瑛加です。株式会社Sunshine Delightでは、紫外線問題に焦点を当てた事業を展開しており、保育園などの保育施設を対象として日焼け止めと紫外線対策教材の絵本や歌等をセットで販売する事業を行っています。

ーありがとうございます。伊藤さんが紫外線問題に興味を持ち始めたきっかけというのはなんだったのでしょうか?

わたしの実家が農家ということもあり、農作業をする母の肌ダメージを幼い頃から見ていたことが興味を持ち始めたきっかけになります。屋外での農作業で紫外線の影響を多く受けた母の肌は、シワやシミが目立ち、そのような肌ダメージがなければ「もっと輝いているはずなのに!」と幼いながらに思っていました。

高校生になって受けたビジネスの授業で、社会問題をビジネスの視点から解決していく手法があることを学んだことがもう一つのきっかけとなり、紫外線問題をビジネス視点で解決していこうと考えました。

ー日焼け止めと教材の絵本を一緒に販売するビジネスは面白いですね。保育施設ではどのように導入されているのですか?

絵本の中で日焼け止めの大切さを子供たちに伝え、歌を歌いながら日焼け止めを一緒に塗っていくことで、それを習慣化してもらうサイクルを作成しています。
あまり知られていませんが、WHOの公式見解では、生涯受ける紫外線の半分は18歳までに浴びているそうで、しかも東京に降る紫外線量は海外の紫外線大国と呼ばれる国々と同程度の量なんです。海外の紫外線大国では幼稚園や保育園での日焼け止めの常備が当たり前になっている一方、日本ではそのような取り組みはあまり浸透していません。

そこで、日焼け止めと紫外線対策教材の絵本をセットで販売する形で、紫外線対策の大切さを伝える取り組みを行っています。

 

「将来はビッグになる!」反骨精神で駆け抜けた学生時代

ー学生でありながら企業の代表として活躍されている伊藤さんですが、過去には医療系の中学校に通っていたこともあるとか。ここからは、今に至るまでのターニングポイントについて教えてください。

はい、まず育った家庭環境がわたしの性格に与えた影響は大きいかなと思います。わたしは6人兄弟の末っ子で、一番上の姉とは14歳の年の差があったこともあり、姉や兄たちがやっていることを真似しようとしても、なかなか出来ませんでした。しかし、どうしても兄弟の遊びに混じりたかったことで、出来ないことにどんどんチャレンジしていけるようになりました。

そのような毎日を送っていたいため、「全てのことは最初は出来ない状態から始まる」そして「失敗することが当たり前」なんだという意識が自然と身についていました。

ー失敗するのが当たり前という意識は大事ですよね!その後、小学校のときに印象深い出来事があったとか。

10歳のとき小学校で経験した出来事がその後の学生生活の転機になったと思います。それは、ある男の子がわたしの背中を押してからかってきたことが発端なのですが、押されたことでわたしの体勢が崩れ棚にぶつかってしまい。その拍子に折れたのが、押してきた子が作っていたポスターだったんです。しかもその男の子、しまいには蹴ってきたりして笑。

その後、先生に呼び出されたのですが、先生は「伊藤さんも謝ろうね」と言っていて。幼いながらに、「それは違くないか?」と思ったんです。抗議しましたが結局謝ることになり、この頃の悔しさや理不尽だなと思う気持ちが、なんでも頑張る原動力になりました。

ーと言いますと?

その頃に聞いていたテイラースウィフトの「Mean」という曲の歌詞とリンクしていて。歌詞の内容が「いつかわたしはもっとビッグになって、意地悪をしてきた子達を見返してやるのよ」という内容だったのですが、この歌詞に触発されて、「ビッグになればいいのか!そのためにどんなことも頑張ろう」という原動力に繋がりました。

具体的には、勉強に部活・スピーチコンテストなど、その時目の前にあることを一生懸命頑張るようになり、それが今のわたしを作ってくれているので当時のその男の子には感謝しています。

ーその後、医療系の全寮制中学校に入学されたんですよね。どうしてこのような学校を選んだのですか?

当時、ハリーポッターの世界に憧れがあり、主人公たちが住む寮生活というのがどういう生活なのか興味があったんです。また、小学生の時に母が「BONES」という法医学をテーマにした海外ドラマを見ていた影響で、法医学の研究者になれたらと思っていたので、このような学校を選びました。

ー寮生活はどうでしたか?

校則が厳しく、音楽機器も持ち込みNGの環境だったので、一緒に住む仲間と会話する時間をとても多く持てた時間でした。何か問題が起こった時には、先生や家族など大人に相談する前に、自分たちでなんとか解決するということが日常的に行われていたので、非常に貴重な経験だったなと思います。

また集団生活の中で、「自分のできないことは仲間に協力を得る」ことが大事だと気づき、その感覚は今に活きていると思いいます。

ーこの学校は中高一貫ということですが、伊藤さんは中学3年生の時に転校されたんですよね。これはどんな理由があったのでしょうか?

中高一貫の学校から転校を決めたのは、国連本部の見学をしにジュネーブに行った経験がきっかけでした。中学校の寮生活は毎日がルーティン化しており、「もう少し色々な経験をしてみたい」と思っていた時、プログラムの募集を見つけ参加しました。

そのプログラムでは、スイスにある日本人が多く通う学校の見学やホームステイ・国連本部の見学などさまざまな体験が出来たのですが、特に国連本部の見学では世界の問題を議論で解決していくという空間に非常に刺激を受けました。その時からわたしの興味も医療から社会や経済に移り、将来は議論を通して社会の問題を解決できたらなと思いました。

また、校則が厳しい寮生活だったためか、自由な場所への憧れが強く、スイスの学校に通う同世代の人たちが学校ではPCを持ち歩き、パーカーで登校、さらに英語を自由に使いこなしている姿を見て、環境がもたらす影響は大きいのだと感じ、自分自身も身を置く環境を変えようと思い転校を決意しました。

 

幼い頃からの関心が、日本の新しいビジネスへ

ーそこで、受験をして高校に入学されたんですね。伊藤さんが起業をされたのは高校時代ということですが、起業に至るまでの経緯を教えてください。

学校の選択授業でアントレプレナーシップ(新事業や商品の開発への創造意欲を持った起業家精神)を学ぶ授業を受けたことが起業をすることになる一つのきっかけでした。

その授業は、ドラッカーのイノベーション論についてグループごとにまとめ、プレゼンテーションを行ったり、日本のビジネスコンテストへの参加が必須であったりと、型に捉われない面白い経験をさせてもらいました。

ー授業でのコンテスト参加というのは新しいですね。その授業がどのようなきっかけになったのでしょうか?

授業をきっかけにビジネスコンテストに参加し、そこではレシートを買い取ってもらう「ONE」というアプリを参考に、レシートと家計簿機能を備えたアプリを提案しました。
結果として、応募総数約4000件の中からベスト100に入賞、さらに東京都からの応募の中ではベスト15をいただいたのですが、その15チームが集まり、プレゼンテーションをし合う機会があったんです。そこで集まった人たちで議論を交わしたのですが、その時間が非常に楽しく、議論を通して社会問題を解決していくことに改めて魅力を感じました。

また、コンテストを通して仲間達と一緒にヒアリングをしたり、企業に問い合わせをしたりしたのですが、実際に企業から返信をもらうことができ、一高校生でも企業とつながることができるのだと知ることができました。

ーコンテストを通してプロトタイプ的にビジネスの一端を経験できたんですね。

はい、そしてそのコンテストが終わったタイミングで、両親から「ビジネスに興味があるなら」とJA主催のビジネスコンテスト「JAアクセレレータープログラム」の存在を教えてもらいました。そのコンテストに応募するため、幼い頃から関心のあった「紫外線」について調べ、ビジネスプランを設計していきました。

ー参加した結果は192社中、唯一JAアクセレレータープログラム特別賞に採択されたんですよね!勝因は何だったと思いますか?

年齢にインパクトがあることと、ビジョン実現への熱量を買っていただいたことが大きいと思います。その時わたしは高校生ということで、ビジネス提案をするための信用力が足りないのではないかと考えました。そこをカバーするために、最初はアドバイザーを集めることから始めました。

ーアドバイザーと言いますと?

信用の足りない部分を担保するために、経験のある人たちに声をかけました。例えば、社会人として働いている兄姉の人脈をもとに、経営のコンサルティング会社で働いている人に声をかけたり、HPの制作をしている人からアドバイスをいただいたり。また保育業界に関する本を書いている人に直接連絡をして話を聞かせていただいたりもしました。

また、これはどこまで影響があったのか分かりませんが、高校の校長先生にコンテストへの推薦状を書いてもらったりもしていました。

ー素晴らしい行動力ですね。特別賞受賞後、提案したビジネスプランはどのように進んだのでしょうか。

実際に生産委託会社で日焼け止めの生産を始めようと思っていたのですが、その計画がなくなってしまいました。どうしようかと思っていたところで、株式会社コーセーが主催するアクセレレータープログラムがあることを知り改めて応募しました。

ーそのプログラムでも唯一採択されたんですよね!

はい、ありがたいことに、紫外線による影響を受けない肌を実現したいというビジョンに共感いただき、86社中、唯一採択していただき、そこから協業を開始しました。
今でもCMを見るたびにコーセーさんと協業していることに驚いています笑

ー 二つのプログラムで唯一採択された伊藤さんのプレゼンですが、プレゼンするときの秘訣があったら教えてください!

わたしが意識しているのが、最初に自分の想いを伝えることと、話している目的をお伝えすることです。また、ビジネスコンテストでお話しさせていただいているからには、聞いている方達に具体的に「何をやってもらいたいのか?」をお話しするように意識していました。

それに加えて、言葉にして発信すれば何でも実現する可能性があると思っているので、どんなことでも言葉にして伝えることが大事だと思っています!

 

「やりたいことは全て挑戦」伊藤瑛加のこれからのビジョン

ありがとうございます!紫外線問題に関して小さいお子様をお持ちのパパママ世代に向けて伝えたいことはありますか?

モニタリングを通して、子供たちは2週間ほどで日焼け止めを楽しく塗ることを習慣化できるということが分かりました。ですので、ご家庭でも彼らの自主性を尊重し、日焼け止めの習慣化に向けて見守っていただきたいです。

また、安全面も配慮しており、最初に同意書をいただいてから日焼け止めの教育プログラムを導入するというフローをとっているので、ぜひ安心してサービスをご利用いただきたいです。

ーこの記事の読者へ向けて、紫外線対策のアドバイスをお願いします!

WHOの見解では、18歳までに生涯受ける紫外線量の半分を浴びてしまっているとのことですが、見方を変えると、読者の皆さんは生涯受ける量の残り半分に関してはこれからの生活で対策をすることができるということです。

日焼け止めは汗や皮脂などで流れてしまうことが多いので、できるだけ塗り直しを意識していただきたいです。特に、女性はメイクをしていると思うので、塗り直しにはスプレータイプの日焼け止めを使っていただいたり、また日傘や帽子も紫外線対策に効果的なのでぜひご活用いただきたいです。

また、このような紫外線の知識を周りの方々へ広めていただけたら嬉しく思います。

ーありがとうございます。最後に、伊藤さんの今後のビジョンについて教えてください。

わたしのモットーは「かっこいい女性になって人生を楽しむ」です。この「かっこいい」は、自分がやりたいことをやりつつ、他の人に良い影響を与えていくことを定義としています。大学生活の中で自分がやりたいことには選択肢を捨てることなく我武者羅にチャレンジしたいですし、その選択肢を選ぶ上で自分に欠けているものがあったら、それを補うために環境を変えたり、他の人の力を借りたり、試行錯誤をしながら挑戦し、最終的には人に良い影響を与えられるようになりたいです。

また、わたしのように高校生や大学生で起業に興味がある人は、アクセレレータープログラムの活用をお勧めします!なかなか馴染みのないプログラムだと思いますが、わたしは運よく機会に恵まれて知ることができたので、このようなチャンスがあることをぜひ多くの人に知っていただきたいなと思います!

ー今後の伊藤さんのご活躍を期待しています!

取材者:中原瑞彩(Twitter)
執筆者:青砥杏奈(Facebook)
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)