創業84年の”ベンチャー風老舗”建設会社へ!「誰よりもクールで熱い男」西村組 西村幸志郎の夢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第233回目のゲストは、株式会社西村組取締役・経営企画室長・採用担当の西村幸志郎さんです。

流氷の来る北海道の湧別町で、84年間建設業を営む株式会社西村組の長男として生まれた西村さんは、幼少期から跡取り息子として制約の多い生活を送っていました。

メンターとの出会いで、「死ななきゃ何をやってもいいんだ」と知った西村さんは、大学4年時日本一周を決意。その道中で50社以上から内定をもらうなど、一般的な就活とは異なる方法で「誰よりも真剣に就活をしない就活」をされたそう。

日本一周を経て、家業を継ごうと決意した西村さんのこれまでの人生に迫りました!

自分の色を出せずにいた幼少期

ーまずは自己紹介と、現在のお仕事について教えてください。

株式会社西村組4代目後継者として取締役・採用担当をしています。

北海道の日本で唯一流氷が来る場所に住んでいて、海と流氷と共存しながら海を守る「海洋土木」をメインに仕事をしています。

ー幼少期の印象的な体験はありますか?

2歳下の弟が生まれたときですね。

今までずっと一人で母の愛情を受け取っていたのですが、弟が生まれたことで唯一の理解者である母親をすべて持っていかれたような気持ちになりました。

弟が生まれてからは何かにつけて自分が怒られる。怒られる原因が喧嘩だったり、弟を叩いてしまったりとか今思えば母に見てもらいたくてやっていたのですが。

ある日、意を決して母に、「僕っていらない子なの?」と聞きました。

それを聞いた母が僕をぎゅっと抱きしめて、「そんなことないよ」と言ってくれたんです。そのときに自分は生きている価値があるんだと思えました。

3歳くらいのときにこの経験をしてからは、自ずと自己肯定感がなくなることはなかったように思えます。自分の生きている価値を教えてくれた経験になりました。

その後はあまり構ってもらえなくても、「自分は愛されている」と分かったので、不安になることは無くなりましたね。

ーその後、小学生の頃にはどのようなことがあったのでしょうか?

小学3年生のある日、体の大きいT君に多目的教室に呼び出されたんです。彼とは犬猿の仲でした。

当時の僕はスポーツが得意だったので、T君はそれが気に入らなかったんだと思います。

急に呼び出されて、「お前調子乗っててウゼーんだよ。ガリガリ!」と言われました。「お前の方がウゼーんだよ。デブ!」と言い返したら、次の日からT君が3日ほど学校に来なくなって。

相手の親から学校に電話があって、母とT君の家へ謝りに行くことになりました。

T君の親からは、「人の体の特徴について悪口を言うのは信じられない」と言われたんです。

先に言ったのはT君なので、理不尽だと思いましたが、それでも母が僕の頭をグッと持って「とりあえず謝りなさい」と。

田舎では大きな会社だったので、普段から「社長の息子だから我慢しなさい」という無言の圧力があったんです。この出来事でより自分の本心が言えなくなりましたね。

ー中学時代はどのようにして過ごしていましたか?

隣の隣の町にあるサッカーチームに所属していました。

サッカーは小学校3年生からしていたのですが、町にサッカーチームが無かったんです。親に送迎してもらって1時間半くらいかけて通っていました。

僕は選抜に選ばれていたのですが、その中にプロサッカー選手に兄をもつ子がいたんです。その子は別のポジションをやっていたのに、兄の影響で僕のポジションがやりたいと言い出して。

僕の方が圧倒的に経験も身長もあってポジションを確立していたのですが、僕がスタメンで出ると彼が嫉妬するんですよね。

そこから遠征に行くたびに、宿舎ではぶかれたりするいじめを経験して。今までいじめられたことが無かったので衝撃的でしたね。

ーそのような苦しい状況の中、3年間西村さんを支えたものは何だったのでしょうか?

やはり「サッカーが好き」という気持ちですよね。

小学校中学校と学校が楽しくなかったのですが、サッカーだけは楽しくて。これだけは誰にも取られたくないと強く思っていました。

仕事においても同様で、人間関係の良さももちろん大事ですが、その仕事が好きか、今取り組んでいることに一生懸命になれるかどうかが最も重要だと感じています。

夢をもって高校へ進学するもキバを抜かれる

ー現在にも繋がる価値観を形成されたのですね。そこから高校時代、さらにサッカーに没頭されたようですが、どのような出来事がありましたか?

高校はサッカー推薦で入学し、札幌へ飛び立ちました。

ようやく田舎を出られると思って乗り込んだのですが、サッカー部に入って3日目くらいで先輩から「お前の目つきなんか気に入らないな」と言われて。練習後に3時間正座をさせられたんです。

また、入ってすぐの練習試合では周りから高評価を得て、約100人の部員がいる中「次からBチームでは出られる」と言われていました。

しかし、うちのチームのディフェンスはヘディングができなければ評価されなくて。僕は今までヘディングをせずにディフェンスをこなしてきたので、ヘディングが苦手だったんです。そのため、「試合では使えない」という評価を下されました。

先輩からいじめを受け、さらに自分が一番苦手なヘディングができなければならないと知り、挫折を味わって。

希望を持って田舎から出てきたのですが、どん底状態で寮に一人暮らしをすることになりました。

「自分には生きている価値が無いのではないか」と考えて、部屋の窓から飛び降りたいとさえ思っていましたね。

つらかったのですが、親から背中を押されて札幌に出たので、「自分のためより親のために頑張りたい」と思って乗り切りました。

「幸志郎がサッカーをしている姿が好きだ」と言ってくれた親のために、自分を捨てて走り続けた3年間でしたね。

ー高校でも怒涛の3年間を過ごされたのですね。卒業する時に顧問の先生から言われた言葉が印象的だったと伺っていますが、どのような言葉だったのですか?

「お前はキバを抜きすぎたな」という言葉です。

今でこそ僕は変わった人だと思われがちですが、当時は本当に自分をゼロにしていました。高校の頃は、周りを立てるようなナンバーツーとしての働きしかしていなくて。

最初は自信満々で高校に入って、否定された瞬間ゼロになって。間のバランスが取れていなかったんですよね。先生の言葉を聞いて、「自分を出していいんだ」と気付き、今の人格が形成されたのだと思います。

型破りな方法で人生を切り開く

ーそこから大学に入って、メンターとの出会いがあったようですが、詳しく聞かせてください。

バイト先のラーメン屋の社長なのですが、「かっこいい生き方」とはこのような生き方を指すのだと感じさせられる方でした。

その方から、「人様を傷つけたりしなければ、死ななきゃ何をやってもいいよ」と言われて。単純なのですが、すごく深いと感じました。人生何をやってもいいと思えるようになったんです。

そこからちょっとずつ自分がおかしくなっていって(笑)

大学3年生の冬にアメリカに行こうと思ったんです。バイト先のラーメン屋の社長が修行した店がアメリカにあるので、そこに行こうと。

でも、ちょうどアメリカの政権交代のタイミングで、外国人に就労ビザが出なくなって。じゃあほかに何をやったら面白いかと考え、日本一周を始めることになりました。

ー日本一周では誰よりも真剣に就活をしない就活」をされたと思いますが、具体的にはどのようなものだったのでしょうか?

地元の人しか知らない優良企業から全国的に名の知れた企業まで、たくさんの方から「うちに来ないか」と声をかけていただきました。

最初は特に就活のことを考えずに旅に出たのですが、結果的に就活もできていましたね。

スーパーの駐車場で歯磨きをしていたら「お前いい顔してるな!うちで働くか!」と言ってもらえたりして。普段の生き方を大人は見ていると思いましたね。

普段の礼儀正しさとか楽しそうな雰囲気とかを評価してもらえることが多かったです。

ー日本一周で、様々な経験をされた後、北海道に戻って今のお仕事をしようと決心するまでどのような経緯がありましたか?

車で日本一周をしていたのですが、運転時間が長く1日10時間ほど運転している日もありました。そんな中、「自分の生きる意味」や、「自分は何者なのか」について考えたんです。

考えているうちに、自分の中で3つの夢が出てきて。

1つ目が「他人からカッコよく思われたい」

2つ目が「有名になりたい」

3つ目が「”人の幸せを志す男”という名前の由来通りに生きたい」と。

今までは社長の息子であることや、地元に対してネガティブな印象しかありませんでした。

しかし、「長男として生まれて家業を継げるチャンスがあるのに、逃げるのはカッコ悪い」と感じ、北海道へ帰ることを決めたんです。

日本一周から帰ってきて、父に気持ちを伝えた直後に会長だった祖父が亡くなって。

ちょうど家業継承のタイミングが来たと思えましたね。

ー西村さんの今後の展望を教えてください!

「誰もが知っている、誰も見たことがない建設会社」を目指しています。

ビジョンやミッションを再策定したばかりなのですが、84年間無借金で経営していて、土台・歴史・技術・ネームバリューもある中で再スタートするのを楽しみにしています。

「ベンチャー風老舗」と銘打っているのですが、そのようなビジョンにワクワクしてくれる仲間を募集しています!

個人としては、「カッコよく生きる」、「有名になる」、「幸せを志して生きる」の3つの軸で人生を送っていきたいです!

ー本日はありがとうございました!西村さんの今後のさらなる活躍を期待しております!

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:五十嵐美穂(Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter