鵜ノ澤 直美の人生から紐解く、好きを突き詰めた先に広がる世界とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第219回目となる今回のゲストは、SNSコンサルタントとして企業のマーケティング活動支援に従事しながら、フリーのフォトグラファーとしても活動されている鵜ノ澤 直美さんです。

閉塞感を感じながら生きていた幼少期からバンド活動を始めたことで、世界が広がったという鵜ノ澤さん。幼少期から変わらずに「好きを突き詰める」ことを大切にしてきた鵜ノ澤さんのこれまでの人生とこれからのビジョンについて伺いました。


SNSを通じて憧れの人と繋がれることを経験した少女時代

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
株式会社オプト(以下、オプト)に2015年新卒で入社をし、現在はSNSコンサルタントとして様々な企業のSNS活用支援に従事しています。企業のアカウント運用支援だけではなくテレビや雑誌、ラジオなどでInstagram企画の支援なども行っています。
さらには、ライターとして若年層のSNSの使い方やマーケティングに関する記事を執筆したり、副業でフリーのフォトグラファーとしても活動しています。

ーここから幼少期のことについてお伺いしていきます。小学生、中学生の頃はどんなことに時間を費やしたり、どんなことを楽しみにして過ごされていましたか。
小中一貫校に通っていました。幼稚園からほぼ同じメンバー・同じルーティンの生活だったので、早く閉塞感のあるコミュニティから抜け出し、外に出たいという気持ちからインターネットで誰かと繋がることに楽しさを覚えました。
ソーシャルメディアを通じて音楽好きの人と繋がり、バンドが好きだったことから高校に入ったら軽音部に入りたい、ライブを観にいきたいと外向きの気持ちを強く持つようになっていきました。

ー高校進学のときは、どんな高校に進学されたのでしょうか。
普通科と生活系の学科があり、個性的で自己表現が得意な人が集まる高校でした。
部活動はそこまで活発ではなく、自分たちで部活を作っていくというスタイルでした。そこで私は念願だった軽音部に入部しました。同じクラスの女子4人でバンドを組みましたが、4人ともたまたまASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)やELLEGARDEN(以下、エルレ)といったバンドが好きで、楽器もドラム・ベース・ギター・ボーカルにバラけていました。
クラス替えがなかったので、3年間この4人でバンド活動をしていましたが、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

ー当時はどんなバンドが好きでしたか。
アジカンやエルレが出始めた頃だったので、それらを聴きながらコピーしたり、自分たちの曲を作りSNSにアップして楽しんでいました。
自分たちのページに音源をアップしたり、公式のアーティストが新曲やインフォメーションをシェアしてライブ情報を共有できる「MySpace」というSNSがあり、曲をアップして様々なアーティストをフォローしたり、「自分たちの演奏を聞いてください」とメッセージを送ったりしていました。

ーMySpaceを使われていたと思いますが、SNSの中での出会いはありましたか。
同年代の音楽好きな方と繋がれたり、好きなバンドをフォローした時にはそのバンドのプロデューサーの方から会ってみないかと連絡をもらったりしました。
連絡をいただいたプロデューサーの方に実際にお会いした時に「同じクラス4人でバンド活動をしているのは売り出し甲斐があるよ」と自分たちのバンドを褒めていただきました。当時はアジカンやエルレを聴いていましたが、そのプロデューサーの影響でより楽しさを感じるようになりました。

ーSNSに自分たちの曲をアップしたり、聴いてもらう機会を作ることは勇気がいりませんでしたか。
私と、バンドの中でギターを担当していた子が積極的なタイプだったこともあり、勢いでやっていた部分はあるものの、勇気は必要でした。曲をアップしていたのは、興味や好奇心と目標を叶えるためという両方の理由がありましたが、どちらかといえば興味や好奇心の方が強かったです。
4人でmixiのコミュニティグループを作り、その中で「こんな歌詞どうだろうか」「スタジオ予約をいつにしよう」と頻繁に連絡をとっていたので、クローズドのコミュニティで発信することは4人とも臆せず出来ていました。Myspaceで公開することはハードルが高かったものの、これもやってみたら楽しそうじゃない?という好奇心から始まりました。
一歩外に踏み出すことで世界が広がるなと思った瞬間で、このことがきっかけでSNSは自分の憧れの人と繋がれる最強のツールだなと思うようになったことを覚えています。

自分自身が何をしたいのか悩んだ時に抱いた「好きを突き詰める」という考え

ーその後の音楽活動はどうなったのでしょうか。
高校生の時は下手なりにデビューを目指していたので、デビューを目指してTOKYO FMが主催している閃光ライオット(現:未確認フェスティバル)に応募をしました。
1次審査を通過し、2次審査を控えるタイミングで本格的にデビューに向けて練習をする中で、これからのバンド活動について真剣に考えた時、就職をしたいと思っているバンドメンバーがいたこともあり、バンドを解散することになったんです。
私は音楽活動をしたいというよりも4人で何かをしたいという思いが強く、各々の道を進むことになった時に今後のキャリアについて考えるようになりました。

ー自分自身を見つめ直したときはどんなことを考えていましたか。
バンド活動以外で何をしようかと考えた時に、音楽と同じくらい写真が好きでした。中学生の頃に写真を撮り始め、高校生の時にはバンド活動をしながら個展を開いたり、ギャラリーの人に写真を買ってもらったりしていました。
写真を撮ることは楽しく、より表現したいと思いましたし、その中でも広告写真が好きだったので、そういった方向に進みたいと思いました。

ー中学、高校の時の写真活動はどんなことをしていましたか。
当時、家族共有のカメラで撮った写真をmixiにあげていたのですが、知らない人から「写真いいですね」という言葉をいただいたことで、こんな表現もありなのだと思うようになりました。そして、SNSに投稿したり、ギャラリーで展示を開催することによってコミュニティがさらに広がりました。

写真活動をしているうちに、中高生の部活動を応援したいという大人と出会い、その人たちから「中高生の部活動を応援するウェブマガジンがあるんだけど、部活動をバーチャルで立ち上げてみないか」と言葉をもらいました。さらに、中高生が作る中高生のためのアートマガジンを作ってみたらともお声がけいただき、両方ともに楽しそうでやってみたいと思ったので、ウェブ美術部を立ち上げました。
ウェブ美術部はオンラインでの部活動になるため、部員集めをするためにCamera PeopleというSNSで同世代に一緒に活動しないかとDMを何通も送っていました。

ーコミュニティの線を超えて、新しい人に伝えにいくとか色んな人を巻き込んでいくというのは自分に合わないなと感じたことはなかったですか。
実行することができたのは、好きなものを突き詰めていたからだと思います。
やらなければいけないという思いではなく、好きだからどんどんやっていこうぜくらいの感じで無邪気にやっていた記憶があります。

ーウェブ美術部にそこまでコミットできたエネルギー源を教えてください。
『FARU18』というウェブ美術部を知ってもらいたいというのはありましたが、個人的なモチベーションとしてフリーペーパーやウェブメディアの運営を通じて好きな人にインタビューをしに行けるというのがありました。
『FARU18』ではプロの写真家や絵本作家の酒井駒子さんといった方々にインタビューをさせていただきました。好きな人に会える幸せ、さらには同世代のSNSクリエイターと繋がれる楽しさを感じながらやっていました。

ある社員との出会いで、オプトに入社することを決意

ー大学生活を経験して、どのようなキャリアを選びましたか。
大学3年生の時にIT企業出身のキャリアカウンセラーと出会いました。その方と進路の相談をするうちに、かねてより興味のあった広告業界を目指すことを考え始めました。
就職活動は業界理解の意味も含め、幅広い業種を受け、いくつかの企業から内定をいただいた中でオプトを選びました。

ーオプトに入社を決めた中で、自身が想像していた働いている人物像と実際にお会いした人の印象はどうでしたか。
オプトに初めて行った会社説明会にて、すごく熱い雰囲気を感じました。グループ面談を受けた時に当時2年目でありながら最年少でマネージャーをしている女性社員に出会い、その方が女性としての落ち着きを持ちつつもバリバリ仕事をしている姿、さらには写真が好きという共通の趣味を持ち合わせていたことで一目惚れをしました。そして、「私は彼女のようになりたいです」という思いをその後の面接でも貫き、入社することになりました。

大学受験の時が自分の中では挫折だったと思っていて、学費面で進路をチェンジしたことに自分の中で引っかかっていました。しかし、これが精神的にも経済的にも自立するきっかけになり、将来フリーのフォトグラファーとしてもやっていきたいという目標があったことから、社会人3年目くらいで一人前になれるようなビジネススキルを身につけられる会社を探していました。その時にオプトが候補として上がりました。そして、憧れた先輩が働いていた会社で社会人として最初のスタートを切りたいと思いました。

ーオプトで働いてみて良かったこと、大変だったことを教えてください。
やって良かったことは日々ありますが、SNSの仕事はダイレクトにユーザーと繋がれるので、私たちが支援したことがきっかけでお客さんが商品を購入をし、SNSにレビューを書いてくれるなど企業様との関係性を強く結びつけられたと思う時はやっていて楽しいです。
最高にテンションが上がる瞬間は、自分の仮説で効果を出した時ですね。

逆に大変だったことは、社会人2年目くらいの時に企業様や会社に迷惑がかかる大きな出来事がありました。その時は早くみんなのために役に立って恩返ししなければという気持ちで仕事に取り組んでいました。

ーその失敗をどのようにリカバリーしていったのでしょうか。
企業様はもちろん、営業さんや上長にも迷惑をかけ、数字としても貢献しなければと感じていたので、数字を取り戻すまではオプトをやめられないと思い、恩返ししなければという気持ちでやり続けていました。
多くの失敗をした中で、自分が役立てることは何なのかと洗い出しをしていたタイミングでクライアンド業務が少し減りました。そこで、私は新しいチャレンジができるタイミングだと思い、オプトのオウンドメディア「kakeru」で記事を執筆することにしました。kakeruで記事を書いていくうちにInstagramに関するお問い合わせが増えていくようになりました。

ー最後に、鵜ノ澤さんの今後の展望について教えてください。
SNSコンサルタントとして働きながらフォトグラファーとして活動をしている人がなかなかおらず、ロールモデルがいないので、自分で自分のキャリアを切り拓かなければいけないと思っています。ただ、フォトグラファーとして今後も活動していきたいですし、SNSコンサルタントとしてもSNSマーケティング市場が変わってきている中で、より企業様と顧客の関係性を強く密接に結びつけるようにしていきたいと思っています。

ー鵜ノ澤さんの今後の活躍を期待しています!本日はありがとうございました!

取材者:山崎 貴大(Twitter)
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙(Twitter)