敷かれたレールの上を歩いてきた上野瑠衣が自分で自分の人生を歩むまで。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第199回はヘイ株式会社で秘書兼広報として活躍されています、上野瑠衣さんです。

高校までは両親が用意してくれたレールから外れることなく歩んできたという上野さん。そこからどうやって自分で自分の人生を歩むようになったのか。また大好きだったという前職を離れ、現職へ転職を決められたきっかけや広報業務の魅力についてもお話いただきました。

※この記事は取材当時(2020年10月26日)時点の内容になります。

未経験で秘書・広報業務に挑戦

―現在のお仕事について簡単に教えてください。

ヘイ株式会社勤務しており、代表秘書と広報を兼任しています。新卒では大学時代にインターンをしていた株式会社ユーザベースに入社し、マーケティング業務を担当していました。その後ご縁があり、ヘイ株式会社に代表秘書として転職。20195月からは広報業務も担当させていただいています。

 ―ヘイ株式会社についても少し教えていただけますか。

ヘイ株式会社はお商売をサポートするという目的のもと、お店のキャッシュレスサービスやオンライン予約システム、ネットショップ開設・運営サービスといった事業を展開しています。「 STORES デジタルストアプラットフォーム 」を通じてお商売のデジタル化を進めることで、生産性をあげ、楽しく持続的にお商売をできるようにサポートすることを目指しています。 

―前職とはまた異なる業種に転職されたのですね。

はい。前職ではインサイドセールスやマーケティングをさせていただいていたのですが、ヘイ株式会社の代表からお声がけいただき、秘書として転職を決めました。入社後、ヘイ株式会社には広報担当者がおらず、広報業務を担う人が足りていなかったため兼務することとなりました。

 

将来は就職しても寿退社すると思っていた

ー現在に至るまでの経緯もお聞かせください。どのような幼少期を過ごされていましたか。

小学校に上がるまでは物静かでおっとりしたタイプの子供でした。運動神経も良くなく、社交性もそんなになかったですね。幼稚園から高校まで一貫の女子校に通っていたので所謂お嬢様学校育ち。学校でのあいさつは「ごきげんよう」でした(笑)そんな環境にいたので外の世界を見る機会も少なく、特に疑問を持つことなく用意されたレールを歩み続けていたので何かにチャレンジすることもない中高生活を送っていました。

 ―ということは大学受験が初めて自分の将来について考えるきっかけとなったのでしょうか。

正直、高校卒業後の進路も自分で選んだというよりかは周りの影響を大きく受けて決めたという感じです。というのも当時は母も周りの友人のお母さんもみんな専業主婦だったので、女性が働くイメージをあまり持てませんでした。そのため就職しても寿退社するのだろうなとなんとなく思っていたんです。

周りの友人が皆大学へ進学するということだったので、私も大学に進学しようと思い受験勉強をはじめましたが、当時は勉強することの意味や良い大学に進学することの価値が分からず、いまいち受験勉強には身が入りませんでした。結局、勉強したい分野もなかったので、合格した大学の中で一番家に近かった日本女子大学に進学を決めました。

 ―そんな経緯で入学された大学生活はいかがでしたか。

高校までは校則が厳しかったので、大学生活はとても自由に感じ、初めはとにかく遊んでいましたね(笑)日本女子大学は早稲田大学に近いこともあり早稲田大学との合同インカレが多くありました。なんとなく、サークルと言えばテニスと思っていたので、インカレのサークルに入り、テニスを始めたりしました。

テニスサークルというと遊んでばっかりのイメージが強いかもしれませんが、私が所属していたテニスサークルは試合にもよく出場しているサークルで週4で練習しているようなサークルでした。私も週1-2回は練習に行き、週末は試合の応援に行っていました。

 

自分で考えて自分で行動する楽しさを知った留学生活

―サークル漬けの日々はどれくらい続いたのですか。

大学2年頃までです。元々大学に入ったら長期で留学したいと考えていたので大学2年からはTOEFLの勉強などで忙しくなりました。大学3年から1年間の交換留学に行きたかったのですが、そのためにはGPATOEFLのスコアが必要でした。でも大学1年目に遊びまくった結果GPA1.6ほどしかなく…留学に行けるラインまで成績を上げるのに大学2年目までは頑張っていました。

―その結果、無事留学はできたのでしょうか。

はい。自分のGPAと英語力で行ける大学がモンタナ州とハワイしかなかったため、ハワイよりは日本人の少なそうなモンタナ州に1年間留学に行きました。

―留学生活はいかがでしたか。

リベラルアーツの大学だったので生物学やコミュニケーション学、マーケティングの授業など幅広い分野の授業を取ることができました。ビジュアルマーチャンダイジングの授業ではショーウィンドウやショーケースのセッティングがどう購買活動につながるかについて勉強したのですが、アメリカの大学らしいなと思ったのは実際に地元のお店に直談判してお店のショーウィンドウを担当させてもらうという課題があったことです。

留学生活中は日本と比べて助けてくれる人が周りに限られており、自分で全てやらないといけない環境でした。でも逆に自分で考えて自分で行動するのが楽しいということに気づけた良い機会でもありました。また、アメリカで出会った人たちは、視野の広い人が多かったのもとてもいい刺激になりました。特にスタートアップやベンチャーという存在を知ることができたのは自分のその後に大きな影響を与えてくれましたね。

 ―帰国後、残りの学生生活はどのように過ごされたのですか。

帰国したタイミングがちょうど就職活動をする時期だったのですが、外資系企業は既に選考が終了していたので半年間卒業を延期することを決めました。卒業に必要な単位はそろっていたので代わりにインターンをして残りの大学生活を過ごしました。初めの半年はレバレジーズ株式会社でインターンをし、その後友人の紹介で1年程株式会社ユーザベースでインターンをさせていただきました。

 

大手内定を辞退し、インターン先に新卒入社

―就職活動はどのように進められていたのですか。

外資系企業・ベンチャー企業を志望していましたが、日系企業も選考を受けていました。私自身が末っ子で世渡り上手だったことや、女子大で留学もインターン経験もある人材は当時まだレアだったこともあり、就職活動は順調でした。就活はどれだけ優秀かということよりも能力や実力をいかに良くみせるかがポイントかと思いますが、私は自分をよく魅せることが得意だったんですよね。

その結果、大手損害保険会社やメガベンチャーを含め8社から内定をいただいたのですが、外資系企業であれば経験が積むことができるだろうということと、大手企業であれば両親が安心・納得するだろうという気持ちもあり、HPの略称で有名なヒューレット・パッカードの内定を受諾しました。

―が、そこには結局就職されなかったのですよね。

はい。HPへの入社を決めたことをインターンしていたユーザベースの方たちに話したところ「HPに行かないでうちで働かない?」と言われたんです。そして、具体的に入社した場合に担当することになる業務なども提示してくれました。

ユーザベースはインターンを長期でさせていただいていたので自分が会社のカルチャーに合っているということが分かっていました。また会社の方々にも自分の事をよく理解してもらえているという確信があり、入社を打診された時は迷いました。そして一番の懸念点が両親を説得することだと話したところ、当時の上司が両親を説得するために社長を実家に連れてきてくださったんです…! 両親に丁寧に会社が取り組んでいることなどを説明してくださり、両親がここなら大丈夫だろうと思ってくれたこと、私自身もここまで新人のために動いてくれる会社はきっとないと思い、就職2ヶ月前というタイミングで入社を決めました。

ー入社してみていかがでしたか。

入社前から言われていたマーケティングツールMarketoの導入を担当させていただき約1年半マーケティングの自動化という点にフォーカスした業務を行いました。その後はベンチャーの企業情報プラットフォームINITIALのマーケティング業務も担当させていただきました。

インターン時代から感じていましたが、会社のカルチャーと私の性格が良くフィットしていたので入社してからのギャップはありませんでしたね。

 

父の急死で転職を決意

ー特に不満などもなかったのではないかと思いますが、転職をしようと思った理由は何だったのですか。

ビジネスマッチングアプリyentaを使用していたのですが、そのアプリでヘイ株式会社の代表、佐藤とマッチングしたのがきっかけでした。当時、代表は採用目的でyentaを頻繁に使用していたようです。採用目的とは知らず私は代表とお茶をしたのですが、後日「うちの会社に興味はないですか?」とメッセージをいただきました。代表は私と正反対の方で話していて面白く、私は未知なものに対して興味を持つタイプだったのでヘイ株式会社で働くことにとても興味がありました。

ただ、当時の仕事も楽しくやりがいも感じていたことと、当時お付き合いしていた彼と結婚をちょうど考えておりヘイ株式会社には関西に支社がなかったので一度お断りました。

ーそうだったのですね!

はい。ただ、その後父が急死したことで、「自分の人生なんだからやりたいと思ったことは全部やろう!」と思い直し、お断りしてから半年程が経っていたのですが、代表にもう一度連絡させていただきました。ユーザベースも変わらず大好きだったのですが、少しでもやってみたいと思った気持ちを大事にすることに決めたんです。

ーお父様の死が最終的な転職の決め手になったのですね。

父の突然の死は私に後悔しないように常に行動することと感謝の気持ちをその都度伝えることの大切さを教えてくれました。当時は父の死や、お付き合いしていた人との別れなど、大きな変化が重なり精神的には正直不安定な部分も多かったですが、結果的には時間が経つにつれて新しい環境にも慣れ少しずつその不安定さも解消されました。

 

何歳になっても遅くないから挑戦し続ける

ー転職されてみていかがでしたか。

同じベンチャー企業ですが規模感が全く違い新鮮でした。秘書として入社しましたが、広報もさせていただくようになって仕事の面白さはさらに増しました。広報という仕事はとても幅広く、世の中に自社製品がどう必要とされているかを分析し、どうその製品の魅力を発信していくかを企画。そしてその企画案をメディアなどの媒体に営業と分析・企画・営業とすべて経験できることにやりがいと面白さを感じています。また、媒体に掲載された時に周りからいただく反響もやりがいに繋がりますね。

社内に広報経験者はいなかったので私も何からはじめたらいいのか当初は手探り状態でしたが、他社の広報の方にお話を聞いたり、広報関連の本を読んでみたりするところからはじめました。もちろん、会社によって広報に求められることは全然違うのでそこは広報の難しいところだなと日々感じています。

ー最後に今後の目標などがあれば教えてください。

まずはヘイ株式会社の広報として、「 STORES 」をいろんな人に知ってもらえるように頑張りたいです。また、まだまだ広報初心者なので広報とはどうあるべきかということについて引き続き考えて勉強していきたいと思っています。

最近は高校生起業家など中高時代から何か特徴的なことに挑戦している人が増えていますが、社会人になってから新しいことに挑戦するのも全然遅くないと思っています。私も中高時代は用意されていたレールにただ乗っているだけでしたが、大学生になって少しずつ自分で考えて行動する楽しさに気づき、今こうやって新しいことに挑戦しています。いつになっても人って変わることができると思うのでU-29世代のみなさん、一緒に頑張りましょう〜!

取材者:あおきくみこ(Twitter/note )
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter