受け身な人生から、自分自身を武器に活動するまで。LIGマーケター・まこりーぬ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第216回目となる今回のゲストは、株式会社LIGのマーケター・まこりーぬさんです。

法人営業から新規事業運営まで、若手の便利屋としてあらゆる業務を担当してきたまこりーぬさん。そんなまこりーぬさんに、幼少期から株式会社LIGで働く現在までのお話を伺いました。

泣き虫だった私が女性初の生徒会長に

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

現在は株式会社LIGのマーケティング担当として、広告出稿・SEO・ウェビナー・メルマガなど、問合せ獲得のために何でもやっています。

ー仕事面については後ほど深掘りできればと思います!現在のまこりーぬさんがどのように形成されたのか知るために、原点にさかのぼって生い立ちから教えてください。

幼少期はいつも2人の姉にくっついていて、とにかく泣き虫でした。3姉妹の末っ子で、5個上と6個上に姉がいて。姉たちと同じことを私もやるんだろうな、と日々思っていました。お姉ちゃんたちがこういう高校行くから私も行くし、お姉ちゃんたちがアルバイトをしているから私もする、というように常に影響を受けていましたね。

小学校低学年までは、すごく泣き虫で。通知表に「勉強頑張っているのは良いけど、毎日泣くのどうにかしてください」と書かれるほどでした(笑)体育が苦手で授業のたびにピーピー泣いてましたね。ただ、小学校4年生で合唱団に入って集団行動をするようになってから、このままではいけないと世の中に順応していきました。

ーなぜ合唱団に入ろうと思ったのですか?

当時仲が良かった担任の先生が社外活動で指揮者をやっていて、合唱団に誘っていただき、面白そうだなと思って入りました。

昔から先生とすぐに仲良くなるんですよね。よく相談にのってもらってました。ナチュラルにそういうことやっちゃうんですよね。

ー年が離れたお姉さんがいるので、大人と自然にコミュニケーションがとれるのかもしれませんね。合唱は中学時代も続けてましたか?

合唱は小学校4年~6年までやって終えました。中学時代は女性初の生徒会長として、真面目に生きてましたね。「齊藤 麻子」って書いたタスキを胸にかけて、選挙活動とかしてましたよ。

ー選挙活動では他の方と戦ったりしてたんですか?

残念ながらバトルはなかったです(笑)信任・不信任投票で、信任が過半数だったので、生徒会長に任命されました。よほどヤバイ奴じゃない限り不信任にはならないと思うので、生徒会長になるのはそんな大層なことではないんですけどね。

枠がたまたま空いていて、やってくれる人がいない中で、当時の担任の先生に誘われたんです。私の家まで来て「生徒会長にならないか」と口説かれました。自分が生徒会長になることは想像できませんでしたが、せっかく推薦してもらったのでやることにしたんです。

合唱団への入部と生徒会長への着任、どちらも当時の先生の影響を受けていますね。私の人生の転機は、いつも誰かに導かれてなんです。

 

ハンドボールに青春を捧げた高校時代

ーここからは、高校時代どのように過ごされていたか教えてください。まず進学する高校はどのように選びましたか?

高校選びも、姉たちの影響を受けました。高校は地元で1番の進学校へ行くという流れがあったので、何も考えずに姉たちと同じ学校へ行くことに決めたんです。

ー高校時代、何か印象的なエピソードはありますか?

私の青春のピークは、高校時代で。幼馴染に入ってくれと言われたので、マネージャーという関わり方で男子ハンドボール部に所属しました。いい思い出はたくさんあるのですが、けっこうへこんだ時期もあって……

一緒にマネージャーをしてた女の子と性格が合わなくて、一時期ハブられていたんです。男子ハンドボール部のマネージャーは、女子ハンドボール部の子たちと更衣室が一緒なので、仲良くなるんですよ。その子たちも一緒になって、帰りによそよそしい態度を取られたこともありました。

クラスに友達がいたので精神的に病むことはなかったですが、さすがにしんどくて部活に行くのが億劫になって。それを助けてくれたのが、男子ハンドボール部の部員たちでした。私の状況を察してくれて、事情も聞いてくれて、「俺たちと一緒に帰ればいいじゃん」と言ってくれたんです。

マネージャーの私も仲間だと思ってくれて。部員たちには本当に救われましたね。高校1年の途中から、この人たちのために頑張ろうというマインドに変わり始め、高校2年・3年と部活に勢力を注ぎました。

ー高校時代の思い出は、部活動が割合を占めていますか?

8割くらいは部活が占めていましたね。始発で学校へ行き、部室を片付けてから学校の予習をして、授業後に部活へ行き、最後に片づけをしてから帰宅する日々。

夜はこたつで寝落ちして、「早くお風呂に入れ」と親に怒られて。授業中も疲れすぎて寝落ちして先生に怒られて。常に寝て、怒られてました(笑)

ー中学時代とはずいぶん印象が違いますね。

おっしゃる通りで、中学では生徒会長をやっていたのでどちらかというと真面目なイメージを持たれていたと思いますが、高校では体育会系なイメージへと変わったと思います。

 

「危機感」と「自信」から大きくステップアップ

ー大学時代のお話もぜひお聞かせください。進学する大学はどのように決めたのですか?

大学選びも、高校のときと同じく姉たちの影響を受けて。姉たちが実家から通える大学に行っていたので、地元から出るという発想はありませんでした。実家から通える大学の中で、1番偏差値の高い学校に行こうと思い、九州大学を選びました。

ー実際に大学へ入学してからは、どのように過ごされていましたか?

大学は人生観が変わったタイミングで。入学当初は、何をやったらいいかわからずに日々を過ごしていました。向かう先がわからなり、TOEIC、色彩検定、中国語検定などいろんな資格を取りながら、大学1~2年生は何となく過ごしていました。

3年生で就職活動が始まってから、人生が変わりましたね。

ー就職活動について、もう少し詳しくお聞かせください。

就活が開始された大学3年の春から、就活セミナーに真面目に参加していました。今まで受動的に生きてきたので、行きたい会社も夢もなく、とりあえず就活ガイダンスに参加したりして。

情報収集をしている中で、東京で行われるビジネスコンテストの選考を見つけました。その年はたまたま「デザイン思考を使って1週間でビジネスプランを考えよう」というテーマで。大学でデザインを学んでいたので、ピンときて選考を受けてみたんです。すると無事に通って、東京へ行くチャンスをもらいました。

ー東京のビジネスコンテストに参加してみてどうでしたか?

刺激をたくさん受け、「危機感」と「自信」を得ましたね。

私が参加したビジコンを、そもそも年下が運営していることがカルチャーショックで。みんなスーツでバシッと決めて、メンターとしてアドバイスしている姿は衝撃的でした。私より1~2年前からいろんな経験をしていることに危機感を覚えたんです。

とはいえグループワークでまったく戦力にならないかというと、そういうわけでもなくて。ちゃんとやり合えば価値は発揮できると思ったんです。能力や経験値に関わらず、やる気の問題だということに気づきました。やればできるのに、やる環境がないとか、やろうというマインドがないのはもったいないと思ったんですよね。

ービジネスコンテストをきっかけに交友関係も広がりましたか?

そうですね。大学3年のときはインターンシップを5〜10社経験したので、人事の方や一緒にグループワークをした学生など、そこで得たつながりは大きいです。

大学4年では、インターンシップでつながりを持った友達と、地元で学生団体を立ち上げてイベントを開催しました。その他にもNPOに参加していたので、地元のコミュニケーションを活性化させる活動もしていましたね。どんどんご縁がつながっていき、最終的にはfacebookの友達が1,000人ほど増えました!

 

「何でも屋さん」からマーケターへ転身

ーここからは、大学卒業後のお話をお聞かせください。新卒1社目ではどのようなことをされていましたか?

新卒で入った会社には4年間勤めて、いろんなことを経験させていただきました。最初は法人営業だったので、よくテレアポでガチャ切りされてましたね。しばらく経って会社で就活生向けの新しいサービスを立ち上げるタイミングで、お手伝い要員として呼ばれました。営業の数字を持ちながら、新規サービス立ち上げ部署で営業資料を作ったりして何でもやってましたね。

社会人3年目くらいから、会社でマーケティング部門を立ち上げるお話があって。そこにアサインされたので、3年目からは新規サービスとマーケティング広報のお仕事を兼任していました。途中で新規サービスが閉じてしまい、最終的にはマーケティング広報の仕事が残ったんです。

ー毎年お仕事が変わっていたんですね。1社目で4年間勤めた後に、転職しようと思ったきっかけを教えてください。

1社目では何でも屋というポジションで。何でもできますは、何もできないことと一緒だと思ったんです。営業も新規事業もマーケティングも経験した中で、マーケティングであれば他の職種よりも周りの人の役に立てるだろうな、という感覚が芽生えました。マーケティングを縦の軸にしようと思い、転職を決めたんです。

ー数ある会社の中で、なぜ株式会社LIGを選んだのでしょうか?

理由は2つあります。1つは、単純に人手が足りなくてLIGが困っていたからです。前任者が辞めてしまい、1週間後には来てほしいという状況で。自分の経験を活かして、少しでもカオスな状態を整えることで、役に立てればと思っていました。

もう1つは、自分の名前で仕事をするのは価値になるだろうと、当時から思っていたからです。LIGは10年ほど、社員の顔と名前を公表してブログを書いていて。自分の名前で仕事をすることは、今後自分を助けることになるだろうな、となんとなく思っていたんです。

ー自分の武器を作っていきたいという点でマッチ度が高かったんですね。入社後はどんなことをされてましたか?

最初はお客様の広告運用が中心でした。未経験ですが教えてくれる人もいないので、Googleの検定を取ったり、必死でキャッチアップしたりしてましたね。

今は自社の問い合わせを増やすために動いている時間が長いです。

ーマーケティングとは別に、ライティングも行っているそうですね!

はい。LIGではもともと社員が月に1回ブログ記事を書くというルールがありまして。最初はセミナーの告知文やイベントレポートなどを書いていましたが、上司から取材に行ってこいと言われて、株式会社ホットリンクのいいたかさんにインタビューしに行ったんです。その取材が楽しくて、インタビュー記事作成を続けることにしました。

ただ記事を書くことは本業ではないので、半年ほどさぼった時期があったんですよね。そんなときに株式会社WACULの垣内さんへ2回目のインタビュー機会をいただいて。垣内さんのナレッジが素晴らしいものだったこともあり、1日に1万PVを獲得するほど記事がバズったんです!

それからどんどん横のつながりで書く仕事が増えていきました。本当に本業やっているのか心配されてる方もいるかと思いますが、なんとかやっています(笑)LIGで私のバリューを最大化するには、コンテンツ作成が有効な施策だと思っているので、今後もそこに時間を使っていきたいですね。

 

有言不実行のダサい大人にならないために

ーLIGでマーケター兼ライターとして働くうえで、ご自身の見せ方は意識していますか?

実はそれほど意識はしていなくて。真面目なのも自分だし、ふざけているのも自分なので、隠すことなく自然体でいるようにしています。

ーいつでも自然体でいるためのコツはありますか?

できるだけ多くの人とコミュニケーションを取ることが大事だと思います。私の場合はありがたいことに、学生団体を通じて同世代の方と、インターンや会社を通じて年上の方とお話する機会をいただけていて。そのおかげで、堂々と人の目を見て話すことができているので、取材活動にも活きています。

ただ、意識していないと居心地の良い人としか話さず、人との関わり方が凝り固まってしまう傾向にありますよね。なので、いかに初対面の人と会えるかが大事だと思うんです。

ーコミュニケーションの得意・不得意はさておき、人との出会いを増やすことが重要なんですね。様々な人と出会う中で、他の人と自分を比べてしまうことはありませんか?

学生のときにいろんな方と出会って、いつも自分より上か下かで見て卑屈になっちゃったことがありました。でもそれってすごくしんどいですし、優劣で見るのは誰もハッピーにならないなと思って。

そこで、比べられない環境に行くことにしました。競争することで勢いが出る方もいると思いますが、比べることがネガティブに働いてしまう方は、その環境から逃げたらいいと思います。私自身、絶対的な価値基準をどこに置くかは人生のテーマですね。

ーまこりーぬさんが今後チャレンジしたいことを教えてください。

直近で言うと、せっかくマーケターとして働いているので、マーケティングの力で会社の売上を上げたいです。優秀なマーケターの方たちにインタビューさせていただき、素晴らしいお話を聞かせていただいていて、それが実行できていないのはダサいなと思うので。学びを形にして、会社に還元していきたいですね。

そのあとは正直未定です。やりたいことはないですが、好きな時間に好きな場所で好きな人と働きたいという展望はあって。それを実現するためのスキルをどれだけ身につけられるかが、20代のテーマです。

どうせ生きるんだったら同じことやっててもつまらないですし、停滞しているのはもったいないので、これからも次へ次へと前進していきます。

ー物怖じせずチャレンジし続けていくまこりーぬさんが、理想の働き方を実現できるよう応援しています!本日はありがとうございました。

 

取材者:高尾有沙(Facebook/Twitter/note
執筆者:Moriharu(Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter