一輪車で世界一周・土屋柊一郎さんに学ぶ!人生の経験を最大限に生かす方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第192回目となる今回は、土屋柊一郎さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

小さい頃から一輪車の世界大会で優勝したり、釣り雑誌での連載やyoutubeでの発信、そして日本一周・世界一周と、現在においても尚アクティブに挑戦し続けている土屋さん。土屋さんのエネルギーの源となるような考え方や、これまでの一風変わった経験について取材しました。

小学校から一輪車をはじめ、国際大会優勝という世界一を達成、怪我をしながらも続けられた理由とは?

ー早速ですが、自己紹介をお願いします。

1994年生まれ、AB型の土屋柊一郎です。小学生の頃から一輪車をして、19才の時に一輪車で日本一周で旅に出て、その2年後の21才で一輪車で世界一周をしていました。その後、旅する中でもっとも好きになったカンボジアという国で、BLANKゲストハウスという日本人宿の運営をしています。現在コロナの影響でカンボジアのゲストハウスは休業中なのですが、日本に帰ってきてからシェアハウスを作ろうと思い、9月に沖縄からスタートして今現在で全国に7拠点展開しています。宜しくお願いします。

ーそもそも、一輪車と出会ったきっかけはなんだったのですか?

父が一輪車をずっとやっていて、実は父が一輪車の元世界チャンピオンなんです。その影響で父に教るようになり、10歳の時には一輪車の世界大会で日本代表として出場しました。そのときに、金メダル3つといくつかの賞を受賞することが出来、当時は嬉しかったことを今でも覚えています。

ー世界大会で優勝後は、プロになりたいと思っていたのですか?

いや、プロになる気は特になくて、一輪車の世界大会で優勝したらその時にやりたかった野球をしてもいいということだったので、優勝後は野球を始めました。その後も中学生では陸上をやったり、何かを極めるというよりはその時々で好きなことをしていました

運動に関係なく、釣りも好きで、釣り雑誌にも当時載ったんです。中学生の頃から誌面に載り始めて大学生になってからはその月刊誌で連載を持っていたりしていました。中学や高校の頃は一輪車や陸上よりも釣りがメインの少年でした。(笑)

ーそれから時が経ち、19歳で日本一周をしようと思ったきっかけとは?

はい。それまでは、色々やっているように見えてレールの上を乗っているような人生だったんです。大学2年の頃に日本一周をしたのですが、3年生はインターン・4年生は就活で忙しくなるなというイメージだったので、時間のある今にしかできないことをやろうと旅に出ました。はじめは自転車で行こうかな、と思ったのですが自転車で日本一周って実はたくさんいるんですよね。なので、自分にしか出来ない旅をしようと一輪車で旅に出ることにしました。一輪車だけでは移動の制限も多いので、加えてヒッチハイクもしていました。だいたい2か月ほどで終えました。

最初は「挑戦したい」という気持ちの方が大きくて日本一周に出たのですが、この日本一周をきっかけに旅や出会いが大好きになって、世界一周したいと思うようになりました。

ー日本一周中にいちばん記憶に残っていることは何がありますか?

いちばん記憶に残ってること…たくさんありすぎて選べませんね。やはり人との出会いが1番大きかったですね。たとえば、宮崎を走ってる時にたまたま道の途中で自転車で日本一周をされている方と出会い、話が盛り上がってその日は夜ご飯をご一緒にさせていただきました。その方は会社の社長をされている方でして、その後、自分が世界一周の旅をすることになった時にスポンサーになってくださったり、ゲストハウスのスポンサーもしていただけて。とても応援していただいてます。

逆にいちばん怖かったのは、箱根の峠道を下っているときに坂が急すぎて自分の足で止められなくて、突っ込んでこけたんです。ブレーキがないのはなかなか危険だなと感じ、世界一周にいくときは一輪車を改造してブレーキをちゃんとつけました(笑)

ーそれは怖いですね…。そんな日本一周を達成された後は、予定通り就活などはされたんですか?

いえ。日本一周の旅に出て、色々な生き方をしているひとが沢山いることを知り、自分の価値観がガラッと変わったんです。なので、自分のやりたいことをやったらいいと気付いて、世界一周にいこうと決意しました。初めは考えていなかったんですが、友人に冗談で「日本一周すげーわ。つぎは世界一周っしょ。」と言われて、初めは行かねーわ!なんて言っていたのですが、気付けばその気になってしまって。

その後、TABIPPOという団体が行なっているあるコンテストにノリで応募しました。自分のやりたい旅の想いをプレゼンして、そこで優勝すると世界一周の航空券がもらえるというものです。そうしたら、トントン拍子で優勝してしまって、気付いたらもう行くしかない状況になっていましたね。

ー世界一周ではどのくらい回られたのですか?

1年弱で20カ国ほど回りました。世界一周って色々な定義があると思うのですが、僕の定義としては国数というよりは、わかりやすく測れる指標で「一輪車で1万km」と決めました。休憩も含めて1日7時間でだいたい70kmくらいを走り、めちゃめちゃ走った日は1日maxで146km走りました(笑)一輪車で、10kgくらいのバックパックを背負いながら走っていたのでほんとにお尻が痛くなりました。途中からその痛みにも慣れましたけどね。

ーどの国が楽しかったですか?

圧倒的にカンボジアですね。楽しかったというか住みやすいというか、パッと一言では言えないのですが居心地の良さがとってもありました。宿が無かったときに、たまたまお姉さんに逆ナンされて泊まりに行ったらすごい面白い家だったり、と懐かしいエピソードが色々あります。世界一周を終えてから作ったフォトブックを持って、また会いに行きました。そういった普段日本ではできないような経験が、一輪車を通して沢山できました。

 

ゲストハウス経営やYoutube、メディア出演、アウトドアなど多岐に渡る土屋さんの軸になっている想いとは?

ー24歳でカンボジアに移住されたんですね。

はい、当時は色々と迷いましたね。大学を2年休学して、世界一周したり、UUUMで社員として働いたりしたのですが、迷った末に卒業後にカンボジアへ移住してゲストハウスを開業しました。

一輪車で日本一周・世界一周をして、ほんとうに価値観がガラッと変わったんです。日本の常識は世界の非常識で、何が正解かなんて無いんだなと思いました。そんな感じで、自分のやりたいことで生きていくのがいいなと思って、ゲストハウスを開業しました。旅する側も旅人を受け入れる側も楽しいし、楽しい場を作ってその場を見ているのも楽しかったりして。

ーそうなんですね。現在は、シェアハウスを全国展開中ということですがどういった経緯があったのでしょうか。

カンボジアのゲストハウスは最初こそ知名度が全然無かったんですが、日本人宿でいちばん若者が集まる場に急成長してたんです。ですが、コロナがやってきてしまったので自分も行けず、カンボジアのゲストハウスは休業中です。何も出来ない中でも止まっていられないなと思ったので、日本でシェアハウスをやろうと思いました。

7月に沖縄で1か月限定で、シェアハウス兼ゲストハウスをやる機会があったのですが、とても楽しかったんです。シェアハウスは、より長期的なコミュニティができる点でゲストハウスにプラスした面白さがあると感じハマりました。そうして9月には本格的に沖縄につくり始めて、現在はどんどん全国に展開していく計画を立てています。

ー活動が多岐に渡っていますよね。色々な取り組みの中で、軸となる想いとかありますか?

考えたことはあまりないですが、自分の中で「なにがいちばん楽しいか」を大事にしています。あとは例えば、寒いのが苦手なので暖かいところに行くとか、満員電車が嫌いなのでそれを避けるような生活をする、などネガティブなことは排除するようにしています。

なかなか出来ない人も多いかと思いますが、小さい挑戦を重ねて成功体験をたくさん積んで、これ楽しい!いける!という感じに少しずつ出来ることが広がって自信に繋がっていくのかなと思います。何事も楽しそうならやってみればいいんじゃないかな、と思いますね。

ーいままで挫折や、辛かった経験などはありますか?

そうですね、あまり挫折というのは無いですが。一輪車で日本一周を終えて、次は世界一周へ行くぞ!という時に、事故で右足の骨が5本バッキバキに折れたんですよ。そのときはさすがにメンタルやられましたね。自分のやりたいことが1年間できない期間、リハビリだったり車椅子だったり、とてもつらかったです。

あと、今年のこのコロナの時期もけっこうキツイですね。やっとカンボジアの事業が軌道に乗ってきたときに、何も出来なくなってしまって。家に缶詰にされてもやりたいことも無いし、自由にビュンビュン動き回る人間には自粛期間は辛すぎましたね。自分がやりたいときにやりたいことが出来ない環境って辛いですよね。

ーそういった挫折からは、どうやって立ち直りましたか?

正直、挫折はあまりしないタイプです。ですが例えば、上記のような自分ではどうしようもない場合には、その環境下で出来ることを自分なりに考えて行動しながら時が経つのを待ちますね。それ以外は、挫折する前に自分自身で環境をガラッと変えたりしながら改善しているのかなと思います。あとそもそも、他人から何を言われても全く気にしない性格であることのも大きいかもしれません。(笑)

 

世界一周した当時の経験から、今の自分がだからこそ気づける学びと生かし方について。

ー世界一周しての学びなどはありますか?

色々な価値観に触れられたのが良かったですね。多様性というか、いろんなひとがいるんだと知れたのが良かったし、自分の為になっているなと感じます。日本で、世界が狭いなあと思うひとに出会うと、一回旅に出たらと本気で思いますね。

ー旅人に共通する人間性など、なにかあるかと思いますか?

楽観的というか、やはり多様性を認められるひとが多いですかね。「何でもいいよね!」というか、違う価値観を認められて気にしないひとが多い気がしますね。

ーこれから世界一周にいくひとへ、何かアドバイスはありますか?

死なないことですね!命・パスポートさえ取られなければ何でもいいんじゃないですかね。とにかく自由に、たのしんでほしいです。いろんな形がありますから、細かいことは何も決めず、気の赴くままに旅に出てみたらいいんじゃないでしょうか。

世界に挑戦し続ける土屋さんはアフターコロナに何を描くのか。

ーいま、日本国内でも事業を展開していて、改めて思うことはありますか?

コロナの時ってオンラインが流行ったじゃないですか。オンラインって便利だしじゅうぶん楽しいんですけど、なんだか足りないって思ってたんです。それが、宣言が解除されてオフラインで友人と会うと、やっぱり直接会う・オフラインってめっちゃいいな!と思いました。幸福度が高くて価値を感じるというか。これからオンラインが主流になっていっても、オフラインの価値が上がってさらに盛り上がるのではと感じています。

ー土屋さんのこれからの人生でやりたいことなど教えてください。

直近で何をやるといった人生計画的なものは何もなくて、行き当たりばったりというか、その時々で楽しめればいいなと思っています。例えば、コロナが起きるなんて誰も予想出来なかったですし、将来の予定を立てても狂ってしまうと思うので。

まあ勝手にやりたいなと思っているのは島を買って開拓したいです、コミュニティの拡大版みたいな。(笑)明確な目標は無いですが、そのときの環境に適応しながら、いちばんやりたいこと・楽しいことが出来ていたらいいなと思います。

 

ーありがとうございました。土屋さんのこれからのご活躍を応援しています!!

 

取材者:増田稜(Twitter

執筆者:たるちゃん

デザイナー:五十嵐有沙(Twitter

 

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