不安を超えるワクワクを求めて。松本佳恋さんに学ぶ、答えがない未来を楽しみ続ける生き方とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第183回目となる今回は、松本佳恋さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

 

大手企業に勤めながらパラレルワーカーとしてアクティブに活動されている松本さん。ご自身をとてもポジティブだと自負されていますが、実は中高時代はネガティブ思考だったとのこと。彼女の生き方を変えた出会いや経験が一体何なのか、取材しました。

 

海外大進学を決意したワケとは?

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

小学校3年生から2年半程シンガポールで過ごしましたが、それ以外は高校までを神戸で過ごし、大学はアメリカのニューヨーク州立大学ストーニーブルック校に進学。卒業後新卒で化学メーカーに入社し、現在3年目になります。本業とは別に本業終了後の時間や土日を活用してライターとして活動をしていたり、高校生みらいラボという教育団体で運営をお手伝いしている他、フリーで英会話を教えたりしています。

ー小学生の頃にシンガポールに住まれていたのですね。

はい。8歳(小学3年生)の夏から、父の仕事の関係で家族でシンガポールへ引っ越しました。両親から「シンガポールに引っ越すよ!」と言われた時はシンガポールがどこかも分からなかったので「は?」となったんですが、母が家族は一緒に過ごすべきという考えを持っていたので、日本に残るという選択肢は初めからなく家族全員で引っ越しました。

シンガポールは多様性に溢れた国で、住みやすくてとても良い国でした。インターナショナルスクールに入学したのですが、初めは英語が全く分からずただ座っているだけという状態が続き大変でした。でも、床に座って授業を受けたり、おやつの時間があったり、授業中もお茶を自由に飲んで良かったりといった日本の学校にはない自由な雰囲気はすごく好きでした。「なんて自由なんだこの国は!」と思いましたね。そんな環境に慣れてしまったので逆に日本に帰国してから日本の学校生活に慣れるのが大変でした。

せっかく英語が出来るようになったのだから、と帰国後は帰国子女枠での入試があった神戸の私立の中高一貫校に進学しました。

ーなるほど。17歳の時には、高校生外交官プログラムに参加されたそうですね。

はい。高校生外交官プログラムという、AIU保険会社(現AIG保険)が全額奨学金を出してくれる日米国際交流プログラムに高校3年の夏に参加させていただきました。アメリカ人20人が日本・京都にやってきて、全国から選ばれた日本人20人と合計40人で10日間一緒に過ごすプログラムでした。

実は、シンガポールから帰国してから英語が嫌いになり、英語を積極的に使ったり、勉強したりすることから遠ざかっていました。けれど高校生になってから自分の将来を少し考えるようになって、「英語を話せることは自分の武器だ」と気づきました。そこから英語を伸ばそうと思い、短期留学に行ってみたり、中学で辞めてしまった英会話学校に再度通ってみたり、英語のスピーチコンテストに出場してみたり、AFSという留学団体がやっているサマーキャンプに参加してみたりしました。高校生外交官プログラムも「夏休み 無料 英語」とググったところたまたま見つけて応募しました。 

ーこのプログラムの10日間を経て、心境の変化などはありましたか?

めちゃめちゃありましたね。このプログラムに参加したことで自分のその後の人生観や進路選択が変わったので、参加できたことに感謝しています。

プログラムに参加するまで、現実派だった私は、「無難に安定して良い人生を送るだろう。自分の人生こんなもんだろう」と思っていたんです。でも、プログラムの参加者たちが大きな夢を語ったり、将来に対してすごく前向きな思いを持っているのを見て、「大きい夢を語ってもいいんだ。自分の人生こんなもんだって卑下せずに、自分の人生の可能性をもっと認めてあげてもいいかな」と初めて思えたんです。みんな人生一度きりを体現するかのように楽しそうに生きているのを見て、私ももっと楽しく生きたいなと思うようになりました。その気づきが今の生き方に繋がっていると思います。

また、そのプログラムで仲良くなった広島県出身の女の子が「アメリカの大学に行く!」と言っており、そういう選択肢があることを初めて知ったんです。その言葉が自分の進路を考えるきっかけになりましたね。

ーそこからどう言った選択を?

正直、プログラムが終わると現実に戻り「いや、アメリカの大学なんて無理でしょ」という思いに戻っていました。でも、高校3年の11月末にいただいていた推薦先に進学することに、もう無視できないほどの違和感を覚えたんです。進学予定だった大学に通う姉や周りの知り合いからの話を聞いて、もし自分がこのまま推薦先の大学に入学したら、1-2年目はバイト・サークル漬けの生活、3年目は留学、4年目は就活。卒業後はきっとそこそこ良い会社に入社して、そのあとはもう結婚?出産?と思った時に、なんてつまらない人生を送ろうとしているんだろうと思ってしまったんです。それに対して、アメリカの大学に行けばどんな人生になるかが未知で、無限に将来の選択肢が増える気がしました。

すでに進路変更するには遅すぎる時期だったのですがそこで初めて先生に相談して、アメリカの大学に出願する準備を始めました。クリスマス前までにはエッセイや出願資料を全部用意して出願完了させていたので、もう本当にドタバタでしたね。両親は突然の進路変更にもちろんびっくりしていましたが、浪人しないように複数の大学を受験することと、日本の大学へ行く予定だった分を超える学費は自分で払うことを条件にアメリカの大学への進学を許してくれました。なので今は絶賛借金返済中です(笑)

アメリカといえばニューヨークだろうという安易な考えでニューヨーク州の大学を4校出願した結果、全ての大学から合格をいただくことができました。まさか全て受かると思っておらず、選ぶ選択肢があると思っていなかったので、合格してからどこに進学するかかなり迷うことに。結局どうやって決めたらいいか分からなかったので、ストーニーブルック大学で毎年開催されるイチゴフェスティバルに行きたいという理由だけでストーニーブルック大学に進学を決めました。

 

海外生活を経験して今に活きていること

ー実際に海外の大学に行ってみてどうでしたか?

勉強はとても大変だったんですが、アメリカでの生活はとても楽しくて自分にしっくりきました。学費を自分で払ってでも行った価値があったなと思います。アメリカの大学も日本同様、基本4年で卒業なのですが、アメリカの大学は単位取得が終わり次第卒業申請をして卒業することが出来ます。学費を抑えることができるのもあり、私は3年で卒業しました。また、アメリカの大学だからこそある制度をフル活用したく、専攻を2つ、副専攻を1つ選択しました。大変だったんですが、やってみてよかったです。

ー在学中に、ライターも始められているんですよね。

そうです。同じように海外大学に進学されている方とTwitterで繋がり、その方からニューヨークの現地情報や海外進学に関する情報を発信するメディアのライターをやらないかというお話を頂いたのがきっかけではじめました。

私自身、周りに海外進学をする人がいなかったので情報収集にとても苦労したこともあり、これから海外進学を考える人たちの役に立ちたいなと思ったんです。初めはボランティアという形で始めたのですが、やっていくうちに意外と書くことが好きということに気づき、誘っていただいたメディアに加えて、留学エージェントなどの媒体に寄稿したりし始めました。

ー海外の大学に進学をした、という選択をして今に活きていることはありますか?

生き方、考え方ですかね。アメリカに行って、とてもポジティブになりました。

中・高時代の私はとても現実主義者で、「人生こんなもんだろ」と冷めていたのであまり人生が楽しくなかったんですよね。でもアメリカに行ってから、自分の好きな服を着て自分の好きなことを主張する周りに影響されて、私ももっと自分らしく生きたいと思うようになりました。そこから、自分のことをとても好きになることができ自己肯定感がだんだん上がっていきました!

新卒で日本の大手企業に就職。海外ではなく日本で就職した決め手は?

ー帰国するかどうか迷いましたか?

とても迷いました。というのも、夏季休暇で日本に一時帰国すると自己肯定感が下がってしまうのが分かって。私が好きなのは、アメリカにいる自分だから、卒業後もアメリカにいたいなと思いました。ですが当時トランプ大統領が当選した直後だったので、卒業後のVISAの確保がおそらく厳しいなというのと、アメリカでは自分の専攻していた分野と一致する仕事にしか就職が出来ないので、そもそも応募できる仕事が限られていて。あまりやりたくない仕事をしてまでアメリカに居続けるかどうかの迷いもあったんです。

そのことをたまたまそんなに好きじゃなかった教授に機会があったので相談してみました(笑)そしたら、「あなたは18歳の時、単身でNYに乗り込んできたんでしょう?22歳のあなたなら、どこに行くのも怖くないわよ。一度日本に戻って違うと思ったなら、アメリカに戻ってきたら良いし他の国に行くでも良い。そのスキルが今のあなたにはあるから。今のあなたは、無敵よ。」と言われて、「あ〜確かにな」と思ったんです。アメリカに戻りたいと思ったらいつでも戻れるな、という謎の自信がその時に生まれました。だったら、一度日本に戻ってみて自分と向き合ってみるのもひとつかなと思い、帰国することを決めました。

ー先生の言葉に背中を押され日本に帰国することを決意し、その後就職までには1年間のギャップイヤーがあったと伺っています。

そうですね。帰国したのがちょうど同い年の子達が就職している時期だったので、急いでその波に乗って就活をしました。そして6月にいくつかの会社から内定をいただくことができたので、7月から入社までの期間はサマーキャンプの運営スタッフをしたり、アルバイトを掛け持ちしたりしてフリーター生活をしてました。

アメリカにいたときにボスキャリ(ボストンキャリアフォーラム)に2回参加したのですが、その時は業界問わずいろんな会社を受けて外資の保険会社から内定を頂いていました。でも何か違うなと思って。また、両親が外資企業ではなく日系企業に就職してほしいと思っていたのを知っていたので内定は辞退しました。それで卒業時には就職先が決まっていない不安もあったのですが、とりあえず日本に帰国して日本の大学生と一緒に就活してみることにしました。

ボスキャリだと限られた会社の数しか来ないのでそこから選べば良いのですが、日本だと中小も合わせると膨大な数の企業があるじゃないですか。さすがにやみくもに受けるのは難しいなと思い、日本に帰国後はメーカーを中心に、ボスキャリに来ていない、海外大を卒業している学生の採用が少ない日系企業に絞って就活をしていました。

ーあえてそう選んだのはどういった理由からでしょうか。

自分がこれまで出会ってこなかった人たちと出会ってみたいな、と思ったんです。化学メーカーだと理系の方が多くて、あまり海外に興味のない方が多いんですよね。また、化学メーカーの日系大手だと中途採用が少なく、新卒入社でしか入るタイミングがなかったので、違う世界を見てきた人たちと会える機会って今しかないと思ったんです。

メーカーを選んだのは、両親がメーカーを推していたというのも大きいです。どちらかというと保守的な両親が海外進学を応援してくれて3年間自由にさせてもらっていたことに感謝していたので、次の3年は親も納得するような選択をしたいな、と思っていました。そんな感じで何となくで選んで就職した会社でしたが、とても人にも環境にも恵まれて、感謝しています。

 

複業、個人活動など積極的に行動している松本さん。その行動力はどこから来るのでしょう。

休職して参加した内閣府国際交流プログラム「世界青年の船」

ー本業以外もやってみよう、と思うようになったのはどんな心の変化があったんでしょうか。

わたし実は、「化学」に興味が無くて(笑)なんなら1番嫌いな科目でした。そして1年目で製品の勉強などをする中で「やっぱり化学は苦手だな」となってしまい…会社や職場の人は大好きなのですが、自分の仕事自体にはそんなに愛が持てていないんです。もちろん仕事は仕事なのでそれはやろうとは思ったのですが、それだけでは人生が楽しくなくなってしまうなと思いました。そこで好きなことをやろうと思い、色々なことに足を突っ込んでみたという感じですね。

ー課外活動では特に教育に関わっている印象があるのですが、そこにはどんな想いがありますか?

日本の英語教育が良く無いなと思ったことと、教育現場でこそ新しい選択を提示できるチャンスがあると思っているからです。例えば海外進学について、そもそも選択肢として提示してくれる先生が日本の中高にはいないんですよね。海外進学は合う合わないは勿論あるけど、そもそもその選択肢があるということを周囲の大人が提示してあげないとその人の生きる選択肢が狭まっている気がしました。選択肢は多いに越したことはないと私は思っているので、できるだけたくさんの選択肢が提示される教育現場になればいいなと思って活動しています。

ーいろんなことをやってみようという行動力は、どこからきていると思いますか?

基本的に、やって無駄なことは無いと思っているので行動できているのかなと思います。とりあえずやればいい、というか。

好きな言葉に「Everything happens for a reason.(何事も理由があって起こる)」という言葉があるんです。自分が見つけた選択肢には理由があるはずなので、やらない意味が無いなと思っています。やってみて、振り返った時にきっとそれに意味があったと思えるんだろうなあと、いうのが行動してみようと思う理由ですかね。後から何らかの形で繋がればいいなと思っています。

 

松本さんの考える、人生論とは

ー将来に不安だったり、怖いと思うことはありますか?

常に将来は不安です!ですが、不安を帳消ししてくれるワクワクをいつも探すようにしています。これを挑戦したら自分がどうなってるか分からないな、というのが自分にとってのいちばんの楽しみです。「想像できないかも」と思ったらそれはめちゃめちゃ面白いことなので、不安かもしれないけどやりたいっていつも思いますね。

 

ー素敵ですね。最後に、今後考えていることや方向性など、ご自身が大事にしていきたいことなどありましたら教えてください。

私自身、これからどういうキャリアを選ぶかは決めていません。今の会社で働きながら、空き時間に好きなことに取り組む働き方を続けるかもしれないし、全く違う会社に転職するかもしれない。将来が決まっていないことに正直不安もありますが、それがやっぱり楽しみでもあります。何歳になってもきっと不安がなくなることはないと思うんですよね。でも常にそれを超えるワクワクを探して、数年後の自分がどうなっているか分からないという状況を楽しんで前向きにやっていけたらいいなと思います。

 

ー本日はありがとうございました!松本さんの今後を応援しています。

取材者:あおきくみこ(Twitter, note

執筆者:たるちゃん

デザイナー:五十嵐有沙(Twitter

 

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