木林毅さんに学ぶ!日本代表バスケ少年→大手→ベンチャー。別世界に飛び込んだことで見えたこと

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第176回 のゲストとして、株式会社テンシャル・木林毅さんをお呼びしました。

なんと木林毅さんは、バスケットボールでU-15やU-22に選ばれるほど実力のあるバスケ選手でした!そんな彼が筑波大学を卒業し、三井住友海上火災保険株式会社を経て現在の株式会社テンシャルに入社することに。バスケットボール選手時代のお話はもちろん、全く違う道を歩むことを選んだ理由や転職のきっかけなど気になることを盛り沢山で伺っていきます!

新卒で入社した大手企業を辞め、株式会社テンシャルに入社

ー現在、株式会社テンシャルにお勤めということで、まずは簡単にどんなことをやっている会社か教えてください!

テンシャルはスニーカーや革靴など日常シーンで使用するインソールや、靴下やマスクなどのウェルネスを中心に商品を展開している会社です。社名の「テンシャル」は、「ポテンシャル」から名付けられており、人々のポテンシャルを引き上げて、人々の生活を豊かにするという想いが込められています。社員の平均年齢は26〜27歳かなり若く、やるときはやるし、遊ぶときは遊ぶという部活動っぽい雰囲気があります。

ー会社のお名前とそこに込められた想いとても素敵ですね!木林さんは、テンシャルの前には大手の「三井住友海上火災保険株式会社」にお勤めだったということですが、全然違う業界ですよね?そちらでは何をしていたんですか?

以前は、三井住友海上火災保険株式会社で代理店営業をやっていました。代理店の方々をしっかりマネジメントしつつ、様々な種類の保険を提案したりしていました。マネジメントスキルだったり、チームで一緒に目標に向かって進めていくところは、今も昔も共通していることだと思っています。僕は、自分が主体となってゴリゴリ進めていくよりも、周りと一緒に手を組んでやっていく方が得意なんです。それはきっと、幼少期から取り組んでいたバスケットボールのおかげなんですよね。

常にベストな方法・環境を見つける。バスケットボールを中心にした人生の選択とは

ー先ほどのお話にも少し出てきた「バスケットボール」ですが、おそらく今の木林さんを語る上で最も重要なポイントだと思います!ぜひバスケットボールのお話とともに幼少期のお話も教えてください。まず、バスケットボールに出会ったのはいつ頃でしたか?

僕がバスケットボールに出会ったのは、4歳の時のことです。元々、両親がバスケットボールをやっていたこと、そして2人の姉も競技していたことから自分もバスケットボールを始めることはごく自然のことでした。小学校に入ると、地元のミニバスケットボールチームに入り、それがない時は父と一緒に体育館で練習することもあり、バスケットボール漬けの毎日でしたね。ただ、小学校の時は練習に行くとお小遣い100円もらえるという制度が我が家にあり、それでお菓子を買うのが楽しみでバスケットボールをやっていました(笑)

しかし、その中でも漠然とバスケットボール選手への憧れはあって、いつしか自分もそうなりたいという気持ちが芽生えていきました。また、実家のある府中市はBリーグのアルバルク東京のホームタウンであり、試合を観に行ったりしたこともあったので、バスケットボール選手というのは自分にとって身近な存在でもあり、より憧れは強くなっていったという感じです。中学校はひとまず地元の公立中学に進学したのですが、中学校1年生の3学期にバスケットボールに強い中学校に転入しました。

ー途中でバスケットボールに強い中学へ転入されたということで、どんどん木林さんの中で「バスケットボール選手になる」という決意が固くなっていくのがよくわかります!強豪中学であること、そしてミニバスケットボールチームから部活へといろいろ変化が多い中学校時代だと思うのですがいかがでしたか?

僕が転入した中学は、中高一貫校で関東中から人材が集まるバスケットボール強豪校でした。そんな強豪校部活でしたから、生活スタイルも今振り返るととてもハードでしたね。朝6時に家を出て、帰宅するのは21:30〜22:00くらいで、週に一回しか休みはありませんでした。それだけ聞くととんでもなく大変なように聞こえると思うのですが、それでもそれは本当に良い経験になりました。

というのも、中高一貫なので部活は高校生と一緒に行います。ですので、体格や技術も全く段違いの高校生と一緒にメニューや練習をこなしていく環境は非常に緊張感を感じるものがありましたし、自分の成長にもつながりました。練習の中でミニゲームをやって、毎回ボコボコにやられるみたいなのはザラにあって…本当にキツかったです(笑)

ー確かに、中学生と高校生では全く違いますよね。それはなかなかできない貴重な体験だと思います!では、そのまま高校にあがりその環境でバスケットボールを続けて行ったんですか?

実は、高校にはそのまま上がらず、バスケットボールの名門校である福井県・北陸高校に進学しました。もちろん当初は、僕もそのまま中学と同じ高校に進学する予定だったのですが、やはり全国大会で優勝したいという気持ちが強くなり、勝てるところでやりたいと思いこの決断に至りました。また、姉たちもすぐに家を出て寮生活をしながら学校に通っていてること、また親自身も「早く家を出て、色々な世界を見た方がいい」と常々言ってたこともあって親元を離れることにも抵抗はありませんでしたね。

実際に高校でプレーする中で、やっぱりレベルは格段に高いと感じましたし、それぞれが多様な価値観を持っていて、それに触れられるのもすごく楽しかったです。また、高校時代は寮生活でしたのでそれも普通の高校生活では体験できないようなもので、バスケ以外のそう言った学びも非常に自分の財産になりました。

ーなるほど、さらなる高みを目指すための選択だったのですね!また高校では、ガラリと環境が変わったと思うのですがそこでの苦労したことや印象的な出来事はあったりしますか?

そうですね、入学してすぐ試合に出場できていたことから一時期天狗になっていた時期もあって、それで二年生の時にいきなり試合に出られないということがあって、気持ちがネガティブになっていた時がありました。その八つ当たりからと自分の頑固な性格から、審判や対戦チームとよく喧嘩をしていましたね。監督や先輩に言われても自分が違うと思ったら、反発してよく衝突するなんてことはよくありました(笑)

そんな自分が改心できたのは、どんな時もチームメイトのみんなが見放さずに自分と向きあってくれたからだと思っていて、今でも当時のチームメイトのみんなには今でも頭が上がらないです…!そういった仲間たちに支えられたおかげもあって、1年時に冬の全国大会ウィンターカップで優勝、3年時には全国ベスト4、U−18代表候補にも選ばれるなど成績を残すことができました。

ーすごい!!自分で選択した道でしっかりと結果を残せているの本当に素晴らしいことだと思います。そしてバスケットボール推薦で大学へと進学されたと思いますが、また大学ではこれまでと違った環境がありそうですよね。

これまでバスケットボールをしていく中で様々な環境に身を置いてきましたが、大学は大学で全く異なる環境でした。高校は、寮生活ということもあって規則が厳しかったのですが、大学はそれとは真逆で全て自分の責任のもと自由に生活することができたのでそのギャップはありましたね。一気に、大人として自分がみられている感じがしました。

部活もさらにレベルが格段に上がり、小手先では通用しない高い技術やフィジカルを持った選手ばかりが集まっていました。なので、一年生の時は、全然試合に出られなく、ベンチにさえ入れないことも続きました。これまではどちらかというと、いつもチームの中心で活躍していた自分が「みんながみんなエース級に活躍できるわけではない」という現実をはっきりと見せつけられた形でしたね。

ー代表にも選ばれた木林さんでさえベンチに入れないということは、相当なレベルの高さが伺えます。実際そういうことが続くとモチベーションも下がりますよね。

そうですね、なかなかメンタルにきたこともありました。ただやっぱり自分の中で「活躍したい」という気持ちは絶えずあって、でもこのまま技術やフィジカルで真っ向から勝負しても難しいと思ったんです。その時考えたのが、他者が注力できないところに自分は力を入れて、それを自分の役割として、メンバーとの差別化をすることにしました。その行動を続けるうちに、チャンスをもらえるようになり、プレータイムも増えていくということにつながりました。

自らで考え行動してやることをしなければ、周りのスーパーエースの中で活躍するのは難しいとを思い知り、大学は頭脳戦で勝ち抜いていきました。その努力の結果、2年時の途中からスターティングメンバーとしてインカレ三連覇に貢献したり、3年時には大学の日本代表に選出もしていただきました。

バスケットボールから社会へ。真摯に自分と向き合って選択した新たな決断

ーここまで長らく打ち込んできたバスケットボールですが、就職では別の道を選ばれたということなのですがそれはどういう理由があったんですか?

バスケットボールの道に進まなかったの理由は、2つあります。

一つは、Bリーグから声はかけてもらっていたのですが、そのレベルに達せる自信がなかったこと、またこれまで以上に競争が激しい中で本当に戦っていけるのかと疑問を持ってしまったんですよね。やはりやるからには代表レベルで戦いたく、そこで活躍できないのであればあまり意味はないかなと思いました。

二つ目の理由としては、自分はこれまでバスケットボールしかしてこなくて、逆にそれを職業としてやっていくことに違和感があったんです。かなり自分が狭い世界で生きてきたと言うのは、大学で様々な価値観に触れる中でとても感じていたので、もっと違う世界をみたいと思うようになりました。また、大学も筑波大学ということで就職活動をすればある程度の企業には入れると思い、どちらが後悔をしない道かを考えた時に就職の方を選びました。

ーそうだったんですね。やるからには一番を目指したいという意思決定が木林さんらしくてすごく素敵だと思いました!そこからでは就職活動を始めて行ったと思いますが、その中でなぜ三井住友海上火災保険株式会社を選んだのですか?

実業団リーグっていうのがあって、バスケを続けながらできるということが非常に大きかったですね。やはり、人生のほとんどを捧げたバスケットボールと完全に縁が切れるというのは自分の中であまり選択肢がなく、就職してからも続けられる道を選びました。あとは、自分のバスケットボールの成績を認めてもらえたり、知り合いの先輩が就職していたということもあって色々な話を聞いてるうちに良い会社だと感じでそこに決めました。

ーバスケを続けながら仕事を続けるというのも木林さんらしい選択ですよね。実際に就職してみてどうでしたか?

業務内容は難しかったり、覚えることもたくさんあって、想像よりも大変でした。しかし、どんな大変なこともバスケットボールでの経験を思い返せば乗り越えることができました。ただやっていくうちに、なぜか一生懸命になれない自分ががいることに気がつき、そこに違和感は感じていくようになりました。

というのもこれまでバスケットボールに打ち込んで、努力して練習して考えてということができたのは、自分が興味のあることだからだったということに気づいて、自分が頑張れないのは今やっていることに興味がないということを理解することができたのです。やらなきゃいけないことはもちろん仕事なのでやるのですが、これまであったような上に昇りつめたいという熱量は一度も感じられませんでした。そんな中で、このままやっていいのかな…という想いが生まれたのが転職のきっかけになりました。

ー自分の感じた違和感と真摯に向き合った結果の転職だったんですね。このあとテンシャルにはどのようにして出会われたんですか?

共通の知り合いを通じ代表の中西と出会ったのがきっかけでした。スポーツに対して熱い想いがあるメンバーが集まっていて、それが自分にとってとても魅力的に感じました。メンバーと話していて、学生時代ワクワクしながら部活にやってたのと同じ熱量で仕事に取り組んでいるのをみて、自分が働きたい会社と出会えたと思いました。

また、代表は同い年ながら(株)リクルートでキャリアを積み、今ではビジネスの最前線で働いているとうこともあり、この人の元で働けばこれまでに得られなかったスキルや視座を獲得することができると思ったのも会社を選んだ理由です。大手からスタートアップへの転職は、周りから反対もありましたけど、先に挙げたような環境や成長できるという点、そして何よりも自分が興味を持てるという点でここしかないと思いました。

実際に働いてみると、大手企業にいた時にはなかった裁量や責任感のある仕事に非常にやりがいを感じました。また、メンバーも意欲的に成長して、行動に移していくその姿がとても刺激になりました。

ーバスケットボールから、就職をして転職をして、これまで様々な環境に身を置いてきたと思うのですが、だからこそ見えてきた視点というのもありますか?

体育会出身者はよく就職すると、とりあえず営業やっとけばいいみたいな風潮があるんですよね。でも、本当にトップレベルで活躍してきた学生であれば、本気で物事に打ち込んでいるはずで、高いレベルに行くまでは頭も使って試行錯誤してやってきてると僕は思うんです。なので、営業だけじゃなくて、そこで得た経験や思考法は社会でどんな職種で働こうが再現性はあると思っています。

体力を武器に活躍していくのももちろん選択肢としてはあると思いますが、自分も含めてもっと自分を生かす就職を最初から考えられればよかったなと思いました。スポーツをずっとやってきた子は、よく「スポーツしか自分はしてなくて…」と口にするのですが、それを卑下することは全くないんです。むしろその経験でしかできないことをたくさんやってきているはずなので、ぜひそこを自分の強みとして道を切り開いて行って欲しいと思います。

ーこれぞ、トップで活躍していたからこそ、そして現在社会の一線で働く木林さんだからこそのメッセージですね。これから就職を考える学生にもエールとなる言葉だと思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました!

取材者:中原瑞彩(Twitter
執筆者:後藤田眞季(Facebook
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter