生きづらい人を救いたい。パラレルキャリアを歩む藤島凌が目指す世界とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第181回目となる今回のゲストは、ウォンテッドリー株式会社セールス兼CSの藤島凌さんです。

本業のかたわら、インナーブランディング研究協会(IBRA)副会長兼ファシリテーターとして活動し、さらに個人事業として「Life Style Creation Company」を設立した藤島さん。そんな藤島さんが、パラレルキャリアを始めるに至った経緯を、幼少期からさかのぼってお話いただきました。

見てみぬふりができない、不器用だった幼少期

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

私は今、ウォンテッドリー株式会社でセールス兼CSとして働いています。具体的にはウォンテッドリーを使っていただいているお客様に対して、どうやったら採用がうまくいくのか、企業のブランディングができるのか、についてアドバイスさせていただいています。

その他にも副業でインナーブランディング研究協会、いわゆるインナーブランディング事業に対するオンラインのサロンを展開していますね。

さらに2020年8月7日に「Life Style Creation Company」を設立し、個人事業でオンラインのカウンセリング事業も展開しているので、三足の草鞋を履いて仕事をしている状況です。

ー3つのお仕事をするうえで共通する考えはありますか?

1つひとつ規模感は違うのですが、「輝きを見出す」という共通点がありますね。

例えばウォンテッドリーを通して会社や求職者の人を救ったり、インナーブランディング研究協会を通して社員が会社をもっと好きになるように支援したり、個人事業を通して個々人の生き方・働き方についてアドバイスをしたり……どれも貢献性の高い仕事なんです。

法人・個人問わず、一人ひとりの輝きを増すことによって、結果的に世の中に貢献することになると思っているので、どの仕事もやりがいを持って続けられています。

ー「輝きを見出す」というテーマを設定するに至った経緯を教えてください。

さかのぼると小学校2年生の頃からになりますね。当時5、6年生が、少し障害がある子をいじめている場面に遭遇したんです。

その時とっさに「どうしてそういう差別をするんだ。別に障害を持ちたくて持っているわけではないし、努力している人に対して何でそんなに辛辣な言葉を浴びせられるんだ」と、小学生ながらに反発しました。上級生と隔たりはできましたが、自分に嘘はつきたくないと思っていましたし、それが大事にしている価値観でもあったので。

その経験から、いろんなバックグラウンドがあってもすべて受け入れて、個が輝けたら世界はもっと美しくなるんじゃないか、と考えるようになりました。

ー幼い頃から信念が強いと、周りと感覚が合わない時はありませんでしたか?

まさに生きづらさを感じていたことは多々ありました。

世の中と自分の考えていることに乖離があるなと感じていて、そのまま乖離がある状態が続いたら苦しいな、ともがいていましたね。実は生きていて唯一自殺を考えた時期でもあったんです。

何か支えがないと乗り切れないほど辛かったですが、家族と友人がそばにいてくれました。私がどんな個性を持っていても否定をしない家族と、私が行き過ぎた時に冷静に止めてくれる友人がいたからこそ、今こうして生きていけてます。

 

目標達成のために半年で20㎏減

ー小学校高学年になると環境は変わりましたか?

小学校6年生の時に30人31脚という競技に参加したことで、人生が好転していきました。

実は当時身長160㎝で、体重が110㎏ほどあったんですよ。30人の平均体重が仮に50㎏だとすると、私だけで2人分あるので実質31人32脚になってたんじゃないかな(笑)

よくぽっちゃりりょうくんって呼ばれてました。いじられるのは嫌いではなかったんですけど、太っていると30人31脚の足手まといになってしまうので、どうにかしなきゃとは思ってましたね。

ー誰かに攻められたことは……?

それが私たちのチームは、そうやって誰かを攻める人は1人もいなくて。運動のセンスがなかった私に対していちから教えてくれる同級生がたくさんいました。

どうしてもみんなと同じステージに立ちたいという想いから、涙を流しながら日々練習し、なんと110㎏あった体重は半年で90㎏まで落ちたんです。さらに支えてくれる友人も増え、30人31脚で全国3位になることができ、人生がプラスに転じていきました。

ビジョンやゴールに向かってみんなで歩幅を合わせて、試行錯誤しながら進んで行った経験は今の仕事にも活きています。人を信頼することって大切だな、1人でできることには限りがあるんだなという気づきがありましたね。

 

成績ビリから生徒会長に

ー中学生時代についても教えていただきたいです。

中学生の頃はものごとの変動が激しかったです。当時の私は運動だけでなく勉強もまったくできなかったんですね。校内テストではビリだったんです。

ある日恩師が「藤島くんは勉強できなくないと思うよ。興味の範囲を広げてみれば、また違った世界が見えるんじゃない?」と言ってくれて。その言葉をきっかけに猛勉強し始めました。

小学校1年生のドリルからやり直して、1日8~10時間は勉強しましたね。徐々に勉強の楽しさを見出していき、最終的には校内成績トップ10を維持できるほどになったんです。

その成果もあり生徒会に推薦してもらえて、中学2~3年は生徒会長を務めることに。勉強ができない人の気持ちがわかるので、勉強が苦手な人や、部活で勉強の時間を確保できない人のために勉強会を主催したりしました。

ー部活動ではどうでしたか?

バドミントン部に入ったのですが、勉強と同じくビリだったんです。ビリで悔しいという想いから、ビリから這い上がるためにはどうすればいいか必死で考えました。

1年生の頃はしんどい時もありましたが、努力を続けたことで2年生でレギュラーを取れるようになり、3年生で区内1位を取り続けるところまで行けました。

ちなみに体重は90㎏から55㎏まで落ちました。身長が178㎝まで伸びたので、むしろ痩せすぎでしたね。

こういった勉強と部活の成功体験が、やればできるという自信につながりました。

 

周りに流されないことでテクノカットを回避

ー高校生になって、何か壁にぶつかった経験はありましたか?

悩みしかなかったですね。

当時ファッションにまったく興味がなくて、毎日シェル(貝殻)が印刷された赤いTシャツを着ていて(笑)5年間好きだった初恋の子に5~6回告白したんですが、1回も振り向いてもらえず、最後は「シェルのTシャツを毎日着ている人とは付き合えない」とバッサリ振られました……

振られたショックから毎日ファッション雑誌を読みあさった結果、調べすぎてファッション好きになりました。ところがやっとおしゃれに目覚めたタイミングで、ものすごく校則が厳しい高校に入ってしまったんです。

どれくらい厳しいかというと、前髪が眉毛に1mmでもかかったらアウト、耳に髪がかかったらアウト、襟足があったらアウト。坊主頭か、オードリーの春日さんのようなテクのカットしかできない状況まで追い詰められました。

そこで頭の中に「何でこの校則ができたんだっけ?」という考えが思い浮かんできて。先生方に「校則によって何を防げるのか」「生徒のためになるのか」「テクノカットと坊主であることが学校のブランディングにつながるのか」と詰め寄りました。校則やルールに逃げることは、思考停止していることとイコールだと考えていたんです。

ー先生たちの反応はどうでしたか?

ものすごく苦い顔をされましたね(笑)「言っていることはわかるけど、私たちの力ではどうすることもできない」と言われたのをよく覚えています。

当時は離れていく友達もたくさんいたんです。目立つような行動をしても私にとって損だとアドバイスをしてくれる友達もいましたが、それでも主張し続けたことでクラスで浮いていました。

逆にその中でも慕ってくれる友達もいましたね。どうやったら私の主張が通るか一緒に考え、校則を変えたいという人の意見を集めてデータをもとに戦おうとしてくれたりもしました。

その時の経験から、周りに流されず、かつ周りの考えも大切にしながら事業を進めていく術を学べたのではないかと思います。

 

仕事にのめり込む人を増やしたい

ー高校卒業後、進学や就職はどのように進めていったか教えてください。

進学と就職どちらも誰にも相談せず、自分で選択しました。まず進学は、附属大学へ行くか、他の大学へ行くか、それとも自分で会社を立ち上げるかなど、いろんな選択肢を考えていて。当時からビジネスには興味があったので商学部に進学することに決めました。

就職活動では大手企業を目指していたのですが、就職指導課の方や友人に「うちの大学じゃ無理だよ。そんな大手に受かるわけない」と止められて。止められると本当にそうなのか検証したくなりました。

周りができないと思っていることでも、努力をすれば成し遂げられることを証明するため、ゴール設定をしてひたすら努力しました。結果的に、金融業界の大手企業5社から内定をいただくことができたんです。

ー実際に大手企業で働いてみて、ギャップはありましたか?

ギャップしかなかったですね。丸の内で働くことに憧れがあったので、転勤が少ないと聞いていた信託銀行に就職したのですが、最初の配属がまさかの高知県でした。

また当時から自分で会社をやってみたいという気持ちを抱いていたので、経営者の方々と密接に関われることを期待して入社したのですが、金融やファイナンスのお話はできても経営的な視点ではなかなか関わることができませんでした。

3年ほど働いて、ふと「この職業をずっと続けていけるかな?」と考えました。定年まで、生涯をかけて仕事をしたいと思っているのですが、1つの基点だけで生きていくのはリスクがあるなと思って。

金融の知識も活かして別のことにもチャレンジするというように、かけ算のキャリアを歩みたいと思い、転職を決意しました。

ーそこから現在されている3つの仕事と出会った経緯を教えてください。

まずウォンテッドリー株式会社は、実は元々ヘビーユーザーだったんです。信託銀行を退職してフリーランスとして働いている時に、ウォンテッドリーで転職先を探していました。

「個を輝かせる」という軸で30社ほどピックアップして面接も受けました。その中で「そもそもウォンテッドリーってそういう会社だな」と、一周回って気づいたんです(笑)

ちょうどウォンテッドリー株式会社で社員を募集していたのですぐにエントリーして、面接開始から1週間で入社を決めました。社内では最速入社だったみたいです。

副業でジョインしているインナーブランディング研究協会は、フリーランス時代に参加したイベントがきっかけでした。参宮橋のBarで一日店長をやるイベントを見て、なんとなく参加した先で出会ったのが、現会長の鈴木 誠一郎さんです。本当に運命的な出会いでした。

個人事業の展開は、コロナがきっかけですね。友人がコロナの影響でタイ人の彼女と会えなくなり、さらに事業主として展開していた飲食業や不動産業が大きな打撃を受けました。友人のそういった環境を救いたいと思い、外的要因に左右されない環境を自ら作り出すことに決めたんです。

ー3足の草鞋を履いた働き方は、率直にどうですか?

とても充実していますね。信託銀行で働いていた頃は、日曜日しんどくなったり、月曜日を迎えるのが怖く感じたり、いわゆる「サザエさん症候群」に悩まされました。その経験から、仕事に対する負の感情をプラスに変えられる人を増やしたいと思うようになったんです。

実際に今働いているウォンテッドリー株式会社や、インナーブランディング研究協会、個人事業での仕事では、一人ひとりに寄り添って、生き生き活躍するための支援をしているので、それぞれでシナジーを生み出せていると思います。

実は四足の草鞋も履こうとしている状況でして、大切な方がVR・AR特化型の動画配信プラットフォームを作るという話が出ていて、市場調査から事業計画書作成までがっつり飛びついて行ってます(笑)まだまだ挑戦し続けます。

 

生き方・働き方に正解はない

 

ー転職や起業をするには勇気が必要だと思います。藤島さんが行動を起こす原動力は、どこにあるんでしょうか?

私が大事にしているのは、自分で自分の限界を決めないことです。転職や起業をするときに、周りから「やめた方がいい」「ここまでしかできないんじゃないか」と言われるケースは多々あります。

私はメンタルがものすごく強いわけではありませんが、自分で限界を決めないという想いと、人のためという想いから、周りの意見を気にせず突っ切れていますね。自分のためだけでは限界を感じてしまうので、仕事を通して人を幸せにする、など「人のため」が根源にあります。

ー仕事にやりがいを持てていない人に、メッセージをお願いします。

副業ができる会社に勤めている場合であれば、パラレルキャリアを歩むことをおすすめします。ご飯を食べるためだけのライスワークに依存していると、限界値があると思っていて。

収入だけでなく、誰かを救いたいとか、スキルを活かしたいとか、社会に貢献したいとか、そういった目的をもってライフワークも行うことで、より人生が輝くのではないでしょうか。

副業ができない場合は、改めて自分がやりたいことを言語化することが大切だと思います。私がウォンテッドリー株式会社の「シゴトでココロオドルひとをふやす」というミッションに共感して転職を決めたように、ビジョンやミッションに共感できるかどうかは、やりがいにつながってくると思うんです。

転職や起業など、いろんな選択肢があると思いますし、みんな違ってみんないいので、焦らずにしっかりと自分と向き合って今後の働き方を決めて欲しいですね。

ー自分の信念を曲げずに行動を起こしてきた藤島さんのお言葉は、一歩踏み出せない方々の力になると思います。本日はありがとうございました!藤島さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:Moriharu(Twitter
編集者:あおきくみこ(Twitter/note
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter