組織に所属しながら「好き」も仕事に。パラレルワーカー・度会彩花のこれまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ、第177回のゲストは平日は社労士事務所で働きながら、ライターとしても活動されている度会彩花(わたらい・あやか)さんです。週末などの空き時間に「書く」という自分の好きなことを仕事にされているパラレルワーカーの度会さん。そんな彼女がライティングを仕事にするようになった経緯や、フリーライターとしてただ働くのではなくパラレルワークという働き方を選んだ理由などお話いただきました!

フリーライターを趣味にして、組織に所属を選択

ーまずは現在のお仕事について教えてください。

名古屋を拠点に、平日は社労士事務所で採用労務コンサルタントとして働いており、週末はフリーライターとして活動しています。社会人1年目までは人材会社で求人広告ライターとして働いていましたが、その後フリーライターとして独立、今年の8月からはフリーライターとしての活動を続けながら現在の社労士事務所で働いています。

ー社労士事務所では具体的にどのようなお仕事をされているのですか。

社会保険労務士の所長の下で、企業の経費絵計算や補助金申請のサポート、社会保険取得の手続きなどのお手伝いなどをさせていただいています。人材会社勤務時代にも給与計算など労務系のお仕事を少ししていたこともあり、もう少しその分野でも経験を積めたらと思い働かせていただくことにしました。

ーその一方でライターとしての活動も続けられているんですね。

はい。ライターをはじめた当初はコラムの執筆などを中心にしていましたが現在は求人広告を中心としたコピーライターとしての仕事をしています。企業さんの代わりにホームページの会社案内に掲載する文章やキャッチコピーを作成したり、アイキャッチ画像を含め求人広告などを作ったりなど、制作系のお仕事をしています。

 

中学3年で突然食べられなくなった。

ー少し過去に遡ってお話も聞かせてください。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。

生まれは三重県なのですが、生まれてすぐに愛知県の春日井市に引越し、21歳までそこで育ちました。幼少期の頃から活発で人見知りしない、話すのが大好きな子供でしたね。

が、中学3年の頃に突然拒食症になってしまい学校に通うことが苦痛になりました。通常、拒食症や過食症はストレスなどが原因となっていることが多いのですが、私の場合は理由らしい理由が見つからず、突然ご飯が食べれなくなってしまいました。本来楽しいはずの学校のお昼休みは、ご飯を見たり匂いがするだけでも嫌だったので苦痛の時間になりました。また、ほとんど食べることができなかったため体力もなく、学校は不定期で休んだり、半日で早退したりこともありました。

ー拒食症はどれくらい続いたのですか。

約1年ほど続きました。突然食べれなくなったので怖くなって病院にも行ったのですが、原因はわかりませんでした。「あと3kg痩せたら入院してください」と先生にも言われるくらい痩せてしまいましたね。食事をすることがかなり難しく、基本的に水分に近いようなゼリーや、ヨーグルトなどを摂取していました。それすらも食べられないときは、最低限の栄養摂取のため、病院へ点滴を打ちにも行ってましたね。たまに食べられるタイミングもあったので、そういうときは少しずつ食べるという、不自由な食生活を送っていました。

ー何がきっかけで治ったのでしょうか。

特に何かがきっかけで治った訳ではかったです。原因も分からなかったなかで、時間が解決してくれたという感じでした。拒食症になった当初は、誰にでもできる「食べる」という簡単なことができない自分に苛立ちを感じたり、いつ治るかわからないことに不安を感じることが多かったりしたのですが、食べられない自分を徐々に認められるようになったのがよかったんだと思います。

 

大学入学後ライターとして本格始動

ー中学・高校で何か熱中していたことや取り組まれていたことはありましたか。

もともと読書感想文など文章を書くのが好きだったのですが、16歳の頃に、文章コンテストで賞を受賞したことで、「今は亡きあの人へ伝えたい言葉」という一般書籍に、私の書いた文章が掲載されました。賞状と書籍が家に届いたときはびっくりしましたが、とても嬉しかったのを今でも覚えています

ーその時の経験がライティングのお仕事をすることにつながったのでしょうか。

そうですね。大学に入ってからクラウドワークスというサービスを偶然見つけ、在宅で仕事をできるのが画期的だと思い登録してみたところ、ライティングのお仕事があったので、挑戦してみることにしました。

最初は経験がなかったので、かなりの低単価でした。それでもライターを続けられたのは、『やっぱり書くことが好き』『自分はいつか単価をあげられるという自信があった』というメンタル的な理由と、デビュー時は実家暮らしで金銭面で余裕があったという理由があったからですね。その時の自己肯定感の高さが、今の私をつくりあげていると思っています。

ーどのようなものを書かれていたのですか。

初めはクラウドワークスでのファッションやコスメ、仮想通貨に関するコラムライティングが中心でしたが、その後はコピーライティングにも挑戦することになりました。大学3年生の終わり頃、受付スタッフのアルバイトに応募し、それがきっかけでとある派遣会社に登録面談をしにいきました。面談時にライターとしての活動を話したことで、その面談をしてくれた社員さんに、「君さ、うちで求人広告ライターとして働かない?」と誘いをうけ、その派遣会社でライターとして勤務することになりました。

ー異なるライティングのお仕事をされてみていかがでしたか。

書くお仕事という点では一緒でしたが、気をつけなければならないポイントが違ったので初めは苦労しました。コラムの執筆などは要約に近いライティングですが、求人広告はどれだけ簡潔にその仕事の魅力を伝えるかがポイントです。

両方をやってみて、求人広告のライティングは人材不足の企業を救う仕事かつ求職者と経営者の人生を左右する仕事という点で、コラムなどのライティングよりもやりがいを感じました。

 

会社員生活を経て独立するも「頭打ちを感じた」

ー大学卒業後もライティングのお仕事は続けられたのですか。

はい。新卒では人材紹介会社の総務部に入社したのですが、介護の求人媒体を自社が持っていたこともあり、再び求人広告のライティングをすることになりました。結果的に大学時代に働いていた派遣会社と似たような業務を担当していましたね(笑)

ー仕事面では大学時代と大きく変化はなかったのですね。プライベートでは何か変化はありましたか。

1年同棲していた彼氏と大学を卒業と同時に結婚しました。結婚するなら大学卒業のタイミングしかないのではないかと思っていたこと、車を買うことを検討した時などに結婚していない2人が一緒に暮らす不自由さを感じる部分があったこともあり、結婚を決めました。少し前に鼻の手術をしたのですが、入院中は家族としか面会ができなかったんです。そういったいろんな場面で、近くにいるのが彼氏ではなく、主人という人生のパートナーがいること、家族がそばにいることはとっても素敵なことだなと思いましたね。

ー順風満帆な社会人生活1年目を送られていたんですね。

そうですね。ただ、1年目を終えたタイミングでやっぱり一度フリーで働いてみたいと思ったため会社を退職し、フリーライターとして求人広告・会社案内やブログの執筆代行などをするようになりました。

そんな中ライター4年目を迎え、ライターの仕事に頭打ちを感じるタイミングがありました。私にとって仕事へのモチベーションは自己成長だということもあり、ライティング以外にもう1つ何か柱が欲しいと思ったので、人材会社で少し関わった採用や労務の分野でキャリアを積むために、社労士事務所で働く道を選びました。

 

将来の目標は人事労務に関わる講師業

ーまだ働き始められたところかと思いますが、パラレルワークを初めてみていかがですか。

これは人によると思いますが、自分の性格や描いているキャリアプランを考えると、今の働き方はベストな働き方だなと思っています。ライターとしても、採用労務コンサルタントとしても同時並行で経験を積めるのはパラレルワーカーである最大のメリットですね。

あとは、20代の間は自分の能力を使って社会に還元することよりも、経験を積みながら、学びながら少しずつ社会に還元していく時期だと思っているので、組織の力を借りて1人ではできない経験を積めることにとても感謝しています。

ー度会さんが描いているという今後のキャリアプランについてぜひ教えてください。

将来的にはライターと採用労務コンサルタントの経験を生かして、人事労務に関わる講師業をやりたいと思っています。これを30歳までに実現させるためにも、今のお仕事に全力で取り組みしっかりと経験を積んでいきます。

また、講師として働くのであれば、話を聞きたい、教えてもらいたいと思ってもらえるような人間であるべきだと思っているので、キャリアだけでなく、人間力もしっかり磨いていきたいと思っています。

取材者:あおきくみこ(Twitter/note
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter