大学生でブランド立ち上げ!?湯浅遼太は、LEGITで藍染めを纏う

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第165回目のゲストは、LEGIT代表の湯浅遼太(ゆあさりょうた)さんです。

藍染めを活かした服飾品を製造するブランド「LEGIT」を立ち上げた湯浅さん。「生きた証はデニムの色落ちと経年変化で残せる」と話し、下駄や羽織りや巾着などの世界に1つだけの製品を販売。父親の暴言と、母親の動揺と、妹の泣き声の狭間で学生時代を過ごしますが、家族が頼りにしていたのはジーンズを通しての結びつき。人生をかけてやりたいことに答えを見つけた湯浅さんに、人生を自分色に染める秘訣を伺いました。

自分の変化を纏う。ブランドへの想い

LEGIT代表の湯浅遼太さん

ー自己紹介をお願いします。

湯浅遼太です。琉球大学の学生ですが、現在は休学していて、岡山県倉敷市児島に住んでいます。コミュニティ型ブランド「LEGIT」を運営し、藍染めを中心に、下駄や羽織りなどの製品を企画・販売しています。僕が企画し、パートナーさんと一緒にパターンを組んで、生地屋さんに生地をおってもらい、縫製工場に仕様を依頼をして製品化するんです。7月に販売した藍染めの羽織りは生産中で、僕も生産者と一緒に爪が青くなるぐらい藍染めの工程に関わっています。今後は、LEGITの雑誌を制作し、メディアとしての役割も持たせていきたいなと考えています。

-ブランド名の由来を教えてください。

生デニムのことを、RIGIDデニムと呼ぶんです。また、LEGITには、アメリカ英語のスラングで「本物、かっこいい」という意味があります。沖縄で生活していたときに耳にしたアメリカのスラングと、デニムを追い続けている中で出会った言葉をうまく融合しました。僕はしょうもない駄洒落や言葉遊びが好きなんです(笑)。

-いろいろな洋服の型があるなかで、なぜ羽織りを選んだのでしょうか。

羽織りを着ると、心の感覚を研ぎ澄ます瞬間や感覚にぐっと寄り添っていけるんですよ。偽物と本物という二項対立で出てくるような本物なのではなく、あなたの心が「かっこいいな」「いいな」と感じた本物。その瞬間は人それぞれです。なぜそう思ったのかで、自分らしい羽織りの着こなし方ができる。藍染めの経年変化は、自分らしさを出せる手段の一つなんですよね。

-デニムで羽織りをつくる理由はなんでしょうか。

藍染めをよく観察していれば、「ここが変わってきたな」とわかるんです。目の前の1着を愛せたら、物や社会や世界に対して愛する眼差しを向けられるのではないかと思います。藍染めの羽織りは、経年変化を観察し、服に対峙する自分に意識的になって欲しいという想いを込めています。

経年変化を身に纏う意識があるだけで、僕は人生が楽しくなったんですよね。だから、羽織りを着ている人同士がコミュニケーションを取るコミュニティをつくりたい。着用した感触を、自由に語りたいんです。色落ちやシワをじっくり観察して、記憶や思い出を振り返り、明日の自分を思い描いて欲しいなあと思います。

「なぜ、父親は怒鳴るのだろう」悩む青春時代

自身で「12人目のチームメンバー」と称し、ピッチ内の選手に声をかける高校時代の湯浅さん

-幼少期はどのような生活を送っていましたか。

僕が小学校高学年から高校2年生ぐらいまで、父親が精神的な病を患い、家族に激しい暴言を浴びせていました。通勤できない時期もあるぐらい、本人もコントロールできない様子でした。実家では、妹は泣き叫び、母親は必死になだめようとしていて…。

僕は反抗期だったので妹や母親に力を貸せず、自分勝手に振舞う父親に反抗的な態度をとっていました。悪いのは父親ではないんです。僕が病気を理解できずに、家族の仲をかき乱す父親に不満を抱いていて…。本当は、家族に優しく接したいのに、全然できないんですよ。「なんでできないだろう」と悩んでいました。

-家庭内で問題を抱えながら、学校での生活はどうでしたか。

家族の外、学校が自分の居場所でした。授業では積極的に発言し、特に好きな科目であった理科は担当教員と頻繁に授業内容について話をしていました。たまたまその先生が生徒会の顧問だったので、僕を生徒会長に推薦してくれたんです。お互いの性格が分かっていたから、信頼関係が構築されていたのかもしれないですね。

幼稚園から続けたサッカーでは、インターハイをかけた試合でベンチ入りメンバーに選ばれるほど活躍していました。メンバーはクラブチーム出身の生徒が多いので、プレーが秀逸な選手がばかりでした。持久力や雰囲気づくりに自信があり、僕は監督の声を拾って伝えることや、的確な判断を瞬時にすることで役割を果たしていました。選手として地元メディアで取り上げられた経験もあるんですよ。

-大学進学と共に沖縄県へ移住されたんですよね。

琉球大学がある沖縄では、米国文化が町中に浸透しています。僕はそこで、日本が敗戦国だったと実感しました。僕の家庭は争いの火種がくすぶっているので、戦時中の沖縄と重なるように思えたんです。そして、沖縄に駐留する米軍に関心を持ちました。

当時は米軍基地に入り、米軍の方とコミュニケーションをとる機会がありませんでした。そこで、米軍基地の内部について僕自身が知るためにも、米軍基地内でイベントを開いてみたいと考え、友人に相談しました。そして、米軍とつながりのある人を探し、僕とその友人で企画を進行しイベントを開催。米軍基地内で地元大学生との交流会を実施しました。参加者の方が一様に楽しかったという顔をしていて、やってよかったなあと嬉しかったです。

ジーンズと、家族と、友人と

タイムカプセルに保管されていた5歳の湯浅さんからの手記

-その後も、米軍との交流会などの活動は続けられたのでしょうか。

米軍のヘリコプターが不時着した問題が起き、何もできない状況が続きました。沖縄県民の間で米軍に対する視線が冷たくなり、市民が米軍と関係を構築することに前向きではありませんでした。僕の活動団体では、焦って関係性を修復するための行動をとるには時期を見極めないといけないと考えていたんです。ある日、自己分析のイベントを仲間と一緒に主催します。そこで、米軍基地という、わかりやすいものに自分が飛びついていたと気づいたんです。そして、「自分が人生をかけてやりたいことってなんだろう」と思い悩みました。いろいろ活動していたものの、自分の中に最終的に何も残ってないんじゃないかと落ち込みます。

一深い悩みにはまり、そこからどうやっていまの「ジーンズ」というやりたいことにつながったのでしょうか。

成人式の時期に、5歳の自分からのタイムカプセルが自宅に届いたんです。そこには、理想の職業であった「サッカー選手と会社の社長」の文字が。残念ながら、その夢は叶っていません。しかし、一歩引いて考えてみると幼稚園の僕は、「その時かっこいいと思える自分になっていてね」と言いたかったと思ったんです。「過去の自分に誇れる、今の自分でいたい」と強く噛み締めました。

「5歳の自分にかっこいいと思える自分は、どんな姿をしているのか」と思い耽りました。そして、ジーンズが僕の人生にずっと同居していることに気づいたんです。僕は中学生で母親のジーンズを履いて、高校生で父親のジーンズを履いていました。父親とコミュニケーションが取りづらかったときも、ジーンズを使って会話ができました。古着屋さんやリサイクルショップに行き、一緒になってジーンズの研究。母親に内緒で父親とジーンズを購入して、母親にバレるなんてことも。男と男の関係を父親と作れたのが嬉しく、家族のコミュニケーションをジーンズに救われたんです。

同時期に、「Yume Wo Katare」という夢を語るための二郎系ラーメン店で手伝いをしていました。店主である平塚さんが、「湯浅から紹介されたジーンズを営業日に履くよ」と言ってくれて、一緒にお店に選びに行ったんです。僕が手伝いにいくたびに「ここがこう色落ちしてきて」と教えてくれました。その様子を見ていた他のメンバーも僕と一緒にジーンズを買いに行き、みんなで色落ちを楽しんだんです。誰かの消費体験を自分が変えたことで、僕はジーンズを仕事にしたいと思うようになりました。

「Yume Wo Katare」の店主である平塚さん(前列右から1番目)と、湯浅さん(前列左から1番目)

そして、沖縄を拠点にジーンズを作る日本でも有名な職人の國吉さんに相談しました。「僕もジーンズで人生を勝負してみたい」と。すると、「絶対に辞めた方がいい。食っていくので精一杯なんだから絶対に辞めた方がいい」と言われました。國吉さんは生地からジーンズまでを一人で作り上げている人。國吉さんの言葉を前に、生半可な覚悟でジーンズと向き合うのは、真剣にジーンズと関わる人に失礼だと身震いしたんです。僕自身も、「やめた方がいいよ」と言えるぐらいジーンズに向き合いたいなと。

現在、LEGITとして活動しているときも、國吉さんのデニム作りに向かう姿勢が頭をよぎります。

-真剣に向き合うために、なにからはじめられたのでしょうか。

2019年4月に大学を休学し、ジーンズ修行を始めました。その過程で、地元大分県の下駄に感動したことがあり、デニム生地と藍染めの技術を活かし、自分で下駄を制作したいと思うようになりました。製造を一緒に進めていくための工場や計画の立て方は、「EVERY DENIM」のおふたりに助けていただきました。大学生のうちにデニムブランドを立ち上げられた方たちです。そして、資金は、クラウドファンディングで218名から約240万円を募りました。社会人経験が浅く、未熟な部分がたくさんありますが、周囲の人に支えられながら毎日勉強しています。

2020年7月18日〜8月18日で予約販売した白い羽織りを染める湯浅さん

-今後の湯浅さんの展望についてお聞かせください。

現在の商品ラインナップは下駄と羽織りと巾着で、まだ大好きなジーンズを作れていません。正直、ジーンズにかける想いが強いので躊躇しています。これから、理想とするジーンズの製造に3〜5年かけて挑戦したいんです。

何かに熱中していたり、研究していたり、ある分野で確立したポジションがある人に憧れています。僕は、製品と購入者のつなぎ役というポジションで生きていたいんです。誰かの人生に多く関わっていけるようになりたい。ジーンズは色落ちし、経年変化していく。落ち込んでいた時の自分を勇気づけてもらえたジーンズは、もし死んだとしても、自分らしさを色落ちに出せるので、生きた証になるんじゃないかなあと思っています。

ーありがとうございました!

取材者:増田稜(Twitter
執筆者:津島菜摘(note/Twitter
編集者:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter