「自分の人生に納得できるように」島根県益田市へIターンした大庭周の生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第157回は一般社団法人豊かな暮らしラボラトリーで働かれている大庭周さんです。新卒で入社した会社を3年待たずして退社。その後地元静岡ではなく、生き方見本市を通して出会った島根県益田市にIターンされた大庭さん。現在は三足のわらじを履かれている大庭さんに、現在のお仕事の詳細から、今までに至る経緯をお話いただきました。

島根と東京で三足のわらじ

ーまずは現在のお仕事について教えてください。

今年の3月より島根県益田市にIターンをし、居場所づくりとひとづくりを行う一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー(ユタラボ)の職員として働いています。また、東京にあるソーシャルバーPORTOで日替わり店長を務めている他、これからの生き方について考える「生き博」の東京・静岡の代表もしています!

―島根では具体的にどのような活動をされているのでしょうか。

学校(職場)と家庭以外で人と人が繋がれるサードプレイスの運営や「どう働くかではなくどう生きるか?」について考えるライフキャリア教育の場を提供しています。ライフキャリア教育については益田版カタリ場をはじめ、市内4高校と連携をした事業や高校生のマイプロジェクトの伴走支援を行っています。その他には、大人のマイプロジェクトの伴走・関係人口向けの情報発信などがあります。

―と同時に、東京のバーでも日替わり店長として働かれているんですね。

そうですね。東京の有楽町にある、日替わり店長24人で営業している「ソーシャルバーPORTOで毎週第4土曜日に働いています。毎日店長が変わるため、来る日によってコンセプトが異なり、来られるお客様の年代や職種も異なるのが特徴です。毎日違うお店に来ているような雰囲気を味わえる、会話を楽しむことを目的としたお店になっています。現在はコロナのため、オンラインで参加したりしていますが、コロナが落ち着けば月に1回東京に戻り店長を務める予定です。 

―そして3つ目の「生き博」とはどのような活動になるのですか。

生き博では様々な働き方・生き方をされているゲスト(話題提供者)を迎えたトーク&交流イベントを開催しています。当時は、働き方見本市という名前でスタートしましたが、諸事情があり生き方見本市に名称を変更して「生き方」にフォーカスを当てたイベントとなりました。日本各都市で開催されているのですが、私自身が静岡出身ということもあり静岡での立ち上げを行うと同時に東京の代表を引き継ぐこととなり、現在は2拠点の代表となっています。

 

友人の死は今でも忘れられない経験

ー過去のお話も伺えればとおもいます。どのように小学生の頃は過ごされていましたか。

率先して動くタイプでクラスのためになにかしたいという思いから学級委員長をする一方で野球にのめり込んでいました。

野球漬けだった自分にとって、忘れられない出来事が中学2年の時にありました。小学校6年の頃から仲の良かった友人が病気で入院し、お見舞いに行ったのですがその翌日に他界。初めて人の死を身近に感じたと同時に、もっとたくさん話しておけばよかったと今でも後悔の残る出来事でした。彼が亡くなってから、彼と一緒に過ごした記憶がどんどん薄れていく怖さを感じて人と過ごす時間をもっと大事にしたいと思うようになりました。また、今でも彼が生きたかった人生が絶対あるので自分の人生を無駄にはできないなと思いながら生きています。

―そんな経験を経て、どのような高校生活を送られたのでしょうか。

地元の公立高校に進学し、野球も変わらず続けていました。が、自分たちの代になって試合になかなか出場できないもどかしさを感じていました。その時に自分なりに考えた結果、どんな形でもいいから試合に出て貢献したいという思いからピッチャーから野手へポジションを変更しました。このポジション変更をきっかけにやっと野球が楽しいと思えるようになりました。

というのも、小学校から野球をはじめたのは父の影響が大きく、自分から練習したいと思うことは少なかったんです。何のために野球をやっているのかと高校に入ってから考えることも多かったのでポジション変更するという決断をしてよかったと思っています。

―野球は大学でも続けられたのですか。

野球以外の事に挑戦したいと思ったものの、野球以外をやってこなかったので何をしていいか分からず…結局、友人に誘われて見学に行った野球部の雰囲気がよかったので大学でも野球をしていました(笑)

そんな野球漬けの日々でしたが、高校時代の先輩に作家の乙武洋匡さんが主宰している乙武社会塾という勉強会へ誘われ参加したところ、取り上げられていたテーマがたまたま福祉でした。この勉強会へ参加がきっかけではじめて福祉の実情や課題について考えるきっかけを持つことができ、福祉をはじめとする社会課題が他人事から自分事になりました。また、この勉強会で出会った人とのつながりがきっかけとなり就職後、生き方見本市(現:生き博)に関わることとなりました。

行き詰まった時に思い出したのが生き方見本市だった

ー生き方見本市は就職後に出会われたんですね。

いえ、実は入社前の2月にもお声がけしてもらって参加者として参加をしました。当時は何か心に響いたかというと、そうではなかったんです。ですが入社して2ヶ月後に仕事に行き詰まることがあり、その時にふと思い出したのが生き方見本市でした。

―なるほど。就職してから行き詰ったとのことですが、どのようなお仕事をされていたのですか。

実家が金属加工や窓のサッシの製造会社だったということもあり、多くの人に触れてもらえて、かつ日常生活になくてはならない物に関わりたいという思いから建築資材のメーカーへの就職を考えていので、株式会社LIXILに新卒で入社しました。営業に配属になり、毎日必死に働いていたのですが、ふと将来のことを考えた時に、今のままでは仕事だけで人生が終わってしまうように感じました。また、目標の数字達成に向けて頑張るという営業スタイルが自分には合わないなと感じることも多くありました。数字を達成できなくても、自分の事を頼ってくれる人のために仕事をしたいなと思ったんです。

そんな時に思い出したのが生き方見本市でした。見本市ではゲストスピーカーの方々が自分自身で道を開かれ、自分のこれまでの生き方に自信を持って話されている姿をみて、自分も仕事以外のことも充実させて生きたいと思ったんですよね。 

―そういった経緯があったんですね。

生き方見本市ではイベントの運営や広報、会計外部との交渉など幅広い役割に関わらせていただきました。そして関わる中で、静岡県出身としてゆくゆくは静岡でも開催したいと思うようになりました。

静岡は東京に近いものの、やはり東京に比べるとイベントやコミュニティが少なく、生き方について考える機会も少ないのが現実です。東京で開催していた生き方見本市を少しカスタマイズし、静岡でも開催できればと思いSNSで呼びかけてみた結果たくさんの反応をいただき昨年の10月に初開催が実現しました。

 

反対もあったなか、島根県益田市へIターン 

―島根へのIターンもやはり生き方見本市がきっかけとなったのですか。

はい。生き方見本市で登壇していただいた方が今の上司になります。Facebookで彼の投稿を見たり、久しぶりに話を聞いた時に島根に移住してライフキャリアコーディネーターとして人と繋がりながら、豊かな暮らしを体現されているのが素敵だなと思いました。

そしてたまたま島根に遊びにこないかと誘われ、初めて昨年の3月に訪問したところ、益田市のみなさんに歓迎していただきました。その半年後に、4月から団体を立ち上げるから一緒に働かないかというお話をいただき、今しかないと思い移住を決めました。

―Iターンに対して周りからの反対や抵抗、不安はありませんでしたか。

職場の上司や両親からは会社を辞めて島根に行くことを伝えた時は猛反対されました(笑)が、私の決意は揺らぎませんでしたね。友人がほとんどいない地域に引っ越すことや東京で働いていたときよりも年収が下がることに対して不安がなかったというともちろん嘘になります。でも自分の人生なのでその時に後悔しないように生きたいと思い、悩みながら考えた結果、自分が優先したいこと・大事にしたいことは島根にあると感じました。島根県益田市は過疎発祥の地と言われ、面積は広いものの人口が少ないことで有名な街です。そんな街だからこそ人と向き合う時間を大切にできる環境があると思いました。

 ―まだ島根での生活は始まったばかりかと思いますが、最後に今後の目標があれば教えてください。

島根に来てから、新たな出会いがきっかけで新しい仕事に繋がるチャンスがありました。これからも引き続き人との出会いやつながりを大切にし、想いを形にできる人になりたいです。またいつかは実家の会社を継ぐことも考えています。その時には家業と並行して島根で出会った人やコミュニティを使って何か新しい仕事や活動ができたらなと思っています。 

これからも選択を迫られることがでてくるかと思いますが、もし失敗したとしても自分の責任だと思えるように自分が納得できているかということを大事に決断していきたいと思っています。自分の気持ちに正直に、小さな決断を積み重ねていきたいです。

 

取材者:中原瑞彩(Twitter
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter