5年後がわからない自分でありたい。東大卒新社会人が、TikTok中国本社に就職したワケ。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第139回目のゲストはOnedot株式会社の邵 鴻成(しょうこうせい)さんです。

両親が中国人で、自身は京都で生まれ育ちました。中国時代の友人に、「どうせ京大行くんでしょ?」と言われ、東大を受験します。大学時代は中国語がきっかけで中国に親近感が湧き、自身のアイデンティティを受け入れられるように。その後留学で、中国の世界最先端技術に関心を持ち日本で就活するも中国就職を決断。

一見プライドが高い東大卒ながら、いざとなればアルバイトでも生きていける時代であり、リスクを取って挑戦すべきと語る邵さん。中国就職を決断するまでの背景には、周囲と異なる挑戦がしたいという視点と、自分の周りの視線を振り切る行動力がありました。

日本企業のデジタルコンテンツを中国市場に展開する

Onedot株式会社の旧中目黒オフィスの前に立つ邵さん

ー自己紹介をお願いします。

邵 鴻成(しょうこうせい)と言います。僕は日本生まれ日本育ちの中国人です。大学まで日本で過ごし、大学卒業とともに中国に移住しました。現在社会人2年目です。新卒でTikTokを運営するByteDanceに就職し、現在は転職してOnedot株式会社で働いています。

ーお仕事は何をされていらっしゃるんでしょうか。

日本企業の中国での活躍をサポートする業務を担当しています。

メインでやってる仕事は2つあります。1つは、有料デジタルコンテンツを販売する日系企業の中国進出のサポートです。日系企業が持つデジタル商材の中で、どの商品を中国で販売するかについてチームメンバーと一緒に考えています。

もう1つは、別の日系企業からSNSを中心としたメディアを立ち上げたい、という依頼を受けて、中国における新規メディアの立ち上げをゼロからサポートしています。

ー在籍されている部署やOnedot株式会社について教えてください。

僕が所属するマーケティングソリューションサービス部は2020年1月に新設されました。もともとは、中国在住の母親に向けたメディア「Babily」の展開や、ECサイトの運営をしている会社です。中国で成功したノウハウやマーケティング・広報戦略を中国進出する企業のサポートで活用するためにマケティングソリューションサービスが生まれました。

「周りは京大か、じゃあ東大に進もう」と考える高校生

一番右が高校生の邵さん

ー日本生まれ日本育ちとありましたが、一時期は上海の祖父母に預けられていたそうですね。

京都で生まれましたが、それからすぐに僕だけ上海に引っ越して祖父母と一緒に生活してました。中国では、祖父母が子どもの面倒を見ることが一般的なんです。その後、一歳で日本に帰ってきました。

ーそのときから中国との接点があったんですね。中学生のときには文武両道だったとか。

中学生の頃は、自分のアイデンティティを探す時期でした。「自分のアイデンティティはなんだろう」と考えたら、「勉強と部活ができる」ことだったんですよね。

小学生のときから中学生の内容を学習塾で予習していたこともあって、進学しても中学校の学習内容はすんなりと学べました。学習塾は継続していたので、一般の公立中学校では相対的に成績優秀な部類に入っていました。その結果、勉強ができるという意識を持つようになりました。

部活はソフトテニス部に所属し、同級生が20〜30人もいました。当時の僕は体が大きく身長も高かったため、ダブルスの前衛として来たボールにすぐに反応し、的確に打ち返すことで貢献できたのでレギュラーに。大会を勝ち進み、いい成績を残したこともあって、自分自身に自信を持っていました。

ー中学校は、スポーツと勉学の両面でよい成績を残していたのですね。高校は進学校に入学し、変化や違いはありましたか。

同級生はみんな賢い人ばかり。塾の模試におけるランキングで、自分より順位が高い人がちらほらいたので、学力的に優秀な生徒に囲まれた環境だったんです。集団における自分の優位さが、進学校に進学した途端に崩れた気がして、入学したての頃は落ち込みました。

受験期になると、京都の進学校なので、多くの同級生は京大を目指します。一方で、僕は「他の人と違う存在でありたい」と思っていて、刺激的な挑戦にもなるだとうと京大ではなく東大を志望していました。

きっかけは、中学生のときに塾からの帰り道で友人が、「いい高校に受かって、どうせ京大行くんだろ」と言ったことです。そのときに、「僕は一般的な道に進んでいるんだ」と気づきました。なぜかそれがちょっと悔しくて…。どうせだったら、普通の道を選ぶんじゃなくて、ちょっときつくてもいいから、いばらの道を選びたいなと思ったんです。

「スマホで払おう」があたりまえの中国国内のショッピング風景

フランス留学時の邵さん

ーそのときから人とは違う道を歩みたいという意識があったんですね。大学3年生では留学に行かれてますよね。

高校の頃から英語に得意意識を持っており、かつ両親を含めた自分の家族も、中国という故郷を離れ世界中で活躍していたため、将来は僕も国境を越えて活躍したいと考えていました。なので、大学に進学したら絶対に留学をしよう、と。留学先は、フランスと中国の2カ国でした。

ーフランスと中国となるとどちらも英語圏ではない印象があるのですが、なぜ選ばれたのでしょうか。

フランスには、人生で一度は住んでみたいと考えていたんです。しかし、フランス語が話せないと現地で働くことは難しい…。そうなると、留学を活用して滞在することがベストでした。中国を選んだのは、中国語を学び、自分が中国人であることを容認したことが大きかったと思います。

大学1年生で、第二外国語として中国語を選択しました。両親が話していたのは上海語、そして大学で学んだのが北京語。教科書を読んで北京語に触れると、幼少期から両親が話していた上海語との相違を実感しました。それが面白いなと思えたんですよね。さらに、教科書で扱う文章は中国の日常生活に関することだったので、今まで両親の言動や中国での体験で気づいたことに通ずるところがありました。

東大には、両親が外国人で日本生まれの留学生や学生が多かったことも、中国人を容認したいと思うようになったことに関係しています。自分のアイデンティティを受け止めてくれる多様な土壌があるんです。そのような環境に身を置いたことで、自分の中国人というアイデンティティを否定せず、受け入れて生きていこうと前向きに考えられました。

ー中国語を学び、ご自身のルーツを受け入れることで、中国に対する印象が変わったんですね。実際に渡航されてどうでしたか。

「まじで、現金持たないじゃん!」というのが第一印象です。僕が渡航したのは2017年でしたが、アリペイやWeChat Payを代表とする電子決済や、日本のUber Eatsに相当するようなサービスが、すでに完全に生活に溶け込んでいたので、正直「遅れた国」という印象が強かった当時の僕にとって、衝撃的でした。

以上のように、世界最先端のテクノロジーやサービスが展開されていたので、中国は間違いなく分野によってはこれからも世界の最先端をアップデートしていくだろうと確信しました。

いざとなれば、アルバイトでも生きていける。中国で働きたい。

中国留学時の邵さん

ー中国の発展を目の当たりにされて帰国されたんですね。時期は就活だったと思いますが、どのように過ごされていたのですか。

今の東大生にありがちだと思うのですが、就職活動では商社やコンサルを視野に入れていて、説明会やインターンに参加していたんですけど、いまいちスイッチが入りませんでした。商社は全部落ち、他業種からの内定には、行きたいという気持ちが湧きませんでした。

そんな状況で、北京留学時の日本人WeChatグループにByteDanceの上海オフィススタッフの募集要項が投稿されていました。そこには、新卒のポジションで2018年9月から就業開始と記載されていて。「これ、ありかもしれない。」そう思って応募し、内定を頂きました。

新卒で中国という選択は、人が選ばない道なので、正直不安はありましたが、扶養義務のある家族や子どもはいないし、もしByteDanceでうまくいかなくても、第二新卒として日本で再就職ができる。東大に対する世間の信頼度は高く、選択肢を広げればアルバイトでも生きていける時代だと思ったんですよね。いずれにせよ、中国で働きたい思いは変わらなかったので、ByteDanceに入社を決めました。

ー挑戦意欲がすごく高いんですね。日頃から、自分らしく人生を選択するために意識されてることはありますか。

2つあります。1つは、常に周囲に自分の道を歩む人を置くこと。自分らしく人生を選ぶ人がいる環境を常態化すると、自分自身も人とは違った方向であったとしてもポジティブに自分らしい道を選択できると思えるんですよね。もし自分の周囲の人たちがよくある道を進んでいると、「自分もみんなと合わせた道を進まないといけないのかな…」と同調圧力を感じてしまう。

もう1つは、「気構えることはない」と、自分に言い続けること。現代社会の先進国において、死ぬことは難しいと思うんです。日本だと、特に餓死で死ぬのはほとんどない。死ななければ、それでいいと思うんですよね。

ーその後、転職を決断したのはどうしてですか。

まず、自分が本質的にやりたいことができなくなったんです。僕はByteDanceという会社の魅力を、SNSの運用等を通して、潜在的な候補者の方々に伝える採用ブランディングという仕事に従事していました。しかし、僕が候補者に伝えるべきだと思うメッセージを、ByteDanceがすでに大きな企業となっていたこともあり、伝えることが出来なかった場面が多々ありました。

また、中国IT企業では普通ですが、社内人材の入れ替わりがとにかく激しかったです。僕のチームも、自分のマネージャーを含めて、僕が在籍していた時期だけでも非常に多くの仲間が辞めました。会社として事業を継続できるのかという不安があり、職場としての安定性に欠けるということも理由の一つです。

ーご自身のやりたいことを実現できないもどかしさと、事業継続性への不安があったんですね。転職先では自分のイメージ通りの仕事ができていますか。

はい。僕がやりたかったのは、中国市場におけるマーケティングだったんです。前職は、日本の採用市場について戦略を考えていました。だけど日本に関しては、僕はそこまで興味を持っていなかったのが正直なところですね(笑)。そもそも中国に来ているくらい、中国という国に対して興味があるので。Onedot株式会社では、仕事で中国のメディア環境や、消費者インサイトについて知る必要がある。中国市場を仕事の時間で考えることができているので、知りたいことややりたいことに近いですね。

ー邵さんが思い描く今後の方向性がありましたら、教えてください。

中国という軸はブレないと思うんですけど、それを前提に5年後に何をやってるかわからない自分でいたいですよね。そんな自分で常にあり続けると、面白い人生を歩めそうな気がするんです。固定概念や既存の枠にとらわれずにフレキシブルに生きていきたいですね。

ー5年後、ふたたびユニークキャリアラウンジ ( 本取材メディアの名称 ) にご出演いただきたいですね。ありがとうございました!

取材者:青木空美子(Twitternote
執筆者:津島菜摘(note/Twitter
編集者:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter