高い目標設定を掲げることで奮い立たせる男。株式会社ドゥーファ代表一戸健人の向上心と闘争心

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第126回目のゲストは株式会社ドゥーファの代表を務める一戸健人(いちのへけんと)さんです。

「1,000万円稼ぎたい」という想いを抱えて就職活動をし、入社した会社でがむしゃらに働きます。年収1,000万円が見えてきたタイミングで「独立すれば、もっと稼げるのでは?」という向上心とベンチャーキャピタルの社長をするうちにIPOを目指す経営者と働く機会が増え、自身でもIPOへ興味を抱き、独立。現在はご自身の会社で世の中に新しい価値を生み出す新サービスを展開しています。高い目標を掲げ、周囲と切磋琢磨することで成長した過程は、会社員時代だけではなく、中学生、大学生のときにも経験されていました。たとえ困難な環境にあっても、恥ずかしい成果を出そうとも、上を向いて進み続けてきた一戸さんの、促進力に迫ります。

サッカーで人生最高の感動を噛み締める

ー本日はよろしくお願いします!まずは自己紹介をお願いします。

株式会社ドゥーファ代表の一戸健人です。株式会社ドゥーファは、2017年9月に創業したスタートアップ企業になります。副業・複業マッチングサイト「Kasooku」と転職サービス「副業転職」、SaaSサービス「myooon」というサービスを展開しています。Kasookuは、2020年7月にユーザー登録者数が1万人を突破し、副業をはじめたい人が手軽に利用できるプラットフォームに成長しています。myooonは、さまざまなSaaSやブックマークを1つの場所に集約し、社内に簡単に共有できるサービスです。

ー副業のサービスをはじめるまでにはどんな経験を積まれてきたのか気になります。学生時代のお話を聞かせてください。最初に打ち込んでいたものはなんでしょうか。

小学校時代からサッカーをしていました。当時は、特に目立った成績もなかったのですが、進学した中学校で恩師と呼べる先生に指導していただき、北海道大会で優勝という成果を上げることができました。小学校と変わらぬメンバーで出場したのに、急成長を遂げた秘訣は、目標設定の高さにあったと思います。「全国出場」という目標を掲げて、毎日練習に励みました。正直言うと、無理でしょ、と考えていたんです…。それでも恩師はチームのコンセプトを「最後まで諦めない」と定め、指導してくださいました。

北海道ならではの雪中サッカーが名物の練習でした。授業が3時くらいに終わり、そこから6時まで雪が降りしきる中で練習をするんです。悪天候のため、晴天下と比べてドリブルのコントロール精度が低下します。そのため、よりボールに集中することができるんです。6時までグラウンドで練習を重ねて、その後は体育館に場所を移してまた練習…。この厳しい環境での徹底した練習によってチームが強化されました。春が来て、雪が溶けてからの練習で、あまりのボールの扱いやすさに驚きを覚えたことが印象深いです。

ーそのような過酷な練習のかいあり、北海道で一番のチームの称号を手にされたのですね。

全国大会出場をかけて戦った北海道大会。点数が勝った状態で試合終了を告げるホイッスルが、「ピ,ピ、ピー」と鳴り響き、勝手に涙が溢れ出ました。あのときを越える感動にはいまだに出会えてないですね。北海道制覇を達成できたことは、人生の転機だったと思います。

ーそれだけの成績を修められたのですから、サッカーでの高校進学も考えられたのではないでしょうか。

進路選択の時期になり、進学校とサッカー強豪校、どちらに進むか悩みました。サッカーで有名な室蘭大谷の推薦もあったんです。しかし、さらに3年後の大学受験で、東京の大学に行くのであれば、進学校の方が有利…。結局、先の進路のことを見据え、進学校を選びました。

高校でもサッカーは続け、1年生からレギュラーをもらっていたものの、残念ながらチームとして実績を残すことはできませんでした。
高校入学後は同級生たちの優秀さに衝撃を受けましたね。僕の成績は、決して校内で上位をとれるものではありませんでした。それでも運よく指定校推薦を受けて、法政大学に合格したんです。

部活、授業、3つのアルバイトを全速力で駆け抜けた

ー大学進学後もサッカーは続けられたのでしょうか。

法政大学ではサッカー部が公募で入部できず、入部するためにセレクションを受けさせてもらいました。高校時代に高いレベルでの練習を積んでいなかった僕は、残念ながらセレクションで落ちてしまいました。大学サッカーをすごく楽しみにしていたのですが、入部できなかったので、思い切って新しいスポーツに挑戦することにしました。そしてせっかく新しいスポーツに挑戦するなら、日本一を目指せるものにしたいと思いました。海への憧れを抱いていたため、ウィンドサーフィン部に入部します。ただ、上京した東京生活を謳歌してしまい、ろくに練習もせずに大学1年時の新人戦で、全国最下位になってしまいました…。周囲に圧倒的な差を見せつけられ、恥ずかしかったことを覚えています。2年目からは、毎日海へ行き、自主的に練習するようになりました。朝7時に逗子駅に到着し、1,2時間海で練習してから大学に行き、夜はアルバイト…そんな毎日を送っていましたね。アルバイトを3つも掛け持ちして深夜3時まで働いていたので、相当忙しい生活でした。

練習メニューも、キャプテンに相談しつつ自分で組むんです。ウィンドサーフィンをしている人はみんなそうなので、周囲にも主体的に考え、行動する人が集まっていましたね。振り返れば、部にはベンチャー企業のような雰囲気があったように思えます。僕はそこがお気に入りでした。

成果に向き合う社会人時代

ー大学でも打ち込めるものと出会い、忙しいながらも充実していたことが伝わりました。就職活動はどうでしたか?

就職活動をしながら、「年収1,000万円を稼げる仕事に就く」という指標を掲げていました。大手証券会社や総合商社を視野にいれていましたが、そこではないある企業の説明会で心躍る出会いがあったんです。説明会で登壇していた社長が「年収3,000万円を稼げる幹部候補を採用しに来ました」と宣言。その社長は大学時代から、年収3,000万円も稼いでいたそうで…「え、3倍も稼げるのか」と衝撃を受け、入社先をその企業に決めました。

ー実際に入社されてみて、どうでしたか。

入社当時の社員数は90名程の会社でした。入社してすぐに、テレアポの毎日が始まります。「社会人ってこんな大変だったんだ」と落ち込み、モチベーションが下がって、仕事は楽しくありませんでした。

会社の風土に合わずに辞めていく人を横目に、「石の上にも三年」という言葉を噛みしめながら、「やるからにはちゃんと三年やんなきゃいけない」と思って踏ん張りました。新卒ですぐにベンチャーを辞めても、他の企業に転職できないだろうという考えもあったんです。「ここで成果をあげないと、僕のキャリアが終わる」と、覚悟を決めて向き合いました。

成果をあげるしかないと心に決めた時に、テレアポは件数だと考えました。100件かけてる人と200件かけてる人だったら成果が全然違うと思うんです。件数をどうやって増やすかを考え、テレアポに必須のリスト作りに注力することに。社員が帰宅した後、夜10時ぐらいにフィットネスジムでシャワーを浴び、また会社へ戻って同期と一緒に朝3時ぐらいまでリストを作成。少し寝て、朝になってからはテレアポ。最初は200件の電話をかけてアポの件数が3〜4件だったのが、回数を重ねることで同じ件数のアポを50件の電話で獲得できるようになりました。アポが取れ、企業への提案の場を持てるようになると、営業が楽しいと感じられ始めました。その後社長の目に留まり、「お前、面白いから社長室にこい」と言われて社長室に配属になりました。入社して半年での出来事でした。

スタートアップを起業する仲間に囲まれ独立を決意

ー社長室ではどのような仕事をされたのでしょうか。

配属直後は、新規事業の立ち上げや人事を経験しました。社長室に配属されて2年目のタイミングで、顧問紹介事業の立ち上げを担当します。顧問紹介事業とは、大企業のOBをベンチャー企業に紹介する仕事です。着々と稼げる事業に成長させていくことに成功し、売り上げが3億、粗利が1億に到達しました。

ー入社前の目標年収も見えてきたんですね。

見えてきたんですが、「自分の会社を経営したら、もっともらえるんじゃないか」と、ふと思いました。入社4年目では、IPOを目指す企業に出資を判断する社長業務も兼務。そこで、Vapesの野口さんやサイバーセキュリティクラウドの大野さんなど、IPOを目指す同世代や後輩を見て、「こいつらに負けたくないな」という思いが沸々と湧きあがりました。5年を区切りに辞職し、独立しようと決断しました。社内からは背中を押してもらえたんです。しかし、退社が決定したときにはどんなサービスを作るかなど全くの白紙の状態でした。

起業を決意し、そして念願のIPOを目指す

ー独立後のサービスが固まっていないなかで、最初はどのような仕事をしていたんでしょうか。

顧問紹介をやっていたときのご縁で、いろんな会社の営業を業務委託で担当しました。会社員時代よりも稼ぐことが可能でしたね。正社員だと終身雇用契約なので月額の報酬は調整が難しいですが、業務委託は取引先と金額交渉が可能。ある会社には月50万円で3ヶ月間の契約を提案されました。成果ベースなので、ダメだったら契約を失うというリスクもありましたが、僕にとってはメリットでした。仕事を獲得しつづけるために頑張らないといけないというプレッシャーが、強いモチベーションにつながったんです。

ー現在のビジネスにどのようにつながっているのでしょうか。

僕は会社員時代の伝手で自分で案件を探せましたが、世の中の会社員の多くは副業をしようと思っても何から始めたらいいのかわからないのではないかと思います。副業を始めるにあたっての大きなハードルである案件開拓を、代行できないかと思って立ち上げたのが「Kasooku」なんです。

ー今後の挑戦や現在の取り組みをお聞かせください。

一番の目標は、株式会社ドゥーファをまずはIPOすることです。独立当初からその目標は変りません。そのために、副業マッチングサービス以外の事業展開も視野に入れています。

教育事業にも興味があるので、子育て家庭の母親の就労支援サービスなんかも考えています。株式会社ドゥーファでは、リモートワークで働いてくださるママさんが多いんです。世間的には、子育てしながら働きたい女性を受け入れる会社が少ないのが現状で、日本はまだまだ男性優位社会。小学校時代は、女性の学級委員長や学年委員長が多かったのに、社会に出てみると女性のリーダーは少ないと感じていて、僕自身が問題意識を持っているんです。育児をサポートできるような事業を実現できれば社会貢献にもつながり、とてもやりがいがあると考えています。

ー一戸さんが生み出したサービスが、社会を前進させる日が楽しみです。本日はありがとうございました!

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:津島菜摘(note/Twitter
編集者:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter