「自分の名を後世に」起業家とアーティストー二足のわらじで突き進む近藤那央の原点、葛藤、そして未来。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第118回目となる今回は、起業家とアーティストの二足のわらじを履いて幅広く活躍する近藤那央さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

小惑星探査機「はやぶさ」の帰還シーンが発端となり、文系から一転、技術系の高校へ進学。2013年、慶應義塾大学在学中に、ペンギン型水中ロボット開発チーム「TRYBOTS」を主催しました。科学館などで展示を行い、2018年までに述べ20000人がロボットデモを体験。2017年よりいきものらしいロボットプロジェクト「ネオアニマ」を開始します。

2018年に同大を卒業後、カリフォルニア州サニーベール市に移住。自身がイベントを主催した際のフラストレーションから、2019年5月にイベント向けグループチャットサービス「nocnoc」を起業し、2020年4月正式に発表。「いきものらしいロボット」をテーマに、アーティストとして個人製作も手掛けています。Forbusが選ぶ、次代を担う30歳未満の若者たちを表彰する「30 UNDER 30 JAPAN 2016」、日経ビジネス「次代を創る100人」、「ロレアル・ユネスコ日本女性科学者賞特別賞」受賞。

あなたにとって「ロボット」はどんな存在ですか?自らロボットを生み出し、彼らと共に暮らしてきた近藤さんには、「共存」に対する深い想いがありました。

 

nocnocの生みの親。起業家としての顔

ー本日はよろしくお願いします!近藤さんは現在、海外にお住まいなんですね。

アメリカ カリフォルニア州のサニーベール市に住んでいます。大学を卒業後、2018年に拠点を移しました。2019年に起業し、2020年4月に「nocnoc」というプロダクトを立ち上げました。

 

ーnocnocは、どのようなサービスなのでしょうか?

イベント開催・運営コミュニケーションが、ひとつのアプリで簡単にできるサービスです。

個人でイベントを開催しようとすると、意外と多くの手間がかかります。説明文や画像の用意、告知など…。現在は、peatixをはじめとする様々なイベント系サービスがありますが、参加者とのやりとりはemailが基本です。この場合、ホストやゲストからの一方的なコミュニケーションとなる可能性が高く、問題意識を持っていました。nocnocでは、で簡単にイベントを作成し、主催者と参加者のやりとりがチャットベースで簡単かつ安全にできる仕組みを提供しています。

 

ーほかのイベント系ツールと比較して、最も異なるところはどこですか?

「10秒でイベントを立ち上げられるところ」ですね!

画像とタイトルを決めるだけなので、とにかく簡単なんです。小規模なイベントを対象にしているので、ホストとゲストが同じチャットルームで話せる仕組みになっています。設定によっては、イベントが終わるとグループを消すことも可能。知らない人同士だと、個人SNSで繋がるにはリスクを感じる場合がありますよね。でも、イベント期間中はチャットでやりとりしたい…。そんな双方の要望を叶えるのがnocnoc。相手に個人情報を渡すことなく、主催者と参加者がより近くなる世界観を目指して、試行錯誤を繰り返しています。

 

ーより手軽で安全なツールなんですね!サービスのターゲット層は?

もともとは、オフラインのイベントをターゲットにサービスを立ち上げました。しかし、新型コロナウイルスによってオフラインのイベント開催が厳しくなり、オンラインイベントが増加したことで、サービスとしても最初はかなり苦戦していんです…。現在は「オンラインイベントを誰かと見に行くこと」にニーズがあるのでは、と考えています。

 

ーオンラインだと「誰かと一緒に参加する」感覚は薄いように思えます。

オンラインイベントの場合、感想をつぶやくときも、全員に見えるチャットで発言することになりますよね。それはそれでいいのですが、オフラインのイベントに例えると、全体に向かって手を挙げて質問しているに等しいと思うんです。隣の人や友人と雑談することも、イベント体験の一つ。しかし、今はこのような「気軽なやりとり」がなくなってしまっているように感じています。リアルタイムで参加していても、一人でYouTubeを見ているような感覚に近しいと言いますか…。

「イベントに参加するためのイベント」にも、もしかしたらニーズがあるのかもしれないと思って探っているんです。

 

ーイベント系のサービスを思いついたのは、何がきっかけだったのでしょうか?

自分でワークショップを開催したときに、準備に手間がかかると感じたことです。

私はクリエイターでアーティストなので、はじめはこの特徴を活かしたプロダクトを創ろうと考えていました。空いた作業場やガレージをシェアすることで、クリエイター同士が自然に仲良くなれるようなサービスがあったらよいのでは、と。一方で、肝心のガレージや作業場を積極的にシェアする文化がないことに気づいたんです。

「ならば、作業場で簡単にイベントを開催できるプラットフォームがあったら」と思い、自分で開催してみました。思っていたよりも、自宅や自分の作業場でイベントを主催することは簡単ではありませんでした。このとき感じた課題を改善しようと思い、サービスを立ち上げました。

 

ーご自身の経験からヒントを得たんですね。もともと起業家として経営に興味をお持ちだったのでしょうか?

今も昔も、そこまで興味はないですね(笑)経営がしたくてやっているわけではなく、「新しいプロダクトを創って世に出してみたい」という気持ちが強いです。

 

ーすでに反響は届いていますか?

まだまだユーザーは少ないのですが、毎日、数十人は利用者がいます。イベント開催だけでなく、勉強会用のチャットとして利用いただくこともありますね。コミュニケーション用にSlackを使う方も多いと思うのですが、一度参加するためにわざわざアカウントを作るのは、少し面倒に感じる部分もあるでしょう。そういった方のニーズと合致しているようですね。

 

「いきものらしいロボット」と向き合う、個人アーティスト

ー起業家として活躍されている傍ら、個人アーティストとしても活動されているそうですね。

「いきものらしいロボット」をコンセプトに、全く新しい、どの動物にも似ていないロボット開発を行っています。こんないきものがいたら人はどう思うだろう?と言う空想から、デザインに起こして実際に作るのが開発の流れです。「何かできるわけではないけれど、いたら嬉しいロボット」を目指して、創造しています。

今までにないロボット表現を考えているので、商業目的では創っていません。もし、自分よりもたくさんのロボットが隣にいて、謎に動いていたらどんな気持ちになると思いますか?そんなことを考えながら、実験的な作品を手掛けています。

 

ー近藤さんは、ロボットのどのようなところに興味を惹かれますか?

私は、「自然に人間と過ごし続けられるロボット」に興味があり、制作しています。

日常で見かけるロボットは、はじめの1週間はすごく可愛いくてもすぐに飽きてしまったり、エンターテインメントの主張が強すぎたりしているものが多いと感じています。これがリアルなペットだと、何年、何十年と付き合えますよね。ロボットは、まだそれらのような存在にはなれていないのかなと思うんです。「何かができるわけではないけれど、一緒にいると心地よくて生活の一員になるようなロボットには、どのような要素が必要なのか」ということを探求しています。制作を通して、「人間の近くにいることで、影響を与えられるロボットとはどのようなものなのか」の答えを導きたいです。

 

ー全く新しいロボットを生み出す上で、デザインや機能面で意識していることはありますか?

デザインとしては、「何にも似ていないこと」を心がけています。動物と似ていると、どうしてもその動物の先入観が入るので、「こういうことができるのでは」と思わせてしまうんです。そのロボットができることに即したデザインを意識するようにしていますね。

例えば、わずかしか動けないロボットにしっかりとした足を付けたら、歩かないことが「おかしい」ことになってしまいます。歩けないロボットには足を付けないようにしています。

 

ーなるほど…!便利な機能をたくさん付けることがいいとも言えないんですね。

パッと見たイメージから寄せる期待と、実際にできることがあまりにもかけ離れていた場合、そのもの自体のイメージが下がってしまうという研究結果があります。見た目と動きのデザインが別々にあるものは、しっかりと考えて創るべきだと思いますね。

 

オタクだったわたし。インターネットで「世界が広がった」

 

ー近藤さんの幼少期についても聞かせてください。インターネットにハマっていたそうですね。

アニメや漫画が大好きな12歳で、ほぼ全てのアニメを見ていました。いわゆるオタクでしたね(笑)

ガンダム好きな友人の影響で見始めたのですが、「私もハマったよ!」とは言い辛く、自分一人で見ていました。友達が好きな芸能人と自分の好みが被ったとき、なかなか言い出しにくい状況と似ている感覚で…(笑)猛烈な勢いでオタク化していったのですが、学校では誰にも言えませんでした。次第に、オンライン上の友達が増えていったんです。

 

ー学校の外にも居場所ができたんですね。

リアルな場でアニメや漫画の話をできる人がいなかったことが、大きく影響していました。もともと絵を描くのが好きだったので、pixivというサービスを利用してオンラインで交流していたんです。そこで同じように絵を描く友達ができたり、その友達とTwitterで繋がってイベントに参加するようになったり…。インターネットを介して、素顔は知らないけれど信頼できる存在とたくさん出会うことができました。この経験は、nocnocに繋がる原体験だと感じています。

 

ー同時期に、オンラインコミュニティの立ち上げも経験されたそうですね。どのような経緯で、コミュニティを運営するようになったのでしょうか?

mixiのように、コミュニティを立ち上げるサイトを利用して、ボーカロイド好きが集まるグループを創りました。

学生かつボーカロイドで遊びたい人をターゲットに絞ったところ、参加人数がサイト全体で2番目に多いコミュニティになったんです!当時、タイトルに「学生」が含まれるグループはほぼなかったのですが、サイト利用者の多くは学生のはずだと分析していました。ニーズを汲み取って一定の参加人数を獲得できたことは、私にとって小さな成功体験になりました。

学校以外にも居場所ができたことで、「自分の世界が広がった」と感じています。学校に通っているだけでは、他の人と同じ経験しかできません。別の体験を持っていることが、自分のユニークさに繋がっているのではと思います。

 

「はやぶさ」との出会いが未来を変えた

ー14歳のとき、その後の近藤さんを大きく変える出会いがあったと伺いました。何があったのでしょうか?

小惑星探査機「はやぶさ」の帰還シーンを見て、衝撃を受けました。

技術的なかっこよさというよりは、創り手のストーリーに強く感動したんです。「自分もいつか、こういうものを創れるようになりたい」と、漠然と感じたことを覚えています。真っ暗な画面に「はやぶさ」が落ちてきて燃える姿は、とてつもなく明るい流れ星のよう…。リアルタイムで中継を目にしたことで、その魅力は倍増しました。

 

ーここではじめて、機械が身近な存在になったんですね…!高校受験時の進路選択にも影響がありましたか?

はじめは、偏差値の高い女子校に憧れて猛勉強に励んでいました。ですが、「はやぶさ」の帰還を見た頃と同時期に、隣の席の男の子が受けると言っていた高校が目に留まりました。調べてみると、専門学校に近しい技術系の高校でした。直感で「面白そうだな」と思ったんです。家から近く、国立で学費も安い。たまたま受験日の予定が空いていたこともあり、とりあえず受けてみることにしました。

もとの志望校レベルを高く設定していたことが学力向上に一役買い、無事に合格。他の高校も受験予定でしたが、その高校への興味は増す一方…。受験時は「とりあえず」という気持ちでしたが、思い切って入学することに決めました。

 

ー大きな方向転換ですね!具体的には、高校でどのようなことを学ばれていましたか?

人工衛星を創りたかったので、機械科に進学して学んでいました。部活動では、科学部に所属。全ての部活動の中で最も厳しいといわれており、先生がすごく厳しい方で、開発から実験そして研究のまとめまで一切の妥協は許されませんでした。社会におけるマナーも叩き込まれ、何度泣いたかわからないくらい辛い思い出が8割、達成感が2割の日々でしたね。

そこではじめてプロジェクトマネージメントに挑戦し、自分の不甲斐なさを知りました。私は自分のやりたいことを突き詰めるタイプなので、他人とすり合わせてやっていくことがあまり得意ではありません。今でも、チームをまとめることは大変だと感じる瞬間が多々あります(笑)

 

ー現在のアーティスト活動に繋がる「ペンギンロボット」の開発も高校時代だったそうですね。どのような理由で創ることになったのでしょうか?

ペンギンロボットは、5~6人のチームの仲間と卒業研究として開発しました。水中ロボットにすることは決めていたので、「何か面白いものを創りたい」と考えた結果、ペンギンになりました。

このときロボットに持たせた機能は、「本物と同じ泳ぎ方で水の中を泳ぐ」こと。ペンギンらしい泳ぎを知るためには、本物を観察する必要があります。水族館に相談して、実際にペンギンを触らせてもらっていたところ、そのときのつながりで、完成後にペンギンロボットを水族館で泳がせることも実現しました!

後の人生で、ロボット制作を通して多くの方の目に私たちの作品が触れることとなります。このとき感じた「生き物らしさがロボット開発の鍵なのではないか」という気づきが、現在のアーティスト活動にもつながっています。

 

技術より興味があること。それは「創り上げること」

ー大学はどのような基準で選ばれたのでしょうか?

それまでのプロジェクトを通して、「私は技術者タイプではない」と実感していたんです。高校も、元から理系の学問が好きで選んだわけではなく、ただかっこいいと思って入学したので、勉強はできても好きではありませんでした。一方、友達は技術の勉強が好きでエンジニア気質の人が多く、まだ習っていないことまで盛んに議論し合うほど熱心。同じチームの仲間も、技術自体に興味を持っている人が大半でした。

友人たちとの比較のなかで、「私は、技術より”創り上げること”に対する興味が強いんだ」と気づきました。自分が創っていなくても、自分が考えたり関わったりしたアイディアが実現されればそれで十分だな、と。細部までこだわるエンジニア気質な友人と競い合い、エンジニアとして一緒に仕事をしていくことは、合っていないと感じたんです。

いろいろと考えた結果、辿り着いたのは「総合的な人材になること」でした。エンジニアではないけれど、技術者としてのバックグラウンドを持ち、さまざまなことを学んで物事を立ち上げていける人になりたいと思うようになったんです。こうして、SFC(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス)を選択しました。

 

ー大学4年間では、どのようなことを中心に学んでいましたか?

とはいえ、コンピュータサイエンスの研究室に所属して学んでいました。そこは、ヒューマンコンピュータインタラクションという、簡単にいうと「コンピュータやロボットが、どうしたら人間の行動に影響を与えられるのか」を研究するところです。1年生の頃から、授業と並行して研究室にも通っていました。

 

ー大学でも、ロボットに関連した学びを深めていたんですね。最も思い出深い出来事はありますか?

大学の授業とは別に、高校の卒業研究を機に結成したペンギンロボットチームのメンバーと、学外活動を行っていました。次第にチームとして大きな仕事を受けられるようになってきたため、仕事としてロボットを創り、サービスを展開してくことに力を注ぐようになったんです。

失敗や成功、達成感を感じることなど、さまざまな出来事がありました。それと同時に、仕事の中で得たロボットに関する気づきを学問に転換しようと頑張っていたんです。しかし、世間的には仕事として認められていても、アカデミックとしては厳しい判断を下されることも。そのことで、別々の場所で得た学びを繋げる難しさを痛感しました。

ちょうどその頃から、「ロレアル・ユネスコ日本女性科学者賞日本特別賞」などを含め、受賞機会に恵まれるようになりました。いろいろな仕事を始めたことで社会人との繋がりが増え、「面白い学生がいるよ」と紹介していただくことも。今でも相談させていただけるような人生の先輩と出会えたことは、大学での経験によるとことが大きいですね。

 

有名になっていく自分との葛藤。「わたしらしい生き方」を目指して

ー華々しく見える裏では、自己評価と他者評価のギャップに苦しむこともあったと伺いました。

ロボット関連に携わっていたため、「できるエンジニアや技術者」として紹介されることが多かったんです。実際にはチームで開発していたのですが、私自身が取り上げられることも多くて…。「私だけが創っているわけじゃないのにな」とか、エンジニアとして紹介されると「もっとすごい人がいるのに恥ずかしいな」と思っていました。

今思えばありがたいこと。しかし、当時の私は、素直に喜べませんでした。そんな自己評価に反して、周囲から褒められる機会が増え、賞をいただいたり、持ち上げられたりすることもあって、同時に「あいつ、別にすごいことしてないじゃん」という否定的な声も耳に入るようになりました。「そうだよな…自分でもそう思うな…」とネガティブな評価を受け入れ、さらに他人に言われていないことまで考えるようになっていきました。

 

ー自分と周りの評価に差を感じていたんですね…。卒業後、就職しない選択には、どのような思いがあったのでしょうか?

学生時代から自分で仕事をしていたので、あまり企業に所属するイメージを持っていませんでした。

スタートアップでインターンをさせてもらったこともあったのですが、私は他人が決めたことに100%同意できないと、自分の手を動かせない性格だとそこで気づいたんです。これは自分の短所でもあると思っています(笑)最終的には取り組むものの、前のめりになることはなく…。納得していなくても、取り組む理由を理解していなくても、目の前の仕事を全力でやっている人の方が会社の中ではうまくいく、この構造の中で自分がうまく仕事ができる自信がありませんでした。自分の意思決定を反映できるような、仲間内で立ち上げたグループや、もしくはひとりで仕事をしたいと思い、就職ではなく独立して生きていこうと考えたんです。

 

ー自分らしい生き方に対する強い思いがあったんですね。卒業と同時にアメリカに拠点を移した決断からも、近藤さんらしさを感じます。

新しい環境で自分を変えたい気持ちがありました。大学院に行くことも考えましたが、最終的には、当時から付き合っていた人の渡米と、私の卒業のタイミングが重なったことが背中押しになりました。結婚して、彼と一緒に移住することを選んだんです。

 

ーアメリカで生活するようになり、苦労したことや気づいたことはありますか?

ノンネイティブ言語でゼロから人間関係を構築することが、1番苦労しました。今でも苦戦しています。また、日本にいた頃は周りの目を気にしすぎていたんだ、と気づきました。

海外に身を置いて日本を客観的に見ることで、いいところも悪いところもわかってきた感覚があります。特に、アメリカは女性の活躍がめざましく、男女格差に関して日本では話題になるようなことも既に解決していて、次の議論に移っている印象を持ちます。実際に、現地で活躍している女性リーダーやロールモデルを何人も見つけることができました。視座が上がったことで、アメリカで頑張る源になっています。

 

ー独立、渡米、結婚など、人生においての大きな決断をしてきた近藤さんですが、何かを選択する際に大切にしていることはありますか?

自分の直感に従い、「しっくりきているかどうか」を大事にしています。

周りの意見をもとにした決断では、責任を取っていないだけでなく、相手にリスクを背負わせていると思うんです。直感とはいえ、「自分がいいと思った」という責任があるので、そういう選択の方が他人のせいにしないで済みますよね。後からでも、自分で変えていってもいいと思います。

 

ー最後に、近藤さんの今後について聞かせてください。

アーティスト活動と経営は、どちらも始めたばかりで道半ばです。

経営者としては、ここで潰れさせない気持ちを持ち、まずは一つの成功を目指してしっかりしたビシネスを創っていきたいと思っています。アーティストとしては、地道でもいいので、今までにない「ロボット像」や「ロボット観」を創れるようになりたいですね。個人としてできることはかなり限られていますが、後世に自分の名を残せるような生き方をしていきたいと思います。

 

ー今日はありがとうございました!近藤さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材・執筆:青木空美子(Twitter/note
編集:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter