11歳で詩を作り、20代で小説を出版!文筆家・中西須瑞化が信じる言葉の力

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは、文筆家・PRライターとして活躍されている、中西 須瑞化(なかにし・すずか)さんです!

フリーランスとしてPRライターなどの活動の傍ら、小説や写真、詩歌といった表現活動で幅広く活躍されている中西さんの、過去から現在に至るまでのヒストリーに迫りました。

リアルな人間関係に失望…誰も信じられなかった青春時代の居場所は「詩の投稿サイト」

NovelJam2018秋での受賞式。©NPO法人日本独立作家同盟

ーまず、中西さんの自己紹介をお願いします!

中西須瑞化、ペンネームは藤宮ニアとして、現在は文筆家・PRライターという2軸で活動しています。

文筆家という仕事では、インタビューやコラムの執筆、小説を書いたり色々な幅で言葉で表現をする仕事をしています。PRライターの仕事では、主に企業さんのブランディングやPRのお手伝いをしております。

2018年2月からは株式会社morning after cutting my hairの発起人の一人として、「人の心が動き続ける社会」をめざし、社会課題解決に特化したPR/ブランディングなどを”言葉の面”から企画・支援しています。

ー文筆家である中西さん、過去には書いた小説で受賞もされていますが、執筆活動はいつ頃からはじめたのですか?

11歳頃から、趣味レベルで詩をつくり投稿したりはしていましたね。でも本格的に小説を書くことはなかったです。

小説に興味を持ったのは高校生の頃。国語の授業で読んだ『檸檬』(梶井基次郎/新潮文庫)で日本語の美しさ・表現のすばらしさに感動し、進学した大学では立命館大学にて日本語の文章表現・音声表現を学びました。

ゼミの卒業制作では20万字を超える小説を作り、ゼミの先生を驚かせたこともあります(笑)これが初めて書いた小説でした。

それ以降はちゃんとした小説は書かず趣味で短編作品を書く程度だったのですが、2018年に参加した「NovelJam」にて、小説を書くキッカケをいただき、初めてカタチにしました。

ー小説を書くキッカケになった「NovelJam」とは?

このイベントは、2泊3日で小説を執筆し、さらに審査、電子書籍化までを終えるというなかなかハードかつユニークなイベントでした。

2018年の秋頃、社会に出てしばらく経ち、自分自身の名前で何かが残ることをしてみたいとふと思うようになった時期に思い切って応募し、書き手の審査に合格して参加しました。

小説の執筆に挑戦してみて、表紙のデザイナーさんや編集担当の方と1つのチームを組み、小説を作りました。その結果「花田菜々子賞」を受賞し、『リトルホーム、ラストサマー』として電子書籍化するに至りました!

自著出版イベント@リトルトーキョー

 

ー11歳で詩を書いたのが文筆家としてのキッカケになったとのことですが、中西さんはどんな小学生でしたか?

小さい頃の私はいい意味で純粋で、人間関係なども悩んだことがなかったんです。しかし、11歳頃に陰口を言われ、表面的な友情に触れて初めて、人間には表向きの面(建前)と影で考えていること(本音)があるということに気づいたんです。

そのちょっとした子供の頃の経験から「人間や友情って本当にくだらないな」と冷めていってしまったんです。また、持病のある兄の反抗期も重なって家庭環境も荒れてしまっており、次第に人間不信になっていきました。

ー本音と建前に気づいて「闇堕ち」してしまったんですね。

そうですね。リアルの人間関係に嫌気が差して心を閉ざした私は、この気持ちをどこに吐き出したら良いんだろう…と考えていました。

ちょうどその頃から、流行っていた個人運営の投稿サイト(掲示板のようなもの)に詩を投稿するようになりました。自分が11歳ということも公表しており、周囲の大人の方々も最初は驚いていましたが、詩を投稿すると暖かくフィードバックをしてくれたり、ネット上のマナーなどを教えてくれ、心地よい交流が始まっていきました。

のサイトを運営されていた方は、私の言葉をちゃんと聞いてちゃんと対等に接してくれました。活字のみのコミュニケーションでしたが、ここまで心を通わせることが出来るんだ…と心が救われるような気持ちになり、その原体験が今につながっている気がします。

 

偶然手にした写真集や小説の言葉に心を打たれた女子高生時代。誰からも必要とされないのに凛と佇む存在に憧れはじめる

Twitter(@niaphoto_s)より

ーそんな時代を経て、中西さんのアイデンティティが形成されたんですね。その後の人間関係はどうだったんですか?

高校3年生の頃は家庭環境も良くなく、親と受験に対する衝突もあったりで、自分自身を肯定されない・アイデンティティを認めてもらえない時期を過ごしました。

「生きるのも、死ぬのもめんどくさい」…とりあえず現状維持で息をしているだけ…という時期が高校3年生でしたね。どこにも居場所がないように感じていました。その時が人生で最も辛かったですね。

だからこそ、同じ考えや混沌とした世の中について表現している梶井基次郎さんの『檸檬』に心を打たれたのかなと思います。

ーその時期に、心の支えになったものは何かありましたか?

ふらっと立ち寄った本屋さんでたまたま手にとった写真集です。その写真集を見て、本屋で感動して1人でボロボロ泣きました。高校生にとっては決して安くない写真集でしたが、後日購入し、裏表紙にあったお問い合わせ先まで、メールで長文の感想を送ったんです。

後日談になるのですが、その出来事から10年ほど経ったある日、その写真家さんから丁寧にFacebookでご連絡をいただき、関西にあるアトリエに招待していただき、お会いする機会がありました。

そこで聞いたのですが、私が感想を送った時、彼は写真を続けるかどうかを悩んでいたそうです。ですが私の感想を見て、「高校生でもこんな風に感じて一生懸命感想を送ってくれたのであれば、写真をもう少し続けてみようと思えた」とおっしゃっていました。その経験からも、言葉の力の凄さを感じました。

ー自分にとっての救いが、彼にとっても救いになっていたんですね。ちなみに、その写真集で何がそんなに中西さんの心を掴んだのでしょう?

私がこういう人間になりたいと憧れている姿が、「廃墟のような人」なんです。

廃墟って、誰からも必要とされていないのに、ありのままのカタチでずっと存在し続けている…それってとても難しく、カッコいいと思うんです。

かつての人間が必要として作り、そこでいろいろな出来事やストーリーが生まれ、いつからか人間が勝手に「不要」として、そこは廃墟になる。けれどその後にも、廃墟はそこにずっと残り続けています。他者に必要とされる・されないというものに関係なく、この世の中で生き続けるという姿勢は人間にも踏襲できるのではと思いました。

そんな廃墟のような凛として美しい佇まいを持つ存在に、私はなりたい強く憧れを抱くようになっていた時期に写真集と出会ったんです。

その写真集は、古い原住民の方の暮らしや、深い深い森の中など「人が踏み入れることのない世界」を写していて、それを見た時に尊さや美しさや、ある種の安心を感じ、涙がこぼれました。そしてその世界を作品として切り取り、人生をかけて写真に残している人がいる…ということにも感動しましたね。

大学時代のサークル同期と

ーそこから人生がプラスになった出来事は何だったのでしょう?

芸術大学に行きたいという思いがあったのですが親からの強い反発があり、立命館大学に進学しました。あまりモチベーションが上がらない状態で大学に通い、卑屈な物の見方をしている大学生だったと思うのですが、「その捉え方はおもしろいよ!」と言ってくれる先輩がいたんです。

サークルへの勧誘はちょっと執拗でしたが(笑)、そうやって自分の考えを認めてくれる人がいたことは喜ばしいことでしたし、家を出て一人暮らしをはじめ、自分の空間を手に入れたことも相まって環境が変わっていったのが好転のキッカケでした。特に人を信じてみようと思えたキッカケはそのサークルにいる先輩でした。

ーどんなキッカケがあったのでしょうか?

ある日、所属している大学生協のサークルの同期たちの前で「日頃、活動や同期について考えていることを、ぐちゃぐちゃの言葉のままで良いから全部吐き出して伝えてみろ!」と言ってくれました。

それまでは人前で話す時は原稿がないと喋れなかったし、絶対に同期たちは私の言葉なんて聞いてくれない!と思っていたのですが「もうその機会作っちゃったから」と言われ、半強制的に同期たちの前で話すことになりました。

話してみると、同期たちが案外真剣に耳を傾けてくれたのが分かったんです。その出来事で気づいたのは、「人間はみんなどうせ馬鹿だから、話なんて聞いてくれない」と決めつけ、個性を無視し続けていたのは自分自身だったんだ…ということでした。

その日を境に、それまでの自分の態度を恥ずかしく思うようになり、人を信じようと切り替え、周囲の人を徹底的に信じる生き方をしたいと思えるようになりました。

 

決められた選択肢に違和感を抱き、自ら生き方を切り拓いていく。そして今後は言葉の力を使い、人の生き方の選択肢を増やしていく存在に!

一般社団法人防災ガールでの「次世代版避難訓練LUDUSOS」運営時の様子

ー大きな転機を経て、進路を考える時はどんなことを考えましたか?

就活も、進学もしっくりこないと感じたんですね。本当に、就職か進学かという狭い選択肢しかないの?と疑問で、このままでは選べないと思ったんです。

「生き方って他にももっと色々あるはずだ!」と根拠のない状態でしたが、1年休学して様々な方にお会いしました。その中で、後に活動することになる「防災ガール」にも出会いました。

また、家入一真さんの立ち上げたリバ邸の京都支部立ち上げに関わったのもその頃です。私自身が居場所がなかった原体験を元に、”現代の駆け込み寺”のような存在づくりに関わっていました。

ノマド、フリーランスなんてまだまだ浸透していなかった時代で、親世代からは理解されない世界観でしたが、そこで就職以外の色々な生き方があるんだと気づきました。結果、NPO法人に就職をしたのですが、3ヶ月ほで方向性や価値観の違いから辞めてしまい、防災ガールで働こうと決めました。

ーお話の中で出てきた「防災ガール」とは、どんな活動内容だったのでしょう?

2020年3月11日に有機的解散をしたのですが、20-30代の若者にも防災を伝えていくために、「もっと、防災をオシャレでわかりやすく」「これからの防災の話をしよう」とフェーズにあわせてタグラインは変えながらも、「防災があたりまえの世の中に」することを目指し活動する団体でした。私が参加した時はまだ任意団体として活動していて、一般社団法人化する直前でした。フリーランスという形で自身のキャリアをスタートしたのがその頃です。

参加したキッカケは、代表の田中美咲さんの人柄が私とは真逆で、非常にポジティブでビジョナリーな方なので、周囲をグイグイ巻き込んでいく姿にすごいなぁと思ったのはあります。また、3歳の頃に神戸にて阪神淡路大震災を体験し、震災の頃の記憶は潜在的な意識にあったので防災を広める活動に違和感がなかったのもあります。

ただ、私は約5年間防災ガールの事務局長をしながら言い続けていたのは、「いわゆる防災には興味はないが、人が生きるか死ぬかの選択肢を増やすことには興味がある。」ということです。

防災の抽象度を上げて解釈すると、生死につながるなぁと。そういった意味で哲学じみたものを感じ、興味関心を持ったのが参加するキッカケになりました。

ー防災ガールの活動で、印象的な出来事はありますか?

まだ私がボランティアとしてやっていた頃、一般社団法人化するかどうかで内部がちょっと揉めていた時期があったんです。全国にいる内部ボランティアと代表メンバーとのコミュニケーションの齟齬が生じてしまい、グループでやりとりしているコメントが荒れていました。

最初は第三者として傍観していたのですが、このままでは良くないと感じ、それぞれの言い分を言語化してとりまとめ、双方のコメントに対する理解を示したところ、それまでの炎上が収まったんです。そして代表の方から声をかけられることが増え、正式に参画することになりました。

それから2020年の3月11日の解散まで、そろそろ辞めると言い続けながらも事務局長になったりして、ずっと活動をしましたね(笑)その後も内部で衝突や苦情が生じた時は窓口になって言葉を整理したり伝えたりしていました。

ー防災ガールの活動を終え、「株式会社morning after cutting my hair」で活躍されていますが、こちらはどんな意味が名前に込められているのでしょう?

こちらは防災ガールの活動をしていた2018年に立ち上げたのですが、「株式会社morning after cutting my hair」の名前「髪の毛を切った次の日の朝」という意味になります。髪を切った次の日の朝のような、ちょっとウキウキ・ドキドキする気分や高揚感を表しています。

新しい自分になった高揚感と、似合っているかな?気づいてもらえるかな?という緊張感がある瞬間ですし、そういった人の小さくも大きな変化を大切にできる社会を目指したい…ということで、この名前にしました。

株式会社morning after cutting my hairのメンバーと。

ー新たな団体を、防災ガールの代表と共に設立した背景は?

防災ガールの活動は、良くも悪くも「防災」がテーマになって関連する課題に向き合っていたのですが、防災以外にも関連・付随する社会課題があり、そういった面でも活動の範囲を広げたいという思いで創立しました。

代表とも、常に考えや意見のすり合わせをしていて、設立の背景にも違和感を感じなかったのと、ひとりひとりの物語を大切にする姿勢を表す会社を作るのは気持ちが良いなと思い、立ち上げました。様々な企業さんや社会課題に向き合う会社として、現在は活動しています。

ー文筆家・PRライターとして、中西さんの今後のキャリアで成し遂げたいことを教えて下さい!

私の原体験や人生の根幹で、感情のコントロールや人間不信になった時に、活字のコミュニケーションや言葉で救われた経験がありました。

自分自身がそうであったように、どんなに小さな声でも、何者でもない誰かでも、必ずその「想い」には意味があると感じています。そして、言葉の力で、人を生かすひとであり続けたいという思いが強くあります。

また個人としては、人が生きる理由になる一点になれたらと思っています。

人に接する瞬間って何があるかわからないなと思うんです。私が偶然出会った詩のサイトや写真集のように、私の生きている一瞬一瞬の行動や言葉が、今後誰かの人生に交わる一点になるかもしれないなと考えています。

”死にたい”と誰かが思った瞬間に、思い出せる「あの言葉」であったり、「ああやって優しく言ってくれる人がいたな」という思い出であったり、人を生かすことにつながる言葉の力を信じたいですし、言葉のそういった力を使い、人生の価値観、生きる選択肢を広める活動をしていきたいです。

ー中西さんらしい、素敵なお話ありがとうございました!

 

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取材:西村創一朗(Twitter
写真:中西さんご提供
執筆:Moe
デザイン:五十嵐有沙