仕事もパートナーも全力。その根底にある妻スタグラマー・吉田達揮の秘められた想いとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第95回目となる今回は、妻スタグラマーとして多数のnoteを投稿しながら、本業では2度の転職経験を持つ吉田達揮さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

キャプテンとして挑んだハンドボールの大会で準優勝に終わり、自分の弱さを痛感した小学校時代。また、持ち前の負けず嫌いな性格を発揮して上位の成績を残した吉田さんですが、当時周りにいた人とは違った進路選択をします。進学校から有名な国公立大学という典型的な道ではなく、私学へ指定校推薦で進学を決めた背景には、一体何があったのか。その後、新卒で入社した会社で奥様と出会い、ひょんなことから『妻スタグラマー』としての活動を始めました。

皆さんの近くには大切な人がいますか?その人と、最近どんな言葉を交わしましたか?仕事もパートナーも大切にする吉田さんには、「今、1番近くにいる人」に対するあたたかい想いがありました。

 

妻スタグラマーの誕生とパートナーへの想い

ー本日はよろしくお願いします!吉田さんを表わす妻スタグラマーという言葉は初めて聞きました。吉田さんのオリジナルなのでしょうか?

もともと『嫁グラフィー』という言葉は、世の中に存在していたようで、奥さんをいい感じに撮影した写真がInstagramに投稿されています。しかし当時の僕はそうとは知らずに、妻の写真を『#妻スタグラマー』と称してアップしていました。それが妻スタグラマーを名乗るようになったきっかけですね。生業としてやっているのではなく、あくまでも僕の趣味です(笑)

 

ー何がきっかけとなり、いつ頃から始められたんですか?

結婚して半年くらい経った頃に開始しました。ある日、妻と出かけた時に撮った写真をInstagramにアップしようとしたんです。ふと遊び心が芽生えて、「妻スタグラマーと名乗ったら、いい旦那っぽく見えるんじゃない?」という話になったことがきっかけです。

ー何気ない会話からスタートしたんですね。Instagram以外にもご自身のコンテンツを発信されているとお聞きしました。

noteを書いています!2019年10月から書き始め、12月頃から本格的に運用するようになりました。

『パートナーシップについて僕達はどう向き合い、どのように考えているか』『どうやって仲良くあろうとしているか』『妻の尊敬しているところや気になっていること』など、妻との関係を通して考えるパートナーシップについて書くことが多いです。自分の考えをアウトプットする手段にもなっていますね。最低毎週1本は書くと決めて、週刊マガジンのような形で吉田家に起こった出来事を記録しています。

 

ー特に多くの方に読まれたり、渾身の気持ちを込めて書いたりした記事はありますか?具体的な内容も教えてください。

『「専業主婦」はブランクではない。』という記事は、いろいろな方から「この考え方いいね」と反響がありました。

実は、昨年末から妻が専業主婦をしているんです。今の日本は、専業主婦になることに対して、どちらかというとネガティブなイメージを持っていますよね。でも、僕は営業や事務といった職業から『主婦業』に変わっただけだと思っているので、キャリアダウンだと捉えたことはありません。そこから学ぶこともあるし、楽しさを感じることだってあるはずです。『ただ職種が変わっただけだ』という僕の捉え方を記事にしました。

ーnoteで書かれていた『パートナーを大切にする人で世界が溢れますように』という言葉が印象的でした。どのような想いを込められたんですか?

『相手に優しくするために、自分の1番側にいる人を大切にしよう』というメッセージを表現しました。僕は仕事が好きで楽しく取り組んでいます。でも、その状態でいられるのは、一番近くにいる人との関係性のよさが起点になっていると感じています。仕事ですごく充実していても、パートナーとの関係がよくないと、なんとなく人生が楽しくないなと感じた瞬間がありました。だからこそ、『まずはパートナーを大切にする人でありたい』と思っています。パートナーを大切にしていると、自分にも余裕ができ、相手にも優しくできると思うんです。

 

ー結婚当初からこの想いを持っていたんですか?

いえ、はじめはここまで明確な想いは持っていませんでした。妻スタグラマーという名前でいろいろな発信活動をしている間に、「なんでやっているの?」「奥さんってどんな人なの?」と質問を受けることが増えていきました。友人や先輩に、妻についてアウトプットする機会が多くなったことで、少しずつ妻を尊敬する気持ちや、自分は妻がいるからこうやって幸せに生きていられるんだ、と感じるようになっていきました。

 

ー仕事では、前職と転職後の現在の仕事でどのようなことをされているんですか?

6月末までは、採用代行や、人材系のサービス導入を企業向けに提案する仕事をしていました。転職先は、人事評価や目標管理のクラウドサービスを提供している会社です。僕はコンサルタントとして、企業の人事や経営層向けに、人事制度設計をサポートしています。

ー転職先は、どのようなところが決め手になったのでしょうか?

2つあります。1つは、HR Techの領域だったこと。もう1つは、志に共感できたことです。

転職先では、『仕事に夢を 日本に野望を』というビジョンを掲げています。これを自分の志にもしたいと思いました。その他にも様々な要因が重なりましたが、最終的には直感でしたね。気が付けば会社の記事や動画を見ている自分がいたんです。「こんなに意識しているんだ」と実感したことが、背中を押しました。

 

弱かった自分。「成功体験も僕にとっては失敗体験」

 

ー過去のお話も伺いたいです。幼少期はハンドボールに打ち込んでいたそうですね。何がきっかけで始めましたか?

ハンドボール教室のコーチをしていた父の影響で、6歳のときに始めました。
兄がハンドボール教室に入れる年齢になったタイミングで、僕も練習について行ったことがきっかけです。

あまり覚えていないのですが、その頃の僕は「絶対やらない」と言っていたらしいんです(笑)でも、当時の監督が僕にボールを転がして「投げてみなよ」と言ってくださって。そのボールを投げたら、たまたまゴールに入ったことが嬉しくて始めたみたいです。中学時代はサッカー部に入ったものの、高校から大学まではまたハンドボールに取り組みました。

ーすごい継続力!小学校時代には、近畿大会で2位になったそうですね。この結果を残せた要因はなんだったのでしょうか?

同じ小学校の中で運動神経がよかった2人をチームに引き入れたことと、いろいろなタイミングが重なったことが大きかったですね。スポーツ人生のピークとも言える成功体験でした。

1つ上の代がいなかったので早めに僕達の代が主戦力となり、6年生になるまでは負けることも多かったんです。そんな時に、2人がチームに入ってくれたことが戦力になりました。当時、僕はキャプテンを務めていたので、自分自身もそれなりに頑張っていたと思います。ですが、『自分より優秀な人を採用する』ではないですが、チームの総力を上げるための行動をとれたことがよかったのでは、と思います。

ですが、結果的に優勝はしていないので、成功体験でもあり、失敗体験でもあると思っています。

実は、近畿大会決勝戦で「負けてもいいか」と、どこかで思った瞬間があったんです。サッカーでいうところのPKのような形になったのですが、そこで勝ちきれませんでした。優勝するのが怖くなってしまったんです。優勝して自分が目立つことが怖かったのかもしれません。

 

ーこのときの体験を、振り返ってどのように捉えていますか?

『準優勝は敗者である』。僕が好きな言葉です。

この言葉には、2つの捉え方があります。1つは、『準優勝は優勝ではないので目立たない。1番でないことに意味はない』という考え。もう1つは、『自分が準優勝だったということを捉え直して、次は勝てる可能性がある。優勝の可能性がある』という考え方です。この経験を通して、1つの言葉を2つの意味で捉えることができるようになりました。

 

自分で決めた道を行く!迷いはなかった進路選択

ー大学受験では、何がこだわりを持って大学を選んでいましたか?

特にこだわりはありませんでした。通っていた高校は、国公立大学への合格率が60%以上、東大や京大を志す人もすごく多かったです。ですが、当時の僕はそこまでの志を持つことができず、どこに行っても一緒だと感じていました。最終的には指定校推薦を選択し、高校3年生の9月頃には進学先が決定しました。関西学院大学を選びましたが、先生をはじめ学校として「私学は滑り止めで受けるのが当たり前だ」という価値観を持っている人がほとんどでした。

「なぜ第一志望で、かつ推薦をとるんだ」とかなり聞かれましたし、「考え直せ」とも言われました。でも、両親や塾の先生は僕の選択を応援してくれていたので、その声が励みになりました。それまでの歩みは兄に続く形が多く、結果的に、この決断がそれまでの人生で初めて『兄と違う選択肢を選んだ経験』となりました。

 

ーお兄さんからは、今後についてのアドバイスがありましたか?

特に何も言われなかったですね(笑)もともと家族自体が、誰かが何かをすることに対して批判をするわけでもなく、かと言って強く応援するわけでもないんです。「自分で選んだんだったらそれでいいよ」という感じで、送り出してもらいました。

 

ー大学生活はどのように過ごされていたのでしょうか?

基本的には、それまでとあまり変わらなかったように思います。引き続き、成績に関しては定量的な評価がつくので頑張っていました。唯一自慢できることは、所属していた経済学部全700名の中で成績上位1%に入り、奨学金をいただいたことです。定期テストの2日前から詰め込んで頑張ったかいがありました(笑)

 

ー圧倒的なコミット力!大学生活で一番思い出に残っていることはありますか?

大阪マラソンに出場し、『一般的なランナーが目指す4時間を切る』という目標を達成したことです。実は、ずっとマラソンが得意ではなく、友達がエントリーしてしまったので、仕方なく出場することにしました(笑)それから本番までの4ヶ月間、ほぼ毎月100㌔以上を走り続けました。達成感がありましたね。

ーその後、就職活動はどのように進めていらっしゃったのでしょうか?

両親と兄が全員教師ということもあり、初めの頃は、なんとなく公務員として働こうと思っていました。僕は教師になる予定はありませんでしたが、地元の和歌山県に戻って働くのだろうと思い、予備校に通っていたんです。

 

ー今とは違う道を考えていらっしゃったんですね。最終的に一般企業へ就職された背景には、どのような心境の変化がありましたか?

1年間の予備校通学の結果、一緒にいる人達となんとなく合わないことに気付いたんです。大学3年生の時でした。

このことを先生に相談したところ、「達揮はあまり公務員には向いてないんじゃないかな?」と言われました。そこから、『一般企業に就職する』という選択肢を意識するようになったんです。当時、仲の良かった先輩がレイスグループに就職されていて、その流れで人材系企業のお話を伺ったのが最初の一歩です。就職活動を始めるタイミングが周りよりも少し遅かったため、多種多様な業界の企業を短期間で受けましたね。

 

ーどのような基準で企業を見ていらっしゃいましたか?

主に3つあります。
1つ目は、営業先で社長に毎日会えそうな仕事であること。2つ目は、新規開拓営業ができること。3つ目は、就職活動の期間が短かったこともあり、自由度が高いことを大切にしていました。

3つ目に関しては、例えば、自分が関わる業界や会社の規模に縛りがないかを見ていましたね。人材系の企業では、新卒や中途専任の支援を軸として事業を展開する企業も多いです。こういった制約がないように掛け算をしていった結果、株式会社クイックが残りました。


ーどの程度の期間に渡って就職活動を行っていましたか?他の企業と迷うことはなかったのでしょうか?

2ヶ月くらいです。大学3年生の2月初旬からスタートして、3月末で内定をいただきました。一番最初に内定を頂いたのがクイックだったので、他に最終選考を控えていた企業は全て辞退し、入社を決めました。

 

ーそこでパートナーとも出会われたんですね。

妻とは同期入社メンバーとして知り合いました。1年目の10月にお付き合いを始めて、半年後の年度末にプロポーズをしたんです。そして、社会人3年目の年に入籍し、妻スタグラマー活動をはじめました。

 

5冠達成→転職で気づいた「独立はあくまでも手段でしかない」

ー当時、お仕事ではどのような活躍をされていたのでしょうか?

入社1年目から新人賞やMVPをいただくことはあったのですが、正直、なんとなく「もらっている」という感覚があってモヤモヤしていました。そんな中、ブレイクスルーできたと感じた経験がありました。

お客様へ価値提供ができたことに嬉しさを感じたことはもちろん、それだけでなく、社内表彰として全指標トップになることができました。全5つの指標全てでトップとなる5冠は前人未踏で、目標にもしていたため、成功体験となりました。

 

ー前例のないの成績を残すのは簡単ではない印象があります。達成できたポイントはなんだったのでしょうか?また、苦労はありましたか?

なにより覚悟を決めたことです。感覚的なことなので言葉で言うのは簡単ですが、僕の場合は「今後3ヶ月でやり切ろう!」と期限を設けていました。また、自分の時間を費やす対象を明確にしたことも、達成できた要因の1つです。僕は、自分がアプローチしていたお客様に対象を絞り、全精力を注ぎました。

その一方で、妻には怒られることも多かったです。結婚からわずか3ヶ月後に、0時に帰ってきて朝5時に出かける生活を始めてしまったので(笑)仕事を頑張ることについては何も言われませんでしたが、家に帰ってきてからも仕事をしていたので、そのまま力尽きて机で寝るとすごく叱られました。

ー仕事と家庭のバランスに葛藤があったんですね。

自分の能力が低かったなと思います。当時、妻に言われた言葉があります。「仕事を頑張るのはいいけど、夜中に睡魔に襲われながら作成した提案書なんて、お客様に失礼なんじゃないの」と。ものすごく本質だなと思いました。

妻とのコミュニケーションを通じて、『これはなんのための時間なのか』を意識するようになりました。例えば、買い物に行っている時間は妻との時間だから、できるだけ携帯は触らないようにしよう、とか。目標に向かって全力で頑張っているときに、好きなようにさせてもらえたことが、パートナーを大切にしたいという想いにも繋がっているので、妻のおかげだなと思います。

 

ーその後、創業2期目のベンチャー企業へ転職したのは何がきっかけだったのでしょうか?

転職したと言うよりは、辞めることを先に決めた過程で、たまたま拾っていただいたという流れでした。特に何か当てがあったわけではなかったのですが、本当は、独立しようと思って退職したんです。独立を意識するようになったのは、大学時代の就職活動を始めた頃でした。「何か夢を持とう」と思った時に、「死ぬ時に1万人のお葬式を開きたい」と思ったんです。例えば、スポーツ選手や芸能人は誰かによい影響を与えることができた方だからこそ、最期に多くの方がお別れを言うために集まりますよね。僕も彼らのような人格者になろう、そういう人であろうと思ったんです。そのために、経営者という立場でより多くの方に価値を届けられればいいのではないかと思い、社長になることを目指していました。

結果的に、独立ではなく転職することになったのは、2社目の社長が掲げている理念やビジネスの創り方に面白さを感じ、そこで一緒に学ぼうと思ったことが理由です。ここで経験を積んだ上で、1年以内に独立の準備を整えようと考えていました。

ーその後、目標としていた独立ではなく2度目の転職を決意した背景には、どのような想いがあったのでしょうか?

1人で何かを作っていく適性がないと気付いたことですね。自分の中でやりたいことや、元々なかったものを創り上げていく力が、まだまだ弱いなと感じました。そこで改めて、自分がパフォーマンスを1番発揮できるのは、組織の中だということ、チーム目標の達成・メンバーを引っ張って最前線を走る方に興味関心があるということに気付きました。また、1人でやると、どうしても社会的影響力を感じにくい部分があります。自分の持つ特徴に気付いた時、はじめて独立が手段に変わりましたね。

 

「世界一の夫婦になりたい」夢ノートに託した、吉田家の未来

ー2度目の転職に際し、奥さんとはどのようなやりとりがありましたか?

転職を機に、妻と一緒に関西から埼玉県に移り住むこととなりました。家族と離れてしまうので寂しがりつつも、とても応援してくれています。僕のわがままに付き合ってくれていて、ありがたいです。

 

ー妻スタグラマーの活動は、転職後も継続される予定ですか?新しくやってみようと思っていることはありますか?

noteでの発信は継続したいです。僕がnoteを書いて、妻が読んで編集する形を楽しんでいます。僕の自己満足ではありますが、記事を読んだ妻が喜んでくれているのを見るのが嬉しいですね。なので、今後も妻と一緒に楽しんでいけたらいいなと思っています。さらに、パートナーシップをテーマに、イベントの開催などをやっていけたら面白いのではないかと考えています。

ー夫婦の共同作品なんですね。パートナーシップにおいて、日々大切にしていることはありますか?

妻を見ていると、『相手に怒れるか』はすごく大事だと感じます。

僕はまだまだできていないのですが、妻は僕のいいところを褒めて、悪いところはちゃんとダメだと怒ってくれるんです。本気で向き合っているからこそ、いい面も悪い面も気付くことができているのでしょう。日々褒められ、そして怒られていますね(笑)

 

ー吉田さんが今後の人生で成し遂げたいことや夢があれば教えてください。

仕事の面では、収益の軸づくりですね。新規事業の立ち上げを担当させていただくので、それを会社の柱にしたいと思っています。その後は、自分で創った事業をもっとスケールさせていくために、3〜5年スパンで未来を考えられるビジネスマンになることが目標です。今までは見えていなかった視点を持ちたいと思っています。

プライベートの面では、「世界一の夫婦になりたい」という夢を掲げているんです。その実現に向けて、何をするか模索しています。妻と結婚し、2人で人生を歩んでいく上で、「互いの夢は2人の夢にしたいよね」という思いから『夢ノート』を書き記しています。これがいい指標にもなっているんですよ。「最近、夢ノート書いていないな」と思う時は、大体夫婦の会話が少ないか、一緒に過ごす時間が足りていないとき…。アラートとなってくれているので、パートナーを大事にする時間づくりを意識できています。

 

ー本日はありがとうございました!吉田さんの夢が叶う瞬間が楽しみです。

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取材・執筆:青木空美子(Twitter/note
編集:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter