学校にいる意味を見失った少年が小学校の先生になるまでの軌跡!箸本知希の『自分らしく生きる』秘訣とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第89回目となる今回は、千葉県の公立小学校教諭として特別支援学級の担任を務めている箸本知希さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

石川県金沢市に生まれ、のどかな自然と伝統あふれる街で過ごした幼少期。中学受験をきっかけに「人を比べて評価すること」への違和感を感じ、人生で最も辛い時期を過ごします。

地元の大学に進学後、2016年に『一般社団法人LYHTY』を起業。LYHTY school -IRORI-というフリースクールのスタッフとして不登校支援に従事します。また、2017年に『トビタテ留学JAPAN』に採用され、フィンランド教育についての研究も行いました。

その後、2018年より公立小学校教諭としてのキャリアをスタートさせた箸本さん。2019年には特別支援学級の担任となりました。本業とは別に『世界青少年「志」プレゼンテーション副実行委員長』を務めるなど、教育を軸に新たな挑戦を続けています。

皆さんにとって「子どもと関わる」とはどのような意味を持ちますか?海外、日本、それぞれの教育のあり方を見つめた箸本さんだからこそ、今も大切にしている熱い想いがありました。

 

不慣れだった1年目から本業以外も手掛ける3年目へ

ー本日はよろしくお願いします!まずは、現在のお仕事について教えてください。

千葉県の公立小学校教諭として勤務し、今年で3年目になります。通常学級の担任を1年間務め、2019年より特別支援学級の担任になりました。

実は、もともと千葉県に何か縁があったわけではないんです。生まれは石川県金沢市で、地元の大学に進学しました。就職のタイミングで千葉県に移住しました。東京は人が多いことに苦手意識を覚えて…(笑)

 

ー小学校教諭として勤めながら、本業とは別に様々な活動をされていらっしゃるんですよね。

『先生の学校』というイベントに登壇した経験があります。他にも様々なイベントの企画や運営を行なっています。また、この有事の状況だからこそ自分にもできることがあるのではないかと思い、先生や教育に興味がある学生同士が繋がれるようなオンラインサロンも主催しているんですよ。。本業以外にも様々な活動をしているので「本当に1日が24時間なの?箸本さんだけ30時間あるんじゃない?」と言われることもありますね(笑)

 

ーそれはすごい!活動をするために、どうやって時間を見つけているんですか?

学校がある平日は、基本的に6時に出勤し、18時には帰宅する生活をしています。仕事がある平日にも時間を確保し、週末を活動にあてることもあります。

 

ー本業である小学校教諭は現在3年目とのことですが、1年目と比べて子どもへの接し方に変化はありましたか?

1年目はあまり自分に余裕がなく、不慣れなことが多かったですね。

地元から離れた場所に就職したこともあり、学生の頃と比べて生活スタイルが一変しました。子ども達に関わることはもちろんですが、周りの先生方との繋がりに関しても未熟な側面が多かったです。自分に余裕がないと、子ども達と接する時にも余裕をもって接することができません。まずは自分自身に余裕をもつこと、その上で子ども達と接することが大切だと思っています。今は自分に余裕を残しながら仕事と向き合うことができるようになりました。仕事でもプライベートでも、『自分がやりたいことをしながら働く』ことで、心にゆとりが生まれると思います。

また、子ども達への声かけにも変化がありました。彼らと向き合う経験を重ねた結果、言葉を交わさなくても子ども達の感情や想いを推測し、一人ひとりに寄り添った言葉をかけられるようになったんです。

 

ー先生という仕事の魅力は増しましたか?

1年目から変わらず魅力を感じています。月日を重ねることによって、より「子どもの成長を共に見る」ことができ、先生という仕事の素晴らしさが増す思いです。先生の魅力は何より、子ども達の成長を側で見させてもらうことだと思いますね。

 

ー小学校教諭はいつ頃から目指すようになったのでしょうか。

大学生頃から意識するようになりました。幼い頃から先生を志していた訳ではありません。しかし、父が特別支援学校の教員をしていたので、頭の片隅には『先生』という選択肢がありました。

 

ー生まれ育った土地で教諭になる選択肢もある中で、箸本さんは千葉県で働くことを選んだんですね。

働く場所は特に気にしていなかったですね。先生になれるのであれば「地球上どこだっていいな」と思っていました。

そんな中で千葉県を選択したのは、「生まれ育った場所から出てみたい」という思いがあったからです。また、イベント運営などを通して知り合った友人が関東方面に多かったことも主な理由でした。当時は、面白そうだなと思う人や場所が東京に集まっていました。しかし、地元の大学に進学していたため、、なかなか東京まで足を運ぶ機会は作れなかったんです。。就職を機に人との繋がりやチャンスを掴むことができるのではないかと思い、移住を決意しました。

 

学校にいる意味を見失った中学時代

 

ー現在、非常に活動的な箸本さんですが、幼少期はどのような子どもだったのでしょうか?

自然が好きでよく木登りをしているような子どもでした。食べられるのかどうか確かめもせず、道端に生えていた小さい赤い実を取って食べたこともあります(笑)その実を鼻の穴に詰めて取れなくなり、病院へ行ったこともありましたね。とにかく何でもやってみたい、興味があることはは挑戦する性格でした。

 

ー活発な少年だったんですね!中学時代はどのように過ごされていましたか?

これまでの人生で、1番どん底の時期でした。

小学校高学年になるにつれて勉強が難しくなり、自分の頭が追い付かなくなっていく感覚がありました。反面、親が受験を申し込んでいたため、あまり乗り気ではない状態で中学受験をすることになったんです。

結果、無事に合格。でも、いざ入学してみると周りの子達は全員エリートで、その雰囲気に飲まれていく自分がいました。「僕も勉強を頑張らなきゃ」と向き合おうとしたものの、だんだんしんどくなっていったんです。

その後、「なぜ自分はこの学校にいるんだろう?」「親が勝手に申し込んだせいだ」と思うようになっていきました。いわゆる反抗期でしたね。

 

ー辛い時期だったんですね。勉強以外の学校生活はどのように感じていましたか?

友人とはそれなりにいい関係を築けていました。しかし、周りの大人の評価軸はテストの成績やそれに基づく競争で、比べられる感覚があったんです。勝ち負けにこだわりたくないと思いながらも、その環境の中で生活し続けないといけないことが苦しかったですね。

 

ーそんな状況でも卒業まで出席し続けられたのは、どのような背景があったんでしょうか。

友人が支えてくれたことが大きかったです。また、「今の3年間を頑張り抜いたら、新しい3年間が始まるんだ!」と希望を持つことで、乗り切れたと感じています。ですが、僕が通っていたのは中高一貫校。実際には、環境面で何かが変わることはありませんでした。エスカレーター式で上がっていくので人の出入りがなく、高校生になっても中学生との境目がわかりませんでした。

 

『やりたいこと』はだんだん見つけていけばいい

ー希望を持って迎えた高校生活も結局は変り映えがなかったんですね。この状況でどのように過ごされたのでしょうか?

幸いにもやりたいことを見つけ、テニス部に入部しました。もともと中学生の頃からテニスをやっていたので、高校では勉強そっちのけで部活動に没頭することで乗り越えることができました。

 

ーテニス部への入部がきっかけで生活が好転していったんですね!

先ほどもお伝えしましたが、父は特別支援学校教諭を務めています。幼い頃から職場について行っては、校庭でサッカーや野球をしていました。そのスポーツの中にテニスもあったんです。父親は石川県で車いすテニスを広める活動をしていて、大会の運営もしていました。僕も大会の手伝いをしたり、車いすの人と一緒に大会に参加したりすることもありました。

高校ではテニスに打ち込んでいたため、結果的に全国大会出場を果たすことができました。ですが、それより先の「プロの世界に挑戦しよう!」という思いや「もっとテニスをしたい!」という感情は生まれませんでした。スポーツ選手になるということはスポーツを仕事として極める事になりますよね。僕は「テニスを楽しむことで十分だな」と思いました。

ーその後の進路はどのような選択をされたんですか?

大学受験をすることに決めます。高校3年間は部活動に捧げすぎてしまったので、スタートは大変でした。AO入試などを利用してしまうと、否が応でも面接でテニスの話をすることになります。そうすると大学でもテニスをする流れになると思い、ゼロから勉強して大学に行くことにしました。ですが、「この大学に行きたい!」という明確なビジョンがあったわけではありませんでした。家から近距離で、偏差値があまり高くなく、教育学部がある地元の大学を受験することに決めました。

 

ーもともと特に行きたい大学があったわけではなかったんですね。大学でのやりたいことや学部に悩み、志望校選びに迷う方もいらっしゃる印象があります。

どの学部を選ぶとかいい大学に行くとか、あまり関係ないと思っています。僕自身は、大学に入ってから自分がやりたいことを見つけていこうと思っていました。そのため、特定の大学を目指して浪人するという選択は取りませんでした。何をするかは自分次第なので、入学してから自分がしたいことを見つけていければいいのではないかなと考えています。

 

『居場所のない子ども達』初海外で見た東南アジア教育のリアル

ー中高一貫校時代から一転、いよいよ新しい環境での生活がスタートしたわけですが、大学生活で新しくチャレンジしたことはありましたか?

これまで経験のなかった海外渡航に挑戦しました!

留学も行きましたし、大学生ならではの長期休暇を利用し、お金を貯めて一人旅に行くこともありましたね。僕は能天気な性格なので、誰かと一緒に行くと喧嘩になってしまうみたいなんです(笑)僕にとっては「海外へ行くなら一人で」が最も合っていました。

 

ー思い切ったチャンレンジですね!主にどこへ行かれることが多かったんですか?

1番よく行っていたのは、コスパのいい東南アジアです。特に、フィリピンとカンボジアは頻繁に訪れていました。

両国は、学校に通っていない子ども達が多いことが共通点です。これらの国では、孤児院などの教育現場に足を運ぶ機会に恵まれました。そこにいる子どもたちは、勉強をはじめとして日本の子ども達よりも頑張っている印象を持ちました。しかし、一部の子ども達しか学校に通うことはできず、路上やスラム街で生活している子ども達も多く見かけたんです。

この経験をきっかけに、「学校という居場所のない子ども達に何かしたい」と思うようになりましたね。

 

ー学校を『子ども達の居場所』と捉えるところに箸本さんらしさを感じます。日本に帰国してから、ご自身の思いを形にするために行動に起こしたことはありますか?

『 LYHTY school -IRORI-』というフリースクールを立ち上げに関わらせていただきました。

日本にも不登校などの理由で学校に通っていない子ども達や、学校に通っているけれど「自分の居場所はそこにはない」と感じている子ども達がたくさんいるんです。『 LYHTY(リュフト)』とは、フィンランド語で『灯籠』を意味します。団体の代表が名付けたのですが「突然この言葉が舞い降りてきた」と言っていました(笑)

ーフィンランド語なんですね!

そうなんです!地元の石川県では毎年の行事として灯籠流しを行っていました。そこで、立ち上げたフリースクールでは灯籠を教育に例えたんです。

『灯籠』は『子ども』に、『火』は『モチベーションやエネルギー』に例えました。風などから自らを守るために周りを『紙』で覆っている姿は、僕たち大人が子ども達と関わる時に彼らの火を消さないように心がける様子と似ています。また、紙を通して火の美しさが透けて見えるように、あくまでも子ども達の火を守り、美しく見せるための関わり方を大切にしていました。

 

ー運営スタッフの皆さんが教育にかけていた熱い想いを感じます。 LYHTYでは具体的にどのような活動をされていたんですか?

子ども達のやってみたい活動を子ども達と一緒に実現する活動を行なっていました。また、大人向けのイベントも開催していました。当時、フリースクールの認知はまだまだ狭く、学校の先生でさえも知らない人が多かったんです。学校の先生が知らない場所に子ども達が足を運ぶことはないので、まずは大人達にもフリースクールの存在をシェアしつつ、一緒に教育について考えるような合宿を開催しました。

東南アジアを一人で旅した時から、フリースクールを立ち上げるまでの期間で様々なことを感じました。そして、「自分が腑に落ちて理解していることでないと子ども達に教えることはできない」と気付きましたね。フリースクールという場所で、自分が学んだことを子ども達に伝えるということは、自分の言葉で子ども達に何かを伝えることと一致していたんです。だからこそ、子ども達との関りが楽しかったんだと思います。

 

フィンランド教育との出会いとカンボジア移住への挑戦

ーフィンランドへの留学もされていたんですね。

はい、もともとフィンランドに興味を持っていたんです。PISAという国際学力調査で上位に位置していることや、マリメッコのような北欧デザインに魅力を感じていました。しかし、僕が通っていた大学とフィンランドは留学提携を結んでいたわけではなかったので、なかなか実現は難しかったんです。

ちょうどそんな時に『トビタテ留学JAPAN』という留学促進キャンペーンに出会いました。この団体では、留学先も留学プログラムも自分で決めることができます。応募した結果、フィンランド留学の夢が叶いました。

現地では、フィンランド教育における特別支援教育について学びました。フィンランド教育自体はある程度自分で調べることができましたが、特別支援教育についてはほとんど情報がなかったんです。「これは実際に自分の目で見るしかない!」と思い、留学テーマに選びました。

『トビタテ留学JAPAN』というコミュニティがあることでいろいろな学生が集まってきます。団体の存在自体が『大学』のような場所でした。実際のキャンパスはありませんが、参加者がそれぞれに行きたい場所へ行き、また戻ってきてアウトプットをする、そんなコミュニティによさを感じる経験でしたね。

 

ー最後に、これからの箸本さんのやりたいことや夢があれば教えてください。

来年からカンボジアに移住しようと思っています!

現地でやろうとしていることは主に2つあります。1つ目は、カンボジアの学校づくりをしながら先生として教壇に立つこと。2つ目は、カンボジアにも*GTP(Global  Teacher  Program)の拠点を持つことです。

実は、大学時代の旅を契機に、カンボジア教育支援に継続して関わっていました。日本にいながら全国のプロフェッショナルな先生方と一緒にカリキュラム作りなどに参画していたんです。そのため、何年も前からカンボジア移住を誘われていたのですが、なかなか一歩を踏み出すことはできませんでした…。

*GTP(Global  Teacher  Program)とは

海外で語学留学をしながら現地の教育実習に参加することができるプログラム

ー何がきっかけで今回の決断に至ったんですか?

『自分の道は自分で決めて、自分で進む生き方を体現していきたい』と思うようになったことですね。

僕にとって、目の前にいる子ども達はとても大切な存在です。だからこそ、きちんと『今』に区切りをつけてから前に進みたかった。自分自身への挑戦も込めて、自分がやりたい教育を海外で自由にデザインできる環境に身を置くために、今年度をもって公務員を卒業することに決めました。

 

ーかなり悩んだ末の決断だったんですね。

主催しているオンラインサロンも含め、今の僕は『自分がコミュニティや団体に所属してそれらのよさを伝えている』んです。次は、自分が主体となって周りを巻き込んでいきたいと考えています。これまでは、特に対象を絞ることなくいろいろな方と関わってきました。これからは少し対象を絞って、カンボジアに興味がある人や教育に熱量がある人に焦点を当てて共に活動してしていきたいと思っています。

僕は公務員なので、なかなか本業以外のことがしにくい状況にあります。正直、環境に縛られるのがあまり好きではありません。やるなら堂々とやりたい。そのためには、立場や環境を変える必要があると思いました。これといって特別なこだわりがないのであれば、自分のタイミングで変えればいいのかなと思うんです。

カンボジアへの渡航まで少し時間があるので、世界一周にもチャレンジしようかなと考えています!

 

ー本日はありがとうございました。箸本さんの挑戦がより多くの方に届くことを願っています!

 

ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。

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取材・執筆:青木空美子(Twitter/note
編集:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter