退学処分になった偏差値30の高校生が、人生のルートを無視し続け、自分を強みで押し上げ”社長”になるまでー濱名亮太インタビュー

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第96回目のゲストは株式会社Potential Eight 代表の濱名亮太さんです。

高校退学、大学中退。正義感と真っ直ぐさゆえに破天荒なルートを歩まれてきた濱名さんですが、強みである営業力で圧倒的な成果を上げてきました。社会の理不尽さも、世間が用意したステップも飛び越えて、今、「社長になる」という夢を叶えた濱名さんの、まだまだ続くであろうユニークキャリアの現在地までの歩みに迫りました。

 

教師からの反感から、不当な退学処分に

ー本日はよろしくお願いします。まずは、代表を務める株式会社Potential Eightについて教えてください。

株式会社Potential Eightを、2020年2月10日に起業しました。社名には、「人の可能性は無限大だ」という僕の考えを込めています。

主に、3つの事業の柱があります。1つ目が、インターネット広告。デジタルマーケティングの領域ですね。2つ目が、YouTubeチャンネルのプロデュース。3つ目が、中卒・高卒人材に特化した人材紹介業です。

ー中卒・高卒人材に特化しているというのは、濱名さんのご経歴の影響でしょうか?

そうですね。僕は、高校時代に2度の停学の末、退学処分になりました。やんちゃだった、というのもあります。ただ、2度目の停学は、ある教師に目を付けられていて、腹いせによるものでした。

クラスに内向的な友人がいたんです。正義感が強い僕は、その子に仲間にはいってほしくて、頻繁に交流を持とうとします。そのコミュニケーションの仕方を、「いじめだ」と決めつけられ、停学処分になりました。クラスメイト達は僕の味方で、署名活動までしてくれたのですが、教師の判断は覆りませんでした。また、同じように2度の停学になった友人は複数いたのに、なぜか僕だけが退学にまで追い込まれてしまったんです。

 

ーなんという理不尽な…。

いつか見返してやりたい、と思って今まで過ごしてきましたが、昨年、その教師が問題行動を起して逮捕されたと知りました。やっぱり、どこか悪い部分があったのでしょうね。今はこうやってネタとして話して面白がられるので、美味しいな、と思う面もありますが、やっぱり許せなかった出来事ではあります。

 

ー退学となり、その後の進路はどうされたのでしょうか?

通信制の高校へ通います。そこには、優秀な人も、不良も、風俗嬢も、アスリートも、セクシャルマイノリティの人も、内向的な人も、皆いました。多様性、という言葉が似合うような空間だったんです。色んな人と触れ合ったおかげで、寛容な人間になれたと思います。

そこでも、やはりやんちゃなグループの人たちと仲良くなって過ごしていました。学校へはあまり通わず、すすきのの街で遊び惚けていましたね。そんな中で、過去に一緒にサッカーをしていたの同級生たちが、推薦で有名大学への進学が次々と決まっていたんです。ずっとサッカーをしてきて、サッカーだけは真面目に取り組んできました。それなのに今は、仲間が次のステージに進むのを横目に、自分は遊んでばかり。「俺、なにやってんだ?」という気持ちが募りました。

停学、退学に直面しても、いつも母はどっしりとした存在感で僕のことを受け止めてくれていました。なので、母に恩返しがしたいと思ったんです。「ずっとサッカーばっかりだったから、サッカーで全国大会に進出した姿を見せたい」その想いが芽生えて、大学受験をすることにしました。

高校を卒業後、それまでの友人との連絡も全て断って、勉強に専念します。そうして、偏差値30の高校にいた僕が、偏差値55の高知大学に合格することができました。偏差値でいうと60まで上がっていて、関西大学にも合格していました。

 

母に恩返しがしたくて、大学進学

ー濱名さんはずっと札幌で過ごされてきたんですよね。高知大学を選ばれた理由はなんでしょうか?

高知大学はサッカーの強豪校なんです。地方の国立大にもかかわらず、数年前は全国大会決勝の常連でした。プロ選手も輩出しています。また、自分のプレースタイルと、高知大学のプレースタイルが近かったことも要因です。

結論、全国大会でのプレーを母に見せるという夢は叶いました。サッカー部は全体で約150人程いて、その中のレギュラーを勝ち取るということは、難しいこと。11人に選ばれなかった生徒たちは、サッカー部内にあるビーチサッカーチームやフットサルチームに所属するんです。そして、僕はフットサルの選手として全国大会出場が叶いました。

2年生の頃には、「プロになるのは無理だ」というのが見えてきていたんですよね。じゃあ、自分の将来をどうするかと考えたときに、「社長になりたい」と漠然と思いました。高級スナックでボーイの仕事をしていた経験から大きな影響を受けていると感じます。

いままで色んなバイトをしましたが、どれもすぐにクビになっていて…そんな中でも、ボーイの仕事だけは続きました。そこで、社長として働いている方々を多く目にしたんです。「お金持ちで、綺麗な女性を携えていて、社長ってすごいな」と、インパクトがありました。また、周りからずっと、「亮太は社長以外無理だよ」と冗談交じりに言われていたこともあって、社長を目指すことにしたんです。3年の後半にはサッカー部も辞め、休学して上京をすることにしました。

 

ー高知から東京へ出て、インターンに挑戦するんですね。どうやってインターン先は見つけたのでしょうか?

どうやれば社長になれるのか分からなかったので、素直に「社長 なり方」でググりました(笑)そうしたら、ちょうど、プログラミングスクールのテックキャンプがリスティング広告を出稿していたんです。ここに行けばいいのか、と、鵜呑みにして(笑)

都内のベンチャー界隈で働く知人に連絡をとって、「テックキャンプってところで働きたいんだけど!」と、内部の人につないでもらい、半年間のインターンが決まりました。

 

営業で開いた才能

ーインターンをしている中で印象的だったことはありますか?

テックキャンプは、株式会社div社が運営しています。divは、YouTuberとして活躍する代表取締役のマコなり社長こと真子就有さんを通じて知っている方もいるのではないでしょうか。テックキャンプはtoCの商材になりますが、それ以外にも、企業内でエンジニア人材を育成するtoBのプログラムの提供も行っています。

最初の2か月間、僕は法人営業を担当していたんです。その結果が、壊滅的で…。マナーすら身についていないので、売れないのは当然でした。その様子を、真子さんと、事業責任者の安井遼太朗さんが見てくれていて…結果が伴っていなかったにもかかわらず、「ビジネスマンとしては駄目だけど、可能性はあるな」と思ってくださっていたらしいんです。

あるとき、toC向けのテックキャンプの説明会を見学する機会がありました。説明会を行い、カウンセリングに進み、受講するというのが一般的な流れです。その説明会での営業の立ち振る舞いが「イケてないな、俺ならできるのに」と思えて、その場で真子さんに直談判をしました。「俺だったら全員に受講を選んでもらえます」「この営業、俺に任せてください!」って。

 

ーものすごい大胆な言動ですね…!

真子さんはその姿勢を面白がってくれて、toCで挑戦してみろよと背中を押してくれました。その結果、ミラクルが起きて、2週間で個人営業を担当した23人、全員が受講してくれたんです。

 

ー成約率100%ではないですか!すごい成果を残されたんですね。その要因は?

第一に商品が良かったからですね。テックキャンプは僕自身も受講していたので、商品の良さはしっかりと理解できていました。お客様は、説明会に足を運んでいる時点で商品への興味関心は高く、背中を押して欲しがっているだけなんです。僕は、人の感情を乗せるという部分を得意としているようで、そこに振り切りました。馬鹿なので、巧みな営業トークとかは別にしてないんですよ(笑)

 

ーそのような結果を残されて、「半年といわずずっとうちで働いてほしい!」とはならなかったのでしょうか?

その後、「マネージャーとして、育成に携わらないか?」と有難い打診をいただき、育成に携わることになりました。ただ、実際にやってみてこれは違うな、と。もっと正直に言えば「つまんねえな」って思っちゃったんです。インターンごときで、教えることもなにもないですしね。

それより、もっと上に行って、もっと違う景色を見たいと感じました。営業スキルがどうやら活かせるらしいぞ、というのは分かってきていたので、営業をもっと活用できる環境にいこうと考えました。

 

正規ルートが苦手でも、自信と熱意で突破

ーそこで、2社目のインターンとしてサイバーエージェントグループの子会社である株式会社サイバーブルに行かれるんですね。この選択のきっかけは?

サイバーエージェントの渡邊大介さんに、直接メッセをしました(笑)正規ルートだと、面接を5段階くらい突破しなければいけません。でも、ほら、僕、面接とか苦手なので…(笑)

実際に自分が営業となり、その成果を見せることができれば、採用してもらえるという自信はあったんです。なので、直接渡邊さんにメッセージでその自信と熱意をぶつけました。渡邊さんは面白がって、人事の方につなげてくださいました。

その後、2,3箇所、部署の面接を受けたのですが、どこも採用してくれませんでした。案の定、やっぱり面接受けてなくてよかったな、と(笑)その過程でも、僕を信じてくれていた人事の武内美香さんにはとても感謝しています。面接で「モラルがなさそう」なんて言われることもありましたが、サイバーブルは僕を採ってくれました。

 

ーサイバーブルでは、なにをされていだんですか?

広告営業ですね。目標は、新規案件で1件成約させること「これ達成したら、内定ください!」と言ってましたが、新人ですし、期間は2ヵ月だし、他の正社員も同じ目標を掲げているような高いもので…。それが、なんと結果として2件成約させ、本当に内定をいただくことになりました。

目標を達成するためには、他の人と同じことをしていてはだめだ、そう思って行動に移していたんです。東京ゲームショウに他の人が遊びに行っている中、僕は担当者とつながるために名刺を配りまくっていました。そこでの出会いから、気に入ってくださる方とご縁があり、成約をいただけたんです。

 

ーインターンどころか、正社員の採用も面接を通過せずに勝ち取ったんですね。濱名さんにしか切り拓けない展開に思えます…。

サイバーエージェントの取締役である曽山哲人さんとの最終面談はありましたが、特例のことだったと思います。2019年に卒業して新卒入社をする予定で話が進んでいたものの、大学を卒業する意味は特になかったため、高知大学を中退して2018年卒の大学生と一緒にサイバーエージェントに入社しました。僕にとって、大学はサッカーのプロになる通過点だったので、戻る意味がなかったんですよね。

入社してからは、AbemaTVの営業部に配属され、代理店に対してCMや番組制作を提案していました。それまでは、販路が大手広告代理店しかなく限られていたところを、もっと範囲を拡げて他代理店販路の新規立ち上げを任されたことで、1年目で一気に成果を伸ばすことができました。

僕の夢はずっと社長になること。そこに変りはなかったので、入社時から「新人賞を獲得して、箔をつけて独立しよう」と考えていたんですよね。そのために、それに見合う営業成績も収めていました。新人賞は、約150人の同期の中から、5人にだけ与えられます。獲れる、そう思っていました。しかし、僕は6位だったんです。新人賞を逃しました。

 

周りが見えていなかった。悔しさの先で学んだこと

ーそれは相当、悔しい思いだったのではないでしょうか…。

あまりにショックで、その後、3日間は会社にいけませんでした。悔しくて堪らなかったんです。直属の上司にも、不満のメッセージをしまくりました。「成果は確実に出していたのに、なんでだ?」と、納得がいきませんでした。そんな時、上司が「悔しいのはお前だけじゃないんだぞ」と言ってくれました。後から知ったのですが、上司は最後まで、僕が新人賞を獲れるようにと強く推してくれていたらしいんです。

僕は、個人の成果を上げることばかりを考えて、チームを底上げするという視点が欠落していました。自分が社長になった今、ワンマンプレーでやる人よりも、チーム全体を引っ張る存在の方が、組織として欲しいということが分かります。当時は、全くその視点がなかったんです。周りの人の応援が身に沁みましたし、自分のことしか考えていなかったと反省もしました。

そういう経験があって、今のままではいけないと気付けましたね。上司には本当に感謝していますし、退職した今でも、サイバーエージェントという会社が大好きです。生まれ変わっても、もう一回入社したいですね(笑)

 

ーとっても愛されているのが伝わります。今後、やりたいことはありますか?

母に恩返しをしたい、という気持ちは今も続いています。ずっと破天荒な道を歩んできましたが、見捨てず、変に盛り立てることも、叱りつけることもせず、ただ見守ってくれていました。

母の言葉で、印象的なものがあります。母は僕に「凛とした人でありなさい」と言っていました。「人は寂しいときや挫折したとき、群れたくなる生き物なんだよ。でも、ひとりの時間で経験を落とし込まないと、成長につながらない。孤独を前提に考えなさい」って。

母には、いつかグランドピアノをプレゼントしたいですね。変らない存在がいてくれる、その安心感が、僕がずっと大胆な行動をとれてきた土台にあるんです。

 

ーお母様の愛に支えられた濱名さんの、今後の躍進も楽しみです。ありがとうございました!

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter