「その道を選んだ自分を信じていこう」コンサルタント、マーケターから人事に転職した高尾有沙の分析、直感、その先の選択

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第72回目のゲストはナイル株式会社の人事・高尾有沙さんです。

 

慶應義塾大学で社会学を学び、2014年に株式会社ビービットに新卒入社。UXコンサルタントとして400人以上のユーザインタビューやマーケ戦略立案策定等を担当しました。2018年4月より株式会社OKANに参画。マーケターとして広告運用やサイト戦略策定・改善などを実施する傍ら、キャリアコンサルタントの資格取得や副業での転職サポートを始めます。そして、2019年11月から現在に至るまで、ナイル株式会社にて、事業部人事として採用や研修を担当。最近では採用やインバウンドのウェビナー開催も行っています。

社会人7年目で3社を経験し、その度に選択を重ねてきた高尾さん。大学入学までは「自分で選ぶことができなかった」と言います。今、人事、そして副業のキャリアアドバイザーとして人の選択に寄り添う彼女が、自分を信じて選べるようになるまでの過程に迫りました。

 

働くことを持続可能な生産活動に

 

ー本日はよろしくお願いします。現在の高尾さんのお仕事について教えてください。

ナイル株式会社のデジタルマーケティング事業部に所属しています。BtoBのSEOコンサルをしている事業部で、マーケティングコンサルタントやコンテンツ編集者の採用、育成がお仕事です。

人事をはじめて半年ほど経ちました。コンサルやマーケターのときと、職種は変わっているものの、頭の使い方はあまり変わっていない感覚です。毎日、楽しく仕事をしています。

 

ーそもそも、コンサルタントから人事へと関心が移ったのはどういった背景があるのでしょうか?

1社目のコンサルティング会社は、一言で言えば「激務」でした。納品前は深夜3時にミーティング…なんてことも。会社としての業績は好調だった反面、仲間が休職や、病気退職、ボタンの掛け違いで退職する現場を目にしてきました。 

優秀な仲間たちの高いコミットメントに支えられて、顧客に対しての価値提供には自信がありました。クライアント企業様の成長にもお力添えできていたと思います。でも、そのことが、働く人の成長や心理的安全に繋がっていないんだとしたら?それって、人間の生産活動として正しいのだろうか?社会人としての成長実感はありつつ、そんな疑問を抱くようになりました。

「持続可能な生産活動をしながら、その人が居続けられる場づくりをする」。そんな働きがしたいなと思い始めました。それが、社会人になって3年目くらいのことです。「クライアントの売上貢献」以外の側面で会社や社会を良くしていきたいと考え、2社目にHR業界のスタートアップに、3社目に人事職に、と転職をしてきました。

 

理不尽がパワーの源

 

ー高尾さんのキャリアは、課題解決のために積み重ねられているように思われます。そのような思考は、いつから育まれたのかを知りたいです。どのような環境で育ってきたのでしょうか?

私は神奈川県の片田舎で生まれました。土地の9割が森林、というような場所でした。生活保護受給世帯が多く、大学まで進学する子は珍しかったように思います。親が勤めるメーカーの工場がそこにあり、住んでいたのですが、小学校の頃から「なんだか周囲と違う感じがする」という気持ちを抱えて過ごしていました。

 


その後、中学受験をして、家から離れた場所にある中高一貫の女子校へ進学します。学校は、親が決めたところで、いわゆるお嬢様学校でした。よくある話ですが、順繰りにいじめたり無視したりする環境がありました。部活でも居心地の悪さを感じていて、部活を続ける意味を見い出せず、正直、辞めたいなと思っていました。でも、中学は部活への所属が必須。行かないと親も教師も怒るし、同じ部活に2個下の妹がいたこともあり、「辞める」という選択肢を取ることは出来ませんでした。

そんな環境のなか、中学3年間は鬱屈とした気持ちのまま過ごします。「周りの人たちを見返してやりたい」という思いから、せめて勉強は、という気持ちで頑張っていました。

 

 

高校に進学すると、いじめのようなものは次第になくなっていきました。高校でも部活を続けていましたし、生徒会長も務めていたので、それも影響していたと思います。自分のポジションが明確化することで、周りとの人間関係も円滑に進むようになりました。

 

ーどうして生徒会長になったのですか?

 


私は高校入学以降ずっと生徒会の役員をしていたので、正直な話、立候補者情報を事前に知ることができる立場でした。そこに並ぶ顔ぶれから、明らかに「生徒会長になったら、大学の推薦入試で有利になる」という気持ちが透けて見えました。学校を良くしたいという人よりも、自分が大学入試を失敗しないように、という気持ちで生徒会に入る人ばかりが集まるようになっているように感じました。

そのとき、「生徒の代弁者でない人が、生徒会長になっていいのか」と腹が立ってしまい…。中学時代から生徒会に所属していた(中高一貫校のため)ことから、学校の課題は一定把握していたこともあり、「絶対に学校を良くできる」と確信し、立候補して選挙に出て生徒会長になりました。

熱中症対策のために自動販売機でスポーツドリンクを買えるようにしたり、学校指定鞄が重すぎて腰痛になる生徒が続出していたのでナイロン生地のサブバックを導入したり、生徒の「負」を改善していきました。

 

ーその頃から高尾さんの課題解決能力は発揮されていたんですね。

実施可能になるまで数年を要した案もありましたが、自分たちの行動から変わっていったことは嬉しかったです。学校や先生のことは嫌いになりましたけど(笑)

 

学校にはどうしても、様々な悪しき習慣があります。生徒が困っていて、それが解決されるべきものであるならば、積極的に変えていくべきです。でも、生徒会長になってみて、それらを継続させているのは先生たちの「ずっとこうやってきたから」「伝統だから」という本質的ではない理由付けであることに気付きました。学校に蔓延る理不尽さに、先生が加担しているのではないか…と。

思えば、今までの自分の行動を起す際のパワーの源は、「理不尽さへの抵抗」でした。

 

ーそのような理不尽さと戦いながら、中学校とは一転して、充実した3年間だったわけですね。大学は慶應義塾大学に進学されましたが、どうやって決められたんでしょうか?

正直、慶應に進学したことに対しては後悔があります。周りに流されて決めた選択の最たるものだったからです。

当時、親が慶應に合格したことをすごく喜んでくれたんです。ネームバリューがありますし、親も行きたかった大学だったからです。本当は別の大学を志望していたので、正直慶應に進学するつもりは毛頭ありませんでした。慶應を受験したのは、たまたま日程的に余裕があった、それだけでした。受験当日まで足を運んだこともありませんでした。

でも、他の大学に進学する道もあったにもかかわらず、親と学校の先生の後押しと、ネームバリューで決めてしまいました。

 


大学にもカルチャーがあります。あまりこの観点で大学選びはされないと思いますが、とても大事なことです。結局、あまり慶應では友達ができませんでした。一方で、私の第一志望だった大学に進学した子たちとは、Twitterなどを介して友達になっていました。きっと、都会的でキラキラしている大学よりも、すこし郊外に寄っていてリベラルな大学と、そこに集まる人々の方が自分に合っていたんだと、今では思います。

 

人生で初めての直感的意思決定


ー中高、大学と親のすすめた学校へ進学してきたわけですが、就活はご自身の意思で決められたんですよね。どうしてコンサルティング会社のビービットに入社されたのですか?

銀行などの定型業務はできないな、と感じていました。わたしは多動性が高く、思考することが好きです。なので、言われたことを正確にこなす、という働きが求められる場所では活躍できないと感じていました。

「思考することにバリューがあって、経済活動に踏み込める会社がいいな…」そう思って、人材紹介会社か、コンサルティングビジネスに絞って会社を選んでいました。

 


ビービットへの入社は、それまでの人生の中で、「初めて直感で下した」意思決定でした。ミッションへの共感、少数精鋭、一緒に働きたいと思える人がいる…理由は挙げようと思えば色々ありますが、最終的に自分を動かしたのは直感です。

当時の副社長に「内定です」と伝えられたとき、めちゃくちゃ嬉しかったんです。言語化できないような胸の高まりでした。いまでも覚えています。当時のビービットのオフィスの壁って、真っ白だったんですよね。その白さが目に突き刺さるように染みて、涙が込み上げてくるような感覚…。

 


私はこれまで、努めて論理的であろうとしてきたので、それまで直感はあまり信じてきませんでした。それなのに、あのときに湧きあがった感覚は、私の選択を決める上で決定的なものでした。

 

ー初めての人生の大きな決断が、いつもなら考えられない直感的なものだったんですね。迷いはなかったのでしょうか?

最終的なお返事をするまでに、かなりの時間を要したので、もちろん迷いはありました。もう一社、魅力的に映っていた外資系のコンサルティング会社があったんです。

その会社の内定者懇親会で、社員の方とお話する機会を持つことができました。そこで、私は、「仕事の後やお休みの日は何をされているんですか?」と聞いたんです。返ってきた答えは「行きたい部署があるから、そのために上司との飲みを頑張っているかな。それ以外は合コン」というもので…。私、ドン引きしちゃって。「私はこんな未来は歩みたくないぞ」と、その会社はお断りすることにしました。

ビービットは、お話していて面白いと感じる方が多かったのも印象的でした。「この人たちと仲間になれるのは、自分の人生を豊かにしてくれるだろうな」と感じていたんです。

 

ー実際に、ビービットで働いてみてどうでしたか?

そうですね。人生で初めての挫折をたくさん経験しました。大学までの人生では、「自分がどうやっても勝てない」と思うような人と出会うことは、正直ありませんでした。けれど、ビービットは、ほとんどの人が東大か京大を卒業している圧倒的な高学歴で、頭の回転や理解力が圧倒的に上だと感じました。

 

 

また、同僚同士を比較するカルチャーがあり、批評者が多いとも感じていました。比べられるごとに「コンサルとして戦っていっても、自分はこの人達には勝てない」という気持ちが深まっていき、2年くらいはしんどい思いを持ちながら働いていました。

 

諦めの先で、自分の強みを理解できた


ー非常にストレスの多い環境だったように聞こえますが、どのように乗り越えられたのでしょうか?

良い意味で諦めがついたから、だと思います。2年目までは、会社は自分が能力を発揮できるように最適な環境をお膳立てしてくれるものだ、と思っていました。でも、そうやって待っているだけだと、自分が「活きる」仕事はできないな、って。

「この人たちと単純に戦っても勝てない」と諦めてからは、自分が得意な部分に目を向けるようになりました。「BtoBよりもBtoCの商材の方が向いているぞ」「この業界は理解できる」「こういったインサイトを持つユーザーに働きかけたい」など、自分の強みを分析して、こういう案件ならバリューが出せる、ということを積極的にマネージャーに伝えていました。

 

また、苦手な部分は、無理してやるのではなく、アウトソースを有効活用していましたね。定量分析は優秀な学生インターンにお願いし、分からないことがあれば信頼する先輩や上司を頼りました。

圧倒的に出来る人がいる、そして、出来ないことをするのは辛い。そのことを知ったおかげで、ある種、身の程を知った状態で物事を考えられるようになり、得意なことを選択して戦うようになりました。

 

ー仕事も軌道に乗ってきた中で、転職を決意したのはどうしてなんでしょうか?

入社して3年目の9月、突発性難聴に見舞われました。ミーティング中に、飛行機の飛ぶ音がしたので「なんだか今日、たくさん飛行機飛んでますねえ」って言っていたら、メンバーに「今すぐに病院に行け」と。

もうすぐ丸4年のタイミングのことです。仕事には十分慣れていたし、方法論も確立されてきていました。そんな状態でも不調になってしまうということは、スキルの熟達度合いは関係なく、働きすぎてしまう構造があるんだろうな、と気付きました。働く、体を壊す、休んで治す、働く、また体を壊す…。そうやって限界まで働き、悪循環を繰り返す将来は、想像に容易いものでした。

 

会社を良くする働きがしたい、というのは、周りの仲間を見てきてずっと思っていたことでした。ただ、それができないもどかしさもあって…。ビービットで出会った人たちのことも、仕事内容も、会社のことも、大好きでしたが、HRの領域にいくことを決意しました。

 

どんな選択も、自分で意味を見出していく

 

ーそして株式会社OKANに転職されたんですね。入社の決め手はなんですか?

ビービットのクライアントは大企業が多く、巨大な組織で働くとはどういうことなのかを見てきました。大企業で働くイメージは湧かず、Wantedlyを利用してスタートアップやベンチャーの求人を探すことにしたんです。

 

OKANは社食サービスや組織改善サービスを開発・提供している会社です。ミッションに「働く人のライフスタイルを豊かにする」を掲げていて、それに共鳴したのが決め手となりました。

 

ー実際に働いてみて、どうでしたか?

人事としての転職を望んでいたのですが、スタートアップなので状況の変化があり、実際にはマーケターとして働いていました。

ビービットとは事業構造やビジネスモデルが全く違う会社だったので、固定観念を破れたのが良かった部分だと思います。会社によって、人の価値は変わるんだ、という当たり前のことに気付かされました。

 

 

OKANは事業会社であるという特性上、あるいはミッションを最重要視した組織であることから、評価尺度や「良さ」の定義がビービットのそれとは大きく異なります。ビービットはマネージャーからの評判や資料のきれいさなど、アウトプットと獲得したスキルセットなど、成果が重要視されており、明確な成果指標がありました。支援会社から事業会社に移ったというのも大きかったのでしょう。「アウトプットや成果が最重要指標」の世界が当たり前、ではなかったんだな」と思いました。

 

ー現在は株式会社ナイルに転職されていますが、OKANではどのくらい働かれていたのですか?

 


1年半です。やはり、人事は経験がないと任されなくて…。自分でキャリアコンサルタントの資格を取得したり、副業で個人的に始めてみたりしたものの、社内での異動は実現出来ませんでした。入社前から人事の仕事がしたいという希望が強かったので、転職をすることにしました。

仲間との紐帯や情緒的評価が重視される会社と、成果が重視される会社、どちらも経験することによって、「自分に水があう」組織への解像度が上がりました。定量的かつ皆が共有できる評価基準の枠組みがある会社、あるいはプロフェッショナルが集まる職人気質の会社の方が働きやすいのではないか、と個人的に求める会社が明確化したんです。

 

ナイルには明確なランク設定や評価基準があって、みんな仕事が好きで、真面目に粛々と働いています。現在、働き始めて半年ほどになりますが、性に合っていると感じますね。

 

ービービットは直感で決めたの対し、ナイルはいままでの経験を鑑みて、分析的に選ばれたような印象です。どちらの選択の方が納得した道に進めると思いますか?

ぶっちゃけ、どちらでもいいんじゃないかな、と思います。正直、今回の転職でナイルに決めたときは、やっぱり不安だったので、親しい友人やこれまでの先輩・上司など20人くらいにアンケートを取り、内定を頂いた各社のメリデメを書いたスプレッドシートに意見を書き込んでもらって、多数決で決めました(笑)

人間の意思決定って、後から振り返っての意味づけ如何、捉え方が変わるだけだと思います。正直、その瞬間に納得してようが、してまいが、後からその選択を正しくしていくしかない。なので、一瞬でも「この選択、いいな」と思った自分を信じてあげて、ちゃんと肯定し、進んでいく。どんな選択をしても自分で正解にしていければいい、そう考えています。

ー自分で考え、試行錯誤しながら選択を積み重ねてきた高尾さんだからこその捉え方ですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました!

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter