「生きているだけでありがとう」親子が触れ合う”ぎゅぎゅっとダンス”を広めるフリーランス保育士・三原勇気のメッセージ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第68回目のゲストはフリーランス保育士として活躍をされている三原勇気さんです。

 

徳島県出身、27歳の三原さん。公立・私立保育園勤務を経て、独立。親子間の心と身体のふれあいを交えた「ぎゅぎゅっとダンス」を活動の軸に、イベント出演や講演会などを行っています。

公務員という働き方から、「フリーランス保育士」という珍しい選択をとり全国的に仕事をする三原さんのユニークキャリアに迫るとともに、活動を通じて届けているメッセージを伺いました。

 

小学生から保育士を志す

 

ー本日はよろしくお願いします。まずは三原さんの現在のお仕事を教えてください。

親子ダンスのイベント企画運営、保育コンサルや講演・研修での講師、ベビーシッターなどを行うフリーランス保育士です。親子同士での肌のふれあいが自然と行える「ぎゅぎゅっとダンス」を考案し、イベント等で広めています。

最近では、オンラインのダンスイベントも開催し、毎週日曜日の朝に約50組の親子と元気に楽しくダンスを踊っています!

 

ー保育という仕事に、様々な形で関わっている三原さんですが、原点である保育士になろうと思ったきっかけはなんですか?

私は幼い頃から、子どもと遊ぶのが大好きでした!小学校のときに、友人の家に行って、当の友人をほったらかしてその弟、妹たちと遊び回っていたくらいで…。

もっとちいさい子どもたちと関わって暮らしたいな、という思いが抑えきれず、小学校2年生のときに、両親に「弟か妹が欲しいなあ」ってお願いをしたいんです。そうしたら、本当にその願いが叶って、弟が生まれました!

そのときの光景が今でも忘れられません。ちいさくて、可愛くて、鼓動とぬくもりがありました。一生懸命泣いて、生きていることを伝える姿…。深く印象に残っています。

 

ー三原さんにとっては保育というものが身近にあったんですね。

 

それから、弟と暮らして、できないことができるようになったり、新しい感情が増えたり、日々変わっていく子どもという存在に、魅了されていきました。弟と接することで、私自身も成長することができたと思います。

その過程で自然と保育士になりたい、という気持ちが高まっていきました。

 

ーかなり早期に確固たる将来の夢が決まったようですが、その後、どのような行動をとられたんですか?

中学校では職場体験で弟が通う幼稚園に行けるように企画したり、高校では児童館でのボランティア活動をしたり、「子育て支援の講演がある」と聞きつければ積極的に参加したりしていました。

 

ー夢に一直線!中学生のときから活動的だったんですね。進学先は、もちろん保育関係の学校でしょうか?

保育について学ぶため、生まれ育った徳島県にある私立の4年制大学に進学しました。その傍ら、学童や障がい児施設でのアルバイトなどでも経験を積みました。

私の活動のテーマである「保育とダンス」の始まりも、大学生のときです。身体表現の楽しさを伝えるゼミがあり、それは3年生が履修するものなんですけど、もともとダンスが大好きだったので1年生から教授に頼んで参加していました。

ダンスの魅力は、子どもが楽しんでくれる、というところだけではありません。ダンスというツールがあれば、年齢も性別も国籍も関係なく、たとえ話している言語を理解し合うことができずとも、通じ合うことができます。ダンスがある空間では始めましての人がつながりあう。そこに大きな魅力を感じ、私自身も幸せをもらいました。

 

親子のすれ違い。自分の得意なことでサポートしたい

ー体験を通じて、活動の軸がすこしずつ定まっていったんですね。卒業後は都内の保育園に就職をされていますが、長年暮らした徳島県を出たのはどうしてですか?

もともとは大好きな徳島に就職するつもりでした。ダンスをする中で、前向きな気持ちが育まれ、もっといろんなことにチャレンジしたい!と思うようになったんです。そんなときに、「東京に行こう」という選択肢が突然降ってきました。東京に可能性の広がりを感じていたんでしょうね。

パートナーと一緒に上京して、区立の保育園に公務員として就職しました。園内研修の場も豊富で、いろんな学びができることが嬉しかったです。

 

ー念願叶って保育士になったんですね!様々な出会いがあったと思います。印象深かったエピソードはありますか?

その保育園は22時まで預かりを行っていました。あるシングルマザーのお母さんがいて、仕事が忙しく、いつも夜になってからのお迎えでした。

家事も育児も全部おひとりでされていて、きっといっぱいいっぱいだったと思います。子どもは大好きだけど、関わる余裕を持てない…そういった悩みを抱える親御様は少なくありません。

そんな中で、お子様が不安定な状態になってしまいました。頻繁に「みんなのこと嫌い!先生のことも嫌い!」と言うようになり…。「嫌い」という自己表現ができることは、成長の過程で必要なので、とっても良いことです。ただ、どうしてそういう発言をしているのか考えると、やはりお母様との関係が理由なのかな、と思い至って…。

子どもはすごくて、お母さんのこと、とてもよく見ているんです。そのお子様も、お母様が大変なことはきっと理解していたのでしょう。

お母様は、そんなお子様の様子を見て、ご自身を責めているようでした。それを見ていて、「私にできることはなんだろう」と考えるようになったんです。

 

親御様たちには、育児に関する様々な不安があります。でも、日々は目まぐるしく、忙しいので、ひとつひとつを丁寧に解消していくのは難しいです。それを、なんとか私がサポートできないだろうか。違った保育の切り口はないだろうか…そんなふうに模索していました。

そのとき、大学時代に熱心に取り組んでいたダンスのことを思い出したんです。お母様は目立って愛情表現をするタイプの方ではありませんでした。でも、ダンスであれば、身体表現に抵抗がある親御様でも、自然とふれあって、愛情を伝えられる、そう思いました。子どもからの愛情も、受け取りやすくなるんじゃないかなって。

そこから、親子のダンスを作っていったんです。

 

ー目の前の親子の助けになりたい!そういう熱い想いから「ぎゅぎゅっとダンス」は生まれたんですね。いまはダンスを活用して様々な保育シーンで活躍されていますが、独立はどのような流れで?

 

区立の保育園の後、私立の保育園へ転職をしました。ちょうど親子のダンスの活動を始めたあたりで、「もっと力をいれて行いたい!」と思うようになって…会う人会う人に、「こんなことやりたいんです!」って伝えていたんです。そうしたら、私立保育園の理事長先生に出会い、「うちで働いてみないか?」とお誘いいただきました。

「ダンスのイベント、やったらいいよ」と後押ししてもらえて、主催イベントを運営するようになりました。企画や集客の実績を積み、プレゼン大会への登壇もしました。そういった経験の中で、保育園という枠を飛び越え、全国各地で親子のダンスを広める活動をしたいと考えるようになったんです。

 

「なにもしなくても、生きているだけで」辛い経験から感じたこと

ー小学生からの夢を叶えて保育士になり、ご自身のやりたいことが明確になって独立。順風満帆なように見えますが、ここ数年で特に苦労したことはありますか?

一緒に徳島から上京したパートナーも、同じく保育士でした。そのパートナーが、保育士1年目の時にうつ病になりました。

それぞれの園によって職場環境に違いがあるのは当然で、そこに合う・合わないが人によって分かれます。大変な環境の保育園もあります。

ある日パートナーが「ホームで電車を待っていると、線路に吸い込まれそうになる」と、私に言ったんです。その言葉が、忘れられません。そのくらい追い詰められていました。

一緒にいる中で、気持ちに大きな波が起こっているのも分かりました。いつも通りのときがあったかと思えば、その後すぐにとことん落ち込んで泣いているということも珍しくなく…。そばで見ているのが辛かったです。苦しんでいるのに、自分はなにもできない、って。

そんな中でも、いろいろと勉強して、どうやって未来を描いていけばいいのかを考えました。一番大事にしたのは、「なにもしなくて大丈夫」という想いでした。なにかができるパートナーだから、一緒にいるわけじゃないです。だから、ただ生きてくれているだけで、十分だって。そばにいてくれるだけで嬉しいんだよって。それは心からの想いだったので、それを毎日、来る日も来る日も伝え続けました。

この想いは、パートナーにだけ届けたいものじゃないんです。みんな、そこに生きてくれているだけで素晴らしいと感じています。私と出会ってくれた、それだけで有難くて堪りません。

パートナーが抱えた困難は、それを改めて気付かせてくれました。だから、「生きているだけでいいよ、出会ってくれてありがとう」と、周りの人にも、積極的に伝えていきたいと思いながら、仕事にも取り組んでいます。

ー三原さんは、子どもだけじゃなく、その愛情を出会うすべての人に渡しているんですね。素敵な言葉たちに胸が熱くなりました。今日はありがとうございました!

 

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter