かつてはおしゃPを目指していた西側愛弓が目指すファッションを軸とした社会貢献とは。

ユニークキャリアラウンジ、記念すべき第50回は社会起業家の西側愛弓さんをゲストにお迎えしました。

中高時代、好きなことがファッションしかなかったという西側さん。現在フィリピンでのファッションスクールと社会課題を解決するアパレルブランドの立ち上げに奔走している彼女ですがファーストキャリアは意外にもIT企業。ファーストキャリアをIT系に決めた理由やその後退職し、取り組んでいる新しい事業についてたくさんお話いただきました!

高校時代はおしゃPを目指していた。

ー早速ですが、高校生のころはどんな学生だったんですか。

勉強をするわけでも部活に入るわけでもなく、ただファッションが好きな高校生でした。

祖父がオシャレ好きだった影響を受けたのもあり、中学生の頃からファッション関係の仕事につきたいと思っていました。高校生の頃は雑誌「JJ」から影響を受けて、おしゃ P(おしゃれプロデューサーズ)になろうと思っていましたね(笑)

ーでは高校卒業後は本当は専門学校を考えていたんですか?

それが中学3年生の時にファッション専門学校に見学に行ったんですがちょっと想像していたのと違ったんです。純粋にファッションが大好き!な人たちが集まる学校と思っていたんですが、そうではなくて資格取得のため等といった現実的な理由で通っている人たちもいたんですよね。たまたま見学に行った学校がそうだっただけなのかもしれないんですが、その時はなんか違うなと思ってしまって専門学校へ進むつもりはなくなりました。

でも大学に行くつもりもありませんでした。高校卒業後はひとまずカリスマショップ店員でも目指そうかなとか思っていました。

ーなぜその後大学に行くことを決められたんですか?

特に家族に絶対大学に行けと言われた訳ではなかったんですが、2つ上の姉から言われたんですよね。「大学に行かせてもらえるってすごい恵まれているよ。行っていいよって言ってくれているのに行かないってもったいないと思うよ」と。

それを聞いて、大学に行ってそこで何か新しいことを挑戦してみようかなと思いました。中高時代は特に何も挑戦することがなく、自分で選択肢を狭めてしまってた気がしてたんですよね。

ー進学先として神戸女学院大学を選んだ理由は何かあったんですか。

大学進学に向けて勉強しだしたのが高校3年生に入ってからだったのと、それまで全然勉強してこなかったので、大学受験は2教科で受験できる女子大に絞ったんです(笑)国語と英語の2教科受験して、受かったのが神戸女学院大学の文学部総合文化学科でした。

クラファンでの成功体験が挑戦へのハードルを下げてくれた

ー大学では新しいことに挑戦したいとのことでしたが何か挑戦されたことはありましたか?

大学4年間はひたすらバイトして貯金がたまったら海外旅行に行くを繰り返していました。高校2年の時に友達がアメリカに引っ越したので会いに一人でアメリカに行ったんですがその時に新しい体験や景色、人に出会えることにワクワクを感じて一人旅にはまったからです。

そんな中ファッションがやっぱり好きだったので何かチャレンジできないかと考えた結果、海外ストリートファッション雑誌を作ってみようと思いました。フリーペーパーとかではなく、実際にクラウドファンディングをしてお金を集めて、オンラインで販売したりしました。

ークラウドファンディングに挑戦されたんですね!やってみてどうでしたか?

感動しましたね。自分の思いに共感して応援してくれる人がこんなにいるんだと。一人でやっているようで一人じゃないという感覚があって挑戦する楽しさを感じるようになりました。

ー当時はまだクラウドファンディングが主流ではなかった中、成功できた要因はなんだったと思いますか?

周りの人に恵まれていたからだと思います。クラファンの高額リターンは私に直接会えるというものだったんですが、支援してくれた方に会いにいったら大学の友達で、偽名で支援してくれていたということもありました。

ーそれはすごいですね。雑誌を実際作ってみて学びはありましたか?

挑戦することへのハードルはかなり下がりました。海外留学経験もなかったし、英語やカメラもできないから雑誌なんて作れなさそうに見えたと思いますが、やってみたら以外にできました。

修行のためファッション業界を離れIT企業へ

ーその後サイバーエージェントに就職されていますがファッション・アパレル系ではなかった理由はなんだったんですか。

将来必ずファッションの仕事につきたいと思っていましたが、だからこそファーストキャリアはファッションじゃない道を選ぼうと決めていました。

その中でもIT系を選んだ理由は、これからの時代どんな業界に進んでもITは必要になってくるだろうと思ったからです。私はどちらかというとIT系にうとくて苦手だったので尚更、IT系の会社で修行を積みたいと思ったんです。

ーなるほど。その中でもサイバーエージェントに決めた理由は?

受けていた企業で働く方々に会ってみると、サイバーエージェントは一番楽しそうに仕事をしている人が多かったんです。大人だけど青春している社員さんを見て、私もそういう大人になりたいなと思ってサイバーエージェントに決めました。

ー入社してみてどうでしたか?

アメブロやアドテクノロジーの営業を担当させていただいていましたが、専門用語だらけで想像以上に大変でした。また、ITが日々アップデートされるので情報のキャッチアップもしないといけないのが大変でしたね。仕事に慣れてきて成果が出るようになったのは1年目の終わり・2年目に入ってからでした。

ー2017年に入社され、2019年1月に退社されたとのことですが、なぜそのタイミングで退職を決められたんですか?

本当のところをいうと、1年で辞めようと思っていました。でも入社してみるとあまりにも大変で、1年で辞められないなと感じたんです。1年だと耐えるだけで、得るものがない状態でやめることになってしまい、結果2年働かせていただきました。先輩や同期には、在職中とてもお世話になった上、退職後のチャレンジも前向きに応援してくれて本当に感謝しています。

会社よりも先にNPOを立ち上げたかった訳

ー退職後、ずっと決めていたファッションの分野に戻り今の事業の立ち上げを?

はい。ファッションで社会問題を解決したいと思い、NPO法人DEAR MEをたちあげました。同時に、持続性を考えて株式会社coxcoの立ち上げを進めることにしました。

ーファッションで社会問題を解決したいというところにはなぜたどり着いたんですか。

大学時代に世界を旅している中で、貧困を理由に服を着れない子供たちと出会いました。フィリピンは貧困問題を抱えている国の1つです。大学時代に実際にフィリピンに行って以来、社会人になってからもフィリピンに行っていたのでまずはフィリピンの貧困問題にファッションでアプローチすることに決めました。

高校時代までの私は人生つまらないと思っていたけれど、ファッションがきっかけでいろいろと変化が生まれました。なのでそのファッションで今度は社会貢献がしたい、そのためにNPOを立ち上げたいという思いが強くありました。

ーNPOでは具体的にどのような活動をされているんですか。

フィリピンで現地の貧困地域の人たちがモデルになるファッションショーを毎年2月に開催しています。また、現在はマニラでファッションスクールを作る計画も進めています。ファッションやビューティーに関連した技術者を育て雇用を生むことが目的です。

ー日本ではなくフィリピンを拠点とした活動内容ですが苦労はありましたか。

会社を辞めて、フィリピンに住むくらいの気持ちでフィリピンに行きましたが、現地のモデル事務所の方にあやうく事業を乗っ取られそうになったりと問題が多発しメンタル的にはとても大変でした。一緒にやってくれている仲間たちはフィリピンにいなかったのでメンタル的にとても辛かったです。

服という形をしたメディアで社会課題解決を目指す

ーやはりスムーズにはなかなか行かないものですね・・・同時に日本での事業立ち上げもされていますが、こちらはどのような事業になるんですか。

coxcoという会社を立ち上げ、ファッションブランドの立ち上げをしています。ただ服を作って売るのではなく、こちらでもファッションを通して社会貢献をしたいと考えています。使う素材を廃棄素材にするなど素材からこだわり、服自体がメディアとなって社会課題や製造背景などのストーリーを伝えようとしています。

こちらは本当はであればもうローンチ予定だったんですが、コロナの影響で工場が稼働していなかったりするのでこちらは5月・6月頃スタートできないかと今調整中です。

ーNPOや事業の立ち上げとパワフルに活動されている印象を受けますが、やりたいと思ったことやるにはどうしたらいいと思いますか。

難しく考えすぎないでいいと思います。「何かしないと!何をしよう?」じゃなくて身近に好きな物で何か小さいことから始めてみたらいいと思います。好きの深さは人それぞれだと思いますが、浅い・深い関係なく、やってみることが大事だと思います。何事もやってみないとわからないと思うので。

あとは初めの一歩をどう踏むか、誰と踏むか、を考えるといいのかも。

ーなるほど。最後に西側さんの今後の目標を聞かせてください。

ファッションで社会課題を解決するという所に今後も力を入れていきたいと思います。NPOの活動を通し社会課題としっかり向き合う。そしてファッションビジネスを起点に社会課題を解決する。この2つをうまく両立させて持続性をもたせたいと思っています。世界がもっと優しく、みんなが手と手をとりあえるようになるのが私の目指す世界です。

社会課題って難しいしハードルが高いと思われがちです。実際社会課題の解決は難しいですが、社会課題と向き合うことがクール・かっこいいというのが私や私の事業を通して日本でも浸透できればなと思っています。

<取材:西村創一朗、撮影:、執筆:松本佳恋、デザイン:>