「20代のうちは失敗しよう」第二新卒で転職、海外就職、フリーランス…挑戦した先にあった好転人生

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第45回目のゲストはフリーランスカメラマンでありライターの渡辺健太郎さんです。

未経験のままIT業界へ転職、英語が苦手だけど海外就職、独学で勉強しフリーランスに…と、とてもチャレンジングなキャリアを進まれてきた渡辺さん。現在は、「けんわた」という愛称で、メンズメイクをはじめとしたジェンダーレスな生き方を発信しています。

失敗を重ねながらも、前向きに、そして自分の気持ちに素直に歩んできた渡辺さんのユニークキャリアに迫ります。

夢を諦められずに、挑戦に踏み込んだ新社会人

ー渡辺さん、本日はよろしくお願いします。

よろしくお願いします。普段は取材する側なので、緊張しています(笑)

ーフリーランスとしてお仕事をしているということですが、どのような業務内容ですか?

独立当初はライターがメインだったのですが、昔から趣味だったカメラがいまは仕事の大きな割合を占めています。インタビューと撮影の両方を担当することもあります。

ー現在は、カメラとパソコンでお仕事をしていらっしゃいますが、もともとは全く違う職種だったんですよね?

はい。大学で経営学を学んだ後、地元の愛知県にあるスーパーに就職をしました。正直、就職活動がうまくいかず、第一志望の会社には落ちてしまって…。たまたま面接で話が盛り上がったところが、スーパーだったんです。

早く内定をもらって、残りの大学生活を満喫したい!という気持ちもあって、そこに決めた、という消極的な理由でした。

ーそして、4か月で辞めてしまったんですね。

はい。とにかく激務で、朝の7時から夜の10時まで働き、土日も必ずどちらかは出勤しなくてはいけません。そこにいても自分の将来が見えませんでした。順調にいけば店長としてお店を任されることになっていたのでしょうけれど、店長も楽しそうに見えなくて…。

なにより、就職前の卒業旅行で訪れたバリ島での思い出が、自分にとって印象深く、興味関心ががらりと変ったことが大きかったです。

ーバリ島で、価値観が変わったのですか?

それまで海外渡航経験はほぼなく、東南アジアへは偏見を抱いていました。「不衛生」「治安が悪い」など…。当時付き合っていた彼女に連れられて、渋々行ったのがバリ島だったんです。

彼女は英語が堪能で、コミュニケーションは任せっきりでした。そんななかで、ホテル滞在中にスタッフの方と1対1でコミュニケーションをとる場面があっったんです。苦手ながらも一生懸命会話して、通じ合ったと思ったときの感動が、深くこころに残りました。

それまで、悪いイメージを勝手に持っていたことを反省しました。出会う人がみんな優しく、魅力的に思えました。そこから色んな海外へ行ってみたいという気持ちが大きくなって、調べるうちに夢は「海外就職」まで膨らんでいったんです。

ーすでに就職先が決まっていたとき、新たな夢ができたんですね。

もやもやしながらこのまま働いても…と思って、4か月で退職しました。すぐに海外就職に動き出したかったものの、大したスキルも、立派な英語力もない僕にはハードルが高く…。まずはITスキルを付けようと、IT業界での転職活動を始めました。もともとパソコンに関心を持っていたんですよね。

愛知は地元なので、ここにいては甘えてしまうという気持ちもあって、転職先は東京で探しました。4か月で退職した第二新卒という肩書きを背負っての転職は、なかなかしんどかったですね。

ーどのくらいかけて転職先を見つけたんですか?

結局、約1年もかかってしまいました。未経験でもオッケーというところに惹かれて受けたSESの派遣会社に、無事決まりました。プログラミングは自分には合っていて、環境も、業務内容も不満はありませんでしたね。

ただ、やっぱり海外就職に挑戦したいという気持ちがずっとあって…。
その会社も海外事業部をもっていたものの、運よく配属されたとしても、それまで最低でも5年はかかるだろうと言われていました。

あるとき、知人から海外就職を斡旋してくれる方を紹介してもらったんです。その人のすすめで面接を受けたカンボジアにある企業から内定をもらって…。

失敗は早いうちに積んだほうがいい

ー夢の海外就職への切符を掴んだんですね?

はい。当時、24歳。東京の生活にも慣れて、大好きなディズニーの年間パスポートも買って、仕事にも満足していて…正直、この生活を手放すのか、と思うのは怖くて堪りませんでした。

でも、失敗するなら早い方がいい、という気持ちもあったんです。たくさん悩んで、結果、会社を辞めてカンボジアに行くことにしました。

ーそして、今、日本にいるということは…。

カンボジアの会社は、試用期間が終わる3か月で辞めてしまいました(笑)

ーあれだけ望んでいた海外就職がやっとできたのに、どうしてですか?

現地の日系企業に営業をかけて、カンボジアの人材をマッチングさせるのが仕事だったんです。ただ、早々にリストが尽きてしまって。さらに、現地の方を斡旋するので、当然ながら英語も必要になります。なかなかコミュニケーションがうまくいかず、文化の違いも手伝って、失敗することが多い日々でした。

高いノルマが課されていて、社長が高圧的だったこともストレスになりました。あの頃は、人生で一番と言っていいほど、どん底でしたね。「お前は、カンボジア人より高給取りなくせに、カンボジア人より仕事ができないな」なんて怒鳴られるのは日常茶飯事。

ー職場環境に恵まれなかったんですね…。そんな言葉を浴びていると、自信がなくなってしまいそうです。

3か月経って、続けられずに辞めて、帰国まではカンボジアで無職状態でした。なにもすることがなく、部屋から通りにでると、バイクの上でカンボジア人のおっちゃんが寝ているんですよね。それを見ながら、「僕はいま、この人より稼ぎがないんだなあ」なんて思って。

ちょうど、カンボジア渡航時に連絡先が消えてしまっていたというのもあるんですが、SNSも全部やめて、日本へはひっそりと帰りました。その後、しばらくは家族以外の誰とも連絡はとりませんでした。「海外で働くんだ!」と自分を奮い立たすためにも、周りに宣言していたんです。それで、すぐに帰ることになったのが恥ずかしかったのを覚えています。

フリーランスという存在が身近に

ー鬱々としていたのが想像できます。そこからどうやって回復していったのでしょうか?

1年半しか東京にいれなかったので、また上京して転職活動をしました。そして、フリーランスの友人たちができました。

もともと、カンボジア渡航前に、「ブログで生計を立てている人がいるらしい」ということを知り、なんとなくフリーランスという働き方を意識するようになっていました。

何度も就職で失敗しているので、会社に縛られずに生きる道に強く惹かれたんです。

東京で再び働くようになって、前にブログで見ていた人が友達になったり、フリーランスの友人が増えたりして、いままでは遠い存在だったのが、急に現実味を帯びました。

ー案外、フリーランスって難しいことじゃないのかも、と感じるきっかけになったんですね。

新しい友人たちは僕の過去を知らないので、気楽で、段々と元気になっていきました。

また、友人をまねてブログを書くようになると、いままでの「新卒で入った会社を4か月で辞めた」も「夢だった海外就職に挫折した」も、単なるネガティブな出来事ではなく、誰かの参考になるコンテンツとして昇華できるなと捉え方が変りました。

ーそこから、フリーランスになったのはどういった経緯なんですか?

ブログを書くうちに、知人から、「うちのメディアでライターをやらないか?」と誘っていただけるようになりました。当時は本業としてSESの仕事をしていたので、5時までは会社員、6時から11時までは副業のライターというような生活を送っていました。

ライティングは楽しくて、自分に合っているなと感じられたんです。1か月に30本ほど納品していました。結構、多いですよね。

ー1日に1本くらいのペースですか?副業としてそれをやれる、というのはすごい!

そのうち書いている記事が上位表示されるようになってきて、「これはいける」と思って、他のメディアにも営業をするように。「ライター 募集」で検索をして、興味があるメディアに売り込みをしました。すると、5社くらいと仕事をすることになって。

「このボリュームは、もう副業の範囲ではできないな」と考えて、思い切ってフリーランスになることにしました。

ー個人事業主として独立することは、怖くはありませんでしたか?

うーん…もちろん怖さはありましたが、カンボジアでの経験があまりに辛かったので、あれより酷いことにはならないだろう、という安心感がありました(笑)

早いうちに失敗を経験しておく、というのはやはりいいことなのかもしれません。

また、周りにフリーランスの友人が多かったので、相談もできましたし、イメージがしやすかったのも支えになったなと思います。

外見を変えると、内面に自信をもてるように

ー現在、お仕事も順調で、ご結婚もされて…フリーランスになってから人生が好転していらっしゃいますね。

そうですね。パートナーと出会ったのも、フリーランス仲間との交流の中でした。かなりスピード婚で、付き合ってから2か月後には婚約したんです。

僕はいま、メンズメイクをしていて、ジェンダーレスな生き方について発進をしているのですが、メイクを始めたのはちょうど1年ほど前のことです。結婚式の前撮りのムービーを撮影するとき、パートナーがファンデーションを貸してくれたのがきっかけでした。

ーそこからメイクをするようになったのですか?

はい、それが初めての経験で。めちゃくちゃ衝撃を受けました。もともと自分にコンプレックスを持っていて、ずっと肌で悩んでいたんです。それが、ファンデーションを塗っただけで、見違えて!なんでもっと早く試さなかったんだろう!と強く思いましたね。

それから、顔の色んな部分に気を配るようになって、隠すベースメイクなどはもちろん、綺麗に魅せるために女性と同じようにカラーメイクも取り入れています。

ー男性でも、外見の悩みを持っている方は当然いらっしゃいますよね。

そういう方たちに、メイクの良さを伝えたいなと思っています!僕は、いまは毎日の服を選ぶのと同じ感覚でメイクをしています。

いままでは鏡を見ると、自分の顔の嫌いな部分に視線がいき、どんよりした気分になっていました。それが、いまは鏡を見るのが楽しくてたまらないんです!

内面も変化して、自分に自信を持てるようになりました。筋トレと同じく、美容も、努力すればする分、きちんと自分に返ってきます。

この変化をもっとたくさんの人に味わってほしいですね。今後は、カメラ、ライターに加えて、美容関係のお仕事もしていきたいです。

ー渡辺さんの今後の挑戦が楽しみです。本日はありがとうございました!

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter
撮影:橋本岬
デザイン:矢野拓実(サイト