「王道ではなく最短ルートを」ムスカCEO・流郷綾乃が辿った複合的キャリア

ハエを使ったバイオマステクノロジーで世界を救うべく、熱意をもって事業開発に取り組む株式会社ムスカ(以下、ムスカ)。そこで代表を担うのが、1990年生まれで2児の母、流郷 綾乃(りゅうごう・あやの)さんです。

高校卒業後にアロマセラピストとして仕事を始め、営業職を経て広報の仕事へ。現在はCEOとして会社の顔を務める流郷さんの、キャリア変遷とターニングポイント、そして今後の展望について伺いました。

苦手なことを克服するのではなく、他のやり方で最短ルートを探す」という流郷式の仕事術と、これまでの経験を複合的に繋げていくキャリア形成法は、仕事で上手くいかずに悩んでいるU-29世代にヒントを与えてくれるはずです。

 

アロマセラピストになったキッカケは身近な人の死

ー 大学へ進学する人も多い中、「大学に行かない」という決断をしてアロマセラピストの道を選んだ流郷さん。どんな理由があったんでしょう?

やりたいことが大学にないと思ったからですね。大学に行く目的が「遊ぶために」というようなことを言っている周りの人たちを見て、当時わざわざお金を払ってまで行くところには思えなかったんです。だったらお金も稼げるし、仕事をしよう、と。

高校生の時からタップダンスをやっていて、舞台に出ることもあったので、レッスン費や衣装代等、その目的のために仕事(バイト)をするという考え方だったんです。

ー アロマセラピストという仕事と出会ったきっかけは?

身近な人が亡くなったことがきっかけです。「何か自分にできることはなかったんだろうか?」と悔しくて……気持ちの面で何かできなかったんだろうか、と考えたときに、匂いが気持ちに直結しているということを知りました。そこからアロマを独学で勉強し始めたんです。

ー アロマセラピストという仕事は、業務委託のような雇用形態が多いんですよね?正社員ではない働き方をすることに対して不安はなかったんですか?

そうですね、私も業務委託契約で働いていました。だけど、雇用形態についてはそこまで意識していなかったですね。むしろ、ほとんど知識のない状態で働かせてもらって、勉強もできるしお金ももらえることがラッキーだというマインドでした。

ー アロマセラピストとしては、何年くらい働いていたんですか?

最初のお店を辞めたあともフリーで仕事をしていたので、細く長く続けていたという感じです。21歳と23歳のときに出産して仕事をストップした時期もあるので、何年とはカウントしにくいんですが。案件ベースでゆるく続けていましたね。

 

「営業ができない」と気付いて拓けた広報への道

ー 23歳で二児の母となったとき、営業会社の社員へ転職。「稼ぐぞ!」というモードにギアチェンジしたきっかけは何だったんでしょう?

子供のことが大きかったですね。このままじゃ家計も苦しいなと思っていましたし、働くことは嫌いじゃなかったので「私が稼がないとな」と思って稼ぐ方法を考えたんです。

ー それで就職活動をされたわけですね。

はい。「営業の仕事は頑張ったら頑張った分だけ稼げる」というイメージを持っていたので、とりあえず営業職を探しました。5社ほど受けて、内定をもらえた会社に入社。

そこはOA機器等の販売代理店だったんですが、その会社が介護系のクライアントが多いことを面接中知り、面接でアロマディフューザーの法人営業を提案。すると社長が気に入ってくれて、「新規事業にしよう」ということで、その専任として採用してもらえました。

ー 入社してみて実際どうでした?

そもそも新規事業開発なんてやったことがなかったので、本当に大変でした。何の知識もない状態から必死に勉強し、アロマ機器や香料の選定をしながらメーカーと代理店契約を結んで……と。すごくいい経験になりました。

だけど、周りは営業で数字を上げている中、私は新規事業ということで売上に繋がっていなかったんです。私を雇用していることで会社が負担している費用を考えたら、「なんとか貢献しないと自分の価値はゼロだ」という考えて、すごく焦っていました。

営業職で入社したものの、営業ができないということにも気付いて……

ー 営業ができない、というのは?

電話が苦手でテレアポができなかったんですよ。しかも当時はあまりアロマが普及していなかったので、アロマの話をしてもあまり理解してもらえなくて苦労しました。どうにかしないとと考えているうちに、「新聞に載せたら問い合わせが来るんじゃないか」と考えるように。会社にはまだ広報担当もいなかったので、社長にお願いして広報の講座を受けさせてもらったんです。

その後、講座で繋がった方に紹介してもらって日経新聞に企画を持ち込んだところ、ローカル版に企画を載せてもらえて。新聞を読んだ企業の社長さんやお客さんから連絡がたくさん来たんです。これが大きな転機であり、成功体験になりました。

 

最短ルートを走るためには捨てることも重要

ー 日経新聞で取り上げてもらえたのは、何かポイントがあったんでしょうか?

ひとつはアロマというものが事業として目新しかったからだと思います。だけど、一番の要因は「業界をまとめた」からかなと。アロマだけでなく「香り」に広げて、関連事業をやっている企業を集めて企画を作りました。

ー それは広報の講座で習った手法だったんですか?

それもありますが、特に「広報は売り込みじゃない」という教えを意識していました。だから売り込みじゃない方法を考えていたんです。自分たちを知ってもらうためには、まず周辺のことを伝えよう、と。

ー 苦手意識のあった営業の仕事にコミットするのではなく、「新聞に載ればいいんじゃないか」と発想の転換をされたのがすごいですよね。

窮地に追い込まれていたんだと思います。毎月給料ももらって、講座も受けさせてもらったのに何の役にも立っていないな、と。そう考えたら今辞めるのも何も成果がないままでは大変申し訳ないと思っていました。

結果的に「広報に逃げた」という意識はあります。でも、当時はとにかく最短で結果に結びつく方法を考えていたんです。

ー 苦手を克服するのではなく、努力しないための努力をした、と。

方法ってひとつじゃないですよね。私、タップダンスをやっているときもリズム感がなくて苦労したんですけど、周りの人の動作を見て自分の動くタイミングを判断していて(笑)本当はリズム感を身につける努力をしたほうがいいんですけど、どんなに頑張ってもできなかったので。捨てることも重要かなと思いますね。

ー 王道がダメでも別の道をいけばいい、という発想ができるのが流郷式かもしれないですね。

 

フリーランスに転身して自分の価値を知る

ー そこから流郷さんのキャリアはどう変わっていったんですか?

アロマの事業に後継者ができて一区切りついたタイミングだったので、声を掛けてもらっていたスタートアップ企業に移ることにました。そこではイベント企画などをさせてもらったんですが、会社が東京に移転するタイミングで退職。

転職先を探そうと思っていたとき、2つの会社から声を掛けてもらったんです。だけど、どちらかを選ぶことができなくて……だったらフリーランスとして両方の会社に関わろうと思ったんです。

ー もし声を掛けてくれたのが1社だけだったら、フリーランスにはなってなかったかもしれない?

なっていなかったでしょうね。転職先は、ハローワークで探そうと思っていたくらいなので。設計して築いたキャリアではないんですが、これまでの経験を全て複合的に繋げてきた感じはしていますね。

ー 結果的にフリーランスという働き方を選び、ご自身の中で変化はありましたか?

当時は、声を掛けていただいた2社で給料もリソースも2分割という感じだったので、1社で働くのと大きく変わらなかったんです。でも、「2つの仕事ができるんだ」「自分が持っている情報を与えることが仕事になるんだ」と知れて衝撃を受けました。

ー フリーランスになって、最大何社くらいとお仕事されていたんですか?

15社です。だけど全然手が回らないし、子供といられる時間もなかったので、そこから仕事のやり方を変えました。

これまでは自分で手を動かすプロジェクトばかりだったんですが、その会社自体に広報の部署を作るために「教育をする」というスタイルに変更。そもそも私個人に依存したやり方をは、双方にとってよくないなと思っていたんですよね。

やり方を変えたことで合わなくなった企業とは離れることになりましたし、それでも継続してくれるところだけ契約するようになったので、仕事もやりやすくなりました。

ー 最終的には取引先を絞っていったわけですが、最初はやはり仕事をもらうために営業されていたんでしょうか?

いえ、営業は苦手ので……当時はフリーランスで広報の仕事をしている人がほとんどいなかったのもあって、広報の価値を理解してくれる人からピンポイントで「欲しい」と思ってもらえたんでしょうね。

今までを振り返ってみても、母数の少ないところばかりに身を置いてきたなと思います。戦略的に、というわけではないんですけどね。自分で面白いものを見つけたいのかもしれません。それを広めて「面白いでしょ?」と問いかけ、「YES」の答えを増やしていきたいのかな。

 

広報目線で就いた「暫定CEO」の座と、代表としての想い

ー フリーランス時代に、現在代表を務めているムスカと出会った。なぜ1社にフルコミットしようと思えたんでしょう?

ムスカから、代表にならないかというお話をいただいたんです。その頃、他の企業のプロジェクトも並行していたんですが、ちょうど手離れするタイミングだったのもあって、ムスカにコミットすることにしました。

ー 代表になられたときは「暫定CEO」という役職名でしたよね。どんな経緯があったんですか?

基本的な考え方が、適地適材適所です。現在のムスカにとって何が必要か。それに基づいて、ポジションも役割も変わると思っています。現在は事業を認知してもらうステージだと思っています。

誰にも知ってもらえなかったら、この事業は前に進みませんし、資金調達もしなければならなかった。ある意味究極の広告塔になろうと思いました。ハエの持つネガティブなパワーを再定義するためにも、と。

ー ハエ好きではない人をスポークスパーソンにしたほうがいいんじゃないか、と。

うーん、ハエを好きではないというより、少し身近に感じてもらえることが大事でした。あと、当時経営陣が足りていなかったので、「暫定CEO」とすることで、CxO募集宣言でもありました。肩書きを採用広報に活かそう、ということですね。

2019年4月に経営陣が変わったタイミングで「暫定」ではなくなったんですけど、想い自体は変わっておらず、事業が前に進めば私でなく他の人が代表になったほうがいいだろうとは今でも思っています。

ー では、これからもムスカのCEOを続投されるわけですね。

適地適材適所で、柔軟に判断したいです。この技術を事業化し、バトンを渡せる状態を作るのが私の責任なんです。だけどまだそのフェーズに辿り着いていない。早く次に渡せる環境を作らないとな、と思っています。

ー 10代、20代で様々なキャリアを歩んでこられた流郷さん。30代を目前にして、今後のチャレンジしていきたいことはありますか?

個人的にやりたいことはあまりないんですが、ムスカが自分ごととなっているので、今はとにかく、ムスカの技術を事業にしたいという気持ちが強いですね。そして早くその事業を社会貢献できるレベルに持っていきたいですし、循環型社会を構築したいと考えてます。

私自身、ムスカのCEOになってすごく変わったなと思うのは、特に物事を俯瞰して見るようになったことです。日々足りてないと痛感する部分もたくさんありますが、事業化するために必要な要素、そのための適切な環境は何なのか。ムスカの関わる一人ひとりが最大パフォーマンスをあげられる環境を作ることができたら、加速度的に事業が進められる状態なんです。だから、社内外問わず、いかにいい環境を作れるかというのを常に考えるようになりました。

社会的にもSDGs等の追い風が吹いている状態なので、ムスカの技術を事業にするための土壌を早く作り上げたいと思っています。

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取材:西村創一朗
写真、デザイン:矢野拓実
文:ユキガオ