クリエイティブの総合商社を目指す『monopo』CEO・佐々木芳幸の今を作った人生のターニングポイント

東京発のグローバルクリエーティブエージェンシー・monopo。国内外の様々なブランドにサービスを展開し、ロンドンにも子会社「monopo London.Ltd」を設立するなど、世界中の優秀なクリエイターが集うコミュニティ作りを続けています。

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そんなmonopoのCEO・佐々木芳幸(ささき・よしゆき)さんは、かつて大学生兼プロベーシストとして活躍されていたという異色のキャリアの持ち主です。

プロミュージシャンから起業へ至るまでにどんなターニングポイントがあったのか、またどんなことで悩み苦しんできたのか。monopoの未来や今後の展望と合わせて、佐々木さんご自身のキャリアのきっかけについて伺いました。

 

クリエイティブな個性をひきだし、世界規模で混ぜ合わせるのがmonopoの役割

ー monopoという会社について紹介してもらっていいでしょうか。

monopoは、ClaraとSumieの記事にもあったように、”COLLECTIVE CREATIVITY” をビジョンに、誰しもがもつ個性やクリエイティビティの価値を世界規模で多用的に混ぜ合わせ、社会との接点をつくり、個の可能性を爆発させるコミュニティを目指しています。

ビジネス的にかっこつけて言い換えると、「クリエイティブの総合商社」。世界中の隠れた才能を見つけ出し、あらゆるプロジェクトでコラボレーションを生み、経済価値や本人の活動の幅を最大化させ、社会を前進させる場所だと考えています。言語と文化の壁を超えたコラボレーションこそが、もっともクリエイティビティが最大化されるということを信じて活動しています。

オフィスで毎月行っている、国内外のクリエーターが集うイベント「monopo night」は53回目を迎え、延べ3,000人くらい集客しているんです。monopoのPRイベントでもなく、みんなふわっとした目的で集まってくれてるんですけど、そこでmonopo関係なしにプロジェクトが生まれていたりして、コラボレーションが増えていくのは素直にうれしいです。

そして求人媒体使わずに、今では自社サイトに国内外から毎月150人以上の応募がきています。またビジネスサイドでも、世界でビジネスを展開したい様々なブランドからの相談がきているんです。業種もファッションやビューティー、ホテルや旅行、車、エネルギーやテクノロジー産業など多種多様です。11ヶ国のバックグラウンドをもつ個性あふれるメンバーが、東京/ロンドンの2拠点で世界中の企業にサービスを提供しています。

日本発で、これだけダイバースな窓口を持ちながら、ローカル・インターナショナル両面において対応できるクリエイティブ企業は他にはなかなかないのでは、とたまに自慢したくなるのですが、まだまだ始まったばかりだと自分に言いきかせて、日々もがいている最中です。

ー やはり案件の8〜9割がインバウンド系なんですか?

いえ、まだ売り上げでいうと3分の1から4分の1程度ですね。ただ、2年前は0件だったので、インバウンドの比率はすごく伸びています。2020年には全体の半分くらいになると思いますよ。

 

monopo代表・佐々木芳幸の今を作った3つのターニングポイント

ー ここからは佐々木さんご自身のお話を伺いたいと思います。これまでの人生の中で、三つターニングポイント絞るとしたら何がありますか?

一つは、プロベーシストになるために早稲田大学を受験したことですね。バックバンドやスタジオで演奏するようなスタジオミュージシャンになりたかったんですよ。そのためにはどうしたらいいのか調べたところ、早稲田大学の音楽サークル「THE NALEIO(ザ・ナレオ)」からミュージシャンが多く輩出されていることを知って。

「これは音大に行くよりもプロミュージシャンとして食べていける確率が高いな」と考えたんです。monopoの母体もこのサークル出身者が5人ほどいるので、早稲田で「THE NALEIO」に入ったことは、今の自分の一番の着火点だと思います。

ー そもそもプロミュージシャンになろうと思ったのはいつ頃から?

高校のときですね。2年生の頃、「俺はロックミュージシャンになる」と周囲に言っていました。でもやり方わからなくて。アーティストって、プランを立ててなれるようなものじゃない気がしていました。プランをたてて音楽で生計をたてる確率をあげるためには、自分がアーティストになるよりもアーティストをサポートするスタジオミュージシャンになったほうが良いのではと考えていました。

一方で、当時は文化祭のステージではプロデュースサイドにまわり、ゲストミュージシャンを呼んだり予算配分を考えたりしていたんですね。もともと誘われない恐怖を打ち消すために、自分から遊びを作って誘うような子供だったのもあって、もしかしたらプロデュースや裏方のほうが合ってるのかもしれないな、そっちの方が潰しがききそうだな、と子供ながらに思っていた気がします。

ー なるほど。では、二つ目ののターニングポイントは?

大学でサークルに入った後、サークル外での営業をしはじめ、プロベーシストの端くれとしてある程度稼げるようになっていたんですけど、それを辞めたことが二つ目のターニングポイントですね。

ー なぜ辞めることにしたんですか?

ある程度音楽で稼げるようになった頃、ふと気付いたんです。「俺って大して才能なくないか?」って。冷静に考えたら、僕は営業を頑張って仕事をとっていただけで、僕より技術の高い人や天才って周りにたくさんいるなと気付いたんです。そういう人たちが仕事をとれずに、プロを諦めて就職するのを見ているとすごく悔しかった。

また、僕が持っていた仕事をそういう人たちに紹介して演奏を見ていたら、「プロデュースしてやったぞ」と、悪い気がしなくて。自分が演奏していなくても「俺が作った音楽だ」って思えるなって気付いたんです。

その頃、進路についていろいろ悩んでいて、プロデュース側に進んだ方がいいかなとも薄々考えていたんですよね。音楽の世界には、表現側とビジネス側のミドルマーケットが絶対あるなと思って。だから、エイベックスのようなエンタメ企業に就職してビジネスを学んで社長を目指すか独立するという経路と、一旦プロミュージシャンは卒業して他のビジネスを学びながら起業してみるという経路とで迷っていました。今思うと浅はかですが(笑)

そこで「まずは営業を勉強しよう」と思ってリクルートにインターンに行ってみたら、それなりに成果が出たんですよ。「営業ができること」と、「ミュージシャンたちをプロデュースすること」の二つに、自分は喜びを感じることが分かってきた。

その後、一年間に200〜300人くらいの社長と名刺交換やアポイントを通して、直接お会いしていく状況を作っていきました。何もわからない学生なりに、ビジネスを学ぶといったら社長に会いにいくことが大事だと思ったからです。何もわからない小僧でしたが、意外にもいろいろな方々に可愛がっていただき、自信を獲得していったのが大学2〜3年生の頃でした。

ー 当時は会社員として上り詰めるルートと、起業していくというルートがあった中で、こっちだなとなったのはいつ頃からですか?就活もしていたんでしょうか?

就活はしていました。そのとき決めていたのは、「いずれ起業家になる」という軸。自分で起業をするか、就職後に起業をするか、社内起業をするかの、三つ選択肢がありました。

そこで当時、若い子会社社長を多く輩出しているネットベンチャーにインターンに行くことにしたんですが、初日から違和感を感じてしまったんです。子会社社長の話を聞いていても、マインドが自分の考える起業家像とは違うなと思うことが多くて。「これは違うな」と感じました。

ー 会社がどうこう、というよりサラリーマン自体が目指していた方向と違うと感じたわけですね。

そうですね。あと、キーパーソンが二人いて。一人は、安田周さんというポスティング会社の社長さん。元ベーシストという境遇が似ていて、毎週のように飲みに連れて行ってもらったんですけど、「佐々木くんは会社に入っても、すぐ辞めるだろうし合わないから起業しなさい。発注してあげるから」と言って、本当に最初のクライアントになってくれたんです。今でも定期的に飲みに連れて行ってくださる大好きな先輩です。

もう一人はヤフーのCOO・小澤隆生さん。学生のときに出会って、喋ってみるとレベルが違いすぎた。「こんなすごい人がいるのか」と驚きました。お忙しかったはずですが、当時偶然に小澤さんが作ったバンドのベーシストとして入れてもらえ、奇跡的に毎週のように会えていたんです。ビジネスのアドバイスをいただきながら、何もわからない学生が起業を志す大きなキッカケになりました。今でも困った時はアドバイスをいただく貴重な先輩です。

この二人がいたから、起業しようと思ったんですよ。この二人にメンタリングしてもらいながら一生懸命やれば、なんとかなるだろうな、と。

ー 時間を投資してもらえるというのは、本当にプライスレスですよね。

あともうひとつ、僕の1個上の先輩でプロベーシストだった岡田との出会いが大きかったです。最終的にはmonopoの共同創業者になったわけですが。入学した頃、「どうしたらプロになれますか?」と声をかけたら「営業すればいいんじゃないか」と言われて。いろんなミュージシャンとセッションできる場にも連れて行ってくれた。僕にミュージシャンになるきっかけをくれたのが彼でした。

だけど就職のタイミングで岡田は「プロになるのを辞める」と言い出した。それがとてもショックだったんですが、彼はネット業界へ進みECショップを作ったんですね。それがめちゃくちゃ売れていたので、「僕にもその仕組みを売らせてくれ」といって再会して作ったのがmonopoの原形なんですよ。

ー では、職業ミュージシャンを辞めて道を模索しmonopoを創業したのが、二つ目のターニングポイントですね。三つ目は何だったんでしょう?

英会話教室に通い始めたことかな。起業当初から付き合って支えてもらっていた彼女に突然振られたという出来事があって(笑)それがあまりにもショックだったので、彼女が僕に言っていた不満を全部乗り越えてやろうと思ったんですよ。英語もそのうちのひとつでした。

またその頃、「monopoはいずれ世界へ出ていくんだ」ということを、なんの根拠もなくメンバーに言ってました。でも英語は喋れない、と。それはさすがに英語に挑戦したほうがいいだろ、と思い英会話教室に通い始めたんです。

ちょうど会社のサイトのリニューアルを決めていたので、それなら英会話教室の先生と一緒に英語版サイトを作ろう、とも考えていました。そこで出会ったのが、poweredby.tokyoの発起人のチェイスです。

ー 英会話教室がきっかけで知り合ったんですね。

そうなんですよ。チェイスと仲良くなって彼の友人やコミュニティが集まる東京のいろいろな場所に連れ出してもらったんです。そこには様々な国籍の、素晴らしいはフォトグラファーやクリエイターがたくさんがいました。「クリエイティブ業界って狭いな」と思っていたんだけど、世界に目を向けたらこんなにも広いのか、と感じたんですね。

でもそのクリエイターたちは日本にいても仕事のチャンスがなかった。当時、日本の広告代理店やクライアントと彼らにつながりは少なく、仕事が生まれる機会が少なかったのです。僕は、その窓口としてmonopoがイニシアチブを取ろうと考えました。

チェイスが日本でやりたいと思っていたことと僕が考えていたことも合致していたので、「プロジェクトとして、世界のクリエイターで東京を紹介できる場所を作り、彼らをコミュニティ化していけば、新しいグローバルクリエイティブコミュニティができるかも」と直感。そこで生まれたのが、東京の知られざるカルチャーをグローバル発信する「poweredby.tokyo」というプロジェクトです。今のmonopoのビジョンやコミュニティ、ビジネスをドライブさせた大きなきっかけですね。

ー 英会話教室に通い始めて、喋れるようになるまでの期間ってどれくらいだったんですか?

数ヶ月じゃないですかね。そもそも高校まで行っていれば、みんな喋れるんですよ。あとは間違っていても会話に入っていくこと。だから、喋らないといけない環境に身を置けばいい。レベルは関係ありません。僕の文法や発音は正直今でもぐちゃぐちゃです(笑)でも実際に様々な国籍の人とコミュニケーションがとれるし、仕事ができています。

あとは、自分の伝えたいことがないと、伝え方を知っていても言語は生きない。
「How to speakよりWhat to sayだ」ってずっと言ってるんですけど、言いたいことがある人の話は、どれだけ言語が拙くても面白いんですよね。

継続すること、英語が必要な環境に身を置くことと、そしてお互いに話すトピックが面白いと思える状況を作り出すことが英語を習得するポイントかなと思います。

ー もしチェイスと出会ってなかったらpoweredby.tokyoは生まれていなかったし、グローバルエイジェンシーとしてのmonopoはなかった。そもそも英会話教室に行かなかったらチェイスと出会っていなかったわけだし……と全てが繋がって今に至るんですね。

 

「強烈なWhyがない」5年続いた自分自身との葛藤

ー 起業してから今に至るまでの、一番しんどかったエピソードを教えてください。

自分の中での葛藤が一番辛かったですね。会社をやることやビジネスをやることが目的化してしまっていて、事業自体に目的がなかったというか。気付いたらメンバーが10人になって会社っぽくなった状況に対して、「僕のビジョンって何だったっけ?」と思うようになったんです。

ー 強烈なWhyがなかった。

そうそう。こんなことやってていいんだっけ、とずっと考えていて。自分が「才能のある表現者と、世の中の接点を増やしたい」と強く言語化できるまでが辛かったですね。2011年の創業から2016年くらいまでずっとです。あとは、将来の不安もありました。この事業でこの先もやっていけるんだろうか、満たされることはあるけど本当にこれでいいんだろうか、と。

だけどあるとき友達と話していて、「Yoshiはコミュニティとか人があつまるブランドが作りたいんじゃない?」って言われたんですよ。「Yoshiのやってきたひととひとを繋がっていくこととか、誰かをプロデュースしたいという想いって、日本から世界規模でやったらすごいことになるかもしれないぞ」と。それで「なるほど、こういうことかもな」と腑に落ちた瞬間があったんです。

「誰しもがもっている個性をひきだし、多様的に混ぜ合わせていく。世界規模で」という発想のもと、「COLLECTIVE CREATIVITY」というビジョンを手に入れました。

そこからずっとコミュニティについて考えて試していったら、「才能や表現者たちを繋ぎ、輝いている瞬間を生み出すことが、僕は幸せなんだ」と気付けたんです。気付いたというか 再認識したのかもしれません。まさに音楽におけるベーシストの役割です。ベーシストは目立ちません。だけど、リズムとコードとメロディを繋ぎ、それぞれの個性を輝かせるブリッジのような役割ですから。

会社を経営していれば、人の悩みだったりお金の悩みだったり、辛いことの連続ですがそれでも人生をかけるほどの価値をビジョンに感じています。経営者として自信が持てるようになったのは、ビジョンができてそれがワークするようになってからですね。今は、”COLLECTIVE CREATIVITY” を合言葉にコミュニティが自発的に活性化していることが、本当に幸せです。

ー 生きてる実感を味わっていること、すごく伝わってきます。

 

少数精鋭で数億売りあげる会社や事業を、世界中にどんどん作るコミュニティファームへ

ー 今後、東京オリンピックや大阪万博などで東京あるいは日本が世界に出ていく、もしくは世界の人々が日本にやってくる機会があると思うんですけど、その中でmonopoはどういう会社になっていきたいですか?

最初に話した通り、「クリエイティブの総合商社」ですね。ものがあふれて、で効率化された先に人間に残るものは、表現とアイデアじゃないですか。どんどん世の中が効率化していく中で、そういったものに価値がつく揺り戻しがあると思っています。でも世界は未だに分断されていて、ローカルで埋もれているアイデアや才能が、もっとグローバルで活用されていいと思っています。

ー 今どんどん、世界各国が閉鎖的になってきていますよね。

国単位でグローバルは語れないと思っています。グローバルな状態は、ニューヨークやロサンゼルス、パリ、ロンドンなど、ローカルにある。もっと言うと、都市自体も分断されているけど、そこにあるひとつのBarの中のコミュニティに多様的な世界が存在している。誰もが色んなカルチャー・言語の中でダイバーシティを持って交流ができる場所、というのがグローバルだと思うんですよ。その状況があるのはローカルしかない。「Local is global」です。

ローカルにグローバルなコミュニティを作れるかどうかが重要だと思ってます。分断のないコミュニティが色んなところに広がっていくようにしたいと、今は考えています。

そうなったときにクリエイター同士が繋がり、会社という小さなローカルコミュニティを作っていくことはひとつの武器になると思っています。

ー 今後の目標などはありますか?

まずは東京本社以外に、数年で少数精鋭で数億を売りあげる会社を世界の各都市に作っていきたいと思っています。会社という箱だけを用意しておいて、メンバーが自国に帰ったりどこか別の国で働きたくなったりしたら、その箱を使えるようにしたいんです。去年ロンドン子会社を設立しましたが、順調に成長していて、最近では東京本社からロンドンで働いてみたいという人もちらほら生まれてきました。

クリエイティブをやりたい人にとって、権力に縛られない小さくて自由な環境ってすごく大事なので。かといって1人で活動するのは世界が狭くなりがち。コミュニティファームのような形で小さくて多様なビジネス環境を増やし、世界規模で個性を生かせるコミュニティになりたいです。

僕が誰かと出会わなければmonopoがなかったように、才能あるクリエイターに対して、人生に新しく強い目的を生み出すキッカケに、monopoもなれればいいな、と。「monopoを通さなかったら社長になっていません」といった人や、世界で挑戦するクリエーターが10年20年後に何人も生まれることを、毎晩ベッドの上で想像しながら夜も寝られません。

ー 素敵ですね。今回は、佐々木さんの人生における3つのターニングポイントと、起業後に大変だったこと、そしてmonopoの今後についてお話を聞くことができました。ありがとうございました!

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ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。

(取材:西村創一朗、写真:渡辺健太郎、文:ユキガオ、デザイン:矢野拓実)