「どうなりたいか」を突き詰めた笹本康貴が目指すのは、華僑のようなコミュニティづくり

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第25回目のゲストは、マーケティングのフリーランスとして活動されている笹本 康貴(ささもと・こうき)さんです。

大学生のときのカナダ留学をきっかけに「もっと自分のやりたいことをやろう」と考えるようになり、やがて会社員となったのちにフリーランスという働き方を選択した笹本さん。大切にしているのは、「何をするか」より「どうなりたいか」だと言います。

現在はフリーランスで年収3,000万円を稼ぐという目標に向かって邁進し、将来的には「華僑のようなコミュニティを作りたい」と語る笹本さんの、これまでの人生における様々な選択について伺いました。

視野が広がるきっかけとなった留学とインターン

― 笹本さんの学生時代のお話から伺ってもいいでしょうか。

高校まではあまり勉強が好きではなくて、大学もその付属高校に通っていたから進学したという感じでした。でも、大学2年のときにカナダのトロントに4ヶ月間留学したことが、大きな転機になったんです。そこでいろんな方との出会いがあって、すごく視野が広がりました。もっと自由に大学生活送っていいんだな、もっと自分のやりたいことをやっていいんだなと気付かせてもらったんです。

― 留学のきっかけと、留学先にトロントを選んだ理由は何だったんでしょう?

母親が住宅のコンシェルジュをやっている影響で、日本のサービス、いわゆる「おもてなし」に興味があり、ホテルマンになりたいと思っていたんですよ。海外で通用する人材になるには英語は必須だと思い、留学は高校生の頃から考えていました。

カナダのトロントを選んだのは、先輩から「学校が大変だ」と聞いていたから。お金をかけて留学に行くのだから、厳しい環境に身をおいたほうが勉強するかなと思って決めました。

― あえて厳しい環境を選び、自分を追い込んだわけですね。留学から帰国した後は何をされたんですか?

帰国後は一年間休学をして、その間に今後何をしようか考えようと思っていました。結局休学直前まで何をやるか決まらなかったんですが、ご縁がありまして株式会社ビズリーチ(以下、ビズリーチ)の方からLinkedInのアカウント経由でメッセージをもらい、インターンをさせていただくことになったんです。

はじめは「週2〜3日アルバイトをしてみないか」と言われたんですが、休学することを決めていたので「週5日やります」と大見得を切ったのが、また転機となります。そこから13ヶ月間、大学4年の4月まで週5でお世話になりました。

― ビズリーチではどんな仕事をされていたんですか?そこで得られた学びなどもあれば教えてください。

カスタマーサポートの部署の立ち上げや、マーケティングの部署で広告運用などを担当させてもらいました。毎日刺激的で、本当に優秀な方が多かったです。楽しんでハードワークしている社員の方々を見て、がむしゃらに仕事をするということを教えていただいたのが大きな学びです。

― 新卒でビズリーチに入ることは選択肢になかったんでしょうか?

ありませんでした。当時のビズリーチは新卒を積極的に採用しているタイミングで、一度に100人ほど採用していました。その中で自分が価値を発揮できるか考えたとき、もう少し採用人数が少ない企業で、自分自身のバリューを発揮したいなと考えたんです。

― では、復学後に就活をされたんですね。

はい、ウォンテッドリー株式会社でインターンをしながら、同時に就職活動を行なっていました。就活は株式会社フリークアウト・ホールディングスと株式会社マイクロアド(以下、マイクロアド)2社のみに絞っていて、最終的にはマイクロアドに新卒で入社したんです。

― 就活を2社に絞った理由は?

当時、仕事を通じて人を幸せにしたいという気持ちがあったんです。それは日本のおもてなしやサービスを通じて実現できると思っていて、ビズリーチなどでインターンをさせていただいていました。ただ、マッチングサービスという性質上、中々サービスを提供する側と受ける側が100%幸せになる状態は難しいということに気付いたんです。

そして「人の一瞬を幸せにしたい」という風にビジョンを変えました。良いきっかけを与えれば、人って自走していくんじゃないかなと思ったんですよね。それができるのはデジタル広告だなと思い、その分野でこれからの時代を切り開いていきそうな2社に絞りました。

― ターゲットをデジタル広告に置くなど、仮説を立てて人生の選択ができれば良いキャリア選択ができると思うのですが、その力はどうやって身についたんですか?

失敗したくない欲が高いからだと思います。とりあえず走って行き着いたところで楽しみたいというタイプと、目標を決めてその目標に辿り着きたいというタイプがあるとしたら、僕は後者で。目指したものを手に入れたほうがハッピーだと感じるので、そういう思考で物事をみていたんだと思いますね。

 

「何をするか」より「どうなりたいか」が大切だと気付いた会社員時代

― 新卒で入ったマイクロアドでは、新規事業部に配属されたんだとか。

新規事業部の中で、ブランドコミュニケーション事業部というのがあって、お客様が大手企業中心のために、新卒を取らない部署だったんです。だけど断られると燃えるタイプだったので、必死にプレゼンして入れないか頼み込んで見ました。そしたら「内定者バイトとして半月がむしゃらに働いたらその部署に入れる」と言われ、なんとかその部署で初めての新卒入社にこぎつけました。

― 希望する部署に配属を勝ち取ったものの、配属されてからの半年間は正直役立たずだったと。それはどうやって乗り越えていったんですか?

そこでは電話でアポイントが取れて初めて仕事がある所で、入社後半年間はアポが取れず苦労しました。アポが取れないと仕事にならないので、とにかくテレアポのスキルを極めるしかないなと思い、テレアポが上手い上司にコツを教えてもらったんです。そしたら、アポ取得率が4割くらいに上がって。普通は取得率1%程度なので、かなりスキルがついたと思います。

― アポが取れるようになり、その後はどう変わっていったんですか?

入社2年目のときに会社の組織変更があり、自分が担当する業界もより厳しい業界に変わったんです。それでもどうにかアポを獲得していましたが、これから先、自分のキャリアを磨くためにどうしたら良いのかなとモヤモヤしはじめていました。

それがちょうど25歳の時で、30歳までの残りの5年間どうしようかなと。理想の人物像を考え出した結果、30歳である程度稼いでいる人になりたいなと思ったんです。

― 稼ぐというのが一つのマイルストーンだったんですね。

今の時代色んな事ができるので、いろんな選択肢があるとは思うのですが、好きなことをやっていても貧しかったら意味がないなと思っていて。なので1,000万円くらい稼げるような男でありたいと思っていました。

そこでまずは自社に新卒で入った30歳くらいの先輩がどれくらい稼いでいるのか知りたくて、飲みに誘ってリサーチすることに。そこで、30歳で年収1,000万円を超えている人がいないということがわかったんです。だったらここは自分がいるフィールドじゃないなと。方向チェンジしないといけないと思い、社外に目を向けて、色んな方々に会うようになりました。

その中で自分は「何をするか」より「どうなりたいか」に重きを置いたほうがワクワクするなと気付いたんです。なので、30歳で1,000万円稼ぐようになるために、会社で働きつつ将来に向けて準備を始めました。

― そこで複業を始められたんですね。

はい。だけど将来の準備を進めていくうちに、複業の比重が大きくなっていき、仕事へのモチベーションが下がってしまったんですよね。何か変えないといけないなと思い、役員に「営業からアナリストに職種転換したい」と打診したところ、認められず。「だったら辞めます」と言って、一週間で辞めることになりました。

 

フリーランスに転身したことで年収3倍へ

― フリーランスになろうと決めて会社を辞めたわけでなく、結果的にそうなってしまった、と。

次の会社も決まっていない状態だったので、急にニートになった感じですね。結局フリーランスになったんですが、最初からフリーランスを目指していたわけではありませんでした。だから、辞めて一週間くらいは昼過ぎまで寝ているという生活で。このままじゃ家賃が払えないことに気付き、転職活動を始めることにしたんです。

― すぐフリーランスになったのではなく、転職活動もされたんですね。

そうなんです。これからは動画の時代だなと思い、動画やライブ配信関係の企業を10社ほどピックアップして転職活動をし、数社から内定をもらいました。提示された給与も、前職に比べれば上がるのでいいなと思ったんですが、時間的な拘束が激しく、ハードワークしてもらいたいということだったので無理だな、と。

「30歳では時間的な自由も欲しいな」というのがあったんですよね。金銭的な自由も欲しいけど、時間的な自由も欲しい。そう思ったときに、両方取るのに会社員では厳しいと気付いたんです。そこでフリーランスという働き方が明確になって、内定をもらったところは全て辞退しました。

― なるほど。フリーランスになろうと決めてからはどのように行動されたんでしょう?

周りに起業家や事業やられている方が多かったので、その方々に相談したんです。その中で「将来的にはビジネスオーナーになりたい」と思うようになりました。会社を作ったり社長になったりするよりは、時間的自由や金銭的自由を生み出したくて。そのためにはお金貯める必要があったので、自分の強みであるマーケティングでフリーランスになろうと決めました。

― 仕事はどのように取っていったんですか?

片っ端から繋がりを頼って「フリーランスになりましたが仕事がないです。仕事をください」とお願いして回りました。色々とご紹介いただいた中で着地したのが、今の株式会社NTTドコモの仕事です。今はそこで週5日働いている他、ライティングの仕事や広告運用のコンサルをしています。

― 週5日働くというのは、あまり時間的な自由がないように思えますが。

お世話になっている方から「成果を出すためには一回沈む時があって、急に上がるタイミングがあるんだよ」と教わったんです。であれば、30歳までは浮上するためにしゃがむ期間だなと。もっと時間的な負荷も金銭的な負荷も自分にかけようと、自己投資をして負荷をかけているところです。

― 自己投資は具体的にどんなことをされているんですか?

人に会うためにお金をどんどん使っています。お金も限られていますが、交際費が7〜8割を占めるくらいに投資をしていて。今まで人に助けてもらう人生だったので、将来自分が人を助ける側にいくための勉強だと思っています。

― フリーランスになって1年弱、30歳まではあと3年という中で、目標としていた年収1,000万円への進捗度はどうですか?

フリーランスになって年収が3倍になり、30歳で1,000万円というのは達成できました。今は目標を上方修正して、30歳で年収3,000万円稼ぎたいと思っています。そこへの道は見えているので、後はやるだけですね。

 

いつかは華僑のようなコミュニティを作りたい

― 今後は具体的にどんなことをやっていこうとお考えですか?

将来、華僑のようなコミュニティ作りたいと思っています。どこの国に行ってもチャイナタウンがあって、そこにいる中国人は儲かっていないけど、お互い支え合っているから生きていけている、というコミュニティで。それはすごく本質的だなと思うんです。

僕自身、知り合いにお金を使いたいというのがずっと昔からあって。例えば知り合いがお店をオープンしたら、今まではフランチャイズに行っていた所を、その人のお店に行ってお金を使うような。それは華僑に近いんじゃないかなと思うんです。そのために、リアルな店舗を構える小売業に参入しようと準備をしています。

今まではデジタル領域でやっていましたが、リアルなコミュニティやつながりを大事にしながら小売を作れば、目標の年収3,000万円はいくと考えています。

― たしかに年商で考えれば3,000万円は難しくないかもしれませんが、年収ベースではハードルが高いような……

ハードルは高いんですが、成果を出すことがこれからの時代すごく大事ですし、人としてのあり方を考えたときに「稼ぐ」ということは大事だと思うんです。今まではお金はあまりいらないなと考えるタイプでしたが、将来的に結婚や子供を考えたら、お金はかかるよなと。だからまず稼ぐモデルとなれればいいなと思って、30歳で年収3,000万円を目標にしています。

― 小売業へのチャレンジはいつごろされる予定ですか?

今27歳なので、29歳までには店舗を構えてビジネスオーナーとしてステップを踏まないと目標に間に合わないと思っていて。なので、あと1〜2年くらいは仕込み期間として考えています。ただ小売で何を売るかは、あえて決めていません。世の中の流れが早すぎて予測が難しいので。

何を売るかより「笹本がお店やるなら行く」と言ってもらえる関係性をまず作ろうと思っています。それは将来的な華僑に繋がるんですが、まず自分自身のつながりやファンを増やして、タピオカをやろうがパンケーキをやろうがとりあえず来てもらう、という状態を設計をしている感じです。

― 最後にU-29世代に向けて、伝えたいメッセージがあれば教えてください。

今の時代、選択肢が無限にあって何でもできます。時代としてもありがたいなと思う一方、何をやるかより「どうなりたいか、どうありたいか」というような、自分の長いキャリアや人生を考えた上で、色んな選択をしてほしいなと思います。自分なりに考えて進むことはすごく楽しいんですが、それが目標につながっているかどうかをきちんと見極めながら選択した方が良いかなと思っています。

また、周りの大人のアドバイスに素直に耳を傾けることも大事ですね。僕は師と出会うために、いいなと思った人が「いいな」と思う人を紹介してもらうようにしています。いい人の周りにはいい人がいるというか、連鎖が生まれている気がするので。この人自分に合うなと思ったら、その人に「いい人いませんか」と聞いて回るのもいい方法だと思います。

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取材:西村創一朗
写真:橋本岬
文:品田知美
編集:ユキガオ
デザイン:矢野拓実