「HRで目の前の人からハッピーに」—元パイロットが人事のスペシャリストに転身した秘話。

 

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第5回目のゲストは、非連続的なキャリアの末にパイロットから鞄製造会社の人事へと転身してこられた西島悠蔵さんです。

簡単にそのキャリアを振り返ると、新卒でANAにパイロットとして入社後、転職先のリクルートキャリアではキャリアアドバイザーと中途採用を担当。今では従業員規模100名程度にまで成長したベルフェイスがまだ10名弱だった頃には人事組織の立ち上げを牽引。そして現在は、創業50年を超える老舗・土屋鞄製造所で人事部人材開発課・課長。

今回はそんな独自のキャリアを歩んできた西島さんに、それぞれの転機における判断軸や決断の裏側を伺いました。

 

就職氷河期に7社8職種内定の内心。

-新卒の当時は今とは全く違う、「ANAでパイロット」というキャリアを選択されたと思うんですけど、学生時代はどんなことしてたんですか。

学生時代は何もやってなかったんです。本当に授業とか全然行ってなくて。朝~夕方まで麻雀を打って、学校行かずにそのまま部活(バスケ)に行って帰る、みたいな生活をずっとやってて・・・本当に底辺みたいな生活をしてましたよ(笑)。学生らしいといえば、学生らしい生活を送っていたのかな。

ただ、このままダラダラ過ごしていくのはやばいなと思ったので、一応アルバイトはちゃんとやってました。一番最初のバイト先はスターバックス、その後は朝日放送。それからCOACHで販売員をやっていました。大学3年生の時、販売員としてかなりの販売実績を残せたこととかは就活中の売りになりましたね。

自分で言うのも恥ずかしいけど、就活は超無双でした(笑)。当時は大手の7社8職種から内定を頂いて。

 

-就活は無双モード、と言っても当時就職氷河期でしたよね?

 

そうですね。当時はちょうどリーマンショックが起きて、急に内定を取り消された先輩の姿や採用活動縮小しますと宣言する企業が増えていたので、内心「やばいな」と不安を抱えながら就活を始めたのを覚えてます。

ただ、就活の話すると超ダサいやつになるんですが、僕はシンプルに大手に行きたかったんですよ。

というのも、僕、高校は進学校だったんですけど大学受験をしていなくて、受験せずに特待に近いような形で大学に入学してます。その当時、高校は周りが国公立ばかり目指しているところで、私立大学に行きますって言ったら周りから「お前妥協じゃね」みたいなことをすごい言われて。だから、なんか変な学歴コンプレックスみたいなのがあったんです。

そこで、就活は分かりやすい成功をおさめたいと思って、まずは就職人気ランキング100位までを調べてました(笑)。その後、最初リクナビを見てエントリーできそうなところを探し、片っ端から77社へエントリーシートを書いて、毎日4−5社面接受けて・・・というような就活をしてました。面接や試験では、テクニックを駆使しながら「いかにして就活というゲームを攻略するか」と考えてましたね。

今、自分が人事をしていてそんな学生が来たら絶対採りたくない(笑)。今はより就活が情報戦になっているし、企業に合わせて自分を偽っていると自分自身がわからなくなるので、同じやり方はあまりおすすめはしません。

 

-就活というゲームでは無双状態だったわけですけど、内定は何社くらいもらったんですか?

大手生命保険、大手銀行、全日空のパイロットと総合職など、7社8職種の内定を頂きました。4月17日、パイロットの内定が出たところで全日空のパイロット職として入社を決意し、就活を終えました。

 

自分を押し殺し続けられるか…。パイロットから人材キャリアへ

-ファーストキャリアとして、なんでパイロット、ANAを選んだんですか?

まず、母親がもともと全日空で客室乗務員をしていて、「全日空に戻りたいな」という話を聞いていたんです。親世代の人が働きたい環境って素敵だなと思っていたのと、一部恩返しみたいなところもありましたね。でも、これはあくまで1割。外向けの綺麗な、素敵な理由 。 

残り9割は分かりやすく、お金もらえるし、女性が多いからモテるだろうし、タクシーの送り迎えもつくし、完璧やんみたいな。ステータス的に完璧だからそっち行こう、って選びましたね。極めてわかりやすい、大学生らしい意思決定の仕方でしょ。

 

-順調な就職活動を経て、ベストと言われる選択ができて、2010年にANAに就職するわけですけど、実際入社してみてどうでした?

正直、内定者研修の時に違和感を感じ、辞めようと思いました(笑)。

実際に入ってみると、みんな会社が好きで、飛行機が好きで、小さい頃からの憧れを抱えて入る人たちが多かった。それが、幅広く就活して、ステータス重視で入社を決めた僕にとっては、ちょっと熱狂的すぎたというか。すごい温度差を感じたんです。はじめはすごくきつくて、「僕にとっては一生やる仕事ではないな」と思っていたのはすごく覚えてますね。

 

-けれど、すぐには辞めなかったんですよね?

パイロットとして入ったからにはちゃんと真っ当にやらないととは思っていたから、訓練2年を含めて結局4年弱はいたかな。

入社時から感じていた違和感は、どこかでずっとあって…航空法や会社の規定を守るからこそ空の安全は守られるのですが、どうしても自分の中でそれが面白くないと思ってしまっていた。

結局、入社してから、それからも違和感が消えることはなかった。「このままずっと自分を押し殺しながら続けるのか、自分らしく辞めるのかどっちかかな」と真剣に考えるようになり、退職へ。

 

-そして、転職活動をスタート。

はい。転職先として考えていたのは人材系。全日空時代に採用関連の業務に携わったこと、就活中に素敵な人事に出会っていたことから人材方面にキャリアを積みたいと考えていました。なかでも、目指していたのはリクルート。

当時リクルートエージェントで転職活動をしていたんですが、エージェントさんがくれる求人にはリクルートはなくて。「リクルートの会社で働くエージェントさんが出してくれないってことは、僕はリクルートにはいけないのかな」って思ってたんですが、思い切って「すみません、リクルートとか募集ないですよね?」って聞いたら、「ありますよ!」って。あの時一歩踏み出さなかったら、今のキャリアにめぐりあってなかったし、違う人生だったなって思いますね。

 

-その後リクルートキャリアへの転職を決めたわけですが、入社当時はすでに「いつか人事になるぞ」と意識してたんですか?

人事にはなりたいなと漠然と思ってたけど、入社してから配属されたキャリアアドバイザーの仕事が大変で。退社後に勉強したり他社の人の話を聞きに行ったり、成果を出せるように必死にやっていましたね。それだけ必死になって頑張った背景には、転職する際の最終面談の時に当時の人事部長に言われた一言が大きくて。

最終選考の面談の時、僕はキャリア4年目。「リクルートの4年目ってどれくらいのレベルか知ってるの?君の3倍は仕事できるね」ってはっきり言われました。「どれくらいで追いつくの?」って聞かれて、1年くらいですかねとか言ってたら、「そういうところがなんかぬるいよな。1年とか普通じゃん。半年って言えよ」って返されて(笑)。半年で本当に4年目に追いつけるのかなって思ったけど悔しかったから「3ヶ月で追いつきます!」って握手しちゃったから、もう焦りまくってたわけです。 

とりあえず成果出さないと、成長しないと、って必死でしたね。仕事が終わってからは深夜2時まで空いてる大崎のスターバックスに行って、終電までいつもいろんな本読んだり勉強したりとかして。懐かしい。

 

待ってるだけでは、描いたキャリアを実現できない。

-そうだったんですね。成果を出すために最初はめちゃくちゃ努力されたと思うんですけど、ブレイクスルーしたタイミングとかあったんですか?

自分の中で明確に覚えてるのは、ちょっと慣れてきたタイミングの時のことです。あと一人内定決めれば全社のMVPになれるかもしれないって話が、僕のもとにちらっと舞い込んできていました。これは大きなチャンスだと思いましたね。

この人がその場で握手すれば完璧にMVPが決まるという時があって、僕は必死になってその人を4時間くらい面談してたんです。本人はずっと「自分は行きたいけど家族に話したい」って言っていたところ、僕は「わかりました、電話しましょうよ」って言って。その場では電話がなかなか繋がらなくて、本人もできれば土日で考えたいと途中から言い出して。

今では役員になられた当時の上司にその状況を相談したら、「あんたそのための4時間だったの!?」ってすごい怒られたんです。「早く帰しなさい!あんたの成績はそのお客さんの人生にとって何にも関係ないのよ。どこ向いて仕事してんの?」って言われて。うわーっ・・・て思ったんです。

もうその時は自分のことで精一杯だったし、自分の成果を出さなきゃって思ってたから、目の前の人の人生よりも自分の売り上げを追っかけていたんですよね。その時にすごく葛藤して。バランスっていうのは難しいんだけど、最終的に極のところっていうのは目の前の人に向き合うことなんじゃないかなって、その時にはっきり気づかされましたよね。

相談を終えた後、面談していた方にはすぐに帰っていただき、案の定MVPは取れず。まあ、その方が決まってても最終的には取れなかったけれど、本当に成果以上に良い気づきを与えてもらいました。

 

-MVPは逃したけど、仕事の本質、大切なところに気付かされた瞬間だったんですね。その後キャリアアドバイザーから、一時期転職活動されていた時期もあったじゃないですか。

ありました。キャリアアドバイザーをちょうど2年くらいやったタイミングで、飽きてしまって。というのも、どうしても個人の方しか向けないし、個人に向き合う大切さは学んだんだけど、じゃあその次の成長、ステップって何なのかというところが分からなかったんですよね。

そこで、やっぱりその先も見れる人事になりたいと思って人事のポジションを色々探し始めました。リクルートの中で異動できれば一番よかったんだけど、時期的にも少し先になりそうだったので転職活動を。

そしたら、まさかの大手・有名企業からHRポジションの内定をもらうことができて、これはいけるかもしれないと思いました。内定を持った状態で、当時のリクルートのマネージャーに話しに行ったんです。「僕人事いきたいんですけど、人事にいける道が手元にあって迷っていて。社内で異動ってできないですよね?」と相談したら、「まあ待て」って言われて。しめしめじゃないけど、戦略的にキャリアを積むってこういうことかもなっていうのを考えられたのかな、と。

総合職で入っている人とかは特にこの辺考えた方がいいなと思っています。待ってたら、そのキャリアが自分を連れてってくれる時代ではもうない。やりたい仕事に対しての準備っていうのは、ちゃんとしないといけないんです。

僕だったら、例えば人事と積極的に絡みに行きながら、「キャリアアドバイザーで頑張ってる奴がいる」っていう噂が立つくらい影響力を積み上げて、時期が来たら最後に切り札持ってるみたいな。もう完璧なシナリオでしょう。

 

ーそこから人事としてのキャリアがスタートしたわけですけど、その後にベルフェイスに行くわけじゃないですか。大手・リクルートからベンチャー・ベルフェイスに転職しようと思ったきっかけは?

これは2つエピソードがあって。1つは5泊6日の新卒インターンシップにたまたま参加することになった時のこと。毎晩毎日学生と話をしていくうちに、今まで自分は人と向き合うのが上手だって思ってたんだけど、全然向き合えていなかったなと気づいてきて。

自分の姿勢がその学生たちに影響を与えるって言われていたんだけど、当たり障り無く周りの人とコミュニケーションを取れるけど本音を出さないっていう僕の姿勢が当時のグループにも表れていたんです。

2日目には学生との関係に限界がきて言い合いになった時、ある学生から「ユウゾウさんは泣きそう泣きそう言ってて絶対泣かないタイプですよね。そういうところが僕は嫌いです」って言われました。「学生には言う割に自分はそういうところ隠しますよね。だから今日は喋りましょうよ」とも言われて、そこから夜中の3時くらいまで号泣しながら語って。そこで初めて、人と向き合う仕事って面白いなと思ったし、ある種難しいなっていうのもすごく感じたんです。

ただ、その体験を味わってから職場に戻ってきた時のギャップがものすごくあって。大手の人事ってどうしてもオペレーションで回っちゃう。というよりも、回さないといけない。だから、このまま続けるのはちょっと違うなって思いました。

もう1つは、僕のリファラル採用で入社した人がいたんだけれど、入社2ヶ月後くらいにその人から電話がかかってきて。一緒にランチに行ったら、「私の同期みんな辞めちゃったんですよね」って言われて。ランチ中にその子がめっちゃ泣き出しちゃって、「ユウゾウさん、いい会社って言ったじゃないですか」って言われたんです。その子に申し訳ないっていう気持ちもあったけれど、何よりショックだったのはみんなが辞めた事実を知らなかったっていうこと。やっぱり大手で組織も細分化されていたから、「人事って何なんだろうな」って思いましたね。

その時、当時担当していた中途採用担当っていう狭い領域だけじゃなくて、もうちょっと広い、中途も新卒も、もっというと労務とか教育とか、入社後のところも見れるようなキャリアを積みたいなと思ったんです。

その2つがベンチャーに行こうと考え始めたきかっけでしたね。

 

HR文脈で目の前の人、日本で暮らす人をハッピーに。

-ベンチャーから老舗の鞄製造会社へ。このキャリアもまた、印象的ですよね。今はどのような働き方をされているんですか?

今は自由に色々やらせてもらっています。人事部人材開発課・課長をさせてもらいながらも、ふと気がついたら他に複業6社やっていて。

複業では、採用のコンサル、採用ブランディングみたいな文脈で関わっている企業が2社。人事として関わっている企業が2社。人事として関わっている企業では、僕が欲しいサービスを企画して作ろうとしています。具体的には、学生向けのオンライン説明会などをやっています。

他には大学の非常勤講師だったりエージェントとかもちょこっとやっていたりするんだけど、ベルフェイスでの人事組織立ち上げ経験をはじめとして、自分が今までやってきた経験をそれぞれそのまま活かしているって感じですね。新しいことを始めたっていうよりも、色々自分がやってきたことを広げていったら今6社にまで広がったって感じ。

 

-人事は天職だなって思うことはありますか?

天職っていうのは、なんだろう(笑)。わからないですけど、人事のように人と向き合える仕事っていうのは自分はどこまでやっても飽きなくて、どれだけ身体しんどくてもやれる。っていうことは、もしかしたら天職なのかなって思いますね。

 

-人事というところ、人と向き合える仕事を軸に、おそらく今の会社からまた違うところにいかれるってこともありますか?

それ最近すごいいろんな学生に言われる(笑)。 いつまでいるんですか、みたいな。

端的に言うと、しばらくここで働いていくと思っています。

なぜここに入ったのかっていう話になるんですけど、製造業とかものづくりとかって、時代的には傾いていくイメージのある業界ですし、勢いもITとかに比べたら全然無い領域ですよね。

でも、僕はここ数年でこの業界を変えられるんじゃないか、中にいる人たちがよりハッピーに働けるようにできるんじゃないかって思ってるんです。HRの文脈でこの業界を変えられれば、大げさじゃなく日本を救えるとも思っています。

その背景にあるのは、これまでいろんな仕事を経験してきた中で気持ちが変わってきていることがあって。「目の前の人をハッピーにしたいな」っていうところから「より多くの人をハッピーにしたい」と。もうちょっといくと「日本で暮らす人たちとか、日本に関わる人たちがハッピーになってくれると、僕はすごく嬉しいな」って思うんです。

それが自分の人生をかけてやれることかもなっていうのを最近考え始めていて、今はそれを叶えられるのが土屋鞄。柔軟な働き方を許してくれてることもあるので、しばらくはいるのかなっていう感じはします。

 

-目の前の人から、広く日本を変えていきたいという思いはどういう風に出てきたのでしょう?どうしたらそんな風に変わっていくんだろうみたいなのが気になりました。

目の前の人を幸せにしていくっていう連続を続けていくことが、そこに繋がったのかな。ベースは一番そこが大きくて、ずっと目の前の人と向き合っていたら物足りなさを感じるようになっていくというか。

要は、同じ成功体験を味わっていると、人ってやっぱりもっと成長したいって感覚が強いので、「もうちょいやりたいな」っていう前のめりな気持ちが多分でてくるんです。そういう成功体験を続けているとだんだん見える範囲が大きくなってくるので、より上のレイヤーで物事を考えてみたいなっていう感情が湧いてきたっていうところが大きいですかね。

目の前のお客さんに向き合って、その人が結果的にどのようなベネフィットを得るのかというところをだんだん見るようになっていって、「そうしたらもっとここにも価値提供できそうだな」とか「もっとこういうことできそうだな」っていう風に感覚的に変わっていった感じですね。

 

これまでになかったIT・WEBとのコラボを

-最後に、今後チャレンジしていきたいこととかをお話しいただけますか?

正直、他の業界に比べたらものすごく遅れている領域だと思っています。例えば、一番最初の面接で「この人の書類ってどこありますか」って聞いたら、めっちゃでかい倉庫がガチャンって開けられて、ファイリングされてるのをバーっと調べて、この人ですって差し出されて。「いや、やばいな! すごい状況だな」と思いました(笑)。

クラウドのクの字も出てこないような業界なんだけど、こういう会社が変わっていって、少しでもITとかWEBとかとコラボし始めると多分面白いイノベーションが起きるんじゃないのかなって思ってるんですよね。

その先に日本とか、今関わっている人たちがハッピーになっていけばいいなと思っているので、僕はそういった逆風吹き荒れる中、カオスな環境でも笑いながらやっています。それを続けていくのが直近のキャリアイメージかなっていう感じですね。

今は日本のために~とかって大きなことを言っているけど、結局は目の前の人と向き合いながら前向きな挑戦がしていければ良いなと思っています。