「新しい挑戦は、批判を無視できるくらい没頭するしかない」炎上した新卒フリーランスのその後

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第4回目のゲストはフリーランスとして多方面で活躍をされている鳥巣愛佳さんです。

福岡県出身の鳥巣さん。幼少期からエアロビクスをはじめ、早稲田大学在学中には世界大会に出場した経験も。講師としてレッスンも行い、ブログでエアロビクスの魅力を発信されていました。

大学卒業後は、就職は選ばず、新卒フリーランスとしてフィットネス業のほかにメディア運営などを仕事にしています。

「新卒フリーランス」というまだまだ一般的ではないキャリアからスタートし、常に自分の素直な気持ちを指針に行動してきた鳥巣さん。
彼女だからこそ見えてきた世界や、キャリア選択の葛藤などについて話を聞きました。

「新卒フリーランス」で独立して4年が経った今

-現在、取り組まれているお仕事について教えてください。

新しい働き方をテーマにした20代のキャリア思考の高いビジネスパーソンのインタビューマガジン「アシスト」の編集長をしています。
そこから、法人の広報のお仕事などもいただくようになりました。

また、ずっとエアロビクスをしていた経験から、フィットネスの講師業もしています。

新卒フリーランスとして独立をして、あっという間に4年目になりました。

-新卒でフリーランスになるという選択はまだまだ一般的ではないと思いますが、周りから批判などはありませんでしたか?

SNS上でめちゃくちゃ炎上しました(笑)
もともとブログをやってTwitterで発信もしていたので、「こうしたらバズるだろう」というのが分かっていたのですが、思った以上に反響がありました。

インフルエンサーの方に言及されたのが、炎上のはじまりで。ちょうどそのとき卒業旅行で海外に行っていたのですが、帰国してネットがつながると通知が鳴りやまなくなりました。

怖いもの知らずな部分があったので、いただいたコメントなどは全部読ませていただきました。いろいろ書かれていましたね。「自分が親族ならめっちゃ怒るわ」とか「親の顔が見たい」とか「絶対、水商売にいくぞ」とか。やはりいくらか傷つきました。

なにより、家族のことを悪く言うコメントを読むのが辛かったです。わたしは家族の反対を押し切ってフリーランスになったので、家族を責められるのは……。

-ご家族は鳥巣さんが就職せずにフリーランスになることを反対されていたんですね。

両親はわたしに就職をしてほしい気持ちを一番強くもっていました。
わたしの気持ちを変える猶予を設けるために、留学という選択肢も提示されました。真剣に考えたのですが、留学してなにを勉強するのかが見えなくて…。

当時は、「メディア運用をやりたい」という気持ちと、「フィットネスの現場に立ちたい」という気持ちが大きく、どちらにも決めかねていました。なので、第三の選択肢であるフリーランスは、モラトリアム的な意味をもっていたと思います。

ブログでかっこよく発信はしていましたが、当時は正直、会社員をしながら、副業でやりたいことをやる、というのはどれも中途半端になりそうで、自信がなかったんです。

-当時やりたかった気持ちを大事にした結果、いま、両立して仕事になっているのはすごいですね。軌道にのったのはいつぐらいなのでしょう?

もともと勉強していたフィットネスを、仕事として通用するスキルにするために、卒業後半年間は勉強期間を設けていました。

メディア運用の知識は、インターンとして学んで。その頃は、父と同居していたので、収入としてはなんとか生活費をまかなえていました。

1年経ったくらいで、勉強の成果もでて、収入的にも安定するようになりました。

就職活動での違和感を尊重した結果のキャリア選択

-就職活動もされていた、ということですが、どのような企業を見ていたのですか?エアロビでプロの道に、という選択肢はなかったのでしょうか?

エアロビクスはまだまだマイナー競技で、プロとしてやっていくという選択肢はそもそもありませんでした。エアロビクスからフィットネスのインストラクターになる方は多いんですよね。なので、いまのフィットネス業には自然となった感じで。

就職活動がはじまる前に、学生で起業している同世代に会ったんです。それまで自分が熱量を注いできたスポーツや学生の世界とは全く違っていて、衝撃を受けました。自分も好きな分野で人を巻き込んで、価値を残したいって思ったんです。

しかしながら両親が大手企業に就職しててほしいという希望をもっていたこともあり、就活もしていたんです。面接の会場に行くと違和感を感じてしまって…。みんなが同じ髪型、同じ服装で並んでいるのを見ていると、だんだん、「なんでわたしは、ここにいるんだろう?」という気持ちになっていました。

型に合わせる、というスキルももちろん大事だとは思っているんです。ただ、それが自分は受け入れることができないんだと気づきました。

大学4年生のときから、ウェブコンサルのスタートアップ企業でインターンをしていて、そこで内定をいただいていたんですけど、やはり、自分がやりたい!と思うことに一度振り切りたかったので就職はしませんでした。

キャリアを考えるにあたって私は体がアスリート並みによく動く、ということにとにかくこだわっていました。。一度就職をして、30歳くらいでインストラクターに転身する…そんな道も考えていたんです。もちろん、年齢を重ねると技術的には磨かれていくと思うのですが、若く、動ける、という武器を使っていきたいと強く感じていたのをおぼえています。

フリーランスになったのには「いま、やりたいことは、素直にいまやろう」という気持ちが決定打になりました。10年後、後悔しない道はどれ?って自分で自分に問いかけた結果、新卒フリーランスだったんです。

-学生時代からフリーランス的な働き方をして、とても精力的だったかと思います。ブログなどの発信活動をはじめたきっかけは?

学生のころにブログを始めたきっかけは、エアロビクスがマイナー競技だったからですね。もっと広く認知されてほしい、という気持ちから、ブログでの発信をはじめました。

また、同じ大学、同じ学部に、学生時代からブロガーとして活躍していた八木仁平さんがたまたまいたことが継続につながったと思います。

もともと知りたいだったというわけではなく、読んでいて面白いなと思った記事を書いていたのが、彼だったんです。そこからコンタクトをとって、その後は、進路に悩んだ時にも背中を押してもらうことも。いまでも刺激をもらっている友人のひとりです。

すきなことが仕事になるまで

-いまのような状態になるまでに挫折はありましたか?

もちろんありましたよ!思い返せば、結構波があるフリーランス生活だな、と。

フィットネス業界には様々な団体があって、それぞれの団体にカラーがあるんです。わたしもある団体に所属していて、たくさん勉強させてもらっていたんですけど…フィットネスのみでなくメディアもいろんなことをしたかったので、その団体のカラーだけに染まるのはまだ早いと思ったんです。

それで、その団体を辞めて…ただ、それまでのお客様ともお別れしないといけないことになったので、一気に仕事も減ってしまいました。2ヶ月くらいは気分が落ち込んでいたと思います。

そこから抜け出すきっかけになったのが、いま、編集長を務めているウェブマガジン「アシスト」の運営メンバーとの出会いでした。

そのときはまだアシストは存在しなかったのですが、仲良くしていた友人がいろんな事業を手掛けている人で、わたしが「自分でメディアを運営している」と言ったら、「じゃあ一緒にメディア事業をやろうよ」と言ってくれて、そのメディアのテーマなどもわたしに任せてくれたんです。

あまりお金がモチベーションにならない性格なんですけど、もともと仲が良かった友人と一緒に事業をすることで、「この人たちとなら頑張りたいな、楽しくやっていきたいな」という気持ちが原動力になっています。

それまで落ち込んでいた時期が続ていたので、彼らとの出会いが突破口でしたね。いろんなことを個人でやりながらも、ホームとなるような場所ができたというか…2年目くらいで、がちっと自分の土台が固まったように思います。

-新しいことをやる人は、批判されることもあると思いますが…ネガティブな意見との向き合い方は?

やっぱり、誰も知らないことをしようとするのは、それなりのエネルギーと覚悟のいることだと思います。その挑戦に対して、いろんな意見をぶつけられることも。だけど、夢中になってやっているとあまり気にならなくなってきます。そのくらい、頑張ればいいんじゃないかな、と。

大学進学して、エアロビックの選手としての活動をしたくて、でも練習施設もお金も仲間もいなくて…どうしようもなかったので公園で一人で練習していたんです。子どもたちに変な視線を投げかけられながらも、ただ一生懸命に競技に没頭していました。

たとえば、わたしが失敗したとしても、それまで意見をぶつけてきた人は誰も責任なんてとってくれないんです。。当然ですが、正解を教えてくれる人がいるわけでもない。みんな、好き勝手に人の人生に口出ししているだけ。それが分かっているから、わたしがそんな批判的な言葉に向き合うのは意味がないなって思うんです。自分の人生は自分でしか責任取れないので。

パラレルワークをするうえで大事にしていること

-いろんな仕事を同時並行でしていますが、どうやって切り替えを?

切り替えは大事ですね。それぞれの業務にあたっているときは、ほかの業務のことは考えないように務めています。例えばフィットネスのレッスン講師の仕事は、会場にむかうまでの30分間で先生モードに切り替えて、、編集のことは頭から追いやる感じです。

あと、わたし、歯磨きがとっても好きで!1日に5回くらい磨くんです(笑)それがスイッチになっているんじゃないかな。自分のなかで、切り替えのポイントを設けると、パラレルワークでもうまく両立していけると思いますよ。

-いまでも様々な分野でご活躍されていますが、鳥巣さんご自身が考える武器はなんですか?また、それを活かしての今後の展望は?

いまは大きく分けて、メディア運営とフィットネス業をお仕事にしていますが、どちらの仕事も、どんなシーンでも応用が効くなと感じています。

フィットネス業であればヘルスケアとか、人前で話す講演の仕事とか、メディア運営は広報やマーケティングにつながりますから…「なんでもやってやる」というマインドが自分のなかで育まれています。そこは武器だと思うので、今後も大事にしたいですね。

事業としては、メディアは法人向けにサービス展開しているので、それをまずはしっかり固めたいです。フィットネス業は、人に教えるという部分を発展させて、地元の福岡県で高齢者向けのレッスンを開けるようになればいいなと考えています。それで稼ぐというよりは、社会貢献としてという意識はもっていますね。

地元・福岡が好きなので、貢献したいですし、事業をひろめることで、将来的には、東京都の二拠点生活も実現したいです!

===

編集:野里のどか(Twitter/ブログ