話題の「黒塗り広告」は、こうして生まれた。ーーGO飯塚政博 #期待のルーキーに聞いてみた

 

年功序列や終身雇用を前提とした“守りの選択肢”ではなく、自らの意志で人生の岐路を潜り抜け、“攻めの選択肢”でユニークな働き方を実践している若者がいる——。

U-29.comが「いま話題の企業で働く、若手社員にスポットライトを当て」20代の働き方にヒントを届ける企画 #期待のルーキーに聞いてみた 。初回のゲストは、株式会社GOの飯塚政博さんです。

飯塚さんは、広告・PRを数多く仕掛け世間から注目を集める株式会社GOに今年新卒入社された若手プランナー。2018年の夏に東京メトロ国会議事堂駅、霞ヶ関駅をジャックしたことで話題となったケンドリック・ラマーの来日広告を手がけ話題になるなど、早くも才能の片鱗をのぞかせています。そんなユニークな働き方をする業界屈指の期待のルーキーに、“いまなにを思い、今後どうしていくのか”を聞いてきました。

Text by 川尻疾風

 

就活失敗、大学2留。そして、創業間もないスタートアップへ。飯塚政博の数奇なキャリア

ーー飯塚さんのこれまでを、大学時代から遡ってお聞かせください。

飯塚政博(以下、飯塚):もしかしたら、僕は多くの社会人に比べると、数奇なキャリアを歩んでいるかもしれません(笑)。もともと大学時代からメディアや編集の仕事に興味をもっていて、「博報堂ケトル」内の編集プロダクションでアルバイトをしていたんです。

周囲はスペシャリストばかりで、本物の職人集団と一緒に働ける理想の環境。卒業後はそのまま就職したいと思っていたのですが…残念ながら新卒での募集はされておらず、悔しい思いと共に就職活動をはじめることになりました。

ーー以前から、メディアや編集の道を希望されていたんですね。

飯塚:そうですね。ただ、編プロで働いてはいたものの、職業としての編集者になりたいというより「エディトリアルな感覚を活かせる仕事をしたい」といった気持ちを強く抱いていました。“広義の意味での編集者”になりたかったんです。

就職活動中は、ラジオ局とリクルートを目指していました。ラジオ局を目指したのは、昔から大好きなラジオ業界を新しい概念と組み合わせることで盛り上げられないか考えていたから。リクルートを目指したのは、エディトリアルな感覚を武器に新しいビジネス創生に挑戦できると思っていたからです。しかし、結果的に希望に合う企業からの内定はもらえず、就職活動に失敗しました。

ーー卒業後の進路はどうされたんですか?

飯塚:就職浪人はしなかったものの、就職活動とは別に留年することに。「なにか打ち込みたいものがあったんですか?」とよく聞かれますが、普通に単位が足りず卒業できなかっただけです(笑)。しかも留年は通算2回目。慶應義塾大学の経済学部に通っていたのですが、本当に数学が苦手で、学生時代はとにかく劣等生でしたね。

そこで、なにか新しいことをはじめようと思っていた際に出会ったのが、創業したばかりのGOだったんです。

ーーGOには、どのような経緯で入ることになったんですか?

飯塚:代表の三浦が独立したニュースを目にし、応募要綱なんてないのに、勝手に会社のメールアドレス宛てに「勉強させてください」と直談判しました。今でこそ「GO」は会社としての評判や認知度が広がってきましたが、当時はまだ創業まもないスタートアップ。

具体的なプロジェクトをみて興味をもったというより、広告×スタートアップの領域で「既存の会社とは違った仕事を体験できそうだ」と感じ、思い切ってメールしたんです。

大変なことは「ない」。“絶対的な期待”があるからこそ全力で働ける

ーーインターン時代には、どんな業務を行なっていたんですか?

飯塚:企画を出し、先輩の企画書作成アシスタントをして、会社全体の雑用をする。この3つが主な業務でした。求められる企画のレベルは高く、はじめて自分の企画が通ったのはインターンして約3ヶ月ほど経った頃でしたね。

今回「期待のルーキー」といった文脈で呼んでいただいたのは嬉しいですが、未だにアイデアへのダメ出しは多くて…本企画の趣旨に合った話ができないと思い取材を受けるか迷いました。案件によっては、先輩に迷惑をかけていることも多々あって、なんとか食らいつこうと頑張る毎日です(笑)。

ーー今年の春から新卒入社されたとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか。

飯塚:インターン時代は慣れない業務も多く、ただ目の前のことに全力で取り組んでいました。そしたら、ある日会社の方から新卒入社の一号として正式にメンバーにならないかと誘ってもらえたんです。同期がいないのはもちろんのこと、社内に20代は自分しかいません。

社員は名だたる企業出身の一流プレイヤーばかりなので、正直ついていけるか不安で判断を先延ばししたかった(笑)。ただ、「GOなら、面白いことができる」と確信し、入社を決めました。インターンの時期から最前線で働くことができ、早くから打席に立てたことが、なによりやりがいとなっていたのです。

自分が働いた分だけ、その努力が組織に還元されていく。肌感覚でそう感じた経験が、僕の背中を押してくれました。

ーー現在の仕事内容と、インターン時代で変わったことはありますか?

飯塚:基本的には変わっていません。強いて言えば、GOが組織として拡大したことによって、組織全体の風土づくりを担う「グラウンドコントロール」のメンバーが加わったこと。よりプランナーとしての業務を中心に、進められるようになりました。

GOでは案件ごとに、クリエイティブディレクターとプロデューサー、プランナーの計3名からなるチームを組みます。そしてメンバーで企画を練り、それをクライアントにもっていくことで業務を進めていくのです。案件ごとに満足できるクオリティに仕上げなければいけないし、関わる案件も次々と増えていくので毎日とても充実した日々を過ごしていますね。

ーー仕事の上での苦労することをお聞きかせください。

飯塚:僕が担当したケンドリックラマーの広告でいうと、企画自体は割とすぐにできましたが、そのあとの苦労が多くて。センシティブな内容を東京メトロなど各ステークホルダーを巻き込んで実行しなくてはいけなかったので、プロデューサーを中心に細やかな調整を積み重ねました。

ーー飯塚さん自身は、仕事でどんな時が嬉しかったり大変だったりするでしょうか?

飯塚:最初の企画出しで、良いアイデアを出せると死ぬほど嬉しい。大変なことでいうと…特にないですね。

ーーえっ、ないんですね!

飯塚:もちろんフィジカルな面で大変なことはありますが、メンタル的には感じることがなく、毎日楽しく仕事をしています。大変な瞬間があっても、むしろ心地よい刺激だと思うくらい。「いつかこの経験が活きて、大きな仕事につながるだろう」といった絶対的な期待のもと、仕事ができているからかもしれません。

僕がGOで働く理由。「変化と挑戦にコミットメント」して社会に影響を与える

ーー最後に、今後の将来についても教えてください。

飯塚:僕自身は、「コミュニケーションの技術を武器に、社会に大きなインパクトを残せる仕事がしたい」と思っています。

それは、広告のように具体的なアウトプットをつくることかもしれないし、企業や行政の組織改革のために新しいルールをつくっていくことかもしれない。ひと口に「コミュニケーション」といっても、さまざまな可能性と選択肢があると思います。

形式にこだわらず、ブランドのあらゆるアセットをフル活用して「人々に影響を与えて、社会が前進する力を生みたい」です。

飯塚:僕は昔から“グランジ”と呼ばれる音楽ジャンルが好きで、既存の化石みたいな価値観に、疑問を投石する意志の感じられるものに惹かれていました。

広告やPRなどのコミュニケーション領域に強く関心を持ったのも、昨年話題となったヤフーの銀座での広告(※補足:ソニービルに、東日本大震災の津波と同等の高さとなる広告を出したもの。)に感動し、「こういったものを生み出していきたい」と思ったことがきっかけでした。

GOのステートメントは「変化と挑戦にコミットメントしていく」こと。企業がなにかしらの変化を求められ挑戦しなければいけないときに、その後押しをするのがGOが存在する理由です。社員としてではなく、僕個人としてもこのステイトメントに深く共鳴しており、今後も体現していきたいと考えています。