ゼクシィ元編集長は、パソコンの電源が入れられなかったーー伊藤綾 #私のライフラインチャート

人は、人生を一度しか生きることができない。ゆえに、心の底から願う人生であっても、勇気を持ってその一歩を踏み出すことは難しい。もし、誰かの人生を追体験することができたら——。

U-29.comが送る、「あの人の人生を振り返り、ユニークで私らしい人生を送るため」のヒントを届ける企画 #私のライフラインチャート 。第2回のゲストは、『ゼクシィ』元編集長の伊藤綾さんです。

伊藤さんは、カスタマーインサイトをつかんだ企画の数々でヒットを飛ばし、編集長に就任した凄腕の編集者。しかし「集団行動ができなかった」過去や、就職活動に失敗し続けた経験があるそうです。決して順風満帆とはいえなかった人生から、自分の仕事を作り出していく人材に変化できた理由は?

Text by U-29編集部

 

インタビューが始まる前に、まずはライフラインチャートを描いてもらった。人生を振り返ってみると、過去に大きく3つのターニングポイントがあったそうだ。

集団行動に馴染めなかった幼少期。今も耳に残る、“涙のOb-La-Di, Ob-La-Da”

西村創一郎(以下、西村):急激に落ち込むポイントが3点。こちらが、今振り返ってみて思う「人生のターニングポイント」ですね。まずは4歳のとき、最初のターニングポイントについてお伺いさせてください。

伊藤綾(以下、伊藤):幼稚園に入園した歳なのですが、初めての集団生活に全く馴染めなかったんです。幼稚園に行くととにかくお腹が痛くなってしまうので、大半の時間を保健室で過ごしていました。

お昼ご飯の時間になると、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』が園内に流れます。みんなとご飯を食べるという、当たり前のことができない苦い思い出が、音楽と紐づいてしまったんです。『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに「自分はダメな子なんだ」と考えてしまうようになりました。大人になった今でも、思い出してしまいますね!

西村:そんなエピソードがあったんですね。幼稚園に通えなかった日々からは、どのように脱出したのでしょうか?

伊藤:ある日、先生が「今日から、お腹が痛くても保健室には行けません」と私に宣告したんです。当時はまだ幼かったので、反論することもできませんでした。世界が終わったように感じたことを覚えています(笑)

選択肢がなくなったので、もうみんなと同じように生活する以外なかったのだと思います。ただ、あまり覚えていないんです。

西村:辛かった経験が、記憶から消えているんだと思います。僕も幼少期のエピソードを覚えていないので、綾さんと同じです。

伊藤:きっとそうだと思います。その日から、なんとか集団生活を行えるようになりましたが、小学校〜大学卒業まで、これといって何か目立つほど成し遂げたことはたぶんほとんどないんじゃないかなと思います。就職活動も、ことごとく失敗しました。

西村:就職氷河期の真っ只中だったことが影響しているのでしょうか?

伊藤:たしかに就職氷河期でしたが、同期に比べても私は、全然ダメだったんです。

西村:新卒では出版社に入社されていますよね。経緯をお伺いできますか?

伊藤:料理に関連する書籍を製作している出版社に入社したいと考えていたので、街の本屋さんに出向き、最後のページに書いてある電話番号に自分から連絡したんです。募集をしている出版社は人気があり、落ちてしまうと思ったので、あえて募集の告知をしていない企業に絞っていました。

するとたまたま、小さな出版社が「来週試験があるから、よかったらどうぞ」と。たまたま面接がなく、試験の成績で合否が決まるとのことでした。死ぬ気で問題を解き、なんとか内定をいただくことができたんです。

悔しさを跳ね返そうと、仕事に魂を燃やす。カスタマーになって初めて知った、本当の意味での幸せ

西村:入社後は、どのような業務に従事されていたのでしょうか?

伊藤:思い出深い仕事の一つに、初めて1冊丸ごと編集担当した料理本があります。与えられた企画が「小さな焼き菓子とテディベア」。焼き菓子の作り方と、小さなテディベアの熊のぬいぐるみの作り方が一冊で分かる、画期的な?本でした。

西村:切り口に困りそうな本ですね(笑)。

伊藤:「お菓子とクマって、どうしたらいいの?」と思いましたよね(笑)。でも、やるしかない。最初はクマの作り方とスコーンの作り方を表紙に掲載しようとしていたんですが、ちょっと企画を変えて、スコーンをカヌレにしました。というのも、当時カヌレがブームになっていたんです。でも、カヌレの作り方を載せている本はあまり流通していなかった。チャンスだと思いましたね。

そこで、表紙に大きくカヌレの写真を載せて売り出したところ、なかなかのヒットになったんです。もう、鼻が高かったです(笑)。就職活動がとことんうまくいかなかったのに、バレンタイン商戦を目前に、新人が大活躍しているわけですから。

西村:では、社会人になってから、これまでの不振が嘘のように変化していったと…?

伊藤:実は、そう上手くはいきませんでした。喜んでいられるのも束の間で…。

忘れもしません、バレンタインの前日です。本を購入したお客様から「カヌレが膨らまない」と電話がかかってきました。「本に書いてある通りにつくっているのに、うまくできない。どうしたらいいのでしょうか?」と。

オシャレな写真を掲載することに必死になり、詳細が分かるものになっていなかったことが原因です。そして私自身も、その質問に答えられなかったんです。浮き足立っているのが恥ずかしくなりました。

西村:カスタマーとしての視点が足りていなかったことを、身を以て痛感したわけですね。

伊藤:その通りです…。紆余曲折あり、その後、仕事を辞めて兵庫に移り住んだのですが、そのときに改めて当時の失敗を思い返す出来事がありました。自分で毎日ご飯を作るようになり、その時の私の生活には、オシャレさよりも、懇切丁寧に過程を紹介している本が一番役に立つのだと知ったんです。

西村:具体的に、エピソードを教えていただけますか?

伊藤:料理本を見ながら炊き込みご飯を作っていたのですが、本に掲載されている塩の分量が、なんだか多いなと思ったことがありました。後からレシピが間違っていたことがわかったのですが、初心者なので、とりあえず書いてある通りに作ってみました。炊き込みご飯だったので、途中で味見ができなかったんですね。食べてみると、やっぱり味が濃すぎる。とても悲しい気持ちになりました。当たり前のことなのだけれど、その日の私にとっては、とにかくおいしいきのこご飯を作ることが大事でしたから。材料費も毎日やりくりしていました。

そこで、カヌレの失敗を思い出したんです。お客様にとって大事なことって何だろう?って。素敵な写真とともにカヌレの作り方を紹介することがお客様の幸せになると思っていたけど、それだけでは足りなかった。嬉しくなることと、幸せになることは、似て非なるもの。本当の意味でのカスタマー視点を考えたことが、私の第二のターニングポイントになりました。25歳の出来事です。

編集者から、編集長へ。「二の腕が細くなるドレス」より、ゼクシィが伝えたいこと

西村:第二のターニングポイントを受け、どのように人生が変化したのでしょうか?

伊藤:専業主婦を経て、もう一度働こうと決めました。東京に戻ってきたタイミングで、仕事先を探していたところ、目に入ったのがリクルートの契約社員の求人です。

編集者経験があったことが幸いし、無事に内定をいただくことができたのですが、私が最初にしたことは「パソコンの電源の入れ方を質問すること」です。ITリテラシーが全くなく、ちょっと機種が違うとわからないし、パワーポイントやエクセルを使ったこともなかった。仕事をしようにもできないことが多すぎました。

幼少期に、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を聞くたびに心が暗くなる経験をしたのと同様に、ゴミ収集車の音を聞くとお腹が痛くなりましたね。とにかく、よくトイレに行っていました(笑)

西村:かつての「嫌な思い出」が再び繰り返されてしまったと。

伊藤:そうなんです!配属先が『ゼクシィ』を製作する部署で、同部署では企画を発表するコンクールがあります。しかし自分に自信がなく、納得して提出できる企画が一本も作れませんでした。

1年に1回、上司や先輩社員が人間ドックで出社しない日があるのですが、その日を心待ちにしていましたね(笑)。自分には何もできないのではないかと考えてしまうくらいに、仕事ができなかったんです。

西村:社会人になってからも、そうした憂鬱な日々があったんですね。しかし、『ゼクシィ』の編集長として活躍されました。どのようなきっかけがあったのでしょうか?

伊藤:ずっと現場にいたり、いつもお客様と話をすることを叩き込まれたからではないかと思います。たとえば、新郎新婦がお色直しで入場するときに、緊張で肩がブルブル震えている光景を目の当たりにしました。その姿は、結婚式の写真を見るだけでは分かりません。

ほかにも、親御さんへのメッセージを読み上げる感動のシーンの裏にも、いろいろあるわけです。結婚式の企画を考える際に喧嘩があったり、料理を決めるのにもゴタゴタがあったり。美しく見える結婚式ですが、その過程で、たくさん泣いたり、笑ったりしているリアルがある。

嬉しさと幸せだけでなく、コンプレックスや、緊張や、たくさんの感情が渦巻いている。その事実に圧倒的に触れ続けることで、少しずつヒットする企画が打てるようになりました。

西村:顧客が本当に欲していることを“肌感覚”で掴めるようになったと。

伊藤:そうですね。もう一点、現場経験を積んだこと以外にも、自分の病気も転機になっています。

双子を出産し、その後、数万人に一人が発症する病気を発症してしまい、重篤な状態になってしまったんです。その後なんとか回復しましたが、退院した後にはすぐ育児があります。病気になったときは「生きているだけで幸せだ」と感じましたが、それでも病後の新しい両立生活はやはり大変で、めげそうになりました。

そうした経験をしたことで、結婚式だけではなく「その次の日からはじまる生活」、結婚そのものについても目を向けたとき、ゼクシィがどのような存在であるべきかを真剣に考えるようになりました。「3時間の結婚式から60年の結婚式へ」や「プロポーズされたら、ゼクシィ」というコピーを作ったのはこのころですね。ゼクシィにできることは限られているのだけれど、それでも、結婚が決まった時からはじまっていくお客様の新しい生活の、何を祈るようなメディアでありたいのか、という問いが自分の中にありました。

苦しい「今」は、宝物の「過去」に変えられる

西村:カヌレのエピソードではないですが、ただインサイトを追うのでなく、カスタマーに憑依できるようになったと。

伊藤:もちろん、インサイトを汲み取ることも大事です。それまでは「二の腕が細く見えるドレス」など、ヒットするための企画を必死に考え、コツコツ結果を積み重ねてきました。ただ、役に立つ、ということから一歩進んだ、サービスの世界観や価値・目的も同時に考えるように変化していったのではないかと思います。

西村:なるほど。現在のご活躍の裏には、大変な苦労や、失敗の積み重ねがあったんですね。

伊藤:就職活動しかり、うまくいかないことや、失敗もたくさんあるけれど、今振り返れば、一つひとつの失敗が私へのメッセージだったと考えたりもできます。そしてそう思えるのは自分自身しかいないのではないかなと思います。パソコンの電源すら分からなかったあの日の劣等感も、カヌレのエピソードも同じで、そこから何かが生まれていく契機でもある。だから、そのときは残念なメッセージに受け取れても、いつか本当の意味が分かるときが来るんだと思っているんです。